人々は、当たり前の固定観念があったことを忘れていた。
魔物は、いかに戦闘狂といえど生命という括りから抜けだしていなかった。
――誰が、神の命は一つだと決めたのだろう。
自由転移魔法を用いて宇宙から移動してきた、その少女は世界中の静寂を放って感嘆の声音を漏らした。
「時間跳躍の一撃とは想像できませんでした」
――かつて、フニ・フラ・フリペチーノという人間の少女は考えたことがある。
「なるほど、所詮わたしも一個の生命。自身の想像性の限界点を越えられると、対応できない場合もあるということですね。意図的に機能を封印するのも程々にすべきということでしょうか」
最強とは何か。
絶対に発動できる魔法? どこへでも届く攻撃? どこへでも転移可能な魔法? 光の速度で共有可能な情報? ――否。その程度の力では最愛の人ひとり守れないはずだ。
だから、少女は考えた。人間の思考を逸脱する必要があった。
生命倫理を破壊し。
善も悪も通り越し。
それでも尚届かぬ究極とは。最強とは。絶対とは。
“神”とは……!!!!
「いつからだ……!」
恐怖の声を上げたのは、孫娘の亡骸を抱きかかえる初老の男、ケド。
いつもの好々爺然とした軽妙さはそこに無く、ただただ人類最強の一撃を発動したにも関わらず悠々とそこに居る、2番目のフニ・フラ・フリペチーノへと恐怖の形相を向けていた。
「わたしの素敵な人が、あるべき未来を諦めた時から」
世界全てを蔑む暗い眼差しだった。自分自身を何よりも卑下する空虚な瞳だった。
「いつから、そんなにも命であることを辞めてしまった!!!!」
「わたしが予備の肉体を用意していたことがそんなにも疑問ですか。ですが、これが生命の行き着く究極進化系ですよ」
少女はその背に十の円陣を生成する。正十角形に座す円陣の内にて、五重の円陣が生み出された。――神の脳は瞬間的に再構築を終える。
「わたしは魂の実在証明を終え、死後世界の観測を終了しました。
魂の回収魔法も作りました。
残り125体の『わたし』を砕かない限り、わたしに終わりはありません」
不老不死の神は、1250の円陣を生成し、円形に並ぶ陣の内にて、625重の積層円陣を背に広げた。
神々しき多重魔法陣展開。まるで、翼の如く。
ヘイズバイスは学者として少女の行いを理解する。だが、その事実を口にするためには、どうしても声が震えてしまった。自由転移魔法を開発した天才といえど『恐怖』以外の感情を持てない領域が、目前にあった。
「同一個体の……複製体による、並列処理――――」
それはゴルを光速に至らせるため、世界中の魔装化歩兵が成した技術だ。ヘイズバイスとアリの処理能力を高めるために全生命が行った事だ。
フニはそれを、『125体のフニ・フラ・フリペチーノ』で行っていた。
「これこそが超々極大魔法にして終焉の力。神625柱の全演算能力を元に振るわれる神域の果てです」
本来視覚不可能な魔力を、全ての命が認識できるほどの濃度とは……どれほどの量なのか。
銀河を幾つ生み出せるかも分からない魔力量。
宇宙創成の炎を生み出すより遥かに重き魔法が、花開く――。
「【
発動の瞬間、世界中で起動している魔法が機能を停止した。
更にフニを除く全生命体は魔力の一切を感知出来なくなり。
――よってこの日、叡智たる魔法は消滅した。
「魔法消滅魔法だと……!」
「本質を見誤らないでください。これは概念改変魔法ですよ」
「魔力の性質を変化させたとでも言うのか……!? たった一人の人間が!」
「それも少し違います」
一切の魔法使用が封じられた状況でも、フニの背負う625の魔法脳は回転を続けている。そしてフニは、自身が展開した全世界同時配信の魔法を維持しながら、全ての命に対しこう言った。
「魔力という物質はもうこの宇宙のどこにも存在しません。あるのは、法則性が不規則に書き換わり続ける不安定な新物質です」
『魔力』という安定した法則性の物質しか知らない者に、不規則な新物質環境下で魔法を発動できる理由はない――突き詰めれば、フニが成した概念改変魔法とは至極単純な効果を求めて発動されたものだ。
当然ながらフニですら魔力ではない物質を振るい、魔法と同じ奇跡を生み出すことを単体で成せるわけではない。彼女には神と呼ぶにふさわしいだけの演算機構を625体も擁立していた。僅か4体で世界の終焉までを見通す神の脳の並列処理こそが、不規則性新物質環境であろうと、変わらず魔法を使用可能にしていた。
「一つ聞いていいか」
長い、長い沈黙が世界中を占めていた。全ての者がマーニャと同じく無能であり、無力だった。そのとてつもない虚無の静寂を破った者が一人。
アリ・アル・フリペチーノ――フニの父親だった。
「全人類、全魔物が魔法を使用できなくなったと言ったな。まあ事実その通りなんだが。だったらだ、この首都とて同じだと思うが、基幹インフラを担う魔法全ての維持は、フニ、お前一人が行っているのか?」
生活の全てを魔法に頼る魔法文明において、生活を支える基盤となる魔法があった。それが一瞬にして失われれば世界規模でのパニックが起こるのは必然だった。だが、人類統合軍の司令部はそのような状況を報告してこないし、現に世界中は重い沈黙に包まれている。
思い当たる理由など目の前にしか居ない。人も、魔物も、ただ圧倒的な畏怖を持って少女を見上げた。神を見定めた。
「それがどうしたの? お父さん」
「フ……ずいぶん遠いところまで行ったじゃないか」
神は世界の秩序を一瞬にして塗り替えた。
それでも古き秩序の維持を自ら行っていた。現生生命体総数100億にもおよぶ、この星全ての生活基盤となる魔法の全てを、片手間に。
「――真の神だな」
アリは笑う。自身の娘が遥か境地に達したことを、喜ぶ父親の顔だった。
「これが生命の進化した姿か。魔力に代わる新物質すら創造し、そして既存文明全てを食らうまさしく《神》」
「……アリ?」
疑問の声は、アリの隣にいる男から。彼――アマルツィアは未だに無言を貫くマーニャへの視線を、旧知の男へと向ける。
「神が、全ての魔法を不要と言う。神の使役者が、破滅か対話か、と叫んでいる」
アリのその言葉はフニやマーニャへ向けてのものではなかった。この場にいる誰へでもなく、男は、全世界に向けて問うていた。
「――変革の時は今ここからなんじゃないのか」
それは人と魔物が、たった二人しかいない第三勢力に対して敗北したことを意味する、提言だった。しかし神への抗いが無謀に終わった虚脱感から来るものではなく、この先にある繁栄を、黄金時代を喜ぶ希望に満ちた言葉だった。
故に。
「終末魔法を遂に作るまで至ったか」
魔王城、その玉座の間へと、かつての主は舞い戻る。
病的に痩せた躰。うすらと血管の青さすら透ける生白い肌。そして闇のように濃い黒の長髪。
『元魔王』キサナドが、自由転移魔法を用いて出現した。その姿を見、まっさきに反応を返したのはフニだった。
「終末魔法?」
「その世界を完全に破壊する、ある種究極の魔法をそう呼ぶ」
言いつつ、キサナドはゆっくりと歩む。その足取りには周囲の者に“歪み”を錯覚させるだけの重みがあった。
「人も、魔物も、戦う事を辞めればその先には死しか無い。私はそう確信している」
自然、その場の魔物は一歩退く。人間とて同じように道を開けた。
神とその使役者であるマーニャへと、キサナドはそうして一直線に相対する。
「私が殺そうか」
彼女は表情を微塵も変えることなく、ただ魔法を使えない状態であるにもかかわらず一切の戦意を失う事無く、続けた。
「【消えろ】」
瞬間。その場から人と魔物が姿を消した。フニとマーニャ、キサナドを除いた全員がキサナドの言葉に従い自由転移魔法を使用したのだ。
栗毛の少女が眉を小さくひそめる。
「新物質環境下であろうと、魔力命令を使用可能とは恐れ入ります。それも他者に魔法発動を強制させる命令などとは」
「賢しらに。空想の神如きが饒舌になるなよ」
圧倒的な力を持ったフニを相手にしても、その不遜の態度は崩れない。キサナドはどういう手段を用いているのか、周囲に大量の魔法陣を展開しだした。
フニはキサナドの行おうとしている事を把握する。
「……自由転移魔法と殺傷性魔法の超多量同時展開。数にして100億近く。発動まで5分もないです、お姉さま」
「人と魔物のみを殺すつもりなのね」
キサナドの真意をマーニャは推し量った。しかし答えは推測の域を出ないものばかりだった。
女は、ただじっと魔法発動を待っている。キサナドを殺そうと魔法発動の兆候を見せたフニを手で遮り、マーニャは壇上から静かに尋ねた。
「なぜ? あなたにこの世界を壊す理由はないはずよ」
「私を断定するな。だが、そうだな。しいて言うなら……世界が良くない方向へ進んでいくのを止められそうにないからか」
「良くない方向?」
「戦争のない世界さ」
「まるで未来が見えているかのようなことを言うのね」
「未来予知など誰だって可能だ。森羅万象すべてを把握できたなら、自ずと世界の先が見通せる」
「それはパンネクウネの権能だと思っていたけど」
キサナドはその身にもう一つの人格を有する。パンネクウネと自らを呼称したその人格は、未来を見通す異能を持ち、気に食わない未来を潰すために魔法を振るう“魔女”だ。
そんな未来予知の能力を、まるで持っているかのようにキサナドは話す。マーニャは、キサナドが未来予知能力を持っているとは聞いていないし、それはあり得ないと考えていた。
いや、そもそもだ。
――この女の人格は、本当に二つ
「あなたは、誰?」
「キサナドだ。そしてパンネクウネさ」
歪んだ答えを、女は笑って紡いだ。その笑みは嘲笑でもあり、自嘲にも取れる狂ったものだった。
「二重人格者と私を予想したな。だが違うとしたら? そもそもパンネクウネなどという女も、キサナドなんて陰鬱な女も、いないとしたら?」
全ての前提を、証拠などない不確かさだけが成立させていた。そうとも。二重人格を立証する証拠など無い。
パンネクウネという人格のように振舞う女がいたとしたら。
キサナドという人格のように振舞う女がいたとしたら。
――そこに何ら意味のない、気違いの狂言があるだけだとしたら。
「………………すべて“私”の妄想だとしたら」
つまりマーニャの予測が的中したこととなる。
かの女は、全魔族の究極混血たる彼女は、近親相姦の果てにある遺伝子障害者ではないのか――。
「二次元の宇宙を知っているか。一次元の宇宙もだ。私にはある。その世界で生きた記憶が脳にへばりついて離れない。確かにここにいるはずの私は、それでも私の故郷が8つもあると確信している。
魔物とは、それぞれこの世界とは違う別世界から漂流してきた異世界の人間八つを総称したものだ。純血八代氏族という呼称はそこから来ている」
「だけどそれを証明する手段はなにもない」
「ああ。その通りだ。
妄言の域を出ない狂気だった。たった一人の女が孕んだ妄想は、しかし、彼女が新物質環境下であろうと魔法を振るえる異常さが備わり、異様な重みを連れていた。
彼女は問う。全世界同時配信を通じて、人へも、魔物へも、自分が何者であるかを。答えの出ない問いを投げかける。
「なあ。私は何なんだ? どうしてこうもイカれた魂をしているのだろう」
「それでもたった一つだけ確かなのは、貴女が自身を魔物だと認識している、それだけよ」
「……そうとも。私は、私を魔物であると断定している」
既に無数の自由転移魔法が、殺傷性魔法が、世界各地の人と魔物へと照準を合わせていた。残り数分で、赤子も老人も等しく命を屠られるという現実を、誰もが固唾をのんで耐えていた。
「――貴様が世界を本気で変えられると思うなら」
月の落下を防ぐために協力していた人と魔物が、その作業を止め、静かに立ち尽くす。異種の隣人を受け入れる静寂は、たった一人でも恐慌に陥ればそれだけで世界規模でおびただしい数の災厄は産まれる。
だが、そうならない事にも理由はあった。
こうして全世界同時配信を通じて全生命が見つめる先で、誰もが無能で無力な存在になるより遥か前から魔法を使えなかった女が、一切怯えていないからだ。
「――私のような狂人は殺せ」
誰かが小さく漏らした。そんな気違いは神様使って殺しちまえ、と。
誰かが小さな疑問を思った。なぜ、隣の神に攻撃を止めさせたのだろう、と。
誰かが小さな確信をもって呟いた。彼女は
「――恐らくここが分岐点」
強制的に弾き飛ばされた精鋭たちの中で、アマルツィアが本当に小さく微かな笑みに口角を上げていた。
自身の娘が、対話を求める勇者であると自らを定めたその宣言を確かに果たしている。その事実を誇らしく思っていた。
マーニャは、キサナドという狂人にすら対話と理解を求めている。
「――恐らくここが、我々の絶頂期」
今、女勇者は、魔王との戦争の最前線に居た。自身を守護する神に抹殺を命じれば終わる戦争を、それでも対話で終わらせるつもりでいるのだ。
無力な女は全てにまつわる絶望を、何一つ諦めていない。
その事実が人と魔物に最低限の理性を与えた。少なくとも今この時だけは、彼女の存在が世界を救っていると言えた。
「これから先、私たちの文明は衰える一方なのでしょう。極限に至った我々にはもはや下り坂しか残されていない。それでも、愚かな争いに身を任せなければならないのですか」
「それが我々魔物の在り方だ。獣なのだよ、ヒトとは違う」
「だけどあなたは子を産んだ。それは闘争ではないでしょう?」
「愚かだな。戦力のため次代を育むことを愛と言うか。その不完全理解こそが魔物を苛む、人の血潮を騒がせる」
人と魔物は相容れない存在だ。事実数百年と続いた戦争がそれを物語る。同じ言葉を使っているのに。非常に似通った形をしているのに。それでも戦争は止まらなかった。殺し合う事でしか通じ合えなかった。
変われるだろうかと問われれば、恐らく誰もが首を横に振るだろう。――たった一人、マーニャを除いて。
「聞けよ人類。魔物が言う愛とは強さへの投資だ」
「それでも“愛”と同じ呼称を名付けたわ。私はそこに可能性を感じる」
「キサナドとは、魔物という存在そのもの。私という個に巣食う“魔物”という種の総体。そうとも、私は魔物だ。お前とは違う……」
狂人は狂人らしくマーニャの言葉を無視した。額を強く抑えた女は呻き声を上げ、苦しげに身をよじる。マーニャは憐憫も同情も浮かべず、ひたすらに真摯な眼差しのまま尋ねた。
「あなたは今、どちら?」
「わからない」
首を横に振る女は、病魔に侵されたように痛々しく囁いた。
「そもそもパンネクウネなんてものは存在しないのかもしれない。ひょっとすると、パンネクウネは妄執かもな。いいや……キサナドがそうなのかもしれない。私は自身が誰かを知らない。誰でもない、個ですらない、単身で総体を示す異常だ」
「それでも私の目に、貴女は貴女として映るわ」
「“かたち”だけがすべてではなかったさ。私の持つ魂は幾つにも分裂していて、そのどれもが私の妄想かもしれなかった。わかるか人間。これが、相互理解の究極系だ」
マーニャでさえもキサナドもしくはパンネクウネと呼ばれていた女の思想を、決して理解はできない。心という領域を犯せるだけの極致に立つ者は神しかいなかった。
慮る事でしか触れ合えない脆弱さを笑うように、キサナドは暗い笑みを浮かべる。
「行き過ぎた混血の果てにあるのは破滅のみだよ。貴様ら人間は、あえてその混沌に陥るつもりか?」
マーニャはほんの数秒だけ、その問いに黙り込んだ。瞼を下ろしじっと考え込んだ彼女は、小さく息を吸う。
「
その一言に、女は目を瞠った。遺伝子障害者の増加という地獄が待ち構えている未来を、『それでも』と前に突き進もうとする、その異常さこそを恐れた。
「それでも私は、変われると確信している」
「……ああ。やはり相容れん。相容れんなあ」
女はなおも暗い陰りで口元を歪めた。歪な笑みは、理解できない存在への拒絶が込められていた。
「――私の生が」
女が片腕を水平に上げる。
「――私の在り方が」
その掌に無数の光が集いゆく。フニが警戒の姿勢を取る。
「――我が混血こそが魔物の本懐」
光はそれぞれ周期運動を演じ、同時に過熱を帯びる。
「ハンナストリチウム・ヒュッケンオゥガ・ユークスタシア・ドラゲリウヌ・サジタリオ・メフィス・ザネクラア・ネフティス=
「……! これは、まるで、わたしと同格の演算能力―――」
その炎が女の掌以上に膨れ上がることはなかった。
凄絶な輝きで世界を白く埋め尽くすことも。
熱量を持ってすべてに絶望を、隔絶した技術を実感させることさえ。
音は無く。
秋も、夏も、冬も、春も殺せぬ終わりかけの灯火。
しかし、とある個人を殺すためだけに生まれた概念の魔法である。
「【
キサナドが生み出した炎は、ただひたすらに、異次元かつ異様な、魔法構築理論だった。
「この熱が、線状構築宇宙で生まれた終末魔法だとしたら――宇宙を簡単に破壊できるだけの威力を秘めているとしたら、どうする? それだけの威力をただ、お前を殺すという概念に変換したとしたら? 私がそれだけお前を拒絶しているとしたら?」
「――――」
――果たしてキサナドとは、近親相姦の果てにある、ただの気狂いなのか。それとも異世界人なのか。
答えなど出しようもない疑問を口にして、キサナドは寂しげな顔をした。それは世界にたった一人で生きねばならない孤独のようなものが滲み出る、疲れた女の顔だった。
炎がキサナドの手から射出され。
そして、真っすぐにマーニャへと向かった。神たるフニは知覚すら許されなかった。ただ、マーニャを守るために常に展開される魔法障壁だけが反応した。
超硬層魔法障壁第一層に直撃、浸潤。
――突破。
超硬層魔法障壁第二層から第五六七層を浸潤。
――突貫。
超硬層魔法障壁第五六八層から最終五千二百十層を溶解。
――貫通。
そうして魔法が女の心臓を射抜く直前、緊急魔法防壁が作動、魔法は自由転移魔法により軌道を飛ばされ、しかし肉を断つ音はひとつ。
――ばしゃりと、鳴ったのは女の右腕から。
溢れ出る血潮と激痛にマーニャは思わず左手で右肩の断面を抑えた。灼熱じみた痛苦に口が歪む。理性が焼き切れそうになる。
魂が砕け散るよりも先に、膨れ上がる殺意を肌で感じた。剥き出しの細胞断面が魔力を捉えた。マーニャは吼える。
「フニ!」
「――そんな! でも、だって! この出血量じゃ……!」
フニには、マーニャの言いたい事が全てわかっていた。だから己の名を叫ばれるだけで理解して、そこで引き下がるべきだとも理解して――それでもだ。それでもフニは、マーニャを救う事をマーニャ自身に許してほしかった。許可さえあれば、マーニャを完璧な状態にできるのに!
「いやです! 嫌です嫌です嫌です嫌です! お姉さまが死ぬのなんて嫌! そんな世界は嫌! わたしは、お姉さまがいれば、それでいい――!」
「ねえ、フニ……」
血はおびただしく流れ続ける。命が損なわれ続ける感覚は薄ら寒い。
「私を信じてくれる……?」
「……!」
言葉は震えた。青い顔だった。けれどフニに見せる笑顔はやはりいつも変わらない。少女を見るだけでマーニャは幸せな気持ちになれるのだから。
フニは1秒とて悩まなかった。最後までフニという少女は本当によく出来た女の子だった。
「ええ。お姉さまはわたしの光です」
ありがとう。だから、もう振り返る必要は無い。臆病で、人見知りだった少女は成長したのだ。
きっと、もう……フニは一人でも大丈夫。
「……ねえ、聞いて、パンネクウネ」
マーニャは確かに前を向いた。いびつな痙攣を起こす全身を引きずるようにして、玉座から一歩一歩降りて行った。一段一段踏みしめるようにして、魔物の権化たる女へと。
一歩。
この一歩だ。
たったこれだけの距離を詰めるのに、人と魔物は数百年の時を要した。
「私、魔法が使えないのよ。私は歩くことでしか進めない。どこへも跳べない、どこにも行けない。私一人が置いていかれる世界がもう目前にあるの」
「安心するがいい。外宇宙へなど行かせない。この星で憎しみ合いながら滅びるまで戦えばいい」
「いいえ、無理よ。生きるという事は、常に好奇心を維持するという事だから。私がそうだったもの」
森の先に何が広がっているのかを知りたかった。読んだことのない本にどんな知恵があり、どんな歴史が載っているのかを求めた。そのために切り捨てた家族があった。
「ええ。私は、いつだってここではない何処かを求めた。どこでもない遠くを求めたの。だから旅をした。私を憎む人がいた。私と縁を切った人がいた。私が嫌いになった人もいた。あの子を不幸にする人はたくさんいた」
マーニャは自分が無能であると知っている。魔法が使えないと言う事実がどれだけ無能さを示しているかなど言葉にするまでもない。
何もできない赤子を、殺すことなく受け入れた両親がいたのだ。愛されたという事実は十分すぎるくらい、寒くなった体を動かす力になった。
「得られたものは、今、背後にいてくれる」
それでも分かる。
もう命は幾ばくも無いのだろう、と。
失血量が多すぎるのだ。きっと後ろのフニに願えばすぐに解決する問題も、一人では何ら解決できない。それが自分だった。
けれど今だけは、せめて立ち続けていたい。
「私に守る力なんてなかったの」
「ならば去ね。そのまま死ね」
「ふふ。冷たいのね……」
ああ神様。
――神などいない。
どうか私にもう少しだけ生き永らえる力を。
――他人頼みで叶う願いなどない。
求めるのなら、願うなら、自分で掴み取る意思を持たなければいけない。心さえ折れなければ、望む世界へ行けると信じている。
――そうとも。確信している。
だから、成せると知っている。
「でもね……決して未来を諦めてはいけない」
瞬間、マーニャの意識が断然した。
彼女の膝がぐらりと力を無くし、フニが悲鳴を上げた声はまるで地の果てのように遠く。
伸びていく。時間が、感覚が。
それは命がこと切れる寸前の、刹那より速い時と時の間でのこと。
――
◇
それは恐らく走馬燈と呼ばれるものだった。
腕を切り落とされた瞬間。フニと共に人も魔物も裏切った瞬間。フニが神に成った瞬間。魔王領へ潜入した瞬間。アスモに誘拐された瞬間。勇者になった瞬間。西の果てにたどり着いた瞬間。学園で、紡いだ記憶の全て。
出会いは桜の花が咲く春の季節。
窓の格子に腰を下ろし、逆光で暗くなった入り口の扉に立った少女。――幼い自分が馬車に揺られて静かに泣いた夜。実家で父に学園へ行くことを反対された日。何度も何度も周囲と衝突して。他人からの嘲笑があって。それより昔の出来事は、自分では覚えていない事ばかりで。
長女と次女が揺り籠で眠る赤子の私を見つめていたこと。「お姉さんになるのよ」と笑う幼い長女に、幼い次女が「うん!」と嬉しそうに頷いたこと。そこに、父と母がいて、私を通して幸せというものがあった。
次の光景に息を呑む。
その街はあちこちから無数の魔法が吹き上がり、多数の怪我人が出ていた。基幹インフラを担う魔法の大暴走――聞いたことがある景色の中心に、若い男女がいる。父と母だった。
アイラ……私の母には腹部がなかった。随分若い姿の彼女は背骨すら見えるほどの重傷を負っていて、その傍に、写真でしか見たことがない叔父がいた。更に言うなら、アイラを抱きかかえていたのは、とめどなく流れる涙を拭う事も忘れている、父アマルツィアだった。
父はかろうじて意識を残す母に囁いた。
「俺が背負うよ」、と。
母が失血の末に蒼を通り越して白くなった顔を微笑みに変えた。
「怖いことなど何もないから、マリアジュエという名は、きっとかたちになるのよ」とそう言える彼女は泣いていた。
3人目の子供を抉り失った苦痛を想像することなど、私にはできない。
母の言葉がどれだけ父の胸を貫いたのだろう。
子への罰は親からの罪。
この日から、父は、死に場所を見つけたのかもしれない。
父、アマルツィアの振るう魔力は暖かい血の色。
母、アイラの使う魔力は鮮やかな森の色。
そして、血と森が混ざり合って、
マーニャになるはずだった受精卵は失われた。
代わりに『私』が作られた。
父と母の遺伝子を持たない『私』。
究極的にはマーニャではない『私』。
愛されるに足る資格はない『私』。
『私は』という言葉を悪い口癖だと父は詰った。その通りだろう。主張がなければ、どこにも存在を許されていない気がしていたのだ。
けれども愛してくれた人たちがいた。愛情こそが祈りであり、願いに“かたち”を与えられた。
だから、愛されたのなら、望もう。求めよう。
もう、自分が何であるかは
◇
――――その時。奇妙な現象はひとつ。
崩れ落ちかけた女勇者の体が、次の瞬間には持ち直していたのだ。力を失った方とは別の足が強引に次の一歩を続け、体を支えていた。
彼女は青い顔を上げる。苦渋に満ちた表情をキサナドへと向けるありありとした生そのもの。
「……お姉さま?」
フニは涙を流しながら首を傾げる。確かに死んだと思われたマーニャが、なぜか生きている事実に。
けれどもマーニャは取り合わなかった。ただ、その命は、キサナドにだけ真っ直ぐぶつけられていた。
「私は……もうとっくの昔に確信していたの」
床面一帯を汚す量の血液が、宙へと浮き出した。ふわりと浮かび上がる血の滴たちはゆっくりと動いていく――所有者であるマーニャへと。
それは、まるで、現象の逆転。
「超えられる。私とあなたは――絶対に理解し合えるのよ」
血が。
肉が。
骨が。
痛みが。
全てが逆転する。巻き戻っていく、再生する!
驚異的な現象は彼女の欠損部位を取り戻すだけに留まらない。戦争で破壊された建築物が、全ての生命その身に負った傷の一切が、修正されていくのだ。
そしてそれだけではない。
「……………………冗談だろ」
心臓を破壊された狼女が、戦場のただ中で目を覚ました。全身を貫いた魔法剣による裂傷は跡形もなく消えていた。
「私は、死んだはずだ」
自ら発動した究極魔法の代償に脳幹と心臓を破壊した女が、呻いた。祖父の腕に抱かれながら呼吸をしていた。その奇跡を老人は泣きながら笑ってただ喜んだ。
――――死者が、蘇っていた。
「……絶えず不規則に変化する新物質、法則性です」
フニは遠方にいるウルと“魔法殺し”の復活を知覚し、そして眼前の光景に、呆然としたまま事実を口にした。そうしなければ冷静でいられる自信がなかった。
「わたしでさえ完全なパターン構築をするのではなく、現時点の状態から次時点への状態へ移行する法則性を完全に予測しているにすぎません。
「魔法を使えなかった女が、逆に今ならば魔法らしき力を使えるだと……」
魔力という、この宇宙において安定した法則性を持つ物質があったとして。それを扱うことに長けた知的生命体がいたとしてだ。
では――仮に。
別の宇宙の、別の法則性に支えられた物質を、扱うことに長けた知的生命がいたとしたら。
マーニャが振るった力が魔法ではないとしたら。それが、別世界の異質な力だとしたら。
つまり、マーニャという『魔力と魔力を混ぜ合わせて作られた』『《この世界》の人間』という認識は大いに間違っていることになる。
魂の実在証明――成したのは神だ。
「だとしても……! 私の妄想を証明するには至らない!!」
そうして。
マーニャは自身が何者であるのかを理解する。
「相容れない。混じり合えるものか!!!!」
「だとしても。それでも言うわ」
運命を、神と呼んだ。
寓意への“求め”を祈りと呼び、自分では理解しきれない超自然的現象を神の力と呼んだ。
――出来ると思った事は何でもやれる。そう確信している。
マーニャという別世界の人間が確信したから、魔力ではない新物質が“思い”によって“かたち”を与えられ、魔法らしき力が働いていたとしたならば。
彼女は。
マリアジュエ・イーニァは。
「世界が違っても言葉が通じる。
性質は違うでしょう。
だからと、私は触れ合う事を辞めるつもりもない」
真なる“存在しないはずの神”は、ひっそりと微笑んだ。
「愛せるわ。私は私以外全ての生命が異種族だったとしても。いいえ。異種同士だからこそ、愛し合う先に相互理解の未来はあると確信できる」
彼女の腕は、再生する。
予定調和のように。
否、予定調和として。
「私という異世界人が、あなたが異世界人であると立証している『かもしれない』――そうは考えられない? その可能性を捨ててまで、すべてを殺してしまうの?」
「……!」
それは恐らく、キサナドが求めた救いそのものだったはずだ。キサナドの妄言が妄言たる最大の理由とはつまり、彼女以外に異世界人だと思しき存在がいなかった事だろう。
だが今、ここにマーニャという異世界人『かもしれない』女がいた。新物質環境下であろうとキサナドと同じように魔法を振るう、未知の存在が。
その事実にキサナドはもはや魔法の維持すら忘れて立ち尽くすのみだった。世界中に張り巡らされた自由転移魔法と殺傷性魔法は掻き消え、一人、孤独の女は茫然とマーニャを見つめる。
「……貴様の進むその先は地獄だぞ」
「ええ。でも、私は先へ行きたい」
気付けば二人の距離は、それこそ吐息が聞こえるほどに近い。
「あなたの苦しみを理解する事はきっとできないけれど、私にはこうして寄り添うことが出来る」
「――」
キサナドの枯れた頬を、一筋の滴が流れ落ちる。忘我の涙を拭うこともしない彼女の代わりに、マーニャがその頬をそっと撫でた。「……っ」と人肌の温さに震えた女は、しかしその手を拒まない。
マーニャが両手で頬を包み込むようにすれば、温もりを嫌うようにキサナドが咄嗟に呻いた。
「命は皆、孤独だ」
「それでも愛し合うことを止められない」
マーニャはにこりと笑った。
「きっと人も魔物も双方が苦慮する険しい未来が待っている。理解には時間を要することでしょう。……いいえ。時間で解決できる問題ではないのかもしれない。もしかしたら――私たちが死んで、次世代の次世代の次世代の……何世代先までも戦争はやはり続くのかもしれないわ」
それでもこの一歩を踏みとどまる理由にはならない。
世界は変わってしまったのだ。いつまでも殺し合うばかりでは、寂しいだろう。
「これは、極小さな、しかし偉大な歩み寄りの一歩目。これから変わるの。ここからが新しい時代の幕開けよ」
マーニャはキサナドの隣に並ぶ。勇者と魔王が肩を並べる光景は、有史以来誰も見たことのないもので。
「講和会議を、開きましょう。我々のあり方は戦争以外でも決められる」
女は笑って、そう宣言した。
全世界同時配信の魔法をフニは停止した。星全体を見ても、既に戦意を持っている者はほとんどいない。あとは時の流れがうまく事を進めるだろう。
フニはとことこ歩いてマーニャの側に近寄った。ん? と小首を傾げる彼女を見上げながらふと気づく。
そういえばお姉さまは随分綺麗になられたなあと。
ふわふわと膨らむ豊かに波打つ黒髪は腰まで伸び、その艶めきは宝石と見間違えるほどだ。少しだけ痩せただろうか。元より綺麗な体つきがより細やかに繊細になり、フニは彼女の体を見るだけでドキドキしてしまう。
その白い頬も、柔らかな微笑みも、自分にだけ向けられたものだと思うとフニは胸が暖かくなった。
「おめでとうございます。お姉さま。お姉さまは世界を変えました。誰にもできないことです」
「ありがとう。あなたがいなければ成立しない賭けだった」
「この功績さえあれば、お姉さまの望む未来だって簡単に……」
「それは無理なの」
にべもなくマーニャは首を横に振る。フニの顔にぎこちなさの震えが走った。
マーニャは、言う。予定調和のように。否、予定調和として。
「フニ。魔力を元の状態に戻してくれないかしら」
「――――」
少女は頬の震えすら見せなかった。ただ静かに彼女の言葉を聞き、理解して、やはりこうなるのかと納得して、――それでも嫌だと思った。
「……正気か」
「ええ」
フニの気持ちを代弁するかのようにキサナドが尋ねている。ぼんやりとそれを聞いた。
「お前は何を言っている。せっかく力を獲得したのだ。貴様さえ望むなら、この星の全生命が貴様に平伏する。今や魔法は神秘であり神の力だ。貴様とそこの少女、そして私以外に扱える者はいまい。ようやく得た万能の力を自ら捨て去るのか――?」
「人も魔物も、羽化の時が来たのよ。私は蝶の羽をむしるような人間になりたくない」
マーニャはなんら欲のない晴れ晴れとした表情をした。しかしフニは力無く首を振る。
「……嫌です」
確かにマーニャの言いたい事はわかる。自由転移魔法さえあれば人も魔物も宇宙への進出が可能となる。未来の選択肢は爆発的に増える事だろう。
けれども、だ。
魔力を元の状態に戻しマーニャが自ら無能に戻るということは、どうあっても避けられない現実を迎えることでもある。
「なぜですか? これからじゃないですか。やっと、やっと、お姉さまが自分だけの未来を得られる時がきたのに……」
フニがスカートの裾を両手でぎゅっと握る。俯いたその様子は年頃の拗ねた少女そのものだった。
「ありがとう。私は、でもやっぱり、罪に罰が必要だと思う」
そう言ったマーニャは完全に復元された玉座の間へと視線を揺らす。彼女の黒い瞳は魔王城の更に遠くを見つめているように透明な眼差しをしていた。
「私が扇動した結果、人と魔物を併せて150110人が死んだわ。精神的、肉体的な異常を来した者はその数百倍にも及ぶでしょう。――全ての者を殺すと脅迫した罪は、重い」
「でも……」
「きっと愚かな考えよ。フニのように高次の思考を獲得したなら尚のこと」
いずれ、フニの持つ
万能の力を、万能の神へと昇華させていく技術的過渡期において、マーニャはひとつの予測を立てている。
「魔法文明は終わるわ……。
そして法と理性による絶対倫理文明が始まる」
気に食わなければ誰でも星に隕石を落とせる時代は目前にある。自滅の道を辿らないために世界は変わらざるを得ないだろう。
「……知っています」
そんなマーニャの独り言を聞いてか、それとも別の意味を含むのか。フニはまるで全てを見通すかのように続けた。
「知っていました。あの日、お姉さまがわたしの下から離れてしまった時から、この日が来て、そしてお姉さまの未来が潰えてしまうことは――知っていました」
「……お前、やはりか」
キサナドが呻いた。
マーニャとて同じ意見だった。
「フニ。貴女は完璧な未来予知が可能なのね」
「はい。わたしは、これから起こる事、これまで起きた事、すべてを見通すことが可能です」
元々、少女が神を求めたのは“運命”などという朧げなものを掌握することにあった。
運命。
突き詰めればそれは、未来予知という言葉に変えられる。
世の物質すべての運動を把握できるだけの観測精度を持ち、そこから望む答えを導けるだけの演算能力があるなら可能な業だ。
「それでも……それでもわたしはお姉さまの側に居たい。たったそれだけです。たったそれだけが、わたしのわがままです」
フニは知っていたのだ。こうして人と魔物がたどり着いた結末を。そしてこれからマーニャの身に何が起こるのかを。
それでも少女は、マーニャの意思を尊重した。神として未来を、運命を見定める力すら持ちながら決して何も語らなかった。
フニは結局、神になったとしてもフニだった。
「キサナド」
「言われなくともわかっている」
マーニャが女の名を短く呼べば、キサナドはひらひらと手を振る。野暮なことを聞くなと眉間の皺が答えているかのよう。
自身の妄想に狂っていた女は二人に背を向けながら、呟く。
「愛などで世界は変われん。けれど、もしも私の妄想が真実なら……それを証明するのも人生だろう」
キサナドの行く道はどこへ繋がるのか。マーニャにはわからない。けれど良い旅になるのだろうと確信できた。
「――さらばだ。今度こそ、な」
「――ありがとう。貴女に会えてよかった」
今度こそキサナドは姿を消した。後には二人だけが残される。
さて――とマーニャは小さく伸びをした。魔法が世界的に封印されている今、奇妙なこう着状態が出来つつある。けれどマーニャはそれを正さなければならない。
元魔王の次は神との対話だ。
重い仕事とは思えなかった。
「フニ」
二人きりになってしまった空間で、マーニャはフニへとまっすぐに向き直る。
思えばフニも随分成長した。小ぢんまりとしていた身長は頭半分くらいは伸びたし、体の線は女性的な柔らかさを育てつつある。可愛らしい顔立ちは少しだけ大人っぽくなった。丸くて大きな瞳と、長い睫毛だけが変わらない。
「フニは、見ない間にとっても綺麗になった」
「お姉さまもどきどきするくらいお綺麗です」
でも。
自分は。
こんなにも可愛らしい少女の人生を狂わせて。こんな所まで連れてきてしまった。――途端に、視界が熱く煮えるように揺らいだ。
「きゃ――」
「ごめんなさい。沢山、沢山、ごめんね……!」
気づけば、マーニャはフニを強く抱きしめていた。言葉が勝手に溢れ続けた。
「ずっとずっと謝りたかった! あなたの人生を歪めたこと! あなたを人でなくしてしまったこと! あなたの幸せを、こんなっ、世界を救うしか能のない女のために消費したことこそが私の罪だった!!」
少女の小さな手のひらが、マーニャの背中を優しく撫でた。決して浅くない傷を労わるような手つきがマーニャにとって幸せそのものだった。
許されている。いつもいつも、フニは自分を認めてくれた。愛されている――けれど甘えることは自分が許せない。
「――私が魔法を使えたら、あなたを幸せにできるのは私じゃなかった!!!! そんな世界想像もしたくなかった!!!!」
そんな不甲斐ない自分で居てはいけないのだと強く、心を自縛した。
「こんなに強欲な、ダメな女なの。でも、そんな自分を愛してくれたから、あなただから、何よりもフニが一番よ」
無償の奉仕に、一体何を返せるのかとマーニャはずっと考えてきた。金ではない。名声や地位ではない。物でも足りない。言葉はいくらでも要る。
「私は家名を捨てた。私の持つ資産や権利は全て剥奪されたでしょう。私から与えられるものなんてほとんどないけれど……」
それでも一つだけ、ある。
今のマーニャがフニのために用意できるたった一つのものが。
抱きしめる両腕から力を抜き、胸元でくすぐったそうに身をよじる少女の耳元へそっと口を寄せた。
「今からの私の数十分は、他の誰でも無い、フニだけのものよ――」
その、フニにだけ聞こえる小さな囁き。
世界中の誰も知らないほんの数十分間。
真の意味でマーニャを独り占めできる時間そのものを、フニは最高の報酬だと嬉しげに頷いた。
少女は玉座の間を物理的に外界と遮断した。魔法的封印を施された空間内で何が起きたのかは、当人達のみが知っている。
「……お姉さま?」
「なあに。フニ」
「あの、その、あの……キスしてもいいですか」
「あら。フニからそんな言葉を聞けるなんて」
「や、やっぱり忘れてください。恥ずかしいことを言ってしまいました」
「でも嬉しい」
「あ、あうあぅ。顔を近づけられるとその、動悸が激しくなるので……あ――――」
「…………二度目のキスは、前より少し熱く感じるのね」
「お姉さまがこんなに積極的だとは思わなかったです」
「ずっとこんな時間が続けばいいのに」
「……もう、終わりなのですか?」
「そんなことはないわ。だってフニ、あなたはもう、未踏の世界を見つけているんでしょう?」
「――。…………お姉さまは、やっぱり詐欺師が似合うのかもしれません」
「そうね。だからさよならは言わないけれど…………」
「……お姉さま?」
「フニ。私は今度こそ勝つわ」
そうして。
玉座の間に張られたありとあらゆる情報を遮断する魔法的封印は解除され、マーニャは独り、王の椅子に座って待ち続けた。
彼女は考える。これから何が起こるのだろう、と。
殻を破るに至ったこの星の命には、行き着く先にどんな未来が与えられるのか。
静謐の最中で巡らせる思考に終わりはない。
だが、やがて扉が開く軋んだ音は鳴り響き。
フニは【
かつて少女だった彼女は、神であることを、辞めた。
そして、マーニャは。