在籍生徒数2000人超。世界各国の著名な魔法使いが講師として壇上に上がるその学園は、魔法研究と技術養成において世界一の規模を誇る。列強王国の王都に隣接して開設されたその学園を、誰もが「魔法学園」だとか「学園」だとか呼んでいた。
全十五期制のそんな学園では、入学したばかりの一期生の中で密かに人気になっている生徒がいた。
「フニおねえさまー」
それは、二期生の少女。ふわふわの栗毛を子犬の尻尾みたく一つに結ったその少女は、自身の名前を呼ばれて振り返った。
少し遠くから駆けてくるのは一期生の少女たち三人。最近一期生と二期生の合同講義でグループを作った時、ちょっとした顔見知りになった三人だった。色々と魔法の手ほどきをして以降、少女たちからよく話しかけられるようになったのだ。
「おねえさま、これからお昼ですか?」
「ええ、はい」
少女たちはきらきらと尊敬のまなざしを真っ直ぐにぶつけてくる。その純粋さにフニは苦笑した。思い返せば、自分が一期生だったころはこんなに器用に話しかけられなかった。
フニもまだまだ幼いが、たった一年生まれるのが遅いだけでまるで赤子のように思えてくるから不思議だった。
「あの、よかったらわたし達と一緒にランチでもいかがですか? ぜひぜひ教えてほしいことがあるんです」
少し緊張気味の早口な言葉。いじらしい上目遣いにフニの表情も柔らかくなる。
「いいですよ」
快諾すれば、きゃあきゃあと黄色い声が少女たちから上がった。フニは思わずまた苦笑して、手を引かれるまま食堂に赴く。
学園で過ごす二度目の春。
一年前とはずいぶん変わった学園生活は、有体に言って楽しいものだった。
「フニも、ずいぶん人気になったものねー」
栗毛の少女が一期生の娘らに囲われて歩く姿を、マーニャは窓枠に座り込んで微笑ましく見つめていた。去年はあんなに人を寄せ付けない雰囲気をしていた少女も、気付けば年下に尊敬される先輩だ。いったい何があったのやら。
「昔はあんなに意地っ張りだったのに」
ふふ、とマーニャはくすぐったそうに声を漏らす。そして静かな二人部屋をそっと見回した。がらんとした部屋は、一人で本を読むにしては少し広すぎる。
二期生になり講義も忙しいのか、フニと一緒になれるのは講義が終わる夕暮れからの短い時間だけになってしまった。顔を合わせれば昼食も一緒に食べるが、あまり本を読まないフニと本の虫であるマーニャとでは行動範囲がそもそも違ったりする。
それに――昔と違ってフニはそれなりに人気の少女になっていた。物腰が柔らかくなって、攻撃的な雰囲気がなくなったからだろうか。気づけば少女の周りには人が多い。
逆にマーニャは、図書館で一人過ごすことが多くなってきていた。
(まあでも、最近しっかり話してないのも事実ね)
たまには二人きりでゆっくりと過ごすのも、悪くないんじゃないかと思うのだ。
そう考えつき、すぐにマーニャは動くことにした。確か今日は、フニの時間割は午後からは暇なはず。昼食の後なら時間も空いてるだろう。
ぱたんと本を閉じ、マーニャは部屋を出る。
「ふむ……」
とりあえず食堂へ向かうと、既にそこにはフニの姿は無かった。どうやらもう席を立っているらしい。だと、どこへ行ったのやら。
図書館、講堂、広場、運動場……。散歩がてらあちこち歩いてもフニは見つからない。それにこの学園は在籍生徒数もさることながら敷地面積も膨大だ。いっそのこと部屋で待っている方が早いかもしれないとマーニャは考え、帰路に着こうかとそう決めた時。
「あら?」
少し行った道の端。別の寮の玄関前で、マーニャはようやくフニを見つけた。女子寮から出てきたらしき女生徒――マーニャより年下だろうか――と、何事かを話し合っている。
「ええとね、そこは……」
「そうなんですね、じゃあここは……」
親しげな様子に、なぜかマーニャは物陰に隠れてしまった。自分の行動の理由もわからないまま二人の様子をそっと見つめる。なんでこそこそしているんだろうかと、マーニャは自分でも疑問だった。
けど、咄嗟のことだった。
フニが女生徒を見上げる。柔らかな笑顔を知らない誰かに向けている。二人の間には春の日差しのような暖かい空気があって、それが遠くのマーニャにもはっきりと感じられて。
マーニャは少しだけ面白くない。
「まさかね」
そんな自分の内に勝手に生まれた『もやもや』を、だけどマーニャは軽く払った。豊かな黒髪を払う手つきと共に脱ぎ捨てて、マーニャはさっさと部屋へと戻ることにする。フニと二人きりになろうという当初の目的は、気付けば忘れていた。
その日の夜。
何をしているのかわからないが、夕食時になっても部屋に現れなかったフニは、慌てた様子で課題に取り組んでいた。最近はマーニャの手を煩わせることに何か思う所でもあるのか、とりあえず一人で頑張り、わからないところは聞いてくると言う塩梅だ。いい成長具合だと思う反面、頼られることが少なくなって少し寂しいのも事実。
「……」
「……」
カリカリとペンの動く音と、ページをめくる音だけが響いていた二人部屋。ちらちらとフニの横顔を眺めていたマーニャは、やがて小さな溜息を吐いた。
――今日、話していたあの女生徒は誰なの?
なんて。聞いてどうするんだろうか。
別にマーニャはフニの全てを知りたいわけじゃないし、束縛するつもりもない。人にはそれぞれの関係図があって、それはマーニャとて変わらないのだ。……だから誰にも少女の体を自由にする権利などない、けど。
「フニ」
言葉は、つい出る。
「なんですか、お姉さま?」
ペンを置いてこちらを向く少女の瞳。くるんと上を向く人より長いまつ毛を、久々に見たような気さえする。毎日顔を合わせているのに。
「……なんでもないわ」
マーニャはごまかし気味に頬をゆがめた。何を言えばいいかもわからなくなっていた。
きょとんとした少女は首を傾げて、「不思議なお姉さまですね」と呟く。まったくその通りだろう。
どうも、おかしくなっているのかもしれない。本を閉じてマーニャは目頭を揉んだ。今日はもう寝てしまおう。変に調子が狂っている。
「ごめんなさい。先に寝るわ。灯りはそのままでいいからね」
「わかりました。おやすみなさい、お姉さま」
穏やかな少女の言葉に、マーニャはそっと手を伸ばして頭を撫でる。柔らかい栗毛は空気でも含んでいるみたいにふわふわしていて、いつまでも触っていたくなる。だけどフニは決してマーニャの所有物ではないから。
名残惜しさを感じながらも、じっと目を瞑って受け入れてくれていたフニから離れて、マーニャは二段ベッドの上段に入った。おやすみと呟いて目を閉じながら、考える。
(所詮はルームメイトというだけのこと)
人と人の縁なんてものは、ふとしたことで途切れてしまう危ういものだとマーニャは知っている。それが例え家族という絶対的な血のつながりがある関係だったとしても、切れる時は容易いのだと経験から理解していた。
だから、マーニャは、縁以上に得難いものを求めてここにいる。本という形で存在する絶対で明確な知識を。
(いずれ別れは来る)
それに……とマーニャはごろりと体を回し、上段ベッドから机の上に広がる書きかけの論文に目をやった。頭の中のイメージをまとめるために書かれた草稿には、二種類の論文についてまとめられている。
ひとつは魔法の機能不全に関する研究と、もう一つが巨大図書館の効率的な運用方法に関してだ。
それらがいったい何なのかというと、マーニャが書こうとしている卒業論文だった。
(卒業は……近い)
全十五期制のこの学園において、十五期生まで在籍して卒業する生徒は少ない。そこまで行くと研究者の道を歩む者がほとんどで、大半は十期あたりから卒業論文を書きだしてそれぞれのタイミングで学園を去っていく。マーニャとてそうするつもりだった。
そして彼女は、入学当初から自身の問題について知りたいと言う意思があった――フニと出会うまでは、確かに。
(私にある、魔法の機能不全という致命的な欠陥)
世のインフラから炊事に至るまで様々なところで利用されている魔法を、マーニャはただの一つも扱えない。魔法の得手不得手に個々人で程度の差はあれど、本当に一切の魔法が使えないというのは極稀な症状だった。
先天的で、生きていくにはあまりに不都合なこの欠陥を、学園入学当初のマーニャは解決するつもりでいた。
(この学園に身を置いて、私と似たような障害を持つ人の手助けになるような研究をしようかと思ったけど……)
だけどどうしてだろうか。気づけば研究意欲が失せていて、図書館の効率的運用法なんて趣味に近いような論文を書こうとしている自分がいる。その理由とてマーニャには分かっている。
(旅、ね)
出会った当初、あの少女は陰険な目つきで問うてきた。『自分で行けばいい』と。本を読んで空想を描くくらいなら実際に触れてみればいいのだと。
その通りだと、マーニャは思う。
(そうねフニ。本で知るより、実際に触れる方がいいのよ)
本だけでは味わえない世界へ。
遠くへ。
ここではない、どこかへ。
(一人で?)
魔法の機能不全という欠陥は、一人で生きていくには重すぎる障害だ。それこそ、誰かと共に旅をするのでもない限りは……。
思い浮かぶのは万能に近い魔法技術を持つ一人の少女だ。賢者の娘として偏見の目を向けられ、陰鬱に沈んでいた眼差しもここ一年でずいぶん柔らかくなった。マーニャはその一因として自分の存在があるならそれは嬉しいことだし、これからも出来る限り長い時間を少女と共にできるならと、そう願っている。
だが、フニが誰と共にあるかを選べるのは少女だけだ。
困ったものねとマーニャは苦笑を浮かべてしまった。
結局、自分は最近顔を合わせることも少なくなったフニに、十も年の離れた少女に、小さな嫉妬を感じているだけのことだ。
「――少しだけ、寂しいのかも」
穏やかな言葉を選んでしまうところが、余計に負け惜しみじみていて愚かしい。マーニャはやれやれと思いながら意識をゆっくりと落としていった。
――それからしばらく経ったある日。部屋でぼうっと外の景色を見ていると、部屋の扉がこんこんとノックされる。
「お姉さま」
こそっと扉を開けた少女の姿に、マーニャはやんわりと微笑みを浮かべた。色々考えこんでいても、どうしてか少女の前だと『お姉さま』らしくあろうとする自分がいる。
「どうしたの?」
「あの、ええと」
フニの態度はいつも以上にどこか変だ。後ろ手に組んだ両腕はもじもじと揺れている。緊張気味に上がった丸い肩は、何か伝えることを躊躇っているみたいだ。
マーニャの中で悪い想像が膨らんでいく。思い起こすのはつい先ほど、見知らぬ女と親し気にしていたフニの表情。可愛らしい笑顔。
「……お時間、ありますか?」
まさかね、と笑い飛ばすことは出来そうにない。何よりフニの真剣な表情にどくんと心臓が重く跳ねて。
それでもマーニャは、笑顔を崩さずに「もちろん」と応じていた。
一体、何をされるんだろう。
マーニャは真っ暗な視界のなかで不安に思った。なにせ、視界は完全に塞がれてしまっている。フニが手渡してきた黒い布を目隠しにすることで。
「ちょっとだけ怖いわねー」
おどけるように言うと、手を繋いで道案内をするフニの手のひらが少し強張った。
「大丈夫です。あの、私が手をしっかり握っているので」
「そう。なら怖くない」
どうも、自分が想像したような話ではないんじゃないかとマーニャも薄々感じている。だけどフニの不安や緊張は繋いだ手からも、少女の声からも感じられる。ふらふらとおぼつかない足取りで歩いていると、まるで自分の欠陥が浮き彫りになっていくようでマーニャの心は安定しなかった。
「でもどうしたの? こんな、目隠しなんてして。いたずら?」
「い、いえ、そうではないのです。そうでは……」
フニはもごもごと言葉を濁す。そうして歩くことを止めない。
右へ、左へ、また右へ……。暗闇の中で歩く道はどこへ続くのだろう。しばらくフニに導かれるまま歩いていると、五分ほどしてようやくフニは立ち止まった。そして「もう、いいですよ」と言われそっと目隠しの布を解く――解こうとする。
「……ねえ、フニ」
「なんですか?」
「ひょっとしてボーイフレンドの紹介とかだったりするの?」
「えぇっ、そんなんじゃないですけど、っていうかいないですけど」
そうか。ならいい。マーニャは勢いよく布を外して、しかと見た。
そこには。
目の前には、椅子ふたつと机がひとつ。机の上にはボトルワインと簡単な食事の載った皿がある。辺りは静けさに包まれた、学園の中とは思えない空間――高い生垣に覆われたそこは、迷路の中に入り込んでしまったようだった。
これは、一体――。戸惑うマーニャに、フニは微笑む。
「お誕生日おめでとうございます」
言われて、ぱちぱちとマーニャは瞬きをしてしまった。つい自分の顔を指差してしまう。
「誕生日?」
「はい」
「私の?」
「はいっ」
「今日だっけ?」
「今日です」
そうだったのか。そうか、誕生日か。あまり他人に誕生日を祝られることのなかったマーニャにとって、それは初めてに近い体験だった。
だからこんな手の込んだことをしたのか。机と椅子に酒と肴まで用意して、目隠しでサプライズにまでして……。
「ええとその、これっ。私が作ったブックカバー、です……」
「え?」
突然少女が差し出したのはこげ茶色の布に鮮やかな桜の花びらが刺繍されたブックカバー。文庫本サイズのそれは、手縫いだろう縫い目が見えた。だけど縫製は丁寧でしっかりしている。フニが作ったんだろうか。
「刺繍が……」
「はい。あの、初めて作ったものなので、いろんな人にコツとか教えてもらいました」
「色んな人って……ああ、なんだそういうこと……」
マーニャの肩から変な力が、がくりと抜けていく。重しを外したような力の抜けように「どうかしましたか」とフニが慌てていて、マーニャは大丈夫だと笑って見せた。
なんだ、勘違いか。そんな小さな事実ひとつで心に刺さった棘があっさりと抜けていく感覚には、我がことながら笑うほかない。
「ねえ、なんで桜の花びらなの?」
「それは……」
マーニャはおろおろしているフニに、気になっていることを訊いてみた。少女はうっと息を詰めて恥ずかしそうに目を逸らす。
「初めてお姉さまと会ったとき、窓から見えた桜が印象的だったから……」
「……」
――ああ、この子は。
ずっと自分だけを見ている。私を見て、私に見られようとしている。
つまりは愛されているということ。マーニャは変な事を確信してしまった。自分が思う以上に、自分という存在が誰かの心に入り込んでいると言う事実。そしてその感情を与えられることが生んだ、途方もなく暖かな熱の感触。
「……っ」
じんわりと胸を溶かす愛しさに、つい、視界が歪んだ。
「お姉さま?」
「大丈夫。涙ぐむくらい嬉しかっただけよ」
目端を指でそっと拭い、マーニャは代わりの言葉を探した。美しいブックカバーを撫でながら、自分からも返せるものはないかと思いつく。
ただただ本を読むことしかできない自分に出来ることがあるなら、
「何か……そうね、なにかお礼をしなくちゃ」
何がいい? と背丈の低い少女の瞳を見つめる。予想もしていなかったのかフニはわかりやすく動揺をあらわにした。
「えっ、なにが、って」
「なんでもいいの。今の私に叶えられることならなんだって」
「な、なんでも……」
その提案はフニにとって恐ろしく魅力的だったのだろうか。一瞬、ぼうっと呆けた少女は、見つめられていることに気付くと慌てて瞬きを何度かする。そしてワンピースの裾をきゅっと握ると、ぽつりと。
「だ、抱きしめて……」
「はい」
「ぎゅっとして……」
「はいはい」
「あ、頭を、撫でてくれればそれで……」
「どうぞ」
頬に触れるフニの体温は、太陽のように熱い。服越しに触れる胸の奥からは心臓の強い鼓動が聞こえて、マーニャは落ち着かせるように少女の頭を撫でた。そうして数分は経ったか、フニは「も、もういいです」と恥じらうようにマーニャから離れた。
別に、いくらでもしてあげるのに。こほんと咳払いしたフニは表情を切り替えてマーニャを酒宴の席に誘う。
「座りましょうお姉さま。ここは凄く静かで、人もめったに入ってこない場所なんですよ」
「こんなところがあるなんて思いもしなかった。意外と知らないものなのね」
「学園はとても広いですからね。私も、最近見つけたんです」
静かで、穏やかな時間が流れていて、とっても素敵。
高い生垣に覆われた夕暮れ時。世界は自分とフニだけになってしまったように錯覚する。だけど何も怖くないのが、マーニャにはおかしく思えて仕方がない。
(大丈夫。一人じゃない)
フニの用意したワインをそっと一口。マーニャの好みの味をした赤い葡萄酒は神様が祝福代わりに指先から血を流しているようだった。
(私は、確かに、本以上に得難いものを確かに得た)
感情は相互に通じ合ってこそ真価を発揮し、現実の何ものをも越えうる宝石になれる。
だから、ただただ本を読むことしかできない自分に出来ることがあるなら、どんな事でもしよう。
貴女を謳う詩を書こう。
貴女を讃える言葉を作ろう。
貴女に似合うものを探そう。
この学園のどこにも貴女を可憐に飾れる装飾品がないのなら――。
その時は、旅に誘ってみようか。
フニ。貴女とならどこへでも。