東京喰種[滅]   作:スマート

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#010「葛藤」改訂版

 笛口さん、ヒナミちゃんと別れてから三時間、空腹が胃を刺激して、隣を通り過ぎていく人間の臭いに発狂しそうになるが、僕は指を噛みながら俯いて歩いていた。小店が並び、連なった小さな通りを歩いていた僕は今、人生において久し振りの空腹感に襲われていた。

 

 「はぁ…はぁ…」

 

 漂う汗の臭い、ほのかに漂う血液の臭い、涎が垂れそうになるのを、ぐっと飲み込み、赤く染まった片目を手で覆い隠す。意思を離れて赫眼が発現している状況は、客観的に見ても非常にまずい。

20区とは言え、人間がいるところなら、喰種は絶対にいるはずだった。それなのに、喰種の興奮したときに出る発汗したツンと鼻を刺激する臭いが、全くしなかったのだ。それだけ治安がいい場所と言うことなのだろうか。流石人好きの梟が居るところだと思いたがったが、それはとても嬉しく思うとともに、皮肉なことに、僕にとって、喰種の有無は死活問題だった。

僕も全くもって遺憾だが、喰種というカテゴリーに属す以上、Rc細胞の摂取無しには生きていけない。だから僕は喰種を殺しつつ、その肉体を全て平らげることで、Rc細胞を補ってきたのだが。

 

さっき笛口さんと出会い、良い思考を持った喰種もいるとわかった…わかってしまった所為で(おかげで)、無作為な喰種の惨殺が出来なくなっていた(何を言っている、それが正しい事じゃないか)。本来なら、何処か都合のいい狭い場所を見つけて、そこに張っていれば喰種が勝手に集まってくるのを待つだけで良かったのだが、そうも言っていられなくなってしまった(喰種を食べたいみたいな言い方をするな)。

悪い思考を持った喰種だけを食べるとした僕の状況は、言わば食事に制限を付けられた入院患者に近いのかも知れない。食事を選り好みして食べるという思想は、「美食家」に通ずる所だが、僕の場合好むポイントはその味ではなく、『心』なのかもしれない。

 

 喰種の捕食を制限した所為で、そういう待ち伏せも出来なくなってしまい、悪か善かを見つける必要性で、余計に食べられなくなってしまっていた。

「ああ、こんな事ならヒナミちゃんの手をもう少し味わっておくべきだった(何を言っているんだ僕は……)」

 

 若い喰種の張りのある、それでいて柔らかい肌は、それを引き裂き溢れ出す肉汁もまた最高級に美味しい。弾力の強い肌を手で感じ、目で美しさを感じ、鼻で微香を吸収する。そういった手順を踏んでから、初めて味わうことでより一層喰種の旨味がたのしめるのだ。(だからそれは、唾棄すべき喰種の思考だ)

 

 僕が一ヶ月で食べる喰種の量は、2人から5人。普通の喰種が人間の一部を食べただけで一ヶ月以上持つのに比べれば、存外僕も大食いであり、美食家でもあるらしかった。もっとも喰種限定のという注釈は付くが。Rc細胞を多量に使い、強靭な身体を手に入れた喰種は、その細胞を自力で生産することが出来ないため、他所から補うしかない。そして、そのタフな身体を作るRc細胞が底を突けば、喰種の身体は機能を停止し、動かなくなってしまう。

つまりは死だ。

 

 人間よりも死の危機に直面しやすい喰種の飢餓は、その性質から喰種の本能に肉を食えと訴えかける。鼻息を荒く、肩で息をしていると隣を通る人々がいぶかしげ顔で僕を見るが、そんな事も気にしていられないほど、僕は今ピンチだった。肉が喰いたくて喰いたくて仕方がなかった。梟と戦ってから、もう三日半もたつ、負ったダメージの事もあり、そろそろRc細胞を摂取しなければ、本格的に僕は死にかねなかった。(死ねばいいんだ、喰種のような嗜好に染まるくらいなら、いっそのこと)

 

 だが、人間を襲うというのは天地がひっくり返っても有り得ない、あり得てはいけないことだ。

 

 そんなことをするくらいなら、僕は潔く死を選ぶ…

 

 今から引き返してヒナミちゃんを食べようか?

 

「いや…駄目だそんな事を…友達に…でき…食べだい食べ物…食べる、食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ」

 

 無理があったのだ…人間を食べないと言うだけで大分の負荷を身体に強いてきていた。それに拍車をかけたのが、今回の喰種の選別。食べる量まで制限してしまった事で、僕はもう取り返しの付かないほど弱り切ってしまっていたようだった。道にあった小石を避けられず、躓き、そのまま僕はアスファルトの黒い地面に崩れ落ち、その瞬間…霞む視界に藍色の髪の色をした、顔の半分を覆うようなヘアスタイルをしたの少女のが視界に写った。

何処かで見たような、美味しそうな面影があった。(…………)

 

 それは先日見つけた兎面の少女、梟と戦うに至る経緯でぶつかったいたいけな喰種だった。絶叫したくなるほどの空腹感が、あの時の彼女の肉の味を呼び覚まし僕の意識を半強制的に覚醒させる。背中から無理矢理赫子が僕の意思に反して飛び出してくるのがわかった。(やめ…ろ、それは…駄目だ)

 

 (あの少女は食べないと決めたし、食べなくてよかったとそう思ったじゃないか!!人間の様な思考の出来る喰種をいたぶって殺すのは止そうと、心まで喰種のようになってしまうのは止そうとそう誓ったばかりのはずだ……

少女は言った…遠くから聞き取りづらくて分かりにくかったが、それでも確かに言ったんだ!『生きたい』って……)

 

 思考が、心が…食欲に塗りつぶされていくのを感じる。言葉の端々から漏れ出る本音と食欲がせめぎあい、そして……入れ替わる…

 

「うん?こんなところでどうしたんだい?(僕に食べられたいのならそういうと良い)」

「何か困ったことがあるのなら僕に言ってみるといい(どこから食べられたいのかな?)」

「出来る範囲の事でなら協力するよ?」

 

 感動の再開、まさかこんなことがあるとは、運命というものも馬鹿にできない。見逃した小魚が僕のピンチに食べられにやってくるなんてそんな上手い話があるだろうか。僕は口元に浮かぶ笑みを消す事も出来ず、ゆっくりと少女を捕食しようと手を伸ばそうとして、地面を切り裂きながら迫ってきた赫子に手を切り裂かれてしまう。

 

「ぐおぁっ……」

「あらぁ…誰かと思えば虫の坊やじゃない。それは私の獲物よ、欲しいのなら相応の対価を払いなさい?」

「リゼ…神代リゼぇぇぇぇぇ、どこまでお前は僕の邪魔をするんだぁ!!」

 

 あまりの空腹に周りの状況が見えていないが故に起こった必然、鋭く尖った鱗赫に左手を切り飛ばされた僕はだが、そこでバランスを崩すほど軟な鍛え方をしてはいなかった。13区で鍛えた赫子が風を切って鞭のようにしならせ、その衝撃で追撃を繰り出したリゼの赫子を受け止める。鱗赫同士のぶつかり合い、純粋な火力対決の勝負になった打ち合いはだが、僕の勝利で始まりそうだった。平均的なRc細胞の量は、『大食い』神代リゼと僕で互角。だがその僅差を埋めたのはリゼが間違っても高難易度な戦闘経験をつんでいないという一点に尽きる。

 

「くっ……面倒ね、ゴキブリはすっこんでろつってんだよ!!」

 

 

 

 赫子ごと強引に後ろへ押し戻されたリゼは額に青筋を浮かべて先ほどの上品な口調が嘘のようにまくしたてる。だがそれでも僕はペースを崩されることは無い。何故なら彼女のその口調は以前の時と変わらなかったからだ。ゴキブリと言われたのは些か不本意だったが、それで一々怒っていてはきりがない。(早く食わせろ!!)

宙を漂う腕をつかんだ僕はそれを自分の傷口に押し付けて再生を早める。

 

 僕の中の喰種は、最後の力を振り絞って、赫子の力を最大限に引き戻す。これは奇跡に近かった、死にかけ野垂れ死にする寸前で、僕の前に少女というご飯が与えられたのだ。それも人間をただの餌だとしか思っておらず、自慢の赫子で人間を捕まえるまでの、優しそうな女性像で人を騙す過程を楽しむ外道な喰種のおまけつきで。

食べるのに、殺すのにこれほど丁度良く、適した存在は他にいないだろう。(早く食わせろ!!)

20区にやってきていたのは、予想外だったが、今回はそれに救われた。

 

幸いなことに今は、夜、擦れ違う人の数もずいぶんと減った。ここでなら、人間を巻き込まず効率的にリゼの内蔵を貪ることが出来る!早く、早くと身体が急かす。残虐非道な女喰種、「大食い」[神代利世を補食せよと!!

 

「りぃいいいいいいぜええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

 

 肉を渇望する本能のまま、僕は素顔を隠すことも忘れ、背中から勢い良く2本の触手に似た、赤黒い赫子を発生させる。食事前に赫子を出すと言うことは、Rc細胞の著しい減少を招き、その喰種の生命活動の低下を意味している。だが、それでも眼前の肉を僕の口の中に入れるためには、リゼは余りにも赫子無しで闘うには強すぎた。

 

 SSレートの喰種「大食い」の名の通り、大量の人肉を計画性もなく食べ続けるかなり危険な存在。大食いという食性なのか、生まれ持った才能なのかは分からないが、彼女の力は恐ろしく強く、そして凶暴だった。油断するつもりはない、最初から最後まで全力を出し切ってしとめてやる。

 

 綺麗で色白な腹を切り裂いて、溢れ出る鮮血を、滲み出る汗を、蠢く内蔵を全て引きずり出して、僕の腹の中へ収めてやる。こいつは、誰がどう見ても悪だ、喰い場を荒らす所為で、同族からも嫌悪される諸悪の根元だ。

 

 人間を大量に惨殺して来た醜い喰種は…

 

「僕に喰われても、文句は言えないよねぇ?」

 

 バキバキと言う音ともに、伸びた2本の赫子は、僕の肌に巻き付いて硬質化し、鎧のように変化していく。梟と戦ったときの記憶を頼りに、その赫子の変化に少しずつ干渉しながら、僕は身体の変化を終えた。

「悪」は退治しなければならない、その意思は絶対に揺らぐことはないのだ。梟にいわれた言葉でも、僕のその本質の根本を変えることは出来なかった。

昔、僕にあったことを、両親を食い殺された思い出を、悲しむ義妹の姿を……もう二度と味わいたくない、そして誰にもこの悲しみを味合わせたくない!!僕はそのためなら化け物にも、喰種を殺し続ける悪者にだってなってやる。憎しみの元凶、諸悪の根源、喰種の「悪」を駆逐(捕食)してやる!!

 

 あの時のように喰種の力を解放すれば、その時点で僕はRc細胞が枯渇してゲームオーバーだ。だからこそ、一点に威力を集中させた無駄の少ない体型で挑むしかない。赫子が巻き付く箇所を足だけに限定して、それ以外の部位の軽量化をはかり、従来のジャンプ力を再び背中から伸ばした2本の赫子の力で後押しする。黒いアスファルトの地面へ鋭い鱗赫の先端を差し込み、蹴り場の軸を整えて、呆気にとられている女性に食らいつく。だが、リゼは僕の動きに全く動じず、余裕の笑みを崩さなかった。

 

「あら、私を食べるつもり?それは少し、おいたが過ぎるんじゃないかしら?」

 

 地獄のような、一寸先が闇の底である喰種の世界を生き残ってきた強者ゆえの油断なのか。何れにしても、僕の方から彼女にかける哀れみは一切ない。勧善懲悪、悪は滅び正義は必ず勝つのが世界の決めた正しいあり方だ。

 

「うがあああああああああああああ!!」

 

 赫子の力で威力の上がった回し蹴りをまずリゼの頭部に向かって放つ。渾身の力を込めて、一撃で意識を刈り取り、そのまま地面とキスをするような蹴りを。だが、リゼはただ身体を捻るだけで軽々とそれを避け、優しそうな笑みを浮かべると、鋭く尖った威圧感のある赫元を露わにした。

 

「くっ…」

「あっはァ」

 

 悪魔のような蠱惑的な表情を浮かべる彼女に、僕は一瞬ひるんで、次へ繋がる攻撃の蹴りの軌道が歪んでしまう。官能的な艶のある声を出したと思った次の瞬間には、リゼはもう僕の視界には写っていなかった。否、僕の回し蹴りを交わした一瞬で、彼女はもう僕の背後に回り込んでいた。

 

 戦闘において、死角になりやすい背後に回り込むことは有効である。背後は哺乳類などの幅広い生物にとって、主な状況判断器官である死角が唯一届かない場所だ。戦車の砲台のように首が回るのならいざ知らず、人間の首も喰種の首も180°は回らない。だがそれは喰種に限った話においてのみ、異なった側面を見せる。確かに背後は喰種にも死角、デッドスポットになり、攻撃を受ければ致命傷を受ける場所だ。だが考えてみて欲しい、何故、致命傷を受けるのかと…

 

 喰種は類い希な瞬間再生能力によって、瞬時に肉体を活性化させ、傷を簡単に塞がらせてしまう。致命傷が致命傷にならないのだ。だが、前述した通り、喰種の弱点…Rc細胞の発生機転である赫胞がやられれば喰種は死んでしまうのだ。

 

 もう…分かっただろう。なら、一つだけ質問をしよう。それならば、その喰種の武器である赫子が生まれる場所は…どこだったのか、と。そう、背中である。喰種は死角である背中に、強力な武器の発生器官を担う赫胞を持っているため、死角(背中)を攻撃されようと容易く対処できる。いちいち振り返らずとも良いのだ、喰種の聴覚で位置を掴めば、後は赫子を動かしすれば良い。

 

 だが…そこで僕の動きは止まる。いや、止まらざるを得なかった。

 

 迂闊にも喰種の死角に回り込んだリゼに対して、制裁を与えようと赫子を動かした所で、そこへ追い打ちをかけるように、リゼから放たれた、鋭くとがった鱗赫が僕の腕を勢い良く貫いた。傷を修正しようと背中の赫子の動きが止まり、その所為でどうしようもない隙が生まれてしまう。

 

 

「っがああああああああああ!!」

 

 流石に威力重視の鱗赫だけはある、リゼに貫かれた腕は、空中に弾き飛ばされ、大量の血をまき散らしながら、地面に落ちる。

 

「ふふふ、あっけないわね虫の坊や、私に喧嘩を売るなんて、愚かにも程があるわよ?」

 

 リゼは…笑っていた。真っ黒い笑みを浮かべ、頬に付いた僕の血を舌を動かして器用に舐めとる。全て計算ずくだったのだと気付かされた。彼女は簡単な牽制をする事で僕を油断させ、なおかつ明らかに無駄な背後に回り込むことで、僕に心的余裕を生じさせたのだ。

 

 卓越された戦闘スキル、彼の父親にはまだ一歩足りないが、何処か神々しいものの片鱗を感じてしまう。天才とはこういうものなのかと、凡才である自分の才能を呪った。

 

 不味い、非常に不味い状況だった。 腕に入った傷は、人間なら重傷だが喰種にとっては掠り傷。しかし、赫胞が傷つけられない限り、無限に傷が直り続けるというわけでのないのだ。喰種といえど、創作物の怪物のように不死性を帯びているわけではない。頭と身体を切り離されれば、簡単に死んでしまうし、肉を食べなければやがて衰弱死してしまうだろう。これ以上、身体の残り少ないRc細胞を悪戯にたれ流すわけにはいかなかった。

 

 傷をあっと言う間に直すのも、赫子を発生させて動かすのも、全てが全てRc細胞の恩恵なのだ。こうしている間にも着実に僕のRc細胞は減り続けている。

 

「私、今ちょっと苛ついているの…今までいた狩り場が住み辛くなったから出てきてね、お腹が空いているのよ。だから…邪魔しないでほしいわァ?」

 

 4本、リゼの背中から出た鱗赫の赫子が、まるで獲物を狙う蜘蛛の足のように蠢いていた。くそ…もう、身体が動かない、言い訳でしかないが、あの女はリゼは本調子なら勝てた相手だ。碌にご飯にあり付けないほど弱ってしまうとは、喰種のみを食べる僕の弊害だろうか…何が「狩り場」だ、そんな風に人間を、か弱くそして意志の強い人間たちを、餌の様に言うな、お前のような下種が、彼らの尊い命を奪って良いわけがないだろう。

 

 どうせ、狩り場で「大食い」でも起こしたせいでCCGにでも目をつけられたのだろう、だからこんなに平和な20区にこんな危険な奴を招いてしまったのだ。冗談じゃない、こんな危険極まりない喰種をのさばらせておいたら、いったいどんな被害がでるか、考えたくもなかった。

 

「ふふふ…もう良いわ、今日は貴方をサンドバッグにしてしっかりストレスを解消してみようかしらァ」

 

 足に纏った赫子も形を失い、古くなった壁のように、ボロボロと崩れて消えてしまった。身を守るものと言えば、着ている薄く黒い服しかない。こんなもの、リゼの鱗赫にかかれば、豆腐よりも柔らかいだろう。

 

 ここで僕は死ぬのか…

 

 憎い喰種に負けて、勝てる相手に無様に敗北を期して、あっさりと死んでしまうのか。まあ…それも後悔しても仕方のないことだ、死ぬ時は死ぬのだから、もう…抵抗も出来ない…せめて、死ぬ前に美味しい肉が食べた…かった。

 

 

 

 

 

いや…まてよ…

 

 

美味しい肉なら…

 

 

そこにあるじゃないか…

 


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