それはフニとマーニャが出会ってから一年後のこと。
二人は世界随一の魔法学園を同時に卒業していた。マーニャは四年分飛び級して卒業し、フニは十三年分も飛び級して卒業した。マーニャは『大図書館における効率的な蔵書方法』についての卒業論文を、フニは『新魔法の創造』という偉業を成したからこそ許された飛び級卒業だった。
二人とも卒業後の進路については引く手あまたではあった。マーニャはその才女ぶりを高く評価され、世界最大の蔵書数を誇る学園図書館の主任司書を。フニは若干12歳にして学園で魔法理論の講師を。まさしく薔薇色の人生というやつが確約された未来を、だけど二人は綺麗に蹴った。――二人は、二人だけで旅をしてみたかったのだ。
そういうわけで、学園を卒業してから数日後――。
「あ」
昼時。フニとマーニャは王都で旅具を詰め込んだバッグを肩に提げて、王都を出ようとしていた。その時、フニがふと何かを思いついたらしく口を開いた。少女の人より長いまつ毛がゆるりと揺れた。
どうしたの? とマーニャは栗毛の少女を見やる。
「ごめんなさいお姉さま。学園に忘れ物をしてしまいました」
少し深刻そうな顔をするフニ。マーニャはウェーブがかった豊かな黒髪をそっと払う。陽光を受けて艶めく美しい黒色に、道を行き交う人々が目を向ける。
「何か大事なもの? そうでないなら買ってあげるわ」
「あの、お姉さまがくれた恋愛小説です」
「あら」
初めて出会った頃、マーニャがフニにすすめた恋愛小説のことだ。フニはその本をたくさん読んで、何度もマーニャに感想を言っていた。あまりに気に入るものだからマーニャはフニにその本をあげたのだ。
金では買えない価値があるものだろう。フニにとっても、マーニャにとっても。
「じゃあ、待ってるわ」
「はい。すぐ戻ってきます」
後ろで一つ縛りに結った柔らかな栗毛をそっと撫でて、マーニャはフニを見送った。背の低い少女が学園へと駆けていけば、すぐ人垣に隠れて見えなくなってしまう。
「さてどうするかな」
魔法学園は王都に隣接している。王都の一部に組み込まれているといってもおかしくはないが、徒歩で行くとなると少々時間はかかるだろう。二十分かそこらかーー。
「ん?」
どこかの喫茶店で本でも読みながら時間をつぶそうかと思っていた、その時だ。店を探すため辺りを見回していたマーニャは、ある人物に目が行った。
ある露店の前。
そこでは、露店の店主らしき男と、フニと同年代くらいの少女が話をしていた。
「――まあっ。古代王朝時代の王妃が愛したネックレスが、こんなお値段で……!?」
露店の前で屈みこみ、きらきらとした青い目をへんてこなネックレスに向ける少女が一人。純粋そうな顔立ちは可憐で着ている服は上質。どこぞのお嬢様が一人で街を遊んでいる、そんないで立ちに見えた。
へんてこネックレスを物欲しそうに見つめる少女に、機嫌よく露店の店主は別の品を見せる。
「こっちはもっと凄いぜ。こいつはな……」
「本で見たことがありましてよ。これは既に遺失されて久しい鍛冶技術で作られた短刀ですね?」
「おお。博識だなあお嬢ちゃん。どうだい二つセットならまけとくよ。値段は……これくらいでどうよ」
四本、指を立てる店主の男。言い値は決して安い物ではないし、その時点で普通の客なら買うのを諦めてしまう所だろう。だがその少女は違った。少女にとっては、男の提示した額ははした金だったのだ。
「まあ、まあまあまあ。こんなにお求めやすくなってしまってよろしいのかしら……!」
更に感激した様子の少女。店主の男の目も期待で輝く。だが、いざ金を渡すと言う段階で少女はしょんぼりと肩から力を脱いて項垂れた。
「ごめんなさい。私、現金は持ち合わせておりませんの」
だけど、とすぐに別の客を引っかけようとしていた男に慌てて次の句を言う少女。胸元を美しく飾る宝石付きのネックレスをそっと掲げて見せた。
「でもあの、代わりと言ってはなんですが、これと交換してくださらないかしら? 一応宝石の類よ?」
「ふむ……。なるほど、物々交換ってわけか」
男は商人らしい目つきになって、少女のネックレスを視る。ネックレスに嵌められた青い宝石の輝きは間違いなく本物だろう。好条件だと判断した男が頷き、少女もネックレスを渡そうとした――その時。
「ちょっと待って」
声は、横から。王都のざわめきの中でも凛としてしっかり聞こえる女声。少女がすぐ傍で発せられた声に驚いて横を向けば、そこには見惚れるほど美しい横顔があった。
美女が、同じように屈んでへんてこネックレスを見つめている。
「な、なんだよ姉ちゃん。あんたとは取引してねえぞ」
「よく見て。ネックレスの、その紋様。古代王朝期には存在しなかった形式よ」
「まあ……」
的確ではっきりとした一言。ぐ、と痛いところを突かれたのか男は苦虫をかみつぶしたような顔をする。少女はというとぱちぱちと瞬きをしていた。
「それにこっちの短刀も模造品ね。どこにでもあるペーパーナイフをちょっと加工すれば誰だってこれくらいは真似できるわ」
少女が自前のネックレスと交換しようとしたアクセサリーの問題点を指摘したうえで、女――マーニャは冷静な眼差しで店主を見た。
「偽造販売は犯罪よ。なんなら衛兵を呼びましょうか」
「ぐッ……わ、わかったよ。悪かったな偽物売ろうとして!」
居心地悪そうに叫んだ男は、さっさと露店を畳みだした。また別の場所で偽造品を売るつもりなのだろう。まあ、これ以上の事はマーニャにはどうでもいい。重要なのは――この危うく騙されかけた少女の方だ。
露店をたたんで足早に去っていく男をぼうっと見つめていた少女は、マーニャに向かってぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。助けて下さったんですね」
「気にしないで」
「でもお礼をしなければ……」
育ちが良いのだろう――
マーニャを見上げる上目遣いの瞳は、謝礼をしないと困ってしまうと素直に告げている。嘘をつける性格ではないらしい。
「お礼、ね」
だからといって、少女が首に提げるネックレスを渡されてもマーニャは困ってしまう。何しろそのネックレスをある一族以外が持っていると、その時点で犯罪となるのだから。
「なら少し喋り相手になってくれないかしら? 私今、少し暇なのよ」
妥当な落としどころだろうか。そう思いながら少女を見れば、少し驚いた様子で口元に手を当てていた。どこぞのお姫様よろしく。
「まっ。デートのお誘いですね?」
「ええ。ちょっと強引かしら?」
「いいえそんなことありません。ふふ……とてもすてきなお姉さまですこと」
マーニャがそっと手を差し出す。舞踏会の時のように。
人で混む王都の道中にあって、だけど二人の周りだけが切り取られて別の世界のようだった。
「ええ、でしたら喜んで」
恭しい仕草を、面白がって少女も受け取った。少女の笑顔は綻んで真夏の向日葵のように輝く。
「お名前は?」
「マーニャよ。あなたは?」
「ええと……」
名乗る時、少しだけ少女は逡巡を見せた。
「……アリアです。マーニャさま」
アリア。なるほどな、とマーニャは笑顔の裏で納得する。まあ色々と事情があるということだ。
そういうわけで、二人は喫茶店へと足を向けた。
フニは少し小走りになって駆けていた。学園に戻って小説を取り戻し、一直線にマーニャと別れたところまで来たのだ。それでも数十分はかかってしまった。マーニャは怒っていないだろうか。いいや、お姉さまのことだからきっと近くの喫茶店で時間をつぶしているのだろう。
素敵な店内で静かに紅茶を嗜みながら本を読む美女のくっきりした横顔を、すぐにフニは思い浮かべられた。
そうこうしているうちにフニはようやく帰ってこれた。さて、きっとマーニャは近くの喫茶店だ。それもフニにわかりやすいようテラス席にいるはずで――やっぱり居た。
フニの予想通りテラス席の、もっとも目立つ場所。パラソルの下で美しく笑う彼女に声をかけようとして。
だけど。
「お姉さま?」
フニは、見てしまった。彼女と同じ机を囲む少女がいるのを。歳は、自分と同じくらいか。顔立ちはそれこそお姫様じみて可憐で、服装とてそこらではお目にかかれないほど上質なもの。
そして何より――二人は楽し気に談笑していた。紅茶とケーキを並べて。
なぜかはわからない。けれど、どうしてか、フニは恐ろしいほどの孤独感に囚われた。
「お姉さま……」
「ああ、フニ。おかえり。こっち来て、ほら」
ふらふらと近づいたフニを、マーニャは勘付いた。手を振る彼女の下へと行けば、そっと自分の分の椅子を引いてくれる。そういういつも通りの優しさに安堵しながらも、フニはどことなく不安げな瞳でマーニャを見ていた。
「この子はフニ。一緒に旅をする予定なのよ」
不思議そうな顔をしている少女に向けて、マーニャが紹介をする。どうも、と頭を下げるフニ。改めて見れば真珠のようにまばゆい可憐さだ。やはり歳は同じくらいか。
「そうなんですね。フニさん、私はアリアです。どうぞよしなに」
「は、はあ……」
聞くところによると、少し前に知り合ったとのことだ。なんでも偽造品を買いそうになったアリアをマーニャが持ち前の知識で助けたんだとか。
「それでね、アリアちゃんは王都を見て回りたいそうなの」
ちゃん付け……。
心がキュッと辛くなって、フニの唇が少し尖った。
「そういえば私達もあんまり王都をめぐる事ってなかったじゃない? 旅に出たら王都に戻ってくることもそうそうないでしょうし……」
「は、はあ」
「ね、せっかくだし三人で観光でもしてみない?」
と、マーニャは言う。そう言われるとその通りだけど、だからって三人で回る必要もないじゃないか。とフニは思った。でもマーニャの表情は楽しそうだし、王都を一緒に巡る事を嬉しく思っている。そんな
「別に、わたしはいいです、けど……」
何よりわがままな娘だと思われたくなかった。
「そう。なら決まりね」
マーニャはフニの思いなど知らなさそうに気軽に頷いて、ケーキの最後の一かけらを口に運んだ。アリアも、同じように。
フニには二人が食べたケーキが今まで食べたどの菓子よりも、美味しくて甘そうに見えた。
時間は昼を過ぎた頃。マーニャは雑然とした王都の街中をすいすい歩いて、目当ての場所にたどり着いた。それまでの間も彼女は観光ガイドのように著名な建築物や美しい街並みについて説明を行い、フニとアリアを惚れ惚れとさせた。さすがお姉さまだ。
さて到着したのは、大きな広場にある屋台の前だった。タイミングよく客足も遠のいた頃だったらしい。マーニャが三人分の値段を払いつつニコニコ顔で説明する。
「ここのアイスクリームは美味しいってよく聞くの。三時のおやつに丁度いいかと思って」
実は一度も食べたことなかったし、と少し照れっぽく舌を出すマーニャ。早速三人はアイスクリームを舐めだした。刺激的で、だけどしつこくない甘さが口いっぱいに広がっていく。
「わ、本当に美味しいです……」
と、アリア。
「こういうのは初めて?」
「ええ。あまり外にも出ないものですから」
本当のお嬢様か何かなのだろうか。少し聞いてみたくもあったが、フニは黙っていることにした。マーニャが深く聞こうとしないなら、それが一番正しいのだ。
「じゃあ次はあそこ行きましょう、あそこ」
「あそこ?」
「王都の大聖堂。列聖者の聖遺物が展示されているらしいし、ぜひ見ておくべきだと思うわ」
アイスクリームを歩き食いしつつ、三人は行く。先頭を歩くマーニャはアリアのためというよりむしろ、ほとんど自分のためのようだった。張り切った様子は珍しくフニの目に映る。そんなに、アリアと一緒の観光が楽しいのか――。
「……」
別に、マーニャがフニだけを見ているわけではないし、そんな場面いくらでもあった。だけどフニの心に刺さって離れないのはアリアが自分と同年代で、同じような目でマーニャを見て、自分が知らない時間をマーニャと共有していたことだ。
アイスクリームの最後の一口は甘くて美味しいのに、先ほど二人だけが食べたケーキの味がフニにはどうしても気になった。
「ねえねえ、フニさん」
「な、なんでしょうかアリアさん」
突然アリアに話しかけられてフニはびっくりした。会話はどちらかというとマーニャとアリアが主体となって行っていたし、フニもあまり喋る気になれなかったからだ。
「マーニャさまってとても素敵な方ね!」
アリアは、マーニャには聞こえないよう笑顔になる。
「博識で、聡明で、話は面白くって、なにより美人で……いっそのことこのまま私のお姉さまになってほしいくらい!」
その一言。『お姉さま』という言葉に、ついフニはむっとなった。アリアに嫌がらせの意思がなかったとしても、フニには我慢できなかった。
「そ、そんなの、わたしだって知ってますし……。言っておくけど、わたしのほうが付き合いは長いんですよっ」
「でも私の持つこの情熱は、長い時間とは比較できないものだと自信を持って言えるわ」
「ぐぬぬ……」
――こやつ、強敵……!
純粋な微笑みはフニをそもそも敵視すらしていない。アリアは自分の花畑の中でうふふおほほと笑んでいるだけだ。フニは、マッチを片手に静かに構えるしかできない……。
「あ、あなたとは何だかソリが合わない気がしますアリアさん」
「そうかしら? 私はなんだかとっても仲良くなれる気がするわ! 歳も近いし」
やけに気に入られているフニはその後も「マーニャさまと知り合った場所は?」「いつも何をしているのかしら」「これからどこかへ行く予定だったの?」「ねえねえ、フニさんのまつ毛長いのね。羨ましいわ」などとマシンガントークの餌食となっていた。アリアの興味はマーニャに向いていたようだが、話しかけやすいのはフニだったらしい。
そうして聖堂を見たり、ほかにも有名なガラスの工芸品を見ていたりしていると、あっという間に時間は過ぎていく。そうして午後五時ごろを回った頃か。
そろそろ日も落ちるかという時になって、次の目的地に行くために、路地裏の道を使うと決めた時だ。三人が暗がりの道で見たのは、珍しく剣を腰に挿した一人の女だった。
「ずいぶん探しましたよ」
薄い色素の短い髪に、澄んだ水のように淡い色の瞳。病的な白い肌。およそ希薄な存在感は、しかし、あまりにも冷たい眼差しが溶けない氷のように女を彩る。
剣じみた女だった。
「あ、あなたは……!」
その女を見て瞠目するアリア。思わずといったようにマーニャに身を寄せた彼女は、震える眼で女を見ている。これまでうきうきした様子で二人と接していたアリアとは打って変わって、明らかにおかしな様子だった。
「まったく。お忍びで遊ぶのなら私に申し付け下さいといつもいつも言っているではないですか、でん……」
「あ、アリア! 私はアリアでしてよ!?」
「……アリア殿」
渋々と言った様子で、硬そうな眉をひん曲げる女。剣のようにぴんと伸びた背筋は、触れる者すべてを切り裂くような錯覚を感じる。
マーニャは警戒しつつも、アリアに訊いた。
「お知り合い?」
「え、ええと……知り合いというかそうではないと言いますか……」
アリアは女が現れてから異様なほど狼狽えている。フニとマーニャの二人が見つめていると、アリアはぽんと何かアイデアでも浮かんだのか手を打った。
「その、ええと! ――わ、悪い人! 悪い人です! いつも私をいじめるんです!」
「あらまあ」
くすりとマーニャが笑う。それは子供の悪戯を分かっていて引っかかろうとする大人の笑みだ。そして一人立ち尽くす女へと目線を映す。
「なら、守らないといけないわね」
「マーニャさま……!」
アリアが感激した様子でマーニャを見つめる。女の目つきはより険しくなる。
「そちらの御仁がどのような方か、わかっているのか」
「ええもちろん」
頷くマーニャから一切目を逸らさず、女は鞘から剣を引き浮く。しゃらんと鳴った鉄の音。アリアの肩が震える。マーニャは未だに笑んでいる。
マーニャは腕を組みながらはっきりと断言した。
「
――へ。
その一言にぽかんと口を開けてしまったのは、たった一人フニだけだった。慌てて傍のアリアを、プリンセスを見つめてしまう。
「えっ。あ、あなた王女さまなんですか……!?」
「いえ、その、ええと……な、なぜわかったのかしら……?」
王女はきょとんとしてマーニャを見上げた。マーニャはというと、アリアの胸元で光る宝石へとちらと目線をやる。
「プリンセス。そのネックレスは一般には決して出回らない王族御用達の品です。宝石の特殊なカット方法がその証拠。そんなもので胸元を飾っていては、『私は王族です』と宣言しているようなものですよ」
「ま、まあ、そうなのですか……? 私、安値のアクセサリーだとばかり……」
「王族がそこらで売っている安物を身に着けていたら、むしろ大ごとですから」
「――そこまで分かっていて尚阻むか」
と、会話に割り込む女。
完全に剣を構えたその姿に、マーニャは一切臆さない。自信のみで構築された笑顔が女を射る。女も、鋭利な眼差しをより一層鋭くし、マーニャへと一歩進む――。
「ならば首を断つ覚悟を持て」
右足が地面を踏んだ直後、女の姿が
人間の動体視力を超えるほどの速度、恐らくは身体能力向上の魔法。気を抜けば次の瞬きの間にマーニャの首が飛ぶ――フニの体が無意識に防御魔法を構築する。もはや詠唱の一言もなく、魔なる炎は分厚い壁となって現界した。
ごう……! と燃え盛るその熱、温度は人体を易々と燃やす領域にある。さすがの女も突き破れまいとフニは思った。
が。
炎の壁に、突き刺さる剣はひとつ。フニがぎょっとした。
何故なら剣が突き刺したのは、魔法構築における“核”の部分だったからだ。
魔法が、魔力を操作することで生み出される理論物質である以上、その現象は“核”を主として発生している。だから“核”を突けば当然魔法は破壊されるし、当然その弱点を魔法使いは把握している。
巧妙に“核”を隠す者、“核”を最小限の大きさにする者もいる。フニはその両方を同時に行ったうえで、更に隠蔽術式も同時に発生させている――だというのに、だ。
この女は、何のためらいもなく一瞬で、フニの魔法に
「うそ……っ!」
どんな壁も小さな穴から崩壊が始まるように、炎壁は一瞬で消え去る。女は二歩目を突き進み、フニは更に連続して魔法を放った。マーニャを守るため、マーニャの
「――!」
二股から四股に、そして十股に分かたれた雷矢は、道全域を覆いつくすように広がりながら猛進する。だがそれすら全く気にせず、女は超人的な動体視力で雷を避け、剣で受け、絶縁体の手袋で無効化し、更に一歩踏み込んだ。
「対魔法戦闘は慣れている。距離と速度が重要だ」
「――」
この女、目が良すぎる。対魔専用の、それも神がかって異常な『魔眼』か!
このままでは――このままではマーニャの首が落ちる――。
「――――」
フニは、ついに殺す意思をもって魔法を放った。
マーニャの前に顕現するのは、あまりに禍々しい闇そのもの。
若干十二歳にして至高の賢者。新魔法の創造すら成し得た魔法使いが振るうのは、究極そして最強、更に言うなれば禁忌そのもの。
「そこまで!」
フニの消滅魔法に恐れなく剣を振るおうとした女へと、そしてその場の全員へと――アリアは凛とした一声を張り上げた。
人を律する叫声。マーニャもフニも、女ですらも、動きが止まる。
「わかりました。わかりましたから、もうおやめなさい!」
王女はむすっと頬を膨らませてマーニャと女の間に割り込んだ。フニの消滅魔法は既に消えている。アリアは未だに剣を手に持っている女へと向き直って、眉をしっかり立てて声を張った。
「アニー! それ以上はこの私が許しません!」
「……御意に」
言われて、ようやく女――アニーは剣を収める。息一つ荒げていないその様子ではとても本気で殺しにかかっていたとは思えず、フニはようやく頭から血の気が引けた。
マーニャがそっとフニに近寄り、少女の頭を無言で撫でる。ありがとうと撫でる手つきは言っていて、フニはそっと彼女の手に自分の手を重ね合わせた。
「もうっ。せっかく楽しい一日だったのに、いつもアニーはそうだわ。私だって王宮にばかりいたらおかしくなってしまうのよ?」
アリアは拗ねた様子で頬を膨らましている。そういう表情もできるんだな、とフニは思った。
「ですが殿下。私にも立場というものがあります。私は殿下のお目付け役ですので……」
「そういう事は聞きたくないですぅー」
んべー、と舌を思い切り出して、とても王女には見えない仕草をするアリア。女剣士が表情一つ変えずにそのままでいると、アリアは「はあー……」ととてつもなく重いため息を吐いた。
そして、くるりと今度はマーニャに向き直る。今度はそれこそ実に王女様らしい、可憐な笑みを浮かべていた。
「マーニャ様。今回はこんな形でお別れとなってしまい、本当にすみません。でも、今日はとても楽しかったです」
「ええ。私もです」
マーニャはこれまでと何ら変わらない笑みを浮かべる。その、人の心に残るほど美しい笑顔を、アリアはうっとりと見つめた。そして胸元でそっと両手を繋ぎ合わせると、祈るように言葉を広げていく。
「私には兄はたくさんおりますが、姉は一人もいないのです。ですから、その……」
「……」
「本当の姉のような温もりを、感じて。姉というものがいるならきっとこうなのだろうと」
王女様の頬は赤い。どこにでもいる夢見がちな少女のように、アリアの青い瞳は煌いてマーニャを映す。
「約束してくださらないかしら。今度、一緒にお茶を飲みましょう? 王宮にはそれはもう素敵な花園がありますから、ぜひそこで」
「ええもちろん、プリンセス」
「約束ですよ? 破ったら……そうですね、死罪です」
「それは怖いですね。でしたら絶対にと、言っておきましょう」
よかった、とアリアは安堵の一息をついて、今度はちょこちょことフニに近寄った。な、なんだ。
「フニさんフニさん。あなたとも、ぜひ。二人きりで」
「わ、わたしですか」
「ええ。だってせっかく出会えたんですもの。あなたとお友達になりたいの」
「別に……いい、ですけど……」
「絶対よ? フニさん」
アリアはフニの手を掴み取り、ぎゅっと握手をする。その強引な押しの強さにフニがびっくりしていると、大人の女二人も会話を始めていた。
「マーニャとか言ったな」
「なにかしら、アニーさん」
「さんはいらん。歳も同じだろう。それよりもだ」
女はマーニャをじっと見つめる。女の瞳を、その奥に隠れる真意を探るように。
「なぜ、邪魔をした? 私は殺す気でいた」
「デート中だったから」
「ふ……なるほど。不敬罪だな、王族と逢引など」
「これでも三流貴族の端くれなのよ。資格くらいはあるわ」
堂々と言ってのけるマーニャの態度に、女剣士は少しだけ唇を緩めている。どうやら悪い人ではないらしい。
「……また会おう。いずれまたな、偉大な魔法使い」
「マーニャさま、フニさん! ぜひまた会いましょうねー!」
大きく手を振りながら、隣を歩くアニーの側にぴったりくっつくアリア。純粋で元気な少女は、王女様らしくない後姿を見せて去っていった。
「ありがとうフニ。助かったわ」
「ヒヤヒヤしました……もう……」
二人の姿が消えてから、マーニャはフニの手をそっと取った。彼女のしっとりとして柔らかい手のひらの感触を離さないようしっかり繋ぎ止めながら、フニは女に尋ねた。
「……お姉さまは最初からわかっていたんですか?」
「ええ。あの人を見た時に。お忍びで王都を満喫したかったんでしょうね、きっと」
フニはじっと女を見つめている。マーニャは少しだけ決まりが悪そうにして、耳元の髪をそっと耳にかけた。
「王族を一人で放っておくこともできないじゃない。それに偽造品に簡単に騙されるくらい純粋な子だったのよ。護衛の者が来るまでくらい、守ってあげないと」
「そうですか……」
なんだ。アリアと一緒に居て楽しいとかそういう理由で傍に居たんじゃなくて、彼女を守るために居たのか。不安がる必要なんて、なかったじゃないか。
だけど――フニは思う。
想像する。アリアという『守られるべき少女』の側に立つマーニャの姿を。
「どうしたの? そんな暗い顔をして」
「いいえ。あの人は生まれも高貴で私なんかより全然可愛い人でしたよね。なんていうか絵本の中に出てくるお姫様みたいに……誰だって守りたくなっちゃいますよねー……」
「ちょ、ちょっとフニ? もしかして拗ねてる?」
フニはどんよりとした瞳で呟いた。珍しくマーニャが慌てている。
そうなのだ。フニは知っている。マーニャという女は『面食いだから』という理由でフニを気に入ったのだと。なら、同じように『面食いだから』という理由でアリアを気に入ってもおかしくない。
なにせアリアは同年代のフニから見ても、嫌味なしに可憐な少女だった。
「どぉーせわたしはその辺の猿みたいなもんですしー……」
「もー。どうしたら機嫌を直してくれるのかしら?」
わざわざ背を丸めて、マーニャはフニと目線を合わせる。まるっきり駄々をこねる子供扱いされていることをフニは少し不満に思って、だけど彼女の手を離そうとはしなかった。絶対に、手放すつもりなんかないのだ。フニには。
「……けーき」
「?」
「あの方と一緒にいた喫茶店で、ケーキを食べていました。私も同じのを食べたいです。栗のたっぷり乗ったやつを、二人で、その、一緒に……」
それは、唯一フニがマーニャと共有できなかった時間だ。その時間だけがフニの心残りだったのだ。だから、マーニャが付き合ってくれると言うなら、フニはそんなわがままをしてみたい。
フニの珍しいおねだりを、マーニャは嬉しそうに目を弧にして了解した。
「わかったわ。それで手を打ちましょう」
「! ならすぐ行きましょう。そろそろご飯時ですし、お夕食もそこで食べませんか。二人で」
「ええ、ええ、わかったからそんなに手を引っ張らないで?」
そうして二人は夕暮れに差し掛かった王都へと歩みだす。手を繋いで、もう一度喫茶店へと。
二人の時間を作るためにだ。
夜のことだ。
「アリア。下の者に迷惑をかけたようだね」
「お兄様。でも、おかげでとっても素敵な方に出会えましたの」
「へえ。それはいったい?」
「マーニャさまですっ。とっても博識で、聡明で、すごく美人でお話が上手で……あとそう! 魔法使いとしてもすごく強かったわ!」
「そうなのか。それはすごいね」
「ええ。アニーと肩を並べられるほどでしたから」
「“魔法殺し”とか……ふむ。なるほどね?」
「それはもう……まるで伝承にある勇者のように、強かったんです」
「ふうん。マーニャ、ね……」
それは、回りだした歯車のようなもの。
よもやアリアとて、まさか自らの行いが一年後にマーニャを勇者へと押し上げるその切っ掛けになるとは夢にも思わない事だろう。そしてそれは、博識が故にアリアの血の濃さに気付き、身を案じたからこそ側に一日いたマーニャとて知らない事であり、更にはマーニャを守るために咄嗟の事とはいえ無詠唱の魔法をあたかも
神のいたずらじみて、運命は軋みを上げる。
無限に続くかと思われていた魔物と人類との戦争において、講和会議の実現という後世に名を残すほどの偉業を成した、その女勇者の名を――その時はまだ、誰も知らない。