東京喰種[滅]   作:スマート

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#003「捕食」改訂版

「ひ…いやっ…来るな…来るなく…ああああああああああああ!!」

 

 狩る事になれてしまった喰種は、総じて狩られる側に回ったとき、あっけなく理性が崩壊し汗と涙まみれの顔になってしまう。

 だらしがない、生き物を殺し、自らを生きながらえさせているのなら、何時か自分が他者の糧になる日が来てもおかしくないというのに、皆その覚悟が足りていない。

 

 自分は一生狩る側なんだと息巻いて、恐怖から必死に逃げる人間をまるでゲームのように追いかけて遊ぶ喰種もいた。

 これがもし人間の感性ならば、食べ物で遊んではいけないと拳骨の一つ落ちていたところだろう。

 

 そして、自分が少し人間から見て強いからと言って油断する喰種の多いこと…

 これではいつも自分が狩られる側だと心に秘めて戦っている、愛しいCCGの皆さんの方がマシじゃぁないか。油断しないだけ、喰種と違い弱くてもどこかで必ず起死回生のチャンスが巡ってくる。

 

 そうやって勝歴を連ねてきたCCGの捜査官を僕は何人も知っていた。

 重要なことは、どんな状況にも絶対に逃げたりせず必死に食らいついて諦めないことだ。

 生きるという行為を諦めてしまった瞬間、その生物はもう生き物として死んだも当然なのだ。

 

 だからこそか、もう足を捻って転び、再び立ち上がる気力すら残っていない少女の、悲壮に満ちた泣き顔を見ていると…イラついてくるのは。

 弱々しい姿、まさか自分がこんな目に遭うなどと、昨日の夜には全く想像していなかっただろう顔。

 

 それがどうにも僕の心をかき乱し、余計に喰種を食べたいという、奥底からくる本能を呼び起こさせる。

 早く、早くと僕の胃が叫び声をあげ、一足先に胃酸を分泌し始めた。

 

 息をすれば、少女の汗の臭いが嗅覚を最大限に刺激し、口一杯に唾液を溢れさせる。

 だが、それでもあくまで僕は前座を優先させ、空腹を後回しに、少女をいたぶることを続ける。

 

 食用になる豚や牛は、高級なモノになるほど、マッサージを欠かさず行うという。

 それは、肉の凝固、筋肉の健を少しでも柔らかくし、口答えを良くするためだ。

 

 僕が行っているのも、やり方こそ違えど、似たようなものだ。

 絶望し、恐怖心を抱いた肉は、最高のスパイスとなって、舌触りを良くしてくれるのだ。

 少女が死へ絶望し、それでも生へ渇望することで見せる人間性が、最高の肉への調味料へと変わる。

 

「もっと逃げろよぉ!もっと叫べよぉ!

死ぬのが怖いだろぅ?痛いのが怖いだろぅ?

だったらもっと精一杯、生きることに執着して足掻いて見せろぉ!」

 

 人間のように、欲にまみれた頭の良い、だが肉体は極めて脆い人間のように…

 泣け、叫べ、苦しめ、悲しめ、恐れろ、おののけ、僕のもっと君の人間らしい所を見せてくれよ。

 

 さあ…もっとその君の可愛い悲鳴を聞かせて頂戴?

 

「やめて…何、するの!?」

 

段々と反応の鈍ってきた少女、怯えて呂律も回らなくなってきている少女の頭を、スニーカーの踵で踏みつけ、コンクリートに勢い良く打ち付ける。

 

「がう……っ」

 

 地面に打ち付けた頭が、今度はバウンドしないようにしっかりと、足の踏む力を強くする。

 後頭部が固いコンクリートにぶつかった衝撃を、もろに受けた少女は、赤い眼から血のように真っ赤な涙を流し、グルンと白目をむいて小刻みに何度も何度も痙攣を繰り返した。

 脳が先ほど以上に揺らされ、しかも出血や空腹という要因が二重に重なり、少女の精神はブラックアウトしてしまったようだった。

 

 

 割れた頭からじわりと血液がコンクリートへと広がっていくが、それでも流石に喰種と言うだけあって死にはしない。

 矢張り弱り切っているためか、他の喰種に比べ傷の治りがかなり遅いが、それもまた許容範囲内だ。

 どこぞの爬虫類顔のように拷問が趣味と言うわけではないが、こういう風に苦しそうな顔みるとどこか癒された気分になるのは否定できない。

 

 

「まだ気絶しちゃぁいけませんよぉ?

もっと、もっと君には良い悲鳴を聞かせて貰わなければいけないからねぇ」

 

 サッカーボールのように、靴の先端で少女のこめかみを蹴り飛ばすと、少女の身体全身が電流でも走ったかのように、大きく痙攣した。

 

 起きる気配の全くない少女に、ふとするともう死んでしまったのではないかと左胸に手をおけば、辛うじてまだ生命の鼓動が続いていた。

 大分、音が小さくなりつつあるが喰種の分、まだまだ人間よりは余裕がある。

 

 どうせ僕に食べられる命なのだし、もう少し悲鳴をあげて欲しかったが、希望と現実は食い違うものだ。

 ディナー前のショーはそろそろお開きにして、そろそろ本番としようか。

 改めて少女の身体を観察してみると、本当に美味しそうで綺麗な、良い肉付きをしているではないか。

 色々な戦闘をくぐり抜けてきたであろう少女は、全く贅肉がついておらず引き締まった身体に、少女らしい丸みを帯びた形がまた堪らない。

 

 コンクリートに垂れた血を指ですくって嘗めてみれば、高級な血酒よりも美味しい、絶品とも言える味だった。 ただの漏れ出た血でこれなのだから、本当に肉を食べればいったいどんな美食が待っているのだろう。

 

 

溢れ出る唾を飲み込み、まずはと小さく白い手を握り、背中に生える触手のような赤い赫子で突き刺して切断する。

 

ゴリ…グチャッ…

 

 肉の切れる音、血飛沫のが飛び散る音が聞こえ、最後に骨の折れるひどく鈍い音が響く。

 

 一般的な喰種は、その種族名が示すように、人間を襲って自分が生きるために必要な糧とする。

 それは彼らの趣味ではなく、人間以外を食すことが出来ないと言うだけ、味覚の異常性と、体構造に由来する。 喰種は人間、人間の体内に含まれるRc細胞を摂取することで、その強靭でタフな肉体構造を維持することができる。

 

 骨を折られても、肉を裂かれても、心臓を握りつぶされても、人間の…Rc細胞の無限の供給があればそれこそグールのように蘇り、再び動き出す。

 もっともそんな喰種も頭と身体を引き離されたり、急所である背中の器官を損傷したりすれば、いくらRc細胞があろうとも、死んでしまうのだが。 だが、そうして人間を殺さなくてはいけない喰種は、自分達と同じ喋り知性を持つ存在を殺すという事を多々行うことで、命への観念が薄くなってしまうのだ。

 

 これは以前出会った喫茶店の店長の受け売りだが、「喰種は自分への人殺しの責から逃れるために、何も感じないようになっていく」のだという。

 そう、そして僕もその例に漏れず、本当に不本意きわまりないが喰種の為、空腹時の飢餓感は凄まじく、何度か理性を失いかけたことがあった。

 

 喰種の主食が人間なら、僕は理性が切れた瞬間に、大好きな人間を襲ってしまうかもしれない。

 だから、僕は、人間で腹を満たす代わりに、喰種で腹を満たすのだ。

 

 幸いにも、Rc細胞は同種を襲うことでも摂取することが出来るので、強烈な空腹は収まってくれる。

 

 そして、そんな共食いの影響からか、僕の身体は喰種を見れば、人間を見たときよりも食欲が喚起されるようになってしまっていた。

  

「ではその、何人もの人を殺めてきた愚かな右手から、頂く事にしましょうかぁ。

うううん、この臭い、この血と汗の混ざり合った、この臭いが堪らないなぁ!」

 

 黒く丸い形をしたマスクを上へずりあげ、僕は切り離された少女の可愛らしい手のひらを、大きく開いた口に入れる。

 歯で肉を潰し、骨をすりこぎ機のように潰していくと、口一杯に何とも言えない至福の美味しさが広がってきた。

 

 脂肪臭くない、まったりとした風味の血液に、若々しい引き締まった筋肉の健…

 そして骨からは、噛めば噛むほど濃厚な甘みと、動物的なほろ苦さがにじみ出してきて止まらない。

 

「美味しい!」

 

 気付けば僕は叫んでいた。

 この少女の肉体は、今まで食べてきたどの喰種よりも深く、味わいの深いモノだった。

 人間の味覚で例えるのなら、そうだ…五星ホテルのフランス料理のフルコースを頂いている気分というのか。

 

 キザな美食家では無いにしろ、衝動的にトレビアン(素晴らしい)と叫びたくなってしまった。

 

これは、止まらない…

 

グチャッ…ガリッ…グチュッ

 

 肉を裂き、骨を砕き、鮮血を啜る、僕としたことがあっと言う間に、少女の右腕を食べてしまったのだ。

 喰種としての本能をある程度制御出来るようになった今でも、我慢できないことがあるのだから恥ずかしい。

 

 触手のような僕の赫子を次に、左腕をもぎ取るために伸ばしたところで、少女が目を覚ました。

 

「あ…うっで? あ、あああう゛ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 眼を開けた少女は自分の無くなった肩から先を見て、唖然と口を開け、やがて襲ってきた痛みに雄叫びのような悲鳴をあげたのだった。

 

 人が人を食べるという共食い行為を、カニバリズムという。

 「共食い」とは本来生物学的には、本能の観点から避けられてしかるべき行為なのである。

 種の保存本能において、悪戯に個体数を減らすという事が、どれほど愚かで先を見ない行いであるかは、明白である。

 

 だが、ある種類の動物は、同種が同種を食すという行為を、一定の条件下において頻繁に繰り返すのだ。

 その代表例が昆虫である。

 昆虫は、餌の不足という極めて貧困な状態にのみ、近くにいる同種の昆虫を襲い、自らの生きる糧へと消化する。

 

 だが、これは本当に餌が限られた状況下、という明確で厳しい条件が無ければ、絶対に行われないことだ。

 ……しかし、その例にも必ず例外というものは存在する。

 コオロギ科の昆虫は、主に雑食性で大食いであり、仲間の死体であれども、躊躇なく食すのだ。

 

 動かなくなった仲間など、自分の腹を満たす料理でしかないというように……

 喰らい、自分の子孫へとその遺伝子を繋いでいく。

 

 

 この僕のかぶっている面…コオロギのマスクも、僕の通り名が広まってからあるマスク職人が作ってくれたものだった。

 あの男は少しひねくれたところがあり、そのマスクを作ってもらう人物の本質を理解した、本当に皮肉なマスクを作ってしまう。

 共食い行為を主として、使命にしている僕にとって、コオロギはある意味ぴったりのマスクだった。

 

 貪り喰らうという面においても、コオロギに準ずる部分があると、自分でも苦笑いが浮かぶ。

 こうして中学生くらいの幼い少女の肉体を、高級ステーキのように少しずつ削り取って、口へと運んでいる僕は、コオロギに似ているのだろう。

 

 まあ、だからと言って僕は共食いを止めるつもりはないし、かといって人間を襲うつもりも毛頭無い。

 13区に飛び跳ねる蟋蟀は、獲物を見つけて今日も今日とて襲いかかるのだ。

 

「う…あ…あああ…」

 

 虚空を見つめ、腹を切り裂かれ、一切れずつ内蔵を削られていく少女は、もう痛みでさえも感じていないのだろう。

 腹を開かれた時点で人間なら死んでいるが、そこは喰種…Rc細胞の許す限り生命機能は持続し続ける。

 これが本当の生け作りかと思いつつ、細長い小腸を数センチ切り取って酒のつまみ感覚で口に放り込む。

 

 意識は朦朧としていたが、まだ多少は生きているのか、条件反射的に、僕が内蔵にふれると怯えたように呻き、赤い涙を目から頬へ伝わらせる。

 僕がまだ少女を生かしたまま、肉を貪っているのは、死んでしまえば味が落ちてしまうと言う一点に他ならない。

 

 生きたまま、Rc細胞が循環し再生しようと蠢く内蔵を、その瞬間に切り取って食べる。

 すると新鮮で濃厚な血の旨味と、出来立ての肉特有の柔らかい感触が、口一杯に広がるのだ。

 

 再生が滞った切り傷は、かっぽりと無数の内蔵を晒しながら、月に反射してヌラリと光っていた。

 腎臓、肝臓、膵臓、胃、小腸、大腸、肺…そして心臓に子宮。

 少女の体内に存在する内蔵という内蔵を血の一滴も残さず食べていくことが、生きながらにして食べられるという事が、どれほど僕の愉悦になり、少女の心を壊していくのかは計り知れない。

 

「い…や、も…ゆる、て」

 

 息も絶え絶えに吐き出された懇願も、残念ながらそんなもので僕の食欲が治まるわけもなく拒否されてしまう。

「よぉく考えて見てくだいよぉ、君が今まで殺してきた、食べてきた人間たちはいったいどんな顔で、死んでいったんだろうとねぇ?

多分、今の君とあんまり変わらない、醜く歪んだ顔を晒して居たんだろうねぇ。

プライドをかなぐり捨てて、君へ懇願し容赦なくそれを否定し、命を簡単に奪ってきた訳だぁ。

後悔、罪悪感?

そんなの君にあるはずが無いよねぇ、そこに転がっている人間の可哀想な死体が、ソレを証明しているよ。

君は、悪鬼羅刹とおんなじだ、殺人者だ…」

 

 黒い髪をつかみあげ、辛そうに歪んだ顔に向かって罵声を、喰種としての醜い欠点を突きつける。

 そうすれば、例え心を消し去った冷徹な喰種であっても、産まれたばかりの純粋な罪悪感を取り戻すことができる。

 自身の死を経由して、他者の痛みを知るということだ。

 

「あ……ううっ」

 

 今の自分が置かれている状況は、今まで自分が人間に対してしてみたこと。

 そう説かれれば、この状況で誰も何も言い返すことができなくなってしまう。

 

「さあ、闇の生き物[喰種]よ、か弱き神の子人間に代わって、君を裁いて(捌いて)あげよう」

 

 少女の身体をほぼ半分ほど食い尽くしたところで、僕はそう告げると、もう話は終わったとばかりに、赫子を動かして少女の頭に押し当てた。

 少女は自分の行いを懺悔出来るようになった、傲慢さが消え、人間のようなか弱き純粋な心を取り戻した。

 なら、最後の仕上げだ…

 

 痛みを感じる暇もなく、脳をミキサーにかけたようにグチャグチャにかき混ぜてやろう。

 そして、そのあとで死んだ少女の生肉を全て僕の腹の中に収めてやるのだ。

 

「さあ…っ!?」

 

 伸ばした赫子が少女の頭に触れるかという瞬間、急に一陣の風が吹き荒れたのだ。

 途端に路地裏に漂う臭いにも変化が訪れる。

 血の充満した鉄分の臭いではなく、あっさりとしたほろ苦い香ばしさを滲ませるコーヒーの臭い。

 この臭い…どこかで嗅いだことのある、肉とはまた違う旨味を感じさせるものは…まさか。

 

「芳村……さん」

 

 瀕死の少女の呟きにいち早く反応した僕は、少女へ向けた赫子の向きを変え、真後ろに現れたもう一つの気配へと伸ばした。

 

 後ろを…取られた。

 それは第一の危険信号だ。僕も喰種としてはそれなりに強い方だと自負している。

 少なくともそこらの雑魚や、中堅ごときには傷を負うこともなく、余裕で勝つことができる。

 

 その僕が、臭いが届く距離まで近づかれないと気配に気付くことが出来なかったと言うのは、いささか異常である。

 自惚れるつもりはない、ただ的確自己判断で考えた結果だ。

 眼を閉じ、意識を集中させれば、相手の呼吸音でさえ、何メートルも離れた人間の足音でさえ聞くことができた…

 

 それが、まったく捉えられなかった。この事実が意味することは、つまり格上…

 僕と同等か、それ以上の新手がやってきたという事を示していた。

 

 伸ばした赫子はだが、何かを貫いたという感触はなく、堅い何者かに当たって止まってしまう。

 これは、不味い…確実にレベルが違う相手だ。

 喰種は全てイートする野望を持つ僕も、闇雲に力の差を考えず敵に挑むほど馬鹿じゃない。

 

 実力が違うのなら、潔くその場から撤退し、後日また実力をつけ狙えば良い。

 焦る必要はない、今問題にすべきなのは、この背後の人物から、どうやって逃げ切るか、だ。

 

 予想では、この人物は僕が倒し喰らった少女の知り合い、という線がもっとも高い。

 喰種は人間に対して圧倒的だが、対喰種に関しては、ただの個でしかない。

 

 隔絶された差は彼らにはなく、純粋な才能と磨き上げた肉体のみがものを言う血みどろの世界だ。

 そしてCCGの捜査官もまた、レベルが違う化け物が多数、存在している

 だからこそ、喰種は自らに迫る火の粉を振り払う為に、一定数で徒党を組み、集団で行動する事があるのだ。

 

 この僕の後ろを取った喰種は、その徒党の集団のリーダー格なのだろうか。

 

「ふうん…君が13区の蟋蟀君かい?」

 

 しわがれた…それでいてしっかりと芯の通った男の声。

 気付けば黒く丸い帽子を被った、初老の男が人の良い笑みを浮かべて、僕の赫子を素手で受け止めていた。

 有り得ない、等とは思わない。僕が戦った事のある漢字一言で喋る、筋肉隆々の喰種などは、腕で僕の赫子を止めていた事もあった。

 

 だが、流石にあの「疾っ!」男であっても、僕のひと突きで喰種を絶命させるほどの威力を込めた赫子を、あっさりと受け止め、なおかつ傷つかずに立っていられるだろうか?

 答えは否だ、あの男がコクリアにぶち込まれる前に戦った時には、この赫子を受けて無傷とは言えない程のダメージを受けていた…

 

 そして、この攻撃を受けて無傷な人物を僕は、記憶の中に一人しか覚えていなかった。

 

 

 

 

 

「この子はまだ先があるんだ、未来ある若者の命を積むのは、少し待ってはくれないかな?」

 

 「芳村」下の名前は聞いたことがないが、この区において喫茶店を営んでいる喰種だ。

 あまり聞き慣れない名前ながら、彼の異名を知るものは多い。

 かのCCG本部と大戦闘を行い、何十人もの特等捜査官相手に善戦したとされるレートSSSの異例の喰種。

 

 人間でありながら喰種をも上回る才能と技能を持つ、あの人間にして人外、有馬と戦った喰種だ。

 

 

 闇に生き、白き翼を広げる最強の狩り人の名を「梟」という…

 命を刈り取る恐怖が、僕を久しぶりに包み込んだ。

 

 

 黒く丸い帽子を被った初老の男は、少し意外そうな顔で、僕の顔をまじまじと見つめてきた。

 本当に優しそうな顔をしている男だった、僕という敵を前にしても笑みを絶やさないのは、余裕の表れなのか。

 何れにしても、僕はこの梟よりは格下であることには違いない。

 逃げるにしても、まずこの男に追い付かれないように、彼の注意を反らすことが何よりも先決だった。

 

「君は…どうして喰種を襲うんだい?」

 

 観察されている、だがそのニュアンスは偵察ではなく、僕に対しての憐れみに思えた。

 それが逃げようと思っていた僕の足を止めてしまう。苛ついたのだ、勝手に僕を分かろうとしてくる相手に…

 

 紡がれた言葉も、またかと思うような、聞き飽きたものだった。そんな質問は昔からされ尽くされているものだ……

僕は理解されたくないと言うのに、初老の男は僕の言葉を待っているかのように静かに口を閉ざしていた。

 

 

「どうして喰種を襲うかぁ?

決まっているじゃないかぁ、喰種が僕のか弱く愛しい人間を壊してしまうからだぁ。

だってぇ…嫌じゃないか、自分の大好きなものが、目の前で僕から取り上げられてしまうのは…」

 

 眼に焼き付いたあの記憶、大切な僕の親友が、喰種によって見るも無惨な肉塊へと変わっていく様は、地獄でも見ているようだった。

 楽しかった日々を、僕から大切な友人を奪っていったのは、いつも喰種だった。

 

 「喰種は悪だ、生きていてはいけない存在だぁ…もちろん僕も」

 

「…自虐的だね、だけどね、喰種も生きているんだ。

ちゃんと呼吸して、今を生きたいと、しっかり鼓動を響かせている。

君はこんなに幼い少女の命を、ただ喰種だからという理由で奪うのかい?

 

それなら、私怨で喰種を殺すというのなら、それは殺人鬼と同じだ。

恨みで動く殺しは、非生産的だとは思わないかな」

 

 喰種は明日を生き残るために、人間を喰らう。何故ならそれ以外を食べることが出来ないからだ。

 人間の食べる食料が、喰種にとってとんでもなく不味く、食べれば腹をこわしてしまう。

 

 確かに、生きるために他者を食い物にするという考え方は、自然界において一般的ではある。

 だが、僕はそれでも喰種を許すことが出来なかった。

 動物ならばそれは自然に弱肉強食になっただろうが、アレはどうみても殺害だ、快楽殺人だ…

 

 友人を目の前で食べられたという残酷なことを平気で行える奴らが、仕方なく人間を襲っている?

 本当は襲いたくない?

 

 ふざけるのもいい加減にしろ、喰種は悪だ、害悪だ。

 この世の中から一匹残らず駆逐しなければならない。

 あんな狂ったものの考え方を持っている、知的生物をこれ以上陸上にのさばらせてはならないのだ。

 

「…なら、どうして君はこの子を殺さなかったのかな?」

 

「な、にを?」

 

 怒りで拳をふるわせていると、思わぬ方向から、言葉の矢が飛んできたので僕は、とっさに言葉が出てこなかった。

 今、梟は何といった?

 誰が誰を殺さないだって?

 はっ…この僕が今まで出会ってきた喰種を一度でも生かして殺したことがあっただろうか。

 そんな事は一切、情の欠片も一片たりとも見せず、一匹一匹潰してきたはずだ。

 

 そんな僕に対して、梟は何を呆けた事を言うのか…

 年月を重ねすぎた所為で、耄碌してしまったのかもしれない。

 

「傷を見ただけでも分かるよ、赫胞には一切傷が付けられていない。

喰種は赫胞が損傷しない限り、飢餓状態であっても、肉を摂取すれば息を吹き返すことが出来る。当然、知っているよね」

 

それは…ただ単に新鮮な肉を楽しみたかったからで…

 

「違う、君は真似ている。私は知っているよ、この子が受けた傷のと同じ傷を作り、人を狩っていた喰種を…

その喰種に受けた痛みを、そっくり真似ることで喰種へ恨みをぶつけているんじゃないのかい?」

 

「ち…がう」

 

 黒い帽子の梟は、僕に背を向け死んだように眠ってしまった少女の口へと、紙袋から出した、赤い塊を押し込んだ。すると目に見えて少女の血色は赤みを取り戻し、開いていた腹も、細胞が活発に蠢き塞がりだす。

 

 目の前で殺すはずの少女が、男によって蘇生されてしまっているというのに、僕は動けなかった。

 それ程までに、気づかぬうちに僕は男の言葉を受け止めていたのだ。

 

い、いや…違う!認めてはいない。

僕は喰種を食べる、その行為はどこも間違って等いない…

 

「そして、君は迷っている…このまま共食いを続けるべきなのか…止めるべきか」

 

「違う!!」

 

 そんな、そんな馬鹿な話があるだろうか、僕が喰種を食べることを、襲うことを戸惑っている?

 有り得ない!

 奴らは僕の友を殺した憎い憎い敵で、僕の大好きな人間の敵だ。

 

 

 そんな産まれながらにして残虐性を秘める悪を殺すことに、どんな躊躇が生まれるというのか……

 

 躊躇が、生まれるというのか…

 

 僕は…僕は僕は僕は僕は僕僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は!!!!

 

 そうだ、この男はそう言う「心優しい喰種」だ。偽善に塗り固められた善意を行使する、人か喰種どっちつかずの蝙蝠野郎。

 僕はこういうやたらと他人に同情する奴が嫌いだ。

 他人に対して感情移入し、同じ様に涙して「その気持ちわかる」等と軽々しく口に出す奴は大嫌いだ。

 

 同情するなら肉をくれ!

 そのお前の死肉を持って、僕への手向けとすればいい…

 

 僕から母を奪ったあの男のように、父を惨殺したあの狂った男のように、所詮は自分の掲げる正義で動く、偽善ヒーローだ。

 だが、世の中はシビアで弱者には途轍もない苦痛を強いる。

 

 そうだ、そうに違いない。それ以外にあり得ない。

 何故なら喰種は悪なのだから。

 

 そこの少女がそうだったように、僕も弱者ゆえに幾度となく殺されかけた。…偽善に、死ねと脅された。

 だから僕は、その場から逃げ出すことをいったん取り止め、自己理論に陶酔した正義論者に相対する。

 

 コンクリートの床に落ちた黒い光沢のある昆虫のマスクを拾い上げ、再び顔へ貼り付ける。

 

 理論が…僕の今まで作り上げてきた存在意義が、この男に出会ってしまった所為で、崩れていくことが怖かった。

 僕が今まで喰種に対して行ってきたことが、悪いことだと否定されることが怖かった。

 梟は…何十年も生きてきた人生の卓越者だ。当然、僕には及びも付かない知識を持っているだろうし、僕を断罪できるだけの言葉は知っているだろう…

 

 改めて手負いの少女を庇うように立ちふさがった男に向かい合えば、そのレベルの違いからくる威圧感に愕然とする。

 

 ああ…これは勝てないなと、心の芯まで思い知らされた。

 理論や技術の問題ではない、皮肉にも僕の中の喰種の本能が叫ぶのだ。

 これと戦ってはいけないと、蟋蟀だけに梟には勝てないと…

 

 だが…逃げ出すことは出来なかった。声をかけてしまった以上、それは僕から男に挑発をかけたという事になる。

 そんな僕が勝てないと見るとわき目もふらず逃げ帰っては、僕の喰種を食うという理念に反する。

 誠心誠意、威風堂々と構えること、打ってしまった喧嘩は例え死んでも受けなければいけない。

 

 我ながら面倒くさい性格をしていると感じる。しかし、この自分ルールを破ってしまえば、僕はもう喰種としても、生きていけない。

 これは育てて貰った親への恩返しでもあるのだから。

 

 持論を語った上で、それを否定されみっともなく撤退する様をあの人は望んではいないだろう。

 だから…だから僕は前に出て、背中へと、力を最大限に注ぎ込む。

 

 もう知らない、全ての感情をいっきに解放してやる。

 今までの僕を否定するな。僕の気持ちを無視するな!

 

 

「う…うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォオ!!」

 

 自分が、自分でなくなっていく感覚。怒りに全てが支配された、目の前の敵の消滅だけしか考えられなくなっていく。

 

 「これは…」

 

 近くで梟の息をのむ音が聞こえる、そして僕の理性を削り取り、赤く太い長い触手が、もう2本対になって姿を現した。

 それで終わりではない、計4本の赫子がそれぞれ意識を持つように僕の身体の四肢へと絡みつき、形状を鎧のそれへと変化させていく。

 

「ギュ…ギュギュギュギュギュギュギュ!!」

 

 虫の鳴き声にも似た奇声を発しつつ、僕は全身を黒から真っ赤に染め上げ、マスクの上へ重ねるように三つの眼の模様が浮かび上がった。

 最後に再び背中から、今度は大きな丸い羽のような赫子が飛び出し、細かく振動して甲高い音を発し始める。

 

コロコロコロ

 

コロコロコロ

 

コロコロコロ

 

 

理性が消し飛んだ虫並の頭で考える、目の前の鳥は…僕の餌だと。

 

 

 

 13区でその名を知らしめた、地獄の裁判官「閻魔蟋蟀」が、いまその薄汚れた本性を解放する。

 


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