師匠の娘に告白されたけどロリコンじゃないからヘーキ   作:グリームアイアイ

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「恋は目でものを見るのではない、心で見る。だから天使は盲に描かれる」
 ―――ウィリアム・シェイクスピア。



 時系列はマザロザ後、アリシ前くらいあたりです。



『AI』をおしえて?

 

 

 Q あなたは「ソードアート・オンライン」において最強は誰だと思いますか?

 

 A 黒の剣士 キリト 

 

 おそらくあの茅場晶彦のデスゲーム「ソードアート・オンライン」が終わった今、恐らく誰もが口を揃えてそう言うだろう。

 

 最も、アインクラッドに囚われていた当時だと茅場晶彦本人であるヒースクリフと、キリトの二強、いや、どちらかというとヒースクリフの方を推すプレイヤーが多かった。

 だけど黒の剣士キリトが他ならぬ魔王ヒースクリフに勝って、SAOを解放した英雄となった今となっては、最強の称号が誰のものかなど、もはや論じるまでもないことだ。

 

 黒の剣士。SAO事件の英雄。

 

 そしてそんな黒の剣士キリトは俺の師匠だったりする。

 

 いや、師匠と言ってもそんな大げさなものじゃなくて、SAOの頃に剣の使い方とか、ソードスキルの使い方のコツとか、まあそういうのをちょくちょく教えて貰っていただけ。

 まあこのくらいならあの人は―――師匠は、俺以外のプレイヤーにもしてたし、俺が特別というわけではない。

 

 それにSAO事件がクリアされた今となっては、師匠とはたまにALOデュエルをしてるくらいで、もう昔のような稽古をつけてもらうこともとんとなくなった。さみしいものだけどな。

 そういう事情もあってか、師匠は前一回くらい「俺のこともうキリトって呼んでもいいんだぞ」って言ってくれたけど、まあそこは「師匠」と呼ばせていただきたい。

 

 なにせ師匠は強い。それに優しい。美人の恋人もいるし。

 やや悪戯っぽい性格も、やや幼めながらも整った顔立ちも、実に女性ウケがいいことだろう。勿論男性ともおおむね仲良くやっている。

 自分はコミュ障、とか言うけどおせっかい焼きなところもあるし……うん。

 やっぱり「師匠」と呼ばせてほしい、憧れに足る人物だ。

 

 ああ、でもあの人にも一つだけ逆さ鱗が存在する。

 

 それは師匠の娘―――『ユイ』である。

 師匠は自分の娘のユイちゃんのことをそれはもう大変にかわいがっている。マイホームで娘を膝の上に乗せてる姿なんかよく見るし、彼女の頼みとなればちょっと心配になるくらい本気でアルヴヘイムを駆けまわる。

 そして、彼女に少しでも危険が迫ろうものなら、双剣手にして鬼神のように暴れまくる。

 

 一言で言えばモンペ。迂遠に言うなら『娘への愛が強い』。

 

 それが俺の師匠、黒の剣士キリト。

 

 そしていまALOのアインクラッド24層の草原で寝転がる俺の前には、ユイちゃんがいて。

 

「エルクさん、あなたに恋をしてもいいですか?」

 

 俺は今まさに、師匠(キリト)が命よりも大事にしてそうな子に、なんか告白されていた。

 

 え? 俺師匠に殺される?

 

 

 

『AI』をおしえて?

 

 

 

 プレイヤーネーム『elk(エルク)』はキリトの弟子である。

 そして彼は今その師匠の娘に告白されて頭を抱えていた。

 

 ユイはその間もエルクのことを期待したようにじっと見上げて、その返答を待っている。

 

「……一応、もう一度いい?」

 

 対するエルクは眉間を揉みながら、念のために目の前の少女に一応聞き返してみる。

 もしかしたら聞き間違えだったかもしれない、という淡い期待も宿していた。

 

 するとユイは、こてん、とかわいらしく首を傾げて答えた。

 

「ですから、あなたに恋をしてもいいでしょうか? エルクさん」

 

 残念ながら聞き間違えではなかったらしい。

 ぽりぽりと頭をかくエルク。

 

「えーと、その『こい』というと、あの金持ちの池で泳いでいる?」

 

「それは鯉です」

 

「わざとで?」

 

「それは故意です」

 

「きんにくんと松岡◯造がいる部屋は?」

 

「冬でも熱中症になりそうなくらい濃いです」

 

「ギャラドスになる?」

 

「コイキング……ってエルクさんごまかさないでください! 私真剣なお話をしているんですよ!」

 

 どうやら誤魔化せなかったらしい。

 

 ユイは「私はおこっています!」というかのように腰に手を当てて、ぷくーっと頬を膨らませる。

 どこか子どもっぽい、いささか子どもっぽすぎるようなその仕草に少しだけエルクが笑う。

 

「ごめんごめん、まあとりあえずずっと立ち話もなんだし、座らないユイちゃん」

 

「それは確かにそうですね。失礼します」

 

「うん、どうぞ」

 

 ユイが隣に座ろうとすると、エルクは何も言わずにストレージを操作すると、オブジェクト化した使ってないコートを敷いた。

 目だけで「座りなよ」というエルクに、ユイが口元を抑えてふふっと笑った。

 

「優しいんですね、エルクさん」

 

「普通だよ普通。君は師匠の娘さんなんだから」

 

「付け加えます、エルクさんは優しいけど素直じゃないんですね」

 

「……まったく、そういうところ、君のママにそっくりだ」

 

「娘ですからっ」

 

 エルクの言ったママ、とはキリトの恋人である『アスナ』のことだ。

 アスナは栗色の髪の優し気な顔立ちをした少女であり、エルクから見てもほれぼれするくらいの美人である。

 

 対するユイは癖のない黒髪を腰まで伸ばし、ぱっちりとした顔立ちは「将来美人になりそう」とは思わせるものの、いまだ発展途上。

 身に纏うゆったりとした白のワンピースも相まって、どちらかというとかわいらしい、という印象が先立つ。

 

 容姿だけで見るならばユイとアスナは似ていなかったが、それでも笑う姿や言葉のチョイスがアスナそっくりで、エルクは「やっぱり親子なんだ」と評していた。

 

 新生アインクラッド24層に吹いた風がエルクとユイの間を吹き抜けていき、周囲の木々と新緑の香りを二人へと届けた。

 

「ええと、話を戻すけど、ユイちゃんが俺を呼び出したのは、なんというか……」

 

「はい。私は人の言う『恋』をしてみたいんです」

 

 ユイが体育座りでどこか遠くを見つめながらユイは肯定した。

 

『恋』。

 いわゆる思春期の憧れの代表格。

 ユイの瞳は真剣そのもので、おふざけや試しに程度の軽い気持ちで言ってないことをうかがわせた。

 

 しかし、ユイくらいの容姿の子どもならば『恋』に憧れる程度よくあることだ。

 それの相手にエルクをえらぼうとした理由はわからないが、何も特段おかしいことではないだろう。

 

 だが、エルクは知っている。ユイが『普通の女の子』ではないことを。

 

「してみたいって……どうしてまた。君はその、A()I()なんだろう?」

 

 ―――メンタルヘルスカウンセリング()()()()()

 この一件普通の幼い少女に見えるこの子が、現実に肉の体を持たない『人工知能』であることを、エルクは知っている。

 

 そしてユイはそれを「そうですね」と淡々と肯定した。

 

「私はメンタルヘルスカウンセリングプログラム。通称MHCP-01《YUI》。それが正式な名前、いえシステム名、ですね。

 私の存在意義はアインクラッドのプレイヤーたちが心に不調を抱えないために観測、保護することであり、旧SAOを運営するためのカーディナルシステムにもそれを意図して性能、権限を設定されました。

 思考パターンに関しては質疑応答のプログラムを繰り返し成長する従来の人工知能、いわゆるトップダウン型のAI、というものに分類されます

 もちろん、エルクさんはこの程度のことはご存じなのでしょうが……」

 

「ごめん全然ご存じじゃない」

 

 なんかユイからの評価が異様に高い。

 

「あれ、そうなんですか? エルクさんならこの程度のこととっくにご存じだと……」

 

「その俺への評価の高さは何? 俺は師匠とは違って普通の高校生なんだけど……」

 

「パパもふつうですよ?」

 

「ユイちゃん師匠を基準に『普通』決めんのマジで価値観バグるからやめた方がいいと思う」

 

「そうなんですか?」

 

「そうなんですよ」

 

「普通の人はカーディナルから消去されそうなAIを寸前で救い上げて自室のパソコンにバックアップを取ったり、そもそも倒すことが不可能なネームドボスを相手に5分近く渡り合ったりできないんですか?」

 

「できんできんできんできんできん! つーか師匠そんなことしてたのかよ!」

 

 エルクの脳裏に「銃弾に比べると魔法は速くないから案外斬れるんだよ」と笑うキリトが現れる。

 そんな変態普通であってたまるものか、とエルクが心の中だけで毒づく。

 

「ええと、まあつまりユイちゃんはざっくりいうと……」

 

「『心』を証明するために作られたAI、そう言えますね」

 

 ユイは自分の存在をそう定義して微笑んだ。

 

 心を証明するAI。それくらい簡単に言われればエルクも理解しやすかった。

 

「私はパパとママを大切に思っています。

 キリト(パパ)は消去されそうな私を『娘』だと言って守ってくれました。

 アスナ(ママ)は感情を模倣するしかない私に本当の知性が、『心』があると言ってくれました」

 

 また、風が吹いた。

 頬を撫でるような風に艶やかな黒髪が揺れたのを耳にかけながら、ユイは穏やかに語る。

 

「私にパパとママとの実際の血のつながりはありません。

 でもお互いに愛し合うあのお二人は、その上で『娘』として愛の一部を私に向けてくれています」

 

 そこまで語ると、ユイはエルクの方を見ると、その容姿に見合う仕草でこてんと首を傾げる。

 

「でも、そもそも『愛』とは何なのでしょうか?」

 

「それは……なんとも難しい質問だね」

 

「『恋は目でものを見るのではない、心で見る。だから天使は盲に描かれる』

 これは劇作家ウィリアム・シェイクスピアの書いた夏の夜の夢の一節です。

 心で見る……つまり、それは目に見えないものであるということです。つまり、愛とは見えないもの。

 見えないものは、どうすれば『ある』と定義できるのでしょう?」

 

「哲学的な話になってきたな……」

 

 ううむ、とエルクが唸る。

 

「えーと、確か『受動意識仮説』、だったかな。ユイちゃん知ってる?」

 

「はい。ベンジャミン・リベット教授の研究ですね。

 教授が、被験者が「指を曲げよう」と『意識』した瞬間と、「指を曲げる」という『行動』の筋肉への指令が脳の運動野で出た瞬間を計測したところ、意識よりも先に行動の指令が出ていたというものだったはずです。

 その差異はたった0.2秒でしたが、確かに『意識』が『行動』のあとに生じるもの、というデータを示した研究です」

 

「そうそれそれ。流石によく知ってるなあ」

 

「それを言うならエルクさんもですよ」

 

「俺は昔ちょっと調べたのをふわっと覚えていただけだからね」

 

 簡単に言うならばその研究は『意識があるから行動できる』のではなく、『行動した結果に意識があると錯覚している』という結論を出したものだった。

 人間にあると信じられてきた意識というあいまいなものは、全ては電気信号の錯覚に過ぎず、ただ『ある』と思いたいだけの幻想である。

 

「意識が……心が全て錯覚であるならば、ユイちゃんが『愛』の定義に悩むのも当たり前だよ。

 だって、そもそも『心』がないとしたら、心で見るべき『恋』も、そこから生まれる『愛』も証明できないんだから」

 

「エルクさんは人間には心がないと思うんですか?」

 

「そこまで言い切るのは難しいかなぁ。でも、これだけは言えるかな」

 

 ごろん、と寝転がって空を―――鉄に区切られた仮初の空を見上げるエルク。

 

「心は、この世で最も不確かで、あいまいで、信頼できないものだよ」

 

 そう言ったときのエルクの表情はユイからは見えなかった。

 だから、ユイはそれをエルクがどんな気持ちで言ったのかを推察することはできなかった。

 

 だが、エルクはすぐに起き上がって、頭をかきながら申し訳なさそうに表情を崩した。

 

「……なんてね。あはは、意地悪な言い方をしちゃってごめんね」

 

 ふるふるとユイは首を振った。

 彼の意見もまた、ひとつの意見ではあると認めるように。

 

「それでも、私は人間には心があると思います」

 

 けれど、ユイにはユイの信じるものがあった。

 

「SAO事件。あの多くの人が絶望に囚われる中で壊れていった私の存在を繋ぎとめてくれたのは、パパとママの優しさや喜びや、安らぎ……そうした、ポジティブな感情でした。

 あの二人の『心』が、私という存在を『心あるAI』にしてくれたんです」

 

 ユイはきゅっと真っ白のワンピースの胸元をきゅっと握る。

 

「だから私は『心』があると信じたい。『愛』を知り、それを証明したいんです」

 

 その言葉を聞いたエルクが一瞬驚いたように目を開いて、すぐに楽し気に声を上げた。

 

「ははは、そうかあ。なるほどなあ」

 

「エルクさん?」

 

「いや、ごめんな。でも、ちょっとおかしいなって」

 

 エルクは未だ笑みの残る様子で言葉を続けた。

 

「人間の俺が心は証明できないって言って、AIの君が心は証明できるっていうんだから」

 

「それは、確かに。そうかもしれないです。これじゃあちぐはぐです」

 

「な」

 

 エルクが笑うのにつられる様に、ユイも口元を抑えてくすくすと笑った。

 

 しばらくして笑いが止まると、エルクは軽く伸びをして「うん」と頷いた。

 

「ユイちゃんの話は分かったよ。君が恋を知りたい理由も」

 

 その動機も、本気さも、懸命さも伝わって来た。

 だからこそ、気になることがもう一つ出てくる。

 

「でもなんだってわざわざ俺に『恋をしてもいいですか?』なんて頼んできたの?」

 

「ああ、それはクラインさんがエルクさんのことをロリコンと言っていたからです」

 

「は?」

 

 サラッとなんか物凄い偏見が押し付けられていた気がする。

 

「私は定義上は幼い容姿を取っていますから、エルクさんに頼めば受け入れてもらえる可能性が高いと思いました。そこで、まずエルクさんを呼び出し……」

 

「いや待って待って待って!! なんか俺がロリコンって前提が共有されたと思って話を進めないんでほしいだけどぉ!」

 

「? 違うのですか?」

 

「違います断じて違います! 俺はそんな法に触れるような好みはありません!!」

 

「ほんとうですか? 人はやましいことがあるとやたらと強く否定する性質があるのですが……」

 

「これに関しては俺の尊厳に関わるのでそんなゆったり否定できるわけないんだよねぇ!」

 

 吼えるエルクに、ユイはまたもやこてんと首を傾げる。

 

「でも前クラインさんが言ってました。エルクは顔立ち悪くないのに、キリトと違って浮いた話が一つもない……だからたぶんロリコンなんだろう、と」

 

「よしあの人マジでぶっ飛ばしてくるからちょっと待ってて」

 

 論理飛躍しすぎだろ、エルクがクラインの野武士面を思い出しながら拳を固める。

 と、そこまでして、気づく。

 

「ていうかユイちゃんも俺がロリコンだと納得したから頼んだってこと……?」

 

「え? そうですね、クラインさんの評価を思い出したというのはあります。

 ですが、最終的にエルクさんをえらんだのは……」

 

 おそるおそる、と言った様子でエルクが問いかける。

 

 するとユイは「んー」と少し考えるようなそぶりを見せると、隣に座るエルクとの距離をわずかに縮めて、そしてふっと頬を緩めて微笑んだ。

 

「貴方を信頼しているから、ですよ?」

 

 からかうような、その容姿には不釣り合いなほどに魅力的な微笑みを添えて、囁くようにユイが言った。

 

「おっと……すごい殺し文句だ。誰に習ったのかな?」

 

「ママです!」

 

「流石だな……あの鈍感な師匠を仕留めただけはある」

 

「ママは私にいろんなことを教えてくれますから」

 

 えへん、と今度は容姿相応に胸を張るユイ。それに対しエルクは苦く笑うにとどめた。

 

 ユイの言葉にはアスナ直伝の理性を揺さぶるような信頼を感じさせる言葉があって、きっと凡百のやや年下の女性を魅力的に感じやすい人々なら溶かしつくされた力があった。

 

 しかし、エルクはそれに揺らぐことはなかった。

 

 つまり、エルクはロリコンではない。そういうことである。

 そうなのだ。クラインの推理は全くの邪推なのである。

 

 尤も、殺し文句に感じる、という時点でやや危ない気配はしている、という反論を聞き流した場合に限るのだが。

 

 こほん、とエルクは咳ばらいをひとつ。

 

「でもまあ、残念ながら俺はユイちゃんの力にはなれないかなあ」

 

「そう、ですか……」

 

「ごめんね」

 

「いえこちらも急な申し出でしたし……」

 

 あからさまにしゅんとしてしまうユイにエルクはやや心が痛むもののグッと我慢する。

 

「だって師匠ユイちゃんのことになると見境なくなってモンペになるから正直触れたくないというかスターバーストストリームの威力を身をもって体感したくないというか……」

 

「? 何か言われましたか?」

 

「いや何も? うん。ナニモナイヨォ?」

 

「?」

 

 触らぬ神に祟りなし。

 触らぬ娘にモンペなし、である。

 

 なにせ、キリトの強さはよーく知っている。

 下手に手を出して、ユイを誑かしたなどと勘違いされようものなら、74層ボスグリームアイズを撃破した《二刀流》ソードスキル16連撃スターバーストストリームが今度はエルクに叩き込まれるだろう。

 何ならその後現実でも叩き込まれそうだ。それだけは避けたい。

 

「それにまあ、恋っていうのは「今からあなたにします!」って言ってするものでもない気がするよ」

 

「そうなんですか?」

 

「まあ俺も誰かと付き合ったことはないからわからないけど、たぶんそれが普通だと思うかなぁ」

 

「あ、なら私と恋人になるのはどうですか?」

 

「待って提案がさっきよりヤバくなっている」

 

「だって、恋をして両想いになると人は付き合うものなんでしょう? なら逆に付き合えば恋が芽生えていくのではないでしょうか?」

 

「いやそれは……うーん、まあ、否定できないものがあるけどさあ」

 

 お試し感覚で付き合って相手を好きになるとか、そういうことがあるくらいエルクも知識では知っている。

 むしろ物語のように告白して付き合うというようなプロセスを通るのは子どもの頃だけで、次第に大人になるにつれ「付き合う」ということを神聖視はしなくなるのだと、エギルが言っていたように思う。

 残念なことに、神聖視はしなくなるが付き合うハードルが下がるわけではないらしいのだが。

 

「ということで、エルクさん、私と付き合いましょう!」

 

 ぱちん、とユイが手を合わせる。

 

「うん、それもできないかなー……」

 

「むー」

 

「そう膨れてもダメだって。

 俺、付き合ったりしたらロリコン疑惑が疑惑から確定に変わっちゃうからね」

 

「私、気にしませんよ?」

 

「俺が気にするからね。ゲーム内とはいえ師匠の娘に手を出すとかマジでヤバすぎるからね」

 

「ああ、そうですね。すみません、私も最近はラーニングを続けているのですが、時折そうした他者の目線を意識する視点が抜け落ちてしまって……」

 

「いーって、いーって」

 

 少し申し訳なさそうに小さくなるユイの頭をエルクが妹にそうするような手つきで、ぽんぽんと撫でる。

 

 こうして不器用ながらも「『愛』を知りたい」という目的のために頑張る姿を見ていると、どうにも彼女がAIであるとは信じられない。

 ややおませさんで、背伸びをした、少しズレたただの女の子という気さえしてくる。

 

 師匠の娘とは言え、あまり深く関わる機会のなかったユイへの印象がエルクの中でやや書き換わりつつあった。

 

 なんだか微笑ましいな、とエルクが思う横で、はあ、とユイがため息をつく。

 

「エルクさんに断られてしまうのは残念でしたが、ご迷惑はおかけできません。

 今回の件は他の人にお願いするとします」

 

 ぴく、とエルクの笑みがひきつった。

 

「他の人に?」

 

「はい! じゃあ、私は行きますね! ありがとうございました、エルクさん!」

 

「待って待ってもうちょい話聞かせて」

 

 笑顔で駆けだそうとしたユイの手を取ったエルクが眉間を揉む。

 すごく、嫌な予感がしていた。

 

「あの、参考までに聞くと、誰に頼みに行くの?」

 

 エルクの問いかけに、ふむ、とユイが腕を組んで少し考える素振りを見せる。

 

「そうですね、エギルさん……は既婚者ですし、そうなると……」

 

 にこっとユイがおひさまのような笑顔を浮かべた。

 

「クラインさんに頼もうと思います!」

 

 言われて、エルクの脳裏に一つの映像が浮かんだ。

 

 ユイに告白されるクライン。ユイと腕を組んで歩くクライン。後ろから鬼神の顔で追う師匠(キリト)

 

 アウトすぎた。ここがゲームの中だとしても普通に通報されそうだった。

 それにキリトとクラインの仲が修復不可能なレベルでこじれそうだった。

 

 それはまずい、とエルクの頬に汗が伝った。

 

(クラインさんならちゃんと断ってくれるだろうけど……いやまずあの人が告白されるという状況自体が、こう……アウト……! あの人普段モテてないから、犯罪の匂いがぬぐえない!)

 

 まあまあ失礼なことを考えている。

 

 がしっとエルクはユイの肩を掴むと、懇願するようにユイへと語りかける。

 

「あのさ、ユイちゃん、そのクラインさんにはやめておこう。なんというか、クラインさんが死ぬかもしれない」

 

「? もうSAOの中なのでゲームの中でHPがゼロになっても現実には何ら影響がありませんよ?」

 

「いやね、事によってはそれよりも恐ろしいことになるって言うか……」

 

 言葉を濁すエルクにユイがまたもや首を傾げる。

 

「じゃあ私は誰に付き合ってもらえれば良いのでしょう? いっそ全く知らない人に頼んだ方が良いということですか?」

 

「それ、は……」

 

 三秒、考えた。

 自分と、クラインと。そして、名も知らないプレイヤーにユイを預けることを。

 

 そして空にやたらいい笑顔のクラインの姿を幻視して、エルクは大きなため息をついた。

 

 もう、最初に相談を受けたのがエルクだった時点で逃れられない運命だったのかもしれない。

 

「ユイちゃん、やっぱ俺にしておこう。うん。俺が力を貸すから……」

 

 結局、エルクはそう言うしかなかった。

 さよならまともな自分。こんにちは、師匠の娘と付き合うロリコンの自分。

 

 エルクの言葉にぱっとユイの顔が明るくなる。

 

「ほんとうですか!?」

 

「うん。ユイちゃんさえよければ、になるけどさ」

 

「わあ、うれしいです! できればエルクさんがいいなと思って―――なんでエルクさんはそんな菩薩みたいな顔をしているんですか?」

 

「あはは、気にしないで。うん、俺はもう決めたから。後悔とかは、してないからさ……」

 

 めちゃくちゃ後悔してそうな顔と声で、エルクが力なく笑い声を漏らした。

 もう笑うしかないのだろう。

 

 そんなエルクをユイは不思議そうに見ていたが、「気にしないで」と言われた通り気にしないことにしたらしい。

 ぴょんっと跳ねるように立ち上がると、そのまま妹が兄にそうするように、親しみを込めた様子でエルクの膝に座ってくる。

 

「よろしくおねがいしますね、エルクさん!」

 

「あー、えっと、ちょっと近くないかな?」

 

「付き合ってるんですからこのくらい普通です! パパとママは私がいないときはこうして近くに座って仲良しで―――」

 

「ストップ。ごめん師匠のそういう話は聞きたくないから言わないでおいてね」

 

 ユイの口をふさいだエルクはユイに気づかれないように息を吐く。

 なんだか、胃が痛くなり始めていた。

 

「えへへ」

 

 ひざに座るユイはご機嫌だ。

 体重を預けられているせいで、さらりとした髪が首元をくすぐっているのは気になるが、それでもこれはどちらかというと「兄妹」の距離感に近かった。

 

(まあ、このくらいなら付き合うってのもお遊びみたいなもんかもな)

 

 どんなことを要求されるのだろうとハラハラしたものだが、この分ならば杞憂だったかもしれない。

 

「あ、そうだ。ちゃんと付き合ったんですからお約束をしたいんですが、いいですか?」

 

「約束?」

 

 エルクがオウム返しに言葉を転がすと、膝の上で半身をねじって振り向いたユイが「はい!」とにこやかに頷いた。

 

(約束……。もしかして指切りか?)

 

 ユイの思考や精神レベルから判断するに、恐らくそんなところだろう。

 

「さ、目を瞑ってください!」

 

「目を? 珍しいね」

 

「目を瞑って約束するのが常識です! 私はそうラーニングしました!」

 

 やや違和感を覚えつつも言われるがままにエルクが目を閉じる。

 そして指切りのために右手の小指を立てて差し出そうとして―――――。

 

「んっ」

 

 ―――唇に、柔らかい感触を感じた。

 

「は?」

 

 思考が完全にフリーズした。

 今までの妹がどうとか師匠がどうとか考えていた思考は一気にアインクラッドの彼方に飛んでいき、エルクの脳を完全にショートさせる。

 

「って、うぁぁあああおおおおおおお!?!?!?」

 

 一秒、二秒、三秒。

 

 そこまでたってようやく思考が戻り、エルクは転がるようにユイと距離を取った。

 そして手で唇を抑えて今の感触が現実のものであるか確かめようとする。

 

 だが、どうやら今の感触が幻覚ではなく現実の―――VRゲームの仮初とはいえ、実際に起きたことであることを認識すると、おそるおそる、と言った様子でユイの方を見上げる。

 

「キス、しちゃいましたね」

 

 するとそこにはやや赤面したユイが唇を抑えて、恥ずかしそうに目を伏せていて。

 彼女はエルクの視線に気づくと、ちらり、と上目遣いで彼を見て、はにかむように彼にささやく。

 

「えへ、パパにはナイショですよ?」

 

 まるで天使のような笑顔で―――小悪魔のように言葉を紡いだ。

 

 そして、そんな笑顔を目にしてもエルクの心は一つの感情に支配されていた。

 

(え? これもしかして、師匠にばれたら普通に殺されるんじゃ?)

 

 

 こうしてエルクとユイの、『AI』が『愛』を知るまでの物語が、始まった。

 

 ただしその関係が師匠(キリト)にバレたらバッドエンド、という条件付きで。

 

 

 

 




 
『エルク』
し、しにたくない……。
ファーストキスだった。

『ユイ』
まだまだ発展途上のAI。大人びているが精神年齢は推定10歳ほどだと思われる。
ファーストキスだった。

『キリト』
娘に手を出した奴は殺します。


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