IS:黒鉄の修羅   作:桐谷 アキト

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腱鞘炎になってしまいました。
左手だったのが唯一の救いだったんですけど、それでも親指を完全に固定してるから物は掴みにくいわ、コントローラーは操作しにくいわで、割と大変です。


8話 消えない憎悪

 

 

 

 

 

「…………………」

 

 

サァァァァァとシャワーノイズから吹き出す熱めのお湯を浴びるセシリアは物思いに耽っていた。

 

(…………今日の試合……)

 

思い起こされるのは、今日の一夏との試合。

試合でこそセシリアは勝ちはしたものの、彼女にとってはあれはほぼ負けたと言っていいものだった。

いつだって勝利への確信と向上への欲求を抱き続けていたセシリアにとって、今回の試合結果はまさしく試合には勝ったが、勝負には負けたと言う評価だった。

そもそも代表候補生と素人。しかも、ISを使い慣れているセシリアの一方で、一夏は試合中に『最適化』を行い一次移行をしたと言う経験もゼロだ。

そんな素人相手にあと一歩のところまで追い詰められた。もしも、彼が自分と同じくらいの時間ISの訓練をしていたら、結果はセシリアが敗北する可能性の方が大きいはずだ。

そう思わせるほどに、自分を倒さんと迫る彼の瞳に宿る意志は強かったのだ。

 

(………織斑、一夏………)

 

セシリアは自分を追い詰めた男の眼差しを思い出す。強い覚悟を秘めた、力強い瞳だった。

それはセシリアが忌み嫌う父親のような情けない男とは正反対の存在だった。更に言えば、強欲で醜い大人達とも違う。

彼女は3年前に両親を失っている。事故で他界したのだ。両親が死に手元には莫大な遺産が残り、それを狙う金の亡者達から守るためにあらゆる勉強をした。その一環で受けたIS適性テストでA+が出た。政府から国籍保持のために様々な好条件が出され、両親の遺産を守るため、即断した。

第三世代装備ブルー・ティアーズの第一次運用試験者に選抜され、稼働データと戦闘経験を得るため日本のIS学園に入学したのだ。

そんな彼女の前に現れたのは、ISの知識をろくに有していない二人の男。

片方はISの理解がほぼなく、参考書を初日にして捨てたという愚行を犯した男。片方はIS社会と女性を憎みまともに授業を受けないどころか、いたずらに敵意を振り撒く危険極まりない獣のような男。

どちらも血の滲むようなセシリアからすれば目障りでしかなく、知的さの欠片も感じない二人を見下してすらいた。だが、それはこれまでの出来事で全て消え失せた。

 

(………紫藤、迅………)

 

セシリアは今日の試合に続き、先週自分が過ちを犯した時のことも思い出す。

クラス代表を決める際、物珍しいからと言う理由で代表候補生である自分を差し置いて一夏を推薦したことに激昂した。血の滲むような修練をしてきた自分がISの知識がろくにない男の下につくなど考えられないと憤慨し、怒りのままに代表候補生らしからぬ発言までしてしまった。

そうして、一夏を責めたて気が良くなったセシリアはその嘲りの感情を迅にまで向け挑発までしてしまった。その結果、セシリアは虎の尾を踏み抜いた。

彼の怒りを買い、首を絞められ殺される一歩手前で千冬に止められた。正直、これまでの人生であれほど恐怖を覚えた瞬間はなかった。

あの時、向けられた彼の瞳は悍ましい闇に染まり光などなかった。どこまでも暗くて、どこまでも歪んでいた。悲しみや怒りなどの負の感情が凝縮された瞳にセシリアは恐怖しか感じなかった。

千冬に助けられ、その後放課後になりなんとか自室に帰ったが、その日は布団にくるまり恐怖に震えながら一夜を過ごしたほどだ。

迅への恐怖意識はその時に植え付けられており、その後は一夏に話しかけることはあっても、彼には近づくことすらしなかった。

 

織斑一夏と紫藤迅。

 

確かな覚悟を宿す強い瞳を持つ少年と、悍ましい闇に染まった暗い瞳を持つ青年。

 

お互い正反対の存在ではあるが、どちらもセシリアがこれまで出会ったことのない男達だ。

セシリアは二人のような男を知らないし、見たことがなかった。だからこそ、セシリアは二人のことが気になってしまった。

 

織斑一夏のことを考えれば熱いのに甘くて、切ないのに嬉しいような温かい感情が胸を一杯に満たした。

 

紫藤迅のことを考えれば苦しくて、悲しい、胸が張り裂けてしまいそうな冷たい感情が胸に重くのしかかった。

 

———この気持ちは、何?

 

全く正反対の温度の感情を抱かせる二人。

 

———知りたい、二人のことを。

 

二人の瞳にはそれぞれ何が宿っているのか。何が写っているのかを彼女は知りたかった。

だが、それはどちらも困難だ。特に迅に至っては限りなく不可能に近い。IS社会と女性を憎みに憎み、自分は殺されかけた。和解どころか話しかけることすら難しいだろう。

だからといって、諦めるつもりはない。元々、彼を怒らせたのは自分だ。まずこれまでの非礼を謝罪して根気よく話していくしかないだろう。

しかし、それよりも先に自分にはやるべきことがある。セシリアはシャワーもほどほどに浴室を出ると髪を乾かした後制服に着替え始めた。

そして、いざ出ようとした時、部屋の扉がノックされた。誰だろうと思いつつ扉を開けると、そこにはちょうど会いに行こうとした人物が立っていた。

まさかの遭遇にセシリアは少し驚きその人の名を呼んだ。

 

「お、織斑さんっ?それに篠ノ之さんまで。ど、どうなさいましたの?」

「オルコットさんに用があったんだけど……もしかして、用事でもあった?」

 

セシリアの部屋の前に立っていたの一夏だった。その後ろには箒の姿もあった。そして、セシリアは一夏の問いかけに首を横に振った。

 

「い、いえ、わたくしもちょうど織斑さんに用があったんです」

 

セシリアも丁度一夏の元に向かおうとしていたところだ。彼が来訪してくれたのはタイミングが良かった。

 

「それで、織斑さんはどうしてわたくしに?」

「ここじゃ話せないからさ。ついてきてくれるか?オルコットさんの話もその時に話してほしい」

「わかりましたわ。では、参りましょう」

「ああ」

 

一夏の頼みを快諾したセシリアはそう促して一夏と箒の後についていく。そして、学生寮から出てしばらく歩き、校舎内へと入って着いた場所は生徒指導室だった。

一夏と箒が先に入り、セシリアが最後に入る。中にいたのは腕を組んで椅子に座る千冬だった。

 

「お、織斑先生?」

「来たかオルコット。それならば、早速本題に入ろう。クラス代表の件についてだ」

「……やはり、ですか」

 

一夏に連れられた時点で薄々クラス代表のことについてだとは思っていたが、やはりそうだったらしい。

 

「そうだ。その件について織斑がお前に頼みがあるらしい。私はその立ち会いだ」

「頼み、ですか?」

「ああ」

 

そうして千冬は一夏に視線を向けて促す。彼は一歩前に進み出ると、真剣な表情のまま口を開く。

 

「オルコットさん、都合のいいことは分かってる。だけど、それでも、頼みたいことがあるんだ」

「それは、一体……」

 

そう尋ねると一夏はゆっくりと頭を下げて、その頼み事を口にした。

 

「クラス代表を俺に譲ってほしい」

 

頼み事とはクラス代表を譲ってほしいと言うことだった。先の試合ーセシリアが勝った以上クラス代表はセシリアで決まりだ。だが、それに対し一夏は都合のいいことだとは分かっていても譲ってほしいと頭を下げたのだ。

一夏の行動と頼み事に少し驚いていたセシリアだったが、少しの沈黙の後落ち着いた表情で問うた。

 

「………理由をお聞きしても宜しいですか?」

 

嘲笑うわけでも、憤るわけでもなく、セシリアは落ち着いた表情のまま一夏がそう思った理由を尋ねたのだ。

一夏は顔をあげると、静かに答えた。

 

「………俺はたった一週間しか経ってないのに、これまで何度も紫藤さんに迷惑をかけてきた」

「……………」

 

いきなり一夏は語り始めたが、セシリアはそれが必要なことだと理解し口を挟まなかった。

 

「……今日も、一次移行も終わってない状態で行こうとして、紫藤さんに必死に止められたんだ」

 

そうして一夏は自分の専用機『白式』が来てから、セシリアと相対するまでの間のことの顛末を話し始めた。千冬と迅の口論や迅が激昂したこと、必死に止めようとした彼を無理やり納得させて試合に出たこと。その全てを話した。

それを聞いたセシリアは衝撃と驚愕に目を見開いた。

 

「そんなことが、あったんですのね……」

「ああ、試合が終わった後も紫藤さんには滅茶苦茶心配された。……それが、俺には結構辛かったんだ」

 

あの時の迅の心配そうな表情は一夏的にはとても辛かった。自分のわがままで彼に心配をかけてしまったことに、一夏はあの時罪悪感に駆られていたのだ。

自分がもっとしっかりしていれば、彼にあんな顔をさせなくて済んだのにと。

 

「紫藤さんには入学する前から迷惑をかけてきた。俺が勝手にISを動かしたから、紫藤さんは将来を踏み躙られてここに来ることになった。その後の苦労も、全部俺が原因みたいなものだと思ってる。俺が考えなしに行動してきたから、紫藤さんを苦しめてるんじゃないかって……」

「一夏、それは……」

 

一夏の自責に千冬がそれは違うと言おうとしたが、途中で止めた。彼の話を途中で遮る気にはなれなかったからだ。

 

「だから、俺は紫藤さんの力になりたいんだ。いつか、あの人が普通に笑えるように。だけど、今の俺は未熟で力になるどころか、迷惑かけることしかできてないんだ」

「……それで、クラス代表に?」

「……ああ。といってもそう思ったのは試合が終わった後なんだ。クラス代表になって色々経験していけば、俺も少しは成長できるかなと思って……」

「そう、ですか」

「勿論、試合に勝ったのはオルコットさんだ。嫌なら嫌と言ってくれていい。それならそれで他にもやりようがあるはずだから」

 

クラス代表になりたい理由を話はしたが、試合で負けた以上我儘を言っているのはこちらなのだ。決定権はセシリアにある。

ここで断られたところで一夏は他にできることを模索し行動に移すつもりだ。

そんな彼の真剣な言葉と眼差しにセシリアは、

 

 

「…………構いませんわ。貴方にお譲りします」

 

 

あっさりと一夏の頼みを受け入れた。

これには千冬や箒は目を丸くして驚き、一夏は「えっ?」と声を漏らしてぽかんとしている。

その様子にセシリアは嘆息すると少し呆れたような口調で言う。

 

「何ですのその顔は。わたくしが何かおかしなことおっしゃいまして?」

「い、いや、だって、普通は反対するだろ?むしろ、なんでそんなあっさりと……」

「あっさりではありませんわ。しっかりとわたくしなりに考えた結果の選択です」

 

一夏の言葉に心外だと言わんばかりにそう返したセシリアは、静かな表情から申し訳なさそうな表情へと変えるとスッと背を伸ばし一夏と向き直る。

 

「改めて、謝罪をさせてください。先週は何度も無礼な態度を取り、数々の失言をして不快な思いをさせたこと、本当に申し訳ありませんでした」

 

セシリアはそう謝罪すると深々と頭を下げた。

あれだけ敵意を顕にしていたセシリアが、どう言う心変わりなのかこうして謝罪をしたことに一夏達は驚きを隠せなかった。

だが、一夏は他の二人よりもいち早く気を取り直すとセシリアの謝罪に応じる。

 

「………うん、分かった。オルコットさんの謝罪は受け入れるよ」

「……ありがとうございます」

「いいって。俺も俺でムキになっちゃってたし。お互い様ってことでいいかな?」

「……い、いえ、流石にそれは……明らかにわたくしに非がありますわ」

 

セシリアは容認できないと首を横に振る。彼はムキになったと言うが、自分の数多くの暴言を考えればムキになるのは当然だ。

むしろ、何か償いをしなければセシリアの気がすまない。納得できないと言うセシリアに一夏は顎に手を当てて少し考え込むと一つ提案をした。

 

「うーん、あ、じゃあさ、オルコットさんが納得いかないなら俺にISの戦い方とかを教えてくれないか?代表候補生に教えてもらえるなら、願ってもないことだし」

「そ、それくらいでしたら、勿論構いませんが……」

「じゃあ決まりだ。これから同じクラスメイトとして改めてよろしくな。オルコットさん」

 

そう言ってセシリアの罪を許した一夏は手を差し伸べた。それは和解の握手だった。

セシリアは一夏の手をしばし目をぱちくりさせた後、少しだけ表情を崩して握手に応じた。

 

「はい。よろしくお願いいたしますわ。織斑さん」

 

そうして二人は握手を交わす。終始蚊帳の外であって箒は二人の握手に何とも言えないような表情を浮かべているが、何も口を挟みはしなかった。

そして、二人の和解が成立したと判断した千冬は口を開く。

 

「話はついたようだな」

「ええ、織斑先生もご迷惑おかけしました」

「構わん。この程度小娘の見栄っ張りと思えば何ともない」

「……こ、小娘…」

 

千冬の存外な発言にセシリアは眉を顰めて何か言いたげであったものの、千冬の前では確かに小娘だし、今回のことはそう言われても仕方がないと自分でも思っていたため、反論はしない。

そして、セシリアは恐る恐ると千冬に尋ねる。

 

「あ、あの、織斑先生……」

「なんだ?」

「その、紫藤さんにもちゃんと謝罪をしたいのですが……」

 

セシリアは一夏だけでなく迅にも謝罪をしたかった。首を絞められ殺されかけたとはいえ、元はと言えば自分の浅はかさが招いたこと。彼の境遇を慮らず見下した発言をしたことを彼女は恥じたのだ。

そんな彼女の心がけに千冬含め一同が表情を曇らせた。

 

「………オルコット、その心がけはいいことだ。だが、今日はやめておけ。今日は、だいぶ疲れたらしいからな」

 

純粋にセシリアの心変わりは好ましいことだ。

だが、それとこれとは話が違う。迅の敵意が変わったわけではない。それに、今日は彼の心を傷つけてしまった。だから、今日はゆっくりさせておくべきだと千冬は判断したのだ。

 

「そ、そうですか。はい、分かりました。でしたら、後日お伺いします」

「そうしろ。だが、分かっていると思うが一人で行こうと思うな。織斑と篠ノ之と一緒に行け。敵意が消えたわけじゃないからな」

「ええ、後ほどお願いしようと思っていたところです」

「二人もそれで構わないか?」

 

千冬にそう問われた二人は断る理由もないため、快く頷いた。

 

「問題ないよ」

「私も構いません」

「そうか。なら、話はこれで終わりだな。今日は二人ともしっかりと体を休めるといい」

 

千冬が最後にそう締め括り、四人だけの密かな会話は終わった。

こうして、クラスメイトや迅が知らぬところでクラス代表が一足早く織斑一夏に決まった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

翌日。朝のSHR。

クラス内では昨日の決闘の内容について生徒たちが会話に花を咲かせていた。代表候補生と世界最強の弟の戦い。それは話題のネタとしては十分であり、最後の結果こそ残念ではあったものの、最後まで正々堂々と戦い抜いた二人に拍手を送る者までいたほどだ。

会話に花を咲かせる者たちの中には、他クラスの女子たちも混じっていた。いち早く情報を入手しようと言う魂胆なのだろう。一夏やセシリアにまで質問責めをしている彼女達はまるで特ダネに群がるマスコミのようだった。

だが、誰もセシリアが一夏にクラス代表の座を譲ったことまでは知らない。千冬からSHRで話すまで口外するなと箒含めて口止めされているからだ。だから、試合のことを当たり障りなく会話して質問をそれとなくかわしている状態である。

しかし、SHR開始前のチャイムが鳴り響いたことで、他クラスの生徒達はそそくさと退散し、しばらくして千冬と真耶が入ってきた。

 

「皆さん、おはようございます」

「諸君、おはよう」

 

挨拶をした二人はいつもの立ち位置に移るはずだったのだが、今日は千冬が教壇に、真耶がその脇に控える形となった。生徒達を見回した千冬は早速話題を切り出す。

 

「さて、諸君、昨日の件が気になった者もいるだろうが、その前にオルコットから諸君に話したいことがあるそうだ。オルコット」

「はい」

 

千冬にそう促され立ち上がったセシリアは千冬の隣に立つと一息深呼吸を挟んだのち、真剣な表情を浮かべる。

 

「………皆様、今更ながらわたくしセシリア・オルコットはこの場をお借りしてお詫び申し上げます。先週、クラス代表を決める際に数々の不適切な発言をしてしまい皆様に不快な気持ちにさせてしまいました。今まで本当に申し訳ありませんでした」

 

そこで一度ためたセシリアはもう一度深呼吸をし、「そして」と言って続けた。

 

「今回の数々の失言と無礼な態度は国家代表候補生としてだけでなく人としてあるまじきことでした。初心者である織斑さんに決闘を申し込んだことを含めて数々の愚行を反省し、織斑さんにクラス代表をお譲りすることを決めました。………改めて、多大なるご迷惑をおかけして本当に申し訳ございませんでした」

 

セシリアは一夏にクラス代表を譲る旨を話したあと、改めて自身の愚行を謝罪してクラスメイト達に向かって深々と頭を下げる。

自分が犯した過ちを反省し、こうして謝罪をしたことに最初こそ驚いていたクラスメイト達だったが彼女の言葉の節々から伝わる真剣さに、彼女の気持ちが伝わり穏やかな表情へと変わる。

 

「オルコット、席に戻っていいぞ。……さて、諸君、オルコットが辞退したため織斑がクラス代表になったわけだが、異存があるものはいないか?遠慮はいらんぞ」

 

千冬はクラスメイトを見回してそう言う。しかし数秒経っても、誰も手を挙げるものがおらず、一夏のクラス代表は認められた。

 

「では、クラス代表は織斑一夏だ。今後の異存は認めん」

 

千冬の宣言にはーいと一夏を除くクラス全員が一丸となって返事をした。

 

「よし、早速授業を始めたいところだが………織斑、紫藤はどうした?」

「あ、その、気分が悪いから休むって連絡が朝に来てました…」

 

一夏の言う通り迅は教室にまだきていない。というより、今朝方一夏に不調で欠席するとメールで伝えていたのだ。一夏からの報告に千冬は少し暗い表情を浮かべながら頷いた。

 

「………そうか、分かった。なら、授業を始めよう」

 

そうして迅が欠席のまま授業が始まった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

 

「…………………………………」

 

 

迅はベッドに仰向けに寝転がっていた。

片腕で目元を覆い隠すようにしているせいで、表情は伺えないし、起きているかも定かではない。だが、気分が優れていないのは確かだった。

 

「………くそったれが」

 

徐に彼は顔を歪めてそう悪態をつく。

昨日、一夏の試合の後、弟妹をはじめとした家族との幸せな記憶からのトラウマに苦しめられた迅はフラフラとして足取りで部屋へと戻った後、そのままベッドに移動しトラウマに苦しめられつつ疲れ切ったように眠った。

翌朝は遅刻しない時間に起きはしたものの、寝てる間もトラウマに魘されたことにより精神的な疲れが取れず、更には千冬と顔を合わせたくはなかったので、今日は休んでいたのだ。

ちなみに、一夏に気分が優れないから休むとは伝えているので、無断欠席にはならないはずだ。まぁ、彼にはどちらでも関係ないが。

 

一度目を覚ました彼は汗がひどかったのでシャワーを浴びて部屋着に着替えた後、無気力に過ごしていた。何もする気がなく、腹も空かない。

昨日の一件は彼には思ったよりも響いたらしく、ずっと気分が優れずにベッドに横になっていたのだ。横になっていたうちにもう一度寝てしまっていた彼はまたトラウマに魘され嫌な気分のまま目を覚まし、今に至る。

 

「………喉、乾いたな…」

 

迅はぽつりと小さく呟く。

流石に朝から何も飲まず食わずだといい加減喉が渇いてくる。ついでに、軽く何か食おうかと迅はベッドから降りてキッチンへ赴き冷蔵庫を開けて中からペットボトルとゼリー飲料を取り出し、パキッとキャップを回して一気に喉に流し込んだ。

その時だ。不意に扉をノックする音が聞こえた。

 

「………ん?」

 

誰だ?とペットボトルを持つ手を下ろし扉に視線を向ける迅。すると、扉の向こうから声が聞こえてくる。

 

『紫藤さん、織斑です。気分は大丈夫ですか?』

 

声の主は一夏。どうやら、朝に気分がすぐれないと伝えていたため、わざわざ様子を見に来てくれたようだ。迅は彼の優しさにクスリと小さく笑うと、ペットボトルをキッチンに置き扉を開ける。

だが、扉を開けた迅は予想外の人物の存在に露骨に目を細めて剣呑な光を宿す。

 

「……………織斑と篠ノ之はともかく、なぜお前までいる?イギリスのクソビッチ」

 

部屋の前にいたのは一夏だけではなかった。一夏の他に箒もいて、更にはその後ろに隠れるようにセシリアが立っていたのだ。セシリアの存在に迅は露骨に敵意を放ち蔑称で彼女に問う。

 

「いえ、あの、その……」

 

初めからビクビクしていたセシリアは大袈裟にビクッと震えると何かを言おうとして中々言い出せないでいる。その様子に迅は壁に肩を預けながら苛立つ。

 

「おい、俺は何の用があるかって聞いてんだよ。とっとと答えろよ、なぁ」

「あ、あの、紫藤さん。どうかオルコットさんの話を聞いてくれませんか?」

「あぁ?話?この女が俺に何の話をする?」

 

彼女の意図が全く読めない迅は不可解なことに片眉を吊り上げそう言う。だが、そこで迅も気付いた。

彼女の様子がどこか違うことに。以前の高圧的で男をバカにした舐め腐った態度ではなく、どこかこちらの顔色を窺うような、どこか怯えているような様子だということに。

 

「ほら、オルコットさん。ゆっくりでいいから」

「は、はい。……え、えと………その……あ、あの、し、紫藤さん」

「…………なんだよ」

 

しばらく逡巡したのち、セシリアはようやく切り出した。

 

「………これまでの数々の無礼な発言と態度、申し訳ありませんでした…」

 

深々と頭を下げた彼女の口から出てきた謝罪の言葉に迅がぴくりと眉を顰め、スッと瞳を細めた。

 

「…‥謝って済むとは思っておりませんし、許して下さいとも思っておりません。……ただ、どうしても謝罪をしたいと思いました。本当に、申し訳ありませんでした…」

「…………………」

 

頭を下げたまま謝罪の言葉を続けたセシリアを見下ろしながら、迅は何も言わない。ただ、敵意と殺意に満ちた冷たい瞳で彼女を見下ろすだけだ。

それをセシリアの後ろにいる一夏と箒がハラハラとした面持ちで見守っている。セシリアが本心から言ったことは自分達はわかっているし、迅にも伝わったのだと二人は信じている。

だが、それとこれとは話が別だ。彼女が心の底からの謝罪を迅が受け入れるかはわからないのだ。いや、分からないのではなく、間違いなく受け入れないだろう。むしろ、火に油を注ぐかもしれない。

そんな、二人の懸念は———

 

 

 

「…………くだらねぇ」

 

 

 

悲しくも当たってしまった。

彼女の謝罪を聞いた迅が吐き捨てた第一声にセシリア達の顔が揃って強張る。セシリアが恐る恐ると顔を上げれば、そこには、絶対零度の如き冷たい表情と闇に染まり歪んだ瞳があった。

迅は憤怒に歯をギリッと噛み締めると口を開く。

 

「何を言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい。何が申し訳ねぇだ。思ってもいねぇ御託を並べてんじゃねぇよ」

「……紫藤、さん…」

「……お前に何があったかどうでもいいが、何だその心変わりは。前はあんなにも男をバカにしたふざけた態度をしていたのになぁ?」

「………そ、それ、は…」

 

迅はセシリアの態度に怒りを抑えきれなかった。

先週、あそこまで男をバカにした態度を見せ、決闘騒ぎまで起こしたと言うのに、今はそれが嘘のように大人しくなっている。

その代わり様に迅は彼女のことが全く信用できなくなった。元々、敵認定し殺そうとするぐらいには憎かったが、それっきり全く話しかけてこないから、もう関わらなくて済むと安堵していたのに、この掌返しの態度に憎悪の炎が再び激しく燃え始めたのだ。

 

「で?織斑に取り入った後は俺か?確かに織斑のことは無下にはしねぇから、会話を取り持つことを頼むことはできるだろうな。ハッ、本当にふざけた話だ」

 

そして、迅は掌返しで態度をコロコロと変える女を何人も見てきた。そう言う奴らは一度謝ればそれで終わりにして男に取り入り、少しした後に態度を変えて男達を騙すのだ。

嗚呼、本当にふざけた話だ。ここIS学園でも同じような輩に早々にして目をつけられるなど。ふざけるなと吐き捨てて当然だった。

迅にとって世間の女性は二つに分けられる。それはこの社会に染まっているか、染まっていないかだ。そして、それは一度染まれば決して変わることがないと迅は考えている。この世界の悪意によって歪み狂った彼にとって、その考えは決して変わらない。

 

「………まじで尻軽のクソビッチじゃねぇか。見てて反吐が出る。謝って済むはずがねぇだろ。許すわけがねぇだろ。なんで俺がお前の謝罪を受け入れなくちゃいけねぇんだ」

「…………」

 

迅は露骨に嫌悪を剥き出し怒りのままにそんな侮辱を吐き捨てる。セシリアはそれに対して反論せずに黙って彼の言葉を受け入れる。

こうなることは予想できていた。それほどまでに自分は彼に失礼なことをしたのだと改めて理解し、セシリアは深く反省した。

彼の言い分も一理あるかもしれない。だが、セシリア自身は一夏と迅に出会ったことで考えを改めた為変わることはないだろう。しかし、だからこそだ。彼女が改心したからこそ、迅が抱える憎悪が増し決定的な亀裂が生まれてしまったのだ。

 

「…………別にお前が他の奴に股開いてようがどうでもいいが、俺がお前を信用することはねぇ。それが分かったんなら、とっとと失せろ。目障りだ」

 

セシリアから視線を外しもう話すことはないと言わんばかりにそう告げた迅に、セシリアは泣き出しそうになるのをグッと堪えると、もう一度頭を下げた。

 

「………わかりました、本当に申し訳ありませんでした。……これで、失礼します」

 

セシリアは最後にそう謝罪すると迅に背を向けてこの場から立ち去っていった。迅は残った一夏と箒に視線を向ける。

 

「……おい、お前らが連れてきたのか?」

「は、はい。どうしても謝りたいって言ってたので、俺達の同行を条件に連れてき「余計なことをするな」…っっ」

 

申し訳なさそうに答えた一夏に迅は冷たい声でそう言い放つ。冷たい声音に一夏と箒はピクリと体を震わせる。

 

「……別にお前らの交友関係にまで口を挟む気はねぇ。あのクソビッチと仲良くすんのも勝手だ。だが、俺にとってあいつは、あいつらは敵だ。何があっても馴れ合う気はねぇ。だから、無理に取り持とうとするな」

 

他人の交友関係に口を挟む気はない。彼らの人生だ。彼ら自身が選べばいい。だが、自分はどうあっても彼女をはじめとした女尊男卑思想の女達は敵であり馴れ合う気はない。

彼女達と馴れ合う気がない以上、彼らに無理に仲を取り持さなくていい。する必要もないし、お互い険悪になるだけだから、一夏達もいい気はしないだろう。それを一夏達に理解して欲しかったのだ。

そんな彼の言葉に何も返すことができない二人に迅は背を向けながら呟く。

 

「とにかく、今日はもう帰ってくれ。予想外のことで疲れた」

「……は、はい、ご迷惑をおかけしました」

「……し、失礼します」

 

一夏と箒は暗い表情を浮かべると彼の背に頭を下げそう返した。その言葉を聞いた迅は何も返さずに扉を閉めた。

バタンと無機質な音が響き、それから少しして二人分の足音が部屋から遠ざかった後、扉に背を預けもたれかかっていた迅はずるずるとゆっくりと座り込むと片手で頭を抱える。

 

「………何をやってるんだ俺はっ。あの子達が悪いわけじゃねぇだろ。何で八つ当たりしてんだよっ」

 

グシャと髪を乱雑に掴んだ彼は自分を責めるように呟く。

あんなことを言うつもりじゃなかった。どうして連れてきたのかと理由を冷静に尋ねるつもりだった。だが、セシリアの態度に怒りを抑えられなかった彼は怒りのままに彼らを責めるようなことを言ってしまった。

八つ当たりじみたことをして、彼らを責めてしまうと言う愚行を酷く恥じたのだ。

 

「くそっ、クズ野郎がっ」

 

迅は頭を抱えながら、自分の愚行に自己嫌悪と苛立ちが込み上げ忌々しげに自分を責めた。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

セシリアが迅のところに謝罪に来てから数日後の放課後。迅は自室で本を読んでいた。

今日は箒は部活、一夏とセシリアはISの訓練とのことなので迅は放課後になるや否やすぐに自室へと戻り本を読む耽っていた。そうして黙々と読書すること1時間が経過した頃、扉をノックする音が聞こえ、ついで聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。

 

『紫藤、私だ。今少しいいだろうか?』

 

聞こえてきたのは千冬の声だ。

嫌いな人間が部屋に来た事に迅は居留守を使おうかと思ったが、彼女は一年生寮の寮長である為、マスターキーで中に入られたら居留守がばれると早々に諦め、大人しくドアを開けた。

 

「……何の用だ?」

 

相変わらずの失礼な態度だが、慣れたものであり千冬は早速話を切り出した。

 

「お前の専用機が届いた。最適化を行いたいのだが、今から少し時間あるか?」

「…………今からじゃねぇと駄目なのか?」

「いや、明日でも構わない。一応届いたから伝えに来たんだ。何か用事でもあったか?」

「………いや、構わねぇ。案内しろ」

 

迅は夕方だし明日にしようかと一瞬考えたものの、遅かれ早かれISに触れなければないのならば今日さっさと済ませておきたかったので、千冬の求めに応じた。

 

「分かった。着いてきてくれ」

 

千冬の言葉に迅は無言で頷くと彼女の後をついて行った。そうしてしばらく歩いたとき、迅がふと尋ねた。

 

「……そういや、織斑のは第三世代機だったな。俺のはどうなってんだ?」

「お前のは第二世代機だ。打鉄を改造したものになる」

 

ISには世代というものがある。

第一、第二、第三世代と技術の進歩とともに進化しており、現在は第二世代から第三世代へと移り変わろうとしている途中だった。

第一世代は兵器としてのISの完成を目指した機体を指し、現在ではほぼ退役しており、存在しない。

第二世代は『後付武装(イコライザ)』によって、戦闘での用途の多様化に主眼が置かれた機体を指し、多くの国がこの第二世代ISを実戦配備している。

そして最新型である第三世代。操縦者のイメージ・インターフェイスーつまりは思考制御を用いた特殊兵装の搭載を目標とした機体を指すが、未だ実験機の域を出ていなく、その特殊兵装を使用する際も集中力が必要だったり燃費が悪いなど課題は多く、未だ実験機の域を出ていない。セシリアの『ブルー・ティアーズ』や一夏の『白式』は第三世代に該当する。

 

「はっ、同じ男性操縦者でもだいぶ待遇が違うな。流石は世界最強様のネームバリューってところか」

 

一夏は第三世代の最新機なのに自分は第二世代の量産型ベースの機体。その待遇の差に迅はそんな皮肉を吐き捨てた。

世界最強の称号を持つ姉がいる一夏と、何の後ろ盾もない一般人に過ぎない迅。IS社会において何の価値も持たない自分には世界に二人しかいない男性操縦者であっても最新機を与える価値もないのかと。

 

「………それは、すまない」

 

その皮肉に千冬は反論するどころか謝罪をした。

そんな彼女の謝罪に迅はつまらなそうに舌打ちする。

 

「チッ、真に受けてんじゃねぇよ。どうせ費用とかの問題だろ。もっとも、最新機を持たされてデータ取るよりかは量産機の方がまだマシだからな、今更何も思っちゃいねぇよ」

 

迅もちゃんと分かっている。IS一機製作するのにも費用や時間が馬鹿にならないということを。最新型ならばそれは尚更だ。それに加えて自分が適正発覚したのはつい半月前だ。半月で最新機を作れというほうが酷な話だ。もし仮に、最新機を持ってこられたら安全なのか疑う。

それならば、まだ量産機にしてくれたほうが迅としてはほんの少しだが気が楽になる。

 

「……それはそうと、クラス代表の件は結局どうなった?織斑はあのクソビッチの奴隷にされたのか?」

 

迅はシンプルに気になったことを尋ねる。確か自分の記憶が正しければセシリアは一夏に試合に勝てばお前を奴隷にするとかぬかしてたはずだ。

だが、この前謝罪に来た時の様子を思い出せば、どうもそんな上下関係はないように思えた。だからこそ、勝敗はついたもののその後のクラス代表の件は一体どうなったのか気になったのだ。

 

「……オルコットが辞退し織斑に譲った。よって、織斑がクラス代表を務めることになった」

「なに?辞退したのか?あのクソビッチが?」

 

迅は純粋な驚きに目を見開く。

あそこまでクラス代表に固執していたセシリアがまさか一夏に譲るとは思わなかったからだ。

 

「そうだ。あの試合を通じて認識を改めたようでな。これまでの失言を反省し織斑に謝罪をし、その誠意を示すためにクラス代表を譲ったんだ」

「……………」

 

千冬の言葉に迅は疑問を隠せなかった。

セシリアが反省しクラス代表を譲ったなど到底信じられない話だった。だが、千冬がこんなことで嘘を言うような人間ではないことぐらいはわかるし、何より先日の一夏とセシリアの様子から見てもそれは嘘ではないと判断せざるを得なかった。

疑問なのが何が理由で反省したのかと言うことだ。それが迅には皆目見当もつかなかった。

その末、彼が出した結論はー

 

「………別に、どうでもいいな」

 

どうでもよかった。セシリアがどんな理由で譲ったかなど彼にはどうでもいい。既に彼女は迅にとっては信用ならない敵だ。敵がどう改心しようとも自分に影響が及ばなければどうでもいい。

 

「……………」

 

そう結論づけ吐き捨てた迅に前で聞いていた千冬は、表情を曇らせ悲しげな眼差しを浮かべた。

それっきり無言の時間が続き、辿り着いた場所は第二整備室。ドアを開けて中に入ると、二人の視線の先に一機のISが鎮座していた。

カラーリングは黒。一夏の『白式』とは対照的に混じり気のない、先の見えない深い夜闇を思わせるような漆黒色だ。

 

「………これが、そうか」

「ああ。第二世代機の『打鉄』を防御特化型に改造したIS——『黒鉄(くろがね)』だ」

 

確かに千冬の言う通り、機体は所々打鉄の面影を残している。ただ、サイズが以前検査の時に乗ったことのある打鉄を二回り上回り、両肩部に浮かぶ浮遊シールドも全体サイズに伴って二回りほど大きい。ISにどんな種類があるかを迅は知らないが、それでも大型に分類されるものなのだけは分かった。

黒鉄の前にたった迅は目の前に鎮座する『黒』を見上げながら小さく呟く。

 

「まさしく、俺専用ってわけか」

「そうだ。初期化と最適化を済ませてお前専用の機体にする。……その、早速始めるか?」

「……………」

「……紫藤?……っ」

 

同じように黒鉄を見上げながら問うた千冬だったが、問いかけに答えなくなった迅の様子に疑問を覚え、横から様子を見ると息を呑んだ。

黒鉄を見上げる迅の目はこれまで以上に深く、悍ましい闇が宿っており、光の一切が飲み込まれた昏い眼差しだった。しかも、表情は悲痛と絶望、憎悪がないまぜになったあまりにも暗い表情だった。

不用意に声をかけられず千冬はどうすればいいか戸惑っていると、迅が静かに口を開く。

 

「………………なぁ、なんで俺なんだ?」

 

そう悲しげに呟いた彼は静かに黒鉄の装甲に手を添えると、千冬の方へと振り向きながら声を震わせ続けた。

 

「………どうして、俺が…こんな殺戮兵器に、乗らなきゃいけねぇんだ?」

 

声を震わせながら呟いた迅の瞳からは涙が溢れ頬を伝って床へと落ちた。一筋の涙を流し悲しげに呟く彼の姿は、あまりにも痛々しかった。

 

「……っっ」

 

その悲惨さに千冬は目を見開き言葉を詰まらせる。

 

(……私が、私達が彼をここまで追い詰めてしまったのかっ)

 

惨すぎる。残酷な現実に挫かれ、全てを諦めた悲壮な姿はもはや生きる気力など欠片も見出せなかった。まるで、死人だ。生きながら死んでいる。そんな辛い状態だった。

多くの大人がたった一人の少年をよってたかって苦しめ続けた結果に千冬は胸が張り裂けそうだった。

何も答えず狼狽える千冬に、迅は視線を黒鉄に戻すと、わかりきっていたかのように呟く。

 

「………別に、答えなくていい。どうせ、誰も答えられやしねぇ」

 

そう言った迅は涙を拭うと上着を脱ぎ、早速黒鉄に乗り込んだ。そして、腕部と脚部に四肢を突っ込むと体を預ける。

 

「……おい、こうすりゃ俺はもう何もしなくていいんだろ?」

 

一夏のを見ていたからかある程度やり方を知っている迅は確認の意味で千冬にそう問うた。

 

「……そ、そうだ。お前は何もしなくていい。あとはシステムに任せるんだ」

「……そうかよ」

 

そう返すと迅は口を閉ざし瞳も閉じて黒鉄に身を委ねる。千冬も今の彼にかける言葉が見つからず、無言で迅の様子を見守る。

二人が沈黙する中、装甲が彼の体に合わせて閉じていきカシュカシュと空気を抜く音やカチカチと微調整する音が整備室に静かに響いた。

 

そして、約35分。調整の音だけが静かに響き続け、ようやく終わりを告げた。

 

———フォーマットとフィッティングが完了しました。確認ボタンを押してください。

 

意識に直接データが送られ、静かに目を開ければ目の前に現れたウィンドウに確認のボタンがあった。

迅がそれを押せば膨大なデータが流れ込み整理されていく。

キィィィィンと高周波のような甲高い音が鳴り響き、装甲が暗い光を帯びて最後の調整を済ませ、遂に迅専用の機体になった。

 

「…………終わったか」

 

改めて機体を見回せば、仄暗い光を帯びている漆黒の装甲には所々金色の幾何学的なラインがあり、最初の工業的な凹凸が消え重厚かつ所々鋭角な部分があり物々しい印象を抱かせる。

迅は両手を開いたり閉じたり、軽く歩いたり腕を振ったりと軽く動いてISに乗った際の動作確認を行う。それを千冬は少し離れた場所で冷や汗を流しながら、ハラハラしながら見守っていた。

 

(………今のところ、暴れ出す様子はない、な…)

 

見た限りでは学園の生徒達を皆殺しにすべく暴れ回る様子は見られない。だが、先程の憎悪と悲哀に満ちた言葉や以前言われたことを思い出し一瞬でも気を抜くことは許されないと、千冬は彼の動きに注視した。

だが、千冬が危惧していたようなことは起きず、ある程度体を動かした迅は千冬に呼びかけた。

 

「………おい、どうやって解除すんだ?」

「あ、ああ。解除と念じればいい。慣れないうちは声に出してやってもいい。そうすれば、待機形態になる」

「………解除」

 

小さな呟きに応じて黒鉄は黒光の粒子へと変わり、それは彼の左手に収束し待機形態へと変わった。

 

「……これは……グローブか」

 

迅の専用IS『黒鉄』の待機形態はーグローブだった。黒い装甲が付いているグローブはアクセサリーどころか、防具になりうるものだった。

左手のグローブを見下ろす迅は露骨に舌打ちする。

 

「チッ、よりによって、これかよ。……もうちょいそれらしいものがあるだろうが……」

 

ISの待機形態は基本的にアクセサリーの形状に変わるのだが、黒鉄の待機形態はアクセサリーどころか、グローブになっていた。

ピアスやネックレスならともかく、グローブならば常に自分がISを持っていることを自覚しなければならない。持たされているという事実を常に認識させられてしまうことになり、苛立ちが込み上げてきた。

そして、恐る恐ると顔色を窺うように近づく千冬に迅は口唇を吊り上げて嗤う。

 

「………これで満足だろ?あんだけISを敵視してたクソ餓鬼が、お前らの望み通りに専用機に乗ったんだ。さぞかし気分がいいことだろうよ」

「……し、紫藤、私は……」

 

迅のやけくそな言葉に千冬はかける言葉が見つからなかった。何を言っても彼の心の痛みを和らげることはできないとわかっているからだ。

悲痛な表情を浮かべる千冬に迅は更に続ける。

 

「精々今のうちに思う存分喜んどけ。いつか必ず地獄に堕としてやるからよ」

 

ゾッとするような冷たく暗い表情と狂気が宿る笑みを浮かべながらそう吐き捨てる彼の瞳はこれまで以上に暗く深い闇が宿っていた。

その悲惨さに千冬は唖然としてしまい、目頭が熱くなっていた。これまで一夏の前ですら見せなかった涙だったが、彼の悲惨さにもはや堪えることが難しく、今にも決壊しそうだった。

 

「………それで?もう終わりなんだろ。俺はもう帰るぞ」

「………あ、ああ、時間をとらせて済まなかった。あと、これが必須事項をまとめたものだ。必ず、読んでくれ」

「…………」

 

千冬が差し出したのはIS起動におけるルールブックという電話帳以上に分厚い書類の束を袋に包んだものだった。

その分厚さに露骨に顔を顰めたものの、ひったくるように受け取った迅はそのまま千冬の横を通り過ぎ整備室からさっさと出て行ってしまった。

 

「………っ」

 

迅が出ていき千冬一人だけとなった整備室。

千冬の足元に床にパタと水滴が落ちる音が小さく響いた。それは、涙だった。

迅が出て行ったことで遂に千冬の我慢が限界を迎え涙を流し始めたのだ。

 

「……うっ……くっ……うぅっ」

 

千冬は膝から崩れ落ちると嗚咽をこぼし始める。

 

「……すまんっ………すまない、すまない……」

 

唇を震わせながら千冬は迅に謝り続ける。

彼への罪悪感が込み上げて、堪らない気持ちになる。そして、あそこまで追い詰めてしまった自分達大人の醜さに吐き気を覚えてしまう。

それ以上に、世界最強という肩書きがあるくせに彼を守るどころか、苦しめてしまうだけの自分に嫌気がさした。

大粒の涙を流しながら謝る千冬の姿には世界最強の力強く凛々しい面影はない。罪の意識に押し潰されそうになっている一人のか弱い女性の姿だけがあった。

 

 

 





と言うわけで、迅君の専用機は第二世代機である『打鉄』を防御特化型に改造した防御型の機体。また、タイトルにもある『黒鉄』となりました。
詳細データなどはおいおい明かしていくつもりですので楽しみにしていてください。
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