しかし、想像していたものとは全然違う悪役ぶりに元OLは困惑交じりに突っ込みを入れ続ける。
思い付きと悪乗りで作り上げたなんちゃってコメディ。
目の前で大勢の人々の絶叫がこだましている。
巨大な鉱物で形成された人型の何かが城下で家屋を薙ぎ払い、破壊の限りを尽くしていた。
蠟燭のように燃えているのは
翼の生えたワニくらいの爬虫類に乗った兵士たちが手綱を引く度、炎を吐き出し、人間蝋燭を増やし続けている。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図……。
そして、この残虐な光景を作り上げたのは――。
「ご希望の余興はお気に召しましたか? ザンギャック公女殿下」
「……ええ……?」
どうやら私、らしい。
***
「悪役令嬢になって、なんやかんやで改心して美形男子にちやほやされたいなぁ……」
ごくごく普遍的なOLが漏らす、ありきたり過ぎてもはやテンプレートとも言える願望を吐き出した。
深夜一時に家路を歩く私は田辺さゆり、三十四歳独身。
無言の圧力でタイムカードを定時に切らされ、一円にもならない残業を終えてきた夢も希望もない女。
それが私。
割引シールの貼られたお惣菜すら手に入らないハード&ブラックな職場に疲れ果て、過度なストレスで飽和状態の頭を抱えて、決して叶うことのない妄想を道端で
つらい、つらすぎる……。客観視すると死にたくなってくるわ。
せめて、シャワーを浴びた後はファンタジーアニメでも見て心の飢えを満たそう。
短い睡眠時間を削ってでも、深夜のお楽しみタイムを確保しようと算段していた私だった、背後から鳴り響く排気音に気付いて振り向いた。
トラックだ。
小型のトラック。
最大積載量が三トン以下、サイズは全長四.七メートル以下、全幅一.七メートル以下、全高二メートル以下、車両総重量五トン以下。
配送センターで事務をしている私には見慣れた、宅配便やコンビニやスーパーの配送に主に使われるタイプだ。
車体の種類はアルミ製の箱状の荷台がある所謂アルミバンと呼ばれるもの。
そのトラックは速度を一切落とすことなく、私に接近してくる。
むしろ加速している気さえする。
エンジンを共に鳴り響くのは甲高いエコーが掛かったような奇妙な声。
『その願い、叶えたりィィィィィィィィィィィ!!』
トラックは車道を乗り越え、歩道の縁石を登って全速力で向かって来る。
え? 何? ドッキリ? 幻覚?
まともな思考と行動が取れないまま、硬直した私は小型トラックと激突した。
今際に聞いたのは甲高い声。
『オッシャアアア! 転生完了! 転生者一丁上がりィィィィィィィ!!』
そして、それから私の意識は暗転し……戻った時には。
私は
気が付けば、何故か城の頂上に備え付けてある玉座に腰かけていて、眼下では地獄絵図が広がっていて。
「熱いのでお気を付けてお飲みください」
隣にはやたら瞳がキラキラした銀髪の美丈夫が紅茶を私に注いでいた。
いや、そんなまったりとした雰囲気じゃないんだけど。目の前で秒単位で人死んでんだけど。
けれど、それを口に出す勇気もなく、気圧されながらもお礼を言った。
「あ、ありがとう……」
湯気が立つ紅茶をやたら無駄に高そうなティーカップを渡され、息で少し冷ましながら
変わった味だ。何の茶葉なんだろう。
ほのかに酸味があって、鼻に突き抜けてくるのは鉄錆の……。
「これ、血入ってないっ!?」
「はい! ザンギャック公女殿下のお好きな生娘の血を少々加えて煮だしております」
うげええええ。
吐きたいけど普通に飲んでしまった。
胃がムカムカする。二日酔いで勤務した時だって、こんなきつくなかった。
というか、さっきから呼ばれているザンギャック公女殿下って何? いや、そもそもこの状況何なの?
私、会社で居眠りでもして悪夢見てる!?
『その質問にはオイラがお答えするぜェェェェェェ!』
甲高く響きのある声と共に周囲の世界の色彩が白黒に反転する。
ピタリと止まった銀髪の美丈夫。城下の土塊の巨人や兵士を乗せた飛竜もまた破壊活動の途中で静止していた。
「ええ……今度は何?」
突然、目の前の中空から見覚えのある小型トラックが車体を露わにした。
いかにもな中世ファンタジー風の世界には似つかわしくないアルミバンが浮かんでいる。
これもこれでファンタジー的な光景なのだが毛色が違い過ぎて、大分シュールだ。
小型トラックは甲高いエコーがかった声音でさも当然とばかりに語り始めた。
『オイラは異世界転生を司るトラック、バンバンだっ! とりあえず、邪魔が入らないように時を止めておいたぜェェェェ!』
「…………すごく色々と突っ込みたいけど、続けて」
『アンタはオイラが転生させた! 今のアンタはこの領土を治める貴族の一人娘、ザンギャック=ドエス・チミドロスキー! 生まれた時から始めると冗長だろうからサービスで悪役として脂が乗るまで時間を進めておいたぜェェェェ!』
脳内が濁流のように押し寄せる情報。
私が社内のおんぼろパソコンならフリーズしている。というか、もう今すぐ意識をシャットダウンしたい。
『今、この領内で起きてるのはザンギャック公女の趣味を兼ねた反抗勢力の武力制圧だぜェェェェ! 戦術兵器としてゴーレムで街ごと破壊して、ドラゴンライダーで捕らえた人間を火炙りにしてるんだぜェェェェ! ザンギャック公女はこの光景を眺めながら生娘の生き血を混ぜた紅茶を愉しむのが日課なんだぜェェェェ!』
この世紀末的光景の破壊活動、自分の領土でやってるの!?
しかもわりと城に近い位置でこんなことやってるの!?
おまけに日課って……この行為を毎日繰り返しているの!?
酷い。何から何まで酷過ぎて、もう私の名前が酷いことについて、気にするのも馬鹿らしい。
「色々と言いたいことあるけど…………これ、悪役ってレベルじゃないわよぉ!」
想像していたのは、漫画とかアニメに出てくるヒロインに嫌がらせをしてホホホと高笑いする、ちょっと性格の悪いお嬢様みたいなのだったのに、これじゃあただの極悪非道。
いや、もはや邪悪の化身と言っても過言じゃない。
悪役は悪役でも一刻も早く倒さないといけない巨悪……。
生きていちゃいけない存在過ぎる、
「そもそもこんな最悪の展開の前で前世の記憶返してもらっても、転生物っていうかほぼ憑依物っていうか……悪役令嬢物だってそうなる前に回避するのが醍醐味なのに……」
『なんかごちゃごちゃ言ってけど、クーリングオフは聞かないぜェェェェ! それじゃあ、説明責任は終えたから、現世で転生者を轢き殺す業務に戻るぜェェェェ!』
「いや、待って! 冷静に考えると私の願い全然叶えてもらってないわよ!? 改心は? 改心はどうなるのっ!? その後の美男子からのちやほやライフは?」
こんな邪悪な殺戮を繰り返した後でどう改心するっていうの?
もう手遅れよ? 一刻も早く死ぬことぐらいしか罪を償える気がしないわよ!?
私がそう尋ねると出会った時からハイテンションだったバンバンは若干トーンダウンした声音で答えた。
『……心を改めて、虐殺の限りを尽くせばいいんじゃない?』
「いやいやいや! そんなの改心じゃないわよ! 虐殺の限りを尽くしてちやほやしてくれる美形男子なんて存在しないでしょうがっ!」
『それに関しては問題ないぜェェェェ! そこで紅茶を
「ああ、なんかお傍付きっぽいこの銀髪の人ね」
改めて、傍に立っている銀髪の美丈夫へ目を向ける。
他に気を取られることが多かったせいでよく見る機会がなかったけれど、本当に端正な顔立ちをしている。
銀の糸を寄り合わせたような美しい髪は芸術品といってもいいほど……あれ?
じっくり観察すると前髪の下から額にかけて縫い目のような跡があるように見える。
『ソイツの名はオーベック・リュミエール。元々は犯行勢力の旗頭でアンタを暗殺するためにこの城に乗り込んだ英雄だったんだぜェェェェ!』
「は……? え、ちょっと待って、じゃあ何でこの人、私の付き人みたいなことしてるの?」
『それはアンタが捕らえて、脳ミソを弄りまわして従順な下僕に変えたからだぜェェェェ!』
「えっ、じゃあ、あの縫い目って、まさか……」
『手術痕だぜェェェェ!』
何という外道なの、ザンギャック=ドエス・チミドロスキー……!
どこまでもマッドでサイコな極悪令嬢。
悪行の一つ一つが私の想像を容易く斜め上に超えてくる。
というか、このトラックはつまり私に――。
「……この方法で美形男子にちやほやされて行けっていう気?」
『イエェェェェス!』
「そんな邪悪な方法をしてまでちやほやされたくないわぁぁぁ!!」
『でも既に一回やってるぜェェェェ!』
私としての記憶なかったんだからノーカウント……してもいいわよね?
体感的にはついさっきまでブラック企業のOLしていた私には、とてもじゃないけどザンギャックとしての罪を背負っていける気がしない。
『それじゃあ、転生ノルマがまだ残ってるからオイラ行くぜェェェェ! あばよ!!』
「あ、ちょっとまだ言いたいこと山ほどあるんだけど……」
異世界転生を司っているらしい小型トラック・バンバンは相変わらずのハイテンションで掻き消えた。
同時にモノクロームの世界に鮮やかな色が戻ってくる。
思い出したかのように響く断末魔の悲鳴と絶望の絶叫が、世紀末ぶりを私に再確認させてくれた。
「ザンギャック公女殿下。どうかなさいました? 突然、頭をお抱えになったりして。」
驚くほどキラキラした青い瞳で私を心配する悲劇の英雄、オーベック・リュミエール……。
どうかされちゃったのはあなたの脳ミソよ。それやったの、
何て可哀そうな美形男子なの。私を討つためにやって来たのに脳を弄られて従順な下僕にされているなんて……。
反抗勢力の旗頭にまでやっているのだから、恐らく家族か友人、はたまた恋人辺りは私に殺されていそう。というか、
「大丈夫……罪の意識に押しつぶされそうになっているだけだから」
「貴様が罪の意識だと……。冗談にしても笑えないぞ!」
私が頭を抱えていると背後の方からソプラノボイスの声音がかけられる。
振り返ると警護として立っていたらしき甲冑に身を包んだ二人の衛兵の身体がぐらりと揺れて、屋上の床に伏した。
彼らの陰から現れたのは声に似つかわしい幼さを残した美少年。
「悪逆公女・ザンギャック! 堕ちた兄に変わってこの俺がお前の命を奪いに来た!」
金髪に青い目をしたその少年は両手に一対の短剣を逆手に握りしめ、怒りの形相で私を睨んでいた。
ああ、なるほど。反抗勢力の暗殺者ね……。
めちゃめちゃ殺意を
ん? 堕ちた兄……?
その疑問に対する答えを聞く前に隣に立っていたリュミエールが持っていたティーカップとソーサーを投げ捨て、脇に差していたサーベルを引き抜いた。
「ザンギャック公女殿下に逆らう愚かな弟よ。この私がその愚行を死によって償わせる」
「兄さん! 何故あなたほどの英傑がこんな外道に付き従うんですか!」
お互いに剣を構えて相対する青の瞳。
次いで、交わされる剣呑な台詞の応酬によりすぐに理解した。
リュミエールの弟さんなのね。そして、私がリュミエールを洗脳したせいで血を分けた兄弟が殺し合いをしそうなのね。
うんうん…………。あらゆる意味で死んだ方がいい女ね、
制止する間もなく、リュミエールとその弟は刃同士をぶつけ合わせ熾烈な鍔迫り合いを始めていた。
「ザンギャック公女殿下は濁っていた私を導いてくれたのだ! 新しい世界を私に教えてくれた!」
それ、新しいかもしれないけれど確実に間違った世界よ、リュミエール。
「虐殺を好み、領土を恐怖と絶望で腐らせるその女のせいでどれほどの涙が流れたのか! 兄さんが知らない訳ではないでしょう!」
もっと言ってやって、弟くん。おかしくなったお兄ちゃんを正義の道に戻してあげて!
私の内心とは裏腹に体格さで劣る弟くんは徐々にリュミエールに押されていく。
「くっ……! それほどの剣術を持ちながら、何故悪の手先になったんだ!」
それは私に脳ミソ弄られたせいよ、弟くん。決してお兄さんの本意じゃないわ。
「公女殿下の行うことこそ、この世の絶対正義! それが解らぬ愚者は生きるに値しない!」
ごめん、リュミエール。私が一番その正義、理解できないわ。そして、生きるに値しないのは多分そう。
どうしよう……私のせいで脳ミソ弄られた美形男子が弟を殺してしまう。
でも、ここで急にリュミエールに戦いを止めさせたら、勢い余って弟くんが兄殺しを果たしてしまう可能性がある。
それでもって、私も私で痛い思いしてまで死にたくない。
本当にどうすればいいか分からない。
ここまでの苦境に立ったのは月末にワンオペ残業していた中、会社のパソコンがウイルスに感染して動かなくなった時くらいのものよ。
本当にまずいことになったわ。いや、もっと遥か前からまずいことしかしてこなかったのだけれども!
「トドメだ。ルーゼン! 貴様の血で煮だした紅茶を公女殿下へ献上してやろう!」
あ、ようやく弟くんの本名が分かったところで私への紅茶の隠し味にされそう……。
二本の短剣がサーベルに弾き飛ばされ、ルーゼン君の脇腹へリュミエールの致命的な刺突が繰り出されようとしている。
「ちょっ、ちょっと待ったー!」
切っ先が肉を貫く寸前、文字通り皮一枚を裂き、刃が鮮血を滲ませた。
しかし、そこでサーベルは肉を
「……ザンギャック公女殿下。どうなさいました? 紅茶のお代わりならこの者を始末した後に改めて注がせていただきますが」
剣呑な視線を弟に向けたまま、私に尋ねるリュミエール。
絵になる美形だなぁ。このワンシーンだけでもピンナップポスターにして飾っておきたいぐらいだ。
見惚れそうになるのを堪えて、私は脳をフル回転させて言葉を紡ぐ。
ザンギャックは人格こそ腐りきっているけれど、立場としては紛れもなく公女。
貴族として従者を説得する言葉ぐらいあるはず……!
「……もったいないわ」
「もったいない? それはどういうことでしょうか」
「そう、もったいないのよ! その子は殺すべきじゃないわ」
脳内に眠る貴族としての所作と論理を掘り起こして、どうにかこの場で兄弟の悲劇が起きることを回避しないといけない。
頼むわよ、私の中のザンギャック思考回路。
あなたが脳ミソを弄り倒した従者はどうすればコントロールできるの。
ああ、分かる! 分かるわ! 今ならザンギャックとしての論理が再現できる。
ふうっと吐息を漏らした後、耳元の髪を搔き上げ、ティーカップの血液入り紅茶を一口飲む。
鉄錆風味の温かな飲料は吐き気を催したが、それでも耐えて胃の中に押し込んだ。
「私の兵士を二匹も殺したのよ。なかなかの暗殺技術……このまま紅茶のスパイスにするには惜しいわ」
おお……、顎で使われることに慣れ切った下っ端事務員にしては、それっぽいじゃない!
私ってば、貴族としての資質あるんじゃないかしら。
「しかしながら、公女殿下。この野良犬は今にも貴女様の喉元に食らい付こうとしております。恐れながら、従えるには難しいかと存じますが」
リュミエールはそれでも難色を示す。
脳ミソ弄られている割りに無条件で従う奴隷とは違うみたいだ。
私の身の安全のためなら、意見もするらしい。
それでも今の私には問題ない。
「ええ。今のまま、ならね。でも、私には聞き分けのない子犬を従順にする方法がある。違う?」
「こいつにも新たな世界を与えようということですか? なんと慈悲深い……ザンギャック公女殿下の御心はどこまでも広大なのですね」
そんな広い奴はこんな悪逆非道な真似かまさないと思う。
まあ、いいわ。とりあえず、美少年が目の前で兄に殺される瞬間は見なく済みそうだ。
「ふざけるな! 俺を兄さんのように操り人形にするつもりか!? そんな辱めに合うくらいなら、この場で舌を噛んで死んでやる!」
ああ、一人納得してない人居た!
そうよね……嫌よね。考えてみれば、ごく自然な反応。
だけど、その反応に私の従者は許容できずに怒気を滲ませる。
「寛大な公女殿下に何という不敬な物言い……やはり殺すか?」
ああー! お兄ちゃん、殺意スイッチ入っちゃった。
こういう時に殺させずにうまく場を収めるとするなら――。
「子犬の鳴き声で気分を害するほど狭量じゃないわ。でも、そうね。寝顔が見たいわ。子犬の愛らしい寝顔が」
「御意に」
リュミエールの拳がルーゼン君のみぞおちに深々と突き刺さる。
「ぐッ、がッあ……悪、魔め……」
最後に私を睨んだ後、ルーゼン君はがっくりと膝を突き、その場で崩れ落ちる。
分かってはいたけど、めっちゃ恨まれているわね、私。
うつ伏せで倒れた弟をリュミエールは蔑んだ目で見つめた後、キラキラした瞳で私に振り向いた。
「邪魔が入りましたが、それではお茶会の続きをご用意致します」
この状況下でまだやるの……?
もうお腹いっぱいなんだけど、というか元の世界に帰りたい。
仕事と寝るだけだったあの薄暗い生活が恋しい。
一回眠ったら戻らないかな。
楽しそうに茶会の準備をするリュミエールと床に寝かされたその弟を見ながら思う。
私はただ、ありがちな悪役令嬢に転生したかっただけなのに……って。