竜戦の直前、旧多二福の息がかかったピエロにより半死半生のまま遠隔操作されていた隻眼の梟は、死体を回収されることなく竜に飲み込まれた。仮に生きていたとしても赫者にまで至ったエトの体は完全に喰種に寄り、とっくに人間の食事を受け付けなくなっていた。
何がどうして現在進行形で幼くなった姿でカレーパンに大はしゃぎしているのか。
話は三日前に遡る。
許可を(一応)得て竜管へ入った三人は早々に迷子を装って引率の保安官を撒き、オウルの遺体と未発見の閉塞卵管を観測することに成功した。元々伊鶴の立てた仮説を証明するための証拠集めが目的であり、実際に掘り起こす気はさらさらなかったのでそのまま来た道を帰ろうとした次の瞬間、足元の肉壁がパクリと割れた。
観測の精度を上げるために持ち込んだクインケで両手が塞がっていた伊鶴は無様にも滑落し臀部を強打した。
人間よりは頑丈でも痛覚はそれなりにあるため、衝撃に呻きながらも伊鶴は赫子が感じとる空間の異様さに眉間に皺を寄せた。
ぬるりとした卵管特有の体液臭さ、そして膜に詰まっている竜遺児。感知した反響具合からほとんどが同じ形をしているが、一つだけやけに人間に近い個体が混じっているのに気がついた。
それを見つけた時の伊鶴の表情を知る者はいない。ただ竜遺児を刺激する可能性をかなぐり捨てて一心不乱に卵膜を引き裂き、鼻を突く生ぐさい羊水に浸ったそれを冷たい空気の中に連れ出した。
芹杜の静止がなければその場で意識を覚醒させるために衝撃の一つも与えかねなかった。
触診ではおおよそ人体と大差なく、容姿は多く見積もっても10歳、下手すれば7歳。ラッパのような末広がりの赫子を押し当てて内部を探れば赫包も存在する。内臓も過不足ない。体温は生まれたてのためかやや高いが心肺呼吸も問題ない。
しかし人間でないことだけは確かだった。
クインケを入れていたアタッシュケースに小さい関節を曲げて詰め込み、呼吸可能な隙間だけ開けて地下の研究室へ隠す。また隠し通路を抜けて何事もなかったかのように保安官と合流した。
その日のうちに血液検査や赫包の一部を採取し、TSCのコンピュータに保存されているCCG時代からの敵性喰種の記録と照合するべく志選が奮闘していると、それは意識を得た。
「おはよう、体の調子はどう?」
警戒を解くことなく微笑みかけた伊鶴をしばらくぽかんと見つめてから少女は手足の動きを確かめ、
「あぁ、うん、おはよう…でいいのかな」
意思持つ返答をした。人格が存在する。意識がある。おそらくは記憶まで。
「抑制剤を打たせてもらってる。暴れられると困るし。名前と年齢、ざっくりした履歴を答えてもらえる?」
「俺は日述芹杜、東京保安協会TSCアカデミー三年だ。こっちは香戸伊鶴」
草色の目が一瞬疑念に揺らぎ、考え込み始める。
「
__________今は何年だ?」
「西暦二〇五八年、11月29日。CCGの瓦解から42年経ってる」
「隻眼の王はどうなった」
「
「ふ、ふふ、あの道化は死んだか」
「死にましたねぇ。
ところで名前を答えてくれません?」
「?私が誰か分かっていて起こしたんじゃないのかい?」
「竜の卵管にいたのを引っ張り出してきただけ」
「竜…そうか、うん。
私は、エト。芳村愛支だ。高槻泉の方が通じるかな」
「5年前に『王のビレイグ』の紙媒体が増版されてましたよ」
「嬉しいなぁ、サイン要る?」
「後でもらいます、全巻単行本で揃えてるので。
年齢は?」
「27だよ。少なくとも記憶にあるのはね。
なんか小さくなってるのだけは分からないけど」
「今のは何歳くらい?」
「14、いやもっと前か…?昔は定期的に身長を測るような生活はしてなかったからね」
「10歳前後?」
「まぁざっくりだとそうなる。
こっちが質問していい?」
「どうぞ。答えられる範囲なら」
へらりとした笑みを崩さない伊鶴にエトは問いかけた。
「君たちは
私の知る人間とも喰種とも違う匂いがする。強いて言うなら赫者に似た、それよりももっと窒息しそうに濃いどろついた匂いだ。
しかも二人とも。まるで24区の肉壁みたいだ」
鼻は悪くないつもりだよ、と片側がRc細胞に染まった目を細めると、目を合わせた二人はあっさり答えた。
「同じ匂いなのは私の赫包をセリに移植したからね。適合するドナーが私しかいなかったから」
「俺の産みの親は両方24区の喰種だ。飢えて壁を喰うのも珍しいことじゃなかったんだろう」
「あと私の祖父は和修の半人間だ。父親は不明だけど、喰種か、和修に連なる存在の可能性が高いそうだよ」
「お互い
「推定だけどね」
取り敢えず理解はするが納得しきってはいないぞと主張するように口を尖らせるエトだったが、その態度もまぬけにくぅー、と鳴った腹の虫で遮られた。
「お腹空いちゃった」
「生憎胃薬の持ち合わせはない。常備してある栄養ドリンクになるが構わないな」
「それって私ら用?」
「勿論。シェル、持ってきて」
観測室兼コンピュータ室にいる志選に壁のマイク越しに呼び掛ければすぐに処置室の扉が開く。6本セットのガラスボトルに入った薄桃色の栄養ドリンクを三箱重ねてトレンチに乗せている腕と指の力、そしてブレない体幹は賞賛に値する。安物のトレンチは格好つけの犠牲になったのだ。片っ端から開封しているのを興味深そうに鼻を動かすエトに、ストローマグが手渡される。
「何これ?」
「これなら倒しても溢れないだろう?作業しながらの水分補給に連日重宝しているよ。予備だが貴女用にすることにしよう」
「どうも…」
もう少し華奢なら美少女と見間違いそうな美少年がウインクと共に差し出したのが可愛らしい兎柄のストローマグというのがシュールだが、伊鶴らは気にも留めない。何故なら二人もマイストローマグに目がシャキッとするドリンクやら栄養剤やらを入れて咥えながら作業をするのが日常と化しているからだ。
取っ手が二つついているため、つい両手で握ってしまったエトが志選の顔から爪先まで眺め、如何にも困惑していますという表情で芹杜を見上げた。
「…志選がどうかしたのか」
「知人複数名の特徴がごちゃごちゃ混ざった見た目と匂いしてるから、視覚と嗅覚の差分が凄い」
思わず吹き出した伊鶴の手元が狂ってドリンクが少し溢れたのはご愛嬌である。
有馬さんお誕生日おめでとうございますと言いたい人生だった(12/20)