真っ白な足元まである白衣を、夜の冷風に靡かせながら、黒い髪を後ろで縛った女は、目の前にいる倒すべき巨悪を睨み付けた。
白衣の胸ポケットには、赤い文字で「CCG」と刺繍が入っている。
「喰種対策局」の略称であるそれは、人間を喰らって生きる喰種を、逆に狙って殺すことの証明。
「あら、CCGの捜査官が此処に何の用かしら。私は今、可愛いくも憎たらしい坊やに女性の扱い方を、身体で教えてあげようと思っていたのだけれど…」
喰種を狩ろうとする唯一の組織に、並みの喰種ならば動揺し、その姿を見ただけで逃げようとするだろう。
だが、SSレートと認定され、実力に裏打ちされた、強者はその出現に対しても、慌てず…言葉を返す。
リゼは、空腹と言うこともありかなり精神的に気が立っていた。
そこへ自分を食べようとする、気の狂った喰種の出現、彼女の怒りのボルテージは一気に最高潮に達していたのだ。
そしてその怒りを発散するための玩具を手に入れる寸前で、また邪魔が入ったのなら、外面は柔和なものだが、彼女の堪忍袋はとっくに弾け飛んでいた。
だがそれでもリゼが、怒りにまかせて、突然現れた女に突撃していかないのは、今までの培ってきた経験から、CCGと付く人間の手強さを知っていたからだ。
CCGと一言にいっても、その喰種を対峙するための捜査官の数は多く、よって階級も強さも様々である。
どこまで言っても所詮人間の限界に左右されがちなため、直ぐに殺されてしまう捜査官もいるが、反対に何度も喰種と戦い、勝利を納めてきたものも少なからず存在する。
それが准特等や特等と呼ばれる人間たちである。
彼らは人のみでありながら、一介の喰種を軽く凌駕する戦闘技術と、経験を持っている人間の中の化け物集団だった。
この年若い女もその例に漏れず、CCGの特等クラスに最年少で上り詰めた、異例の化け物の一人だった。
梟と交戦した有馬にはネームバリューにおいて劣るが、彼女も6区のリーダーや、4区の「ノーフェイス」と抗戦し、激戦を繰り広げるなどの戦果を数多くのこしている。
静かに、だがふつふつと沸き上がってくる怒りの気配を周囲にまき散らし、女は右手に持っていた銀色のセラミックケースに突き出た丸いボタンを押す。
「貴様がその蟋蟀にどんな思い入れがあるのかは知らない、分かりたくもない…
だが、それの命を狩るというのなら、まず私を殺してからにしろ」
口から放たれる、煮えたぎる怒りを押し殺したような声に呼応して、ケースが大きく口を開け、中からけたたましい金属音を響かせて、鋭く光る刃が姿を現した。
日本刀のように先端が緩いカーブを描いた剣は、女の手に収まると、毒々しい朱を刀身に写り込ませる。
「こふぅぅぅぅぅ……」
右手に握った刃に左手を添えるように持ち、リゼを見据えたまま女は全ての生きを吐き出し…脱力する。
「何のつもりかしら、もしかして来て見たら私が強くて勝てないと思ったのかしらァ。
良いわよ、命乞いなら聞いてあげる…わ……っ!?」
「閃」
その一瞬で女はリゼの背後におり、立ち尽くすリゼの片腕に一本の線が入りそこから大量の血飛沫が上がり、ずるりと地面に落下した。
だが、女の持つ刃には、リゼの血は一滴もついておらず、本当にその剣で切ったのかさえ疑われる早業だった。
「ぐ、ぎゃがあああああああああああああああああっ!?」
「これでおあいこだ…」
刃を振り切ったままの体制で、地面に膝を付けていた女は、ゆらりと立ち上がり、自分の腕を唖然と見つめるリゼに無表情を向ける。
女の持つその刃、ある喰種の赫胞から作られたクインケの名は[明美protectー1]。
強靭な再生力と、鋭い一撃を叩き込む鱗赫から造られた、刃状のクインケは例え喰種の硬い硬皮でさえも、紙切れのように寸断する。
だがその威力を発揮するためには、元々の才能は勿論の事、鍛え込まれた剣術の技術が必要だった。
「居合い」と呼ばれるその剣術は、無と有というように、ゼロの状態から一気に最高潮のボルテージにまで緊張を引き上げる技。
本当に、ほんの一瞬だに力を集約させる固めに、蓄積する疲労は並のものではないが、かわりにそれを補って余りあるほどの切断性を帯びるのだ。
「くっ、が…ああ…この、私が!」
切られた腕は滑らかな断面を残し、血を大量逃がさせるばかりで、まるで再生する気配がない。
それはクインケが、喰種の赫子の性質を受け継いでいるからであり、クインケに含まれる他人の喰種のRc細胞が、再生力を妨害しているからに他ならない。
だからこそ、CCGの捜査官は通常の武器で対処できない喰種に対して、喰種から作り出したクインケでもって戦うのである。
毒をもって毒を制す。
か弱いからだを持つ人間が、喰種に対抗するために生み出した、技術の集大成である。
「ふうううっ…」
滝のように流れる汗と、物凄い疲労感に苛まれながら、女はリゼの一挙一動を見逃さまいと、刃を強く握る。カチャリと金属音が夜の闇の静けさに反響し、リゼは叫ぶのを止めて、一歩また後ろに下がった。どちらも譲らぬ目線での戦いに勝利したのは、人間の女の方だった。
反撃を微塵も許さないというように、朱色に発光しだす刃の切っ先を恨みがましい視線を送るリゼへと向け、静かにまた息を深く吐き出して、体中の筋肉を緩めてく。油断の一切ない構えだった。
「くっ…私を此処までコケにしたこと必ず後悔させてあげる…」
リゼも空腹で自分の腕を切った相手と戦うのは分が悪いと判断したのだ。悔しそうに唇を髪ながらきびすを返し、だが隙を与えぬようあっと言う間に夜の闇に溶け込んでしまったのだった…
「よう…蟋蟀、久しぶり」
展開させた朱い刃を元のセラミックケースに戻しながら、女は如何にも、煩わしげに、背後で横たわった男に声をかけた。
蟋蟀と言われた男は傷付いた腕の止血を行いながら、朗らかな笑顔を女に向ける。
敵対しているという牽制や威圧のための笑顔ではなく、本当に心から嬉しく思っているような笑顔。
「ああ、久し振りだね…スズ、元気にしてた?」
「ふん…少なくとも今のお前よりは元気だよ。
まったく、お前は何時も血だらけだな…それが自分の血か、もっともそれが相手の血かは分からないがな」
仏頂面で男のもとに歩き出した女は、近くに落ちていたリゼの細腕と、この男のものだと思われる腕を拾って、差し出した。
「ほら、喰え…それで治せ」
「良いのかい? スズはCCGに入ったんだろう、喰種を助けたらクビになるんじゃないのかな?」
その前に、寧ろ喰種を庇ったという時点で喰種対策法に違反し、重罪として処罰されることになるのだが、スズは知っていてもそれを男に言うつもりは無かったようだ。
スズは軽く口元をにやけさせると、コンと男の頭を叩いたのだ。
「ふん…勘違いするなよ、これは助けたんじゃないお前が万全の状態で戦いたいからだ。
喰種は一人残らず殺してやる、それが私の捜査官になった理由」
「うん、知ってる…僕もそれを応援してるよ」
スズは、血塗れでリゼの細腕をバリバリと骨を砕きながら食べながら、自分の腕をひっつける作業をしていた男の隣に座り込んで、しんみりと眼を閉じた。
何か、遠く昔のことを思い出しているかのような、悲しそうな表情を浮かべる。
拳を握り締め、今は無き誰かに誓うように言葉を吐き出すスズに、男はそっと背中に手を回して、寄り添うのだ。
人間と喰種、ここにほんの少しだけあの梟が望んだ共存の未来が有るようだった。
「あんな雑魚程度にやられるほど弱ってるなんて思ってなかったよ。
……本当に戦ったんだな、梟と」
男の腕が完全に繋がり、リゼの腕が全て男の腹へと納められた頃、おもむろにスズが、責めるように口を開いた。
どうしてあんなものと戦ったのだと、スズはもう一度、隣の男を肘で小突いた。
「お前は私の獲物だ…勝手に野垂れ死ぬのも、私以外に殺されるのも許さない」
「わかってる、約束だからね」
男がスズの手を握って、笑みを浮かべれば、スズも安心したように頷いて、息を付いた。
殺す約束をしている殺伐とした光景だが、絵だけを見るならば仲のいい親友同士にも見えるのかも知れなかった。
喰種と人間、喰い喰われる二つの存在がこうして、互いに信頼しあい、一つ空のもと過ごす姿は、また異常なものだろう。
「…強かったか、梟は?」
「強いよ、あれは人間じゃ適わない、僕でさえ赤子のようにあしらわれたんだから、君なんか直ぐにやられてしまうだろう…
もう…喰種なんかと関わるのを止めてくれ…君は」
「その先は言うな、私だって分かっている…その道がどれだけ厳しい道なのか、死の危険が常に付きまとう茨の道なのかは…
でも、私は母を父を殺した喰種を殺して、仇が取りたい…」
明けない夜はない、だがこの2人に広がった深い闇は、果たして払われるときが来るのだろうか…
すいません、ただいま各話編集中です。ご迷惑をおかけします。2014/7/22
2015/4/1 合併修正