女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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旅の終わり

 

 

 さて、西極の海岸でだだっ広い大海原を満喫し終えた後の事だ。

 少し先にある宿で泊まろうかと二人で決め、何もない道を歩いていた時だった。

 

「フニ?」

 

 ぴたりと、道の途中で少女の足が止まる。つられてマーニャも止まれば、ふわふわと柔らかい栗毛の少女は長いまつ毛を揺らして周囲に目線を巡らした。

 

「……何か、嫌な予感がします」

 

 フニは旅の間、常に広範囲にわたる魔法検知の魔法を発動し続けている――らしい。そのフニが『嫌な予感がする』と語るなら、何らかの危険な存在が近くにいるのだ。マーニャは自前の豊かな黒髪を撫でながら、落ち着いて声を出す。

 

「盗賊か何かかしら。でも、こんな何も無い場所にいるなんて思えないけど……」

 

 周囲にあるのはまっすぐに伸びる道路だけ。森もなければ草原もない、ただ土と岩石だけが地平線の先まで転がる見晴らしがよすぎる風景だ。

 そう、女が首を傾げた瞬間のこと。

 空か(・・)ら人(・・)間が(・・)降っ(・・)てき(・・)()

 

「――――」

 

 何の比喩でもなく、遥か上空から落下してきた黒い人影は、周囲に土煙を巻き上げながら着地する。もうもうと立ち込める土煙が風で流されても尚、フニとマーニャは驚愕で動けなかった。

 

「0300、現着」

 

 その、降下してきた者が発する機械的な呟き。全身を覆う黒い服――皮膚に密着するほど体の線を浮き彫りにする魔法強化外装だ。そして、だからこそ分かる、内臓を全損したのかと思えるほどの腹部の凹み具合。

 知っている――マーニャはその外観を写真で見たことがある。

 

「対象を確認」

 

 “ソレ”は、魔物との最前線を日々戦う、人類の守護者。

 “ソレ”は必須条件として、限界まで軽量化を図るため生命維持に不要な臓器を全て摘出する。筋繊維から脳細胞の配置に至るまで、戦闘に特化させるためあらゆる外科的魔法処置が施される。

 “ソレ”は人類同士の戦争を一人で鎮められるほどの戦闘能力を持ち、故に各国で保有数が限定されるという。

 “ソレ”は、量産可能な史上最強の単体戦力――。

 

 

 

 名を、魔装化歩兵と呼ぶ。

 

 

 

 女か男かも分からない兵士は呟いた。

 

「作戦を開始」

 

 ――ひゅゥ、と鳴ったのは果たして風切り音か、自分の喉が漏らした悲鳴か。

 マーニャが本能的に『死』を直感した時、機械的に作られた天才はその手に雷光を蓄えている。

 黒き腕が薙いだ。

 

「【雷光(タウンス)膨張分岐(オーバーツリー)】」

 

 魔力巨大物質化工程(ビッグマテリアル)を当然のように一秒以下で済ませた大魔法が放たれる。

 それは太い幹を連想させる一条の蒼光――直後には四条に分かれ、八条に変遷し、最終的に二百六十条を超す広大な面制圧魔法へと変貌。

 空間の絶縁抵抗を破壊しながら突き進む、まさしく巨大樹の如く――。

 

「――!!!!」

 

 不可避の光速魔法が、恐らくフニが常時展開しているのだろう魔法障壁によって打ち消される。

 僅か数センチ手前で阻まれた超高圧電流に、フニが声にならない叫びをあげた。

 

「よくも、お姉さまを――!」

 

 怨嗟の咆哮と共に少女が生み出したのは、【火球(ブレス)熱的獄死(スコーチ)】と呼ばれる火炎系統の中でも最上位の魔法。

 空間に現出する、街一つを呑み込む規模の火球は、存在するだけで強大な熱風を生み出した。

 これならば――そんなフニの意思をしかし魔装化歩兵は易々と砕きうる。

 直撃せずとも膨大な量の酸素を食らい尽くし生命体の意識を奪うはずの火炎魔法は、しかし、魔装化歩兵による虚無の視線が撫でるだけで消滅した(・・・・)

 

「魔法、対、消滅……」

 

 魔法は大気中に偏在する魔力を構築、変換、燃焼することで生成される論理だった現象である。故に複雑な数式だろうと天才が簡単に答えを導くように、魔法の核に対して対消滅反応を齎す魔法をぶつければ、魔法は死ぬ。

 魔法戦における絶対的なカウンターであるが故に、天賦の才を要求される技能を視線ひとつで成した存在に、フニは彼我の差を知った。

 

「お姉さま、逃げて! 今のわたしに勝てる相手ではありません!」

 

 少女の悲鳴は的確な判断と言えるだろう。

 当時のフニ・フラ・フリペチーノでは絶対に勝てない遥か格上の存在だ――少女の想定を超す程に強靭な魔装化歩兵に打ち勝てなくとも、マーニャを逃がす時間ならば稼げる。

 そんなフニの考えは、しかし、当のマーニャ本人を見上げた瞬間に砕け散った。

 

「もう、やめて……」

「――」

 

 マーニャが、泣いていた。表情ひとつ変わることのない、凪いだように静かな涙だった。

 フニの思考はそこで完全に停止した。

 女は――魔法への抵抗力を一切持たない彼女は、硬直しきったフニの前へと動く。魔装化歩兵へと立ちふさがる。

 

「……お願いだから、フニを傷つけないで」

 

 ただただ愛しい存在を守るために。

 赤子の首を捻るよりも簡単に殺されてしまうというのに。

 

「私に出来る事ならなんでもするから……」

 

 本心からの、言葉だろう。どうなろうと構わない懇願だろう。

 フニは思う。瞬間的に考える。

 そうだった。

 この人は、自分が無力だとか、誰もが自分より強いとか、そんな事は気にしない。それだけ自分は愛されている。

 

「や、ったな……!!!!」

 

 フニは、その時初めて心の底から怒りに震えた。

 そして同時にマーニャにそこまで言わせてしまった自分の弱さこそを許せなくなった。

 ――屈辱が、少女の心を燃やした。

 

「殺す」

 

 怒りは膨張する。

 殺意が少女の才を激化させる。

 秒も要さずフニの周囲に花開くは、千を越す巨大魔法の数々。

 

「――――、」

 

 火の赤が。

 雷の青が。

 風の圧が。

 無形の拳が。

 豪華絢爛、奢侈を尽くした殺戮の概念そのものが千の形を取って季節を破壊していた。

 もはや眼前の敵を滅ぼすためだけに動いていると言えるだけの、巨大な魔力のうねり(・・・)に、初めて魔装化歩兵の動きが止まる。

 

「……末恐ろしい才能だ。12歳とは思えない。これが自然発生した本物の天才か」

 

 そんな、魔装化歩兵の独り言すら今のフニは聞いていない。

 思考が発する命令はただ一つ、『殺せ』。

 一斉にすべての魔法が解き放たれ、その場の全員の視界は圧倒的な数の魔法によって潰され――――直後だ。

 

「抜刀、“二重”解放」

 

 虚空より突如として現出したのは、赤き魔剣。魔法によって構成された特異物質に、それら千の魔剣が的確に貫いた魔法核に、フニは怒りの矛先をどこに向ければいいかもわからなくなった。

 ――知っている。

 この赤い魔剣は、【距離無効/硬度無効の魔剣】と呼ばれる、ある特殊な血族のみが振るえる魔法だと。 

 

「一体なんなんですか! なんでわたし達を邪魔するんですか! ただ、お姉さまと旅をしたかっただけなのに……!」

 

 フニが烈火の如く怒声をまき散らす。漲る殺意のままに睨み上げた先に居るのは、いつの間にかそこに居た、淡い色素の瞳を持った女兵士だった。

 少女が、吼える。

 

「わたし達は、人類(・・)統合軍に(・・・・)殺されなくちゃいけないような悪いことを、いつしたんですか!?」

「……上官命令だ」

 

 “魔法殺し”と呼ばれる軍属の女は、静かにそう語った。

 

「来てもらおう。『彼ら』がお待ちだ」

「嫌です!」

 

 フニが鬼の形相で即答。“魔法殺し”は首を小さく振る。

 

「ならば私は今ここで、硬度無効、距離無効、速度無効の一撃をもって君とそこの女を殺す」

「――」

 

 “魔法殺し”の血族――ホルル家は、『宇宙』すら速度という概念の先で自由両断可能な、絶対切断/絶対到達/絶対発動の魔剣を発動できる。

 ∞の刃渡りを持つ概念の剣。

 名を【究極魔法(グスタフ)】。

 それは、“魔法殺し”本人の自殺を代償に発動できる、文字通りの意味で究極魔法である。

 神殺しの剣を抱え続ける女が、平凡な人間二人にそれを向けると言う。その事実の重みが分からないほどフニは愚かではない。

 だけど少女の怒りが急速に萎んでいったのは、何より隣のお姉さまが蒼い顔のまま微笑んでいたからだ。

 

「大丈夫。フニ。私が、あなたを守る。守れるわ、絶対に」

 

 その身に降りかかる“運命”を、マーニャは払いのけられないというのに。

 気丈に微笑んでくれる、マーニャの悲壮なまでの覚悟に、フニは声を荒げる事が出来なかった。

 ――そうとも。

 

 

 

 “運命”だ。それさえ掌握できたなら、きっとマーニャは勇者にならなかったのだと今でもフニは思っている。

 

 

 

 フニはその日、マーニャがくれた唇の熱さを知って、だから神を作ろうと決意したのだから。

 

 

 

 

 

 人類統合軍の兵士に連行された先は、近くの街の平凡な宿屋だった。一階が食堂スペースになっているその宿はしかし、あまりに物々しい宿泊客ばかりが占領していた。

 どの客も、目つきがあまりにも淀んでいる。それは命令に忠実な兵隊の眼だ。『殺せ』と言われたなら躊躇なくマーニャを殺せるだろう、そういう眼差しが無数にあった。

 

「……」

 

 恐怖はしない。今はただ、離れ離れになっているフニの安否と、目の前を歩く“魔法殺し”が向かう先へと思案を向けるべきだからだ。

 

「ここだ」

 

 “魔法殺し”が足を止めたのは、宿屋の二階にある一室だった。建物の構造からして最も広い部屋だろう。

 短髪の女が厳かにノックを数度。「入れ」という不躾な声がドア越しに聞こえて、“魔法殺し”はドアノブを回す――開いた扉に、“魔法殺し”は入らない。

 

「……ここから先は、一人でってこと?」

「変な気は起こすなよ。壁越しでも私はお前を刺せる」

 

 “魔法殺し”ほどの腕前を持つ兵士が護衛する対象という事か。マーニャは、僅かに空いた扉へと手を掛け、呼吸をひとつ。

 そして思い切りよく部屋へと入った。

 中にいたのは円卓を囲うように座る5人の男達。

 

「…………、」

 

 知っていた。

 この部屋に居る全員の名前を、マーニャは一文字も違わずに答えられる。

 

「はるばるご苦労。まずは唐突な招集と、魔装化歩兵による攻撃行動を詫びよう」

 

 そう言った男の名は、『人類統合軍最高司令官』エド・ゼル・クウガ。

 市井の出でありながら天才的な戦略眼により昇進を重ね、ついには人の存亡にまで関わるほどになった男。

 

「その上で単刀直入に言うが」

 

 50代も半ばかと思われる皺の拠った硬い表情で、エド・ゼル・クウガは唐突に言った。

 

「――勇者という称号に興味はあるか」

「――」

 

 マーニャは『これは夢か』と自身の正気をまず疑った。そっと抓った太腿は確かに痛む。これは、夢ではないのだ。

 ……『勇者』とは、人類統合軍の発足者にして初代最高司令官へ与えられた称号だ。

 それ以降も稀代の傑物が現れれば、その者は必ず『勇者』という二つ名を継承し、人類の守護者として偉大な歴史を刻んできた。

 敗走する兵士達を守るため、殿となって万の魔物に立ち向かい、立ったまま死んだ『勇者』がいた。

 魔法理論の近代化を進め、人類の技術力を一気に推し進めた『勇者』がいた。

 戦災孤児を私財を投げ打ってでも育て上げ、無数の偉人を輩出した『勇者』がいた。

 ――そんな者達の名に、魔法不全の自分が列聖すると人類統合軍最高司令官が言っている。

 

「……!」

 

 想像すらしていない、遥か雲上の者からの、唐突な軍属への勧誘だった。

 マーニャは自分の心臓がまるで死んでしまったかのように静かすぎることを、どう許容すればいいのかもわからなかった。ただ一つ言えることは、脳だけが恐ろしく冷静だという事だ。

 

「どうして……私なんですか」

 

 ゆっくりと、円卓に座る男たちを順々に見つめる。

 真正面に相対するエド・ゼル・クウガの両脇を固めるのは、人類統合軍第三元帥アルフェード・ディシウ=フォン=ケツェイドと――人類統合軍第二元帥マケイタス・ネイト・ディーヴァ=ファーストの二人だろう。30代は続く高潔な騎士の末裔に、この王国内に自治領を持つ一等貴位(ファースト)の盟主。

 こちらに柔和な笑みを浮かべるのは人類統合軍第一元帥、“軍神”ケド・カサルル・ホルル――“魔法殺し”の祖父にして未だ最前線を生きるまさに軍の神。

 そして、金髪をした若い男――サングラスで目元を隠すのが、人類統合軍最高司令官補佐にして第一王子“忌み子”グロリアス・ヒューズ・マグヌス・ヒュッケス。

 

「ご存知でしょうが、私は魔法が使えません」

「果たしてそうだろうか」

 

 エド・ゼル・クウガがマーニャの抑揚なき言葉を否定する。男の蒼い瞳には冗談のきらいすらない。

 

「フニ・フラ・フリペチーノは若干12歳にしてまさしく神に愛されたと呼ぶに足る魔法的才能を持っている。人体の改造なしに魔装化歩兵と同等の戦力だと、ケド元帥の孫娘も認めたほどだ」

 

 そして、

 

「報告書によれば、まる(・・)で他(・・)者が(・・)魔法(・・)を使(・・)って(・・)いる(・・)かの(・・)よう(・・)に仕(・・)組む(・・)ことも可能だとか」

「……!」

 

 二人で温泉街に行った時だ。突如出現した魔物を欺き倒すため、マーニャが魔法を使ったかのように演出してみせたのは他でもないフニの鬼才があってこそだった。

 

「――私にそんな価値はありません」

 

 ゾッとした。

 未来が明確に塞がれていくことが恐ろしくて、拳を握りしめた。このままでは、自分だけでなくフニの将来すらも潰されてしまうのだと。

 

「私に、あの子の人生を歪めてまで栄華をもらい受ける価値など、ありませんよ」

「あるさ。僕はそう確信している」

 

 男達はまるで、駄々をこねる子供に法律でも教え諭すかのように穏やかな反論を組み立てる。

 マーニャ達の世界を強引に固めようとする。

 

「……あなたがこんな茶番を仕組んだの? 王子殿下」

「否定はしないよ」

 

 交わした眼差しにどれだけ呪いを込めれば、この場の全員は死んでくれるのだろう。

 

「だけど、君のことは妹が絶賛していた。わかるかい、王族に注目されるという重みが」

「そんなつもりで言葉を交わしたのではありません。私はただ、王女殿下の身を案じたまでです」

「だからこそだろう? 末っ子と言えど王族に打算なく近寄れるほどの傑物もいない」

「だからって……」

「アンタに備わる万能の才を、フニ・フラ・フリペチーノの魔法的才能が補えば、その価値は非常に大きい。俺達がそう判断した」

 

 マーニャの躊躇いを上塗りしたのは、30代半ばの細目の男――第三元帥アルフェードだった。

 

「ここにいる全員の承認は下りている。あとは、貴女が書類にサインをするだけでいい」

 

 その言葉を継いだのは第二元帥マケイタス。

 

「前線に出て犬死しろなんて事、お嬢ちゃん達には言わねえから安心しな」

 

 そして第一元帥にして知己の老人、ケドがそう微笑み。

 

「軍属には慣れないだろうが、大丈夫」

 

 “忌み子”グロリアスは軽薄に笑った。

 

 

 

「君は何でもやれるだろう?」

 

 

 

 ――意趣返しかと、マーニャの心が濁りを帯びる。

 それでも何ら価値を持たない今の自分が声を荒げたとて、眼前の権力者達には響かないと理解できる。だからマーニャは黙るしかなかった。黙って、ただただ浅い吐息を、死にかけの虫のように繰り返すしかない。

 

「……歴史にその名を刻む名誉と栄光を、五等貴位(フィフス)が得られるのだ。一体何を迷う必要がある」

 

 そう嘆息した第二元帥マケイタスにはきっと分からない。マーニャは出世も名誉も欲しくなどないのだ。ただただひたすらに自分を愛してくれた少女が幸福になれるのなら、それでよかったのに。

 

「……もしも拒否したら」

「ここでの会話は忘れる事になるな」

 

 『忘れてもらう事になる』ではなく、『忘れる事になる』という言い回し。マーニャはすぐに察せた。

 

「記憶改竄の魔法は禁じられているはずですが」

 

 記憶領域を強引に外部から弄ると、脳に重大な欠陥をもたらす可能性もあると学術誌に論文が載っていた事を覚えている。

 

「じゃあどうやって、アンタを能無しだって知ってる奴らを黙らせるんだ?」

 

 まるで常識を疑うかのような第三元帥アルフェードの呆れ声に、マーニャは軍というモノが抱える闇を垣間見た。

 自ら律したはずの禁術をも行使する人の歪さを、マーニャは受け入れられる自信がない。

 

「それにだ」

 

 そうやって口を噤んだ彼女へと、エド・ゼル・クウガはこう言った。

 

「この決定に、君本人の意思はあまり関係が無い」

「――」

「我々は人類統合軍だ。異種族との生存競争を何があろうと勝ち抜かなければならない、敗北の先にあるのは種としての絶滅なのだから」

 

 法も倫理も戦場では無価値なのだと男たちの眼が語っている。各々大義や思惑があろうとも、戦争の事しか考えられない者達がここには居た。

 

「そしてこの戦争はあまりに長く続き過ぎている。諸外国からの厭戦のきらいを定期的に払拭する必要があった」

「だから……勇者が必要だと?」

「そうだ。君は才知に溢れ、容姿も過分に整っている。欠陥を補える影武者まで傍にいるのだ」

 

 広報にはおあつらえ向きだと言いたいのか。

 偉大な称号すらも戦争の道具に置き換える彼らに、マーニャはようやく一言だけを絞り出す。

 

「少し……時間をください」

「……まあ、今この場で答えを出せと言う訳では無い」

 

 エド・ゼル・クウガの目に一瞬浮かんだ失意を、マーニャは見逃さなかった。

 

「部屋を用意した。フニ・フラ・フリペチーノと同じ部屋だ。一夜、十分に語らうといい」

 

 『一晩で首を縦に振る覚悟をしろ』と、そう言われている。

 マーニャは顔に浮かばないようそっと臍を噛んで、部屋を後にした。 

 

 

 

 

 同じ宿屋の別部屋に泊まらせるほどの鬼畜ではないのか、マーニャが案内されたのは同じ街にある別の宿屋だった。

 道案内をする“魔法殺し”は終始無言のまま、あてがわれた部屋に入れば、呆然と椅子に座ったまま動かない少女がいて。

 

「フニ!」

 

 ぴたりと虚空を見つめたまま身じろぎ一つしないフニの姿に、マーニャは傍へと急ぎ近寄った。椅子の側に膝をついて、少女の頬を撫で首を触り、ほっそりとした手首で脈を測る。

 

「ケガはない? 何もされなかった? あれから何か食べた?」

「おねえ、さま」

 

 矢継ぎ早な問いかけに、少女がガタガタと震えた眼差しを下ろす。見上げた少女の顔には恐怖があった。責めと自責の苦渋があった。

 きっと話は聞いているのだろう。

 

「わたしのせいです」

 

 ――フニは、自分を、責めた。

 

「わたしが、あの温泉街で戦おうとしなければ。お姉さまと一緒に逃げ出していれば……」

 

 そんな事はないとマーニャは目を伏せ首を振る。少女の愛しい愛しい小さな掌を両手で包む。

 どれだけの言葉だろうと少女への感謝も愛情も伝えられる気がしなかった。

 

「だってわたしなら出来たのに! わたしはお姉さまを守るって約束したのに、どうして、どうして……!?」

「フニ」

 

 無言の献身を、苦しいとフニは吐き捨てた。そのやわらかな頬を無色の滴が何度も滑った。

 

「わたしが! わたしが、あの時!! お姉さまと旅に出なければ! わたしが大人しく身を引いていたら! そうしたらきっと変わっていました!」

「フニ」

 

 魔力が励起する。異様な膨張を肌で感じた。

 少女の激情が何らかの魔法を起こそうとしている。 

 

「わたしがもっともっと社交的なら! そうしたらお姉さまと出会うこともなかった! お姉さまはきっとお姉さまの望む未来を手に入れていた! もっともっとずっと、幸せな人と過ごせたのに!!」

「フニ」

 

 マーニャには何となくわかった。少女が起こそうとしているのは、恐らく超極大魔法の一つ――過去改竄の魔法。

 

「わたしがお姉さまの未来を潰してしまったのです」

 

 『大気内の魔力総量』という法則を突き破らなければ起動しない魔法を、しかし、おどろおどろしい程に悲壮な覚悟を固めてしまった少女は強引に発動させようとしていた。

 自分(・・)()その(・・)存在(・・)を消(・・)そうと(・・・)して(・・)いた(・・)

 

「あなたの邪魔にしかなっていないわたしは、わたしなんかは――――!」

 

 

 

 

 ………………産まれなければよかった。

 

 

 

 

 

「わたしは……なんてゴミだろう……」

 

 しくしくと泣き続ける少女にどんな言葉を投げかければいいのだろう。

 マーニャは考える。

 本来不可視だというのに薄らと黒く濁るほど高密度な魔力が充満する部屋で、女はそっと瞼を下ろし――そして思い返した。

 少女と出会ったことを。

 酒を飲み交わしたことを。

 勉強を教えたことを。

 大事なものをくれたことを。

 父とまた喧嘩した事。母が認めてくれた事。

 二人で旅に出た事。

 たくさんのものを見た事。

 姉の一人と別れた事。

 命の危険はあった事。

 魔物と出会った事。

 魔王がいた事。

 世界は広い事。

 知りたいと思った事。相互理解ができると。

 それでも少女は自分とは違う“個”だったから。

 押し倒されて、

 熱い……蠱惑の吐息を耳で感じた時。

 

 

 

 欲情されていると知った。

 

 

 

 夜の帳、

 営火、

 炎に揺れて影が躍る。

 身長も性格も持てる力も違った二人がこうも笑いあえた世界だった。この先にだって、望めなくとも二人だけの未来を掴む機会はあるはずだから。

 決定的に違う二つの命が、こうもひとつの時間を共有できた世界こそを、奇跡と呼ぼう。

 ――あの時犯されたってよかった。 

 

「フニ、あなたを愛してる」

 

 初めて重ねた、他人の唇の感触は、少しだけちくちくしている。

 想像通りに暖かな熱の通う、少女の唇。

 だから数秒だけ味わって、今後一生、誰とも添い遂げないことを心の内で誓った。――唇を離せば、呆然と目を見開くフニが見えた。

 魔法は既に霧散していた。マーニャは笑った。

 

「……私の神が、泣いているわ」

「え……?」

 

 勇者になれと、二人で成せと、権力者は唆す。そんな名誉は望んでいないという意志すら封じられてしまっていた。

 それでもマーニャは、やり直すなんて、できない。

 

「ねえ、フニ。私ね、もし旅が続くなら、あなたと喫茶店を開いてみたかったの。ううん。喫茶店じゃなくてもいい。本屋でも、何でも……」

 

 フニはきっと、そんな自分の希望に沿って生きてくれる。喫茶店を開きたいと言えば喜んで頷いてくれる、本屋ならばあちこちから本を取り寄せてくれる。

 それだけ愛されていると実感できる。――だとしても。

 

「いつも、思うのよ。私のせいであなたの人生を歪めてしまったんじゃないかって」

 

 未来は確定してしまった。

 この先に在るのは不名誉な栄光だろう。

 少女ひとりを踏み台にして、何ら持てないはずの女だけが表舞台に立てる世界だろう。そんな世界でだろうとも、『勇者』ならば笑顔を浮かべる他ない。

 一秒一秒が少女への不義であり裏切りだ。

 それでも。

「それでも」と、マーニャは胸を張りたいと思った。 

 

「――フニ。私、勇者、やってみようと思う」

 

 魔法を使えない女でしかない。

 そんな者が“勇者”だなんて大層な称号を預かるのなら、これから行く先々で嘘を吐き続けることになるはずだ。まるで詐欺師のように。

 

「それでも、そんな私が世界を救えたなら――きっととても素敵な事ね」

 

 少女の頬を濡らす涙の痕をそっと撫でる。額にかかる前髪をそっと撫でる。

 ひっくひっくと喉を鳴らす少女を、マーニャはそっと抱き寄せた。

 

「なんの力もない私が世界を救えたなら……望んだ未来を勝ち取れるなら」

 

 そんな自分の側に、フニがいてくれたら。あなたが……助けてくれたなら。

 

 

 

 

「私は、あなたと歩めた人生を誇りに思える」

「――――」

 

 

 

 

 『ここではない何処か』も『どこでもない遠く』も、世界にはない。あるのはいつだってフニという少女の熱だ。

 

「……あなたが私を認めてくれた。あなたが、私の呼吸を許しているの。あなただけが私を生かしてくれて、だから私はなんだってやれるわ」

 

 ねえ、フニ? 

 

「世界を二人だけで救いましょう?」

「……!」

 

 だから『わたしのせいで』だなんて卑屈にならないでとマーニャは願う。

 少女の言葉は、少しだけ意味が違うのだから。

 

「お姉さま……」

 

 少女の、恋にとろけた潤む眼差しが何かを媚びている。何かを欲している。そして自分も同じく――。

 曲げ畳んでいた両ひざをゆっくりと伸ばす。中腰の姿勢になれば、少女が顔を上げた。可愛らしい瞳がそっと閉じた。

 両手を置いた少女の肩は、あまりに細くて。

 怯えの震えは、なかった。

 

「あなたのせいで、私は生きたくて仕方がない」

 

 言葉の後に吐息の音すら漏れることはない。

 

 

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