女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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最初に、彼女が騙った

 

 魔物が大防護障壁の加護を失い、人類が情報共有の魔法機構を確立させてからおよそ一か月。

 魔物は領土の80%を失っていた。

 戦争の加速は目覚ましい。情報戦において劣る魔物は、人類の的確な攻撃に対応しきれない状態が続いている。既に人類統合軍は領土の最奥、東の果て――魔王城の目前まで侵攻していた。

 既に魔物が撤退した廃墟の街中。進軍中の人類統合軍が兵士は僅か二人しか居らず、更に言えば防衛のために現れた魔物すらも二人しかいなかった。――魔法戦における戦力差とは決して数的優劣では決まらない。

 

「よう。久しぶりだな」

 

 老人が気楽そうに片手を挙げた。その細い体をじいっと見つめた灰色の大男が思い出したと頷く。

 

「以前戦った爺か」

「おう、覚えてたかよ」

「確か貴様は、この俺に手も足も出なかったはずだったな」

 

 数ヶ月前のことだ。

 自由転移魔法により集められた面々の中で、ゴルはこの老人の戦意をひとつの拳で放棄させた。

 四天王の中でも肉弾戦を好むゴルは、戦闘速域が音速を越す。人間に対応できる領域ではないのだ。

 だが、英雄の翁は皺の多い口元を伸ばすようにして弧に曲げた。

 

「なら……試すかい?」

「クク、俺好みの台詞だ」

 

 魔物らしく好戦的なゴルは眼前の老人を自らの獲物と見定めた。となりの狼女に言いつける。

 

「ウル、この人間は俺の敵だ。手を出すなよ」

 

 言われた狼女が指の背で鼻をこすりながらへへへと笑った。彼女の腰から生える太く短い銀尻尾が興奮でか震えている。

 

「ならあたしはそっちの女か」

 

 ウルの視線の先には淡い色素の瞳をした、短髪の女がいた。老人の隣に立つ彼女――“魔法殺し”は険しい目つきでウルを睨む。

 

「私を忘れたとは言わせん」

「へへ、覚えてる覚えてる。あんたには確か腹に一発蹴りをお見舞いした覚えがあるぜ?」

「そうとも。そして私は無様にも、我が血族にのみ許された魔法を模倣された」

「ああそうだった! この力は、確かあんたのものだったな?」

 

 言葉と共にウルが虚空から引きずり出したのは銀色の魔法剣。それも一本や二本ではなく、500はくだらない数が空間をひしめき合っていた。

 それこそ“魔法殺し”の家系のみが扱えた唯一無二の特殊魔法。『硬度無効』『距離無効』の魔剣である。

 ウルのコピー体質によってその特異性を敵である魔物に奪われた屈辱を、“魔法殺し”は静かな殺意に変えて魔物達へと吐き捨てた。

 

「驕るなよ魔物」

 

 人狼と巨人。

 女と老人。

 相対する二つの種族、その最高戦力達の間に風は流れない。既に魔法環境がため、めいめいに高密度魔力の構築が始まっている。不可視だろうと物理的な影響を及ぼす程に、それは濃い。

 1秒。

 2秒。

 3秒、4秒、5秒――活気の途絶えた廃墟群の中にあって、滞留した空気と魔力のうねりが明確に全員の肌で感じ取れた時。

 まずゴルが大地を蹴った。

 

「この先へ進みたいなら、変化を見せろ人間」

 

 遺伝子レベルで施された魔法的強化はゴルに瞬間的な加速を許す。

 速度にして音速の約3.5倍。生命の物理限界その先である。

 地を蹴った衝撃で足場周囲のほとんどを吹き飛ばす破壊現象よりも、その爆発じみた破裂音よりも先に、ゴルの肉体は拳はケドへと肉薄。

 

「――」

 

 1秒を何千回にも刻み分けた隙間の世界で、ケドは無残に砕け散るはずだった。

 

「――そういえば、つい最近76歳になったんだけどよ」

 

 言葉が(・・・)響く(・・)

 ゴルは右肩に唐突な痛みを覚えた。意識を向ける前に視界の右半分が赤く染まった。

 そして残りの視界は、ただひたすらに青い輝きに包まれている。

 老人の痩せ細った右腕から迸る蒼き魔剣の輝きと……、

 

「今の俺は、これまでの人生で一番強い“俺”だ」

 

 そして老人の双眸を染め上げる蒼色の眼によって。

 ――音速の3.5倍という戦闘速度に、ケドは人体の限界を超えて対応し、ゴルの右腕を根本から魔剣で切り落としたのだ。

 そんな神業を可能にする技術などケドの両眼を見れば瞬時に把握できる。

 

「貴様、魔眼を……!」

「おかげで記憶を30年分も失っちまった」

 

 ケドは声もなく笑う。青い瞳を異様な程輝かせながら。

 つまりは、両眼に施された魔眼化手術と、神経を通じて繋がる脳の構造変革――それによる光速視認という力をケドは得たのだ。

 

「人間も倫理観ってのを捨てればそれなりのとこまで来れるんだぜ?」

 

 もはや彼に追えない速度はない。

 音速であろうと、光速に至ろうと、老人の眼球と脳は、記憶野の大部分を失う代わりに戦闘処理を行うためだけに機能し続ける。そして齢70を超えているはずの干からびた躰は魔法的強化を限界まで施され、音速の十数倍の速度領域であろうとも悠々と追従する。

 もはや人間ではないのだ。

 ただここにいるのは強者である。

 

「――――!」

 

 ゴルが血を撒き散らしながら咆哮。

 音の一拳が秒間5000発の殴打を繰り広げる。巨人の咆哮すら置き去りにする拳は風圧だけで地形を破壊する。

 しかし――易々と。

 ケドは秒間5001回剣を振るい、その全てをいなし続けた。

 

「“軍神”……!」

 

 老人は今こそまさしくその名に相応しい存在と化している。誇らしげにケドが笑うのを見た。

 

「は、はははっ……ハハハハハッ……! 楽しいなあ人間!」

「おうよ。まだまだやれんだろ?」

「当たり前だ……!」

 

 巨人と老人の趨勢は決した。ウルは興味を失い、気ままに伸びをひとつ。尻尾をぶるりと震わせて自分が戦うべき敵を見定めた。

 

「あっちは楽しそうにやってんな?」

 

 暢気な言葉に“魔法殺しは取り合わない。浅く瞳を伏せ、こともなげに言う。

 

「さっさと始めるぞ。我慢できる性質たちじゃない」

「へへへ、なんだ気が合うなああんた。でも、何度やっても結果は同じだぜ」

 

 ウルの周囲の魔力が波打つ。それらは瞬く間に魔法剣群へと変じ、その切っ先を“魔法殺し”へと向けた。同じく、“魔法殺し”も赤い魔法剣を無数に浮かべ、ウルへと向ける。

 視線の交錯は一瞬だけ――。

 二人は同時に動いた。

 

「人類進化の現実を教えてやる」

「秒で潰す」

 

 ――無尽蔵の武装を得た者同士の戦闘は、音速突破者達の戦闘よりも尚、苛烈さで勝る。

 ウルが約10000本の銀魔剣を生成した。

 空間全域を埋め尽くす三次元飽和攻撃を繰り出すと同時に、自身は自由転移魔法によって遥か上空へ。並みの魔法使いであればこの数秒で全身を串刺しにされ生き絶えるだけの物量だったが、

 

「な……?」

 

 “魔法殺し”は一歩も動いていなかった。

 ただ瞳を伏せ、魔法をひとつも起動せず、そこに居るだけ。まるで魔剣の方から避けたかのように、女の立っている空間には奇妙な隙間ができていた。

 まさか、あの女の座標指定を間違えたのか……? ウルは自問する。いいやそんなはずはない。そんなミスを犯すはずがない。10000本という数は空間に隙間なく敷き詰められた殺意そのものだ。

 では、一体、何が。

 

「座標点への直接攻撃が可能な者同士の戦闘は、つまるところ演算能力の差で決まる」

 

 声は明々に。

 空を落下しながら、ウルは全身の毛が逆立つ悪寒に震えた。――来る。

 

「――!」

 

 自由転移魔法を連発する。連続で立ち位置を変えていくウルの姿は、立体的かつデタラメな瞬間移動故に、人体では追えない――。

 10000本で足りないなら、100,000本を生み出せばいい。

 それで無理なら100万本を。1000万本でも1億だろうと、あの女を貫けるだけの剣を常に移動しながら用意すれば良いだけだ。

 ウルにはそんな馬鹿げた思考を叶えるだけの力があった。どんな魔法だろうと瞬時に模倣する天才的な魔力操作のセンスが。

 

「こいつで……!」

 

 だから、一分の隙も許さない数の銀魔剣は生み出される。

 

 

 

 数にして10兆。

 

 

 

 自身の体を成層圏にまで飛ばしたウルが地へと放ったそれは、もはや銀色をした柱状の魔塊――空間ごと刺し擦り潰す塵殺しの概念である。

 

「――祖父は眼を捨てたが、私は何を捨てたと思う」

 

 しかし現実はウルの慢心を易々と超過する。

 指向性を持たせた拡声魔法によって遥か遠く、数千キロ下からの女声を聞き取った瞬間、ウルの体を3本の剣が貫通。狼女の口から鮮血が溢れた。

 

「ご、あ゛……ッ」

 

 ウルという女の左肺、大腸、心臓直近の大動脈が完全に切断された。魔法を使うこともままならず落下し続けるウルは、圧倒的な物量ではなく僅か数本の魔剣に貫かれた理由を把握する。

 見えたのだ。

 落ち行くなかで、地に立つ女の首裏――頸椎から展開された小さな魔法陣が。そしてその魔法陣と接続されて伸びる小さな小さな、細い管……。

 

「――あんた、神に魂を売ったのか」

 

 宇宙へと伸びる管がどこへ繋がっているかウルは知っている。

 “魔法殺し”は恐らく戦闘処理に関わる機能全てを……つまり(・・・)は自身(・・・)の肉体(・・・)操作権(・・・)を神に(・・・)なった(・・・)少女に(・・・)明け渡(・・・)したのだ(・・・・)

 

「私より私の扱い方が上手い者がいるなら、その者に任せるだけだ」

 

 なるほど、人智を超えた演算処理さえ可能ならば魔法発動よりも先に発動地点を完璧に予測することだって出来るだろう。自由転移魔法により次々に位置を変える敵にだってピンポイントに魔法を当てられるだろう。

 だが、それはもはや神の奴隷だ。

 

「マーニャ……こいつら本気だ……」

 

 自身の意志を捨ててまで戦争に勝とうとする底意地の悪さを、ウルは知らなかった。

 これこそが人間かと、ようやく理解しながら狼女は地へと墜落する。その瞬間に垣間見たのは、音速超過の戦闘を繰り広げていたゴル達へと、“魔法殺し”が超高精度魔法で加勢に入る瞬間だった。

 

「抜刀、“二重”解放」

 

 言葉と同時にウルの意識は途切れた。

 

 

 

 

 魔王領首都から数km離れた場所にある、ある街中。同じように廃墟と化した空間に転移する魔物が二体。その姿を確認し足を止める男も一人いた。

 金髪に、聡明な眼差しの男は呟く。

 

「俺の相手は貴様達か」

 

 魔物の内の一体、霞のように存在が希薄な半透明の男が口を開く。

 

『誰だ? 情報には無い人間だな。魔装化歩兵とも違うみたいだ』

「いずれにせよ単身戦場へ来るのなら、強敵という事! ヘイズさん、注意ですわ!」

「……四天王のアスモと、ヘイズバイスだったな」

 

 俺の事は忘れたらしいな。

 そう頭を振ると、改めて眼前の敵を見定める男。彼の表情には強敵二体を相手にしているという恐れも震えも現れない。

 

「娘が……マーニャが人の手を離れて二か月半か。まあ、俺とお前達は会話もしていないのだから忘れても仕方ない」

「え? マーニャ? 娘?」

 

 ピンク色の髪をした魔物、アスモがきょとんと首を傾げた。腰裏に生えた蝙蝠羽が上下する。男は手短に彼らの女王との関係性を明らかにした。

 

「俺の娘が世話になっているな」

「えっ、マーニャさんのお義父様……!? あの私、マーニャさんとお付き合いさせていただいておりまして……!」

『嘘をつくな嘘を』

 

 漫才じみた二人の会話を聞いて、男――アマルツィアは口元を薄く、本当に薄っすらとだけ緩めた。充足の微笑みは娘の環境を喜んでいるようだった。

 

「あいつは良い仲間に恵まれる。だが、今は先へ進ませてもらおう」

 

 そして彼は自らの右腕を切断した。

 

「――――」

「古い技術だ」

 

 ぼとりと落ちる、重い片腕。多量の血液を吐き出し続けながらも、アマルツィアの表情に苦悶の色はない。まるで痛覚を失ったかのように、彼の瞳は前だけを見ていた。

 

「未だ魔法が体系化されず、理論だった法則性を見出させていない頃のこと。不器用な人間は物質に溝を刻み込み、そこに魔力を流し込むことで魔法を使っていた」

 

 それは300年も昔の事。絶えず進化し続ける技術体系からすれば古代に等しいほどに古く、故に、アマルツィアが今から振るおうとしている魔法技術は誰も知らない――何故ならそれはあまりに非効率だったからだ。

 

「俺の遺伝子には溝がある」

 

 地に落ちた右腕に変化が現れる。それは、隻腕全体に走った光の紋様。七色の輝きが幾多様々な『溝』を光らせ。

 同時に。

 自切した男の右腕が、断面から生え出した。

 【加速(リスチル)】という細胞分裂周期を操作する肉体再生魔法は既に確立されている。だが、とある女と少女をずっと見続けてきた魔力生命体ヘイズバイスも――かつて少女がその魔法(・・・・)を使う場面に立ち会ったアスモも、知っている。

 男が自らの肉体を再生するために使った魔法は【加速】などではない。

 

『な――――あんた、どこでそれを』

「なぜ……どうして!? あなたは一体何なんですか……!?」

 

 それは、フニという少女が、神へと昇華する第一段階として使った禁術指定魔法だ。

 『大気内に存在する』という魔力のルールを突き破り。更には魔力操作技術の優劣すらも凌駕する、禁忌中の禁忌。

 

「【魔源脳臓(オルヌム)】という魔法を作ったのは俺だ」

 

 男はあっさりと、文明破壊級禁術の開発者であることを明かした。真意すらも。

 

「この魔法の本質は外科的不老不死を可能にする事だった。衰える内臓も、脳も……そしてそれら複雑な内臓器官を生成するために必要なだけの魔力と、魔力生成機関と、魔法補助脳すら。魂以外の全てを無尽蔵に生成できるのなら、それは俺と同じ不老不死だろう」

 

 遺伝子が異常を来して獲得した自動発動する再生魔法によって、人でありながら人より遥かに老化速度の遅い男がいた。名をアマルツィアと呼ぶ彼は推定年齢324歳になろうとも二十歳程度の肉体を保っており、友も恋人も親も誰も彼もの死を看取った。

 その果てで狂気に捉われた男が昔いて。

 魔法文明を根底からひっくり返す程の魔法がそんな男の悲願から生まれたとして。間違った使われ方をしだした魔法を悔い、男……アマルツィアが孤独の生を受け入れたとしてだ。

 

「寂しかったのさ、俺のように長生きできない者ばかりの世界はな」

 

 その力を、今度こそ得た愛娘のために扱う事は、間違いではないのだろう。 

 アマルツィアの右腕が完全に再生しきった時、切り落とされた肉塊の紋様は強く光を放つ。そして、不気味に蠢き――変形する。

 ぼこぼこと。ぐちゃぐちゃと。

 足が生え、首が伸び、羽が生え、尾が生まれ、腹部に巨大な口が出来、首から先の頭部らしき部分は血潮で出来た針だらけの球形。

 目は無い。

 顔も無い。

 しかし生命らしき脈動でソレの後ろ脚が地を蹴った。親に甘えるかのように、男の(・・)右腕(・・)から(・・)変形(・・)した(・・)ソレ(・・)はアマルツィアへと首をすり寄せた。

 

「なに、これ……」

「【蠱毒血体(アマルガム)】と俺は呼んでいる」

 

 そこに、血の赤だけで構成された『馬』のような化け物が居た。

 生きていた(・・・・・)

 瞬時にヘイズバイスはその正体を把握する。

 

『“魔法生物”……幻獣の創造……!』

「――行け」

 

 親の命令を忠実に訊く、飼い犬らしく。

 幻獣と呼ばれた魔法生物が地を駆ける。その足は決して速いわけではない。自由転移魔法を得た魔物、アスモとヘイズバイスにとっては蟻の行進に等しい。冷静になれば自由転移魔法で距離を取りつつ、幻獣の発生源であるアマルツィアに高火力魔法を叩き込めばいいだけだ。

 しかし。

 赤一色の、明らかに馬らしき形態なのに首から先が針だらけの球形で、腹部には乱杭歯が虫の節足よろしく不規則に蠢き、羽まで生えた怪物が相手だ。果たして正気で居られる者がいるだろうか。

 少なくとも女のアスモは恐慌に陥った。

 

「――――!! 【風塊(ヒュード)大陸剥離(ピーリング)】!」

 

 防衛本能からか、アスモが自身最強威力の魔法を瞬間展開。淫魔を中心に渦巻く爆発的な竜巻は、風という名の圧と暴力だ。街は一瞬で崩壊し、アマルツィアの生み出した血色の幻獣も砕け散る。

 しかし即座に再生し、更には同じ体積を保ったまま二体に分裂した。

 

「なっ――」

「魔法生物というものはな」

 

 マーニャが人類から離脱した際、既にアスモの超巨大竜巻を経験しているからか。アマルツィアが竜巻から安全圏まで離れた後、滔々と語っていた。

 

「魔力を吸収して自動で魔法を発動するから“幻獣”と呼ばれている。――ソレの基となった俺の右腕に幾つの魔法が刻み込まれたと思う?」

 

 肉体の破壊が再生魔法発動の起点となっているのだとしたら、アスモの魔法はあまりにも悪手が過ぎた。既に魔力物質化工程(マジックマテリアル)を済ませた魔法を打ち消すのは容易ではない。

 淫魔の竜巻は止まらない。だから、数秒の内にグロテスクな幻獣が300体にまで増殖した。もはや、小さな軍に等しい数量だった。

 

「――!」

『嫌な戦術じゃねえかよ!』

 

 アスモが更に悲鳴で言葉を失い、ヘイズバイスは味方が放った魔法を消す処理に追われる事となる。自由転移魔法を開発・実用化させた魔力生命体である彼にとっても、アスモの生んだ超巨大竜巻を自由転移魔法で飛ばすのは骨の折れる作業だった。 

 その竜巻を飛ばしたとしても、その先にはアマルツィアが放つ幻獣の第二波が待っているのだ。

 ――状況はあまりにも劣勢か。

 

「へ、ヘイズさん……!」

『聞いたことがあるぜ』

 

 ヘイズバイスはアスモの悲鳴を無視した。状況が仲間を勇気づけさせる余裕を与えなかった。

 もちろんヘイズバイスもアスモも、目の前の男とその肉体が生み出す幻獣を放置して撤退できる。自由転移魔法さえ使えばそれでいい。

 しかし、爆発的に増えた幻獣の軍団を放置する事が、どれだけ魔物にとって致命的かなど想像するまでもないのだ。

 ――戦術ではなく戦略的に敗北している。この男たった一人に!

 

『その昔、狂気的な戦場に魔物ですら精神に異常を来す者が続出した時期があったって。それもそんな惨状を引き起こしたのがたった一人の人間だって言うじゃねえか』

 

 資料にない敵だなだとよくも見くびれたものだと、数分前の自分を嘲笑う。

 ここに居るのはかつての戦場を知る猛者その人。

 偉大なる大英雄だった。

 

『かつての特記戦力、“異常個体”アマルガム――伝説とこうして会話できるなんて光栄だな』

「……俺は古い魔法しか使えない。だから、お前たちのように最新の魔法を使って瞬時に決着もつけられん」

 

 だが四天王二体を相手にするだけなら、いくらでも殺せる手段はあるだろうと男の瞳が語っていた。静かな決意を燃やす目つきが、時代遅れの、歪な、狂気の戦術を使ってでも娘に会いに行くのだと物語っていた。

 ヘイズバイスもアスモも、男の表情から死を悟った。しかし――。

 

「……俺は娘の友人を殺す程冷たいわけでもない」

 

 瞬間、幻獣の全てが溶解。それはヘイズバイスが竜巻を消し飛ばした丁度のタイミングで。

 は――? と魔物二体が硬直した時、既にアマルツィアは二人を背後に置き去りにしていた。加速魔法だ。

 

「後は頼んだぞ、アリ」

 

 男の言葉だけが名残のようにつむじ風へと混じる。

 そして、同時に。

 

「さて」

 

 現れるのは別の男。

 今度こそ、まったく資料にない、魔法使いだった。

 彼は空から降ってきた訳でもなく、地下を掘り進んできた訳でも、宇宙から落ちてきたという事もない。ただそこにいた。空間(・・)を当(・・)然の(・・)ように(・・・)転移(・・)して(・・)きた(・・)

 同時に花開くのは数千を越す数の極大魔法群。男の背後に、花火じみた絢爛の風景が光景を潰す。

 

「悪いがここで足止めだ」

 

 研究職なのだから前線に立つ事もない男の名を、魔物達は知る由もないが。

 とかく男はアリ・アル・フリペチーノと呼ぶ。

 大量の新魔法を編み出した稀代の天才であり。神と化した少女の父親であり。

 そして今この時は、別の価値を持つ男でもある。

 

「まさか――もう!?」

 

 アスモが発した驚愕を、アリは笑う事もしない。

 

 

 

 

 

 

 ――魔王領首都、魔王城。玉座にて。

 そこは魔王城のなかで最も広い空間だ。天井に敷き詰められた硝子には特殊な魔法的加工が成され、空の景色を映し出す。清浄な青い空から降り注ぐ陽光は、ここ最近掃除もされていない広々とした空間内の埃をキラキラと輝かせた。

 マーニャは王の椅子に座り一人黙考を続けていると、隣の女が呟いた。

 

「たくさん、死んだな」

 

 何人死んだ。何体死んだ。

 どれだけ罪を重ねればいい。

 

「ええ。まだ止まらないわ」

「これからも……死ぬんだな」

「それが魔物の本望でしょう」

 

 理由にはならない。魔物の戦好きなど理由には。

 

「思い返せば、お前の方がよっぽど魔王らしいか。これだけ戦争を加速できるなら」

 

 伝令兵が自由転移魔法を用いて飛んでくる。渡された報告書に目を通す。

 人も魔物も数万以上の死傷者数を上げているらしかった。戦場では個人の命は尊重されず、ただ積み上げられる『数』にしかならない。その事実が、ひたすらに重い。

 魔物の領地は大幅に減少した。そのほとんどを、神の支援を受けた人類の侵攻によって失っていた。同じように、人も、多数の犠牲者を出している。その多くは自由転移魔法を用いた電撃的な奇襲によるものだ。

 今や戦場は最前線のみで行われるものではなくなった。自由転移魔法は戦場から前線という概念を消し去っている。狙いたい所を的確に狙える魔法だ。殺したい指揮官だけを殺せる魔法だ。人の命令系統を破壊するのは容易で、しかしその上を行く情報支援が人類にはあった。

 神の目。

 と魔物(われわれ)は呼んでいる。

 人は惑星軌道上に座す神……フニ・フラ・フリペチーノによる圧倒的な情報支援と、それによる情報戦という神の目を得た。

 しかし魔物とて、未だ人類が確立していない自由転移魔法という革命的技術を成し遂げた。

 どちらも既存文明の枠からは外れつつある。

 だからこそ、今手元にある報告書に記された死者数は膨大で、これまでの戦争の比ではない。

 王座の隣に立つ『元魔王』、鬱屈した黒の長髪に病的な痩身の女――キサナドがぴくりと片眉を器用に持ちあげた。

 

「……悔いはないのか。今や貴様はこれだけの人間を殺した魔王その人だ。だから、同胞に殺されようとしている。我々と自殺する必要などないはずだ」

「無意味な死に方をするつもりはないわ」

 

 報告書を『元魔王』に押し付けて、肘掛けに頬杖をする。体を預けるその重い仕草も幾分か様になっただろうか。誰かを殺して生まれる重圧など何の価値があるのかも分からないが。

 

「わからない? 私には今や金鉱よりも何よりも重い価値があるのよ。たった一度しか使えない切り札は、もっと有益な事に使うつもり」

「…………」

 

 言い切って、横のキサナドが軽蔑しきった眼差しをする事実。戦狂いのその王にすら否定されるのは、マーニャが定めた『死に方』だろう。

 死は命に与えられた唯一有限の武器だ。死に方ひとつ正しければ、誰にだって無限の価値を生み出せる。元勇者で現魔王の自分ならば尚更に。

 ……昔、第一王子“忌み子”グロリアスが自身の死すら利用している事実に怖気立った。今、まったく同じ境地に立つ自分の心が鋼鉄になっている事を実感する。

 立場がそうさせたのか。それとも立場などなくともこうなっていたのか。落ちぶれた今では分からない。少なくとも学生の頃のように、無敵の自分はもう居ない。

 

「ねえキサナド。あなたはどうして魔王になったの?」

「そうなるべくして生まれたからだ」

 

 大して迷う素振りも見せないでキサナドはそう言った。

 

「私は全魔物の混血。混ざりすぎた血の因果が私にそうあれと囁き続けた」

 

 キサナドはまたの名をパンネクウネと呼ぶ。未来を見通す力を持った魔女としての名だ。

 二重人格の彼女は、パンネクウネの言い分をそのままに受け止めるなら『異世界からやってきた』……らしい。

 

「“私”が確固たる自我を知覚したのは、10年前だ」

 

 唐突にキサナドはそんなことを言った。

 見た目からしてマーニャと同い年くらいのはずの女は、自嘲気味に笑っている。

 

「そうまじまじと見るな」

「でも……。どういう意味?」

「確かに私の肉体はお前と同程度の年月を経ているだろうよ。ただ、心だ。精神は10歳児となんら変わらない。少なくとも“私”、キサナドという人格は10年の時間しか知らん。……だがそれでも理解していた。囁き続けた」

 

 “ここ”がな。

 キサナドは自身のこめかみをコツコツと叩く。頭蓋骨の奥に収まる脳の更に奥、魂を見せつけるように。

 

「だから先代魔王をこの手で殺した。……貴様と出会ったあの夏の、直後にだ」

 

 魔物達の社会性は弱肉強食、その一言に尽きる。つまりは魔物達の中で最も強い者が最も王に相応しいというルールだ。先代魔王を殺したと言うのなら、誰も反発しなかったのだろう。

 それでもマーニャには分からない。理解しようのない現実が、笑顔を浮かべている。

 

「殺しで悩む貴様にはわかるまい。魔物に命のありがたみなど無いよ」

「悩んでなんか……いえ、そうね、嘘ね」

 

 とっさに否定しかけて、首を深く横に振る。

 マーニャは自分の死を利用することは出来ても、他人の命を易々と捨てられるほど冷酷でもなかった。彼女は他者に対して中途半端だ。

 

「来るところまで来てしまった。もう後戻りも出来ない。それでもこの手で命を潰すことには慣れそうにない」

 

 マーニャは神ではない。

 フニのようにはなれない。キサナドのようにも。

 

「……改めて問うが、人も、魔物も、変われると本気で思うのか」

「変えさせられるのよ」

 

 ――誰に?

 

「私に」

 

 誰かの生き死にを左右することは苦痛だ。

 愛する者との時間を得られない現在は、願った世界というわけでもない。

 いつだって未来は勝ち取れずにいる。

 マーニャはそれでも確信していた。

 自分こそ、世界を、変えられる。

 ――フーっ、という溜め込んだものを吐き出すため息が聞こえた。キサナドの発したものだった。

 

「……やはり理解できそうにない」

 

 痩せた女の顔に浮かぶのは、冷えた諦観だけ。秀麗な顔立ちが透き通った言葉をつむぐ。

 

「そこまでして相互理解を求める貴様の心は、私には遠い」

「そう、残念」

 

 玉座の間に音はない。吐息一つ溶けてしまいそうなほどの静寂の中で、キサナドはマーニャに背を向けた。

 

「行くのね」

「ああ。今生の別れかもしれんな」

 

 理解できない者との会話を望むのがマーニャだ。そして、理解など求めず気質が違うからと離れていくのがキサナドだった。

 魔物の中でも特異な戦力であった元魔王が、最終決戦の只中に戦争から降りる。

 その事実がどれだけ悲惨な末路を辿らせるのかなど想像に難くない。しかしマーニャは、彼女が必ず戻ってくると予期していた。

 

「ねえ、なら、ひとつだけお願いを聞いてくれる?」

「なんだ」

 

 手を振りキサナドを呼び寄せるマーニャ。怪訝に眉をひそめつつ元魔王は素直に玉座に座る彼女へと近寄る。こういう時、素直に応じてくれるところを可愛いなとマーニャは思う。

 ――そっと、彼女の頬に触れた。

 病的に白く、血管の薄ら青さすら透けるほどの頬に。

 薄氷じみた雰囲気の肉体は、しかし血の通った柔らかさに満ちていると知っている。2年ほど前に味わったことのある柔さだからだ。

 

「ありがとう。あなたが初めて出会った魔物で、よかった」

 

 キサナドと出会えたことが、魔物への興味の始まりだったように思う。

 

「やっぱり暖かいわ」

「……私には理解できん」

 

 そうして。

 最後までキサナドは陰鬱な顔を変えずに姿を消した。

 今頃、自由転移魔法で戦争の最前線にでもいるのかもしれない。……それは楽観的すぎるか。

 

「独り、か……」

 

 そう呟くと、嫌なくらい声は響く気がした。

 玉座の間は広い。マーニャだけでは持て余すほどに。誰もいない空間では余計に孤独が深まる気がした。

 考える。

 戦争は終局が近い。前線は押し上げられ、首都の目と鼻の先で戦争が起きている。こうして耳をそばだてれば魔法の炸裂する音が遠くから小さく聞こえるのだから。

 

「もうすぐよ。もうすぐで……」

 

 焦燥感に似た緊張が動悸となって心臓を強く打つ。大丈夫だと、根拠のない確信が空虚に心を騒がせるのだ。きっと世界は正しい方向に向かっているはずなのだと。自分が、そうさせているのだと。

 願いは果たして祈りに繋がるだろうか。

 そして――――マーニャを殺すためだけに、扉は開く。ぞろぞろと入ってくる人間たち。その中に居た父の顔を見て、マーニャは言った。

 

「久しぶり」

「ああ。久しぶり」

 

 親子としての言葉は、それ以上は不要だ。

 その場に居る魔装化歩兵の誰もが一斉に魔法を展開した。

 マーニャは死を覚悟しなかった。まだ、この時ではないと確信していた。――そして彼女の予測通り、魔物は玉座の間へと集う。

 アスモがいた。ヘイズバイスがいた。二人は傷だらけで、苦痛に塗れていた。

 

「……あなたたち、ぼろぼろじゃない」

「私達のことはとにかく!」

 

 蝙蝠羽の片方を焼失したアスモが叫んだ。息を吹きかけるだけで搔き消えそうなほど薄くなったヘイズバイスが続く。

 

『気をつけな! こいつら、並びやがった!』

「――人とて魔物と同じ、考える脳がある」

 

 言葉は、アマルツィアから。

 全員の視線が男へと向く。そしてマーニャは気づいた。アスモが彼へと向ける視線に明確な恐れがあることを。

 

「まさかそれが分からない俺の娘ではないはずだ」

 

 アマルツィアは口をつむぐ。彼の代わりに言葉を発したのは、また別の男だった。

 瞬きと瞬きの間。

 秒ほどもない一瞬の明暗で、男、アリ・アル・フリペチーノはそこにいた。

 

 

 

 

 

「人類による自由転移魔法の実用化が完了したよ」

 

 

 

 

 

 直後。

 現れる老人がいた。淡い色素の瞳をした女がいた。男か女かわからない兵士たちがいた。

 全員が、瞬間的な転移を可能としていた。

 

「さあ。決戦だ」

 

 圧倒的不利な状況。

 すべての敵が自分の命を狙う空間。息をするのも許されてはいない。

 それでも。

 ああ――やっと――――。

 

 

 

 ようやくここまできた。

 

 

 

 マーニャは、ほの暗く笑った。

 

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