306号室で一人だけ取り残された風太郎。彼は今も悲嘆に暮れて項垂れている。
その時、部屋の外から聞き慣れた声が聞こえてくる。
「一花、四葉、フータロー! 助けて!」
風太郎はハッとした。聞き違いではない。明らかに三玖の声だった。
風太郎はすぐに立ち上がり、部屋を出ていった。また犠牲者が増えようとしている。これ以上誰かが死ぬところなんて見たくなかった。
306号室を出て、風太郎は竦んだ。豹変した景色──。ホテルの館内が、荒廃の様相を呈している。亀裂が入って剥落した壁の漆喰、うっすらと土埃に覆われた廊下、蜘蛛の巣が張った天井、裏庭に面した窓は濁ったように曇り、割れた箇所もあった。ほんのしばらく部屋にいた間に……。
また、三玖の声が聞こえてくる。
「私はここだよ!」
風太郎は微かな希望を見出した。三玖はまだ生きている。このホテルのどこかで。
館内に進み行くごとにホテルの荒廃が増していく。あたかも、自分の荒らんだ心の奥底へ潜るかのような下降感。闇が濃さを増し、ライトに照らされる廊下が色褪せていく。
空気が重く、息苦しかった。ねっとりとした圧迫感が風太郎を押し返してくる。これ以上の侵入を拒むかのように。
狂気を帯び始めた館内は、空間すら歪んでしまったようだ。西棟で二階から一階に降りようとすると、なぜか東棟の三階の廊下に迷い込んでいて……その異常な空間移動にしばしば見舞われた。風太郎の前進を妨害しているとしか思えない。
三角頭の怪物を生み出した犯人はもうわかった。だが、全ての謎が解けたわけではない。
誰の意志だ? この混沌を生み出すのは? 何をそんなに恐れているんだ?
階段を降りて階下に向かおうとするが、その度に不可解な空間移動に遭う。エレベーターならどうだろうか? エレベーターを使い、地下へと向かった。
地下に着いてエレベーターの扉が開くと、腰の高さまで浸水を受けていた。でたらめな異変ぶりである。水浸しの迷路を脱する出口を求めて広いフロアのバーに入り、厨房を通り抜け、ホテルの裏口に通じる通路に出た。ボイラー室や倉庫が並ぶ通路を行き着いた先に非常階段があって、そこを昇れば東棟の一階に戻れるはずである。空間移動が起こらなければの話だが。
扉を開けると階段があった。廊下とは様子が全く違っていた。踊り場には浸水の形跡すらなく、からからに乾いていた。廊下の浸水は幻影だったのだろうか? 己の虚ろな心の現れか? 風太郎は瓦礫の散らばる階段を踏みしめ、東棟の一階に上がった。
曲がりくねった廊下に並ぶ部屋の扉は、どれも朽ちた様子で歪み、開けることができなかった。行ける場所にいくしかない。行き着く場所へ。心の奥の、行き止まりまで……。
また声が聞こえてきた。今度は一花と三玖、それに死んだはずの二乃と五月の声まで。一花、二乃、三玖、五月の順に声が響いた。
「なんでお節介焼いてくれるの?」
「あんたなんて来なければよかったのに」
「なんで同級生のあなたなの?」
「あなたからは絶対に教わりません」
風太郎を突き放す言葉だった。
そうだ、俺はあいつらに必要とされていなかったんだ。金儲けのことばかり考えて、あいつらの気持ちなんて考えていなかった。あいつらにとって、俺はお荷物でしかなかったんだ。
四人の声が、先ほどと同じ順番で響いてくる。だが、風太郎を突き放す言葉ではなかった。
「あなたが先生でよかった。あなたの生徒でよかった」
「私のことをもっと知ってほしい。私がどれだけフータローを好きなのかちゃんと知ってほしいの」
「今度こそ私たちはできる。フータローとならできるよ」
「あなたは……私たちに必要です」
いや、違う! 勝手な思い込みをしてるだけだ! 確かに最初は俺のことを拒絶しているようだった。でも、みんな心を入れ替えて俺に付いてきてくれたじゃないか! それなのに、俺は……。
借金返済のために引き受けた五つ子の家庭教師の仕事。それは風太郎にとって苦痛でしかなかった。勉強を教えに来る度に反抗され、拒絶され、邪険に扱われて……お金を得るどころか逆に失ってしまったのだ。貧乏な暮らしの中でも決して壊れなかった心を、誰かに必要とされるはずの自分の存在意義を。
『あんたなんて来なければよかったのに』
この二乃の言葉が決め手となった。誰かに必要とされたくて、最初は金儲けのことばかりだった思考を改め、全力で彼女たちに向き合っていくと決意した。だからこそ、この言葉が応えたのだった。存在意義がすっかりなくなった気がした。どうしたら彼女たちに必要とされるのか、彼女たちから頼られる存在になれるのかを気にしていた。
その一方で、風太郎の心の中で自分でも気づかぬうちに闇が芽生えていた。
そもそも、俺は金を稼ぐことで家族の負担を軽くしてやりたかっただけた。家族を救うという至極真っ当な目的を果たすために家庭教師の仕事を引き受けただけだ。
それなのに、どうしてこんな思いをしなければならないんだ!? あんな頭も人間性も出来の悪い奴らにはもう付き合えん!
でも、家庭教師を辞めてしまえば今以上に金を稼ぐ手段は無くなってしまうだろう。らいはや親父につらい思いをさせるだけに違いない。
そうだ、俺が消えるんじゃなくてあいつらが消えればいいんだ! そうすれば、俺が家庭教師を辞めたとしても納得してくれるはずだ。頭が悪くて人の心を蝕むような奴らの方が不要な人間に決まってる!
誰か……俺を救ってくれ。俺の心をズタズタにした罪深い奴らを罰してくれ……。
風太郎は耐えられなかった。心が醜く衰えていく自分自身の有様に。誰かに必要とされるという信念を持つ彼が誰からも必要とされないのであれば、そこに残るのは抜け殻の肉体だけだ。
だから風太郎は……自分自身をこれ以上見失うのが嫌で、これ以上苦しみたくなくて、悪魔を生んだのだ。自分の代わりに彼女たちを始末してくれる悪魔を……。
みんなが勉強会に積極的に取り組むようになったことで、苦悩は解決されたように見えた。でも違った。解決したのではなく、押し殺していただけだったのだ。自分のことを信じようとする彼女たちの姿勢も無視して。いつまでも根に持って……。
廊下の突き当たりにあった扉は開き、不自然な廊下が延びていた。床が金網だけで出来た廊下だ。床下から這い上がってくる吸盤の化物を、もはや恐怖さえ潰えた心で淡々と撃ち落としていった。地下の倉庫で見つけた弾丸を浪費して。
廊下の先に現れた部屋の、そのまた奥にあった扉の前に立つ。圧迫感を覚えた。鉄鋼の扉の向こうから、これまでにない強い抵抗を感じる。侵入されるのを嫌う気配だ。
意を決して扉を開いた。一階のロビーが眼前に広がった。だが、見知った風景ではなかった。宿泊客が憩う応接テーブルやソファーも、喫茶コーナーもフロントすらない。だだっ広い監獄めいた空間だ。唯一残った部屋の中央にある大階段だけが、ここがロビーであることを主張していた。
大階段の上に女の姿があった。あれは三玖だ! 倒れた彼女の傍らには処刑人がいた。巨大な槍を構えた男……三角頭だった。風太郎たちが太刀打ちできなかった相手が二人も並んでいた。公開処刑をするつもりだ。
「フータロー! 助けて!」
三玖が叫んだ。必死に助けを求めている。風太郎がここに辿り着くまでの間に暴行を受けていたと言わんばかりに、涙にまみれた三玖の顔は痣だらけになって醜く腫れていた。
怪物が殺すところを見せつけようとしている。たった一人の見物人に対して。
風太郎が悲嘆の声で言った。
「やめろ……もう、やめてくれ。何度も俺を苦しめないでくれ」
だが、三角頭たちはそれに答えようとはしてくれなかった。二乃と五月の返り血を浴びた方の怪物が三玖の頭を鷲掴みして持ち上げ、もう一体の怪物が三玖の背後まで移動した。
「頼む、やめてくれ、お願いだから。これ以上、俺の勝手な願いで誰かが犠牲になるのは見たくないんだ……」
風太郎は再び懇願するが無駄だった。三玖の背後にいた三角頭が槍の先を彼女の後頭部に向ける。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおっ!」
風太郎は大声で叫んだ。もう遅かった。槍は三玖の頭を貫き、先端が彼女の口の中から飛び出していた。
「うわああああああああああああああああああっ!」
風太郎は床に崩れ落ち、絶叫した。悶え苦しんでいるのだ。自分の願いによって大切な教え子──いや、パートナーを三人も犠牲にしてしまったという事実に……。
二人の処刑人が彼を凝視している。いつの間にか風太郎を両側から挟むように立っていた。次の罪人を処刑するために。
三玖を殺した方の三角頭が風太郎を貫こうと近寄った。その時、風太郎がつぶやくように二人の怪物に語りかけた。
「俺は弱かった。家庭の環境や自分の立場を言い訳にしてばかりで、自分の心の闇と向き合うことができなかった。そして、自分のせいであいつらが死んだことを認めたはいいものの、どうやって罪を償えばいいのかわからなかった。
だからお前たちの存在を望んだんだ。俺の苦悩の根源を消してくれる誰かを必要として……。俺を罰してくれる誰かを必要として……。
でも、もういらないんだ。自分のことは自分で決着をつける」
拳銃を取り出して立ち上がる。何かを悟った表情を浮かべ、三角頭の怪物に向けて銃を発砲した。
今やっとわかったんだ。
混沌としてでたらめな町の異変のわけが。行く手を阻む化物たちの存在理由が。三角頭の怪物の目的と正体が。
それが誰の意志によるものであるのかを……。
いや、とっくの前からわかっていた。少なくとも、病院で入院患者の記録を目にした時には……。
認めたくなかっただけだ。希望にすがり、現実を忘れたいと願って。ある時は、「二乃たちを殺したのはあくまであいつだ」と俺の罪をあの怪物に押しつけて。ある時は、「あの怪物を生み出したのは、他の誰かだ」と他人に濡れ衣を着せてまで……。
すべてが俺の創り出したものではない。けれど、サイレントヒルに自らの意志で手を貸した。いわば共犯者だ。だからこそ、招かれたのだ。この町に、あいつら姉妹と共に。約一年という長い月日を経て。挙句の果てに、俺まで閉じ込めてあいつらの死に様を無理矢理見せつけようとした。
くねくねする化物は「拘束」を、吸盤の化物は「承認欲求」を、三角頭の怪物は「断罪」を元にして、俺が無意識のうちに生み出してしまった存在……俺の心の暗い部分だ。
俺の妄想を現実のものとしたのは、サイレントヒルに渦巻く力だ。不可解な暗黒の力が、俺の無意識にあった妄想を自分のものとして取り込み、この町に出現させた。
が、純粋に物理的な存在ではない。生み出した本人、似たような闇を持つ者、その闇の矛先を向けられた者だけがサイレントヒルの暗黒に同調し、目に見える。個人個人で心の闇の種類が異なるから、俺や五つ子たちが同じ化物を見ているとは限らない。吸盤の化物が俺にしか見えていなかったのがいい例だ。俺の承認欲求は「俺」を知らない奴らに向けたもので、五つ子たちは既に俺のことを認めていたから見えなかったんだ。たぶん、逆に俺には見えなくてあいつらにしか見えない化物だっているだろう。
やっと理解できたよ。ずっと不思議でならなかった四葉のことが。なぜ俺たちが三角頭の怪物に恐怖している中、一人だけよそよそしかったのか。刑務所の地下迷路の探索中、なぜあんなことを口走ったのか。
四葉には三角頭の怪物が見えていなかったんだ。俺の最大の闇の矛先が向いていなかったから。いや、正確には最初は向いていたかもしれないが、いつの間にか外れていたと言うべきか。
四葉だけは、他の四人と違い初めから勉強会に参加してくれていた。それだけでなく、俺はその他の面でもあいつに助けられてきた。お節介というほどに……。気がつけば、四葉だけが俺の心を癒してくれる存在になっていたんだ。一番頭が悪いけど、素直で献身的で、俺はそんな四葉の虜になっていた。だから俺は四葉に矛先を向けるのをやめたんだ。
……いや、噓だ! 四葉だけじゃない! 他の四人だって同じはずだ! 俺は他の四人を信じることから逃げていただけだ! プライドを傷つけられたことをいつまでも根に持って、あいつらのことを理解してやろうとしなかったんだ。あいつらだって最終的には四葉と同じように俺に付いてきてくれたのに、俺はそいつらを信じることを放棄した。その結果、この惨劇が起きてしまったんだ。
ごめんよ。一花、二乃、三玖、四葉、五月。自分の教え子のことすら信じることができない俺がお前たちの家庭教師で……。
ごめんよ。一花、四葉。俺の勝手な思い込みで、お前たちの大好きな姉妹を三人も犠牲にしてしまって……。
これだけは言わせてほしい……。俺は、お前たち全員に感謝している。お前たちがいなければ、俺は勉強以外に何も見えない人間のまま成長できなかっただろう。
俺を救ってくれてありがとう。
大好きだ、みんな……。
風太郎は二人の三角頭に銃弾を浴びせ続けた。自分の尻は自分で拭く。始末しなければならない。自分が生み出した悪魔を、きれいさっぱりと。
銃弾の残りなど念頭になかった。今ある銃弾を全てぶち込むだけだ。勝算などありはしない。ライフルの連射ですらくたばらなかった怪物だ。倒せなくてもいいと諦めていた。倒すことよりも、倒そうという気持ちが大事だと感じていた。それで少しは腰抜けの烙印を免れる。たとえ返り討ちにされようとも。
心なしか、三角頭の動きが鈍い。もとから鈍重な奴ではあったが、振り回す巨大な槍がいかにも重たそうだ。二人がかりですら風太郎を追い詰めることができずにいる。
妄想の産物ゆえに、風太郎の心のありようが、三角頭の動きに影響を及ぼしているのかもしれなかった。それまでは、風太郎の心の闇が怪物を屈強にしていた。心のどこかで彼女たちの死を望むことが、怪物にパワーを与えていた。それが消えた今、三角頭はクネクネやマネキン程度の雑魚に成り下がっていた。
だが、桁外れの頑丈さは相変わらずだ。拳銃程度の威力では、多少怯みはするものの膝を屈することはなかった。
戦いの幕が降りた。銃弾が尽きたのだ。
「これまでか……」
風太郎は苦笑いをした。巨大な槍の前に躊躇いもなく身を晒す。鋭い穂先を見つめ、目を反らしもしない。
「殺るなら殺れ、さあ!」
三角頭の動きが止まった。突然襲うのを止めて自ら三角錐の兜を持ち上げ、その猛々しい槍を喉に突き入れた。槍が柱となった格好で、彼らは立ったまま微動だにしない。
風太郎は眉をひそめ、怪物に接近して様子を伺った。拳で触れてみると岩のような感触があった。怪物は石像のようになり、それはもはや悪夢の残骸だった。
まるで呼応するかのように、町を囲んでいた壁が消えた……。
ストーリー全体の解説を記載しています。化物の存在理由、町の異変、三角頭の正体のヒントについて説明します。
まずは、化物の存在理由についてです。この項目については、クリーチャーの最後の解説も兼ねて説明していきます。
・クネクネ
風太郎の、五つ子に対する「意地でも勉強させたい」という『拘束』の精神が元となって誕生した。
・マネキン
二乃から告白をされたことで生じた、風太郎の『恋の悩み』が元となっている。
・ナース
風太郎や五つ子の、事故または病気により亡くなった自分の母親と看護婦のイメージが融合した存在。
・ぶら下がりの化物
風太郎や五つ子が抱く、病床での母親の姿の象徴。
・吸盤の化物
風太郎の、「自分のことを理解してほしい」という『承認欲求』が具現化したもの。
五つ子には見えなかったのは、彼女たちは風太郎のことを既に認めていたからである。
・寝台の化物
五つ子の、実の父親に対する嫌悪の感情が具現化したもの。
ちなみに、ゲーム名の「アブストラクトダディ」を翻訳すると、「理想的な父親」となる。
なお、吸盤の化物とは正反対で、五つ子だけに見えていて風太郎には見えない。
戦場となった部屋は、五つ子とその母親がかつて住んでいたアパートの部屋がモチーフになっている。
・三角頭A
第6話で初登場し、二乃と五月を殺した方の三角頭。風太郎の、「自分を苦しめる存在(四葉を除く五つ子)を罰してほしい」という『断罪』の精神を元にして誕生した、かつてのサイレントヒルに存在した死刑執行人。対象外の四葉には見えていない。
第15話で風太郎を狙うようになったのは、風太郎が自分の意志により二乃と五月を殺した(間接的ではあるが)ことを認め、苦悩の根源が「彼女たちから風太郎自身へ」と変わったから。
・三角頭B
第14話で初登場し、三玖を殺した方の三角頭。自分の願いで二乃と五月が死んだことを自覚した風太郎が、「自分を罰してほしい」と願うことで誕生した。
風太郎のみが殺害対象であるが、三玖を殺したのは、これまで自分の罪から逃げていた風太郎に対して罪の意識を持たせるためである。
最期は、生み出した本人である風太郎から「もういらない」と告げられたことで存在意義を無くし、三角頭Aと共に喉を槍で突き刺して自殺した。
次に町の異変についてです。箇条書きで示します。
・町を囲む巨大壁は、風太郎の「心の闇を蓄えるもの」の象徴である
・謎の空間移動は、真実を「知りたい」という想いと「知りたくない」という想いが葛藤した風太郎の心理を意味する
最後に三角頭の正体が風太郎の妄想の産物であることの伏線について紹介します。
・第7話や第13話で、二乃や五月が三角頭を風太郎と見間違えるシーンがある。→三角頭と風太郎の体格が似ている。
・三角頭が他のクリーチャーを無差別に殺害する。→風太郎が八つ当たりでクリーチャーに攻撃していたシーン(第7話、第8話)と重なる。
・五つ子の銃撃は全く効かないが、風太郎の銃撃にだけは怯む。(第13話で三玖が三角頭に向けて発砲した時は怯みすらしなかったが、第10話で風太郎が発砲した時は怯んでいる)