東京喰種[滅]   作:スマート

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#027「速度」

 喰種と言えどもその強さは様々だ、年齢によらず鍛え方によらず彼らは環境という形で飛躍的に成長を遂げることがある。美食のみを求めて人間を多く喰らって来た月山習と全てが妹の為になればと喰種を喰らって来た蟋蟀。

 

体内に含有するRc細胞の蓄積量がその喰種の強さと言っても良い。そして人間より喰種の方がその蓄積量が多いのなら、それを好んで喰してきた蟋蟀に著しく勝負の軍配は上がるだろう。

 

そもそもの今に至るまでの過程が違いすぎるのだ、月山が家庭用の扇風機のようなモーターを持っているなら、今の蟋蟀は海外へと数時間で渡るジェット機のエンジンモーター並の出力を誇っている。

 

蟋蟀の身体は最早人間としての面影は完全に消え、赤黒い赫子が顔全体を覆い尽くして昆虫のような外装を作り出している。下あごからは凶悪な突起が無数に生え、喰種と言えどもその大きな牙に貫かれれば無事では済まないだろうことが覗えた。

 

昆虫の節目の様に身体を被う棘のある赫子の鎧は時折まだ成長するのかというように怪しく蠢くのだ。そして鱗赫の特徴である鱗のある赫子も数本背中から飛び出し、2枚の羽根を形成し始める。

 

喰種のみを襲い続けた蟋蟀に授けられた、喰種を捕食する為の器官。先日の無茶な戦いとアオギリの樹の薬の所為で若干その発生にラグが生じていたが、やがてあの梟をも追い詰めた思考を鈍らせ絶望を背後から這いよらせる、狂気なる曲を奏でる羽根が完成する。

 

勝負はすぐにつくかと思われた、風車に挑んだドン・キホーテのように月山という無謀な挑戦者の哀れな敗北という形で。

 

「まちきれないよ、はやくたべたいな」

 

不規則に伸ばされたうねる赫子の連打を放つ蟋蟀は、亀の様にのっそりと月山へと顔を向け涎なのか赫子から洩れる液なのか判断が付かない液体をなみなみと口から垂れ流した。蟋蟀は今、解き放たれた本能のみが事理行動している、いわば勝手に偶然目の前にいた餌に反応しているというだけだ。

 

食べ物があるから食べる、お腹が空いたから食べる、まるっきり幼児の様でいてそして喰種に近い考えを理性を持った蟋蟀が見ればどう思うのだろう、自分の本心の醜さに、後悔と懺悔に押しつぶされてしまうのだろうか。

 

どちらにしても今の蟋蟀に理性は欠片も残ってはいない、説得を聞くための耳さえも今は獲物の足音を聞くためにしか機能していないだろう。心無き昆虫は、無情に穀物を貪りやがて家庭を国を崩壊させてきた、イナゴは大量に空を舞い英国中の人間に恐怖を植え付けて来た。

 

蟋蟀もそうだ、古来より中国では闘鶏と同じく、好戦的な蟋蟀を戦わせる競技が昆虫の王と名高いカブトムシを差し置いて開かれるほど。雑食性で選り好みをせず食料を貪り時として同族までもその牙の餌食にする貪欲なまでの食欲と攻撃性は、喰種「蟋蟀」にも遠からず通ずるところがある。

 

「シット!僕のvida()は早々安いものじゃない、食べる気なら最低限のエチケットを持ちたまえ!」

 

しかし、蓋を開けてみればその勝負の行方は分からなくなっていた。実力の違う相手を前にして、決して引くことが出来ない状況に立たされた時、生物は決まって思考を放棄し硬直するか、ただ闇雲に勝利を諦めて何の作戦もなく特攻を仕掛けるかの二択へと選択肢を狭めてしまう。

 

勝てないという事実はそのまま生物から思考を奪い、逃げようと努力することまで失わさせてしまう。先の戦いに置いてアオギリの樹の配下であった髑髏マスクの喰種達がそうだったように、圧倒的な差は逃げることまで無駄だと本人の脳髄に叩きこんでしまうのだ。

 

何時いかなる時でも冷静さを保ち、行動できるような訓練をされていれば話180°変わって来るが、この場にいるのは美食を求める上流階級の裕福な喰種と戦場に身を置き続けた血みどろの化け物のみ。とてもでは無いが月山はそこまでの冷静な判断を下せる状況になかった。

 

だが、彼にはアオギリの樹の喰種集団とは違う所があった、それは経験と執念。月山は過去数度に渡って勧誘と称した戦闘を蟋蟀と行った事があったのだ。その経験が月山自身の肉となり骨となり、自信の飽くなき欲望と混ざり合い今この瞬間の彼の命を繋ぎ続けていた。

 

その戦闘のいずれも、赫者となっていない蟋蟀との戦いと呼べるのかどうかさえ怪しい攻防ではあったが、蟋蟀の得意とする音、そして鱗赫の特徴に漏れない一撃必殺じみた威力を誇る攻撃の危険性は十二分に把握することが出来ていたのだ。

 

戦いに置いて重要なのは、強い事ではない。どんな手段をもってどんな行動に出るのかと相手の動きを瞬時に察知し動く事の出来る「相手を知る」という事が時として勝負の命運を分ける。

 

「ぱくっ!」

 

「…っ」

 

だからこそ、月山習は瞼を瞑る一瞬の内に繰り出された顎での攻撃に対処する事が出来たのだ。

 

喰種「蟋蟀」は彼が位置するSレート喰種の中でも群を抜いて速度がある、つまり脚力に特化した喰種だった。伸縮自在の赫子を足首の関節に巻き付けバネの代わりを果たすことによって驚異的に上昇する動きの速さは他のS級喰種も一度相対すればもう戦いたくないとごねるほどの厄介なモノだ。

 

戦略を一瞬で見極め、不意打ちやからめ手を持ち前の速度でのみ回避しきる蟋蟀は、速さだけなら、「梟」を筆頭としたSSSレートへ迫りつつあった。赫者となった彼の速度はポテンシャルが人間のそれより高い喰種と言えど見極めるのは困難を極める。

 

だが、一見蟋蟀の強さを見ただけにしかならない経験、しかし月山はそこに蟋蟀の持つ唯一の弱点を見出していた。

 

速すぎるスピード、それは逆に自分でも些細な方向転換が出来なくなっているのではないかと。月山が覚えている過去の蟋蟀は、自分の赫子の一本を地面に刺す事で軸を作り、それを起点に相手が動いても対応できるように構築されていた。基本を忘れてしまっているのか、コンクリートの地面やビルの壁を利用し跳躍を繰り返す事で方向を自由に変えていた蟋蟀の自由度が著しく落ちている。

 

それでは突進の勢いが自分自身にも負荷を与えかねない。つまり…蟋蟀は前よりも強いが、頭が回っていない冷静さを失っている。

 

「んん、勝機…ん?」

 

地面を削るように打ち出される凶悪な大顎を流れる様にウエーブを描きながら紙一重で回避した月山は、頬から流れ出た血に気づき直感とも言える感覚を覚えて、慌てて赫子を地面に突き刺して後ろへと飛んだ。

 

その瞬間、月山が立っていた場所めがけて二本の鋭利なほど尖った赫子がミサイルの様に打ち込まれたのだ。内心冷や汗を掻きながら月山は自分が勝利へのビジョンを見たために油断してしまった事を恥じる。まだ皮算用の段階を出ていない勝機、焦っていたとはいえまだ曖昧な勝機に踊らされた自分自身を戒める。

 

油断は絶対にしてはいけない、勝利を確信した時こそより一層の警戒を込めて周囲を見なければならない。誰かが言ったかこれは戦術の基本原則の一つだった、月山家の人間としてそれなりに武術にも精通していた月山は、それを蟋蟀との戦闘のさなか思い出し背から伸びる赫子に力を込めた。

 

これは負けられない戦い、負ければ死ぬとかそういう問題では無く、一迷える子羊を救えるかどうか、自分自身のプライドとの戦いだった。

 

体内に蓄積されたRc細胞は既に限界を超えていた、これ以上戦えばいずれ肉体が再生できなくなり蟋蟀に食い散らかされるのは自明の理。陽炎のように揺れるその姿は余りにも高速で動くため残像を生み出しているためなのか、それとも月山自身が疲れているせいなのか判断できない。

 

だがそれだけでは終わらなかった、固い地面を抉るように突き刺さった赫子を軸にパチンコの要領で、蟋蟀は前へと強引に突き進んだのだ。風を引き裂くように二段階にわけて速度を増した蟋蟀に月山は驚きを通り越してあきれてしまう。

 

「これは…まだ、速くなると言うのかい?」

 

一体、どういう訓練を積めば、どういう意思を持てば、どういう欲望を持てば喰種はこれほどまでの化け物になれるのだろう?眼前に迫りくる蟋蟀の鋭い赫子の顎、数々のS強い喰種と戦い赫子を交えた事もあった月山、だがここまで一点に力を集約させた戦い方をする喰種に尊敬と畏怖を送る。

 

敗北という二文字が頭に浮かぶが、だが月山は戦いの最中に何の理由も無く降参すると言う恥さらしな行為に手を染めるつもりはさらさらなかった。死ぬのなら、せめてこの迷える若人に教えを説いてから死んでやろうと、歪んだ信念を持って月山は吠えた。

 

「正気に戻りたまえ!!」

 

 

 


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