女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

28 / 33
ここからが栄光の始まり

 

 マーニャが統合軍からの要請を受けた日から、およそ3か月ほどが経過していた。

 ぼうっと見つめる窓の外は晴れ晴れとした快晴。勇者継承の儀を行うにはうってつけの日だった。

 

「ほら口を開けない! 口紅ズレるでしょ!」

 

 ぴしゃりと言われて、マーニャは慌てて口元を引き締める。まったくもう、とぶちぶち言いながらマーニャの唇に鮮やかな紅を引いていくのは、彼女の実姉の一人だ。

 

「ラナ姉さん、なんだか元気ね」

 

 人を刺し殺しそうな鋭い目線と、燃え盛る赤の直毛をした彼女はラナと呼ぶ。顔立ちは似ているものの、苛烈な性格も目つきも髪色も似る事のない、ベネティード家が次女だ。

 

「妹の晴れ舞台よ、気合入らないでどうするわけ」

 

 今日はマーニャが、勇者になる日だった。それを晴れ舞台と言うならその通りだ。この数か月、マーニャの周囲はそれなりに沸いた。一応彼女たちの家系は貴族の端くれだから、付き合いのある家系もそれなりにある。まったく会ったことのない者達からの手紙や品々、挨拶を受けているだけであっという間に過ぎた数か月だった。

 

「あーもーまたボーっとして。ジーニャ(ねぇ)もなんとか言ってよ!」

「私は見てるだけでいいわぁ」

 

 ラナのぼやきに機嫌良さそうな声を返したのは、少し離れた位置のソファに座る女性。長いまつ毛が生んだ影は彼女の瞳を闇より深い黒に染めている。

 光の無い眼差しをした彼女は、名を、ジーニャと呼ぶ。二人の姉だった。

 

「ああ、マーニャちゃんって本当によだれが垂れるくらい可愛いわぁ」

 

 ジーニャは6歳離れた末妹をうっとりと見つめていた。ベネティード家の長女は既に結婚していて、第一子も一年前に出産しているが、やや末妹に偏愛のきらいがあった。

 ぐるぐるした眼差しが暗く輝く。

 

「食べちゃいたい……」

 

 マーニャは、姉のなんだかやけに粘っこくていやらしい目線をくすぐったそうに笑った。

 

「ふふ。ジーニャ姉さん、人は食べちゃいけないのよ」

「あらぁそうだったわあ。残念ねえ。……でもホント私が男ならねえ」

「ジーニャ姉さんがお兄さんなら、そうね、ステキな頼れる人になりそうね」

「あらほんとお? ふふ、ふふふ、私ぃ、来世はマーニャちゃんのお兄ちゃんがいいわあ」

「ジーニャ姉さんは本当に妹想いの素敵な人ね」

「……どっちも本気で言ってるのが怖いわホント」

 

 ちょっと妹想いが激しすぎる長女と、ド天然の三女に囲まれてラナはげんなりしていた。げっぷでも出しそうな表情だが、手の動きはてきぱきとマーニャを化粧していく。慣れた手つきだった。

 ラナは宝石商を王都で営む商人だ。高価な品を扱うから、金持ちの集まる社交界にはよく参加するのだろう。こういう時のラナはとても頼りになる。

 世界で一人だけの『勇者』に正装はないから、今日の服装もラナが手配したものだ。

 

「でもいいの? こんなに高い宝石をたくさん」

「いいのよ」

 

 手ぶらな両手を広げたマーニャに、ラナは気持ちよい笑顔で歯を見せた。

 

「あんたとは正直もう二度と会わないつもりでいたけど、やっぱダメね」

 

 同じ表情で言われると、マーニャは何と言えばいいのかわからなかった。

 まだマーニャが旅をしていた頃だ。ラナに頼まれて王侯貴族も出る社交界に出たその後、次女はマーニャに絶交を告げた。それは突発的な喧嘩が原因でもなくて、ただただ『持たざる者』と『持つ者』の間にあった軋轢が、どうしようもないくらい致命的だったというだけだ。

 

「勇者になるって聞いて、最初は死ぬほど悔しかった。私がなれないような凄い奴になるんだって思って……悔しくて悔しくて、やっぱり悔しかった」

 

 それでもラナは、妹が世界で唯一の栄光を得られる事実に、我が事のように得意げな顔をする。

 

「でも嬉しく思う」

 

 どれだけ憎もうと、嫌おうと、離れようと、縁はなかなか切らせてくれない。それを単に運命と呼ぶのだろう。

 

「あんたは常に私の前を行くのね」

 

 ラナは諦めとは違う曖昧な微笑みをしていた。

 

「マーニャちゃんは私の宝物だもの」

「ええ。あんたは私とジーニャ姉の……それだけじゃない。たくさんの人の、宝物」

 

 その事実を確認し直すような、噛みしめる言葉に、マーニャはにっこりと笑った。

 つまらない笑顔だと自分でも思った。ジーニャが眉を歪めた。

 

「悲しむことなんてないのよ」

「――そんなこと、」

 

 つい漏れた言葉は、途中で途切れる。否定は今この場では肯定に等しい。

 ……ラナとジーニャは、いやそれだけではない、何人かの人間は記憶改竄の魔法を受けていない。

 マーニャが勇者になると決めた際、統合軍上層部に出した条件がそれだった。

 例え魔法不全の現実だったとしても、それを愛してくれた人がいたなら、本当の自分を忘れられる苦痛なんて想像もしたくなかったのだ。

 

「私……私は、別に、後悔なんかしていないわ」

 

 言葉を紡ぐだけで真実をさらけ出している気がした。

 この数か月間ずっと考えていた。

 自分が潰してしまった『あの子』の未来に釣り合う程、勇者とは価値のある称号だろうかと。

 

「――じゃあ、逃げちゃおうか?」

 

 蠱惑の囁きだった。

 ハッとなって顔を上げる。声は、いつの間にか側に立っているジーニャから。

 二人の姉は全てを許すように微笑んでいる。どんな結論も認めてくれる、家族の情愛がこの部屋にはあって。

 だからマーニャは瞳を伏せた。

 ……本当に求めたものは、ここではない場所にある。 

 

「大丈夫」

 

 家族を逃げ道にしてはいけない。

 やましく求めてはいけない。

 

「もう決めたの。私は、もう負けない」

 

 人ひとりの背中を、人生を踏み続ける栄光の先には、甘えなどあってはならないと決めたのだから。

 

「じゃあ仕方ないか。……ほら、次は髪をセットするからじっとしてなさい」

「失礼。邪魔をする」

 

 声は唐突。扉が開かれ、そこに居た人物に三人が目を向け、次いでぎょっとした。

 

「殿下……」

「ごきげんよう、マーニャ様」

 

 部屋に入ってきたのは二人。挨拶もなしに部屋の隅に立つ、淡い色素の瞳をした軍人風の女。そして優雅にドレスの裾をつまんで広げる少女は、マーニャとフニの大事な友人。

 名をアリアンデート・アル・マグナ・フュッケス。 

 この国の第一王女である。

 ジーニャもラナも、その姿を認めた瞬間、その場に膝をついて顔を下げた。マーニャはぼんやりした顔で二人を見つめていた。

 

「よいのです。お顔を、お上げになって」

 

 王族らしい貴意ある一言の次には、不安げに揺れる青い瞳が残る。もじもじと少女の指が絡まり合った。

 

「あの……マーニャ様と、ふたりだけにさせて頂いてもよろしいでしょうか。その、ご家族で、お話しされることは沢山あると思うのですが……」

 

 天真爛漫な少女が今日はいつになく暗い声音をしていた。どうしたのだろうとマーニャは目を瞬かせる。

 勇者継承の儀式には、この国の王族も参列する。だから彼女がここに居る事は不思議ではない。

 いつもの第一王女ならば、明るい笑顔で「おめでとうございます」の一言でも言いそうなのだが。

 

「お願いします。マーニャ様のお時間を、どうか私に少しだけでも」

 

 ――さすがのマーニャも目を瞠った。

 第一王女は、自分より血統も地位も劣る人間に頭を下げていた。

 この国の各界に巨大な権力の根を張る王族の一人が『命令』ではなく『懇願』している。異常以外の何物でもない。

 

「そ、そんな、プリンセスに頭を下げられては……ま、マーニャ、あんた失礼のないようにしなさいよ!」

 

 目の前で王族が腰を折る姿は、ラナの許容範囲を超えていたのだろう。焦った様子でジーニャの背を押し、部屋を後にする。解かれたマーニャの髪は放りっぱなしだ。

 

「あ、その髪はやっぱり自分で結いなさい。客席で見てるから、ばっちり決めんのよ!」

 

 ぐっと拳を握るラナらしい声に手を振れば、室内には未だに壁際から動かない軍人の女と、化粧台の前に座るマーニャと、手持ち無沙汰に立ち尽くす第一王女だけが残される。

 

「本当にお久しぶりですね、アリア様。お加減はいかがでしたか」

 

 マーニャはやわらかい笑顔を浮かべた。しかし、 少女は何を話したらいいか分からない様子で俯いていた。

 

「……あの、その、」

 

 何かを悔いるように小さく下唇を噛む、その出で立ち。――ああ、とマーニャは得心がいってしまった。

 “忌み子”グロリアス――第一王子の言葉を思い出す。

 

『だけど、君のことは妹が絶賛していた。わかるかい、王族に注目されるという重みが』

『そんなつもりで言葉を交わしたのではありません。私はただ、王女殿下の身を案じたまでです』

『だからこそだろう? 末っ子と言えど王族に打算なく近寄れるほどの傑物もいない』

 

 責任を感じているのだ。

 彼女のせいではないというのに。

 

「髪を、結って頂けないでしょうか」

 

 だからマーニャは、あえて明るい調子で声を出し、化粧台の方を向いた。第一王女に背を晒し、鏡越しに微笑みを見せる。少女の動揺に合わせて、金色の髪が不安げに揺れる。

 

「よろしいのですか……わたしが、そんな」

「アリア様にしてほしいのです」

 

 第一王女ともなれば常にお側付きの侍女がいる。誰かの髪を結った経験など、きっとないだろう。けれど構わなかった。

 こくんと頷いた第一王女がこちらへと歩む。こわごわと、少女の細い指がブラシを取る。そしてマーニャの黒髪をそっと束ねて、かしゅっかしゅっ、と静かな梳く音が室内に響きだした。

 マーニャの耳に聞こえるのは、背後の少女による何かを躊躇うような不規則な吐息。

 

「私の……せいですよね……」

 

 しばらく後に第一王女は掠れた声でそう言った。マーニャの読み通り少女は自責の念に駆られている様子だった。

 

「私が、お兄様に、マーニャ様の話をしたのがきっかけだと思うのです。私が……間違えたのです」

「そんなことはありません、プリンセス」

「マーニャ様が地位に拘る御人でないことくらい、私にだってわかります」

 

 なのに……、と曇った言葉は途切れる。代わりに数秒経って沈鬱な悲鳴が漏れた。

 

「フニさんのように、マーニャ様と出会いたかった。こんな地位、いらないのに……」

 

 その一言で少女の本心を察するのは十分だった。幼い第一王女は、どうにも、持つ者である事が受け入れられていない。

 だからマーニャは正直に話すことにした。

 

「――私は魔法が使えません」

「おい」

 

 苦言は壁際の女から。マーニャが魔法不全であることは、異常なことにも既に最高クラスの軍事機密扱いだ。そして第一王女は、当然(・・)のよ(・・)うに(・・)息を(・・)呑む(・・)

 数億分の一の確率で生まれる障害児だと言う。平均で言えば年間50人が生まれるが、二十歳以上の平均人口は現在一人(・・)

 世に魔法不全のまま長生きした人間はいない。

 魔法が使えないという事はつまり、魔法への抵抗力がゼロという意味になる。誰もが常にナイフを抱えている世界で、防衛手段を持たない人間はあまりに脆い。

 マーニャは女を無視した。少女へと振り向く。

 

「あなたがくれたのです。私に、価値を。私を選んでくれた、アリア様がいたのです」

 

 じわりと、両手で口を覆った少女の双眸が滲む。言葉にできないほど複雑な感情が載った滴に素直な微笑みを浮かべられた。

 

「王族の本質とは自らの持つ富や名誉を、分け与える事ではありませんか」

「マーニャ様は、地獄の道を歩まれるおつもりですか……」

「いいえ。世にある栄華、栄誉、栄達、すべてを王女殿下が私にくださるのです」

 

 椅子をどけ、マーニャは絨毯の上に膝をついた。その、震えるばかりの片手へとそっと自らの手を伸ばす。少女はたおやかに小さな片手を差し出した。

 握りしめる少女の体温は高い。

 恭しくも高貴なる王女(マグナ)アリアンデートへの畏敬は本心だ。少女ほど純粋な王族はいないだろう。策謀に塗れた彼女の兄とは違う。

 

「当代勇者の証である宝剣を、清く貴き乙女である殿下が授受されると聞いております」

 

 歴代勇者も同じようにして、宝剣を継承してきた。儀式には意味がある。自ら罪の意識に追いやった少女に、少女視点で言えば被害者である無能の女が剣を受け取る事にも恐らく意味はあるのだ。

 

「私を勇者にしてくださいますか、プリンセス・アリア」

 

 感情で納得できる問題でないから、それ以外に、例えば己が行う宝剣授受に意味を求める。求めさせる。そう(・・)誘導(・・)する(・・)

 

「見ていてくださいますか。私が世界を救う、その始まりを」

 

 一夜にして鋼鉄にまで成った彼女は、詐欺師としての技量を遺憾なく発揮していた。軍属の女がうんざりしたように口を開く。

 

「そろそろ時間だ。……殿下、部下が案内致します」

「……わかりました。マーニャ様。先に待っていますね」

 

 贖罪を洗い終わったような微笑みをした少女を、可憐だと思う。そして自分は上手くやれる、とも。

 兵士に連れられて少女が部屋から抜ければ、残るのは入室してから一言も喋らなかった女とマーニャしか残らない。

 マーニャは親し気に女へと話しかけた。

 

「案内してくれるのね?」

「そうだ」

 

 王女殿下の護衛として共に行動していた、色素の薄い瞳の短髪女は、あだ名を“魔法殺し”と呼ぶ。魔法戦に特化した軍人だからだ。そしてマーニャとは何度か出会っている間柄でもある。

 彼女は部屋を出ながら言う。

 

「……お前が勇者になると、軍の階級的には私の上官になる」

「知ってる」

「忌々しい。成り上がりと呼ぶのも憚られる」

 

 実際そうなのでマーニャは微笑むしかない。

 勇者に成った時点で、マーニャは状況によっては准将級の発言権を軍内で得られる。“魔法殺し”が転生しても届かない遥か天上である。

 予算も人員も湯水のように使える全能感。少女ひとりを踏み台に得られる、最たる特典だった。

 そうやって無言で歩いていた時だ。

 廊下に突如として一人の男が現れた。曲がり角から姿を現したのではない。ただ空気しかなかった“そこ”に、入れ替わるようにして男が姿を見せたのだ。

 マーニャも“魔法殺し”も知った男だった。

 

「あなたは……」

「アリ殿っ」

 

 “魔法殺し”が鋭い声を上げる。非難めいたつんざきに男がボサボサの頭を掻いた。詰るように“魔法殺し”が男――アリ・アル・フラペチーノへと近寄る。

 

「転移魔法は軍の最高機密です、そう気軽に使われては困ります」

「あー、すまない、全然そういうの考えてなかった

 。でも自分しか使えない実用化以前の魔法なんだし大丈夫だと思う…………思うんですが」

 

 あ゛? というクソ真面目な女兵士に睨まれていい年をした男が頬に汗を垂らしていた。

 

「そういう問題ではありません。まさか私生活でも頻繁に使用しているんじゃないでしょうね」

「……いやホント申し訳ない……」

「アリ殿……!」

 

 話しぶりからしていつも叱られているらしい。逃げるようにしてアリはこちらに顔を向けた。

 アリと会うのはこれで三回目か。フニとマーニャが卒業した日以来だから、およそ一年ぶりという事になる。彼はフニの父親だ。

 

「お久しぶりですね」

  「ああ。うん、久しぶりですね、マーニャさん」

「今日は突然どうされたのですか」

「フニから聞いてね。何か……かけてやれる言葉でもないかと思ったんだが」

 

 “聖上”の名を現王より賜るほどの偉人だ。今日の儀式にも参列するのだろう。男はまた頭を掻きつつ続けた。

 

「……君はこれから、数多の人々の尊敬を得られる。私は思うんだが、君はそうされるに足る傑物なんじゃないか」

「光栄です」

「望まない笑顔を浮かべるのが辛くとも……フニは貴女を最後まで守るさ」

 

 そうだといい。

 マーニャがこれから立とうとしている世界は、フニという少女の背中を土台にした忌むべきものだ。それを少女の父親から認められるという事は、複雑が過ぎる。

 

「私は……あの子をきっと命の危険に晒します。私は戦う力を持たないから」

 

 今この場でアリに殺されても抵抗ひとつできないのがマーニャだった。

 昨日から決めていたことをマーニャは少女の父親に伝えた。

 

「もしもあの子が死んだのなら、私を殺してくれませんか」

「……」

 

 アリは、頷きも拒絶もしない。浅く目を閉じた彼は別の言葉を口にした。

 

「フニは、学園に入れさせるまで本当に人と喋らない子でした。読むものといえば魔法関係の論文や学術誌ばかりでね。私も年頃の娘との会話なんてわからなかったから、研究者としてしか話せなかった」

 

 アリは今年で45歳になるらしい。旅をしていた頃、フニが渋い顔で誕生日の贈り物を依頼する時そう言っていた。そんなことをぼんやりと思い出す。

 マーニャとは20歳も歳の離れた男は今、彼女の前で頭を下げている。

 

「ありがとう。貴女がいたから、フニは救われたんだ」

「――」

「こんな出来損ないの父親ですがね、それでも娘が選んだ人を殺すなんて出来ませんよ」

 

 マーニャに納得できる言葉ではない。それでも父親が満足しきった顔で泣き笑いを浮かべるから、何も言えない。

 

「どうか生き方に誇りを持ってください。貴女が貴女であることを、望んでいる人は必ず一人だけいる」

 

 言い切って、マーニャが口を閉じるより先に男が姿を消した。また転移魔法を使ったのだろう。

 

「まったくあの方は。仮にも軍の嘱託だと忘れているのか」

 

 独り言らしい。

 鼻を鳴らした”魔法殺し”が先を行く。会場までは、まだ遠い。

 

「まさか貴様が、こうまでなれるとはな」

 

 短髪の女はそう呟いた。マーニャは顔を明るくして足を速め隣に並ぶ。窺うように女を見れば、彼女――“魔法殺し”は前だけを見ていた。

 

「意外だった?」

「まあな」

 

 言葉はそっけない。前々から“魔法殺し”には冷たくされてきたマーニャであった。けれど、不思議とマーニャは彼女を嫌いではない。

 

「――私は、お前がいつか必ず不幸を撒き散らすと直感している」

 

 唐突に“魔法殺し”はそう言った。

 勇者となったとして何も成せないと言われている気がした。また、『何をしたいのか』とも。

 

「勇者になってからのことなんて、まだなんにも決まってないわ。戦争も、魔物のことも、まだ全然知らないから……」

 

 事実マーニャは戦争の最前線を見たことがない。歴代勇者の中にもマーニャのように戦争とは遠い場所で選ばれた者もいるが、そういった者は勇者に選ばれる前から偉人であった。

 マーニャには重い肩書きだけがあるだけで、まだ何も無い。それでも

 

「これまでと変わらないわ。たくさん本を読む、旅に出て現実に触れる、色々なことを知る……それだけよ」

「だが、勇者の両肩にのし掛かる重圧はお前を呪うぞ」

 

 いつも冷淡な“魔法殺し”にしては優しい言葉だと思った。今からでも逃げ出すべきだと彼女の薄い色素の瞳は語っている。

 

「人が望むのは状況を打破する英雄だ」

「なれるわ。英雄になら」

 

 即答に、“魔法殺し”の足が止まる。その分だけマーニャは数歩先を行く。

 振り向いた。

 “魔法殺し”と呼ばれた女がこちらを射殺さんばかりに睨みつけている。現実を舐め腐った人間への蔑視があった。

 

「……知らなかった?私、けっこう何でも出来ちゃうのよ。昔からそうだった」

「自惚れるな……!お前一人に何ができる」

 

 “魔法殺し”は記憶改竄魔法を受けていない。だからマーニャが『無能』であると知っている。

 そしてホルル家という英雄の家系に生まれ、自身も魔法戦において比類なき力を持つ彼女からすれば、マーニャは本当の意味で『出来損ない』だろう。

 それでもいいのだとマーニャは美しく笑った。

 

「辛いことはあったわ。嫌なこともね。自分だけが無価値な世界はやっぱり息苦しくて、誰かに肺の収縮だって許してもらわないと、前も向けない。それでもね、それでも――」

 

 思い出す。

 少女が見せた、恋をした乙女の表情。

 唇を触る。

 少女の体の柔らかさを確かめるように。

 

「それでも、愛さずにはいられない」

 

 自分は一体どんな顔をしているのだろう。息を呑んだ“魔法殺し”に、マーニャは小さな恥じらいを覚えた。誤魔化すようにくるりと回り、歩き出す。

 

「だって全てが奇跡だもの。私とフニが出会えた奇跡をどうして手放せるの?」

 

 “魔法殺し”はもう、何も言わない。ただ自分の数歩後ろを付いてくるだけになった。

 そうして長い廊下を歩くこと数分。間も無く会場に着くかといったところで、待ち構える男がいた。

 

「護衛はここまでで結構。ここからは、僕が案内するよ」

 

 サングラスで目元を隠した男が、顔に貼り付けたように笑った。マーニャも同じ笑顔を浮かべる。

 

「あら。王子殿下直々にだなんて光栄ですね」

 

 そういうことだから、とマーニャは首を巡らせる。“魔法殺し”は自身の上官にあたる男――第一王子にして人類統合軍最高司令官補佐、“忌み子”グロリアスの唐突な登場に、戸惑いながらも声を絞る。

 

「ですが殿下、」

「僕がいらないと言っているんだけどな」

「……御意に」

 

 軍人らしくきびきびとした敬礼をして、“魔法殺し”は後ろに下がる。彼女が元来た道を戻っていくのを見終えてから、二人はどちらともなく歩き出した。

 背の高い男性であるグロリアスは、マーニャに歩調を合わせることなく数穂先を歩く。マーニャは彼を追う気もなかった。

 

「……」

「……」

 

 会場はもうかなり近いのだろう。人々の騒がしい声が聞こえてくる。

 そのざわめきに隠すようにして、マーニャは口を開いた。

 

「ねえ、ひとつだけ言わせて」

「なんだい」

 

 先を歩く男が立ち止まる。

 マーニャは立ち止まらない。

 サングラス越しに、歪な六角形をした黄金の瞳がゆっくりと横に動く。彼の傍を通り過ぎる時、マーニャは囁いた。

 

「――――あなたを絶対に許さない」

 

 不敬だと言われればそこで終わる人生だった。王族に敬語を使わない時点で彼女は傲慢だ。

 

「そうか」

 

 しかし第一王子は何事もなくマーニャの暗い言葉を受け止めて、彼女の隣に並んだ。

 男は言う。

 

「新しい遺言書を書いたんだ」

「?」

「ほら、僕はこんな目をしているだろう。忌み子として王宮政治では除け者でね。暗殺、毒殺、謀殺……まあ色々と地獄を見続けた。だから、もし僕が死んだ後も法的な力で何かを残したくて、5歳の頃から常に遺言書は用意してるんだ」

 

 第一王子は決して公の場に姿を現さないことで有名だった。彼の瞳は醜い不定形な六角形。異様な眼は、“忌み子”と呼ばれるに足る。

 そんな男がどのような決意で遺言書を常に用意してるかなんて、マーニャは欠片も興味がわかない。きっと男も同じはずだった。互いに同族嫌悪を感じている――そうマーニャは考えていて。

 だから第一王子の発言には凍りついた。

 

「君に殺された時、特赦を出すよう記したものだ。安心して、いつでも僕を刺してくれ」

「……」

 

 自分の命の使い方を知っている者、その成れの果て。マーニャはまだそこまで至れない。

 震えた心臓もぴくりと動いた頬も、不規則になった歩みの調子も気取られたくなくて、マーニャは必死になった。

 

「……そう。でも、殺したいとも思わない」

 

 マーニャは明確にこの第一王子を恨んでいる。いっそ殺したいくらいには嫌いだと言える唯一の男だった。

 恐らく、この“忌み子”こそが、マーニャを勇者にするよう仕向けた張本人なのだ。それは同時にフニの未来を破壊した意味をも孕む。

 だから、マーニャは、呪いじみた言葉を吐き出す。

 

 

 

「だってこれはあなたに出来ない事だから」

「――」

 

 

 

 この命にかけて誓いましょう。

 

「私たちが救うわ。

 戦争は終わらせる。

 私とあの子が、二人きりで、変えてみせる。

 だから貴方達は見ているだけでいい。誰にだって、世界救済の名誉は渡さない」

 

 勇者になってやりたい事なんてない。望んで得た地位ではない。それでも世界が望むなら、……構わない、どんな(・・・)形でも(・・・)救って(・・・)みせよう(・・・・)

 

「覚悟する事ね。世界で一番愛しい子の未来を捻り潰した先に、決して楽な道のりなんてありえないのだから。それでも、仕方がないから、私とフニが世界を救ってあげてもいいわ。何にも出来ない貴方達人間は、大人しく導かれるだけでいい」

 

 夢や理想を語る誠実な人間にはもうなれない。マーニャは一人の少女の愛おしい未来を踏み潰して、栄冠を手にする。そんな自分が美しいものにはなれないと、理解していた。

 だからこそ彼女の全存在は鬼気迫るものがある。崖際まで追い詰められた者が見せる不退転の極みが、マーニャにはあった。

 

「……恐れ入るよ」

 

 その、女の立ち居振る舞いに圧倒されたのか、第一王子はようやくその一言だけを絞り出した。

 マーニャは伝えたいことはもう無いと言わんばかりに、厳しい仕草で歩き出す。立ち止まってしまった男を消して振り返ることはなく、その背はあまりにも高潔に真っ直ぐだった。

 

「君ほど我の強い人はきっとどこにもいない。それだけ、自信に満ちた人もね」

 

 会場への一本道は、入り口から光が差し込むせいで暗く見える。光へと歩き続ける彼女の背中はまるで恐れなどないように第一王子には思えた。

 

「ああ、本当に、凄いな……」

 

 本心からの言葉だった。

 第一王子グロリアスは、ただ、自分が上がることのできない世界へと足を掛けるマーニャに、惜しみない賞賛を向けた。

 

「君こそ、世界を救う勇気ある人だ」

 

 ――実際の所、第一王子には先見の明があったと言える。

 この日。王国中の人々が、世界中の人々が注目する中、歴代三人目の女勇者が生まれて。

 それからたった2年程度だ。

 その僅かな期間で、人類と魔物は500年近く続いた戦争を終え、和平条約を締結するに至ったのだから。

 マリア(・・・)ジュエ(・・・)イーニァ(・・・・)

 彼女の名は、戦争終結という史上最高の名誉と、そのために人類魔物併せて155万の命を扇動し殺し合わせた史上最低の不名誉と共に、歴史に刻まれることとなる。

 

 

 

 

 

 勇者継承の儀式は、代々を通じて王国の首都、王城内にある大聖堂にて行われてきた。快晴の陽光が色とりどりのステンドグラスを揺らす中、参列者である外交官や他国の王族、議長、首領、有力者たちはめいめいに噂し合った。

 

「しかし何の功績も上げていない、ただの女だと言うではないか……」

「これは風の噂ですが、どうやら第一王女が随分ご執心だとか」

「ああ、それはそれは……いつの世も王族とは自由ですな……」

「仕方ないでしょう。魔物との戦争最前線を維持する、列強国随一の発言権を持つこの国の王族なのですから……」

 

 倫理も法規も超越した人類統合軍の情報統制は完璧だ。『無能の女』ではなく『ただの女』と許容している事実がそれを物語る。

 しかしそんな事は無視しても卑しい騒々しさに、最前列に座るフニが独り言を呟いた。

 

「全員、殺してしまいたい」

「こらえろフニ」

 

 濁った眼をした少女の頭をそっと撫でたのは、彼女の父親。柔らかい栗毛がふりふりと揺れて父親を見上げる。透明な眼差しに、アリは言った。

 

「なあに、安心するといい。あれを見たら全員知るだろう」

 

 言葉より先か、速くか。

 大聖堂の扉は開く。

 重々しい軋みによって騒々しさは一斉に殺され、そして、扉を開けた者を見定めようと振り向いた参列者の呼吸をも殺す。

 フニとて同じだった。

 今日、初めて見る、彼女が。フニの思考に空白を生んだ。

 ――本当に美しい者を見た時、人は呼吸を忘れる。

 

 

 

 国宝級の金剛石《ダイヤモンド》を散りばめた首飾り。手の十指全てを彩る指輪は紅玉《ルビー》、蒼玉《サファイア》、翠玉《エメラルド》、亜金緑石(アレキサンドライト)、黄玉《トパーズ》、風信子石《ジルコン》、藍玉《アクアマリン》、猫目石《キャッツアイ》、電気石《トルマリン》、柘榴玉《ガーネット》。

 体を包む上等な白絹の上から重ねた、柔らかな外套はおそろしいことに、魔法により繊維加工された白金《プラチナ》と黄金《ゴールド》により編まれ、陽光を受けて微細な光源となる。

 大粒の苦土橄欖石《ペリドット》と蛋白石(オパール)を嵌めた両耳の銀飾りは、彼女が足を進める度にしゃらんしゃらんと涼しく鳴り響く。

 人が価値を認めた、貴金属と宝石の全て。

 それら全てを豪奢絢爛にも身につけることことは、人類を代表する者に相応しい勇者の礼装と呼べる。

 マーニャはこの時この瞬間、誰よりも貴い価値を持っていた。

 ――人の第1印象は、外見で9割が決まると言われている。それまでマーニャという女の、勇者としての適正を疑っていた者たちは、故にその瞬間に認めてしまった。

 存在が勇者に相応しいと。

 

 

 

 儀式はしめやかに行われた。

 第一王女の前に跪いた女が、恭しく宝剣を受け取り、洗礼を受ける。

 それだけの行いをもったいぶった時間はフニにとって退屈でしかない。だからマーニャが大人しく元来た道を戻らず、その場で立ったまま眼下の人々を見渡した時、鼓動が跳ねた。 

 

「知っていますか」

 

 マーニャは、下賜された宝剣を優雅に抜いた。

 宝飾された美しい鞘から現れたのは、古き名刀。代々の勇者の証。それをマーニャは、突然の行動に困惑する観衆へ、そして参列する全ての権力者たちへと見せつけるように、横にして掲げた。

 

「この剣は、初代勇者にして人類統合軍初代最高司令官が戦場で振るった剣と言われています。既に遺失した魔法加工技術を施されたこの剣は、540年経った今なお衰えることのない切れ味を誇る」

 

 しめやかに終わるはずだった儀式が、当の本人によって続いている。その事実にどよめきが広がった。

 集中する非難の視線をマーニャはものともしないで声を張る。

 

「人は、あまりに長く、戦いすぎた。戦争の原因すら誰も忘れてしまうほどに」

 

 彼女なりの全人類に対する非難だとフニには分かった。

 今この時からが、マーニャにとっての、『全世界』対『二人』の“戦争”なのだ。

 

「今生きている人の中に、戦争の無い時代を知らない人は決していません。だからこそ呼吸と同じように存在する『戦争』が、一体どんな形をしていて、どんな風に私たちに牙を剝くものなのか、深く考える機会もなくただそこにある」

 

 そういうモノにまで戦争とは成ったのでしょう。

 

「私は、この栄誉ある任を負うまで、ただの旅人でした。世界の西の果てまでをただひたすらに歩く一年でした。戦争は遠く、本当に、空気のように感じられたのです。それでも世界は魔物との生存競争の只中にいる」

 

 生存競争を人類はずっと続けている。その焦燥感の本質は、こんな厳かで煌びやかな聖堂にはない。そう言いたげに、マーニャの空いた片手が刃へと振れる。

 ――フニは理解した。だから魔法を起動した。

 女の手のひらの先に。物質破砕の魔法を。

 

私達(・・)()呼吸(・・)をす(・・)るた(・・)めに(・・)戦争(・・)をし(・・)ている(・・・)

 

 ゴキ、という音。バキ、という音。連続する破砕の不快音のすべて。

 フニは魔法において天才である。あたかも魔法不全の女が魔法を振るっているかのように見せかけることくらいは難なく行える稀代の賢者だった。

 そうして、あっけなく、勇者が受け継ぐ宝剣はその刃を潰される。参列した全ての者が目を剝いていた――フニは肌で感じる。明確な形にならない怒りが、魔力を捻じれさせている事を。攻性魔法がマーニャへと向かう――守らねば。

 しかし。 

 非難が怒号となるより先に、女は美しく笑った。

 

「だから、継ぐのです、私達で(・・・)

 

 ――……! と、会場全体から怯えが亀裂を走らせる。

 それは本当に紙一重のタイミング。

 精神喚起の隙間を縫う、恐ろしく巧妙に人の意思を別に向ける、詐欺の話術である。

 

「誰かが始めた最初の勇気を継ぎましょう。戦争を終わらせたいという意志を、武力の行使『のみ』で費やす必要はないはずです」

 

 だから宝剣の刃を潰したのだと。だから再生不能な切れ味を砕いたのだと。マーニャは言う。女勇者は尚も言う。「どうか聞いてくださいますか」と。

 世界へ。

 

「私は、全てに対話を求める勇者になりたいと思います」

 

 言葉は、それ以上続かない。

 マーニャは澄み切った笑顔で宝剣を鞘に戻す。誰もが度肝を抜かれて行動を起こせなかった。当代勇者は世界の遺産を自らの手で破壊したのだ。

 静寂が、恐ろしいほどに大聖堂を支配する。しかし。

 パチパチパチ……という小さな拍手が大聖堂入り口から響いた。

 この場には姿を現さない『誰か』の拍手に、マーニャの笑顔に一瞬ヒビが入る。しかし亀裂が生まれるよりも先に、つられて拍手をする者が一人、二人、三人四人……。

 やがて空間を、万来の喝采が埋め尽くす。

 

(――強くなりたい)

 

 そんな中でフニは考えた。

 63代目の“勇者”は、自らを『対話の勇者』と決意した。その意味をフニは重く受け止める。

 

(神様も越えて。運命だって潰せるくらいに)

 

 彼女が『対話』を相手に求めるためには、まず、武力が必要なのだとフニは理解している。実際に行使せずとも、武力の存在はそれだけで相手方を椅子に座らせる強烈な『力』だ。

 もしも自分が、いっそ人など呼吸と同じくらい簡単に捻り殺せたなら、マーニャを勇者にしない事だって出来たのだから。

 

(わたしの神が、こんなゴミにさえ、いつでも側で笑いかけてくれる)

 

 そうとも。

 たかが魔装化歩兵一体に手こずってしまう現状を、自分は何一つ認めていない。

 

(だから――――こんな世界、いつ壊してもいいように、わたしは神を越えたモノになろう)

 

 10歳年上の彼女がしてくれたことを忘れていない。汚れ役は全て自分が行えばいい。

 人を何人殺せばマーニャの求める対話に行きつくのだろう。魔物を何体殺せば戦争が終わるのだろう。そのために必要な魔法は? それ(・・)は恐(・・)らく(・・)神に(・・)でも(・・)なら(・・)ない(・・)と分(・・)から(・・)ない(・・)

 

「ねえ、お父さん」

 

 だから、と言う訳でもなく。

 ただ純粋に強さを求めて、フニは隣の父へと目を向けた。

 

「わたし……禁術指定魔法の勉強がしたい」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。