――寮の遠くが、いつも以上に騒がしい。
休日。目を覚ましたマーニャはいつもとは違うその賑やかさに、疑問を感じた。この学園は広い。そして無数の生徒たちは講義のない休日を静かに過ごすことが多いのだが。
既に起きていたフニが、物音に気付いてこちらを見た。椅子に座って本を読んでいたようだ。
「お姉さま、おはようございます」
「おはよう……なんだか騒がしいのね。お祭りでもあるの?」
「知りませんか? 今日は武闘大会なんですよ」
「武闘大会?」
ブトウタイカイ……。そんな行事、あったんだろうか。
「ほら、闘技場で魔法の模擬戦をするんですよ。それに合わせて学生の研究成果を展示したり、外部講師を招いて特別講演を開いたり……。あっ、あと一般の方にも学園を一部開放して屋台なんかも開いてるので、武闘大会っていうよりお祭りですね」
えらく早口にフニはそう言った。そして、少しこわごわと腕をもじもじさせながら、フニは訊いてきた。
「興味……ありませんか?」
「魔法の模擬戦ねえ。興味ないわね、だって私は魔法使えないもの」
マーニャは生まれてこの方、魔法を使えたためしがない。先天的な障害だ。そんなマーニャからすれば、魔法の模擬戦に興味を持てというのは難しい話だった。なるほど、だから自分は武闘大会そのものを忘れていたのか。
そうやって一人納得していると、肩をがっくりと落としてフニはぼそっと告げた。
「あ、あの。私、出るんです。試合」
「あら」
そこまで聞いてようやくマーニャにも合点がいく。道理でいつもより張り切っているのか。だとしたら、先ほどのは失言だったか。
マーニャはベッドから抜け出て、ヘアブラシを手に取った。
「なら見に行かなくちゃ。試合はいつから? 待ってて、すぐ支度するから」
「……!」
ぱぁっ、とフニの顔が明るくなった。寝ぐせを直しながらフニの予定を聞く。幸いまだ時間に余裕はあるようだ。
そうしてぱぱっと支度を整えて寮から出ると、学園の正門から真っ直ぐに伸びた中央通りは凄まじい人々の数でごった返していた。
香ばしい匂いに甘い匂いを辺りに広げる屋台たち。小物の露店に古着を並べた露店。自作の魔法書を売っているものや、魔法で作った複雑怪奇なオブジェまである。
「お祭りみたいなのねえ」
「ええ。著名人が迎賓されたりするそうなので」
なるほど、結構大規模なお祭りのようだ。まだ試合までは時間がある。何か屋台で買ってお腹を満たそうと言う話になった。
「あ、わたし何か買ってきます」
「いいの?」
「はい。わたしもまだ食べてないので」
じゃあお願いね、と小銭を手渡すとフニはすぐに屋台へと走って向かう。足のさばき具合がいつもより機敏で、よほど試合に気が急いているんだなとマーニャは気づいた。
しっかり応援してあげよう。どの観客よりも声を張り上げて。
そう考えている時だ。
「君」
と、マーニャは突然背後から声を掛けられた。なぜかマーニャには、その煙草で枯れた低い男声が自分を呼んでいるのだという確信があったのだ。
振り返る。
そこには、四十に入りたてだろう、やや白髪交じりの髪を後ろでまとめた男が立っている。知らない顔だ。一瞬ナンパかと身構えたマーニャは、しかし男の自分を見る目つきが『人』ではなく『物』を見る目だったことに気付く。
「なるほど。先天性の障害か」
「――はい?」
「いやにしてもここまで重度のものは初めて見る。興味が湧くな……」
急に、なにを。
そう問おうと口を開くマーニャより先に、男ははっきりと断言した。
「君、魔法が使えないんだな? それもまったくもって一切合切」
「……。」
さすがのマーニャも口をぽかんと開けて絶句した。
確かに魔法不全は先天的かつ重大な障害のひとつであり、また数十万人に一人という割合でしか発症しない奇病でもある。だが決して、外見にその異常さが表れるというわけではないし、普通に暮らすことが出来るのだ。
――なんで、分かって。
マーニャの背に意味不明な怖気が走る。思わず一歩たじろいでしまえば、男はようやく自分の奇特な行いに気付いたのだろう。申し訳なさそうに頭を掻いた。
「あー、いや、失礼した。私はアリ・アル・フリペチーノ。根っからの学者だから君のような珍しいケースに目がなくて……“大聖上”などと呼ばれているが、なに、ただの変人だよ」
「フリペチーノ、って……」
聞いたことがあるような――というか、身に覚えのある家名だ。
思い出す。ルームメイトの少女がどんな親で、どれだけ偉大な功績を成した人だったのかを。
「――お父さん、なにしてるの」
横から差し込まれる冷たい声。祭りで賑わう往来の中にあっても、その氷の刃じみた寒さに首が縮まりそうだった。
男――アリと共にマーニャは声の主を見る。少女の両手にはホットドッグが二つ。ふわふわと柔らかい栗毛は、今は鋼糸のように硬く感じられる。フニは男だけを敵意のまなざしで見上げていた。
「わたしのルームメイトの先輩に、なにをしてるの」
「ルームメイト……」
その一言を噛みしめるように呟いたアリは、自分とフニが知り合いだとようやくわかったらしい。ぎぎぎ、と軋むように首の向きを正して顔を真っ青にしながら聞いてきた。
「ひょっとしてフニの……うちの娘の、知り合い…………です、か」
コクコクと頷く。するとアリ――つまり、フニの父親は青を通り越して紫色にまで顔色を悪くして、大慌てで謝を下げた。
「本当に申し訳なかった! まさかフニの大事なご学友だとは微塵も思わず……!」
「ちょっと。それじゃわたしが友達ぜんぜん居ないみたいなんだけど」
フニがむすっとした様子で唇を尖らせる。
「私はこのように残念な変人なんですが、フニはそんなことはないと思うので。どうかフニの父親が変人だったからと付き合いをやめるとかそういう事だけは……!」
「え、ええ。大丈夫ですから。頭を上げてください。ほら、周りからも見られてますし」
さすがのマーニャも、自分より一回り年齢を重ねた男から腰を直角に折った謝罪を受けるのは落ち着かない。笑顔を少し歪ませながら頭を上げさせると、アリは未だに申し訳なさそうな目をしていた。
「ここの学長とは長い付き合いでしてね。私が来ると盛り上がるからと強引に連れてこられて、今迎賓室を抜け出てきたところなんですよ」
と、言い訳じみたことを言うアリ。気づけば敬語だ。少し据わりが悪いが、どうもフニの学友というだけで敬われるほどらしい。
「あの、お姉さま」
「なにかしら」
「ごめんなさい。どうも、もうすぐ試合に出る選手の待ち受け時間らしくて……。これでお別れみたいです」
フニからひとつホットドッグを受け取る。少女は眉を八の字にして少し肩を落としていた。一緒に回るのを楽しみにしていたらしい。ちょっと残念だ。
「そう。じゃあしっかり頑張って来てね。負けちゃだめよ?」
「どうせ勝つのはフニですよ」
その、自信みなぎる言い方。娘の実力をまったく疑う事のない親の一言に、フニは頬を赤らめて俯いた。
まあでも、確かに――。確かに親子なんだなとマーニャは感心してしまう。目元なんかはそっくりだし。魔法に関して絶対の自信を持っているのも。
マーニャはがぜんアリに興味がわいてきた。
「良かったら一緒に回りませんか?」
「お姉さま!」
信じられない! と言いたげにフニのまつ毛がふるふる震えた。それでもマーニャが何も言わないでいると、ついでキッと自身の父親を睨み上げた。
「……お父さん、変な事したら親子の縁を切るから」
「しないから安心して試合に臨め」
むー、と頬を膨らませて、フニは父親を目で詰る。アリが困ったように言えば、フニは渋々「じゃあ、行ってきます」と雑踏の中に溶け込んでいった。
自分の前では消して見せない一面にマーニャは少しご満悦だった。
「じゃあ……」
「ええ。回りましょう。お祭りですから」
「いやあ。娘ほどの歳の女性と話すのは久々なもんで。緊張してます」
「お気になさらず。どこにでもいる学生ですよ」
二人は並んで屋台の並ぶ通りをぐるっと一周して、それなりに空腹を満たした後闘技場へ向かうことにした。フニの出る試合の十数分前の事だ。
闘技場は多目的運動場よりも、式典向けに作られた施設だ。著名な建築家が携わっているらしく、その芸術的な
闘技場に入った途端、『――――!!!!』と学園内の騒々しさとは更に数段上の喧騒が二人を包んだ。
円形の闘技場は観客がところ狭しと座っていて、二人は円の外側の座席に、隙間を埋めるようにして座ることに。
「いいんですか? もっといい席で見れるのでは」
貴賓席のことだ。
「ああいう所は落ち着かなくて……。それこそ王侯貴族のお偉いさんも来るもんですから、ゆっくりできないんですよ」
俗っぽい言い分にマーニャは微笑んだ。座り、観衆の一人と鳴って白熱する試合を眺める。
「……あの子の母親は、あの子を産んですぐ衰弱死してしまいましてね」
隣に腰掛けながらアリはそう言った。そんな重い話をただの学友でしかない自分に話してもいいのだろうか。
「私は親としては失格だった。まあ、フニも聡い子で全く手間がかからなかったのも事実なんですが」
「聡い子などいませんよ」
つい口を挟めば、おや、とアリの右眉が持ち上がる。微笑みを崩さずに続けた。
「子は、誰しも産みの親に愛されたがるものですから、愚かなものなんです」
「希望的観測が入り混じる言葉だ」
「その通りですから」
少なくとも自分は。
その言葉を呑み込んで、試合観戦に戻る。佳境を迎えた戦いはより激しく、そして華々しく数々の魔法で闘技場を彩っていた。
魔法によって砕け散った氷塊の欠片が陽光を反射して、宙を舞った欠片を伝って雷撃が叩き落とされる。瞬間、雷撃を防ぐための土壁が構築されて、更にその土壁を槍のように変形させて攻撃の一手ともする。
美しい花が咲き乱れる、それこそ桜吹雪のような光景――。魔法という花々は、マーニャにとって幻想的すぎた。
「マーニャさんは、フニの魔法を見たことは?」
「いえ……実をいうと私はほとんど図書館か自室にこもり切りなので。授業もあまり被りませんから……」
「そうですか。凄いですよ、あいつの魔法技術の高さは」
そうアリは自身の娘を手放しに誉めた。それは娘を誇る父親の言葉とはニュアンスが違うように感じられる。実験成果を誇る学者の響きだ。
「正直に言えば、フニは既に私を超えているんです」
さすがにその一言には、マーニャは笑うほかない。冗談にしか聞こえなかった。
たった一人で文明を数十年は進歩させたとまで言われ、果てには“大聖上”とまで呼ばれるほどの人物を、まだ齢十二のフニが超えているとはさすがに思えない。
「無論、知識と経験……この二点においてまだまだ12の子供に負けるつもりはないですが、それ以上に重要な素質においてフニは私を超越している」
「それは、一体?」
「想像力」
端的に言い、アリは自身のこめかみを指で叩いた。
「想像こそが創造を呼ぶ。その一点において私はフニに敵わない」
その言葉の意味するところを、マーニャには理解できない。創造性――フニには優れたその資質があるのだという。魔法を使えない自分には遠い世界の話だった。
「今にフニは新魔法を発見するでしょう。それも恐ろしく人類に関わるだろうほどの新魔法を」
「それは……すごいですね」
自分には出来ない素晴らしいことだ。ぜひともフニには、栄光ある人生を歩んでほしいとマーニャも思う。――だからこそ、胸の内で燻る願望をどう吐き出せばいいのか分からないのだが。
「昔は、それこそ人形のように冷たい性格だったんですがね。世の全てに飽きていて、つまらないと目で語るそんな娘でしたよ」
だけど最近のフニは様子が違うとアリは語った。一応、細かく手紙のやり取りはしているらしい。文体が柔らかくなったのだとアリは付け加えた。
「あなたがフニを変えてくれたようだ」
「買い被りすぎですよ」
そう笑ってもアリの感謝のまなざしは変わらない。気恥ずかしくなって、マーニャは前を向き直した。試合は終わり、またすぐに新たな試合が始まろうとしている。フニの出番はまだだろうか。
「フニは……良い子です。すごく。私なんかよりも」
純粋な感情で自分を見上げてくれる存在。一緒に居てまったく疲労が溜まらない相手が、マーニャには貴重だった。魔法の機能不全という障害を持つマーニャには。
「実は、もうすぐここを卒業するんです」
「それはおめでたい。だけど残念だな。フニにはあなたのような人が必要でしょうから」
ちくりと心に刺さる言葉だった。この人は、どうも物事の本質を的確に口に出す性格らしい。なるほど確かに変人だ。
「卒業後の進路についてはもうお決めで?」
「いえ。その、迷っていることがあって……」
どうしよう。言ってしまおうか。この人は、フニの親だ。どんな反応をされるのか分からない。だけど、マーニャは言う事にした。
自分ひとりで決められないことは、他人に相談するほかない。
「――旅をしたいと、思いませんか?」
唐突な問いに、アリは答えない。男は顎をゆっくりと撫でながら眼前の試合をぼうっと見つめ、やや間を置いてから一言。
「フニを連れていきたいという事ですかな」
「……ええ」
敏い、敏すぎる返しの言葉だった。マーニャは素直にうなずく。彼女の両肩は硬く縮こまっていた。
自分の娘の人生の一部を預けてほしいと言われて、気を良くする親がいるのだろうか。マーニャには、よく、わからない。
だが予想に反してアリは何も言わなかった。自分の感情を整理するために黙っているのかとも考えたが、どうもそうではないらしい。
肯定の沈黙――アリは、華々しい魔法の応酬で瞳を焼きながら言う。
「私は父親として失格だ。とやかく言える立場ではありませんから」
そうですか、と。マーニャはたったそれだけしか言えない。マーニャもアリにならって騒々しい試合に目を向けた。
炎と氷が衝突し、光と音が炸裂する。激しい魔法戦はそれだけで十分娯楽たりえる。周囲の観客の熱狂具合を肌で感じて、それだけでマーニャの鼓動も昂っていた。
だが、どこかで冷めきっている自分がいる。
所詮自分には扱えない奇跡の群れだ。
「こうして見ていると、まるで私だけ別世界の人間みたいです。私には、出来ませんから、ああいうこと」
「……」
実家で暮らしている時も、『ひょっとしたら別世界から間違えて落ちてきたんじゃないのか』と思う時があった。物体を簡単な魔法で移動させる侍女、台所で発火魔法を使って炒め物を作る母。手を使わずに新聞を広げる父。身辺の事をほとんど手を掛けずに行えた姉たち……。
「私には過ぎた願いでしょうか。魔法の機能不全を持つ私が、誰かと旅などと」
マーニャだけが、誰かを頼らなければ生きていけない。
だから彼女は驕らない。過ぎた望みはいつも切り捨ててきた。そういう風に生きてきたからそれなりの生活を過ごせている。
だというのに、どうしてだろう。マーニャは旅を諦めることが出来なかった。
「あれでも血を分けた私の子供だ。目を見ればわかりますよ」
唐突にアリはそんなことを言った。
「目を?」
「ええ。あいつの、貴女を見る目」
父親は決してこちらを向かない。遠い遠い過去に思いを馳せている。
「あれは、妻に恋をした私の目にそっくりだった」
その言葉をどう受け止めればいいのか。
とにもかくにも、マーニャは決断の時がもうすぐそこまで来ている事を感じていた。
終わりは、近い。
少し時間は遡る。
マーニャ達と別れたフニは、試合に参加する選手の待ち受け所まで小走りに駆けていた。ホットドッグを齧りながら雑踏の間を縫うように移動しつつ、考えるのは『まさか父親がいるなんて』ということだ。
「しかも、お姉さまと出くわすなんて……」
あーもう最悪、とフニは胸中で重いため息を吐いた。口はホットドッグで埋まっている。
マーニャにあんな変人が父親だと思われたのが残念で仕方ない。もっとかっこいい人が父親だったらなあ、とフニはそんなことをぼんやりと考えながら、ホットドッグの最後の一かけらを胃に押し込んだ。
「よし」
何はともあれ、試合に集中しよう。きっとマーニャも見ていてくれるはずだ。……応援してほしいとは、結局言えなかったが。
待ち受け所まで残り数分の、闘技場のすぐ傍。観客は反対側の入り口から入るのでこの辺りには人気がない。――ふと、細身の人影に目が行く。
陽光を受けて艶めく豊かな黒髪はマーニャのそれを連想させる。年齢相応の皺こそあるものの、美しい女性だった。
そして、ぽつんと立ち尽くして右往左往する様は、明らかに道に迷っている。
「? どうしたのですか?」
近づいて声をかけたフニに、女性は頬に手を当てて答えた。
「ごめんなさいね。どうも、初めて来た場所だから迷子になってしまって……あの、ここはどこなのかしら?」
フニはここが闘技場のすぐ傍だと教えてあげた。ついでに行きたい場所を聞いておく。どうも、この女性は学生寮まで行きたいらしい。子供がここの学園に在籍しているんだろう。
この学園は非常に広い。初めて来る人が迷ってしまうのも仕方がないことだ。そして何より、女性の行きたがっている学生寮はちょうどフニとマーニャの部屋がある寮でもあった。
ちら、と腕の時計をフニは見る。まだ試合が始まるまで時間の余裕はある。近道を使えば寮まで行って帰ってくることは難しくないはずだ。
「良かったらわたしが案内しましょうか」
「あら。可愛らしい紳士さんね」
じゃあ、お願いしようかしら。そう優雅に言う女性は、膝を曲げてフニの手を取った。重なった手のひらはまるで母娘のようだ。
フニは女性と手を繋いだまま歩く。
「ご子息がこの学園に?」
「ええ。でも手紙だってたまに送ってくるくらいで、ぜんぜん実家に顔も出さないの。こういう機会でないと話もできないのよ」
ひどい娘よねえ。
「あ、娘の名前はマリアジュエって言うんだけど知らないかしら?」
「いえ。聞いたことのない名前ですね……」
「あらそう。あの子、手紙には『自分は結構有名らしくて困ってる』って書いていたんだけど。きっと嘘をついてるのね」
似たような名前なら、年上のルームメイトがそうなのだが。でもそういえばマーニャの本名って何なんだろう……。
「浮かない顔ね。悩み事?」
「あ、顔に出ていましたか。実は……このあと、大会に出るんです。わたし」
「まあ。そんなに若いのに立派ねー。それでそれで?」
「あの、ルームメイトの方に、応援してほしいって言えなくて……」
マーニャは「じゃあ見に行くわ」とは言っていたが、果たして本当に来てくれるだろうか。『興味ないわ。だって私は魔法が使えないんだもの』――マーニャのなんてことない一言が、フニには気がかりで仕方ない。
これまでマーニャが怒ったことなんてない。だけど、もし、フニの魔法を見て気分を害したらどうしようと考えてしまう。
フニは自分が恐らくこの学園で最高クラスの魔法技術を有していると自覚している。驕っているような言葉だが、事実なのだ。そんなフニの実力を垣間見たマーニャがどんな反応を示すのか――断言できるだけの自信が少女にはなかった。
マーニャに嫌われるようなことだけは、フニは死んでも嫌だ。
「見ていてくれるでしょうか」
そんなフニの不安が現れたひと言。俯きがちの言葉に、隣の女性は笑顔を浮かべた。
「あなたは、そのルームメイトさんが大好きなのね」
「だ、大好きとかそういうのでは」
「じゃあ嫌いなの?」
「……すきです、けど」
でも、どういう種類の『好き』かまでははっきりとしていない……と、思う。
「大丈夫よ。きっとその人も、あなたが活躍するところを楽しみにしているんだと思うわ」
他人事なのに、どうしてか強い確信を秘めた口ぶりだった。女性の節々から現れる自信はどこかマーニャに似ている。
「いいこと? 意中の人に見てもらいたいなら、精いっぱい背伸びしてお洒落をなさい」
「おしゃれを……」
「そう。化粧をして、可愛い服を着て、その人にしか見せない表情をするの。その人にだけ見せる顔をしてみるの。『あなたのことが好きです』と空気全体に示すくらいで行かなければきっと気付いてくれないわ」
愛は、形にしないと何も成さないのよ――と。女性は穏やかにそう言った。
「愛、ですか」
「ええ。友愛、親愛、性愛、情愛……どれも愛よ」
堂々とそう言い切られて、まだまだ幼いフニはつい顔を赤くしてしまう。恋愛小説だって、顔を赤くして枕に顔をうずめたり足をバタバタさせたりしながらでないとフニは読めないのだ。
「どんな愛も恥じることなんてないの。愛故に女は美しくなれるのよ。それにあなたはとっても可愛いくて若いじゃない。失敗したら、後悔すればいいのよ。失敗自体を恐れることなんてないわ」
人生の先達らしい豊かな言葉に、素敵な
全ての少女がこんな大人になりたいと憧れてしまうような、そんな人だった。寮が近いこともあり、尊敬を抱いてフニは尋ねる。
「あの。失礼でなければ、お名前、教えてもらってもいいですか」
「アイラ。アイラ・アイアス・ベネティード=フィフス」
「も、申し訳ありません。まさか貴族の方だとは……」
「いいのよ別に。気にしないで。田舎の小さな領地しか持っていない三流貴族だもの。私もほとんど庶民みたいなものなのよ」
ひらひらと女性が手を振る。そうして、二人は学生寮に到着した。時間も想像した通りぴったりだ。
「じゃあねフニちゃん。またいつか、どこかで」
「あ、はい。またいつか」
女性は寮へと入っていく。その落ち着いた背中を見ながら、――あれ? と首を傾げた。
名前……いつ教えたっけ。
ちなみにフニは当然のように武闘大会で優勝した。