女勇者のお供は僻み系少女   作:てりのとりやき

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学生時代、武闘大会の後で

 

 

 武闘大会で、フニの優勝をしっかりと見納めてから数時間後。夕刻時。マーニャは一人自室へと帰路を歩いていた。フニは少女の父親――アリと色々話したいらしい。

 そういうわけで寮へと到着したマーニャは、昨日から読みかけの本を読もうかと考えながら自室の扉を開き。そして。

 

「マリアジュエ。元気そうで何よりだわ」

 

 自分と同じ豊かで艶やかな長い黒髪。美しく微笑む瞳。――いつ見ても母娘なのだと思い知らされる。

 そこに居た妙齢の美女に、目を細めた。

 

「お母さん」

 

 二人部屋の、マーニャの椅子に座る女性。彼女は名をアイラと言う。

 マーニャを産んだ実の母親だった。

 

「……マーニャって呼んでよ。その名前、あんまり好きじゃないわ」

 

 部屋の扉を閉めて、ふーと重い息を吐くマーニャ。向かい合う形でフニの椅子に座った。アイラは落ち着いて微笑んでいる。

 

「あら、いいじゃないマリアジュエ。気に入ってるのに」

「安直すぎるのよ」

 

 マリアジュエとはマーニャの本名であると同時に、酒と肴の組み合わせの良さを指したりする詩的調和(マリアージュ)という言葉を多少もじったものでもある。あまりにも“そのまま”な名前なのでマーニャは、あまり他人に本名を言わないで過ごしている。

 

「で、なに? わざわざ遠出までして親子の絆でも確かめたくなったの?」

「辛辣ねえ。顔を見たくなっただけよ」

 

 おどけて言えば、同じように肩を竦めるアイラの仕草に、マーニャは懐かしい物を感じた。そうだ。この人はいつもこうやって自分をあやしてくれていた。

 

「手紙でいつも報告はしてるじゃない」

「文字だけじゃ伝わらないでしょう? だから来たの」

「そういうものかな……」

 

 一応、月一か二か月に一回かくらいの頻度で手紙のやり取りはしている。ほぼ一方的に母から送られてくる文通は、そのおかげか事細かに実家の様子が感じ取れていた。

 

「姉さん達は元気? 最近結婚したって聞いたけど」

「ええ。今妊娠三か月目よ」

「本当? すごいわね」

「ええ。孫の顔が楽しみで楽しみで。ああでも、もうすぐお祖母ちゃんって呼ばれるのかと思うと少し悲しいわ」

 

 アイラはそう言って悲し気に眉を歪めた。自分の美しさを疑わないその自信は、同じ『女』としても羨ましいとマーニャは思う。

 自分は、まだ、それほどの境地に立てないでいる。――若いからだろうか。

 

「手紙に書いてあったけど、もうすぐ卒業するんですって? 満足できるだけの本が読めたの?」

「うん。ほぼ全部読めたし、もういいかなって思ってる」

 

 母親のぶしつけな質問に、マーニャは素直に頷いた。そうして幼げな口調で返してから苦く微笑んでしまう。

 なるほど。自分の父親を見られて嫌がるフニの気持ちも分かると言うものだ。自分も、フニには母親に接する自分の態度をあまり見せたいとは思えない。

 

「ここ()、貴女にはもう無価値になってしまうのね」

 

 相部屋をじっくりと見回しながら発せられた言葉に、マーニャは淡く微笑む以外の表情を持てなかった。

 アイラと言う女性は、たとえ自分の娘が相手であろうと自身の尊厳を決して忘れない強かな(ひと)だ。その強さは一家を支え、家族の柱ともなった。だからマーニャは、真っすぐに自分へと向けられた皮肉(・・)を悲しむことも許されていないのだと、そう感じてしまう――所詮、子の我がままだとは思うけれど。

 マーニャは、よく二人の姉と諍いを起こしていた。家族の愛情を『押しつけがましい』と反発している幼少期だった。

 

「別に、実家が嫌いというわけじゃないわ。皆優しくしてくれたもの、人一倍ね」

「そう」

 

 だけどマーニャにとっては、その『人一倍』の優しさこそが不快そのものだった。

 きっとアイラもそのことを分かっていて、だから本人の前で嘆いている。

 

「進路、どうするの」

「……」

 

 目線の合わない女の言葉。同じような言葉を、昼時にフニの父親からも聞かれたな、とマーニャはふと思い出した。

 聞かれる内容は同じだというのに、どうしてこうも感じ方が変わるのだろう。

 

「学長から直々に、ここの図書館の司書長をやらないかって言われてる」

 

 率直な事実をマーニャが言えば、とたんに両手を胸の前で合わせてアイラは喜んだ。

 

「まあ。凄いじゃない。光栄なことだわ」

「ええそうね。私もそう思う」

 

 少なくともこの国の、この学園における司書長というのは非常に高い地位を持っている。情報の収集と保全管理が容易ではない以上、その保管者というのはそれだけで尊敬されるに足る職だからだ。

 きっと、栄光ある未来だろう。

 魔法研究の第一線に、魔法を使えない自分が携われる可能性はまったくもって。

 ――だけどマーニャの心は全く別の方向を向いている。

 

「ねえ、お母さんは本より経験の方が大事だと思う?」

 

 マーニャのわざとらしい話題の転換。アイラは大人しく食いついてくれた。

 

「その時次第でしょうね。どうやっても得られない知識なんかは本の方が有益でなくて?」

「……そう、ね」

 

 まるで鏡写しの自分と喋っているみたいだとマーニャは感じた。

 アイラという人は、それくらい自分と似ていて、やっぱり母親なのだなといつもいつも痛感させられる。

 

「怒らないで聞いてくれる?」

「怒らないから聞かせて」

 

 だから聞いた。恐れないで。自分の人生を選べるのは自分だけなのだと、そういう自信を必死に抱えながら。

 

「………………旅を、したいのよ」

 

 その、言葉に。

 自身の娘が栄光ある未来を捨てようとしている事実に――アイラは。

 

「いいじゃない。すれば?」

「け、結構悩んでるんだけど、さっぱりしてるね」

 

 マーニャの母親は実にけろりとした表情で、そう答えるだけだった。母親の笑顔は変わらない。柔和な頬の歪みはそれだけで美しい。

 

「当ててみせましょうか」

 

 尊敬してやまない母親が、児戯の如く人差指で自分を貫く。未来まで刺された幻覚に襲われたマーニャはゆっくり頷いた。

 

「独りで旅に出るのが不安なんでしょう? あなた、魔法が使えないものね」

「うぐ」

 

 探偵がするような、とうに真相を探り当てている言い方だ。マーニャはつい言葉を詰まらせてしまう。アイラが勝ち誇ったように笑顔を咲かせた。

 

「あなた、隠したいことはすぐ顔に出してしまうもの。丸わかりよねー」

「……そうです。大当たりです。私は一人で旅をするのは、ちょっと怖いなーと考えているんです」

 

 少しだけ拗ねて言い返してみても、アイラはくすくすとおかしそうに笑うだけだ。

 子供と言うのは、親から見れば何でも丸わかりなんだろうか。

 

「だから――誰かと一緒に、行きたいなって」

 

 心情そのままな言葉が口から出たのも、相手が母親だからだとマーニャは考える。それくらい自然に呟いていて、断言していた。そして、不思議なくらい確信もしてしまう。

 “もう自分は旅をすること以外に価値を感じないのだな”――と。

 

「道連れにしたいのは、フニちゃんでしょう?」

 

 ……どこで、知ったのだろう。

 マーニャは目を瞠ったあと、笑って頷くほかなかった。

 

「……正解。親ってすごいのね」

「もちろん。それに、あの子と行きたいんだろうなって思ったから」

「『あの子』? お母さん、もう会ったの?」

 

 手紙でルームメイトについては何度か伝えている。だけど、たったそれだけだ。だというのにこの母親は見事に出会って見せたのだという。

 

「ええ。色々お話したわよお?」

「……フニ、私の事は何か言ってた?」

「ふふふ。秘密―」

 

 少し気になったことを尋ねても、アイラは意味深に、若々しく微笑むだけだ。本当に20歳になる娘を産んだ経産婦なんだろうか。

 

「良い子でしょ」

「ええとっても! 娘にしたいくらい」

「ちょっと。実の娘がいるんですけど」

 

 唇を尖らせたが、アイラはちっとも気にしない。ひとしきりからかうように笑った彼女はやがて咳ばらいを一つしてから静かに告げた。

 

「……フニちゃんなら、大丈夫だと思うわ」

「そう? そう……だといいけど」

 

 マーニャは自信なく相槌を打った。とても、そうは思えない自分がいることに気付いている。自分には、それこそフニのような才能は無い。血統もない。ただあるのは膨大な知識だけで、それ以外に誇れることなどなにも……。

 

「あなたが思う以上にあなたには華があるの」

「華、ねえ」

「フニちゃんもあなたの美しさに惹かれてるんだと思うのよ」

「美しさって。若いだけじゃない」

 

 私にはわかるもの。――そうアイラは微笑んだ。

 今度こそ慈愛ある母親らしい顔で。

 

「あなたはね、マリアジュエ。あなたは今に素晴らしい事を成すのよ。それこそ歴史に名を刻むほどのことをね」

「何言ってるんだか……」

 

 その戯言には実家でもいつもいつも付き合わされてきた。

 この母親(ひと)はきっと分かっているはずだ。幼子にとって、周囲と違う事――つまり魔法が使えないことがどれだけのコンプレックスを産んだか。

 それでも囃し立てるようにして事あるごとに言い続ける母親に、いつしかマーニャも苦笑以外の表情を忘れてしまっている。

 

「魔法も使えない、本の虫なだけの非力な私が? 偉人の一人に名を連ねる?」

 

 そんな妄言を、どうして二十年も言い続けられるのだろう。

 マーニャにはよくわからない。

 

「ばかばかしい……お母さん、ちょっとボケてきたんじゃないの」

「あら。母親の勘を舐めちゃいけないわよ」

 

 娘の鼻で笑う一言を、アイラはちょっぴり憤慨した様子で腰に両手を当てる。

 

「わかったのよ。あなたを産んで、その泣き顔を見た瞬間に。あなたは“マリアージュ”のように、それこそまったく異質な二つの存在を繋ぎ合わせる橋になれるのだと」

「……」

 

 マリアジュエ。

 酒と肴(マリアージュ)美しい調和(マリアージュ)架け橋そのもの(マリアージュ)

 込められた願いと祈りを忘れたことなど一度足りとてない。

 愛情を感じなかったことなどないのだ。

 だけど――煩わしかったことも事実だった。

 だからマーニャは自分の出来ることに邁進し続けて、そうして今、ようやく“大図書館の司書長”という地位に就こうとしている。それを否定しているのも自分自身だ。

 

「あなたは星ほどの愛を注ぎ込まれたのだから。だったら美しい花を咲かせるのよ」

「お母さんは、変わってる。あなたの娘は自分の良き未来を蹴ろうとしているのに」

「どんな選択も応援するのが親でしょう?」

 

 ――それも、確信をもって。

 華々しい未来を得られると信じて。

 信頼という言葉の尊さにマーニャは敵わないなあと苦笑しかできなかった。

 

 

 

 

 夕刻時。

 二人で並んで歩くのは、それこそ何年ぶりだろう。

 いつも後姿を、背中を見ていてばかりだったように思う。物心ついてから思い出せる父親の記憶に、アリという男の顔はなかった。

 学園の外まで送る道。きっとアリなら、転移魔法で自身の研究所まで瞬時に跳べるはずだった。だけどこうして夕陽の落ち行く中で、自分と同じ時間を共有してくれている。その不器用な愛情を、フニもどことなくだが理解できる。分かる程度には成長できた。

 ひょいっと、フニは手の中にあったずっしりと重たい物体を放り投げた。実の父親に向けて。

 

「お父さん。はいこれ」

 

 放られた真鍮製の物体を慌てて受け取った父親は――アリは、首を傾げて掲げている。夕刻の橙色をした日差しはくすんだ黄金のトロフィーを美しく照らした。

 

「? なんだ、これは」

 

 疑問の問いに、フニは少しだけ落ち込む。自分の娘が授与されたトロフィーの形も覚えていないのが自分の父親なのだ。

 

「優勝記念のトロフィー。いらないからあげる」

「いらないからって……あのなフニ。親にゴミを押し付けるんじゃない。学校でそんなことも習ってないのか? お前はいったい何をしてるんだ」

「別に。そういう当たり前のことを教えてくれる人がいなかったし」

「む……」

 

 そっぽを向いて言い返せば、アリはトロフィーを抱えたまま顎を撫でさすった。この仕草はいつも言葉に迷う時のそれだ。

 

「なんだ、どうした。機嫌でも悪いのか」

 

 探る不器用な一言。フニは父親の方を向かないで言う。

 

「そんなんじゃないけど。ただ、年上のルームメイトにいきなり近寄る不審者が自分の父親だったことにショックを受けただけ」

「あれは、すまんかった。職業病みたいなもんだ」

「言っとくけど、お姉さまはお父さんみたいな人絶対タイプじゃないからね」

「そんな目で見とらんから安心しろ」

 

 歳を考えろ歳を、と冷静に言い返されて、フニはむすーっと頬を膨らませた。そういうの、わからないから釘を刺しているんだ。もしも自分の父親とマーニャが恋仲になるなんて最悪じゃないか。いや絶対ないと思うけど、思うけども。

 

「お前、成長したな」

「そうかな」

「そうだ。昔よりこう……眉間の皺が薄くなったというか……」

 

 一体どういう意味なのか。……きっと言葉通りなのだろう。アリという男は、嘘も言いつくろうことも下手くそな父親だった。親と呼べるほどのことをされた覚えもないけれど。

 

「あの後、話したの?」

「マーニャさんとか? ああ。少しな」

「ふーん」

 

 その頃フニは、アイラと言う素敵な女性と出会っていた。そのことをアリに話そうかとおも考えたが、結局やめた。この父親は一生バツイチでいいのだ。それが似合ってる。また誰かと添い遂げるなんて、フニは認めるつもりもない。

 どれだけ親として駄目な人でも、せめて自分の妻を愛していた感情くらいは信じていたかった。

 

「気にならんのか。一応言っとくがお前の悪口は出なかったぞ」

「気になるけど、聞くの怖いし」

 

 素直に言えばアリは重いため息を吐いた。

 

「……なあフニ。お前は私にそっくりだよな」

「は? 何言ってんのお父さん。やめてよ、ちょっと鳥肌立ったから」

「……」

 

 辛らつな娘の言葉に、アリはまた顎を撫でさする。それも何度も。やがていつも通りの感情に乏しい声を出す。

 

「いやな、お前がマーニャさんを見上げる表情が、お母さんを見ていた私にそっくりだったんだよ」

「……そうなんだ」

 

 その言葉を、どう受け止めればいいのだろう。

 フニにはわからない。

 

「わたしはまだ12歳で、お姉さまはもう22歳」

 

 少女の口から出たのはそんな事実の再確認だった。しょんぼりと遠くを見る目つきは、長いまつ毛に覆われて寂しさを湛えている。

 

「お姉さまはいつか遠くへ行ってしまう気がする。それがどこかは分からないけど……」

「結婚、とかか?」

「……お父さん、相変わらず空気読めないね」

 

 でも、そうだ。

 

「結婚っていう一番わかりやすい形で離れていくかもしれない。お姉さまは美人だし、素敵だし、かっこいいし、聡明だし、気品があるし……ちょっと前に貴族の人から告白されてたし……」

「お、おう。すごいなお前の中のマーニャさん」

 

 アリはまだ出会って間もないからそうやって驚けるのだ。一年以上を共に過ごせば、彼女の凄さが身に染みて分かるに決まっている。努力をして、本を読んで、一切驕らず、だけど気品ある自信を兼ね備えて……。

 自分が男だったらいいのにと思わない事はない。それほど素敵な先輩だ。 

 だからこそ――10歳も離れた歳の差が、残酷にフニの心をざわつかせる。

 

「いつか別れが来るのに、どうして人は誰かと添い遂げたがるの?」

 

 それはフニには決して分からない事だ。まだ子供でしかないフニには。

 フニの父親は、困ったように首裏を撫でた。少女と同じように結われた一つ縛りの髪が風に揺れる。そして、端的な答えを述べた。

 

「人の本能的な欲求だからだ」

「本能……」

「生物として、種として存続していくために子を作らないといけない。愛情はそのために必要な機構の一つなんだよ」

「子供を作れないなら、それは愛ではない?」

「極論を言うならそういうことになる。それこそ例を挙げるなら、同性愛なんてものは生存本能とは真逆の異質なものだろう」

 

 それはとても寂しい結論だ。フニは少しだけ苦痛に眉を歪めた。

 子を成せない感情に愛がなく、そして愛がないから誰と添い遂げる事にも価値がないというなら、それほど悲しい世界もないとフニは思う。

 一年以上前。世の全てを冷めきって見つめていたフニが、確かに見つけた溶けるほど熱い感情は、そんなにつまらないものじゃないはずだ。

 

「だけどまあ、それだけが人じゃないのが面白いところだな」

 

 沈痛そうに俯くフニを慮ってかそうじゃないのか、アリは言葉を繋げた。男の武骨な手はまた顎を撫でている。

 

「知ってるとは思うが、魔法を使えるのは世に二種のみだ。人間と魔物。それ以外の生物で魔法を使えるケースは非常に極稀で、先天的なものから無意識のうちに魔法を発動する『幻獣』なんてものもいるが……まあともかく」

「……」

「心を持ち、それを知覚することが可能な私たちは多様性に富んでいる。だからフニ、分からないなら、分からないことを解明することに心血を注げばいい」

 

 そういう生き方をすればいい、とアリは言う。研究者らしい言葉だと思った。

 

「そのためにすればいい事を、ここでは習わなかったのか?」

「……どうだろう」

 

 わからない。思い返せるのはマーニャと過ごした時間だけだ。それ以上の事は何一つ存在しない学園生活だった。充実してないと言われれば、それは否定できるけれど。

 

「フニ」

 

 過去に耽るフニを、ややもったいぶってアリは名を呼ぶ。顔を上げれば父親が立ち止まって自分を見つめていた。

 

「私がお前をここに送ったのはな、世話をする暇がないからというのもまあ理由の一つだ」

「ひどい父親だ」

「だけどそれ以上に、魔法しか映らないお前の瞳に、何か別のものを映してやりたかったからなんだ」

 

 いつも、その眼差しに父親らしさを感じたことはない。愛情に触れたことはない。あるのは常に研究者として、探求者として、真理を求める“何か”の目つき。

 愛した人を失った経験がそうさせたのか。自分では、その代替になれなかったのか――フニはそう考えたこともある。だけど無駄だと思い知らされた。

 “大聖上”アリ・アル・フリペチーノは頑なだ。

 その娘フニ・フラ・フリペチーノそっくりに。 

 

「少なくともお前は変わった。なら、もうどこかで得ているはずだ」

 

 似合わない言葉を言わせている。アリの表情は変わらなかったがそれくらいはフニにも分かった。そして何より、正門はもう近い。だから、それ以上何も言わずに、フニは明日の予定を聞いた。

 

「お父さん。明日は?」

「明朝にはすぐ研究所に戻る」

「大変だね」

「そうでもないさ」

 

 そうだとも。これくらい質素で淡白な会話をするのが自分達の“親子らしさ”だった。誇りこそあれ、残念がる必要なんて無い。あるべき形の一つなのだから。

 

「じゃあな。おやすみ」

「おやすみなさい」

 

 そして学園の正門を一歩超えれば、アリは瞬時に姿を消した。超高難易度の転移魔法を一切の詠唱なしに行う父親に、フニはじんわりと暖かい物を感じながらくるりと体を回す。もう、マーニャも帰っているはずだ。

 両の手は軽い。

 早く会いたいと、そうフニは思った。

 

 

 

 自室の扉を開ければ、さあっと涼しい風が頬を撫でた。部屋の窓が、空いている。

 夕陽も落ちた世界で、ランプを窓枠に置いて、ランプが転げ落ちないように素足でそっと挟む少しだけはしたない仕草。しっとりとした両の指が開く本。ゆっくりと体を預けて腰掛け、涼しい風を感じられるその窓枠こそが、彼女の定位置だった。

 

「ゆっくり話は出来た?」

 

 そう、本に目を通しながらマーニャは問う。フニは頷き扉を閉めた。今は父親のことなどどうでもいい。それ以上に、フニは、頼みたい事があった。

 

「あのっ」

「ええと」

 

 慌てて口を開けば、ちょうど本を閉じたマーニャも何かを言おうとしていた。――なんてタイミングの悪い。

 

「ど、どうぞ」

「フニからでいいわよ」

 

 マーニャは落ち着き払って微笑(わら)っている。優雅な表情に、フニは敵わないなと感じながら、その言葉に甘えることにした。

 

「あ、あの……。……」

「? どうしたのよ」

「……」

 

 そして、いざ何かを言おうとして言葉に詰まる。何を言いたいのか分からなくなってしまったのだ。

 別になんて事のない日常が今日もあっただけだ。マーニャはいつも変わらず美しい。だけど、ふと寂しくなってしまったのも事実で、それをアリと出会ったことでより浮き彫りになった気がする。

 自分は貴女の隣にいると言いたいのか。――違う気がする。

 じゃあ、一体、自分を急かしてばかりのこの感情はなんなんだ?

 

「あの、一緒に、寝ません……か」

 

 訳が分からないまま飛び出た言葉。フニは自身の失敗を悟った。

 あら。とマーニャは微笑みを少しだけ赤くするだけだった。やっぱり、おかしいだろうか。おかしいんだろうな……と想って俯いていると、マーニャが窓枠からランプをどかす音が聞こえる。

 顔を上げれば、マーニャは二段ベッドの下の段に入るところだった。腰を低くしたまま彼女がこちらを見る。どうしたの? と。

 

「……!」

 

 これ以上何かを口走ると、火でも吹き出してしまうんじゃないか。そう錯覚したフニは黙って、寝そべるマーニャのすぐ隣に入り込んだ。目の前にあるマーニャの柔らかい体にそっと近寄れば、ふわりと花の蜜のような柔らかくていい匂いがして、余計緊張してしまう。

 

「私、もっと重大なことを言うのだとばかり思ってたわ」

 

 ふふふ。とマーニャがくすぐったそうに笑う。フニは顔を耳の先をほんのり赤くして、その熱を隠すようにマーニャの鎖骨に顔をうずめた。よしよしとマーニャに背を撫でられるとそれだけで小さく息を吐いてしまうほど心地いい。

 ややあって、フニは鼓動を落ち着けてから顔を上げる。目と鼻の先にある美女の顔にどぎまぎしながら訊いた。

 

「お姉さまは一体何を言うつもりだったんですか?」

「……」

 

 気になっていたのはそこだ。自分の頼み事みたいに、きっと幼稚な内容ではないのだろう。それこそ……全然想像できないけど、例えば卒業論文に関する相談とか……。

 

「……あのね、フニ」

「?」

 

 マーニャはいつもより厳かに、少し落ち着かない様子で口を開いた。その、少しだけ早く回る舌の動きにフニはきょとんとしてしまう。

 いつもの優雅で落ち着き払ったお姉さまらしくない――。

 

「私がこれから話すことは、あまり簡単な話じゃないの。だから、少しあなたを悩ませてしまうかもしれないけど、いい?」

「悩まない方がいいんですか?」

「そうね、どうだろう。悩んでくれると嬉しいけれど、ちょっと怖いかな……?」

 

 そう、誰に聞かせるわけでもなく呟いて。

 マーニャは恐々と両腕に込める力を強めた。

 

「ぁ……」

 

 体と体は密着する。彼女の鼓動がフニの頬を伝って聞こえてくる。暖かい血の流動、甘い香り。フニの心がふにゃふにゃになる。

 

「フニ。私は――マリアジュエ・イーニア・ベネティード=フィフスは……」

 

 どこかで聞いた家名。だけどそれも気にならない。フニには直感で分かった。過ごした時間が培う経験ははっきり告げていた。

 

「私ね、旅に、出たいの」

「はい」

 

『選択を間違えればきっと一生後悔する』。

 不安なのは、マーニャとて同じ。

 なら自分に出来る事は彼女を抱き返すくらいしかない。

 

「だけど一人で旅立つのは少しね、少しだけね、怖いのよ」

「……」

 

 愛は形にしなければ何も成さないと素敵な女性(ひと)は言った。

 不定形で不安定な“何か”をどうにか形にしようと、不器用に口を動かす素敵な貴女(ひと)

 ああ……。

 この人は、確かに同じ血を継いでいる。

 

 

 

 

 

「だから一緒に付いてきて。私の側に、居て」

「わかりました」

 

 

 

 

 

 フニに、迷いは無かった。自分の人生全てを蹴る覚悟で頷いた少女に、震えたのはむしろマーニャの方だった。彼女は驚いた様子で、腕の中に締め付けたフニを見下ろす。

 

「……いいの?」

「ええ」

 

 大丈夫。マーニャの言いたいことは、十分に理解している。理解した上で自分はその提案に頷いた。共に居ることを選択した。

 どれだけの未来もきっとこの人と過ごす時間の前では霞むのだ。

 その美しさを捨てるほど価値ある未来など、あるとは思えない。

 

「というか、あの、わたしでいいんですか? わたしなんてまだまだ幼稚で、頭もそんなによくなくて。なのにお姉さまの側に居ていいんでしょうか」

「何……言ってるのよ」

 

 それは珍しく、静かな怒りを湛えた響き。フニが肩を震わせてもう一度マーニャを見上げると、既に女は柔らかい笑顔を浮かべていた。

 

「あなただからいいんじゃない。あなたとじゃないと、嫌なのよ」

 

 幸せを噛みしめる言葉。

 背に絡みつく両腕はより愛おしく、強く、きつく、フニの体を縛る。

 だけどその束縛がフニには心地よかった。落ち着けた。じんわりと暖かいものが溢れだした。ぼうっと瞼を下ろしてその感覚に浸ってしまう。

 

「いつ頃学園を出るおつもりなんですか?」

「そうね……あんまり考えてないけど……フニが卒業する頃でいいかしらね」

「そんな悠長な……」

「もう卒論自体は完成しているのよ。いつ提出してもいいの」

 

 だから、フニが卒業したいと思ったときに、マーニャは旅に出るのだと言う。だけどそれでは遅すぎる気がした。この胸にくすぶる感情を冷え固まらせる必要なんて無い気がした。

 そんな、フニの考えを敏感に察したのか。マーニャは変わらず微笑む。

 

「いいのよ。今はあなたが頷いてくれたってだけでとても嬉しいから。ね、そうでしょ?」

「そうですけど……」

 

 少しだけ不満そうな響きで頷いて、だからフニは心の中だけで考えた。

 マーニャの望む未来のために今自分が成すべき事を。

 

(よし、決めた。わたしはあと半年でここを卒業する)

 

 静かにフニは誓う。

 そうとも。マーニャに待ってもらう必要などない。そもそも、この学園で学べる魔法技術に興味はなかったのだ。そして更に言うなら、この学園に卒業に必要な規定年数は存在しない。

 功績には確かな結果を。

 才能にはより良き栄光を。

 ――そしてフニには、賢者である父から受け継いだ才がある。ならば何を成せば異例の10年もの飛び級卒業が認められるかなど、フニにはわかっていた。

 つまりは。

 

(新しい魔法の、創造――――)

 

 ――“大聖上”とは、“王の中の王”を指す。この際、『王』とは人をより良く導く人類の師そのものを意味した。

 アリ・アル・フリペチーノに与えられたこの偉大な称号は、三つの新魔法を発見したことによるものだ。その三つの魔法は人の生活に密接にかかわり、大きく貢献した。

 そして将来、フニは“至聖上”の名を拝命する事となる。もはや誰も越えられない導師として称えられた少女が編み出した魔法は、とても単純で、とても清らかなものだったという。

 

 

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