東京喰種[滅]   作:スマート

27 / 36
#019「羨望」

 「……幸途さん遅いなぁ」

 20区のあまり人の往来が少ない通りにある映画館の前、差し込む熱い日差しに眼を細めた私は、肌から流れる汗を拭いながら、じっとそこに立ち尽くしていた。目じりに残る涙の痕を拭いながら、初めて出かけた日にだらしない姿を見せてしまったと、心の底から吐き出すようなため息をつく。

最近、ホラー映画に弱くなってしまったのかもしれない。こういう場合、「きゃあ、怖い―」などと黄色い声を出して男に抱き付くのが常套だと依子に教えて貰ったのだけど、いざ映画を見てみれば蟋蟀に身体を切り刻まれた痛みが、恐怖が体中からせり上がってきてとても声を出すどころの話ではなくなってしまったのだ。

体中の筋肉が震え出し、血が噴き出るシーンが自分の内臓が喰われていく光景と重なり、脂汗がとめどなく溢れ出てきた……トラウマという奴だろう、本当に情けない。冗談じゃなく本当に幸途さんにまた慰められることになるとは思いもしなかった。

「ふふ……」

まだ仄かに身体に染みついた幸途さんの匂いを確かめながら、まあそれも悪くなかったと開き直ってみる。

 

 初めて出会った時に、初対面の私に対してまるでそうすることが当然の様にそっと胸を貸してくれ、あまつさえ喫茶店にまで自分の我がままを聞いて送り届けてくれた幸途さんに、私は段々と惹かれてしまっていたのだろう。

父親に先立たれ、弟に逃げられてしまった私は、独りだった。それこそ心にぽっかりと大きな穴が開いてしまったかのように、どうしようもない虚脱感にかられていた。

喫茶店でのバイトも身が入らず、何時もどうしてどうしてと自分自身をそして自分の前から去ってしまった父や弟の事を考えてしまう毎日で気が滅入ってしまいそうだったのだ。だからと言って大切な家族の事を例え離れ離れになったとしても、嫌われたとしても忘れることが出来なかった。…いや忘れたくなかった。

喰種は親戚等の血縁関係が人間に比べて極端に少ない、それは弱い喰種からCCGの捜査官や同族である喰種に食べられてしまうからだ。だからこそ血縁という広く大きな関係があっても、すぐに間引きされて数が減ってしまう、そのため多くの喰種は家族を大切にし、自分の子供を命を懸けても守ろうとするのだと芳村さんに教えて貰った事がある。

私のお父さんも優しい人だった、寝る前には絵本を読んでくれたり人間の暮らしの中で生きていく術というものを簡単にさり気なく教えてくれたりもした。結局最後には私たちの前から姿を消してしまったけれど、お父さんはきっと家族の事を愛してくれていたのだと思う。

私も弟も反対にお父さんの事が大好きだった……考えれば考えるだけ昔の楽しかった思い出が浮かんでくる。怪我をした小鳥を育てていたり、その餌のためにミミズを沢山とったりしたこともあった。

懐かしく悲しい、もう二度と戻ることが出来ない過去の思い出は、脳裏に焼き付いていつも私を締め付けてくるのだ。

そんな時だった、私は13区に自分の弟がいるかもしれないという噂を聞いてしまった、好戦的で羽赫の若い喰種が暴れまわっているという曖昧な情報を元に、居ても立ってもいられなくなり芳村さんの静止の言葉に「私の邪魔をしないで」などと癇癪を起こしてそのまま駆け出してしまったのだ。

もう一度、弟に会う機会はこれを逃せば二度と巡ってこないかもしれない、その焦りが冷静さをかくこととなり、最悪の結末へととながったのだった……

13区へやって来た私はそこで、どうやって弟を連れ戻す……どうやったら私の元へ弟は戻ってきてくれるのかそれだけを考えていた。例え再開出来たとしても、あの時の様に私に裏切られたと感じてしまったままだったのなら、きっと前の繰り返しになってしまう。

また、人間や喰種を何度も襲う好戦的な生活を送れば、また弟は帰ってきてくれるのだろうか、焦りがまた私の心を可笑しな方向へと導き……たまたまそこにいた人間を私は襲ったのだった。

人間の中に溶け込むことを弟は嫌っていた、それは亡き父のように信頼していた人間にあっという間に掌を返されて殺されてしまう事を……恐れていたからなのか…それとも。

そして…私は「蟋蟀」に出会ってしまう。

13区において最凶とも言われる「共喰い蟋蟀」は、確かに粗暴で残酷でとても勝てる相手ではなかった、だけど私が一番怖かったのは蟋蟀に言われた言葉……「悪」。喰種は悪だと、人間を殺して楽しんでいる私たちは生きていてはいけない存在なんだと言われたことが、それを心の何処かで否定できないと思ってしまった自分自身が怖かった。

軽々しく命を壊し弄ぼうとした私は、きっと悪なだろう。弟の為などと嘯いてはそれは寂しい自分の心を埋めるためのエゴだったのだろう。蟋蟀の断言するような口調に不思議と私は引き込まれ、私は死を覚悟したのではなく、死を望んでしまった……

きっと、あの時私は蟋蟀が手を下さなくても、自分自身で止めを刺していたのかもしれない、この過酷すぎる運命から逃れる為に、今まで犯してきた人殺しの罪を清算するために自身の断罪を望んだのだ……

 

 それをあの一瞬で変えてくれたのが幸途さんだった、抱きしめられていた時、背中に負ぶわれていた時、懐かしいお父さんとの記憶が蘇って来たようだった。何物をも受け止めてくれるような太陽にも似た暖かい笑顔は、世の中の事が一切合財嫌になりつつあった、凍り付いていた私の心を溶かしてくれた。とっさにお父さんと口走りそうになって慌てて飲み込んだくらい、幸途さんはお父さんに似ていたのだ。

彼が喫茶店で働くことになったと店の店長である芳村さんに聞かされた時は、耳を疑ってしまった。嬉しかった、何も聞かずに私の事を…私が感じていることを察して慰めてくれたあの人が、自分の近くにいるという事が。

それからというもの私は幸途さんの事が知りたくて堪らなくなってしまった、暇さえあれば喫茶店の二階に足を運び、幸途さんと話すことが多くなった。幸途さんは、私が知らないような言葉や面白おかしいファンタジーの話を次々に話してくれたのだ、私は彼とその話に引き込まれていってしまった。バイトのシフトが入っていない日は、彼が仕事を終えるまで彼の部屋で待っていたこともある、扉を開けて入って来た幸途さんの驚いた顔は忘れられない。渋い顔をしながらもやれやれと笑顔で私を許してくれる彼の事が私は大好きだった!!

困った顔をした表情も、笑った時の表情も、どれもこれも写真に残したいほど輝いていた。

 

 でも……私は喰種、あいては人間…私の抱く思いがあの人に届くことは無いのだろう。打ち明けてもきっと通報されるだけ、いくら楽しく過ごせていた時間もその一言で一瞬にして無に帰ってしまう。

優しかった隣のおばさんも、私が喰種だと知ったとき……私や弟をまるで化け物をみるような軽蔑した眼をしていた。

あれが普通、人間は喰種を怖がり怯えて逃げるだけ、食べる側の存在と食べられる側の存在が仲良くなるなんて絶対に有りえないのだから。…幸途さんも、きっと私が喰種だと知れば、私の大好きなあの笑顔を……消し去ってしまうのだ。「この野郎、よくも騙したな」と私をののしるのだろう。楽しかった事も、抱きしめられた嬉しさも、過去の思い出に成り下がってしまうのだ。

炎天下の空の元、私は肌をかすめる血の匂いを嗅ぎながら、どこかで人間を襲っている喰種を思い浮かべて、自分(喰種)という存在を嫌悪した。

 

 

そういえば幸途さんは、私が側に行くとよくお腹を擦っているがあれはどういうことなのだろう。

 

 

 

 

                   ・

 

 時間とはとても長く感じる時もあるが、反対にとても早く感じる時もある。それこそ世界が一定の速度で回っていないのかもしれないと錯覚してしまう程に。時の流れ程不確かでとても人間という不確かな感覚ではとても正確につかむことが出来ないものはない。

あれほど凄惨で、心の芯に焼き付くような酷い出来事も時が経つごとに少しづつ、本当に少しづつだが色褪せていってしまうのだ。両親が喰種に殺された悲しみも、私の兄が豹変してしまった途惑いも、全て昔懐かしい思い出として過ぎ去った過去の出来事として処理されてしまう。今とはこの一瞬であり、その一瞬も数秒と待たずもう過去のものとなっている。

大好きな私の兄は、兄と成ってくれたくれた人は今もどこかで私のために、私に対する勘違いも甚だしい罪の意識から喰種を狩り続けているのだろう。喰種でありながら、その主食である人間を食べずに喰種のみを好んで食べ続ける兄はきっと無理をしている。

CCGの捜査官になって他の人よりはまだ日が短い私だが、座学に関しては他の追随を許さないほど、暇さえあれば資料室に籠りきりになって頭に詰め込んで来た経験がある。だからこそ喰種が喰種を食べるという共喰いが、捕食者本人にどれだけの精神的ダメージを与えるかも理解しているつもりだ。

赫者……私もまだ数えるほどしか相対したことのない相手だが、その多くがどれも一般の喰種から見ても常軌を逸していたのだ。話も何も通じないただの殺人マシーンに成り果てていた喰種もいた、あれは恐らく同族を喰らう事で起こる体の変化に、喰種としての精神が浸食されて起こる現象なのだろう。強化される肉体に増強される本能……その辺の喰種はそれに耐えられないために、狂ってしまう。

 

「私の兄に限ってそれは無いと思うけど……」

CCG本部にある沢山の資料が積み重ねられた机に座って、私は湯気が出るコーヒーのカップに口をつけた。兄は自分に厳しく、そして他人にとことん甘い人だった。それゆえに自分だけで何か重いものを背負ってしまいがちになってしまう。あの日も私を護るために部屋に閉じこもって自分の本能と戦っていた。

何物にもへこたれない意思の強さなら誰にも負けることは無いだろう、兄は柔軟な考え方を持っているが決してそれは本質までを変えてしまうモノじゃない事を私は知っている。

どんな時も、誰かのために…誰かを護るために自分の意思を貫き通してきた兄…でも、だからこそ心配になってしまうのは私がおかしいからなのか。あり得ない……そう思っていた歪みがもし、あの兄を喰種の闇に陥れた時、兄は…一体どうなってしまうのだろうか?

人間を食べることをしない兄の中に蓄積されたストレスは、並の喰種のものではない。今でこそS級として登録されてはいるが、それは人間への被害度を含めた数値も含められる。純粋な強さで測るのならば彼はもうSSの領域に足を踏み入れているのだろう。

SSレートの赫者、想像するだけで怖気が走る響きだが……加えて兄にはその溜め込んだ大量のストレスがある、2つの要因がもし何らかの偶然で重なり兄が赫者に成った時に正気を失いでもしたら…

爆発するストレスと赫者の狂気が混じり合えば、とんでもない化け物が産まれる…それはもう誰にも止められない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「杞憂…だと思いたいけど」

 机の上に置かれた大きな地図には、細かくこの東京20区の全体が映し出されていた。「美食家」そして最近「大食い」が目撃されるようになったこの場所に兄…「蟋蟀」までやって来た。まだ正確な行動の数値化はされていないが再び動き出し始めた大規模喰種集団「アオギリの樹」、ナリを潜めるように此処数年姿を消したSSクラス喰種集団「ブラック・ドーベル」に「魔猿」率いる猿のマスクを付けた一派までも不確定な目撃情報が数件寄せられていた。

何か嫌な予感がする、この先…2年、3年後に何かが起こる、悪意渦巻き始めた比較的平和だった区で絶望の種が…芽吹き始めようとしているのかもしれない。不安が新たな不安を呼び、柄にもなく私は机の引き出しから取り出した写真にそっと唇を当てた。

線の細い身体に映える笑顔が眩しい顔が、CCGに入ってからの生活でいつも困った時の私の支えになって来た。孤児院で行われる剣道の試合の決勝戦も、初めて挑んだSレートとの戦いの時も…

その兄はこの世にいる全ての喰種を自分を含めて殲滅する、そしてその自分への止めを私にして貰いたがっているようだが、常識的に考えてそんな事が私にできるはずもないだろう。その辺にいる血に飢えたカスな喰種ならいざ知らず、10年以上もの日々を共に過ごしてきた家族を例え人類を脅かす喰種だとしても殺す事ができるのかという話だ。

口では兄にあんな事を言っしまったが、私はきっといざその時がきたら手が震えてしまって何も出来なくなってしまうのだろう。人類の敵であり絶対に倒さなければならない喰種を何十人と殺してきた捜査官としてあるまじき事だが、逆に問う……誰が私を責められるのかと。自分が育った家の大切な家族を、最後の血の繋がりはないが心で繋がった肉親ををどうして殺せよう?

「でも……殺さなければ話にならない」

私は頭を振ってその考えを消し去った、軟弱な考えはまだ私はしてはいけない、それは全ての喰種をこの世から絶滅させてからする事だろう。二度と私や兄のような不幸の連鎖を生まないために、喰種と人間の不毛の連鎖を断ち切らなければならないのだ。私の敬愛する白髪の上司も愛する妻を喰種に殺されてしまっている、CCGの運営する私もお世話になった孤児院には、今も大勢の親を殺された子供たちが収容されてきているのだ。中には私以上に喰種による過酷な現場を見て、心が壊れてしまった子供もいた。

何を考えているのか分からない虚ろな眼をしている過酷な運命を背負った子供たち、だが彼ら、彼女らは「喰種」という言葉に過剰に反応する。その言葉を聞いてしまっただけで泣き出してしまう子供もいれば、とても子供に似つかわしくない憎悪が込められたギラギラとした眼を見ているとやるせない気分になる。

死んだ者の気持ちは二度とわからない、だけれど生きている者、取り残された人間の気持ちは言葉にしなくともその眼を通すだけで伝わってくるようだった。痛かっただろう、苦しかっただろう、辛かっただろう、悲しかっただろう、寂しかっただろう…そして何より自分の大切な家族を殺した「喰種」が憎かっただろう。

憎しみは人間という種を動かす上でこれ以上ない動力源となる……小さいころに蓄積された憎悪は日を追うごとに「喰種」の凶暴性を知るごとに大きく強くなっていく。数多く喰種を殺し表彰された捜査官の胸の内にあるものは、褒められたことによる愉悦ではなく、もっと憎き喰種を殺してやりたいという復讐心なのだ。

復讐は…駄目だ、喰種にも残念ながら感情がある。感情あるものが互いの復讐をぶつけ合ったなら、それは2つの種族どちらかを滅ぼし終えるまで永久に終わる事のない、不毛な争いに火をつけることになり兼ねない。……結論として喰種は人間が居なければ生きることが出来ないために、どちらが勝とうとも喰種は滅びる運命なのかもしれない。

生命の命をただ何の気なしに潰し刈り取っていく喰種は私にとっても、この地球上にいる全人間たちにとっても「悪」だ。

悪の芽は……生える地面さえ根も残さず抉り取ってやる!!

その為には……私は例え自分の大切な兄であろうとも、殺さなければならない。

 

 空になったコーヒーカップをソーサーの上に戻し、ため息をついた私はいつの間にか拳を握りしめていた事に気が付いた。汗ばんだ手のひらには薄らとだが覚悟と決意に塗れた鮮血が滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大丈夫、その時は私も一緒に逝ってあげる……

 

 

 

 

 




はい、今回は董香視点と鈴視点でお送りしました、覚醒蟋蟀の状況を期待していたみなさんすいません。
次回は恐らくその蟋蟀が大活躍?します。
ご意見、ご感想をお待ちしています。些細な事でもいいのでドンドンください!!
2015/4/1  合併修正

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。