捏造と妄想とその他諸々を色々と詰め込んでいます。
春先には、夜中にいつもより多く、化け物が這い出してくる。きっと、他の季節よりも人々が別れるからだろう。
「隠し戸が開いたぞ、糸!」
相棒の声で、寝ぼけそうになっていた意識が急速に覚醒する。声がした右斜め上、いつもよりも毛艶のいい犬が中に浮かんでいた。人の言葉を話して空に浮かぶ犬は普通じゃない。けど、私みたいに深夜のビルの屋上を走り回ってる人間も同じくらい、普通なわけがない。
「カヤ!」
「ああ!」
それから、今まさに目の前で開きかかっている朽ちかけた木製のドアも、そこからぬるぬる這い出そうとしているヘドロの塊のような何かもまた、異常性でいえば突き抜けていた。
隠し戸からは化け物が這い出してくる。
本来なら海の果て、穢れとして流されて行き着くはずの者共だ。それを仕留め、本来の穢れそのものに戻して流れに戻す。まあ、簡単にいえばお掃除屋さんである。
穢れというものはこの国にいればわりとどこででも聞く概念だし、納得もした。ビジュアルからしてだいぶ不浄なのだ。あれらをそのままのたくらせてたら、屋上とかヘドロまみれの大変なことになってるだろうし、ビル全体で悪臭がするだろうな、と思う。
「行け行け行け行けーッ!」
「人の就寝時間削りに来てんじゃねー!!!」
来る。
右側に見えたものに、体を半分反らしつつ走る。
肩口に木の幹のような衝撃があった。
固いものがぶつかって、痛みより先に体がぶれそうになる。──否、ぶれた。
転びそうになる。
転ぶ前に小さくステップを踏み、ビルの屋上で跳ねる。
頭から着地する前に何もなかった片手をついて、側転の要領で体勢を立て直した。
体に衝撃が来る。それを跳ねて、受け流した。数度、進行方向へ向かって跳ねる。
その勢いを殺さないように、走る。
扉が見えた。
蠢いているヘドロ塊が見える。あれだ、化け物共の本体がある。さっき片腕にぶち当たった、化け物の細い触腕のようなものがこっちに向かってきているのが見えた。
あんな勢い、ほとんど弓でも射出されてるみたいなものだ。さっきのよりも数が多くて、避けようとしたところで絶対に食らう。
「カヤ、いける?!」
「おう!」
カヤの体が膨れ上がる。
ふさふさとした毛並みはそのままに、大きく、長い体毛が風になびく。カヤの体が動く度に食う気が重く動く。でも、それだけじゃない。単に図体によるものだけじゃない。カヤ自身も風を纏っている。
上着の内側に掛けていた鎌を抜き、逆手に持って、もう一度走る。
化け物の腕が来た。体勢を変える。
鎌は本体を切って倒すためのではない。あの細い腕のようなものだけまとめて切れば十分だ。
ひい、ふう、み。──あと5本程度切れば、いける。
「糸!」
カヤの声に、十分だと察して目を閉じる。
思い起こすのは凪いだ海。明かりのない山の、そこからいずれ海へ至るはずの源流。ここではない、この国の古くからある場所から流れ着く先。
『かけまくもあやにかしこき大神、
根の堅州国におはす女神に奏上奉る
敏鎌もて打ち払い 息吹放たれ流れたる穢れ共
祓い給ひ、清め給へ』
ばつん。
「今!」
「オ、オ、オ、オ!」
ねばねばした質感の異形が一瞬大きく膨らみ、水風船のごとく爆ぜた。カヤがさらに一回り大きくなって、風圧でそれらを扉まで押し流して戻す。
私は吹き飛ばされないように、近くの雨樋にしがみついた。さっきまでバツバツ切り裂いていたヘドロのようなものも、まとめて扉に流し込まれていく。
「おわっ、たぁ……」
「ああ、ご苦労さん。これでしばらくは何もなきゃ良いんだがな、地震が起きたら全部水の泡だ」
一人と一匹で、どろどろぐちゃぐちゃの床にへたり込む。今日は都市部での仕事だったから石とかは落ちてないし、安心して座り込める。これが自然の多いところならこんなこと絶対にできない。一応現代でも公務員として存在している巫覡という役割は、危険手当が出るようなところでの仕事が多いのだ。
ここまでの大立ち回りをやって、何も残らなくなったのを見届けたから、やっとこの仕事は終わりだ。隠し戸は痕跡すらない。残るのは仕事終わりでクタクタの私たちだけ。
まあその分、深夜手当と危険手当はあるわけだが、泥水に変わった化け物をもろに被ってビッチャビチャになる己の服を見て、あるいは擦り傷や切り傷だらけになった後、死ななくてよかった、
「あれさぁ、地震の後とかに増えるけど、放置したらどうなるの」
「お前、
「そうしたら、どうなる」
「……知らない方が幸せだぞ」
カヤの低い声に踏み込みすぎたことを察する。今生の前に長生きできなかった分だけ、そういうことには踏み込みたくないと思う。
そもそもこういうものはボランティアでやるものではないのだ。私たちだって生きている。やっているのは生身の人間で、元々死にかけてからこっちに来て、さらに死にかけたり労災になってる事例もある。だから、誰かがやらなくてもやる人を確保できるように、なるべく安全に仕事を遂行できるように『ちゃんとした、それだけでも食っていける仕事』にしてなくちゃいけないのだ。
今人員が確保できているのは、責任を強くもって働いている人がいるから。それから、パニックにならない程度に情報が秘匿されているからだ。
カヤの立場は私たちよりずっと上で、だからこそ、わざわざそこにに穴を開けるようなことなら警告されるし、こんな風に咎められる。
それでも、積極的に放置なんてしないし、放置されることは考えたくない。オカルトで頭おかしいと思われそうでアングラでも、わざわざ公的な身分が付与されて給与まで支払われているのだ。それはつまり、放置した場合は洒落にならないなにかがある。
だから、考えたくないが、防ぐことはする。そこから先は、知らないままでいい。
でもやっぱ、根本的な解決ができたらいいのになぁ。
と、夜中にはアニメ作品のごとく働いているが、昼間は普通の人間らしい生活というものがあるわけで。
ひいひい言いながら勉強して入学した大学の授業は、こっちの都合なんか考えない程度に一限が必修になっている。良い大学に入れたのは分不相応な気もするが、それでもやっぱりハイパー背伸びに高下駄装備だろうと進学できたからには努力するべきだろう。特に、まだ大学一年だ。これからがだいじ。
そういうわけで、受講前の余り時間で必修の語学テキストの見直しをしていると、眼前にやたらと艶やかな黒髪と、どこか懐かしさを感じる鍵が見えた。……鍵?
気になって、眼前を横切ったそれらの持ち主を観察する。椅子をいくつか挟んで右横の席に座ったその男子学生は、それなりに鍛えているらしい、太い体躯の持ち主でもあった。
鍵は、どうも真鍮ではない金属製に見える。鍍金ではなく合金のようだけど、不思議な光沢を持っている。それに、デザインが龍の首をかたどっているようだった。新しいものでもないらしく、落ち着いた光沢ではある。合金自体が錆びやすいものなのかもしれないが、きっと丁寧に磨いているのだろう。
それがどうにも、気になる。ファッションにしても、形見にしても、どこか現代っぽくないというか、馴染んでいるようで馴染んでいないのだ。本人も他人を寄せ付けない雰囲気ではあるが、鍵もそこに一役買っていそうな、そういう感じの。
とはいえ普通の学生だ。目が引かれたのは長髪やアンティークの鍵が珍しかったから。揺れるものは人目を引くし、人間が興味を持つのは獲物に見えるからだそうだ。だから、気にするほどのものでもない。
そう思い直して板書を写そうとした時──やおら教室自体が揺れた。地震だ。しかもそれなりに大きい。
思わず窓を見る。
そこでは、斜め上空に向けて何かがいた。今まで見たのと違う、細長い怪異が天に向かって伸びて蠢いている。
教室内の数人が体を硬直させている中、窓に飛び付くようにしてそれを見るために窓に駆け寄る。アルミサッシのそれを思い切り開け放って、何かの方を見た。……やっぱり、似ているけれど何かが違う。
授業は残り5分。締め切っていた入り口のドアを開けながら早めの終了を宣言した先生の言葉も終わる前に、例の男子学生が荷物を纏めていた。
あの人、たぶん何かしら知っている。荷物を雑に突っ込んで、私も鞄を持った。ドアを駆け潜る彼は、体躯の良さ相応に足が早い。すぐ見えなくなりそうだった。
階段もまとめて飛び降りて、全力疾走して追いかける。目指す地点はさっきの何かのところだろう。それならショートカットも知っている。
だから、
走って。
階段を飛び降りて、走って。
走って、雑木の小枝にスカートをひっかけながら走って。
走って、……捕まえた!
「ちょっと!」
手首をがっちり捕まえると、彼は盛大に肩を跳ねさせた。こちらを振り返って見る青い目の、瞳孔が収縮するのを見る。
ここまで走ってきている間、カヤは来ない。じゃあ、厳密には隠し戸とはまた別なものなのか。
「君は、」
「八十神 糸。貴方、あれ見えたよね」
「っ、ミミズが! じゃあ、君も」
「そ、多分お仲間だよ。だから、」
ふと、彼の発言がひっかかって言葉に詰まる。
ミミズ? あれ、この人あれをミミズっていうのか。なんか細長いやつは昼間も時々見えてたしヤベーやつだとは思っていたけど、地震が落ち着いてから発生源周辺に行ったら消えてたし。
「閉じ師は、俺だけじゃなかったのか」
「……ふっ」
緊迫した空気の中で、彼が泣きそうな目をしている。唇と声を震わせて、僅かな間だけ目が伏せられた。
閉じ師。そうか、彼はそういうものとして活動しているのか。……いや、待って。
「なんもわからん。ごめん、閉じ師って何?」
普通に初知りなんだが。なんだその新出単語。
「は?」
「いや、マジです……あれ何?」
「……は?」
あ、なんか猫みたいだ。カヤは本当に犬らしい犬だから、なんか新鮮。
「けど、近いものの対処は知ってる。何か知ってるんなら手伝う」
「……よろしく頼む」
非常に怪訝そうながら、そういうことになった。
ミミズというらしいアレの根元は雑司ヶ谷、廃墟のある場所の方向だ。
あの気色が悪い生き物のような死骸のようなものは、未だ蠢きながら天を目指している。
彼が後ろ戸と呼んでいたそれは、随分と現代的なデザインをしていた。廃墟の部屋の戸口がそんなものになっているのは初めて見たが、どこか、懐かしさも感じる。
あれが出てきてはまずい、というのは走りながら聴いた。全部戻す必要がないことも。
だから力任せに、ねばねばしているようで単なる水分らしいそれが出てきているのを押し戻すように、戸を閉める。閉めることだけを最優先にする。
『かけまくもかしこき日見不の神よ』
呼び掛ける声に耳を傾けつつ、なるほど常人には見えないんだな、と納得する。やっぱり、若干似ている。
閉める前に見た扉の向こうは、ひどく穏やかできれいな場所と、なにもない暗がりの混在した空間になっていた。
あちら側がきれいに見える人間も限られているし、あれが見えて惹き付けられるのは、そういう場所に行くべき人間だ。一回完全に死んでなければ、私も見えなかったろう。
それなら、隠し戸もそうだったろうと納得がいく。同僚は転職するまでに死にかけたことがある人間ばっかりだ。それをカヤがどこからか見繕ってくる。その中で、普通に今生を生きてて死にかけてないのは私くらいだった。輪廻転生なんて眉唾体験したことに、今ばかりは感謝している。
ミミズはヒミズの転訛なのだろう。彼ははっきりとミミズと呼称していた。元がヒミズなら地中のいきものに対する名称と、その他には火水も意味もあり得る。単に火と水なら別だろうが……火の水なら、火砕流の類いにもかかる。国産みの神の火傷。母体に酷く損傷を与えて、噴火後には雨が降って植物の種が運ばれ、遷移が起きる。胎動するもの自体の性質と、あとはそうしたものもいくらか混じっているのかもしれない。
そういう考えをするなら、もう焼けるべき火種もないし死体しか残っていないから、あとは残ったものを揺るがして水を吐き出すだけ。それがミミズなのかも。
いや、こじつけも甚だしいか。
『久しく拝領つかまつったこの山河』
「……ああ、そういう」
じゃあ、それならあれは、天津神の。
「はぁ?! あんな危険物処理を一人で?! しかも諸手当もなし?!」
「あ、ああ……」
ギャンギャン騒いで暴れる私に、さっきまでしんみりしていた宗像くんが狼狽えながら宥めてくる。
全部終わってから名前を聴いて、改めて自己紹介がてら説明を受けたらこうなった。こうならざるをえなかった。
「てか後ろ戸があるなら正面戸もあるだろ! 後ろ戸とか捨てて正面からかかってこいよ!」
「八十神さん落ち着いてくれ、ミミズは後ろ戸からしか出てこない!」
「どうせどっかから這って出てくるだろあいつら!」
残念だが、色々あった本人から言われても、そんなことで気持ちが収まるわけがない。てか、いくら人手がないとはいえ子供に家業やらせるとかダメでしょ。児童労働だぞ、しかも労災降りない危険職種だかんな。
何かどこか諦めたような、疲れきった顔をする宗像くんは、たぶんめちゃくちゃ苦労を被ってきたのだろう。
一般人でここにくるまでの道筋がおかしいながら公務員やってる私でさえへろへろなのだ。そうでもない、普通に生まれて普通に人生やってる青年なら潰れてもおかしくはない。実際、同僚何名かは潰れかけて休職してる人もいる。職場の補助があるから大概復帰するけど。
「それに、今までは俺たち閉じ師が対応して、なんとかなってたんだ」
「いや、今まではそうかもしれないけど、これからは無理でしょ。人間の体はひとつだけなんだし、当代は宗像くんだけなら、死んだら全部パァじゃん」
「……それは、そうだが」
宗像くんの頭が下がる。伏せられた顔は見えないのだが、かなり暗い顔をしているだろうことはわかる。
まあ、たぶんだが死の危険なんかの問題は薄目に見て、がっつりは見ないようにしてきたんだろう。そりゃそうだ、そんな問題に晒され続けていたら大概の人間は逃げたくもなる。責任も、覚悟も、生存本能の前には塵同然だ。
けど、彼は大勢とは違う、稀有な方の人間に見える。しかも後天的な希少人材だ。たった二人の職能者で、片方はいつ身体に異常があってもおかしくはない老齢の師。師が再起不能になれば弟子がどれだけ未熟でもずっと一人で立たざるを得ない。秘され、失伝しているであろう必須条件がわからない以上、恐らく素養があるとされている者は血縁者に限られている。幼い頃から覚悟を固めることを義務とされていたはずだ。それこそ、強迫的な観念の植え付けになる程度には。
彼の生育環境なんて知らない。だが、彼が色々なものを諦めていたことなど容易に想像できた。さっき雑に飛び出そうとしていたのも含めて、たぶん、そういうことなんだろう。
「やらなきゃ、人が死ぬ……死なないように努力はしてるし、これからもするよ。それに、死ぬのは怖くない」
「馬鹿か。そういう問題じゃないし、そのまま進んだら君が思うよりたくさんの人間が死ぬし、危険に晒されるよ」
「っ、それは」
生白い肌、その下の喉仏がゆっくりと上下する。
キツい言葉を言っている自覚はあった。だけど、彼のそれは彼の都合だ。目的に、それ以上に教え込まれた言葉に呑まれて本質が見えなくなっている。
暗く沈んだ目は、随分前に見た覚えがある。人に先立たれた人間や、生活のよすがを断ち切られた人間のそれに近い。だが、もっと根の部分から分断されてしまっているような色をしている。
「違うか。君が手段を持ってて、認知されたら手立てがあるわけだ。そのくせ君がそのまま全部抱え込んで死んだりしたら、防げるものが防げない。それは人災だよ。
たとえ見えるやつがいても、手立てを知ってるやつがいない。それ、どれだけヤバいことだと思う?」
閉じ師という仕事をしてきた人間はその職能者として責任感が強いのだろうが、その誇りはひっくり返せば傲慢だ。自分さえうまくやれば、なんていうのは驕り以外の何者でもない。
だけど、それを受け入れるのは生易しいものじゃない。半生を揺らがされているようなもの。だからこそ。
「宗像くんも学生ならわかるでしょ。ここまで来た人間なら」
あと、一押し。もう少しで爆ぜる。
「じゃあ、どうにかしてくれるのか。そう言うのなら手があるのか!」
半ば、絶叫だった。
こちらを睨み付ける青に、赤い火花が散っている。
「わからないから、これから探す!」
それで正解だと、私も思う。
彼は、子どものときから頭が良かったんだと思う。良い子どもで、良い弟子で、出来が良かったんだろう。
だから、それ以上にこの仕事に関して視野が狭まっている。軽く聴いただけでも十分な程度に役目も果たせている筈の彼だ。そこに考えが至らないというのが意識によるものであるならば、きっかけさえあれば十分理解する。
じゃあ、手っ取り早く本音吐かせてガス抜きしてやればいいのだ。今の彼に自覚がないのが原因っぽいし、だったらそこから破裂させてやればいい。
火花の散る目を、こっちからもまっすぐ見て手首を掴む。
「私も木っ端とはいえそういう役人だよ。知った以上は一緒に考える。最低でも、うちに所属すれば多少やりやすくはなるはずだし、あれ、どう見てもうちの仕事に関連してるんだ」
逃がしてなんかやらねぇ。こんだけ情報持ってるなら絶対まだなにかヒントがあるはずだ。全部吐き出してついでにうちの面子になるまで何がなんでも逃がさん。
そもそもさっきから話していて、手立てがあるとは言っていないけど、同時に私から手を離すなんて一言も言っちゃいないのだ。
ついでに、ミミズや私たちの清掃対象になっているヘドロのごときものが見えなくても、やり方次第で対応する手段を確立できる可能性もある。
上がった頭をのろのろ動かして、宗像くんが私を見る。
青に、光が散っている。眩しいとまではいかない。けど、さっきの池の深いところみたいな目よりはずっと良かった。顔色もなんかちょっとましになってる気がする。さてはこの人、ハードワーク由来の不健康だな?
「八十神さんの、所属先って」
「総務省消防庁の附属機関。まあ、採用ルートは一応消防庁のほうだけど、宮内庁の事務官との兼任が多いね」
たとえ今わからなくても、これから考える頭はある。なら、種と水と土があるならあとはひとりでも、そうでなくても芽吹くだろう。それこそ、この先の長い人生を費やせれるならばいくらでも。
「あとさ、そこは死ぬの怖がりなよ、せっかく五体満足なんだし、これからの人生でしたいことできるわけじゃん」
で。聞き取りからの結論。宗像氏族をはじめとした(というか、現状は唯一現役である彼と先代の宗像氏に限定される)閉じ師と呼称される職業従事者と、彼らを取り巻いている状況は異常である。可及的速やかに公的機関の認知と認可、それに危険度に見合った報酬や手当の支払、有事の際には医療機関等との連携が必要と判断する。
ただ、すぐに報告するべきとはいえ、認知していないか、秘匿されているであろう存在だ。うやむやにされるのも不味い。宗像くんになだめられたこともあり、いくらか探りを入れた上で上司を巻き添えにして確認を取ることにした。
「法務局か」
「行ったことある?」
「いや、家業で扉がありそうなところに足を伸ばすことはあったんだが、そっちは当たったことがなかった」
「まあ、普通は学生で法務局に通う人とかあんまりないよね」
「戸籍や登記情報なんて早々必要ないしな」
確認の途中で違和感を感じたので、先にいくらか調べものをしてもらうことにする。彼には法務局での調べものという頭はなかったらしい。それもそうだとは思う。大学生ですら、調べものをするためにわざわざ法務局に行くことなんて早々ない。
四方八方に手を回し、根回しした上で出てきた答えは想像よりはかなりあっさりしたものだった。
宗像家、戦争後に途絶えたと思われていたのだ。ついでに行政側の担当者も同時期に被災してほぼ全員死んでる。
確認してもらったら、彼の先祖が持っていた土地の大まかな範囲とか位置とかも多少はわかった。家絡みのことだと、大戦で亡くなった方が多い上、ご家族が大陸から引き揚げられたのも、戦争に行っていた男子が帰郷したのも遅かったらしい。宗像家は残った人間が再興したから残ったけど、一時期宗家と分家で土地のことで揉めたり分散してたりもしていた。だから余計に混乱した可能性がある。
逆に東京にずっと居て仕事を秘密裏に担当していた、ミミズその他の確認がとれる役人の方はもっと早い段階で全滅。あの時期色々とあったから、行政としても混乱しまくったのだろう。資料も火災のあった地域での保管だったなら納得がいく。災害を境にして倒れるミミズが見える人間は増えたかもしれないが、逆にそれが対応可能だと知っている人間がいない。怪異も含めて自然災害となってしまった。
それでもミミズは出てくるので残った人手を酷使してでも彼らは対応を続け、農地改革時点では血縁の農地耕作者が残っていて確保できていた資産を使い生活を維持。他方では閉じ師を知る人たちが支援を細々としてきた、らしい。
結果、畑のお陰でギリギリ食えるがグレーすぎる仕事になった、と。あとは想像だが、普通の仕事に就いた血縁者からの支援もあったろうし、どこかしらで資産運用絡みで上手くやった人間もいたんだろう。
まだ、最後の大戦から戦後100年も経ってない。急に変わった暮らしでもこれだけ仕事を維持してきたのは尋常なことではない。
どっちにしろこれじゃ不味い。後ろ戸によってもたらされる災害はほんの一部かもしれないが、彼らが万が一に途絶えたとして、私たちで隠し戸だけ対処するんじゃ間に合わない。対応できるはずの災害の根幹が抑えられないのだ。
「っはー……! ダメでしょ」
「はは……そう言われると、そうだな」
「いや君、自分事だろ。もうちょっとキレていいと思う」
あんだけキツいことを言ったから軋轢はあろうかな、と思ったけどそうでもなさそうだ。むしろ、どこか吹っ切れた色すらある。
「俺は、一人でやるよりずっと仕事がしやすくなった。だから、それでいい」
「お人好しめ。こっちとしては職員も増えたし重要な情報も手に入ったから助かるけどさ」
彼によってもたらされた後ろ戸についての情報はあまりにも価値が大きい。
後ろ戸と呼ばれているものは、仏教思想の隠戸から来ているのだろう。あるいはそれに類似する性質があるものと考えられる。鬼が出てくる、というのは本来位相が異なる場所から正体のわからないものがいきなり現れるということ。常人には見えないミミズと呼ばれる怪異はまさに鬼だ。それを、人が拝領した土地を返還することで鎮め祀るというのは随分と新しい思想に依るものだ。
だが、それがどう転ぶか、どう扱うべきかを判断するのは私じゃない。もっと上の人間だ。
「夢があるんならさ、まだ十分叶えられるんだし、できるだけやりなよ」
「そのつもりだ。むしろ君の方が色々なものを諦めてるんじゃないのか」
「まっさかぁ。これでも志望先はあるし、趣味の本も20冊くらい買って人生エンジョイしてる」
「それは……買いすぎだろう」
冷静な突っ込みが耳にいたかった。そこは流してくれていいと思うよ。
意気揚々と九州に行った同僚(勤務三年目)が全然帰ってこない件。連絡も来ないし全然状況がわからないんだが。
なんならもうそろ試験日だったはずなのに、あの人一体何考えてるんだろうか。閉じ師が本業だから仕方ないとはいえど、採用試験すっぽかすとかなり大変なはずだ。
いい加減こっちから確認しに行ってやろうかと思いつつ、夕飯前の空腹をごまかすために抹茶オレのキャップを開けようとしていると、不意にスマホの通知音が鳴った。
……私用端末の方。しかも、掛けてきているのが不明な電話番号。セールスならそれはそれで断ればいいが、もし、何かあって覚えてる番号の方に掛けてきたとしたら。
「はい、八十神」
「すまない、糸さん。西の要石が抜けてしまった。俺も呪われたらし」
「……は? ちょっとまてビデオ電話にして。今どうなってる」
嫌な予感が、大当たりした。
普段ならほぼ動じない友人の珍しく情けない声に、言葉を遮って通話を変えさせる。
呪い。呪いか。要石についても重要だが、報告は最悪後でいい、……私用端末に連絡しなくてはならない状況なら、身体の異常でも伴うのか。それか、貸与された端末を使えない事情ができたか。
うるさい心音をなるべく押さえつけながら、ビデオ通話に切り替わった画面を見る。
画面には高校生らしき年頃の女の子と、ドがつくほどアップで映る椅子。……宗像くんの姿はない。場所はわからないけど、背景の壁の様子からしてフェリーのような船にいる感じがする。
拍子抜けしそうだったけど、彼女は、一体どういう。
「宗像くん」
「ああ、すまない……まさか、こんな姿になるなんて」
椅子が、頭を下げるように背もたれを動かす。
息が、止まりそうになった。
「は」
宗像くんの声に合わせて震える椅子。
足を動かしている椅子。動揺しているかのように揺れる椅子。
ちょっとずつ脳が見たものを処理していく。
それじゃあ、今ビデオ通話にドでかく写っている椅子は、つまり。
「嘘でしょぉ!!!?!」
続かない。