東京喰種[滅]   作:スマート

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#014「惨劇」

 私が物心ついたころ、もう私の側に兄という存在はいた。それは当然だろう、私より後に生まれた家族を兄とは呼ばないのだから、私より前に生まれた、そして親よりも後に生まれ出た家族を、私は「兄」と呼ぶ以外言葉を知らなかった。幸途鈴音それが私に付けられた、幸途家の家族として、父や母の娘として、兄の妹としてつけられた名前だった。

私の家はそれほど裕福な家計でもなかったが、だからといって明日食べていく食料に貧窮するほど、貧乏な家計という訳でもなかった。有り体に言えばどこにでもある平凡な家計。

父親が二流企業のしがないサラリーマンで、母親が近くのスーパーでパートに勤しむ専業主婦という、両親と兄妹の4人の核家族。探せば日本全国に何千人と見つかりそうな、珍しくもない家族構成でしかない。

祖母や祖父は私が生まれる前にどちらも他界してしまったらしく、どこかのアニメの家族の様に家族大団欒といった事は今までされたことは無い。だが、別にそのことに関して私は何も感じてはいなかったし、まあ月に貰えるお小遣いが少ないと不満はあったけど、おおむね私はその家族に満足していた。

とても仲の良い家族だったように思う。父や母は顔を合わせばいつも笑顔を見せ、兄は少し無愛想だったが、いつも学校に迎えに来てくれたりと、内面はかなり優しかった。流石に中学生になった時にも学校に迎えに来てくれたのには恥ずかしかったが、嬉しくもあった。

ああ、兄はそこまで私の事を心配してくれているんだなと、友人達にあれこれ言われる恥ずかしさも忘れて物思いに耽ってしまったこともあった。兄妹は歳が近いと険悪になりやすいと、学校の友人から聞いたこともあったが、その言葉が都市伝説に思えるほど私たちは仲が良かったのかもしれない。

兄と過ごす時間は、私にとって友達と遊ぶ時間や一人で過ごす時間を潰してでも得たい、至高の時間だった。私は中学生になるまでに何度も何度も事あるごとに兄の部屋を訪れて、知識人だった兄の話に聞き耽っていた。

昔から本を沢山読む兄は、兄と同年代の人と比べても、頭一つ抜けて知的で、それゆえに兄のする話は難しかったが、とても内容が深く最後には私にも成程と思うものばかりだった。

兄は年下の私のわがままに、全く嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた……分からない勉強や作文もそれと無く教えてくれ、友人たちとの約束を蹴ってまで、私と共にいてくれたのだ。

当時はそれが普通だと疑わなかったが、中学生になるにつれて徐々に心から話せる友人も出来てきた時点で、私の兄が他とは違っていることに気が付いたのだった。

だから、私は誇りだった。優しく賢くカッコイイ兄との日々が、私にとっての宝物だった。

…あの日までは。

 

 あの日、私たち家族の住んでいた家が真っ赤に染まってしまった日から、私の幸せだった日々は終わりを告げることになる。それは、本当に唐突に何の前触れもなく、私の目の前から家族を全て奪い取った……両親を血に染め上げ、そして、あんなに優しかった兄を変えてしまった。

血に濡れた部屋を兄は私に見せまいと、手で眼を隠してくれた時の兄の顔は、どこか暗く……何か遠くを見つめているようでもあった。数少ない親戚が集まったしんみりとした葬式の最中、うわ言のようによくわからない言葉を呟きながら、当然葬式の会場を飛び出していった兄の背中を今でもはっきりと覚えている。大きかった憧れの背中は、どこかやつれてひどく小さく見えた。

その日から兄は自分の部屋から何をしても、何を言っても出て来なくなり、心配になった私が無理やり部屋にかけられた鍵を壊して中に入ったときには、部屋の隅に頭を抱えて蹲り、今にも死にそうな風に蚊の鳴くような声で呻いていた……「食べたくない」と。

その、言葉が聞こえてしまった時、兄の右目がやつれた体に対して嫌に真っ赤に輝いているのを見た時、私は兄が人間ではない事を知ったのだった。

 

 巷でガセネタと共に色々なメディアにも取り上げられて、今や日本中の人間が知っている生物。だが、殆どの人間はその存在とは無縁に人生を送り、そして無縁なところで人生を終える。私もよく騒がれているなとニュース番組を横目に、だが私とは無関係だとあまり気にはしていなかったのだ。

兄が教えてくれた都市伝説の一種か何かだと、その時までは思っていた。本当に存在するはずはない、空想上の産物なのだと……恐ろしい殺人鬼の別称か何かなのだと、そう、思っていた。

『喰種【グール】』、日本では「屍鬼」と書くゾンビなどの別称。それを捩り、「人を喰べる、人では無い新たな種類」ということでつけられた喰種は、私の兄だった。

だったが、それだけで私の心が変わってしまったわけではない、そして兄の心が根本から全てそんな化け物になってしまったのかというと、そういう訳でもなかったのだ。

兄は、私の大好きな兄は、「人を喰べたい」という強烈な空腹感と戦っていた、部屋の隅に居座る兄は私の存在にいち早く気が付き、その口を開け…床に思い切り自分の顔を叩きつけたのだ。

ゴンという鈍い音が聞こえた、私は悲鳴をあげそうになったが、兄の声を聴いてその喉から出かかったものを飲み込んだ。

 

「にげ…ろ」

 兄は…何処まで、私の兄であろうとするのか、知っていた…兄が本当の私の兄ではないことくらい。以前、夜に目が覚めた時に両親が話していたのを聞いてしまった。それなのに、兄は兄のままで…こんなに苦しい状態でも兄は私の事を思い、私を絶対に食べまいと自分自身を痛めつけていたのだ。涙がこぼれた、兄をこんな状態になるまで気が付くことが出来なかった自分を恨んだ。いつもいつも私のわがままに付き合ってくれ、少ないお小遣いを使って私の服やアクセサリーを買ってくれる兄に、いつしか私は負い目を感じていたのかもしれない。

兄は私の事をどう思っているのか、もしかすると要らない子だと思われているんじゃないだろうか。

兄に甘え過ぎていた私は、兄がおかしくなってしまって初めて、自分のしてきたことに気が付き、兄にどう見られていたのかが酷く気になってしまったのだ。

大好きな兄に嫌われてしまっていたのなら、それに気が付かず何年も過ごしてきたのなら、私は兄にとって目の前をうろつくハエ以下の邪魔ものでしかない。

だから…だからせめて、いままで兄が私にしてくれた分の感謝と謝罪をしようと、最後の最後まで私の兄でいてくれた音把に、私も最後まで音把の妹として兄を救ってあげたかったのだ。途轍もない苦しみから、解放してあげたかった。それが、その行為が後の兄の心をどれほど傷つけてしまうかも分からずに、私は自分の肉を差し出したのだ。

部屋に散らばっていたカッターナイフの刃で自分の手首を、目をつぶって思い切り、切り裂いてから溢れ出る自分の血を肉を骨を、飢えに苦しむ兄にささげた。これが、今まで兄にわがままを言い続けた、生意気で蟲以下な私の出来る恩返しなのだと思っていた。私の命で兄が救えるのならば、少しは兄は私の事を好きになってくれるのだろうか…と。

兄が…何のために、私を食べずに今まで我慢していたのか、何のために、私のために時間を作ってくれていたのかを……その時の私は何も知らなった。知らなかったのだ!!

 

「う、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」

私の肉を食べ、正気に戻った兄のあの……この世に絶望したような叫びと、私に向けられた涙が……忘れることが出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は…愚か者だ」

 




本日もご愛読ありがとうございました。
今回は幸途鈴音の過去編という事で楽しんでもらえれば幸いです。
ここから物語はゆっくりと、原作の方へと近づいていきますのでお楽しみに。

脱法狸さんが、この小説の主人公の絵を描いてくれました、ありがとうございます。
【挿絵表示】


2015/4/1  合併修正

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