東京喰種[滅]   作:スマート

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#013「喫茶」

 丸く大きな月が、じめじめとした夜の蒸し暑い空に、まるで幾人かを映し出すスポットライトかのように煌びやかに輝いていた。東京都20区にあるマンション地帯から少しだけ歩いた場所に点在する、商店が立ち並んだ道を抜けると、古式の様式美に現代風な雰囲気を混ぜ込んだような、所々に木の柱が立っている喫茶店を見つけることが出来た。木で作られた店先にある独特な雰囲気を出す看板にはひらがなで「あんていく」と書いており、これがこの喫茶店の名前なのだろう。

あんていく…恐らく外国語のアンティークをもじっているのだと思われる。なるほどその通りで中の内装も見る限りでは所々に中世ヨーロッパ風の古具が置かれていた。

中の様子はガラス張りになっている大きな窓のおかげで眺めることが出来、中にも真夜中ながら数人の人影が歩いていることから、営業が続いていることがわかる。

「此処かい?」

「はい」

僕は、背中に負ぶさった、まだ眼を擦っている、肩の方まで伸ばした髪が顔の半分を被っていしまっている少女に向けて語りかけた。二人の服装は互いに少し汚れており、だが少女はそれをたいして気にすることも無く、僕は喫茶店の入り口である木製の扉を押したのだった。

あのまったく嬉しくなかった出会いから数時間後、やっとのことで元の調子を取り戻した少女を、家に送ってあげようとした所で、少女は自分がバイトへ行かなければならないことを思い出したらしい。慌てて立ち上がろうと、まだ腰が抜けたままなのか、何とか奮闘する少女をこのままにするわけにもいかず、仕方なくこの喫茶店まで負ぶって来たのだった。

少女は始め恥ずかしがっていたが、このままではずっとこの場所に留まらずるを得ないことに気が付いたのだろう、頬を羞恥から真っ赤に染めて小さく「お願いします」と言ってくれた。

少女の身体はとても軽く、いままで喰らって来たどの喰種よりも体重がなかった。これが子供の重さなのかと少し驚いたくらいである。

「おや、すまないね、もう店は終わり……トーカちゃん?」

 喫茶店に入った僕たちを迎え入れてくれたのは、小さなカウンターの中で黒い色のコーヒーメーカーから、白い陶器製のコップの中へと湯気の立つコーヒーを注いでいた、初老の男だった。この喫茶店の制服なのか、白と黒の配色が目立つウエイトレス風の格好をしている様子は、長年培ってきたものなのか様になっていた。

この男が店長なのだろうか、部屋全体に充満したコーヒーの香ばしい匂いに邪魔されてあまり感じ取ることは出来なかったが、多分この男も喰種だろう。

喰種が開いている喫茶店に従業員が喰種という組み合わせで、お客さんが全て喰種というのなら丸く収まるのだが、少女にここに来るまでに聞いた話によると、この「あんていく」という喫茶店は特に会員制ではないらしく、来る者拒まずというスタイルらしいので、恐らく人間のお客もくるのだろう。

こういう喰種が営むお店というものも僕は何件か知ってはいるが、そこの店長の多くが実力者揃いという事が多いので、僕は喰種をそこへ襲いに行ってはいなかった。SS級くらいなら一対一でなら倒せると思うが、SS級を交えた多対一になってしまえば、以前梟と戦った時よりも分が悪い。

僕の赫子一本で一人を相手にするにしても通常レベルの雑魚喰種5人とSS1人の6人が限界だろう。あの技を使えばもっと多くの喰種と戦えるかもしれないが、如何せんアレはまだ練習不足のために暴走して収集が付けられなくなってしまう。

冷静さを欠いた状態で多対一に挑むのは、不意打ちされやすい為、僕はそういう店には近づかなかったのだ。

 そして補足とでも言っておくが、この背中に負ぶわれている少女は、僕が喰種だとは気付いていないようだった。何度かここに来るまでにそのような質問をしたのだが、全部言葉を濁されて躱されてしまった。これは僕に自分が喰種だと知られたくないのだろう、まあその思考は喰種であれば当然のものだし、他ならない僕も永近君に対して思っている感情だった。

だから僕はその事を深く追求することをやめて、僕の正体を気づかれるまでは明かさないように決めたのだった。個人情報は出来る限り隠蔽した方が世間をわたって行きやすいというのは、今までの13区での経験から学んだことだ。

と、そういえばさっきから少女の声が聞こえないと思って後ろを見ると、少女は僕の背中にしがみ付いたまま静かな規則正しい呼吸音を響かせて眠ってしまっていたのだった。

初老の男は店に入って来た僕と、その背中に負ぶわれていた少女を見て何か意外そうに眼を見開いていたが、やがて察したように眼を元に戻して、よく来たねと微笑んでくれた。

すやすやと熟睡してしまった、後ろの少女を店長と協力してstaffonlyと書かれた扉をくぐり、二階にある部屋のベッドの上に寝かせた後、カウンターにある丸い椅子に腰かけた僕にそっとコーヒーを初老の男は差し出してきた。

「飲むといい、この子をここまで送ってきてくれたお礼だよ」

「あ、すいません…」

 砂糖の類は一切入っていないようで、一口飲めば口いっぱいにほろ苦い香ばしい旨味が広がり、身体が暖かくなった。人間の肉、または喰種の肉しかまともに食べる事が出来ない喰種という種族だが、何故かコーヒーだけは味覚においても人間と同じらしく、楽しんで飲むことが出来るのだった。

「これは、美味しいですね」

自動販売機や、そこらへんの喫茶店で出される酸味の強いものとは違う、しっかりと香、艶、コクと三拍子そろっている見事なコーヒーだった。この店にやってくる客は皆こんなに美味しいモノを飲んでいるのだと思うと、少し負けた気分になってしまう。これからは此処にコーヒーを飲むためにやってこようか……だとすれば矢張りお金が必要になってくるし、問題は山積みだ。

「まったくトーカちゃんにも困ったものだ、今日は安静にしていなさいと言ったばかりなのに……本当に君には感謝してもしきれないよ、ありがとう」

「いえ、そんな」

正直なところ、そんなに褒められるようなことを僕はしていない。善行を積むという打算に裏打ちされた行動の結果であって、それはして当然の事なのだ。褒められる筋合いすら存在しない。

「まさか、あれから数日も経たないうちにきてくれるとは思わなかったよ」

「はい…僕もまさかあの少女のバイト先がここだとは思いませんでした、でもそれ以外にもここを探していたんですけどね」

「おや、それはまたどうしてだい?」

僕は手元のカップにまた口をつけて、暖かい味を噛み締めながら、また言葉をつなぐ。暖かいうちにこのコーヒーを飲んでしまわなければ、僕の今からする話は長いので、冷めてしまうからだ。

美味しいものはもっとも美味しい時に食べなくては、食材に失礼だろう。それはコーヒーでも喰種(ご飯)であっても同じ事だ。

「梟…いや、芳村さんに聞きたいことがあったんです。早急に正さなければならない真実がある気がして、居てもたってもいられなくて…貴方は人間と、喰種の共存を望んでいる数少ない思想を持つ喰種だ、そしてその心もまた人間を愛している…」

「概ね、間違ってはいないよ」

芳村さんは、洗い終わったカップを白い布で水滴をふき取りながら、にこやかな顔で答えてくれた。

ならば、これから言う僕の質問にも、彼は答えてくれるのだろうか。

「なら…人を愛しているなら、どうしてアンタは僕の両親を殺した?」

笑顔が消えた…一瞬で部屋が張りつめたように暗く重いものに変わってしまう、これはただの比喩ではなく、この目の前に立つ梟の何十年も生きた喰種の持つ気迫なのだろう。

流石は梟だと喉を鳴らしたが、そんな気迫程度のもので諦めがつくほど、僕の意思も生半可なものではない。予想外に喫茶店にたどり着いてしまったが、そうなってしまったら最後まで言ってしまうのが一番いいだろう。

何故、僕の育ての親を、梟が殺さなければならなったのか、人を愛すると歌う喰種が何故、それとは正反対の事をしたのだろうか、僕にはそれが知りたくて仕方なった。

この男に対する恨みは、ただ単に喰種に対する悪感情でしかもっていない。僕の両親を殺した事に対しても当時はそんな暇はなかったし、今としても僕はこの優しい笑みを浮かべる男を糾弾するつもりはなかったのだ。

だが、問題はこの「梟」をCCGがいつか戦うべく狙っているという事、そんな日が近いうちに来れば、きっとあの娘も特等ということで駆り出されてしまうのだろう。だからこそ、僕は相手の事を知らなければならなかった。「梟」という存在を知り尽くして、あの娘を守らなければ…そう思っていた。

 

 静かな喫茶店の中で淡々と洗い終わったコーヒーカップやソーサーを拭いていた、短い白髪の店長は暫くの沈黙の後、やがて溜息をついて諦めたように僕の顔を見た。店長の顔は何を考えているのかわからない微笑をたたえていたが、じっくりと観察してみるとほんの少しだけ冷や汗をかいていることがわかる。動揺しているのだ、この老獪でまだ若者にはまけないという迫力を感じさせる、ベテランの喰種は僕の話し出した話題にひどく混乱していた。

 

「この話は他言無用で頼むよ……」

右手の人差指を口元に持って行って少し眼を開けて赫眼を発現させた店長、そこから溢れ出る強い威圧に、今から話す話題が僕の予想を遥かに超えるものだという事に気づき、静かに僕は店長に頷きを返した。それを確認した店長は店内に眼を走らせてから、磨き終わったカップを棚に並べ、カウンターの僕の隣の席に腰をかけた。

「君は、確か赫眼が片方だけだったね」

「え…はい」

唐突にふられた話題に答えに貧窮してしまうが、別に嘘をついたところでどうとなる問題でもないので、僕は正直に話した。この店長は今この場においては信用できる、今更変なところに話題を変えて自分の事を隠そうとはしないだろう。だから、この何気ない好奇心から来たような質問も何か意味があるに違いない。

だが、一体赫眼が片方だけだからと言って何なのだろう、少し他の喰種とは違っているなくらいの認識しかなかったが、何か理由があるのだろうか。そんな僕の疑問を見抜いたのか、店長は自分の眼を見開きその双眸を赫く染めた。

「喰種の赫眼は基本的にその両方の色が変わる、これは喰種の中にある細胞が目に影響を及ぼしているからだね。だが、喰種の中には赫眼が片目だけにしか発現しないものがいるんだ」

「隻眼……の梟」

そうなのだ、この店長の眼はどう見ても両方に赫眼が発現している。噂で聞いていた「隻眼の梟」の赫眼はその異名の通り、片目だけが赤いという。なら店長は「隻眼の梟」ではないのか?

それならば、僕の両親を殺した人物と、人間を愛すと言う人物が別人ならば、今までの店長の優しそうな風貌にも納得が出来た。

しかし、一つだけ疑問が残ったのだ、それはこの店長の何か勿体ぶっているような喋り方だ、まるで店長は、僕や梟のように片目だけが赫く染まる喰種の理由を知っているかのような……

微妙な違和感に支配されつつも、店長がそれを言わないところを見るに、しつこく聞いても教えてはくれないのだろう、残念だがその辺は自分で調べることにする。

 

「そうだよ、私は君の言う梟じゃない……でも、責任の一端は私にもある。今、全てを語るわけにはいかないが、謝らせてくれないかな」

「……やめてください、僕は貴方に誤ってもらうために、こんな話をしたわけじゃないんです。

真実を知りたかった、それはさっき言った事と同じです」

そっと頭を下げる店長を僕は手で制し、首を横に振った。本当にそういう問題ではないのだ。

人間を愛し共存を語るこの男が、もし人殺しを楽しんで行っているその辺りにいる、下種な喰種と同じなのか確かめたかっただけだった。

そして「梟」がこんな出来た人物だったなら、僕はあの娘の為とはいえ、この喰種を殺すことを躊躇してしまっていただろうから。まあ、もちろん勝ち負けの問題はあるが。

それに、例え「隻眼の梟」が店長と関係のある人物だったとしても、僕に謝らなければならない奴は店長ではなくその「隻眼の梟」だろう。

 

「貴重なお話、ありがとうございます…」

もう十分店長の心は伝わって来た、こんなにも話が分かる、人の良い喰種がいるのだとわかった。だからもう聞くことはないと僕は立ち上がり、あまり迷惑をかけるわけにもいかないので、ここから出て行こうとしたところで、店長に手を掴まれた。

「よかったら、此処で働かないかい?」

「え?」

「この喫茶店は、人間も喰種もえり好みせずに美味しいコーヒーを提供するお店だよ。でも、お客様の中にはこの喫茶店にやってくる人間のお客を食べようとする子がいるんだ。

喰種としては仕方ないのかもしれないけどね、せめてお店にいる人間のお客様には、店を出ても安心していて貰いたいんだよ…」

「僕を…用心棒に?」

それは建前だろう、店長の口調はずっと暖かい。多分そのような事を言って、僕にコーヒーの淹れ方などを教授したりとしてくれるのだろう。きっとこの人は僕に同情してくれたのだ。

5日前、初めて店長と出会った日にも、店長は僕の顔を見るなり憐れみににたモノを浮かべていた。あの時は本当に腹の底から煮えくり返るほど怒りが込み上げてきたが、その憐れみという感情が、ここまでの優しさから来るものだと分かってからは、その視線はとても心地いいものだった。

まるで両親の優しかった眼を見ているようで、一瞬「はい」と言ってしまいそうになった僕はあわてて口をつぐんだ。

 

「君のその腕を買いたいと思ってね、君さえよければ…」

「すいません、僕にはまだやらなければならない事があるんです、もっと僕は強くならなければならないんです」

そうだ、最後の生きている家族でもあるあの娘の事を守らなければ、本当の殺人鬼としての「隻眼の梟」の脅威からか弱いスズを守らなければいけない。

「ふむ…よければ君を鍛えてあげるよ?」

さっさと帰えらなければこの喫茶店の雰囲気にやられてしまいかねなかったので、店長の手を振りはらい、木でできた扉に触れたところで、僕の手が凍り付いたように動かなくなった。

いや、店長の口から出た言葉を僕は聞き逃せなったのだ。この人は今なんといったのか?

今、確か鍛えてくれるとか……言っていなかったか?

「何のために強くなりたいのか私にも、なんとなく理解は出来るよ。ちょうど四方君もいるし、君も一緒に鍛えてあげよう……赫者の制御の仕方もね」

 

その申し出は願ったり叶ったりというか、むしろこちらから誰かに頼みたかったことだった。梟ではないにしろ、噂の梟に似た姿かたちをして梟並の力がある喰種に鍛えて貰えるのならば、それは外に出て通り魔的に喰種を狩っていくことよりも効率は良いだろう。

四方という人物は分からないが、店長の言葉から恐らく僕と似たような境遇の人物なのだろう。そんな喰種とも会ってみたいとも、話してみたいという好奇心も湧き上がってくる。

……まったく、これもすべて店長の計画通りなのならば、この人はとんだ狸だ。

近い将来、この店長のミステリアス加減に翻弄される人が居なければいいのだが……

ともかく、もう僕としても強くなることに越したことは無いわけで、もう店長からの誘いを断る理由は無くなってしまった…

赫者という、僕がどうしても暴走してしまう形態の制御方法を教えてくれるというのも、喉から手が出るほど望んでいたことだった。ここまで飴をちらつかされてしまうと、僕としても迂闊に返事をして店長の気持ちを変えてしまうのはどうしても避けたかった。

 

「……お願いします、守りたい人のために、僕に力をください」

 

 その日から僕は喫茶店「あんていく」でウエイターとして働くことになったのだった。注釈しておくと、もともとサバイバルのような生活をしていて家のない僕は、店長からの好意にあまえて喫茶店の二階で寝泊まりすることにしたのだが……

何故か一週間に3度の頻度で、黒髪の少女が僕の部屋にいるのは一体どういうことなのだろうかと、一時期かなり困惑したのは、また別の時に話そうと思う。

 




はい、今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。おかげさまでこの二次小説も一瞬ですがランキング1位になることが出来ました、本当にありがとうございます。

原作とアニメの方向性が随分とズレて行っているようですが、あれですかね1クールでアオギリまでやってしまう気なんですかね……
第一話の冒頭でヤモリが出ていましたし、ちょくちょく伏線のようにヤモリが絡んでくるところを見ると、もう8話くらいでアオギリ…というのを覚悟しなければなりませんね。
せめて2クールくらいにしておけば楽しめたのに、と思うことしきりです。

 今回もご愛読ありがとうございます。今回の話で第二章は終了です。ここまでお付合いしてくださった方々、本当にありがとうございました。
それでは次回をお楽しみください。

ご意見、ご感想、些細な事で構いませんのでお持ちしています。

2015/4/1  合併修正


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