陰の右腕になりまして。 作:スイートズッキー
──
日常生活の中でならば、誰しもが経験のあることだろう。しかし、命を取り合う戦いの最中にしてしまえば、その者には『死』が待っている。たった一瞬の隙が勝負を決め、呆気なく命を散らしてしまうことになるのだ。
「危ないッ!!!」
オリヴィエの振るう剣へ見向きもしないライに、アウロラが鬼気迫る表情で叫んだ。やはりしがみついてでも止めるべきだった、彼女のそんな遅過ぎる後悔は悲鳴にも似た声となって辺りに響いた。
殺された。見たくない現実から逃げるように、アウロラが反射的に強く目を閉じる。
だが次の瞬間、彼女の耳に届いた音は肉が切り裂かれる嫌な音──ではなかった。
「…………えっ?」
ギャリンッという鋭い金属音を聞き、アウロラが恐る恐る目を開けた。視界に入る英雄に襲われた男は何故か五体満足で立っており、出血どころか怪我もない。先程までと何も変わらず、ただ軽い笑みを浮かべていた。
振るわれた剣に対してライが行ったのは、防御ではなく軌道修正。背中越しだというのに的確な位置へ剣をぶつけ、オリヴィエの剣を自身から
「……嘘、でしょ」
「おー、相変わらず上手いなぁ」
開いた口が塞がらないといった様子のアウロラと、のんきな感想を口にするシド。両者の間にある違いはただ一つ、ライ・トーアムという男との付き合いの長さだけだ。
「だから言ったでしょ? 大丈夫だって」
「い、いや、でもあれは……ありえない」
そう確定したいアウロラだが、たった今見せられた現実がそれを否定する。本物でないとはいえ、伝説の英雄であるオリヴィエの一撃を背中越しに捌く人間など悪夢以外の何者でもない。アウロラの頭は混乱の一歩手前だった。
「おっ、相手も驚いてるみたい。距離を取ったね」
アウロラがパンパンッと手で頬を叩いていると、シドが状況の変化を口にする。地面へと外された剣をオリヴィエが引き抜き、後方へジャンプすることでライから距離を取ったのだ。
「オリヴィエッ!? 何をしておるッ!! さっさとあのガキを殺せぇッ!!」
唯一状況を理解していない男、ネルソン。研究者として生きてきた彼には、ライがどれほどレベルの高いことをしたのか分からなかったようだ。
「おおー、凄い魔力だねぇ」
「ッ!! やっぱり無理よ! 今からでも戦いをやめさせて!」
「そうだねー、流石に厳しいかもね」
どこまでも緊張感のないシド。
アウロラはどうにかして戦闘を止められないかと慌てふためくが、その前にオリヴィエが動いてしまった。
「は、速いッ!!」
「さっきの一撃が通用しなかったから、威力よりも手数で攻めることにしたんだね」
シドの言う通り、オリヴィエはライの周りを高速で移動し始める。瞬間移動かとも思える圧倒的スピードは、普通の人間には捉えることすら出来ないだろう。
──
「あ、あれを……防いでるの?」
信じられないといった顔でアウロラが声を溢す。超高速で斬りかかられているにも関わらず、ライがそれを捌いていたからだ。オリヴィエとは違い、その場を動かずに対応しているライ。無駄な動きは見受けられず、まるで躍っているかのように剣を走らせていた。
「な、なんなの!? あの人何者っ!?」
「剣が上手な僕の右腕」
「上手ってレベルじゃないでしょ!!」
思わず詰め寄るアウロラにも、シドはヘラヘラとした笑みを崩さない。心配など微塵も感じさせず、あくまで面白いものを見ているといった様子だ。
「彼は剣に魔力を使ってない……。それでどうして……」
魔力を纏った剣と纏っていない剣。ぶつかれば間違いなく魔力有りの方が勝つ勝負であり、普通であれば捌くことすら出来ないのだ。剣で受けた瞬間に剣ごと斬られて終わりなのだから。
そんなアウロラの疑問に答えたのは、腕組みをしながら僅かなドヤ顔をしたシドだった。
「あれは受けてるんじゃなくて、
「ズラす……?」
「そっ、剣の側面部を狙ってね。刃に真正面からぶつけるんじゃなくて、こう……滑らせるって言うのかな。僕もよく分かってないんだけどさ」
「滑ら、せる? えっ?」
理解が追いつかないアウロラ。何を説明されているのか全く分からなかった。ズラすだの、滑らせるだの、神業の範囲を超えている。ましてや相手は剣士としての最高峰。そんな芸当が出来る人間など、古代の戦士にだって居なかった。
「……けど! 相手がどこを狙ってくるかなんて分からないでしょう!?」
アウロラの指摘は当然のことだった。あれほどまでに速い攻撃、たとえ捌く技術を持っていたとしても剣が間に合わなければ意味もない。完全に相手の剣を先読みし、自分の剣を動かさなければ不可能なのだ。
「ライってさ、
「が、学習?」
「うん、相手の剣自体をね。さっき背中越しに攻撃を避けたでしょ? あの時相手が狙っていたのはライの首だった。つまり、狙われる場所の有力候補に『首』が入った。そして打ち合っていく中でする相手の攻撃パターンの分析……後は勘だろうね」
「はぁ!? 勘で攻撃を先読みしてるってこと!?」
これが当たるんだよねぇなどと笑うシドに、アウロラは言葉を返すことすら出来なかった。戦士の勘を馬鹿にしている訳ではない、そういった要素が強者にはあることを彼女は知っている。しかし、それが通用するのは長きに渡って戦いに身を置いてきた歴戦の強者達だけ。ライのような若さでその境地に至っているなど、信じられる筈もなかった。
「剣の間合いは『目』で、相手の気配は『耳』で。魔力を使って強化したこの二つと、圧倒的な戦闘センス。剣に魔力を纏わせられなくても、ライならあれぐらいは余裕だよ」
「……もう驚くのも疲れたわよ」
「ははっ、良いリアクションだね。……でも、そう簡単にもいかないみたいだ」
ヘラヘラとした笑みを引っ込め、シドがライの方へ指を差す。アウロラが素直に顔を向けてみると──鮮血が宙を舞った。
「ああっ! き、斬られてる! 斬られてるじゃない!!」
オリヴィエが更に速度を引き上げたようで、ライの反応が間に合わなくなってきていた。捌ききれなかった攻撃は身体を動かすことで回避しているが、紙一重もいいところであり、頬・肩・腕・足と徐々に切り傷が付き始めた。
まだ深い傷は負っていないが、それも時間の問題だろう。このままではジリ貧、厳しい状況なのは一目で分かった。
「ど、どうするの!? あの人危ないわよ!?」
「あー、やっぱり厳しかったか……
「へ? 一本って……」
「──シドッ!!」
アウロラが訊ねようとした瞬間、ライから大声が上がる。オリヴィエの手を掴み動きを止めているようで、斬撃の雨は終わっていた。ライはそのままオリヴィエを力任せにぶん投げると、一定の距離を作ることに成功した。
「はいはい〜! よいしょっと!!」
名前を呼ばれたシドはすぐにライの意図を理解。自身の剣を鞘から引き抜くと、ライ目掛けて勢いよく投擲。剣はクルクルと回転しながら、ライの背中へと飛んでいった。
「ええっ!? な、何してるのよ!?」
「大丈夫だって」
アウロラの心配を流しながら、シドがまたもヘラヘラと笑い出す。その顔には安心感が滲み出ており、これ以上することは無いと言わんばかりに再び腕を組んだ。
「……どうして後ろから飛んでくる剣を見ないでキャッチ出来るの」
「これぞ右腕ムーブ、『剣の背面キャッチ』。良かった、こういう時のために練習しておいて」
「貴方達の関係、本当に分からないのだけれど……」
パシッとナイスキャッチを見せたライと、満足気に頷くシド。アウロラはこれまでに出会ったことがない関係性を目の当たりにし、手を顔に当てながらため息を溢した。
「一本じゃって、剣のことだったのね」
「ライは二刀流だからね。一本じゃ本領を発揮出来ないんだよ」
「で、でも、剣が増えたからってどうにかなるの? 確かに防ぐ手段は増えたんでしょうけど……」
「うーん。ヴァイオレットさんは勘違いしてるね」
「えっ?」
間違いを正すように、シドがアウロラへと言葉を投げる。
「ライは剣を二本使えるんじゃない。──『
力強いその言葉に、アウロラは思わず息を呑む。本当にほぼ生身の人間が英雄に勝てるのか、そんなことは既に彼女の頭から飛んでいた。
ただ、見届けたい。心からの欲求に従い、アウロラは静かに口を閉じた。
「魔力無しで400戦以上剣を交えたけど、僕が二刀流のライに勝てたのは最初の数回だけだった。悔しいけど、後は全部負けっぱなしさ。格闘戦なら負け無しなんだけどね」
懐かしそうに、そして楽しそうに、シドはゆっくりと口角を上げる。
「一人で努力するのには慣れてたんだ。……でも、ライに出会ってから、
穏やかに告げたのは、孤独からの解放。
馬鹿げていると理解していながらも、諦めきれなかった夢──『陰の実力者』。
全ての欲を払い、全ての力を研鑽へと捧げた。そんな中で遭遇した光に、シドは心から感謝していた。
「僕の『右腕』は──強いよ」
空気が肌に刺さる。
剣がやたらと手に馴染む。
久しぶりの感覚に、俺は思わず口元を緩めていた。
(やっぱり……二本あると落ち着くな)
長さは大体同じだが、強度は異なる二本の剣。デザインも違えば、重さも違う。ハッキリ言ってやりやすい二刀流とは言えない。
だが、それで良い。
「──さて、やるか。オリヴィエって呼ばれてるなら、アンタは魔神の左腕を切り落とした伝説の英雄ってことだよな?」
「…………」
聞こえている筈だが、相手は俺の言葉に何も反応しない。ただ構えを取ったまま、ジッと俺を観察しているようだ。無表情にも関わらず研ぎ澄まされた闘志が見え、少しの油断も感じられない。剣が増えたことを警戒して、俺の出方を伺っているらしい。
「二刀流が珍しいか?」
それも無理はないと考えながら、俺は二本の剣を回して動きを確かめた。この世界で二刀流は一般的なものではない。なんならマイナーだ。少数派、絶滅危惧種と言ってもいい。
何故か、理由は単純。メリットが少ないからだ。
魔剣士は魔力を剣に纏わせて戦う。つまり、二刀流の場合は剣に纏わせる魔力が二倍になるということだ。
剣だけではない、魔剣士は自身の身体能力をも魔力で強化する。簡単に言えば、二刀流をするだけで魔力消費がとんでもないことになるのだ。普通の人間がやれば間違いなく魔力切れを起こす。手数が増えるなどのメリットはあるが、圧倒的にデメリットの方が大きい。
魔力量が多い者以外で、実戦では扱えない。それがこの世界に於ける二刀流だ。俺の生まれたトーアム家は当主が代々二刀流を継承してきた訳だが、下級貴族であるのもこういった理由が存在する。
だから俺は期待されてるんだよな、魔力量バグってるから二刀流と相性が良過ぎる。
「これでも次期当主なんでな。お粗末な二刀流じゃねぇぞ? ……相手してもらおうか。──英雄オリヴィエ」
剣を構えたと同時に、オリヴィエが地を蹴った。それが俺に対する剣士としての礼儀だったのかは分からないが、真剣勝負が始まったことだけは確かだ。
(速度は向こうが上、厄介な技だが……見せ過ぎだ)
先程まで繰り返していた超高速の連撃。俺を取り囲むようにしてオリヴィエが加速する。雨のように降り注ぐ攻撃を剣一本では捌き切れなかったが、今は違う。
剣を目で、気配を耳で、相手がこれまでにしてきた攻撃パターンを勘で。手に入れた情報を動きに組み込み、先読みによって最適な動作を行いオリヴィエの剣を捌く。一本では対応出来なかった攻撃も、二本ならば間に合う。
その攻撃はもう──
「同じ手が通用すると思われてんのか。舐められたもんだ」
「…………ッ!!」
オリヴィエが繰り出した渾身の一振りを、二本の剣でズラす。一瞬だけ生まれた隙に身体が反応し、ガラ空きとなった腹へ回し蹴りを入れることに成功。俺とオリヴィエの間にはスペースが出来た。
「……嫌な相手だ。色々と」
戦闘力はバケモンだが、見た目は完全にエルフの少女。痛みを受けても声を出さず、ただ命令されるままに剣を振るうだけの機械。相手をしていてこれ程までに胸糞が悪いのも久しぶりだ。
「オリヴィエッ! 殺せッ! さっさと殺すんだァ!!」
一番ムカつくのはあの爺さんだな。自分は何もせず、安全なところから命令するだけ。あれならウチのアホリーダーの方が百倍マシだ。
「……あんな奴の言いなりになるなんて、屈辱だよな」
俺は全開の魔力を纏いながら突撃してくるオリヴィエに、少しだけ同情した。歴史に名を残した英雄が、死んだ後でもこき使われる。同じこき使われている者として、なんとなく腹が立った。
「安心しろ。……すぐに解放してやる」
正面から突っ込んできたオリヴィエ。その速度は神速と言ってもいい。だが、感情のない力任せの剣。そんな情けない一撃では、たとえ魔力が使えない状態であっても、俺の命には届かない。
トーアム流・
「──〝
左手の剣で相手の剣をズラし、そこへすかさず右手の剣を横から当てる。無防備となったオリヴィエに、トドメの剣を防ぐ手段は残されていない。
すれ違い様に決めた二つの斬撃はオリヴィエの身体に深い傷を与え、鮮血によって咲いた赤い花だけがその場に残った。
「──悪いな。たとえどんな状況であっても、俺はあのバカ以外に……負ける気はねぇよ」
力なく倒れる英雄に敬意を表し、俺は小さく頭を下げた。オリヴィエの身体は限界を迎えたのか、そのまま無数のガラス片へと変わり、美しく散っていった。
役目を終えた剣を鞘に戻し、借りていた剣をシドへ向かって投げ返す。
片目を閉じたまま、シドは満足そうに笑った。
「お疲れ様、ライ。久しぶりに本気だったね」
「まあな。相手が相手だ」
「傷は平気かい?」
「かすり傷だ。問題ねぇよ」
空気に当たってヒリヒリするが、痛みで動きが鈍るような重症じゃない。それでもまあ、傷が出来たのは久しぶりか。二刀流を本気で使えたんだ、必要経費以上に価値のある時間だった。
「あ、あ、貴方……本当に人間?」
俺が手に残る感触を確かめていると、アウロラさんが話しかけてきた。内容はとても失礼だが、真剣な表情を見る限り本気で言っているようだ。
「当たり前だろ。どこからどう見ても普通の人間だ」
「普通の人間は魔力を使わずにあんな怪物には勝てない……っていうか魔力使えても勝てないのよ」
「そういうセリフは、そこに居る世界のバグにでも言ってくれ」
「貴方達……本当になんなの」
どこか疲れたように肩を落とすアウロラさん。そんなに驚くことじゃないと思うんだけどな。確かに相手は強かったけど、全盛期からは程遠いだろうし。アウロラさんと戦った時のシドもこんな風に思った筈だ。
「──あ、ありえんっ!!!」
俺がアウロラさんを宥めていると、爺さんが突然叫び声を上げた。名前はネルソン、よし覚えた。
「オリヴィエが負けただと!? どんな手を使った!? 英雄が生身の人間に負ける訳がない!!」
「目の前で見たろ。これが現実だ」
「う、うるさい!! ……こうなれば、こちらも出し惜しみはせん!! 所詮は質の悪いコピーを一体倒しただけだ! 調子に乗るなよ!!」
負け惜しみにも捉えられる言葉を吐きながら、ネルソンが手を高く振り上げた。すると不思議なことに広場全体が光を放ち、天井から壁に至るまでオリヴィエのコピーが数え切れない程の数で現れたのだった。
「フハハッ!! 貴様らは確実に葬ってやる!!」
見回してみるが途方もない数だ。十や二十どころの騒ぎではない。全員がさっき倒したコピーと同じレベルだと考えれば、確かに絶体絶命のピンチだろう。
「シド。どうだ?」
「そうだね。──準備万端さ」
そう言いながら右目をゆっくりと開けるシド。青紫色の魔力を帯びており、目の色は『黒』から『赤』へと変化していた。
「やれぇい!! オリヴィエッ!!!」
ネルソンの声に合わせて、コピー達の一部が同時に動きを見せる。手には剣を握っており、殺る気満々といった感じだ。
けど惜しい。もう少し早ければ……そっちの勝ちだったかもな。
俺は静かに歩き出したシドへ視線を向けながら、ネルソンに心の中で合掌。俺で負けておけば良かったのに、余計なことしたもんだ。
完全に魔力を練り終えたシドは悪役のように口角を上げ、心底楽しそうに口を開いた。
「残念。──……
聖剣「今からでも入れる保険ぇぇぇえんッ!!!」