陰の右腕になりまして。 作:スイートズッキー
──『鳩が豆鉄砲を食らったような顔』。
俺は生まれて初めて、この言葉で表される顔を現実で見た気がした。それぐらい彼女の顔は驚きに満ちており、本人の意思とは関係ないように口は大きく開いていた。
「ど、
頭での理解が追いつかないのか、彼女は俯きながら途切れ途切れの言葉を溢す。間違いなく原因は俺だろう。そんな様子を見せられると、流石に少し申し訳ない。顔を見て思い出そうと努力はしてみたんだけど、やっぱダメだったわ。
「お、おいおい、アンネローゼのことも知らねぇのかよ? 俺なんかとは比べ物にならない有名人だぜ?」
さっきまで会話していたクイントンさんが、少し引いたような態度で話しかけてくる。比べ物にならないって言われても、比較対象がアンタじゃ凄さが伝わらん。取り敢えず、いつもみたいに適当に誤魔化すか。
「い、田舎出身なもんで」
「──ッ! 関係ないわよ!」
「うおっ、ビックリした」
俺の言い訳を吹き飛ばすように、彼女が顔を上げた。絶望したような表情からキツい表情に戻っており、俺のことを全力で睨んでいる。
「私が貴方を覚えているのに、貴方が私を覚えてない訳がない!!」
動き出したと思ったら凄いこと言い出したな、この人。
「え、えーっと……」
「私はアンネローゼ! 本当に思い出せないのっ!?」
「どこで……会いましたっけ?」
「『ベガルタ』! 貴方! あの時『ベガルタ』に武者修行しに来たって言ってたでしょ!!?」
「……あ〜、そんなこともあったような……なかったような」
「あった! あったから!!」
ブンブンと手を振りながら叫ぶアンネローゼさん。必死に思い出させようとしているのは伝わるが、駄々をこねる子供にしか見えない。
(そうか……。武者修行の時の話か)
確かこの前『リンドブルム』でクレアにも言われたっけ。この人といいクレアといい、なんで当の本人より覚えてんだよ。
「……そうだった。五年前、俺は『ベガルタ』に行ったんだった」
シドと出会って約一年。アルファと出会ってから……三ヶ月ぐらいだったかな。まだ【シャドウガーデン】のメンバーが俺達三人だけだった頃の話だ。
「やっと思い出した!? じゃ、じゃあ! ……私のことも?」
「いや、それは全然」
「どうしてよっ!!」
そんな風に頭を抱えられても、都合良く思い出せはしない。むしろ頭を抱えたいのは俺の方だ。武者修行のことも大して覚えてなかったってのに、その中で出会った人のことなんて記憶してる訳ないだろ。こちとらあの頃、厨二病のアホに毎日引きずり回されてたんだぞ。
「……けどまあ、なんとなく思い出してきた。貴女はあの日、俺と戦った剣士の内の一人ってことだ」
「ッ! そう! そうなの! その通りよ!!」
流石にこれだけ言われれば思い出してくることもある。『ベガルタ』に行くだけで一日かかり、滞在していたのは一日に満たなかったこととか。武者修行に行ったことを本当に後悔した。苦い思い出だからこそ、あまり覚えてなかったのかもな。
「……もしかして、騎士団の訓練場に居ました?」
必死に記憶を呼び起こした結果、一つの可能性が浮上。確認のため訊ねてみると、アンネローゼさんは嬉しそうに頷いた。
「居た! そうそこよ! もう少し! 私に辿り着いて!!」
剣を振った場所など見学目的に訪れた騎士団の訓練場しかないと思って言ったのだが、どうやら当たったらしい。すげぇ熱量だ、彼女は昔の俺に何されたんだろう。流れから考えれば剣の勝負で負かされたって感じだろうけど、年齢からして彼女もまだ子供だった筈だ。ていうか俺、女の子と戦ったりしたっけ?
(……子供。……子供かぁ)
少し面倒になり始めながらも、アンネローゼさんの勢いに押されてしまう。俺は仕方なく、確定している『子供』という情報を記憶に合わせて思考した。
「──……あっ」
「……思い出した?」
不安そうに訊ねてきたアンネローゼさん。どうにかその期待に応えられそうだ。俺は思い出せた爽快感と共に、自信を持って口を開いた。
「──俺にボロ負けして号泣した〝男の子〟か!」
「誰が男よっ!!」
「危ねっ」
怒声と共に飛んできた拳を反射的に避けると、拳はそのまま近くに立っていたクイントンさんの腹へと突き刺さった。何の準備もしていなかった無防備な腹部、想像するまでもなく激痛だろう。案の定、クイントンさんは膝から崩れ落ちた。
「……ぐっ、ぐおおぉぉぉ」
「うわぁ、これは痛いわ」
「ご、ごめんなさい! あ、貴方が避けるから!」
「すげぇ理不尽なこと言われてる」
痛みに悶えるクイントンさんを放っておく訳にもいかず、近くに居た大会スタッフの人達に声を掛けて医務室へと運んでもらった。次の試合に影響がないと良いけど。
(……さて)
クイントンさんを見送り、俺はアンネローゼさんに向き直った。多分思い出せただろうし、ようやくまともに会話が出来そうだ。
「女の子だったんですね」
「……失礼ね。ずっと女よ」
アンネローゼさんは不本意といった様子で不機嫌そうに腕を組むが、俺の勘違いにだってしっかりと理由はある。記憶が鮮明になり始めているので、まず間違ってはいない筈だ。
「いやだって……確かあの時アンネローゼさん、自分のこと『僕』って言ってましたよね?」
「〜〜〜ッ!! な、なんでそんなことは覚えてるのよ!!」
記憶通り、昔の彼女はボクっ娘だった。
「ほら、やっぱりね。髪だって今より短かったでしょ?」
「……え、ええ」
「俺が勘違いするのも仕方ないんじゃないですかねぇ?」
「も、もうそのことはいいわ。……恥ずかしいから忘れて」
何か一つ思い出せれば、連鎖的に記憶は呼び起こされる。取り敢えず、俺が彼女を男だと勘違いしたのは許してもらえたみたいだ。
「五年も前のことを、それも一回勝負しただけなのに……よく覚えてましたね」
「忘れる訳ないでしょ! 最も屈辱的な敗北だったんだからっ!!」
「そんなに言います? あの時は目立ちたくなかったから、手加減してたと思うんですけどね。大人と何人か勝負した時も、上手い具合に負けてた筈だし」
見学していた時に稽古をつけてくれるという話になり、俺は何人か大人の騎士達と剣を交えた。得られるものが何も無かったので、波風立てないよう上手に敗北を選んだ。もしアンネローゼさんに勝っていたとしても、そんなにボコボコにしてないと思うんだけどな。
「そうよ! その手加減に私は負けたのよ!!」
(やっべぇ、地雷踏んだ)
ブチギレながら顔を近寄せてきた。なんか少し声震えてるし、またミスったな。
「あの時の貴方は剣を一本しか使ってくれなかった! 大人達には二刀流を使っていたのに……私には使ってくれなかった!」
使うまでもないと思った、なんて言ったらダメなことは分かる。さて、どう言えば良いんだ。
「……分かってる。使うまでもないと、思ってたんでしょ?」
「すみません。その通りです」
腰を折って、しっかりと頭を下げる。もう俺に出来ることなんてこれしかない。なんかもう、本当にすみません。
「私より若い子が剣を握ってるなんて珍しくて、気になったから声を掛けたのよ。大人達に負けて落ち込んでるかなって……。けど違った、貴方の目には『失望』の感情しかなかった。それが許せなくて、私から貴方に勝負を挑んだのよ」
俺も悪いところはあるが、一応それだって理由はある。丸一日の馬車移動でケツがめっちゃ痛かったんだ。振動が酷くて寝られないし、あの時のストレスは半端なかった。そんな苦痛を乗り越えてやって来たってのに得るものがなきゃ、誰だって失望ぐらいするだろ。
「『咄嗟の判断が遅い』、『注意力が散漫』、『基礎からお粗末』。あの勝負の後、貴方が私に言ったことよ。……他にも色々あったけど、特に厳しかったのはこの三つ」
「──本当にごめんなさい」
死んだ目になりながら謝る。キツいなぁ、昔の俺。被害妄想が入ってて欲しいと願うぐらい辛辣だ。
俺が過去の自分にドン引きしていると、アンネローゼさんが苦笑い気味に口を開いた。
「良いのよ、別に。貴方の暇潰しにもならなかった私が悪いんだから。……けど、今の私はあの頃の私と違う。貴方の全力を引き出せるぐらい強くなったわ」
「…………」
確かに、この人は口だけじゃない。流れている魔力は濃密で、シドには遠く及ばないが滑らかに制御出来ている。剣の腕前は試合を観ていないからなんとも言えないが、ここまで言うからには相当なものなんだろう。
「それからライ・トーアム」
「ライで良いですよ。いちいちフルネームじゃなく」
「……えっ」
「貴女、俺を倒すんでしょ?」
この感じだと、これからも突っかかられる筈だ。名前呼ばれる度にフルネームとか、呼ばれてる俺の方が恥ずかしい。それぐらいの理由で申し出たことだったのだが、アンネローゼさんは何故か動揺し出した。
「そ、それは……そうだけど」
「そもそも何故にフルネーム? 初めての経験なんですが」
「だ、だって! 名乗られた時にフルネームで……忘れないように何度も口にしてたら……それで覚えちゃって」
あれか、この人も天然入ってるのか。さっき話しかけてきたエルフさんといい、魔剣士って割と天然多いのかもな。
「じゃあ今から名前で呼んでください。俺もアンネローゼさんって呼びますから」
「……じゃあ、貴方も敬語やめなさいよ」
「ん? どうしてです? アンネローゼさんの方が歳上ですよね?」
身長だけ見れば俺の方が歳上っぽいが、騎士として有名であると言うし、アンネローゼさんの方が歳上だろう。
しかし、そんな考えが簡単に潰されるぐらい、アンネローゼさんからの理由は俺にとって耳が痛いものだった。
「さっきも言ったでしょ? 貴方、私のことボロクソに言ったのよ。あの時は敬語なんて使われなかったから、今更使われても……変な感じがする」
「……ああ、なるほど」
「だから、敬語やめなさい。後、名前も呼び捨てで良い。……分かった?」
お願いというより命令と言った感じだ。まあ、俺も敬語よりタメ口の方が楽だから、これは素直に受け入れよう。
「分かった。じゃあ俺の名前も含めて、お互いそういうことで」
「ええ、そうして。ライ・トー……ライ」
やめろよ。『ライト』って呼ばれたかと思ってドキッとしただろ。慣れないのは分かるけど、そこで止まるのはやめてくれ。心臓に悪い。
「ていうか、この辺で座らないか? そろそろ次の試合始まるみたいだし」
観客達がざわつき始め、司会が大きく声を響かせた。次の試合は
「そ、そうね。……じゃあ隣、失礼するわ」
「ん、どうぞ」
ここまで話して別の席、というのもなんか違和感がある。一緒に観戦するかと誘ってみたところ、アンネローゼも素直に席へ腰を落とした。
「貴方、次の試合をどう見る?」
「なんとも言えない。どっちもよく知らんし。ただ、ジミナが負けると思ってる人が大半じゃないか? 見た目は凄く弱そうだ」
ジミナへの評価を下げておく、『ブシン祭』中にさりげなくやっていて欲しいとシドに頼まれたことだ。別にアイツに頼まれたからってだけじゃない。ジミナへの評価が低い状態で試合が終われば、それだけ俺に返ってくる賭け金が跳ね上がる訳だし。
試合終了が楽しみだとニヤついていると、アンネローゼはどこか得意気な顔になって腕を組んだ。
「ふふん、甘いわね」
「何が?」
「ジミナを見た目だけで判断してるところよ」
おっ、この人シドの演技に気付いてるのか。やるじゃん、素直に驚いた。
「貴方、ジミナの試合は見た?」
「筋肉凄かった人とのやつなら見たよ」
「ゴンザレスね。あれは大番狂せと言われてたわ。私も、ジミナが勝つとは思ってなかった。……けど、偶然の勝利ではないわ」
「と言うと?」
楽しそうに喋ってるので、邪魔はせずに聞き役に徹する。これが少しぐらいは忘れてたことに対する償いになれば良いが。
「あれはしっかりと攻撃していたのよ。私でも注視していなければ見逃してしまう速度でね」
「へぇ〜、そうなのか」
「右手での攻撃だったわ、それは間違いない。そして打ち込んだ箇所は……恐らく顎。そこを狙って三発。それで仕留めたのよ」
アンネローゼは自信満々に語っているが──
「あー、惜しいな」
「……惜しい?」
納得いかないといった感じで聞き返してくるアンネローゼ。まあ、あれだけ自信満々に語ってたしな。勘違いしたままってのもなんだし、事実を教えとくか。
「だって右手じゃなくて
「……へっ?」
「ついでに言っておくと、打ち込んだ箇所は顎だけじゃない。顎に三発、残り二発は腹に喰らわせてる」
「う、嘘……。そんなの……見えなかった」
「本当に惜しかったな。後少しだったのに」
俺なりに優しくフォローしたつもりだったのだが、どうやら逆効果だったらしい。アンネローゼは一瞬で顔を赤く染め、座席から勢い良く立ち上がった。
「そっ、その程度で勝ったと思わないでよねっ!!」
「悪い、そんなつもりじゃなくて──」
「別に!? 全然気にしてないけど!?」
「でも顔赤いし──」
「赤くないけど!? ……ばかっ! ばーかっ! ばーかっ!!」
耳まで真っ赤に染まりながら、アンネローゼは叫んだ。少し涙目になっており、悪いことしたなと反省させられる。
「ごめんごめん。俺の言い方が悪かったよ。だから泣くなって」
「泣いてないわよ! ……今日のところはこれぐらいで勘弁してあげる! 本戦には絶対出場しなさい! 貴方を倒すのはこの私なんだから!」
ビシッと指を差しながら声を張るが、涙目なのは変わらない。周りから変な目で見られるんで大声やめてくれないかな。恥ずかしいんですけど。
「おい、他の人に見られてるぞ」
「──ッ!? 次に会うのは勝負の時っ! 私の成長を思い知らせてあげるからっ! ……覚悟しなさいよーっ!!」
捨て台詞を残し、アンネローゼは手で顔を隠しながら去って行った。やりたい放題だったな、あの人。
「あっ……試合終わってる」
試合の方に視線を向けてみれば、既に終了していた。眠たそうな顔で剣を鞘へ戻すジミナと地面に思いっきり突き刺さるゴルドーさん。一目見ただけで勝者と敗者がハッキリと分かる。
「……お前はどこまで上がる気だ? ……シド」
優勝か、それとも途中で良い感じに敗北か。
アイツの考えは分からんが、ごっこ遊びに関してシドは一切の妥協しない。本戦に上がることだけは確実だろう。
──少しだけ、口元が緩んだ。
節穴ちゃんは子供っぽいところあると思います。首鳴らしとくしゃみの練習してたり(笑)。
前回の話でオリ主もクソ野郎認定されてて草。