女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

26 / 33
勇者時代、最後の戦いが始まるまで

 

 

 夢を、見ている。そう自覚できた。

 何故なら今、目の前に広がるただ広いだけの大海原を、かつて自分は……マーニャという女は、フニと共に見たことがあるからだ。

 人生の中で最も幸福だった一年間の、その最後の時。

 旅の終わりに二人がたどり着いたのは大陸の最西端だった。

 

「ここが西極……」

 

 そう、隣のフニが言った。栗色のふんわりとした髪が潮風に揺れている。

 西の果てには何もない。静かな海岸が地平線の果てまで延び、そして泡白く波を打つ青い海があるだけの光景。――人気は無い。この辺りには港も、街もないのだ。そしてこの先の海にも。

 

「この先には何もないそうよ」

 

 夢の中で自分の口から出た言葉は、確かにかつての己が発した言葉。ますますもって夢だと自覚するマーニャは、ぼんやりと二人の姿を上空から見つめている。俯瞰している、という言葉がぴったりの状況。

 

「昔、世界地図作成のために76時間連続飛行を行った魔法使いがいるらしいですね」

「それで作られたのがこの地図だって」

「幾つかの大陸が地殻変動の末に統合し産まれた『超大陸』……星に陸はひとつしかない、ですか」

 

 会話を終わらせないで欲しいと願ってしまう。

 間違いなく言えるのだ。この時こそが人生の絶頂期だったと。幸福はこの時間にこそあったと。

 

「東の果ては魔王領でしたね」

「どんな所なのかしら……」

 

 大陸の最東端を陣取る形で魔物の領地はある。人がこの数百年立ち入ることもできずにいる土地だ。当時のマーニャにはきっと想像もできなかった。

 

「いつか行けるかしら」

「行けますよ」

「そうだどいいけど……」

 

 地平線の先まで続く海原を見ながら遠くへと思いを馳せるマーニャの表情。それはきっと、ありえない夢想への諦念が混じっていた。

 だからフニが努めて明るい声音をする。

 

「ねえお姉さま、最新の魔法学研究誌に載っていたんですけど。人はあと数十年で自ら宇宙空間に大気組成を創造して、単体での宇宙活動を可能にするらしいです」

 

 人はいずれこの星を旅立つのだと言う。

 魔法という万能の力を用いて、いずれは外宇宙へと、宇宙全域への播種を可能とする。――自分は空を見上げる事しか出来ないけれど。

 そんな、小さな孤独がきっと顔に出ていたのだろう。少女は殊勝な微笑みでえへんと胸を張る。

 

「その時はわたしがお姉さまを連れて行きます」

「……頼もしい」

 

 フニは変わった。

 自分に自信がなくて、おどおどしていて、いつも弱気だった12歳の女の子はもういないのだ。きっと学生の頃の自分が見たなら驚くに違いない。

 フニ・フラ・フリペチーノはこんなにも朗らかな笑顔を浮かべられるようになった。

 彼女が変わる、成長できる一助になれたならそれは紛れもなく幸福なこと。

 

「にしても」

 

 マーニャは靴を脱ぐ。靴下をそっと外す。春先の海岸は冷たさと温さが混同した不思議な感触で、さくさくと音を立てるのが心地良い。

 波打ち際を悠々と越えて、踏み入れた海の冷たさが骨まで響く――マーニャは振り返った。

 きょとんとする少女がいる。

 旅をしてたくさんの経験をした。自身の醜さを知った。少女との絆はより強くなった。危険はあった。色んな人と出会えた。家族との別れを経験した。

 そうして、マーニャは、フニ・フラ・フリペチーノと旅をしたのだ。

 だから終わりはここではない。この先に人が立つ大地はなくとも、ここではない何処かへと行けるから。

 

「海、しかないわねえ――えいっ」

「ぴゃっ」

 

 両手ですくった雫を振りまく。水しぶきを浴びたフニが可愛らしい悲鳴を上げて、すぐにむくれた。頬をぷくうっと膨らました少女がすぐに靴を脱いで、同じように海へと駆ける――両手で皿を作った少女の上目遣いには、「やりましたね」と挑発的な視線が籠っていて。

 ばしゃばしゃと水の跳ねる音。

 笑い声と悲鳴が響き渡る。

 ぼんやりと懐かしい音を聞いていると――ふいに、コンコンと。

 

「……、」

 

 意識は急速に浮上する。潮の匂いも、心地よい波の音も聞こえない。瞼を上げた視界にあるのは、魔王領首都のとある執務室――魔物の長が座る椅子に、自分は今腰を下ろしている。

 

「……どうぞ」

 

 ノックされていた扉が開く。軋む音と共に現れたのは青白い血管が透けるほど病的に白い肌の女――元魔王その人だ。痩せた体の彼女はマーニャを見るなり鼻を鳴らした。

 

「昼寝でもしていたのか」

「まあ、ね」

 

 わずかに目をそらす。

 人の身でありながら魔王の座を継いだのがつい一週間前のことだ。意外なことに、魔物達から反対の声はなかった。元魔王本人が言い出したことであり、四天王全員の賛成が大きいのだろう。

 それでも、王というモノになったのは初めてだ。弱肉強食で成り立つ魔物達の世界は、人と同じかそれ以上に書類作業が多いことも初めて知った。

 机上に積み重なる書類の束から元魔王へと視線を戻す。

 

「それで何の用? 隠居生活飽きたの?」

「そういうわけではない。お前に渡すものがあってな」

 

 渡すもの。

 一体なんのことかと首をかしげると、彼女は身振り1つせずに虚空から角を呼び出した。

 ――自由転移魔法による物体移動。

 今や全ての魔物が行える革命的な魔法だった。魔物の物流・情報網はもはや以前の比ではない。マーニャには決して扱えないが、いやそれよりも。

 角。

 角である。

 

「魔王の証だ」

「……これが?」

「うむ」

 

 手渡してくるので反射的に受け取ってしまう。捻れた上向きの黒い角はそれなりに大きくて、対になっていた。これが魔王の証らしい。

 ちらと元魔王を見る。腕組みをする彼女は、うむ、と頷く。――付けろということか。

 

「……………………うわ」

「おい、今うわって言っただろう。歴史ある付け角……らしいぞ、たぶん」

「あなたもよく知らないんじゃない」

「私はこの世界の住人ではない」

「ああ、今は『そっち』なの?」

 

 元魔王には2つの名がある。

 魔女パンネクウネと、魔王キサナドの二つだ。

 彼女はひとつの肉体に二つの人格を有している。パンネクウネの言い分を聞くなら、元々の肉体所有者はパンネクウネであり、彼女は異世界人であり、こちらの世界へ渡った際にもう一つの人格――キサナドが発生した、という事らしい。

 つまり、異世界の住人としての人格パンネクウネと、この世界の住人としての人格キサナド――それが先代魔王の正体である。

 

「キサナドは?」

「不貞寝している。お前に魔王の座を明け渡したのがよほど気に入らないらしい」

「ふうん」

 

 いかに魔法が万能であろうと神以上に存在が不確かな別世界へ渡るのは不可能だ。マーニャとてパンネクウネの言葉を全て真に受けているわけではない。ただ、パンネクウネとキサナドでは雰囲気がまったく違うのは事実だ。少なくとも二重人格というのは嘘ではない……と思う。

 そんなことを考えながらマーニャは手渡された付け角をしげしげと眺めた。魔法で接着できないマーニャ用にかカチューシャまでくっついている。元魔王は至極まじめな顔をしていて、何だかなあ。

 

「これでいいの?」

 

 付け角カチューシャを頭にはめると、ずしりとした重量にやや背が丸くなる。ほほうとパンネクウネが笑った。

 

「存外、似合うものだな。元が良いだけはある」

「そう?」

 

 褒められているらしかった。

 

「どうせだ。髪でも梳いてやろう」

 

 あら優しい。椅子の裏に回った女の手には、いつのまにか櫛が握られている。また自由転移魔法を使ったのだ。そうして細い手がゆっくりとマーニャの豊かに膨らみうねる黒髪を梳いていく。

 

「最近どうだ」

「どうって」

「睡眠不足じゃないかとアスモが心配している。慣れない政治の仕事は疲れるだろう」

「平気よ別に。にしても意外ね、あなた、誰かを気遣う心があるとは思えないけど」

「そうだな。私は気に喰わない未来を潰す魔女だ。ちなみにお前を呪ったこともあるぞ」

 

 えっ初耳……。

 

「お前がしばらく子供になっていた時期があるはずだ」

「そういえばフニがそんな事を言っていた頃があったような……ないような……?」

 

 机の表面に魔女のニヤニヤした顔が薄っすら反射している。なんて意地悪い顔なんだろう。

 

「ククク。ガキになってビクビクしている貴様を観察するのは面白かったぞ」

「……あなた、趣味が悪いわ」

「ふん……あの時は未来もはっきりと見えていたんだがな」

 

 魔女パンネクウネが未来視の魔眼を持つのは知っている。彼女は文字通りの意味で、気に喰わない未来の発生原因を魔法で呪い潰すからこそ魔女と呼ばれている。

 

「私はもう、お前の未来が見えん」

 

 彼女が何を言いたいのか、その一言で察した。

 やがて梳くのを止めた女は手ぶらで部屋から去ろうとする。名残惜しさは感じない。元魔王も同じだろう。

 

「――無理はするな」

 

 去り際、パンネクウネはぽつりと呟いた。なあに急にと視線を向けると、女は小さく肩をすくめる。

 

「お前に何かあるとアスモがキーキーうるさくてかなわん。そのくせ自分から話しかける勇気はないのだから、お前も面倒な女に好かれたな」

「私としては良き友人だと思っているんだけど、そう言うとすごく微妙そうな顔をするのよ」

「あいつは意気地なしだから、たまには茶会にでも誘ってやれ」

 

 マーニャは苦笑した。

 四天王の一人で、桃色の髪をした淫魔――アスモとは長い付き合いになる。最初は女勇者に成りすまそうとして失敗した上、フニの返り討ちにあう残念な魔物だった。だがそんな抜けた魔物もいるという事実が、魔物との和平に興味を持った最初の理由だ。

 今ではアスモと時折貸し借りした小説の感想話で盛り上がったりするにまでなった。殺し合いだけの関係しかなかった人と魔物が良き友人になれたのだ。

 

「私はやっぱりあなた達と共に暮らせる未来があると思うわ。だって私が現にそうじゃない」

「期待はしている。まあ、期待だけだがな」

 

 そう言い残してパンネクウネは今度こそ部屋から去った。魔女は揺らがない。薄い嘲りの視線で傍観するばかりだ。

 また一人に戻ったマーニャは小さく伸びをして、頭につけたままの角付きカチューシャをどうするか悩みつつ書類作業に戻ろうとした矢先。

 

『その角、似合ってるぜ?』

 

 唐突な男声にビクっと肩が震える。

 その声には聞き覚えもあったが、やはりいつまでたっても慣れるものではない。

 

「……ヘイズバイス、居るなら居ると先に伝えて」

『悪い悪い。のぞき見が癖なもんで』

 

 へへへと軽い様子で笑う声と共に、部屋の天井付近に薄ぼんやりした人型の霧が出現する。

 曖昧な姿形。顔つきもわからないが、少なくとも声音から男とだけは判別できる彼は、名をメフィス・ネフティス=血種覚醒(ミシンテス):030(トリギンタ)=ヘイズバイス。非常に希少な魔物であり――何より自由転移魔法を開発した研究者でもある。

 

『こうしてると思い出すねえ。お嬢と初めて会ったのは一年前くらいだったかな』

「最初は本当に幽霊がいるんだと思ってわくわくしたのに、その正体が覗きが趣味の男だとは思わなかったけど」

『俺はどこにでもいるし、どこにもいない存在なんでね』

 

 ヘイズバイスは見た目の通り、実体をほとんど持たない魔物だ。その在り方は受肉した生命よりも幻想に近い。彼は、自己を構成する魔力そのものに精神が宿っている。

 

「魔力生命体か……」

『世に偏在する魔力が偶然か奇跡か神の悪戯か、自ら規則的配列を成して起こした“そこに精神を作る魔法”。それが偉大なる純血七大氏族がひとつ、霞幽(メフィス)の始まりらしいぜ?』

「あなたは違うの?」

『俺はギリギリ欠陥児なんだよ。魔法による受肉を行えない遺伝障害だったのさ』

 

 それでも『そこ』に精神が存在できた。だからヘイズバイスは生きている。生きることを許されている。

 魔物は同族に酷な在り方を迫る生き物だ。

 生まれつきの弱者……つまりは遺伝障害を持つ赤子を殺してしまう。魔力による種の繁栄は、子への愛情に人とは違う意味を与えた。

『強くあれ』という願いと祈りが魔物達の愛だと、そうマーニャは理解している。純粋な形をした愛は、人の煩雑なソレとは別種なのだろう。

 

「ねえヘイズ、あなたは魔物と人が手を取り合って暮らしていけると思う?」

『無理だね。ナイフを常に握ってる者同士が仲良く談笑できると思うんならそいつは筋金入りの阿保だな』

「……」

『俺がお嬢に気を許すのは、お嬢がナイフも持てないお嬢様だからさ。永遠の雛鳥にわざわざ力を示すのは子供のする事だろ?』

 

 つまりマーニャは魔物からすれば赤子同然という事だ。

 

『知ってると思うが、俺たちは戦いが好きだ。どうしようもないくらい戦争が好きな馬鹿どもなんだよ』

「だから変えられるはずがないと?」

 

 クククとヘイズバイスが喉奥を鳴らして笑った。

 

『そう暗い顔すんなよ。俺はお嬢に期待してんだぜ。こんなにも違う俺たちが、それでも共に繁栄できる未来があると確信している――最初は変な奴だと思った。だが観察するうちに興味が湧いた』

「……」

『魔王サマ……おっと今は“元”魔王サマか。まあアレと同じさ。もしもあり得るなら見てみたいんだよ、俺は。あんたの言うところの平和な世界ってのがね』

 

 ヘイズバイスは彼なりの理由でマーニャに手を貸してくれている。勿論マーニャとて彼との約束は忘れていない。

 

「でも、一番の理由は私の体を解剖したいからでしょう?」

『ご明察ゥ。じゃなきゃ俺があんたなんかに従う訳ねえよ。仕方ねえから死ぬまで待つだけだしな』

 

 曖昧な顔立ちをした男の口元が三日月に裂ける。彼の本質はやはり研究者だ。こんな危ない魔物がいつでもその辺りにいると思うと、昼寝もできそうにないなとマーニャは笑う。

 直後の事である。

 大地の奥深くから響くような鳴動がそこら中で響き渡り。マーニャとヘイズバイスは同時に窓の外へと目を向ける。

 ――音源は空に。

 ナニカが真っ直ぐに天蓋へと飛んでいて、

 

 

 

 

 

 

 フニ・フラ・フリペチーノは飛行魔法の最中、空を突き進みながら十二の円環を展開する。

 それはまさしく神の光背。

 

「【四神隷属】」

 

 少女を守護するように球形を取った12の円陣は、空気の層を一瞬でぶち破るまで飛行速度を加速させ――。

 

 

 

 

 

 空を割るように細長い雲が天へと伸びて、伸び続けていた。轟音は遅れて執務室の窓を叩く。

 何事かと外を見やるマーニャの奥で、霧の男が声を潜めた。

 

『ありゃあ……人間か?』

 

 恐らく視覚強化の魔法を使用したのだろう。地平線と交わる先すら見通す超視力でさえも判別し難いほどの遠方――高高度ということ。勿論マーニャでは一体何が起きているのか分かりようもない。首を巡らせ、視線でヘイズバイスに続きを促した。

 

『――子供だ。姿形までは判別できないが、人間の子供が単身空に……おいおいもう成層圏抜けやがった。ハ、マジかよ』

 

 乾いた笑い声には驚嘆ととても小さな賞賛の色。

 

『この星と似た大気組成を作るのは簡単だが、維持だけで苦労するだろうに……だが並行して幾つかの思考回路を回せるような人外がいるなら、或いは、か……』

 

 ヘイズバイスは研究者だ。そんな彼を没頭させるものが今空にある。

 途中から独り言を呟きだしたヘイズバイスに、マーニャは焦ったくなり声をかけた。

 

「私の目では見えないわ。教えて。何が起きてるの」

『――人間が、宇宙へ行った』

 

 答えは端的。

 マーニャは直感で悟る。

 

「……フニだわ」

 

 うめき声が漏れ出た口を、思わず手で抑えた。数秒そうやって黙考していたマーニャは顔を上げ、宙に浮く霞の男へと続ける。

 

「今すぐ魔物全軍に緊急招集。大防護障壁の維持体勢を整えて」

『何が来るんだ? あの娘は何をするつもりだ?』

「大気圏外からの砲撃が来る」

 

 何の装備もせずに宇宙へ行ける者がいるなら。

 そして、それほどの才覚ある魔法使いが、わざわざ極限環境へと向かうのなら。

 それは星を砕いてしまうほどの超巨大魔法を発動するためだ。そして超巨大魔法の影響を無視できるからこその宇宙空間だ。

 マーニャには分かる。

 袂を分かったフニの思考の全てが分かる。

 

「破る気でいるのよ。300年に渡り一度も破壊された事のない、魔物の絶対の守り――大防護障壁を」

 

 何故ならば、マーニャは予め(・・)知っている。

 

「魔物全軍に戦闘準備を。来るわ、人間が」

 

 『魔王』としての命令にヘイズバイスは姿を消す。自由転移魔法を使って伝令兵駐屯地へ跳んだのだ。座標移動による情報伝達速度は非常に速い。奇襲には対応できるはず――。

 マーニャはまるでそうするのが当然とでも言うように、執務室の窓から空を見上げ続けた。

 青い空だ。

 しかし、ゆっくりと動く幾つかの白雲が唐突に、円形に切り払われる。

 雲の切れ間から現れたのは小さな光点。マーニャの目ではその光の原因が摩擦熱(・・・)によるものだとはとても判別出来ない。

 そして、空より直径30センチほどの棒状の物体が落ちてきて――その先にあるのは、魔王領の大地ではなく絶対の魔法障壁。

 衝突。音という音は一瞬だけ消失し。

 ガラスが砕け散るような音が、遅れてやってきた。

 

 

 

 

 

 

 ――惑星直上。

 対流圏、成層圏、中間圏、熱圏、外気圏突破直後の事。

 フニは、魔力を変換して生み出した星と同等の大気組成の中で、独り言を漏らした。

 

「ふむ。こんなものですか」

 

 少女の栗色の髪はふわふわと揺れ続ける。地に足がついていない感覚が不思議だ。

 無重力という初めての体験に何度か瞬きをした少女は、自身の周囲をゆっくりと周回する12の円陣たちを見やる。

 

「“神の脳”さえ展開できるなら宇宙も大して怖くありませんね」

 

 神の脳四柱、それを束縛する魔法二種ハ式。それさえあればフニは重力を抜け出すだけの加速を得られたし、宇宙空間にあっても生身一つで呼吸すらできた。

 今の自分ならば恐らく、宇宙を人に適した空間にだって変えられる。そんな、とりとめない思考を放ってフニは眼下へと目を向けた。

 そこにあるのはただひたすらに青い星だ。

 大陸は一つのみ。

 恒星の光で照らされた深みある青はどんな絵の具でもきっと描けない『青』だろう。

 

「……きれい」

 

 自然と言葉が漏れていた。そして同時に寂しくも思う。

 この光景を共に見たかった人がいる。……いや、見られたはずなのだ。あの日。フニが遂に神にすら至った、女勇者の人類離別の時。魔女による神殺しの妨害さえなければ。

 

「魔力消滅魔法……」

 

 魔女が振るった【消失】という魔法。フニですら再現できない異質な、法則性のない魔力変換法。あれは生命の進化を阻害する、そんな用途しか考えられない凶悪な魔法だった。

 事実魔法さえあれば、いずれは誰もがフニと同じように宇宙での単体活動を可能にするのだ。星一つにとらわれる必要もない――資源も土地も無限の可能性が星海にはある。

 

「誰も、領地の線引きに捉われる必要もないのに」

 

 かつてフニとマーニャは二人だけで旅をした。

 旅の終わりは大陸の西の果て。

 だけど、魔王領なんてものがなければきっと東の果てを目指していたはずだ。マーニャはそういう人だから。そういう、無軌道なのに自信に満ちた彼女を見上げるのがたまらなく好きだったのに。

 

「戦争なんてものは終わらせましょう」

 

 神としての力を拒絶されても構わない。

 フニは自分が何をすればいいのか予め(・・)知っている。

 

「丸裸にします」

 

 やれやれとフニは小さく嘆く。

 この作戦を認可させるのに三週間もかけてしまった。お姉さまならばきっと3日で軍部を認めさせられたはずなのに……いいや、そんな夢想は一旦やめよう。

 フニはもう一度星を見つめる。

 マーニャが生きる場所を砕くわけにはいかない。

 必要なのは、適切な破壊、適切な力。

 ――十二の円陣、その回転は唸りを上げて加速する。

 星海瞬く黒塗りの絶色の中で、陽光を背にフニは謡った。

 

「【超質量体(ヘビーオブジェクト)】」

 

 フニの目の前に出現したのは、長さ30センチ程度の細長い棒。

 少女がソレに込めた魔力量は、宇宙創世熱量の数億分の一程度――たがそれだけあれば十二分に過ぎる。

 

「さしずめ神の雷といったところです」

 

 フニはくすりと笑って、棒の先端をそっと星へと押した。僅かな力に押された超質量体は無重力に沈み――そして惑星の重力に捕まって。

 鈍く。

 徐々に。

 ゆっくりと。

 そして瞬く間に。

 重力による自由落下が超質量体を赤く染め上げる。

 大気圏突入時の摩擦熱が尾を引いて、煌々と、彗星の如く。

 ――この物体ひとつが陸に落ちるだけで、惑星の軌道は数度ズレ、大地に天変地異が襲い掛かる。

 それだけの重量体はしかし、大陸をかち割るより先に別の物体と衝突した。

 宇宙からも目視可能なほど巨大な、大防護障壁。魔物の絶対守護。それはフニが空から落とした物体ひとつで一斉に亀裂が走り、そして――盛大に砕け散る。

 僅か10秒足らずで魔王領絶対の守護にして不可侵防壁、大防護障壁はその機能を失った。その瞬間フニは一斉に大量の魔法を起動。12の円陣をさらに囲む形で百近い数の魔法陣が生成。それら魔法陣からは極々細いチューブ状の魔力が地上へと真っ直ぐに伸びていた。

 このチューブ型魔力こそ、フニが考案した魔法の一つだ。チューブ状に固定化した魔力の内部で別の魔力を循環させるだけの簡単な魔法だが、この内部を流れる魔力の流動速度に一定の法則を設定すれば、それは遠隔地にあっても対話可能な通信手段になる。

 

【こちら魔装化歩兵大隊。大防護障壁の沈黙を確認】

【作戦行動を開始する】

【神の目の支援に期待する】

 

 少女が地上まで垂らした糸を伝って、無数の言葉が少女の脳裏に響いた。地上部隊(・・・・)との通信は良好か。

 フニは視た。

 高度数万メートルの遥か宇宙から、魔王領各地に広がる魔物達を。

 フニは伝えた。

 地上各地の魔装化歩兵――人類統合軍が誇る、最強の戦闘集団へと。

 

【座標14562415、敵兵9確認。翼竜3、小鬼2、魔狼4】

【了解。偵察隊と判断。遠距離狙撃魔法による殲滅開始】

【――殲滅終了。次の指示を】

【座標14521113、敵拠点確認。規模100から200】

【了解。複数人による同時攻城魔法を使用】

【――破壊終了。次の指示を】

【座標14562400、30秒後の自由転移魔法を予測。規模数百】

【了解。カウントダウン開始。広範囲攻性魔法の準備開始】

【――殲滅終了。次の指示を】

【座標14560050、重量体による落下爆撃を予測。回避を】

【了解。座標14550101まで後退】

【――撤退終了。次の指示を】

 

 実に機械的な作業だった。ただ簡単な数式を紙に書くかのように、フニは次に討つべき魔物を伝えていく。淡々とした高位に、1秒で魔物を100体近く殺していくという実感はなく、何の感慨もわかない。

 10分も同じ事を繰り返せばフニは飽きだしていた。即興で作った自動応答の魔法に全てを任せ、フニは目を瞑る。

 

「お姉さまが何を考えているのかまでは、わかりませんけど……」

 

 女勇者が人類を裏切った後。フニが、マーニャの私物から数枚の紙片を発見したのが三週間前の事になる。

 それに従い少女が作った魔法はたった一つ。

 そして生み出した機構(システム)も一つ。

 つまりはそれこそ、高度数万メートルの距離制約も無視した情報通信魔法――そしてフニという単身で宇宙で活動可能な超越者との併用による、有人(・・)衛星(・・)測位(・・)シス(・・)テム(・・)である。

 

「タイムラグ無しの情報戦……まるでわたしが神に成るのを予測したみたいに用意して……」

 

 盤上の駒を眺めるのと同じ光景があるのだ。手にしてみて、フニは薄ら寒さすら覚えてしまった。

 敵兵の位置情報さえ筒抜けならば、殺傷性の高い狙撃魔法で幾らでも滅ぼせる。特に対魔物戦を想定した魔法の悉くは過剰ともいえる火力を持っているのだ。

 戦争は間違いなく変わった。

 現人神の出現、自由転移魔法の開発、情報戦という新たな人類の力。過剰すぎる技術を獲得した人と魔物の行きつく先など破滅以外にあるのか、フニには分からない。

 

「なんにせよ新しい局面を迎えたこの戦争、どれも茶番ですね」

 

 フニが人の味方をやる。マーニャが魔物の味方をやる。そしてフニは未だにマーニャだけの味方だ。

 全ては彼女の手のひらの上にある。

 まあ、いいのだ。どうでも。人とか魔物とか戦争とか何人何体殺したとかそういうのは。

 フニは確信している。

 この先の未来に幾つかの破滅があったとして、人か魔物のどちらかが絶滅したとして。この星が砕かれてしまったとして。それより先か後かに、また彼女に会えるのだと。

 

 

 

 

 

 ――夕刻時。魔王領首都にて。

 上がってきた報告を聞いて、幾つかの指示を出して、マーニャはひとり執務室で吐息を吐いた。重厚な革張りの椅子を回す。机の後ろにある窓からは眩い夕焼けが見えた。

 いつの間にか陽は落ちかけている。大地と空が茜色に染まっていた。

 魔王領首都の景観は完璧だ。この窓から見る夕焼けは地平線の先まで見透かせるほど美しい。都市計画が機能している証拠だろう。後で、都市計画を推し進めるアスモの肩でも揉んでやろう。

 

「……予定通りという顔をしているな」

 

 声は、背後から。

 少なくとも扉を開けた様子は無し――自由転移魔法に前兆は一切無い。

 椅子を回す。机越しに、女が居た。病的に白い肌。痩せ細った体。針金のように真っ直ぐな黒髪。黒い瞳。つい数時間前、話をしたばかりの元魔王だった。けれどその雰囲気は全く違う。先ほどまでの元魔王が嫌味ではあるものの社交性を持った性格ならば、今の彼女は陰鬱そのものだ。

 元魔王には人格が二つある。

 他者を呪う魔女と、正しく強者らしい魔王の二つ。

 

「…………キサナドの方ね」

魔女(パンネクウネ)には寝てもらった」

 

 寝てもらった、とうい言葉が正しいなら二つの人格の内主導権はキサナドが持っているという事になるが。未だにマーニャはキサナド/パンネクウネのどちらが真実か測りかねている。

 

「“神の目”」

 

 ぽつりと呟いたその一言。女は椅子に座るマーニャへと、夕焼けの日差しも無視して零下の眼差しで見下ろした。

 

「よく考えたものだな。阻害不能な高高度からの情報支援と、それによる情報の有利さを活かした電撃戦。この数時間で何人死んだ? 幾つの拠点が潰された」

 

 怒りを孕む言葉だ。恐らく、勘付いている。――全てマーニャ一人の仕組んだことだと。

 そして更に言うならば、

 

「……貴様、どこで【消失(ロスト)】の限界範囲を知った」

 

 マーニャの計画を破綻させる唯一の可能性――魔力消滅魔法【消失】。魔法へ完全に依存した既存文明の全てを否定できる異次元の力は、フニの作った神すら殺して見せた。

 神殺しを易々と成せるキサナド/パンネクウネという存在が、それこそこの宇宙全域での【消失】使用が可能だとしたら、その時点でマーニャは全てを諦める他なかった。

 だが、その懸念は意外な事に張本人によって覆された。

 

「パンネクウネは教えてくれたわ。魔力消滅魔法はこの星でしか使用できない制約を持つと」

 

 いいえ、それだと語弊があるわね。

 

「重力下のみ発動可能・限界範囲の魔法。大気組成創造を拒絶する、宇宙進出最大の障壁……つまりは星が産んだ枷ね。子離れできない親ほど醜悪なものもないわ」

「――魔女がそこまで手を貸すか」

 

 あり得ないと言いたげにキサナドが目を瞠る。不安定な地にでも立っているかのように、彼女の体が震えた。

 ……隠す必要は無いか。

 マーニャは決して魔物の味方という訳では無い。

 

「フニがあれだけの力を獲得するのを見越して、作戦の要綱だけは残しておいた。だけど……それを活かせたのは人間たちの地力によるものよ」

 

 魔王本人が魔物を裏切っている背信者などと知れ渡れば、間違いなく処刑されるとしても、それは無いと確信できる。

 何故なら、元魔王は見通せない未来に期待している。可能性という言葉を振り切れない。

 

「人は認める力がある。抗いたいという意思がある。それはあなた達と同じものだと思う」

「……なにが言いたい。貴様は何を考えている」

 

 キサナドの呻く声に、マーニャははっきりと言った。

 

「まず、戦争という価値概念を均すべきよ」

 

 絶対防衛圏など魔物には必要ない。

 安穏の中で得られる趣味としての戦争も必要ない。

 それが、マーニャが和平へ至るために出した結論だ。

 

「魔物には領土をじわじわと奪われていく感覚を知ってもらう。自由転移魔法をもってしても抗えない、物量による侵攻に」

「……物量?」

「人間と魔物の総人口比、知ってる? 1000:1よ」

 

 領地面積の対比ならその100倍は行く。土地の差は糧食の生産数に直結し、糧食の生産数は文化や技術の成熟速度に直結もする。

 そういった不利な要素を、魔物は全人口が徴兵後即時戦闘可能な戦闘種族としての異質さと、そして戦争自体を好ましく思う遺伝子によって無視してきた。つまり、人外に人の理論など通じないという事だが。

 

「自由転移魔法さえあれば絶対の優位は変わらないと思った? 優勢のまま、抵抗する人類を嬲るだけでいいと、そう考えた?」

 

 ――しかし人とて人外への道を歩みだしたのだ。

 人類は魔物と同じ領域に立とうとしている。

 

「無理よ。だって人は(フニ)を使える」

 

 少女ひとりが持てた、四つの神。あれら人造神脳は人類史が編み出した全ての叡智を1秒で凌駕出来るものだろう。だから、夢想でしかなかった遠隔通信手段も作れた。数十年は先だったはずの単身による宇宙活動すら可能に出来た。恐らく恒星の中でも悠々と呼吸をするのが今のフニだ。

 

「『魔法戦における戦力差とは数的優劣ではない』――というのが人類統合軍の戦略構想よ。この思想に則って設計された、量産可能な戦略兵器こそが貴方達との最前線を戦う“魔装化歩兵”」

「……戦争のために内臓を全摘出するのが基本条件の、あいつらか。よくもまあそんな外道に堕ちれるものだな」

「だけど、だからこそ強い」

 

 人と人との戦争であれば敵国をたった一人で陥落出来るが故に各国で保有数を制限され、基本的に最前線から離れる事を禁じられている程に、魔装化歩兵は“行き過ぎている”。『圧倒的な戦力を少数揃え莫大な規模の結果を生みだす』という方針は間違っていない。しかしそれでも、魔物との戦争においては絶対防衛線を維持するだけで限界だった。

 だが、超越者個人によって統率された無数の精鋭は、並みの強者を……魔物すらも凌駕するだろう。

 

「断言できる、魔物は二か月足らずで領地のほとんどを失うわ」

「――」

 

 領土の侵略と喪失こそが戦争行為の本質だ。

 数百年続くこの戦争はしかし、そういった当然のルールが存在しなかった。大防護障壁という人類不可侵の壁があったからだが、その壁はフニが破壊した。

 

「生存戦略としての、異種との殺し合いを含めた競争……人が抱え続けてきた焦げ付く感覚をまず魔物にも理解してもらう。話はすべてそこからね」

 

 これから先にあるのは人と人が繰り返してきた戦争と同じものだ。

 

「それこそ私があなた達に唯一与えられるモノ」

 

 幸福や文化的価値ではない。彼女は本を読むのは好きだが本を書くことは出来ない。魔物は結局、戦争以外の文化に理解を示す者があまりいない。

 ――だから戦争によって与えるしかない。

 つまりは、

 

 

 

「恐怖」

 

 

 

 魔物が戦争をしたいというなら叶えよう。魔物が、戦争を好きならいくらでも機会を作ろう。そうして死んで、家を失い、土地を失い、奪われ、削られ、追いやられ――陸の端まで来た時にでも思い知ればいい。自分達が一体何をし続けてきたのか。

 

「……私はこの二か月で魔物の総人口を9割減らす」

 

 ――この女は、人と、魔物の両方に不幸を振りまくつもりでいる。キサナドはそう直感した。

 それでも、夕焼けを背に浮かべたくっきりとした表情は、気持ちが良いほどの笑顔だ。

 

「痛みを知って、その上で人と魔物は通じ合える。そう思わない?」

「……パンネクウネは間違えたんじゃないのか」

「いいえ。魔女は託してくれたの」

 

 キサナドには分からない。マーニャが何を考えているのか。魔物を滅ぼしたいのか、人を滅ぼしたいのか。それとも……。

 何にせよ魔物達は、人の進化を喜んで受け入れるだろう。戦争は止まらない。むしろ過熱し続ける。その果てにある未来を神のみぞ知るのなら、その神とは……。

 

 

 

 

 同日18時56分、人類統合軍の電撃戦により魔王領外縁の街が一つ陥落。

 同日19時11分、魔王軍は外縁の街と近しい距離にあった周囲5つの街の放棄を決定。同時刻、自由転移魔法による住民の即時撤退が終了。

 同日19時11分8秒、自由転移魔法による転移先を予測したかのような超遠距離狙撃魔法群によって2000の魔物が即死。

 同日19時11分11秒、四天王『銀狼』のウル、魔王領首都より特異魔法【距離無効の魔剣】を起動。魔装化歩兵大隊を殲滅。同時に惑星外周を浮遊する特記戦力(ネームド)『フニ』への魔剣による24時間妨害工作を開始。

 同日19時11分12秒、四天王『色欲』のアスモ、自由転移魔法により最前線へ現着。惑星級竜巻を生成し絶対防衛線直上の人類拠点を全て完全破砕。全魔装化歩兵356名の内280名を戦闘不能にまで追いやり同時に人類統合軍の戦闘機能を粉砕。

 翌日2時14分、後方拠点にて特記戦力『フニ』による遠隔魔装化歩兵施術を受けた人類統合軍の新兵12500人が、同時刻をもって特殊元帥に13階級昇進した特記戦力『フニ』直属『魔装化歩兵軍』として絶対防衛線に現着。

 同日2時15分1秒、『元魔王』キサナド/パンネクウネ、絶対防衛線に自由転移魔法をもって現着。特異魔法【消失】によって魔法環境を完全に破壊。

 以降、人と魔物は数週間にわたって睨み合いを続けることとなる。

 

 

 

 

 両陣営併せて死傷者数1万5608名、内人類死傷者数2568名、内魔物死傷者数1万3040名(魔物総数の5%相当)。僅か6時間程度の攻防の結果両陣営ともに甚大な被害を生み出したこの電撃決戦は、有人情報測位システムを獲得した人類と、自由転移魔法を獲得した魔物との、新たな戦争形態の始まりを示していた。

 そして決戦より一ヶ月と一週間後――マーニャの宣言したその日、最終決戦が始まる。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。