月に寄りそう乙女達 ~Irish Fairy~ 作:トライアヌス円柱
終章 裏タイトル 【月の少女】
緑の平原に2人はいた。
鬱蒼とした森の奥にある、一面の緑の広場。空には満月。どこかで見たことのある空の、見たことのある月である。森の向こうは薄靄がかっているようで、この広場だけが光に照らされているよう。
緑の絨毯をよく見れば、それはみなクローバーの葉だった。彼女らの国の象徴の白詰草だけではなく、幾つかの種類のクローバーで敷き詰められている。
この草花は、踏まれても強風に晒されても、豪雨の中に沈もうとも、健気に咲く、咲こうとする。この国を表す、この国に生きるものたちの心の在り処。
この国に生きる者たちは、生きた者たちは、どんな苦境にあっても、クローバーのように懸命に、必死に生きてきた。
ああ、あの日、夢で見た光景そのままが、眼前に広がっている。
「ようこそ、ううん、おかえり朝陽、私たちの国へ、私たちの故郷へ」
「はい、私は、この緑の国に帰ってきました。ただいまです、お嬢様、そしてお祖母さま」
月明かりに照らされた森の広場に、2人の少女が佇んでいる。
一人は金の髪の乙女。真円を描く月の明かりは、その黄金の輝きをくすませる事なく際立たせる。そう、彼女は月に愛されていた。
もう一人は銀の髪の乙女。彼女が発する銀の輝きは、まるで彼女自身が月の化身であるかのよう。それは間違っていないのかもしれない、月は、金の乙女を愛しており、彼女もまたそうなのだから。
金と銀の乙女は、緑の絨毯に身体を横たえ、そろって夜空を見上げる。
「夢で見た景色と、同じです」
「お祖母さまと一緒にここにいる夢、だっけ」
「はい、あの方はここを知っていて、私にその血が流れている、この月はその何よりの証拠です」
金の乙女を助けたいつかのあの日、生死を彷徨った意識の淵で訪れたこの場所と、出会った見知らぬはずの祖母。
思えばあの日の祖母の言葉と笑顔が、自分をこうしてここに連れてきてくれたのだ。
自分が白夜の少年ではなく、月の乙女になれたのは、あの祖母との夢があってこそ。この緑の国が自分の心の奥にあり、そして連れてきてくれるのが、金の乙女、我が主、大切なエストだと想う気持ちを揺るぎないものとしてくれた、泡沫の時間。
例え泡と消えても、その夢は染み入るように彼女の中に流れ込み、そして形となって彼女の目の前に広がっている。手の、足の、そして体と頭の感触で、現実にある場所として触れていることを教えてくれる。
満月の緑の広場、クローバーが敷き詰められたこの森の庭のような場所で、今度は祖母ではなく大事な人と、共に寝転んで空を見上げている。
「おかしな話ですけれど」
「うん?」
「夢で見た、ここに来るのが夢でした」
「叶っちゃったね」
「そうですね、叶っちゃいました。どうしましょう」
2人の間にあるのは、ただ静謐な空気。夢の中では祖母と遊びまわったけれど、あれは夢の中だから出来たこと。現実の彼女には、やはり身体上の縛りが多い。
だが、今はその縛りこそが愛おしい。確かに現実に、生きている世界の中に、この場所があったと感じ、信じられるから。この体の気怠さは、夢ではない証。
「夢といえば」
「なぁに」
「すこし想像したことがあるのです」
「どんなこと?」
「アーノッツの家が貴族として凋落することなく在り続け、私が貴女の侍女として仕えてる姿を」
「それも、叶っちゃったね」
「はい」
「あ、でもその先はないの?」
「先?」
「侍女までで終わり? 永久就職の方は?」
「そのときはまだ考えてませんでした」
「じゃあ夢を超えたね。それって淒いことだよ」
「はい」
当時はまだ自分は男性の戸籍と少年の身体を持っていたが、今は女性の戸籍と少女の身体に変わっている。
そして、このアイルランドで彼女に仕える侍女であり、伴侶にもなった。
夢を超えたといえば、まさにその通りで、なんだかおかしくなってしまう。
「エストさん」
「なぁに才華」
2人きりのときだけの、滅多にしない呼び方をお互いにする。
「もし私が本当に男性の体だったら、どうなっていたでしょうか」
「本当に男性の体? うーん、つまりはアトレさんの男性版ということ?」
「いえ、なんだかそんな自分は想像できません。私が思い描けるのは、白い肌と髪はそのままで、男性の身体を持った私です」
「へぇ、なんだか面白そうな想像だね。でもそっか、才華にとっては白い肌と髪以外の自分は想像できないんだね、フフ、なんだかおかしい」
「どうしてですか?」
「私もおんなじだから。どんなに想像しても、貴女の白い綺麗な姿が離れないの。男性の才華も、きっと白く綺麗な姿をしていると想う」
「ありがとうございます。背丈は……少なくともエストさんより高いほうがいいですね」
「そうだね、男性ならその方がいいかも。ルミネさんと同じくらいは欲しい?」
「ええ、ちょうどお父様と同じくらいですし。流石に衣遠伯父様くらい、のような贅沢は言えません」
「ねえねえ、その場合はお互いをどう呼んでいると思う? 私は男性の貴女をなんて呼ぶのかな? そして男性の貴女は私をなんて呼ぶの?」
「そうですね…… もしかしたら今と逆なのかもしれません」
「つまりエストさんと才華の逆、エストと才華さん、かぁ」
「なんだかこそばゆいですね」
「本当にね」
夜空を見上げたまま、二人の話は止まらない。
他に見るものがここにいれば、自分が妖精の国に迷い込んかと思えるような光景だ。満点の月、照らされる緑と白の露草、そしてそこに浮かぶ金と銀の妖精の姿。
ここは精霊たちの集い場であり、だからこうして妖精が集う。そう錯覚せずにはいられないだろう。ここはアイルランド、妖精の国とも言われている場所なのだから。
そして妖精たちの睦み合いは、続いていく。
「男性の貴女は、どんな人なんだろう」
「肌は同じですから、そこまで変わらない…… いえ、肺の病が無いのならば、全く違った性格になっているでしょう」
「そうだね。でもそれは同時に、この国に、私に繋がる絆でもあるの」
「それなら、ここにいる私よりは貴女を近くに感じないのかもしれません。そう思うと、寂しいです」
「その代わり、燃えるような恋をしたかもよ? だって男と女なのだから」
「ああ、その発想はありませんでした」
「きっとちょっと甘えん坊で、でも負けず嫌いな性格なんじゃないかな」
「ううん、あまり良い人物像ではありませんね」
「でも、貴女と同じところもあるよ」
「それは?」
「綺麗で優しいところ。白く綺麗で、根が優しい性格なら、それはやっぱり才華だよ」
「ふふ、それでは私のお母様も私になってしまいますね」
「もう、変なところで意地悪だね」
「ごめんなさい。でも、そうですね。男であっても女であっても、私が貴女に惹かれることは、きっと同じです」
「でもただの恋人関係じゃ面白くないね。こういうのはどうかな、デザインの才能は同じくらいで、いつも競い合ってる関係なの」
「それは、むしろ男性同士の関係では?」
「そうかもしれないね。でも男性の私は想像できないなぁ」
「私もです。素敵な男性であることは分かるのですが」
「そういえば、貴女が男性なら、そもそも従者になっていないね」
「お忘れですか、貴女の従者になったときは、私の戸籍はまだ男性でしたよ。つまりは、親子2代です」
「ふふふ、それは面白いね。ああでも、それだと、ライバルが多そう。ルミネさんに、ハルコさんにキュウさん、それにサクリさんもそうかな」
「……その発想もありませんでした」
「そういうところ、本当に可愛い、いつまでも綺麗な私のホワイトクローバー」
そこで会話が途切れ、しばし沈黙が流れる。
話の種がなくなったというより、2人ともこの空気を、雰囲気を、月の光を感じることを、楽しんでいるような沈黙。
夜空に流れ星が煌めいたとき、その沈黙は破られた。
「星……」
「星がどうかしたの?」
「星が綺麗ですね」
「月じゃないんだ、残念。あの告白はロマンチックで好きなのに」
「私は月の光がとても好きですが、それに負けないくらい星の光も好きなんです」
「それはどうして?」
「星の光、特にあの赤く光る星の光は、私たちには見えていても、実際はもうないそうです」
「そっか、星はすごく遠くにあるから、その光が届く頃には、その星はなくなっているんだね」
「はい、素敵だと思います」
「………無くなっても、そこにあるから?」
「……‥はい。形は無くなってしまっても、たしかに残るものはある、綺麗なものを残せる。夜空の星は、それを教えてくれますので」
「………もしかしたら、昔の人はなんとなくそれが分かっていて、『星になって見守っている』って語っていたのかもね」
「はい」
2人は黙って夜空を、月を、星の光を見ていた。見続けていた。
そして最後に、金の乙女が口を開く。
「ずっと貴女と一緒にいたい」
「私もです」
「でも無理なんだよね」
「はい」
「分かってはいるけど、嫌だね」
「はい。私も、貴女を失うのですから」
「おんなじだね」
「おんなじです」
2人の関係は、去る者と見送る者。しかし、片方が一方的に失うのではない、互いに互いを失うのだ。どちらもこれ以上深い悲しみはない。
それはまだ近くはない、だが、遠い先の話でもない。
2人は静かに語り合う、今までの日々を、共に過ごしてきた時間を、築いてきた思い出を。
片方が覚えていないことは、片方が補う。出会ってから2人が離れることはほとんどなかった。だからどんな時も思い出を共有できている。
「なんて綺麗だって、そう思ったの」
「いつのことでしょう」
「初めて出会った日、一目見て、貴女の白い姿に見惚れて、声が出なかった」
「懐かしいですね」
「変わらないんだ」
「…………」
「きっと変わらない。私の中の貴女は、ずっと綺麗なままの、白い女の子」
「………はい、いつまでも綺麗で可愛い、貴女の朝陽です」
「私の愛しい従者」
「私の貴き人」
緑の国の森の広場で、その少女はたしかに存在し、そして生きた。
どんな苦境にあっても咲く、クローバーのように、懸命に。
これは、それだけのお話。
月の光のように儚く、けれど星の光のようにその身は消えても小さく輝く。
そんな桜小路才華というかつて少年であった少女の、物語だった。
これにて完結となります。
ご愛読ありがとうございました。