東京喰種[滅]   作:スマート

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#009「個性」

 20区、そこまで13区から移動するのに僕の体力ではそれ程苦にはならなかった。

 人通りの多いところを避けて、路地の隙間を伝い、喰種の出せる限界の速度で移動する。

 

 喰種の中でもずば抜けたモノだと自負する僕の脚力は、あっという間に3、4区を突破していった。

 足には昔から自信がある、梟と戦ったときも、他のリーダー格の喰種と戦ったときも、僕はこの足を頼りに闘ってきた。

 

 足は、手や腕よりはずっと重い一撃をぶつけることが出来、なおかつ赫子と異なり、いちいち変則的な空間把握を行う必要もない。

 流石にピンチの時は赫子に頼らずにはいられないが、それでも僕は、赫子をまず軸として固定する戦術を行ってきた。

 

 なので、バランス感覚や下半身の力は、洗練され、凸凹した道や壁の上も赫子でフックをすれば、平らな地面と同じ様に走ることが出来る。

 以前、暗闇で壁を走る姿をCCGの捜査官に見られ、「蟋蟀」ではなく「ゴキブリ」だと言われた所為で、もう壁は当分走るつもりはないが…

 

 そう言えば、この俺の蹴りの上手さを自負している喰種が20区には居るのだという噂も、少ないながら聞いたことがあった。

 何でも、蹴りだけで同じ喰種の頭を吹っ飛ばす事の出来る、まさに蹴りのエキスパートなのだという。

 

「確か…名前は西尾錦って言ってたっけ、一度闘ってみたいな」

 

 勿論、一度戦った喰種は美味しく僕が頂いてしまうのだが、僕も蹴りに自信を持っている者として、その喰種に興味が出てきたのだった。

 僕の蹴りと、その喰種の蹴りは、一体どちらが強いのだろう…

 

 「美食家」やブラック・ドーベルのボスのような技巧派なのだろうか、だとすると力に自信がある僕では勝つことは難しいかもしれない。

 狡猾に勝負の先を見据えた戦いを展開されると、僕も対処に困る。

 

 もしかすると、「オニヤマダ」や「大食い」のように力のみに主力を置いたタイプかもしれない、こういうタイプなら僕はかなり戦う事が出来る。

 考え出すときりがない、ああ…早く闘ってみたい。

 

「なんだ…喰種と人間の、血の臭い?」

 

 区と区の間、もう少し行けば20区に着くと言うところで、僕の鼻に入ってきたのは、喰種特有の臭いと、鉄分のような人間の血の臭い…

 また、か。

 いつもいつも喰種は、僕の大好きな命を狩ろうとしているのか。

 

 良いだろう、走り詰めで疲れ切った身体を癒すため、喰種を喰らって渇きを癒してしまおう。

 僕は懐から蟋蟀の真っ黒なマスクを取り出し、顔にはめ込んだ。

 僕はまだ、喰種を許したわけではない、一つだけ梟のような喰種がいると知っただけだ。

 

 彼が善なる喰種なら、人を殺す喰種は全て悪という解釈でいいのか、その問題の答えは分からないが、とにかく今は目先の喰種の補食に専念するとしよう。

 

「おやおやぁ、こんな所で人を食べている、そこの貴女ぁ?人殺しは感心しませんねぇ…」

 

 口調を変えるのは保身の為、このマスクを被っているときは僕は、偽物の自分に擬態している。

 それは本当の僕と、蟋蟀としての僕の口調から、同一性を見抜かれないためだ。

 

 おどけた態度を取りつつ、喰種に襲いかかられても良いように、十分な警戒は怠らない。

 路地からほんの少し離れた、公道を越えた先にある森林地帯。

 東京における自殺の名所と言われる、薄暗く気味の悪い場所に、三人の男女の影があった。

 

 一人は人間で、恐らく喰種に殺されたのではなく、木に縄を巻き付けて死んでいた。

 それを囲むように長髪の女と、その子供なのか背の低い少女が立っていた。

 この喰種は死んでいる人間を食べるのだろうか。

 

 死肉を漁るという点において、人を無闇に恐怖に陥れて殺していないのであれば、僕も何も言うことはない。

 やはり血みどろで性格がおかしい喰種がいたのは13区のみのようだった。

 

 ここの場所には少なくとも、こういう人を殺さず最低限の殺生で押さえようという喰種がいることは間違いなかった。

 こういう喰種がいてくれたのなら、「梟」のいう人間との共存も出来るのかもしれない。

 

 だが、一応話は聞いてから殺すか殺さないか決めようと声をかけた所で、娘に死体の肉を切り取って与えようとしていた女性が動いた。

 さっと僕と娘の間に立ち、自分の娘を守るように手を広げたのだ。

 

 親子、それを感じさせるには十分な光景だった。

 人も喰種も襲わない手前、実力としては下の下の方なのだろう。

 だが、それでも自分を盾にしてでも子を守ろうとする気概は、決して悪いものではなかった。

 

 喰種に対して思っていたイメージを払拭してくれるような家族愛に、僕は久し振りに頬が緩んでいた。

 マスクを被っているので相手には分からないが、僕は嬉しかった。

 喰種が…、例え死に直面しなくとも、人間のように振る舞ってくれることが。

 

 人間というカテゴリーに属し、亜人として派生したものが喰種なのか、突如何もないところから生まれた存在が喰種なのかは分からない。

 だがそれでも、この二人を見ていれば喰種も生き物なのだと、思うことが出来るのだ。

 

 本能を抜きにして、他者を庇い、自身を犠牲にする。

 こんな愚かでありながら、美しい行いをするモノを人間らしと言わずに何というか!

 

「は、はははははははははっ!!」

 

「あ、貴方は喰種…それとも人間?」

 当然笑い出した僕に一層警戒心を増したのか、娘に何か耳打ちすると、僕に向き直り眼を赤く染め上げる。

 赫眼の出現は、その喰種の極度な命の危機や、興奮状態に起きるRc細胞の活性化が表面に現れた証。

 任意で赫眼を出すことも出来るが、この場合、相手は赫子を発生させる直前だと推測する。

 

 ボコっという音と共に、女性背中から巨大な羽根のような膜が発生し、それに合わせて娘は母親から離れて、近くの木の裏に逃げ込んだ。

 蛾のような気味の悪い印象を受ける赫子は、一見羽赫のようにも見えるが、発生した背中の位置から甲赫なのかもしれない。

 

 

「どちらにしても、あの娘には手を出さないで、私を殺すのならそれでも構わないけれど…

あの娘だけは、お願いっ…」

 

 梟と戦う前の僕なら、喰種なら誰彼かまわず襲っていたが、それでは喰種と同じだと気付かされた。

 

 だから僕は女性とは話を聞くだけで、闘うつもりはなかったのが、どうやら僕の口調が良くなかったようだ。

 今の彼女に何をいってもまず信用されないだろう。

 第一、彼女は子連れだ…警戒心は人一倍強くなくてはならない時期…

 

 なら、此処は逃げさせて貰おう。

 戦うこともやぶさかでは無いが、僕を感動させてくれた喰種を殺してしまうのは勿体無い。

 あの娘の肉は、黒髪の少女と同じで張りがあって美味しかったかも知れないけど僕も彼女を見習って、無益な殺生をしないようにしよう。

 

 食糧はまた、何処かにいる悪い喰種でもしとめて食べるか、まさか僕が見つけた喰種を、自分の意志で食べない日が来ようとは思いも寄らなかった。 喰種に会っているのか変わらず、怒りがこみ上げてこないことも、前とは違っていた。

 

「人間の肉は……美味しいのですか?」

 

 気が付けば僕はそんな質問を、彼女に向けて話していた。

 僕は今まで喰種の肉しか食べたことはない、その限られた味覚で善し悪しはあったが、まったく違う肉の種類での味がわからない。

 まあ、美味しいから食べるのだろうし、それしか口に入れることが出来ないから、食べるのだろう…

 

 矛盾していると思うが、それでも僕は本人の口からその答えが知りたいと思ったのだ。

 喰種は人を食べるとき、一体どういう感情を持って、何を考えているのか、しりたかった。

 

「……分からないわ、私は人しか食べられないもの。

でも、人の振りをしているときに食べる、人間の食べ物よりは…人間のお肉は美味しいと感じるわ…

でも、私は人を狩れない、私の娘のように生きて、歩いている人間たちの顔を見ると、何も…出来なくなってしまう」

 

 僕の言葉に戦いの張りつめた、緊張の糸が途切れ、彼女は呆気にとられていたが、考えるように手で顎をなで、真摯に、彼女は答えてくれた。

 その答は半ば僕が予想していた答と同じものだったが、それでもう満足だった。

 

「話しを聞かせてくれてありがとう、貴女のような喰種が居てくれたことを、僕は誇りに思う。

僕は…僕の置かれる喰種というカテゴリーが嫌いだった。

人間を食い物にして、悪しく欲望にまみれた奴らが疎ましかった」

 

「……人間が好きなのね」

 

「変わってるだろう」

 

「ええ…でも、それでも良いと私は思う、喰種も個性豊かよ、どんな性格の喰種がいても…それは個性の一つ」

 

「個性、か…」

 

 なら、僕がこんなにも人間を守りたいと、あの大切な友人を愛おしく感じているのも、個性で良いのだろうか。

 彼女も僕に敵意がないことが分かったのか、赫子を戻して、静かに僕の話に聞き入ってくれていた。

 いつの間にか隠れているはずの娘まで、母親の背後にしがみついて、僕の顔をじっと見つめていた。

 

「どうしたの?」

 

 大人しそうな印象を受ける娘だったが、臭いは完全に喰種のものだった。

 何とも奇妙な気分になりつつも、不思議そうに見つめる視線に疑問をぶつけると、娘はおもむろに僕の顔を指さした。

 

「蟋蟀?」

 

 蟋蟀と言う言葉に敏感に女性は反応するが、僕のマスクと娘を見比べて、ふうとため息を付いた。

 

「気付かなかったわ、黒い蟋蟀のマスク…13区の蟋蟀なのね…

噂とぜんぜん違うわね」

 

「ああ、このマスクか…

そうだね、噂の僕はもういないんだ…」

 

 この二人に対して隠し事は無用だと、娘の好奇心旺盛な質問に僕はマスクを外し、懐にしまう。

 すると女性もその娘も驚いたような顔で僕を見るのだ。

 

「まだこんなに若かったのね」

 

「よく言われます、僕は[幸途 音把]よろしくお願いします」

 

 初めての印象は失敗してしまったので、今度は友好的にと思い、精一杯の笑顔で挨拶すると、娘は顔を真っ赤に染めて照れたように母親の陰に隠れてしまった。

 

「ごめんなさい、ちょっと人見知りなの……それに少し怖いオーラがあるしね、私は笛口リョーコよ、こっちは」

 

「ひ、ひなみです、よろしくお願いします!」

 

 笛口さんが、ぽんとひなみの背中を僕の方に押し出せば、ヒナミちゃんはあわあわと口を動かして、顔を百面相に変える。

 可愛い…

 人間以外で、何かを可愛いと思ったことは初めてだった。懐かしい、家族と過ごしていたときの日々を思い起こさせるようだった。こんな感じであの小さな少女も、人見知りなところがあった。

この子とは違い、嫌な事があると少し頬を膨らませて拗ねる癖があった、可愛い家族。今頃、どうしているのだろう?

 

「よろしく、笛口さん」

 

 長髪の女性と手を交わして、おずおずといった風に手を差し出すヒナミちゃんを見ていると、愛でたいよりまず苛めたいと強く思ってしまう、だからちょっと僕の悪い癖がでたのかも知れない。

 ほんの少しだけ、ヒナミちゃんの困った顔が見たくなってしまったのは、偶然だと弁明させて欲しい。

 何時も喰種を襲っていたので、怖がらせたいなというSっ気が出たのは否めない。

 

 

「よろしく、ヒナミちゃん…」

 

 僕は恐る恐るといった具合に差し出された手を握り締めそのまま口元に持っていき、パクッと口にくわえたのだった。

 ……甘噛みだが、結構美味しい汗の旨味と、こんな薄暗い森でいるからか、扱けてしまったのだろうか、少し怪我をしているのか血の味が身体に染みる。

 

 このまま手を噛み千切ってやりたいと湧き上がる衝動を抑えながら、口から手を離すと、ヒナミちゃんは、顔をまるでリンゴのように真っ赤にして、その場に崩れ落ちてしなったのだった…

 

 

 

 僕の食欲も少し限界に近いのかも知れない。

 早めにここを離れなければ、本当に彼女たちを襲ってしまいそうだった…

 

 差し出した手を、二人はしっかりと握ってくれた。

 この日、僕は食糧の友人が出来た。

 それが良いことか悪いことかは分からないけど、20区へ向かう足取りが何時もより軽かったのは確かだった…

 

 

                  ・

 

 

 笛口さん、ヒナミちゃんと別れてから三時間、空腹が胃を刺激して、隣を通り過ぎていく人間の臭いに発狂しそうになるが、僕は指を噛みながら俯いて歩いていた。

 小店が並び、連なった小さな通りを歩いていた僕は今、人生において久し振りの空腹に襲われていた。

 

 「はぁ…はぁ…」

 

 漂う汗の臭い、ほのかに漂う血液の臭い、涎が垂れそうになるのを、ぐっと飲み込み、赤く染まった片目を手で覆い隠す。

 おかしい…喰種の臭いがしない?

 20区とは言え、人間がいるところなら、喰種は絶対にいるはずだった。

 

 それなのに、喰種の興奮したときに出る発汗したツンと鼻を刺激する臭いが、全くしなかったのだ。

 それだけ治安がいい場所と言うことなのだろうか。

 それは結構なことで、流石人好きの梟が居るところだと思いたがったが、僕にとって、喰種の有無は死活問題だった。

 

 僕も全くもって遺憾だが、喰種というカテゴリーに属す以上、Rc細胞の摂取無しには生きていけない。

 だから僕は喰種を殺しつつ、その肉体を全て平らげることで、Rc細胞を補ってきたのだが…

 

 さっき笛口さんと出会い、良い思考を持った喰種もいるとわかった…わかってしまった所為で、無作為な喰種の惨殺が出来なくなっていた。

 本来なら、何処か都合のいい狭い場所を見つけて、そこに張っていれば喰種が勝手に集まってくるのを待つだけで良かったのだが、そうも言っていられなくなってしまった。

 

 悪い思考を持った喰種だけを食べるとした僕の状況は、言わば食事に制限を付けられた入院患者に近いのかも知れない。

 食事を選り好みして食べるという思想は、「美食家」に通ずる所だが、僕の場合好むポイントはその味ではなく、心だ。

 

 喰種の捕食を制限した所為で、そういう待ち伏せも出来なくなってしまい、悪か善かを見つける必要性で、余計に食べられなくなってしまっていた。

「ああ、こんな事ならヒナミちゃんの手をもう少し味わっておくべきだった…」

 

 若い喰種の張りのある、それでいて柔らかい肌は、それを引き裂き溢れ出す肉汁もまた最高級に美味しい。

 弾力の強い肌を手で感じ、目で美しさを感じ、鼻で微香を吸収する。

 そういった手順を踏んでから、初めて味わうことでより一層喰種の旨味がたのしめるのだ。

 

 僕が一ヶ月で食べる喰種の量は、2人から5人。

普通の喰種が人間の一部を食べただけで一ヶ月以上持つのに比べれば、存外僕も大食いであり、美食家でもあるらしかった…喰種限定のという注釈は付くが。

 

 Rc細胞を多量に使い、強靭な身体を手に入れた喰種は、その細胞を自力で生産することが出来ないため、他所から補うしかない。

 そして、そのタフな身体を作るRc細胞が底を突けば、喰種の身体は機能を停止し、動かなくなってしまう。

つまりは死だ。

 

 人間よりも死の危機に直面しやすい喰種の飢餓は、その性質から喰種の本能に肉を食えと訴えかける。

 鼻息を荒く、肩で息をしていると隣を通る人々がいぶかしげ顔で僕を見るが、そんな事も気にしていられないほど、僕は今ピンチだった。

 

 肉が喰いたくて喰いたくて仕方がなかった。

 梟と戦ってから、もう三日半もたつ、負ったダメージの事もあり、そろそろRc細胞を摂取しなければ、本格的に僕は死にかねなかった。

 だが、人間を襲うというのは天地がひっくり返っても有り得ない、あり得てはいけないことだ。

 

 そんなことをするくらいなら、僕は潔く死を選ぶ…

 

 今から引き返してヒナミちゃんを食べようか?

 

「いや…駄目だそんな事を…友達に…でき…食べだい食べ物…食べる、食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ食べ」

 

 無理があったのだ…人間を食べないと言うだけで大分の負荷を身体に強いてきていた。

 それに拍車をかけたのが、今回の喰種の選別…

 食べる量まで制限してしまった事で、僕はもう取り返しの付かないほど弱り切ってしまっていたようだった。

 

 道にあった小石を避けられず、躓き、そのまま僕はアスファルトの黒い地面に崩れ落ち…

 その瞬間…霞む視界に紫色の髪の色をした、長い髪の女性が写った。

 何処かで見たような、面影があった…

 

 

「あらぁ…誰かと思えば虫の坊やじゃない」

 

「リゼ…リゼ!?」

 

 僕の中の喰種は、最後の力を振り絞って、意識を現実に引き戻す。

 これは奇跡に近かった、死にかけ野垂れ死にする寸前で、僕の前にご飯が与えられたのだ。

 

 人間をただの餌だとしか思っておらず、自慢の赫子で人間を捕まえるまでの、優しそうな女性像で人を騙す過程を楽しむ外道な喰種。

 食べるのに、殺すのにこれほど丁度良く、適した存在は他にいないだろう。

 

 20区にやってきていたのは、予想外だったが、今回はそれに救われた。

 神様はまだ、僕に生きていて欲しいとお思いのようだ。

 

 幸いなことに今は、夜、擦れ違う人の数もずいぶんと減った…

 ここでなら、人間を巻き込まず効率的にリゼの内蔵を貪ることが出来る!

 早く、早くと身体が急かす。

 残虐非道な女喰種、「大食い」[神代利世を補食せよと!!

 

「りぃいいいいいいぜええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

 

 肉を渇望する本能のまま、僕は素顔を隠すことも忘れ、背中から勢い良く2本の触手に似た、赤黒い赫子を発生させる。

 食事前に赫子を出すと言うことは、Rc細胞の著しい減少を招き、その喰種の生命活動の低下を意味している。

 

 だが、それでも眼前の肉を僕の口の中に入れるためには、リゼは余りにも赫子無しで闘うには強すぎた。

 SSレートの喰種「大食い」の名の通り、大量の人肉を計画性もなく食べ続けるかなり危険な存在。

 

 大食いという食性なのか、生まれ持った才能なのかは分からないが、彼女の力は恐ろしく強く、そして凶暴だった。

 油断するつもりはない、最初から最後まで全力を出し切ってしとめてやる。

 

 綺麗で色白な腹を切り裂いて、溢れ出る鮮血を、滲み出る汗を、蠢く内蔵を全て引きずり出して、僕の腹の中へ収めてやる。

 こいつは、誰がどう見ても悪だ、喰い場を荒らす所為で、同族からも嫌悪される諸悪の根元だ。

 

 人間を大量に惨殺して来た醜い喰種は…

 

「僕に喰われても、文句は言えないよねぇ?」

 

 バキバキと言う音ともに、伸びた2本の赫子は、僕の肌に巻き付いて硬質化し、鎧のように変化していく。梟と戦ったときの記憶を頼りに、その赫子の変化に少しずつ干渉しながら、僕は身体の変化を終えた。

「悪」は退治しなければならない、その意思は絶対に揺らぐことはないのだ。梟にいわれた言葉でも、僕のその本質の根本を変えることは出来なかった。

昔、僕にあったことを、両親を食い殺された思い出を、悲しむ義妹の姿を……もう二度と味わいたくない、そして誰にもこの悲しみを味合わせたくない!!僕はそのためなら化け物にも、喰種を殺し続ける悪者にだってなってやる。

憎しみの元凶、諸悪の根源、喰種の「悪」を駆逐してやる!!

 

 

 あの時のように喰種の力を解放すれば、その時点で僕はRc細胞が枯渇してゲームオーバーだ。

 だからこそ、一点に威力を集中させた無駄の少ない体型で挑むしかない。

 

 赫子が巻き付く箇所を足だけに限定して、それ以外の部位の軽量化をはかり、従来のジャンプ力を再び背中から伸ばした2本の赫子の力で後押しする。

 黒いアスファルトの地面へ鋭い鱗赫の先端を差し込み、蹴り場の軸を整えて、呆気にとられている女性に食らいつく。だが、リゼは僕の動きに全く動じず、余裕の笑みを崩さなかった。

 

「あら、私を食べるつもり?

それは少し、おいたが過ぎるんじゃないかしら?」

 

 地獄のような、一寸先が闇の底である喰種の世界を生き残ってきた強者ゆえの油断なのか。

 何れにしても、僕の方から彼女にかける哀れみは一切ない。

 勧善懲悪、悪は滅び正義は必ず勝つのが世界の決めた正しいあり方だ。

 

「うがあああああああああああああ!!」

 

 赫子の力で威力の上がった回し蹴りをまずリゼの頭部に向かって放つ。

 渾身の力を込めて、一撃で意識を刈り取り、そのまま地面とキスをするような蹴りを。

 だが、リゼはただ身体を捻るだけで軽々とそれを避け、優しそうな笑みを浮かべると、鋭く尖った威圧感のある赫元を露わにした。

 

「くっ…」

 

「あっはァ」

 

 悪魔のような蠱惑的な表情を浮かべる彼女に、僕は一瞬ひるんで、次へ繋がる攻撃の蹴りの軌道が歪んでしまう。

 官能的な艶のある声を出したと思った次の瞬間には、リゼはもう僕の視界には写っていなかった。

 否、僕の回し蹴りを交わした一瞬で、彼女はもう僕の背後に回り込んでいた。

 

 戦闘において、死角になりやすい背後に回り込むことは有効である。

 背後は哺乳類などの幅広い生物にとって、主な状況判断器官である死角が唯一届かない場所だ。

 戦車の砲台のように首が回るのならいざ知らず、人間の首も喰種の首も180°は回らない。

 

 だがそれは喰種に限った話においてのみ、異なった側面を見せる。

 確かに背後は喰種にも死角、デッドスポットになり、攻撃を受ければ致命傷を受ける場所だ。

 だが考えてみて欲しい、何故、致命傷を受けるのかと…

 

 喰種は類い希な瞬間再生能力によって、瞬時に肉体を活性化させ、傷を簡単に塞がらせてしまう。

 致命傷が致命傷にならないのだ。

 だが、前述した通り、喰種の弱点…Rc細胞の発生機転である赫胞がやられれば喰種は死んでしまうのだ。

 

 もう…分かっただろう。

 なら、一つだけ質問をしよう。

 それならば、その喰種の武器である赫子が生まれる場所は…どこだったのか、と。

 

 そう、背中である。

 喰種は死角である背中に、強力な武器の発生器官を担う赫胞を持っているため、死角(背中)を攻撃されようと容易く対処できる。

 いちいち振り返らずとも良いのだ、喰種の聴覚で位置を掴めば、後は赫子を動かしすれば良い。

 

 だが…そこで僕の動きは止まる。

 いや、止まらざるを得なかった。

 

 迂闊にも喰種の死角に回り込んだリゼに対して、制裁を与えようと赫子を動かした所で、そこへ追い打ちをかけるように、リゼから放たれた、鋭くとがった鱗赫が僕の腕を勢い良く貫いた。

 傷を修正しようと背中の赫子の動きが止まり、その所為でどうしようもない隙が生まれてしまう。

 

 

「っがああああああああああ!!」

 

 流石に威力重視の鱗赫だけはある、リゼに貫かれた腕は、空中に弾き飛ばされ、大量の血をまき散らしながら、地面に落ちる。

 

「ふふふ、あっけないわね虫の坊や、私に喧嘩を売るなんて、愚かにも程があるわよ?」

 

 リゼは…笑っていた。真っ黒い笑みを浮かべ、頬に付いた僕の血を舌を動かして器用に舐めとる。

 全て計算ずくだったのだと気付かされた。

 彼女は簡単な牽制をする事で僕を動揺させ、なおかつ明らかに無駄な背後に回り込むことで、僕に心的余裕を生じさせたのだ。

 

 卓越された戦闘スキル、彼の父親にはまだ一歩足りないが、何処か神々しいものの片鱗を感じてしまう。

 天才とはこういうものなのかと、凡才である自分の才能を呪った。

 

 不味い、非常に不味い状況だった。 

 腕に入った傷は、人間なら重傷だが喰種にとっては掠り傷。

 しかし、赫胞が傷つけられない限り、無限に傷が直り続けるというわけでのないのだ。

 

 喰種といえど、創作物の怪物のように不死性を帯びているわけではない。

 頭と身体を切り離されれば、簡単に死んでしまうし、肉を食べなければやがて衰弱死してしまうだろう。

 これ以上、身体の残り少ないRc細胞を悪戯にたれ流すわけにはいかなかった。

 

 傷をあっと言う間に直すのも、赫子を発生させて動かすのも、全てが全てRc細胞の恩恵なのだ。

 こうしている間にも着実に僕のRc細胞は減り続けている。

 

「私、今ちょっと苛ついているの…今までいた狩り場が住み辛くなったから出てきてね、お腹が空いているのよ。だから…邪魔しないでほしいわァ?」

 

 4本、リゼの背中から出た鱗赫の赫子が、まるで獲物を狙う蜘蛛の足のように蠢いていた。

くそ…もう、身体が動かない、言い訳でしかないが、あの女はリゼは本調子なら勝てた相手だ。

碌にご飯にあり付けないほど弱ってしまうとは、喰種のみを食べる僕の弊害だろうか…

何が「狩り場」だ、そんな風に人間を、か弱くそして意志の強い人間たちを、餌の様に言うな、お前のような下種が、彼らの尊い命を奪って良いわけがないだろう。

どうせ、狩り場で「大食い」でも起こしたせいでCCGにでも目をつけられたのだろう、だからこんなに平和な20区にこんな危険な奴を招いてしまったのだ。冗談じゃない、こんな危険極まりない喰種をのさばらせておいたら、いったいどんな被害がでるか、考えたくもなかった。

 

「ふふふ…もう良いわ、今日は貴方をサンドバッグにしてしっかりストレスを解消してみようかしらァ」

 

 足に纏った赫子も形を失い、古くなった壁のように、ボロボロと崩れて消えてしまった。

 身を守るものと言えば、着ている薄く黒い服しかない。

 こんなもの、リゼの鱗赫にかかれば、豆腐よりも柔らかいだろう。

 

 ここで僕は死ぬのか…

 

 憎い喰種に負けて、勝てる相手に無様に敗北を期して、あっさりと死んでしまうのか。

 まあ…それも後悔しても仕方のないことだ、死ぬ時は死ぬのだから、もう…抵抗も出来ない…

 

 せめて、死ぬ前に美味しい肉が食べた…かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待て…そいつを殺すのは私の役目、何処にでもいる雑魚の喰種が、勝手に私の仕事を取らないで貰えないかな?」

 

 懐かしい、声が聞こえた。 

 




はい、スマートです。
今までこの小説をご愛読くださってありがとうございます。
お陰様でUAが3000を超えることが出来ました、本当にありがとうございます。

それでは今後とも、この小説は続いていくのでお付き合いくださいませ。

ご意見、ご感想お待ちしています、気軽に思ったことを書いてみてください、お願いします。

2015/4/1  合併修正

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