東京喰種[滅]   作:スマート

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#024「錯誤」

 僕は喰種が嫌いだ。その事実だけはいくら人間と同じように暮らし、人間の様に穏やかな思考を持つ喰種を見ても変わる事は無かった。どこまで人に近かろうとも、喰種が生きていくためには必ず人間を食べなければならない、その現実だけで忌避するには十分だった。

 

確かに笛口という喰種の家族や、芳村さんといった喰種は僕が13区で出会って来た殺伐とした世界で生きる喰種とは性格も、その好むモノさえ違っていた。苦悩し、それでもめげずに明日を生きていく、だが生物の命は極力奪わない。あれは……あの生き方は限りなく人間に似ていた。

 

だが……それだけだった。

 

いくら喰種が人間を模したところで、いくら人間へと本質が近くなったところで、彼らは何処まで言っても喰種なのだ。彼らが本当に殺人を犯さなかったとしても、彼らが属するカテゴリーはまるで本能に刻まれた行為のように人を襲い喰らう。

他ならぬ僕もそうだ、人間を襲わないという意思は今のところ貫けてはいるが、最近になって義妹のあの肉の味を思い出すことが多くなった。

 

甘く芳醇な口の中で蕩ける柔らかい肉……食べた瞬間身体全身に走る、電撃のような快感。身体が満たされていくのを……比喩でも何でもなく現実として体感した。Rc細胞、ひいてはそれを生成する赫胞へと人間の肉が吸収されていく時、喰種は食欲だけでなくもっと重要な中枢の本能が満たされるのかもしれない。

 

そしてそれは一種の麻薬の様に、切れれば何が何でも人間という食料を貪り喰らいたくなるようにと作用する。なまじ力の強い喰種は生存本能もまた凄まじく、飢餓感から来る暴力性も人間の比ではない。

 

「難儀なものだ……」

 

ほんの一瞬、あの日…一度だけ食べた肉の味を鮮明に覚えているという現実が、喰種の醜く浅ましい面を象徴しているようで嫌になる。僕と言う存在が生きているだけで、自分自身を通して喰種の嫌な個所を発見してしまう。

 

何故、と切に思う。何故……僕の本当の両親は、僕と言う存在を生み落したのだろうか。何を思って子を宿し何を持って僕を……人間に託したのか。

 

 正直な所……こんなこと考えたくもない事だが、僕が喰種の両親のもとで暮らし、喰種として生活できてい居たならば……僕は今のような生活を強いられていなかったのだろうか。今の様に愛すべき義妹の肉に思いをはせるという最低の兄を……義妹に見せずに済んだのだろうか……

 

「無理か」

 

叶わない希望に縋りそうになってしまった思考を強引に切る、これ以上続けたらこれから行う喰種の捕食に支障が出かねない。それにもう…僕は喰種の醜さを知ってしまった、だからこそ今から過去へ戻れるのだとしたとしても僕は戻る事は無い。僕はのうのうと生き延びてただ惰性で人間を貪る愚かな生物に成り下がる気はないのだから…

 

そして、だからこそ。僕は強くならなければならない。

先の戦い、CCGの人と共同で戦ったあの戦いにおいて僕は格下相手数人に我を忘れて赫子を暴走させてしまった。ただでさえ扱いにくい『赫者』という形態、Rc細胞をふんだんに放出し続ける形態は喰種の捕食本能を刺激し続け、やがて喰種の意思とは無関係に餌を求める亡者と化す。

あの時……もし間違っていたら僕は人間をその手にかけていたかも知れなかったのだ。

人間を守ると誓った赫子で、人間を殺してしまう。そんな起こってはいけないことが確立として起こりえる状況になってしまった。

 

 僕はまだ未熟だ、まだ完全に『赫者』を制御しきれていない。どうしても長時間戦闘が続けば湧き上がる欲求に精神が押しつぶされそうになってしまう。何時もは、そうなる前に形態を解除していたが、あの時は飢餓から来る食欲が僕から理性的な思考を完全に奪ってしまっていた……

 

「次はない……」

 

 また同じことを起こしてしまった時、人間を巻き込まないという保証はどこにもない。理性が振り切れた時の記憶は曖昧にしか覚えていないので、正確には判断できないが喰種と人間とをとても選別出来るだけの余裕は無かった事だけは理解できた。

ただ目の前にあるものを空腹を満たす為だけに貪り喰らうだけ……それはまるで喰種じゃないか。

 

自分の食欲に負けて他者を喰らうのは獣だ、理性よりも本能を優先させる事はこれからも極力避けていかなければならないだろう。もし、何かの間違いで僕が再び人間の肉を口にしてしまったら……僕はもう自力では戻れない。きっと自分の欲望に飲み込まれてしまうのだから。

 

 

 

 

「什造ちゃーん、どこへ行っちゃったのォ!?」

 

 

 結論から言えば、あの薄幸の少女の言う「ママ」の手掛かりには直ぐにたどり着くことが出来た。恐らく近くにいるとあたりを付けて、あの子にこびり付いていた喰種の匂いを頼りに耳を澄まして捜索していれば、あちらの方からやってきてくれたのだ。

でっぷりと太った体系に、金銀の宝飾品をちりばめた見るからにお金持ちと言った風貌を持つ女性、それが何か叫びながら赫眼を露出させていればもう言わずもがな。

 

これはきっと胃もたれしそうな脂肪の塊だな、さっき食べた分と合わせて今回は殺しても食べずにどこかの森にでも保存しておいた方が良いか……ちょうど自殺者が多いという森も近くにある事だし、そこに四肢を切断して埋めておいても良いかもしれない。ただでさえ燃費の悪い身体だ、ここで一つ何処かに食料を貯蓄しておくのも一つの手かもしれない。

 

前の時の様に空腹になった時、何も獲物を狩れませんでしたでは話にならないからだ。リゼを取り逃がしたこともそうだし、髑髏の集団に押し負けそうになったのも空腹が原因だった。

僕はまだ死んではいけない身体だ、そのためには強くなくてはならない。「もし」「たまたま」であっという間に命を盗られてしまったでは意味がない。常に最悪の状況には備えて死から少しでも遠ざかる様に生きてきた。

 

13区で呼ばれた共喰いの「閻魔蟋蟀」という異名も、いわば強者との接触を極力避け自分でも勝てる相手、状況でしか絶対に戦わないという打算に裏打ちされた卑怯者のレッテルでしかない。確かに強者とは何回かカチ有った事はあったが、それは人間が目の前で殺されそうになっていた時や、相手が僕を狙っていた場合のみだった。

その戦闘も、自分が不利になった瞬間、持ち前の脚力と赫子を総動員させて、戦線放棄を繰り返していた……

 

撃ち殺した喰種の数はざっと見積もって200人以上、その全てが僕よりも実力低いいわば雑魚の喰種。僕よりも実力の上だった喰種といえばせいぜい「鯱」か「ヤモリ」としか戦っていないし、もちろん引き分けに近い敗北で終わった。

 

「もう、それでは駄目なところまで来ているのか」

 

 アオギリの樹の幹部に捉えられてしまったのは、僕がまともに強者との戦闘経験が不足していたからにほかならないだろう。死ねないという決意が、僕自身の成長を阻害していたのだ。そのツケが回って来た……

 

いつか、逃げ回るだけでは死んでしまうような事態が来るかもしれない、アオギリの樹に仮とは言え協力しているのならなおさら危険度はましている。強さを求めるのなら…矢張り戦うしかない。強い喰種と正面から小細工抜きで戦うのが手っ取り早い。

 

幸い目の前でノタノタと豚の様に左右に身体を揺らせながら歩く喰種は、そこまで強そうにも思えない。丁度良い……強者と戦うために必要な格闘術のサンドバックにでもなって貰おう。このまえ駅前の家電品屋のテレビでも肉は叩くと柔らかくなると言っていたし……

 

美味しく食べる為にも、強くなるためにも、協力してもらおう。

 

 一概に「強さ」と言っても「強さ」には色々ある。精神的なもの、肉体的なもの。だが、世の中は厳しくどんなな時も甘くない。どんなに身体を苛め抜き、心を無にし深淵を見通せたとしても負ける時は負けるのだ。

 

ビキナーズラックという言葉がある、これは「達人」レベルに到達した武人が全くの素人と戦う時、熟練された動きの者同士で戦って来た「達人」が、素人の動きを読めなくなってしまう現象だ。

 

「達人」ならその技術力で何とか勝利を手にできると思うかもしれないが、その素人が達人と同じ筋力を持っていたとすればどうだろう。行動が読めず困惑する「達人」を先制して倒す素人の姿が想像できたのではないだろうか。もっともこれは極論だが。

 

なら強さとは相手を知る事なのだろうか、素人であってもその者にはその者の癖がある、それをよく観察して自分の事の様に予想すれば強さが手に入るのだろうか。無理だ。

 

倒す相手が憎き宿敵一人ならその手段も有効だろうが、喰種全てを殲滅するのにどこぞの殺し屋のごとくいちいち戦う相手の事を知っていたら切りがない。

 

なら、油断しなければ良いのだろうか。素人の動きに惑わされず自分の我を持って細心の注意を払えば良いのだろうか。それも無理だ。

 

僕も生物だ、油断をしないと言ってもそれには限度がある。常に気を張っていたら気が滅入ってしまうし、それこそ普段の半分の力しかいざという時に出せなくなってしまいかねない。微かな気配にまで反応していたら挙動不審で職務質問にかけられた事もあった……

 

なら…絶対な強さとは何なのか、答えはまだ見つかっていない。だがいずれ見つける、見つけなければならない。死を許されていない僕は、喰種との戦いで負けるという選択肢でさえ無いに等しいのだから。負ければ即、死に繋がる世界で生きている以上、完全な強さは必ず必要になる。

 

欲望に負けない、鋼の意思を貫き。喰種に負けない、金剛のような肉体を持つ。そんな存在にならなければならない。

 

「そういえば、アイツは喰種の癖に拳法を身につけていた」

 

強い喰種、それを頭でイメージすれば真っ先に出てくる男が2人いた。一人は全身を禍々しい鎧で覆った優男、もう一人は筋肉ダルマのような外見で無数の拳法をそつなく使いこなす如何にも「達人」という風貌の男。

 

いずれも喰種で憎い存在だったが、こと戦いにおいては尊敬したくなるような洗練されたものを持っている二人だった。

 

特に筋肉ダルマの男の方「鯱」は、あらかじめ小細工やからめ手を仕掛けて、じわじわと勝機を相手からもぎ取っていく僕の戦い方を正面から突破し、技術を剛力を持ってして僕の動きを封じに来た喰種にも珍しい戦闘スタイルを持っていた。

 

赫子を惜しげもなく出し、それを力の限りふるって戦うという事をしていた当時の僕はあっという間に鯱のペースに巻き込まれ、全力を出すまでも無く一瞬で意識を刈り取られてしまった。相手の方も単なる小手調べのつもりだったのだろう、幸い命は取られずに済んだが僕は悔しかった……憎い喰種に情けをかけられたのだ。

 

それから僕は強かった鯱の戦い方を模倣し、鯱のような肉体を使った格闘戦に赫子を補助的に混ぜるというスタイルを確立させた。赫子でバネを作り跳躍力を伸ばし、鯱にはまねできないような壁面移動を使って再び鯱に挑んだがその時は引き分け。それもCCGとの戦闘で僅かに疲労していた鯱と引き分けたのだ。

 

それは誰が何と言おうと僕の負けだ、ベストなコンディションで挑まれていたら僕が負けていた。勝負は時の運とも言うが、僕はその運さえも確実に自分のものにしなければならない。偶然に頼っていてはだめなのだ、全てを必然に勝という結果のみ得られるようにしなければ意味がない。

 

 

 

 

 

 

 

「まっず……」

 

怒りのままに捉えた喰種の肉はとても食べられたものでは無かった、人間風に例えていうなら脂身の塊を調理もせずにそのまま口に含んでいると言ったところか。ギトギトした脂の触感は待ちに待った肉だというのに僕から食欲を奪っていく。

 

噛めば噛むほど口の中に溢れる独特の臭みと、雨の日の排水溝から溢れる水のごとく染み出す肉汁。表現する事さえ億劫になるような得も言われぬ不味さが其処にあった。

 

一応喰種ということでRc細胞は接種できて体調も回復してきてはいるが、代わりに何か別の部分が急速に失われていっているような気がしてならない。これを食べ続けるくらいならまだ豚肉の方が臭みが無い分ましかもしれない。

 

矢張り喰種の肉は健康状態の良い少女のものに限る、だからと言って人間を襲う喰種を見逃すようなことは無いが、どうせなら美味しいものが食べたいというのは、喰種、人間に共通した感情だろう。

 

そう、菫香の甘い柔らかな肉の味が恋しい……新鮮で張りがあって、噛むたびに優しい旨みが湧き出してくる高級感、あの映画館の別れ際に数切れもらっておけばよかったと後悔した。

 

今度「あんていく」へ行ってほんの少しもらってきても……いや、それはどちらにしても無理な事か。今こうして菫香とのお出かけをすっぽかして、仮にもアオギリの樹に参加している以上僕はあの芳村さんのいる場所に帰ることが出来ない。

 

人間を愛する喰種はきっと、生き物を殺す喰種の集団に、喰種の本質に立ち返ってしまった僕を再び受け入れてはくれないだろう。受け入れてくれたとしても、アオギリから抜ける様に説得されることは確実だ。それはあのタタラと交わした情報の為それは出来ない。

 

少しでも家族の敵に近づくために、少しでも喰種の数を減らすために、生き残るために、生き残らせるために情報はメモ用紙一枚たりとも見逃すことは出来ない。くれるというのなら人を殺す以外何でもしよう、それだけの覚悟をもって僕は今ここにいる。

 

「さて……外道ババァは始末したし、また13区の散策に戻るか。それにしても太った喰種がこんなに不味いなんて思っても見なかった…」

 

それはただの独り言だった、この路地裏には誰もいないそう思って呟いたただの愚痴に過ぎなかった。だがそれを呟いたがために、いらないことを気にして食事に気を使っているような仕草をしてしまった為に、僕は今後一切会いたくなった相手に再び出会ってしまう。

 

Ah, lo pensi anche tu?(君もそう思うかい?)

 

薄紫色の髪をワックスで整え七三分けにして、路地に似合わない派手な真っ赤なスーツを気取って着込んでいる、如何にも上流階級そうなキザったらしい男。そして非常に相手にするのが面倒くさい、口癖なのか疑わしい言葉の端々ににじみ出るイタリア語。

 

人の良さそうな態度と裏腹に、その内側に眠る感性は並の喰種以上の厄介なモノがある男は、暗闇からぬるりと顔を出すとゆっくりとこちらに近づいて来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

達人も負ける、素人が勝つ。だからと言って素人、つまり何も知らない無垢な者が強いなんてことは有りえない。なら……誰が一番強いのか、忘れがちなのが運命的なものだ。

 

試合なら「番狂わせ」、「奇跡」、「まぐれ」と言ったたまたま神が微笑んだだけの一瞬の強さ。だがそれが何よりも強い事は誰でも知っている。

 

 

 

そして何より何事にも動じない鉄の精神力をもってしても踏み越えられない壁はある。何物をも凌駕する圧倒的なパワーをもってしても、僅かなミスが亀裂を呼ぶ。だが、その二つの強さを全く手に入れられない者が、恐ろしく強いものに勝ってしまう事がある。

 

 

 

 

 




ご意見ご感想お待ちしています。


それとマイページの活動報告にもあるように、この作品の挿絵を募集しています、誰か書いてくれる人が居ればお願いします。

2015/4/1  合併修正

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