好きな人に、好きな人がいる。   作:泥人形

1 / 3
好きな人に、好きな人がいる。

 

 

 ファーストキスはレモンの味。

 そんなことを言い始めたのは、さて誰だったろうか。

 物心つく前からその言葉は普及していて、だからこそ、気付けばみんな、そんなことは常識のように知っていた。

 だから、おれもそういうものだと思っていた。

 そうではないことを知ったのは、十四歳の時。

 現実世界風に言うのなら、中学二年生の春。

 この世界風に言うのなら、アインクラッド60層攻略後。

 おれは初めて、キスをした。

 ファーストキスは、思っていた以上に味気のないものだった。

 

「いやっ、なんてこと言うんですか!? あたしのファーストキスでもあったんですよ!?」

「そもそもVR世界でキスの味なんてするわけないし、当たり前っちゃ当たり前なんだけどな」

「くっ、これだからロマンのない人は……!」

 

 もぎゃーっと実に不満げに睨んでくるのは、短剣使いのシリカであった。

 その肩に乗るスカイブルーの小さなドラゴンが、「くきゅるるーっ」と主人に同調するように嘶く。

 シリカはSAOでは珍しいビーストテイマーだ。それも従えているのは、フェザーリドラと呼ばれるレアモンスター。

 最前線じゃともかく、中層では『竜使いのシリカ』なんて呼ばれるくらいの人気者で、本人の愛らしい容姿も相まって、アイドル扱いされている。

 ただでさえ女性プレイヤーの少ないSAOにおいて、シリカの知名度はまあまあ高い。

 そんなシリカが、

 

「だからシウさんはダメなんですよ。乙女心というものが分かっていません!」

 

 なんて、頬を膨らませながら言った。

 シウさん──シウ。

 それがアインクラッドにおけるおれの名前で、現実世界と比べれば、実に纏まったスマートな二文字。

 それが今のおれ。

 この世界で、一人の剣士として戦っている、おれの名前だった。

 

「そんなこと言ったら、シリカだってその……何? 男心とか分かってないだろ。お互い様だ、お互い様」

「あ、あたしは分かるもん!」

「へぇ? 例えば?」

「たっ、例えば!?」

 

 思わず敬語が剥がれ落ちるくらい動揺したシリカを肴に、エール酒を煽る。喉を少し焼くような、アルコールの感覚。

 それでいてVR世界で酔うことはないのだから、この時だけは大人になったような気分を感じられる。

 おれの無茶振りに、「えぇっと……」と頭を回すシリカ。少しだけ開いた口に、串焼きを一口くれてやった。

 

「あむっ、んんっ、んっ、何するんですか、急に。喉詰まらせちゃいますよ」

「いや、意外と悩んでるシリカってのは可愛いんだなと思って」

「か、かわっ……!? もうっ、軽々とそういうことを言わないでくださいっ」

「別に良いだろ。おれたち、付き合ってるんだし」

「それは、そうですけどぉ……」

 

 時と場所を考えてくださいよ、と唇を尖らせるシリカだった。

 時間は夕方。場所は57層主街区:マーテンの端っこ。

 他にプレイヤーは見当たらないし、別に良くないか? とは思ったものの、NPCはいるのだから、まあ仕方ないかと一人頷いた。

 SAOのNPCは、それこそ本当の人間かと見まごうほどに良く作られている。

 気にする人は気にするだろう。

 

「や、そうじゃなくてですね。そういうのは、こう、二人っきりの個室とかでじゃないですか?」

「えぇ、逆にヤダよ……ちょっとインモラルな雰囲気出てるだろ、それ」

「……シウさんのえっち」

「何でそうなるんだよ……!」

 

 頬を赤らめるシリカに、ふかぶかとため息を吐く。

 とはいえ、おれとシリカは確かに、そういった雰囲気の中にいても、まあおかしくはない仲であった。

 何故なら、おれたちは付き合っているのだから。

 いわゆる恋人関係。

 別にお似合いって訳でも無いだろうし、おっさん率の高いSAOの住人からしてみれば、子供のおままごとのようにすら見えるかもしれないが、一応はれっきとした彼氏彼女の関係だった。

 結婚はしていないが。

 もちろん現実の話ではなくて、システム的な話である。

 SAOでの結婚システムというのは、そういう恋愛関係にある二人がするものであり、現実のそれとはかなりハードルが低いものだ。

 

「でも、良かったです。シウさんが今日も無事に帰ってきてくれて」

「何だそりゃ。早々死なないよ、このレベルになったら」

「そうは言っても、最前線は危険じゃないですか。それに、今日はボス戦だった訳ですし」

「まあ、な……つっても、ここ最近の攻略は安定してるからなあ。今日も恙なく進んだよ」

 

 初めの内は非日常だったモンスターや迷宮攻略、ボス戦なんかも、一年も経てばすっかり日常に溶け込んだ。

 今では週一くらいのペースでボス攻略が行われており、ようやくゲームクリアにも現実味が帯びてきたというところである。

 おれも、一応はその攻略集団に混じるプレイヤーの一人だった。

 血盟騎士団(KoB)という、大きなギルドの一員である。

 

「シウさんって、如何にもソロプレイヤーって顔なのに、あのKoBの副団長補佐なんですから、人は見かけにはよりませんよねぇ」

「サラッとおれに失礼過ぎない? どういう顔してんだよ、おれは……」

「そうやってすぐ目を死なせるところとかですよっ。あ、それ一口、貰っても良いですか?」

「目は関係ねーだろ……シリカって酒、飲めたっけか?」

「飲めますけど、あんまり好きじゃないですね」

 

 シリカは、そんなことを言いながら一口、おれの手にあったエール酒を煽る。

 好きじゃないなら飲むなよ……なんて文句を言う前に、シリカの髪に指先だけで触れた。

 綺麗な茶髪がさらりと揺れる。シリカの緋色の瞳と、近い距離で見つめ合った。

 

「今日、髪下ろしてるんだな。おれ、ツインテよりそっちの方が好きかも」

「そういうのは会った時に言うものなんですけど……まあ、良いです。許してあげます」

「どっから目線だよ」

「彼女目線、ですよっ」

 

 言いながら、どちらともなく唇を重ね合った。

 目を瞑り、互いを幼く求めあう。

 キスを何度重ねても、レモンの味はしない。

 甘酸っぱさはなくて、どちらかと言えばアルコールの苦い味がした。

 けれどもやめられない。

 きっとそこには、味以上に必要なものがあった。

 

「……っは、シリカ、お前がっつきすぎ」

「なぁっ!? そ、そそそんなことないですけど!?」

「あるから言ってんだよ……でも、ちゃんと()()()()()()()()()?」

「もちろんです。シウさんこそ、あたしはちゃんと代わりに──()()()()()()()()()になれてましたか?」

 

 その言葉に、小さく笑って頷いた。

 それが全てだった。それが、おれたちの関係を端的に表している会話だった。

 

 おれたちは付き合っている。

 だけど、かけがえはある。

 

 おれたちは好き合っている。

 だけど、一番じゃない。

 

 おれたちは好きな人がいる。

 だけど、それはお互いじゃない。

 

 おれはアス姉──アスナ。結城明日奈のことが好きで。

 シリカはキリ兄──キリト。桐ケ谷和人のことが好きだった。

 

 

 

第一話 好きな人に、好きな人がいる。

 

 

 

「あーもう無理! 無理無理無理無理! アスナさんが相手とか、あたしに勝ち目無くないですか!? うわーーーんっ! もうヤダーーーッ! 無理ーッ!」

「まーた発作が始まったな……じゃあ何? 諦めるのか?」

「誰もそんなこと言ってないじゃないですか!? これはただの泣き言です!」

「泣き言なのは認めるのか……」

 

 おれの小言に耳を貸すことなく、シリカはわんわんと文句を吐き出しながらベッドで大暴れする。

 ここ、一軒家とかじゃなくてただの宿屋だから、あんまり騒がないんで欲しいんだけどな……。

 どうすんだよ、隣に泊まってるプレイヤーからクレーム入れられたら。

 

「その時はシウさんが出れば一発ですよ。何せあの血盟騎士団(KoB)なんですから、もうそれだけで威圧しまくれますっ」

「権力に頼ろうとすんじゃねぇよ……! 大体、うちにそこまでの力はない。聖竜連合(DDB)なら、また別かもしれないけどな」

「あそこの人、本当に怖いですからね……」

 

 血盟騎士団と、聖竜連合。どちらも今の攻略組を引っ張る二大ギルド。

 巷じゃ最強のKoBと、最大のDDBなんて言われてるくらい、微妙に対立しているギルドだった。

 比較的まともな面子の多いKoBと違って、DDBはオレンジプレイヤーとか普通にいるからな。

 そういう意味では、DDBは中層プレイヤーにも警戒されるギルドの一つでもあった。

 

「ま、とにかく、せめて深夜に発作起こすのはやめろ。せめて昼だ昼。出来ればおれがいないところで叫べ」

「なんてパートナー甲斐のない台詞吐くんですか、シウさんは……」

「何だよ、それじゃあ黙らせれば良いのか?」

 

 キュッと拳を握れば、「!?」と全身で驚愕を表し、それからプルプルと震えるシリカだった。

 両腕をバッと広げ、がおーっと小動物のように吼える。

 

「ギュッと抱きしめて良し良ししてくださいって言ってるんです!」

「何で今の流れでそう解釈してもらえると思ったんだよ……!」

 

 最初からそう言えよ──という言葉は呑み込んだ。こういうのを察するのが、出来る男なのかと思ったからだ。

 もしそうなのであれば、おれには程遠い境地である。

 だからか? だからアス姉はおれに振り向かないのか……!?

 でもそんなこと言ったら、キリ兄だってかなり鈍い男だろ……なんて内心愚痴を吐き散らしながら、シリカを抱きすくめる。

 小さな身体だ。年齢の割には身長は高い方だったおれにとって、シリカからは如何にも年下の少女という印象を受ける。

 まあ、多分同い年か、差があっても一つくらいだろうが。

 おれの肩に顎を乗せたシリカが、「うぅ~」と唸り声を上げた。

 

「文句を言いたくても、アスナさんは完璧すぎて何も言えません~~。あたしはどうすれば良いんですか~~?」

「お前は一旦アス姉のこと忘れろ。確かにアス姉は……くっ、キリ兄に、ゾッコンだけど……キリ兄の方はそうじゃないんだから」

「嘘です! あたしを騙そうったってそうはいきませんよ……!」

「嘘吐くメリットおれに無いだろ……」

 

 実際、キリ兄がアス姉のことをどう思っているのかと言えば、少なくとも恋愛的な目で見ていないのだけは確かである。

 というか、意識的か無意識的か分からないが、キリ兄自体、女性のことをそういう目で見ていないようだった。

 まあ、デスゲーム内で恋愛とか、それだけ切り取ったらただの死亡フラグだしな。

 キリ兄自身、SAOに来る前からかなりの廃ゲーマーだったから、単純に興味が無いのかもしれない。

 でも押しには弱いんだよな。いや本当、マジで。

 アス姉とパーティ組んでた時とか、あっさり恋人になるのかと思ったもんである。

 

「そういう訳で、一緒に攻略とかでもすれば……あっ、すまん。シリカは雑魚だったな」

「言い方! 言い方が酷くないですか!? うぅ~、あたしはどうせ中層プレイヤーですよーっ!」

「ま、まあ、そうでなくともほら、食事誘ったりとかすれば、な?」

「キリトさん、あんまりメッセージ見ないじゃないですかぁ……」

 

 完璧な反論をされてしまったので、思わず押し黙るおれだった。そうなんだよな、キリ兄、結構メッセージ見逃すんだよな……。

 あと普通に何て返せば良いのか分からず後で返信しようと思い、そのまま忘れるとかも良くやる。

 これで何度も愚痴られているおれの身にもなって欲しいところだった。

 おれのメッセには爆速返信するのだから、なおさらである。何なん? あの人……。

 

「……あたし、思うんですけど。シウさんが女性だったらキリトさん、イチコロですよね」

「それはおれもちょっと思うからマジでやめろ」

「あたしがシウさんだったら良かったのに……!」

「まあ、そうなったらそうなったで、アス姉とバチバチにやることになるんだけどな」

「人が考えないようにしてたこと、言わないでくださいよ……」

 

 再びしおしおと意気消沈し、おれにしがみつくだけになるシリカだった。

 同時にアス姉には手が届かないことを、自ら語った形になったおれまでしょんぼりしてしまう。

 キリ兄と違ってアス姉の場合、もう勝ち目がないとかのレベルじゃねーんだよ。

 論外なんだよね、残念ながら。

 

『はぁ……』

 

 互いの深いため息が重なり合う。互いを見ているようで見ていない、シリカの瞳を見ていると、ああ、似た者同士だな。と思えた。

 シリカと出会ったのは、今から一年以上も前のこと。

 武器の強化素材集めの為、中層まで降りた時に偶然出会い、何やかんやフレンドになった。

 それ以降、時々暇が合えば会うくらいの関係になって、主におれはアス姉のことを相談するような、いわば恋愛相談相手のような仲を構築していた。

 友人だった、と言って良いかもしれない。歳が近いせいか、良く話が合った。

 その関係が変わったのは、今から二か月くらい前のこと。

 シリカはちょっとした事件に巻き込まれ、そこでキリ兄に助けてもらい、サクッと恋に落ちた。

 で、同時に間接的に失恋した。

 当然だ。

 おれが好きなのはアス姉で。

 アス姉が好きなのはキリ兄で。

 そしてキリ兄も満更ではない──ということを、シリカは知っているのだから。

 好きな人に、好きな人がいる。

 けれどもそれが、好きであることをやめられる理由になるだろうか?

 それじゃあ仕方ないね、と割り切ることは出来るだろうか?

 答えは否。

 もしかしたら、おれたちがもっと歳を重ねていて、もっとたくさんのことを経験していたら、また違ったかもしれないけれど。

 おれたちはただ、諦めることなんて易々とできなかった。

 あるいは、諦めないことだけが、おれたちに出来たことだった。

 どうすれば良いのか分からなくて、そうするしかなかった。

 だから、だろうか。

 おれとシリカは多分、話以上に気が合った。

 あまりにもどうしようもないところでさえ、きっと似ていた。

 

 それ以来、少しだけ会うことが増えた。

 少しだけ一緒にいる時間が長くなった。

 少しだけ愚痴が増えた。

 少しだけ深く踏み込むようになった。

 気が付けば、互いの傷をなめ合っていた。

 どちらともなく、互いを互いの代替品としていた。

 寂しさを埋めるように、熱を求めるように、優しさを欲しがるように、人に飢えているかのように。

 言葉にもし難い空気の中で、おれたちは互いを求めた。

 初めてのキスは、やっぱり少しも、甘酸っぱくはなかった。

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。