東京喰種[滅]   作:スマート

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#028「見方」

 暗い暗い海の底を、ただ何も思うことなく漂っているような空虚感に襲われていた。何もする気が起きなくて、手足も顔も頭さえも動こうとしてくれない。いやむしろ僕自身がそれを心の何処かで望んでいるのかも知れなかった。何も考えたくない、少しも動きたくない、無理に体を酷使し続けていた反動か僕は欝にでもなってしまったのだろうか。

 

正直に言えば、もう疲れた。生きる事に、生き続ける事に疲れてしまった。そんな事を言えばまだ数十年も生きていない若輩が何を言うのかと笑われるだろうが、それでも僕の生きて来た人生は過酷で、そして辛く苦しくとても一人で生きるのには過酷過ぎるものだった。一介の喰種としての生だとしても、僕のそれは彼らの苦しみを軽く上回るものだろう。

 

光の届かないどこか現実ではない雰囲気の場所、だが夢の中かと問われればそれは違うと断言できる精神の世界。

そこで僕は僕に嘘を吐くことが出来なかった。義妹の為だと自問自答を繰り返し、何度も何度も取り繕い保って来た「正義」という名のアイデンティティ(存在意義)。

 

リゼや梟と相対した時にはまだ誤魔化しきれた僕の感情が、此処ではもう一切の嘘を挟むことなく白日の下にさらされていた。朦朧とした意識の中、眼を反らすことの出来ない真実と相対した僕は戸惑い、そして納得した。僕自身嘘で塗り固められていた所為で忘れてしまっていた「僕」に。

 

忘れてしまいたかった僕に、消えて欲しかった僕に、知りたくなかった僕を思いだした。だがそれは動揺を呼ばない、僕の心を揺さぶらない。それは……分かってしまえば簡単に納得できてしまえるようなものだったから。僕が「僕」だという証明であり、僕がどうあがいても喰種だという事の証。僕が生まれ落ちた瞬間からどうしようもなく付き纏い、そして永遠に逃れることが出来ないもの。

 

光が無い場所でなお、それと分かる人影が僕の思考を読み取ったように笑い満足げに揺らめいた。

 

そうだった…何故、忘れていたんだろう。○○を……

 

「僕は……」

 

そこで急速に意識が遠のいていき、逆に視界に光が差し込んでくる。否、僕の心がこの精神の世界から覚醒に向かっているのだ。現実に浮かび上がっていく身体、それに合わせて徐々にやる気の無くなっていた心に炎が灯り手足に力が湧いてくる。

 

前の様な僕を責め立てる「僕」の姿ももう何処にもいない。だがそれは決して消えたわけではないのだろう。僕がこうして真実を隠し続ける限り、喰種を襲い喰らい続ける限り「僕」は其処に存在し続ける。僕は「僕」自身であり、今の僕が必要ないと切り捨てた感情が集まって出来たもの。

 

それは僕の本当の気持ちであって、ならば受け入れれば簡単に消えてしまう儚い存在なのだろう。前の様に僕自身を脅かし身体を奪おうとするほど肥大してしまったのには少なからず僕に責任がある。しかしだ、だからと言って今ここで「僕」を受け入れてしまえば、僕はその口で今まで幾百もの喰種を屠って来た口で愛する義妹を殺してしまうだろう。

 

僕だからわかる「僕」自身の事。喰種だからこそ逆らえない喰への歪んだ愛情。愛と食を線で結んで繋げてしまうことの出来る喰種に、今はまだなるわけにはいかない。それが僕自身を「僕」を苦しめる結果に繋がるとしても……

 

 

 

 目が覚めると一番に目に入ってきたのはべっとりと生々しい血のついた鉄臭いコンクリートの壁だった。僕はその所々ひび割れたり切り裂かれている冷たい壁に横たえられたまま、赤いスーツのようなものを着せられて眠っていたらしい。一瞬どうして此処にいるのか理解できずに混乱したが、すぐに目の前に現れた男の姿によって疑問は解消された。

 

「ん…やあお目覚めかい?ふふ…さながら茨に穿たれた眠り姫の様だね」

 

狐のような狡猾で細い目に、ワックスで塗り固められたような整えられた髪。いかにも裕福そうな外見を持っている男。キザったらしく嫌味に感じた口調、僕に付き纏い喰種としての在り方だのなんだのとそれこそ「僕」のようにしつこく批判してきた男の声が耳元で聞こえて来た。だが、今は不思議とそれが不快に感じない。それは自分自身とほんの少しとは言え向き合った結果なのだろうか、この男の言葉も特に殺意を催す事も無くすっと胸に入って来る。

 

今に限っては何か鋭利な刃物で切断されたようなぼろぼろのYシャツと巨大な生物に噛み付かれたような歯形ある腕を露出させていた。美食家で有名であり若干人間臭くどことなく品性のある彼からしては似つかわしく無い、見るからに何かと戦ってきたような歴戦の騎士を思わせる風貌、だがこの場合討ち取られた怨敵というのは僕のことなのだろう。

 

我を失う赫者の暴走状態に陥ってしまってからの目覚め。きっと月山は僕の赫子の暴力によって殺されていると思っていた。あの深い心の海の中に沈んでいるときでさえ、彼の月山の負けは感じ取れたのだ。彼では暴走した僕には勝てない、それは奢りでも傲慢でもなく確固とした実力差からくるただの事実。

 

美食を求め良質な人間の肉を漁って来た月山と、戦闘を幾度も繰り返し傷つきその度に強くなってきた僕とでは経験地も肉体の強さも違いすぎる。それに加え、常識では図ることのできないカグネの暴走状態、液体の筋肉の名に相応しいその凶器が縦横無尽に敵を屠る地獄を、例え有名な月山習といえど生き残れるはずが無い。

 

勿論実は身体を鍛え、地下道場や24区などで実戦経験に富んだ修行に励んでいたという可能性も無くはないが、それでも彼が僕に勝てる勝機は限りなくゼロに近い。僕の事は僕自身が良くわかっている、赫子が言う事を聞かず段々と僕の支配から逸脱した動きを見せている事を。それが過去何度か戦った赫者の喰種と比べても化け物染みたモノになってしまっている事など鏡で見ずともわかる。

 

通常の赫者が鎧ならば、さながら僕の暴走は獣と言ったところか。はっきりしない記憶の中の映像を断片的に思い出していくだけの作業だったが、それでもアレが「普通」だとは誰もいないだろう。少し血の気が多くなったではとても説明できない領域に片足を踏み込んでしまっている。

 

……だが、と思考を繰り返す。だが、僕がこうして壁に横たえられ月山が満身創痍といえども傷を回復させ立っている所を見るに結果は違ったのだろう。暴走した僕に、赫子の怪物に成り果ててしまった僕に勝ったのか。それは……とても信じられない、奇跡を目の当たりにした気分だった。

 

「意外と詩人みたいなことを言いますね、ああ美食家を気取っているんでしたっけ。ならそんなとってつけた様な子供じみた批評も納得です、所詮子供の真似事ですけどね」

 

「ひどいな、僕はただ純粋に君の心配をしていたというのに!ふむ…まあ迷える子羊の照れ隠しとしておこうか」

 

ああ、今なら感じることができる。喰種というものにある程度折り合いをつけることが出来た今なら理解できてしまう。この人は僕の事を心の底から心配してくれている。過剰な表現が目立つ月山だがその心理は喫茶店のマスターのそれと近いのかもしれない。そこに別の思惑があったとしても、彼が心配していたという事には変わりは無いのだから。

 

だから僕は答える、少し熱く感じる顔を伏せがちに赫眼を発現させた瞳で月山を睨んだ。

 

「照れ隠しって、僕が貴方のどこに照れるというんですか?」

 

心まで、喰種には成ってはいない。だがそれでも歪んでいた自分自身が正されてしまった事の証明なのだろう。歪とは言え純粋な好意を持って紡がれた言葉に苛立ちを感じるほど僕はまだ常識を捨ててはいなったという事なのかもしれない。微細な、それでも確固とした心境の変化に自分自身少し困惑する。

 

「そしておめでとう……君はどうやら心の殻を破れた様だね」

 

そんな僕の変化に気づいたのか月山は何か感心したように腕を組んで頷き、だがと一本指を立てた。その仕草がまた上から目線で見ている者をイラつかせるのだろうが、今日だけは許そう…

 

「君は少し感情的になり過ぎる、言葉攻めに弱い気があるね……それは此処にしっかりとしたハートが無いからだ。でも今は違う、目覚めた君の眼はもう濁ってはいない」

 

「……そうですね、まあ、その辺に関してはあまり言いたくはありませんけど、感謝はしています…」

 

すっきりした気分と言うのか。たまりにたまった不純物を一気に身体から抜き出した様な妙に晴れ晴れしい気分だった。問題は何も解決していない、ただ未来へ先延ばししただけ。だけれども、その問題に正面から向き合って否定出来ただけ幾ばくか心の負担が減ったのだろうか。

 

僕が、「僕」と向き合っている時。「僕」に飲み込まれてしまいそうになっている時、必死に僕を呼び戻そうとその腕を振るってくれた男。至る所に傷を作りそれでなお僕に心配をかけまいと平静を装っている彼には……本当に迷惑をかけてしまった。

 

だとしても僕が彼に、喰種である月山習に返す言葉は変わらない。たとえどんなに好意を向けられようと、どんなに心配してくれようと僕を喰種だと思って接してくる相手と馴れ合うわけには行かないのだ。今までは痛まなかった良心が今日ばかりは胸を抉るように僕を攻め立てるが、僕の意思は変わらない。

 

暴走から引き揚げてもらった恩を仇で返す様ですいません、でも……僕にはしなければならない事があるんです。その為には喰種は邪魔だ、だから僕の義妹の為に…死んでほしい。

 

「黙れ、お前は僕の敵だ」

 

感謝と懺悔を込めて・・・僕は貴方の事を忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんスマートです。それとpixivの方でも投稿されている事をうっかり書き忘れてしまい余計な誤解を生んでしまった事を此処でお詫びさせていただきます、申し訳ありませんでした。

さて、今回の話ですが前話の続きという事で勘を取り戻すべく少しずつ進み始めたREの設定を少し入れつつ書いてみました。今後の展開の大まかは既に出来ていますので次回の投稿は今回の様に待たす事は無いと思います。

それではまた良ければ、ご意見ご感想些細な事でもいいので教えてください。誤字脱字もぜひお願いします。 

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