東京喰種[滅]   作:スマート

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#007「回答」改訂版

 これは、噂に聞く走馬灯なのだろうか。死の淵に立った時、その人生の道のりが断片的に次々と脳裏に浮かんでしまう現象。あの日の忘れてしまいたい記憶が、まるで今起こった事のような鮮明さで頭に流れ込んできた。

 

通学路での掛け合い、自宅での異変、惨殺された両親、それらの思い出がアルバム写真の様に僕の頭の中に浮かんでは消えていく。胸を鷲掴みにされているような重圧を感じながら、僕の身体はやがて徐々に深い闇の底へと落ちていく。

 

 あの日から、僕の地獄のような毎日は始まった。喰種として、人の営みから外れることを余儀なくされた最初の1年はまさに死んだほうがましと言える程過酷なものだった。だが、僕は生き続けた、惨めに生を望み続けた。汚泥を啜り喰種を殺し必死に生にしがみ付いてきたのだ。

 

それは、喰種を悪と断じ、殺す事が全て妹の為になると信じてきたから。まだ死ねない、世界中の妹(人間)の敵敵を殺しつくすまでは死ぬわけにはいけないとここまでやってきた。

 

だが、それは……あの親子の喰種を見た今ならわかる。もう、見ない振りをして自分に嘘をつき続けることなんて出来なかった。梟にも少女にも、そしてあの親子にも人間と同じように心があったのだ。

 

ただ人間を殺し続ける殺戮機械、そこに何の信念も意思もないと漠然と思っていた僕のは、その事実に気づき怖気づいてしまったのだ。正義の味方気取り、弱気を助け強きを砕く、悪を倒すヒーローごっこに僕は浸っていたのかもしれない。

 

英雄症候群(ヒロイック・シンドローム)、確か僕のことを一度診断した精神科医がそんなようなことを言っていた。当時の僕はまだ無知だったので特に深刻に捉えることもなくすぐに記憶の隅へと消えてしまった言葉。

 

それは、あの時の僕が抱いていた将来の夢にも少なからず影響があったのだろう。自己満足の正義感を振りかざして、制御できない感情のまま喰種を殺す……なるほどそれは梟の言う通り、僕の嫌う喰種像そのものだった。

 

「は、はははははははははっ!!」

 

だからこそ、喰種が人間の様に、誰かを守ろうと行動した時……そして人間の様に命乞いをし生を求めようとした時、僕は決まって止めを刺すことを躊躇してしまった。そしてそれを梟に指摘された時、僕は癇癪を起した子供の様に怒り狂い暴れまわった。

 

まるでその言葉が真実だと認めたくないかのように。そして結果として梟に諭され敗北を決する羽目になる。

 

「僕は愚かだ」

 

どっぷりと暗闇の淵へと沈んでいくような感覚。底なし沼にも似た、それでいて妙な安心感がある不思議な世界。恐らくこれは僕の深層そのものなのだろう。何もない、ただ過去の思い出のみが写真の様に点在する引きこもりの部屋の様な世界。

 

そこでは、誰も僕を否定しない。ああ、このままずっとこの中にいたい……

 

「……んっ?!」

 

だがその願いは叶わなかった、頭部に生じた重い痛みに僕の意識は覚醒へと向かってしまう。深い海の底から無理矢理引き上げられているかの様な圧迫感を感じながら、僕は大粒の涙を流す瞳を開けたのだった。

 

周囲に広がる森林と、僕をまっすぐと見据えて大きな翼の様に左右へ広げた甲赫を向ける女の姿を捉えれば、昨夜の記憶が戻ってくる。そうだ、僕は13区から20区への移動中人間を喰べようとしていた喰種の親子と遭遇してしまった。

 

そのまま交戦しようとした僕は、だが彼女らが死体を食べようとしている事に気付いて、自分の価値観、喰種を悪だと断じてこられた理由が揺らいでしまった。そして追い打ちの如く人間味あふれる少女の必死の叫びを聞いた僕は、そのまま意識を失ったのか。

 

女の赫子の角度や僕のいる位置、そして未だに僕の足にしがみついたままの少女の様子を見るに、どうやら僕が意識を失ってから一分と経っていないらしい。意識が落ちるということはこと戦闘において死を覚悟しなければいけないことだ。

 

敵に晒してしまう無防備な時間、それがどれほど危険なものなのかは身をもって理解している。今回瞬間的に意識が覚醒できたのは奇跡に近いだろう、だが僕にはもう彼女たちと戦う事は出来なかった。

 

赫子を展開させる気も起きない、今この少女を傷つけることはそれこそ偽善でしかない。『何を馬鹿な事を、この女は喰種で、今まさに人間の肉を食べようとしていたんだ』だがそれは死体だった、生きていない人間だった、この喰種は人間を殺してはいない。痛めつけていない。

 

『わからないぞ、たまたま今見た光景が真実とは限らない。この女は今まで何度も生きた人間を殺しているかもしれない』そうかもしれない、けど……それもこの娘を守る為に仕方のない事だったら……

 

『人間を襲ってもいいというのか、それは僕が嫌っていた喰種の思考そのものじゃないか』それは……『それを認めてしまったら、僕は何の為に喰種を殺してきたのか、分からなくなるぞっ』それこそ、自己満足だ。

 

自分の存在意義のために、僕は喰種とはいえ罪なき命を奪ってはいけなかった。

 

「……やめだ」

 

此処は逃げさせて貰おう。

僕は自分の中に湧き上がる感情の波とはまた別の奔流を感じていた。それは食欲、喰種が全て悪ではないと気づいた今になっても、僕の内側で暴れまわる食欲は留まることを知らなかった。

 

いや、なまじ捕食することを自分の意思で止めてしまったゆえに、高ぶる食欲はより膨れ上がり身を焦がそうとし始めている。この森林へ来た時からそうだった、心が理性と本能の狭間で揺れる。

 

過去の幻影も見たのも、感傷的になっていたのもその根本的な原因は僕の食欲にあったのかもしれない。腹の減った動物はいやに攻撃的になる、それは身体に余裕がなくなって冷静な思考が出来なくなってしまうからだ。

 

女の喰種もだいぶ消耗して肩で息をし始めている、逃亡には背後からの急襲の恐れがあるが、この状態では追っては来れないだろうという確信もある。

 

僕はそっとしゃがみ込み、僕の変化に驚いたのか脚から手を放してしまった少女から一歩距離を置く。少女はまだ警戒を解いていないようで、だが即座に女に大声で呼ばれハッとしたように一目散に女の元へと走って行った。

 

きっと、無茶をしたことを怒られているのだろう。徐々に顔から精気が失われしゅん俯いて少女。だが叱っている側の女はそんな少女の身体をこれでもかというほど抱きしめていたのだった。

 

「どういうつもり……?」

 

だが女も馬鹿ではない、子供の無事を確認できた安堵で気が緩んでもなお、僕のほうへ向ける鈍く重い甲赫の切っ先は此方を向いていた。僕が少女を特に何もすることなく返したのを見て、何か裏があるのではと勘繰ったのだろう。

 

女は再び少女を自分の背後へと隠し、戦いを仕切りなおさんと赫子をゆっくりとだが確実にこちらへと伸ばしてくる。 矢張りというか血みどろで性格がおかしい喰種がいたのは13区のみのようだった。

 

 ここの場所には少なくとも、こういう人を殺さず最低限の殺生で押さえようという喰種がいることは間違いなかった。こういう喰種がいてくれたのなら、「梟」のいう人間との共存も出来るのかもしれない。

 

 喰種に対して思っていたイメージを払拭してくれるような家族愛に、僕は久し振りに頬が緩んでいた。マスクを被っているので相手には分からないが、僕は嬉しかった。

 喰種が…、例え死に直面しなくとも、人間のように振る舞ってくれることが。

 

 人間というカテゴリーに属し、亜人として派生したものが喰種なのか、突如何もないところから生まれた存在が喰種なのかは分からない。だがそれでも、この二人を見ていれば喰種も生き物なのだと、思うことが出来るのだ。

 

 本能を抜きにして、他者を庇い、自身を犠牲にする。

 こんな愚かでありながら、美しい行いをするモノを人間らしと言わずに何というか!

 

「ああ、僕は間違っていた」

 

どうかしていたとさえ言える。こんな……こんな家族を殺そうとしていたなんて…

 

 まさか僕が見つけた喰種を、自分の意志で食べない日が来ようとは思いも寄らなかった。 喰種に会っているのに関わらず、怒りがこみ上げてこないことも無駄な正義感が湧かない事も、以前とは違っていた。何か背負っていた重みが僅かばかり消えた様な吹っ切れた気分だった。

 

「人間の肉は……美味しいのですか?」

 

 気が付けば僕はそんな質問を、彼女に向けて話していた。あの日を除いて僕は今まで喰種の肉しか食べたことはない、その限られた味覚で善し悪しはあったが、まったく違う肉の種類である人間の味がわからない。まあ、美味しいから食べるのだろうし、それしか口に入れることが出来ないから、食べるのだろう…

 

 矛盾していると思うが、それでも僕は本人の口からその答えが知りたいと思ったのだ。喰種は人を食べるとき、一体どういう感情を持って、何を考えているのか、しりたかった。空腹に突き動かされた故での行動だったとはいえ、この場でそれを訪ねることが出来たのは僥倖だったのだろう。

 

「……分からないわ、私は人しか食べられないもの。でも、人の振りをしているときに食べる、人間の食べ物よりは…人間のお肉は美味しいと感じるわ…

でも、私は人を狩れない、私の娘のように生きて、歩いている人間たちの顔を見ると、何も…出来なくなってしまう」

 

 僕の言葉に戦いの張りつめた、緊張の糸が途切れ、彼女は呆気にとられていたが、考えるように手で顎をなで、真摯に、彼女は答えてくれた。敵対していた相手に見せる反応ではなかったが、今はそれがありがたいとさえ感じた。

 

 その答は半ば僕が予想していた答と同じものだったが、それでもう満足だった。矢張り、彼女たちが屍を漁っていたのは、人間を傷つけたくないからなのか。赫眼を出さなければ、人を食べなければ、赫子がなければ、彼らは人と何ら変わらない。

 

「僕は…喰種が嫌いだった。人間を食い物にして、悪しく欲望にまみれた奴らが疎ましかった……」

「それは」

「変わってますよね、でも僕はそうすることしか出来ない。人を……食べられない僕には、喰種を恨み続けるほかなかった……でも、それは大きな間違いだった。悪じゃない喰種……守りたい人…僕は何のために生きていけばいい!?」

 

自分でも、何を言っているのか分からない。自問自答にも思える心の叫び、誰にも分かるはずのない憤りを見ず知らずの他人にぶつけてしまった。その事に気づくと急に恥ずかしくなってしまう。

 

何を言っているのか、そしてもし答えを知っていたとしても僕と先まで敵対していた女が僕の質問に答えてくれるとは思えないのに。

 

それだけを告げて去ろうとする僕をだが、女の声が呼び止める。何か謝罪を要求されるのかと勘繰るも、その女の表情は明るく打算のかけらもない心地の良いものだった。何だと言うのだ何故この女は僕に笑顔を向けている…?

 

「私もね……昔はそうだった。貴方の言うように汚い事もした、生きるためとは言え人殺しだってしたわ……でも、この娘が出来て私は変われた。

私に、命の大切さを教えてくれた人がいるの、そうこの20区で喫茶店を営んでいる人なんだけど、きっと今の貴方の力になってくれるはずよ」

 

その言葉は僕に余計な刺激を与えまいとしたゆえに紡がれたものだったのかもしれない。だが、それでも僕の心へその言葉は深く響いたのだ。

 

「喫茶店…」

「そう、私は貴方の気持ちを分かってあげることは出来ないけれど、あの人なら……人間が本当に大好きなあの人ならきっと……」

 

 なら、僕がこんなにも人間を守りたいと、あの大切な家族を愛おしく感じているのも、個性で良いのだろうか。彼女も僕に敵意がないことが分かったのか、赫子を戻して、静かに僕の話に聞き入ってくれていた。

 いつの間にか隠れているはずの娘まで、母親の背後にしがみついて、僕の顔をじっと見つめていた。

 

「どうしたの?」

 

 大人しそうな印象を受ける少女だったが、その好奇心旺盛な眼差しはどこか妹を彷彿とさせる。何とも奇妙な気分になりつつも、不思議そうに見つめる視線に疑問をぶつけると、娘はおもむろに僕の顔を指さした。

 

「蟋蟀?」

 

 蟋蟀と言う言葉に敏感に女性は反応するが、僕のマスクと娘を見比べて、ふうとため息を付いた。

 

「気付かなかったわ、黒い蟋蟀のマスク…13区の蟋蟀なのね…噂とぜんぜん違うわね。いえ、さっきまでの貴方は噂通りだった」

 

「ああ、このマスク……まあ、貴方たちなら良いのかな」

 

 この二人に対して素顔を晒す危険性を考えてもそれは意味のない事だろう。娘の好奇心旺盛な質問に僕はマスクを外し、懐にしまう。すると女も少女も驚いたような顔で僕を見るのだ。

 

「まだ……こんなに若かったのね」

 

「よく言われます、僕は音葉……今日は御免なさい、そしてこんな僕の話を真摯に聞いてくれて……笑わないでくれて有難うございます」

 

 初めての印象は失敗してしまったので、今度は友好的にと思い、精一杯の笑顔で挨拶すると、娘は顔を真っ赤に染めて照れたように母親の陰に隠れてしまった。

 

「ごめんなさい、ちょっと人見知りなの……それに少し怖い思いをしてしまったしね、私は笛口リョーコよ、こっちは」

 

「ひ、ひなみです、よろしくお願いします!」

 

 笛口さんが、ぽんとひなみの背中を僕の方に押し出せば、ヒナミちゃんはあわあわと口を動かして、顔を百面相に変える。

 可愛い…

 人間以外で、何かを可愛いと思ったことは初めてだった。懐かしい、家族と過ごしていたときの日々を思い起こさせるようだった。こんな感じであの小さな少女も、人見知りなところがあった。

この子とは違い、嫌な事があると少し頬を膨らませて拗ねる癖があった、可愛い家族。今頃、どうしているのだろう?

 

「よろしく、笛口さん」

 

 長髪の女性と手を交わして、おずおずといった風に手を差し出すヒナミちゃんを見ていると、愛でたいよりまず苛めたいと強く思ってしまう、だからちょっと僕の悪い癖がでたのかも知れない。

 ほんの少しだけ、ヒナミちゃんの困った顔が見たくなってしまったのは、偶然だと弁明させて欲しい。

 何時も喰種を襲っていたので、怖がらせたいなというSっ気が出たのは否めない。

 

 

「よろしく、ヒナミちゃん…」

 

 僕は恐る恐るといった具合に差し出された手を握り締めそのまま口元に持っていき、パクッと口にくわえたのだった。

 ……甘噛みだが、結構美味しい汗の旨味と、こんな薄暗い森でいるからか、扱けてしまったのだろうか、少し怪我をしているのか血の味が身体に染みる。

 

 このまま手を噛み千切ってやりたいと湧き上がる衝動を抑えながら、口から手を離すと、ヒナミちゃんは、顔をまるでリンゴのように真っ赤にして、その場に崩れ落ちてしなったのだった…

 

 

 

 僕の食欲も少し限界に近いのかも知れない。

 早めにここを離れなければ、本当に彼女たちを襲ってしまいそうだった…

 

 差し出した手を、二人はしっかりと握ってくれた。この日、僕は食糧の友人が出来た。それが良いことか悪いことかは分からないけど、20区へ向かう足取りが何時もより軽かったのは確かだった…

 

あの人間好きを自称した喰種は、人間と喰種の共存をまるで叶えられる実現可能な夢のように語っていた。おとぎ話のような夢物語、だがその口調はまるでその世界を見てきたかのように重みがった。それが本当に叶うように思えてしまうのが、梟の強さから迸る強みでもあるのかもしれない。

 

風の噂でも聞く、20区にある人間好きな喰種が営む喫茶店、それは人との共存を掲げた喰種の未来への一歩なのかもしれない。喰種を根絶するという叶えられない願望を掲げ人間の平和を望むよりは、その未来はなるほど安定していて、とても面白そうだ。

 

 そこで僕はあの人から色々と学ぶことが出来るような気がする。

 今度は僕から喫茶店へ行くのも良いかもしれない、そして恐らくいるだろうあの少女に謝っておくのも悪くないだろう。

 

 考えて考えて考えて考えて、そして僕の答えをだそうと思う。

 喰種は悪なのか、それとも善なのか…

 

 その答えは誰も知らない。だけど……自分なりの答えというものを僕は見つけよう。


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