アルファにとって、ライトは文字通り──『光』のような存在だった。
エルフとして生まれ、恵まれた才能により幼い頃から神童として扱われてきた過去。そんな輝かしい時間は『悪魔憑き』となることで終わりを迎え、そこからはただの地獄が始まった。
声などとは呼べない、耳障りな騒音。
熱どころか何も感じ取れない、汚れた肌。
見るだけで不快さを与えるであろう、醜い姿。
食事も取れず、排泄もない。
何かに感動することも出来ず、変わらない日々。
確かなものはたった一つ。
身を引き裂き続けるような──激痛のみだ。
死にたいと、何度願ったか分からない。
殺してくれと、何度叫んだか分からない。
昨日も今日も明日も、彼女は『死』という救いを求め続けた。
そんな彼女を地獄から解放した男が、
『我が名は──『シャドウ』。……陰に潜み陰を狩る者』
一人は、少女の
世界の闇を葬るため、自らも闇へ飛び込んだ男だった。
そして、そんな〝陰〟を支える〝光〟が居た。
『我を支える男──名は『ライト』だ』
もう一人は、少女の
シャドウが最も信頼する人物として、同じく世界の闇を狩ろうとする男だった。
二人の男に命を救われたアルファ。それからの時間は、これまでの地獄を忘れさせるような楽しい時間となった。
『それから君はアルファと名乗れ』
名を与えられた。
『アルファ。剣の振り方教えてやるよ』
力を与えられた。
『アルファ〜、ライトがさ〜っ!』
『違うぞアルファ。悪いのはコイツだ』
笑みを与えられた。
『アルファ。おはよ』
『早起きだね〜』
『お前も見習え。夜更かし盗賊スレイヤー』
孤独では、なくなった。
用意してもらった拠点にて、二人が来るのを待つ毎日。アルファにとって、それは何物にも変え難い宝物の記憶となった。
シャドウが持ってきた姉が着なくなったという古着。ライトが持ってきた新鮮な食材。二人によって作られる、温かな空間。その全てが、今のアルファを構成したと言っても過言ではない。
『じゃあまた明日な。アルファ』
『じゃね〜』
もちろん、帰るべき家のある二人が拠点に居る時間は限られている。夜は一人、よく月を見上げた。そんな時は決まって、二人の姿が見えなくなるまで手を振った時のことを思い出す。
──幸せだった。
そして、アルファはいつの間にかライトを目で追うようになっていた。
シャドウと行動を共にしていることが多いが、ライトはアルファとも多くの時間を過ごした。親身になって力を貸してくれるライトにアルファが恋心を抱くのは、当然と言えば当然だった。
向けられる笑みに心躍らせ、紡がれる言葉に一喜一憂し、共に成し遂げた成果を誇った。
ライトはシャドウだけでなく、アルファの支えにもなっていた。
だからこそ、
シャドウに見捨てられた。
ライト
この事実に直面した瞬間、アルファは自分の足場が消え、何も無い暗闇へ落下するような感覚に陥った。まさしく『光』を失ったような感覚だ。
故に彼女は行動を起こす。
大胆に、そして確実に。自分は光を失っていないのだと、絶対的な確信を得るために。
『朝まで、一緒に居させて……?』
アルファが俺の部屋に来てから数十分。取り敢えず立ち尽くしている訳にもいかないと判断し、場所を移動した。
寒さから身体を守り、ゆっくりと話が出来る場所。今俺たちが居る部屋にその二つの条件を満たす場所など一つしかない。
──『ベッド』だけだ。
(き、気不味い……!)
ベッドに二人で入り、肩が密着している距離感で無言が続くこの状況。アルファのような美少女と同じベッドに居ること自体ドキドキものなのだが、余計な心配をかけたばかりということもあり、罪悪感も合わさって俺の心は落ち着きなく動揺していた。
光源は読書用にと付けられている小さなランプのみ。俺とアルファにしか光が当たっていないため、視覚的にも二人きりなのだと理解させられてしまった。
年頃の男女が同じベッド。前世も合わせて精神的には三十歳を超えている身として、今自分が置かれている立場がどんなものか分からないはずもない。
間違いなく。──
俺が冷静さを取り戻すために呼吸を整えようとしていると、左手になにやら柔らかい感触。汗が出始めた俺の手を握ったのは、当然ながらアルファだった。
「……ごめんなさい。急に来てしまって」
申し訳なさそうに謝るアルファ。迷惑をかけているとでも思っているんだろう。全然そんなことはないのに。
弱々しいアルファの顔を見たからか、俺の動揺がある程度落ち着いた。そうだ、これはピンチではなくチャンス。アルファに謝る絶好の機会だ。
俺は左手に置かれたアルファの手の上に、更に右手を被せる。とても冷たい、小さな手だった。
「アルファが謝ることなんて何もないよ。謝るのは……俺の方だ。さっき様子を見に行った時はまだアルファ起きてなかったから、こうして話せるのは嬉しい。来てくれてありがとな」
「……ライト」
少しだけ、アルファの手に熱が戻る。俺の熱と言葉でそうなってくれたのなら良いけど。
「ちゃんと謝らせてくれ。誤解を招くような伝言を残してごめん。もっと考えるべきだったんだ。──本当にごめん」
「あ、頭を上げて! 貴方にそんなことされても……嬉しくないわ」
あわあわと動揺するアルファ。こんな時でも可愛いと思ってしまうので、俺は余程彼女に惚れ込んでいるらしい。
「……ここに来たのは、謝って欲しかったからじゃないの。……ただ、確かめたくて」
「確かめる? 何を?」
俺の手を握ったまま、アルファは不安そうな表情を見せる。俺は安心させる意味も含め、手を裏返してアルファの手を握った。
「大丈夫。時間はあるんだ。ゆっくりでいいよ」
「……ありがとう。やっぱり貴方は、優しいのね」
心の整理が出来たのか、アルファは一つ深呼吸をした後、どこか怯えたように口を開いた。
「……ねぇ、ライト。……貴方は──
「えっ……?」
飛び出した一言は俺にとって予想外のものとなった。もう誤解を招くような言い回しをしないでとか、ゼータと一緒になって何をしているんだとか、隠し事は無しよ……的なことだと思っていたからだ。
しかし、実際は『居なくならない?』というもの。アルファの気持ちを、俺はまだ理解出来ていなかったらしい。
ならば、俺がやることは一つのみ。
「──居なくならないよ」
握った手に力を込め、僅かばかりの魔力を流す。白銀の魔力はアルファの手に広がり、血流を加速させて温めた。
「当たり前だろ? 俺は居なくならない。アルファの前からも、みんなの前からも、居なくなったりしない。一緒に居るさ。──死ぬまでな」
嘘偽りのない、心からの本音をぶつける。それだけが、今の俺がアルファにしてやれることだ。
安心してくれるなら、いくらでも手を握ろう。信じてくれるなら、いくらでも言葉をかけよう。笑顔でいてくれるなら、いくらでも覚悟を決めよう。
「アルファのためなら、俺に限界は無いよ」
別に、光を当てようだなんて思ってない。
アルファは傷を負って生きてきた。光を当てられて傷跡を認識するより、優しい闇の中に居させてやりたい。忘れたい記憶があるなら、忘れたままでいて欲しい。ただ、それだけだ。
「……ライト。……私は、私は」
気付けば、いつの間にかアルファの瞳から涙が溢れていた。美しい宝石を思わせる雫が、ゆっくりと流れ落ちていく。
「貴方の役に立ちたくて……でも、私は弱くて」
「アルファは弱くない」
「弱いわよ……。貴方とシャドウに、いつも助けてもらってばかりだもの」
「……はぁ。本当、そこだけはアホの子なんだよな。ほら、こっちこい」
「えっ、ちょっ……!」
あぐらを組んだ状態で、アルファを抱き寄せる。華奢な身体はすっぽりと俺の身体に収まり、距離は今までにないほど近くなった。
アルファは状況を理解したのか、薄暗い中でも分かるほどに顔を赤くする。肌が白いと分かりやすいんだよな。耳まで真っ赤にして可愛い。
「ラ、ライト。……恥ずかしいわ」
「ん? 嫌か?」
「い、嫌じゃない……けど」
背中と腰に手を回し、アルファの身体を支える。
今の俺の視界には綺麗な青い瞳を持つ金髪美少女エルフしか映っていなかった。
「まだ俺が居なくなるかもって不安か?」
「……それは、その」
どうやらまだ納得頂けていないようだ。中々強情だなこの子。俺だって恥ずかしくない訳じゃないんだぞ。俺以上に恥ずかしがっている相手が目の前に居るから耐えられているだけで。
しかし、ここまできて引くなどあり得ない。行くところまで行ってやる。
俺はアルファの身体を自身に密着させ、力強く抱き締めた。
「……あっ」
アルファの口から艶のある声が溢れた。抱き締めている身体は折れてしまいそうなほどに細く、それでいてどこまでも柔らかかった。普段年齢詐称と思えるアルファも、こうしているとまだ幼い少女なのだと分かってしまう。
「痛くないか?」
「……っ! い、痛く……ない」
「本当に?」
耳元で優しく問いかけると、アルファは小さく頷いた。赤く染まった耳を見て、確かな優越感に浸る。彼女のこんな姿を見られるのは、世界で俺だけなのだと。
「あったかいな。こうしてると」
「……ええ。そうね」
そのままの状態で数分、俺はアルファを抱き締め続ける。お互いの熱がお互いを温め、眠気を誘うような体温を作り上げた。
そして俺はゆっくりとアルファの身体を引き離し、正面から顔を捉えた。
「なあ、アルファ」
「……なに?」
完全に落ち着いたのか、とろんとした表情を見せるアルファ。キリッとした顔が多い彼女としては中々にレアな表情だ。『夜』という時間の魔力に頼り、俺は彼女に対して言葉を放った。
「──好きだよ」
アルファの美しい青色の瞳が大きく見開かれる。自分が何を言われたのか徐々に理解し始めたようで、耳だけでなく顔色までもが赤く染まり出した。
そんなアルファを見て、俺は幸せを感じてしまう。
「俺は、人生に絶望しながら生きていた。自分だけが不幸なんだって顔して、生きてたんだ」
「……ライト」
「けど、アホと出会ったことでそれは変わった。大切なものが多く出来た。守りたいものも多く出来た。……好きな人が出来た」
素直に認めるのは癪だが、どれもこれもあの日アイツに出会ったからこその未来だ。あのまま厨二病に出会わなかったら、今頃どんな人生を送っていたか自分でも分からない。だからこそ、こう思う。
「大切なみんなに幸せになって欲しい。──それが俺の願いだ」
欲張りだと言われようが、変えようのないこともある。俺にとって、この願いは命を懸けても叶えたいものになっていた。そんなキャラでもなかったのに、随分入れ込んだなぁと自分で自分に驚いてるよ。
けど、目の前に居る相手だけは、
「俺がこのクソみたいな世界を、必ず平和な世界に変える。……だから、全部終わったら──」
時が止まった、ような気がした。
一世一代の告白をしたは良いが、肝心の返事は聞こえない。
しかし、プロポーズが成功したかどうかなど、アルファの顔を見れば一目瞭然だ。
「…………はいっ」
どこまでも美しく、可愛らしい。
俺が愛する金髪美少女エルフは、残りの人生全てを使って幸せにしたいと思わされるほどに──天使だった。
どちらから、ということもなく、俺たちの顔が引き合う。
「……ライト」
「……アルファ」
そのまま吐息がかかる位置まで顔を近付け──優しく唇を合わせた。
俺たちが眠りについたのは、それから六時間後のことだった。
冷え込む季節ということもあり、朝方は防寒対策をしなければ辛い時期である。
ライは白い息を吐きながら手を摩擦熱で温めようと擦り合わせ、澄んだ色をしている雲一つない晴れ空を見上げていた。
現在立っているのはこれまでにも度々訪れている『ミドガル魔剣士学園』の屋上。風を遮るものが特にないため、体感温度はとても低いものとなっていた。
「……はぁ。可愛かったなぁ。……アルファ」
そんな寒い場所に居ても、ライの表情から熱が奪われることはなかった。何故なら、彼は天国から抜け出してきたばかり。身体中の細胞が活性化しているため、寒さ程度でやられるような状態ではなかった。
思い返すのはいつまでも感じていたくなるような至高の温もり。自身の全てを溶かしてしまいそうになる程の──『幸せの熱』だった。
「だらしない顔してるね。ライ」
柵にもたれながらボーッとするライに、一人の少女が近寄る。僅かばかりの不満が声音と
「おっ、ゼータ。おはよ」
「うん、おはよっ。……それで? 何か良いことでもあったの?」
「えっ? いや、まあ、そんなとこだ」
「ふーん。──
「ブフッ!!」
思わずといった具合に吹き出したライ。ゴホゴホと咳き込んでいる彼を見て少しばかり気が晴れたのか、ゼータはふんっと鼻を鳴らした。
「お、お前……なんで知って」
「安心してよ。流石の私も二人のイチャイチャシーンまで盗み見るなんてことはしてないから」
「じゃなくてっ!」
「楽しかった?」
「聞けよっ! ……はぁ。言っておくけど、一線は超えてないぞ」
脱力したように話すライに、ゼータが目を細めた。
「へたれ」
「おいっ。……
「ビビったんだ」
「だからぁ!」
「ふふっ、はいはい。紳士ってことにしておいてあげるよ」
クスクスと笑うゼータに、ライは肩を落とす。どんな弁明をしたとしても、意味が無いと悟ってしまったようだ。
「でも、その割に随分と眠そうだね」
「……まあ、寝るの遅かったからな。起きたのもついさっきだ」
「今は八時だから、六時か七時ぐらいに起きたの?」
ゼータの質問にライが返したのは気恥ずかしそうな肯定。短時間睡眠を証拠付けるように、ライの目には疲労が溜まっていた。
「どんだけイチャイチャしてたのさ」
「言わせんな」
「どんだけキスしてたのさ」
「だから言わせん……ねぇ、そろそろ勘弁してください」
「えーっ、もう少し遊びたいんだけど」
「本当に許して。アルファが起きないように部屋を抜け出すので結構な神経使ってんだ」
コキコキと首を鳴らすライに、ゼータも仕方ないと応じる。これから更に疲れることをしようとしているのだ。これ以上イジメることもないと、大人の対応を見せた。既に十分子供っぽい報復をしているのだが。
「──準備は出来たよ。完璧にね」
ゼータの言葉にライが頷く。一つ大きな伸びをした後、表情を切り替えた。
「これで『巣』を叩く用意は出来た。後は、最後のきっかけを壊すだけだ」
今度はライの言葉にゼータが頷いた。肌を撫でる冷気を含んだ風を、忌々しそうに睨みながら。
「ようやく隠し事も終わりか。心が痛かったよ。特にアルファ様を誤魔化すのにはね」
ライとゼータの間で密かに進行させていた『計画』。
それが今、最終段階へ入ろうとしていた。
「悪いな。お前にはいつも迷惑をかける」
「別に良いよ。私にしか出来ないことだし。……頼られるのは悪い気しないし」
「お礼に頭を撫でてやろう」
「足りない。魚食べたい」
「奢ってやるよ。いくらでも」
朗らかに笑うライを見て、ゼータも表情を崩す。こんな緊張感のない会話をこれからも続けたいと、彼女は心から願った。
「……ねぇ、ライ。本当に──」
そんなゼータの心境を見抜いたのか、ライは軽く笑みを浮かべた。
「もうすぐ新年か。コタツ入りてぇな」
「……そうだね」
「みかん食べて、餅をついて、みんなで神社に行こう」
語られるのは未来の話。そう遠くないにも関わらず、掴み取らなければ得られない不確かな未来の話であった。
「気持ちの良い年を迎えるには……
最早、ゼータに言葉はない。彼女がライの背中に向ける視線には、様々な感情が混ざり合っていた。そんなことを知ってか知らずか、ライは強い覚悟と共に、口を開いた。
全てを背負う、覚悟を表すために。
「『ディアボロス教団』は──