簡単なことだよ、愛しい人(書籍版『バケモノのきみに告ぐ、』)   作:柳之助@バケつ1~4巻発売中

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ウォールウッドの醜聞

 

 少女は部屋の片隅で震えていた。

 全ての窓を閉めた部屋は暗い。

 本来いるはずの両親もとっくに逃げ出していて彼女はずっと一人ぼっちだった。

 両親だけではない。

 隣人もその隣の住人も。

 彼女のせいで死にかけた。

 だから少女は震えている。

 何故こうなってしまったのだろうと。

 何か悪いことをしただろうか。

 答えは出ない。

 事実として、少女は広くない部屋から出ることができずただ怯えているだけだった。

 そのまま行けば彼女は餓死していただろう。

 

「―――やぁ、こんにちは」

 

 そんな彼女の前に青年は現れた。

 黒い帽子と着古したコート姿。

 ぼんやりとした笑みを浮かべた小動物みたいな男。

 

「っ……来ないで、ください!」

 

 かすれた声で少女は叫んだ。

 青年に対する恐怖ではない。

 自分の持つ何かが、青年を傷つけてしまうと思ったからだ。

 けれど、

 

「うん? ……あぁ、ごめんね急に来て。怪しい者には見えるだろうけれど、それでも危ない者じゃない」

 

 言われた通り足を止めて、のんびりと青年は微笑んだ。

 少女を気遣うみたいに。

 

「…………なんとも、ないんですか? 私の、近くに来て……」

 

「うん、そうみたいだね。だから俺が助けに来たんだよ」

 

 少女の周りにいた誰もが、少女の周りにいられなくなった。

 ある日突然、彼女は一人ぼっちになってしまった。

 光の差し込まないくらい洞窟に置いてけぼり。

 その奥で萎れた花みたいに。

 だけど、青年は散歩するような気軽さで現れて手を差し伸べた。

 

「君の望むものかは分からないけれど―――せめて、こんな部屋の片隅で震えないようにはできると思う」

 

 

●

 

 

 

 シズク・ティアードロップ。

 いつもフードを被り、少年用のズボンかスカートにしてもストッキングやタイツ、常に手袋を嵌めた露出を絶対に認めないファッションの少女。

 東洋系の血が入った顔立ちはエキゾチックな美少女であり、フードから零れる色素の抜けた白髪は目を引く。

 暗い赤の瞳はいつも半分くらい閉じているけれど、それが逆に彼女の魅力を引き出しているようでもあった。

 今年ようやく16になるにしては背が低く、発育は残念な部類だけれどそれもまた愛嬌だ。

 彼女は凄い。

 何が凄いって名前が凄い。

 ティアードロップ。

 雫の落涙ちゃんである。

 そう揶揄うと物凄く怒るから中々呼べないけれど。

 

 そんな落涙ちゃんは通り過ぎた馬車の影から現れた。

 バルディウムの高級住宅街の中心の噴水広場。

 天気は良いが平日なせいか、子供連れの家族や恋人たちが視界のまばらに遊んでいたり、道路では馬車や最近金持ちが乗り回すような自動車の真っ黒なガスが漂っている。

 彼女は道路を横切り、噴水の前で突っ立っていたノーマンの下へ歩いていく。

 平和な公園が似合わないなと、ノーマンは思った。

 パーカーの上に大きめのジャケットを羽織り、動きやすそうなズボンに、少しゴツめのブーツ。

 小柄な体を少しだけ丸めながら歩く姿は露出がないのも相まって、世界のどこからも浮いているような、どこにもなじめないような印象を与えてくる。

 暗闇でずっと蕾のまま、光を浴びることを拒否する咲かない花のように。

 放っておけばそのまましおれて消えてしまいそうな少女。

 

「やぁ、シズク。遅かったね。でも安心してほしい、俺も今来たところだよ」

 

「なんですかそれは。ノーマン君」

 

 高く澄んだ声だった。

 けれどそれに乗ったのは気だるげな、僅かな不満をにじませた声だった。

 思っていた反応と違って、ノーマンは思わず髪を掻いた。

 

「ありゃ、おかしいな。前に待ち合わせた時は、どれだけ待っても今来たところっていうものだって言ってなかったかな」

 

「それは集合時間より前に会えた時の話です。相手が遅れたのにそれを言ったらノーマン君も遅れたことになるじゃないですか」

 

「おぉ、確かに」

 

「もう……」

 

 シズクがフードの奥で息を吐く。

 仕方ないなぁという呆れの嘆息だ。

 

「遅れてごめんなさい。けれど、なんだってこんなところなんですか」

 

「悪くないとは思うんだけれど。定番の待ち合わせ場所らしいよ」

 

「らしいよって。待ち合わせに使ったことあるんですか?」

 

「ないかな。このあたりに用事なんてほとんどないし」

 

「でしょうね。私だってそうです、そのせいで迷いました」

 

「でも、俺はここが待ち合わせに有名なところってくらいは知ってたよ」

 

「私が知るわけないことをノーマン君は知っているでしょう」

 

「……まぁね」

 

 フードの美少女。

 落涙ちゃんことシズク・ティアードロップ。

 驚くことなかれ、彼女はなんと引きこもりである。

 16歳ともなれば商家や貴族の娘なら花嫁学校に通ったりしているものだし、貧しい家庭なら働いているか結婚しているかだ。

 なのに彼女は学校にも行かず、結婚もせず、働きもせず、自分の下宿先に引きこもって趣味のバイオリンを弾いているのが大半という変わり者というにはなんとも残念な少女なのだ。

 本人自身にはそんな雰囲気はまるでないけれど。

 ノーマンは肩を竦め、

 

「とりあえず行こうか」

 

 歩き出す。

 シズクは返事を返さなかったがしっかりと隣についてくる。

 拳一つ分の距離を開けて。

 

「それで?」

 

 ジロリと冷たい眼が隣に向く。

 ノーマンは答えず、コートの内側からファイルを取り出しそれを手渡す。

 

「……」

 

 黙ってそれを受け取った。

 握れば折れそうな白い指。

 ファイルには数枚の書類と写真。

 まず彼女が見たのは貴婦人らしき人物が笑顔で映っている顔写真だ。

 

「誰ですかこの人」

 

「メアリー・ウォールウッドさん。運送会社の社長。未亡人で、5年前に死んだ旦那の会社を引き継いで成功させた敏腕女性社長さんだ」

 

「おいくつで?」

 

「35歳」

 

「享年35歳って言うべきですね」

 

 ぞんざいに、つまらなさそうな動きで写真を捲る。

 そこには享年35歳のメアリ・ウォールウッドの死体の写真が。

 それなりにショッキングな死に方をしていたが彼女は顔色を変えずにファイルを閉じた。

 

「最悪ですね」

 

「全くだ。彼女が亡くなったこともそうだし、運送会社ってのはこのバルディウムじゃあ別の街からの入ってくる物資って大切だし……」

 

「そうじゃないでしょう」

 

 ばすんと、音を立ててファイルが突き返された。

 

「久しぶりに待ち合わせと思ったらこれで、いきなり仕事の話ですか?」

 

「仕事だからね」

 

「非合法な」

 

「とんでもない。……あぁ、いえ。ミステリー小説の話ですよ」

 

 続いた言葉は通りすがりの紳士に向けて。

 高そうな燕尾服とシルクハット姿の若い青年だがおそらく貴族か何かだろう。

 このあたりでは珍しくない。

 小柄な少女から非合法なんて言葉を聞いて足を止めてしまっていたので、ノーマンがやんわりとほほ笑んで話しかけた。

 

「あぁ……なるほど。そうなると、そちらのお嬢さんはワトソンかな」

 

 夜会なんかじゃ女性に引っ張りだこだろうな、なんて思わせる上品な笑みの紳士は小さくお辞儀をしてから歩いて行った。

 

「…………ワトソンってなんですか?」

 

 いつの間にか一歩離れていたシズクが距離を戻しながら聞いてくる。

 

「知らないの? 何年か前に流行った推理小説。王都で大流行して、バルディウムでも去年あたりみんな読んでたよ」

 

「みんなって誰ですか?」

 

「……君と俺以外の誰かってことかな」

 

「知りませんよ。あまり文字の多い小説を読むと頭が痛くなるので」

 

「……」

 

 なんというか。

 クールでダウナーな雰囲気の美少女から聞きたくないセリフの上位ではないだろうか。

 

「それで?」

 

「シャーロック・ホームズっていう名探偵の主人公がいて、その助手のジョン・ワトソンが振り回されながら事件を解決するっていう話だよ」

 

「ふぅん」

 

 シズクは小さく頷き、

 

「……ふっ」

 

 俯きながら小さく口の端っこを歪めた。

 フードや身長差による角度の加減で見えたわけではないが、ノーマンとシズクの付き合いはそれなりに長い。

 年頃の少女がするような笑みではない笑い方。

 大体の場合、彼女はそう笑う。

 

「その話なら、ワトソンはノーマン君でしょうに」

 

「……まぁね」

 

「ぷぷっ……くく……」

 

 妙にツボに入ったらしく、小さく肩を震わせていた。

 

「…………あの本、俺が印象的だったのはさ。わりと頭の螺子が外れてる名探偵に振り回されてる助手が、文句言いつつなんだかんだ付き合ってるところだったよ」

 

「くくくっ……ふふっ……やっぱりノーマン君じゃないですか……!」

 

 肩の震えが大きくなった。

 なんだろう、全く釈然としない。

 

「ふぅ。いえ、失礼でしたね。ノーマン君は文句言わないですし」

 

「そうか……? そうかな……」

 

「えぇ。言っていたとしても私は聞いていませんから」

 

「こいつ……」

 

「くくくっ」

 

 端正な唇をほんの少しだけ歪める笑み。

 暗闇の中で揺れる蕾のように。

 

「それでは行きましょうかワトソン君。殺人事件なんて面白くもなんともないですし」

 

「シャーロック・ホームズはそんなこと言わない」

 

 たぶん。

 

 

 

●

 

 

 

 

 

 30分ほど歩きたどり着いたウォールウッド邸はそれなりに豪勢な二階建ての館だった。

 そしてその主人メアリー・ウォールウッドの私室、即ち殺害現場もやはりそれなりに豪勢な部屋だった。

 部屋の中央に執務机、壁際にはびっしりと整頓された本棚や書類置き。どちらかといえばファイルやバインダーの方が多い。

 窓は二つ。人が通れそうな大きいもので日当たりも良さそう。

 天井近くには小さな換気口らしきものが一つだけ。

 絨毯は思わず沈み込んで行くんじゃないかと思うほどふかふかだった。

 良い部屋だと思う。

 

 問題は――――執務机が真っ二つに割れて、そこに血痕があったということだ。

 

 ノーマンはバインダーを取り出して、35歳が享年35歳になってしまった部屋着姿のメアリ・ウォールウッド氏の殺害写真と見比べる。

 写真には真っ二つになった執務机の間にメアリーがひ(・)し(・)ゃ(・)げ(・)て(・)い(・)た(・)。

 正確には胸部がごっそり潰れている。骨が肉を突き破り、内臓は破裂していただろう。

 彼女を執務机に腰かけさせ、そこに鋼鉄かなにかの巨大なハンマーを思い切り振り下ろした―――としても、そうはならないはずだ。

 しっかりとした造りの机がぶっ潰れている。

 相当の力自慢でもこうはならない。

 

「なるほど」

 

「どうだ、ヘイミッシュ」

 

 声をかけて来たのはシズクではなかった。

 くたびれたモスグリーンのコートとやはりくたびれた黒いスーツの長身の痩せた男。

 髪は短く切り揃えられているが、身だしなみを気にしているというよりも手入れが楽だからという感じ。

 顔はそこそこ、だが疲れている表情と目の隈のせいで女性受けは悪そうだ。

 ハリソン・レナード。

 バルディウム警察の刑事であり、ノーマンとはそれなりに旧知の仲だった。

 というよりも、ノーマンと会う時はいつも疲労困憊という感じなので勝手に心配していた。

 

「そうですねぇ」

 

 かけられた声に肩を竦める。

 

「俺にはなんとも」

 

「別にお前の推理を期待しているわけじゃない」

 

 切り捨てるような、うんざりしているのがにじみ出る声だった。

 

「状況を理解しているかと聞いたんだ」

 

「あぁ、それなら一応。死体に、壊れた机、それに……」

 

 視線を動かす。

 部屋の角にはむっつりと黙ったシズクがいて、さらにずらせば一つだけしかない出入り口があった。

 本来は扉があったのだろうが―――壊れてただの出入り口になったもの。

 蝶番が壊れた跡もある。

 

「壊された扉」

 

「そうだ」

 

「窓は壊されていないですけれど」

 

「事件当時、鍵が掛かっていたのを確認されている」

 

「出入口はその扉以外には? 換気口は鼠くらいしか通れなさそうだけど、お金持ちが趣味で作った隠し通路とか」

 

「そんなものはない」

 

「なるほど」

 

 扉が壊されたということは無理やり突入したということ。

 窓には鍵が掛かっていて、他に出入り口もない。

 つまり、

 

「―――密室、ということですね刑事さん」

 

「そうだ。うちの鑑識や取り調べでも密室であると判断した」

 

「だけど、明らかに他殺の死体がある」

 

「あぁ」

 

「密室殺人、というわけですね。それも明らかに不自然な死体。当然犯人は見つかっていないし、犯行の手口も不明」

 

「だ(・)か(・)ら(・)呼(・)ん(・)だ(・)」

 

「でしょうね」

 

 むっつりとした表情でハリソンは頷く。

 頼るのは不本意だが、ほかにどうしようもないと言わんばかりに。

 

 別に彼が無能というわけでもないし、警察の権力構造や法律を無視して民間人に殺人事件の資料を渡し、勝手に調査をさせているわけでもない。

 これがノーマンと、それにシズクの仕事なのだ。

 普通に考えて起こりえない事件。

 条理に反した犯行手口。

 道理にそぐわない被害や死体。

 魔法や奇跡でもないかぎりできないようなこと。

 人間にはできないはずなのに―――起きてしまった事件。

 

 そういうものを調査するのが二人の仕事だ。

 警察とは派閥や構造は違えど、一応公務員でもある。

 社会認知はないどころか、表沙汰にはできない身分でもあるのだが。

 

「俺たち案件のようですね」

 

「そうか、よかった。だったらどうにかしてくれ。俺はこの屋敷の関係者と話してくる。お前たちが何者か怪しんでいるからな」

 

「名探偵とでも言っておいてください。シャーロック・ホームズのモデルだと」

 

「笑えないな」

 

 肩を竦めながら慣れた様子でハリソンは部屋を出ていった。

 

「……渾身の冗談だったんだけどな」

 

「渾身の冗談が面白くないという現実を受け止めてくださいノーマン君」

 

 やっと口を開いたと思えば辛辣な意見のシズクだった。

 彼女はハリソンが去って行った出入り口を見て呟いた。

 

「相変わらずやる気がない人ですね。ノーマン君ほどではないですけれど」

 

「やる気がないんじゃないよ。出しどころが解ってるんだ。俺たちを呼んだってことはあの人の仕事は警察や関係者への説明やなわばりの調整だからね」

 

「はぁ」

 

 どうでもいいと言わんばかりの曖昧な相槌だった。

 基本的に世の中に興味がない少女なのだ。

 

「始めましょうか」

 

「うん、よろしく」

 

 シズクは右手の手袋の先を咥え、手を下ろす。

 手袋を咥えたまま、左の手袋も外してから彼女がノーマンへと手を差し出し。

 そっとノーマンはシズクの手を優しく握った。

 細く、柔らかい、握れば砕けないか心配になる様な小さな手。

 そのまま真っ二つに割れた執務机の下に行き、空いている手で触れる。

 深呼吸。

 そして彼女は小さく呟いた。

 

「――――『反響共鳴(エコーハウル)』」

 

 その瞬間、ノーマンとシズクの世界は切り替わった。

 

 

 

●

 

 

 

 執務室。

 扉は鍵を掛けられ閉まっている。

 窓の鍵も。

 机は壊れていない。

 机の正面に寄り掛かった寝間着姿のメアリー・ウォールウッド。

 怯えている。

 体が震え、表情はこわばっている。 

 目に映るのは恐怖、疑問、驚愕――――拒絶。

 彼女が何かを叫んだ。

 次の瞬間、メアリーがぶ(・)っ(・)潰(・)れ(・)た(・)。

 しっかりした執務机ごと彼女の胸が潰れ、机は真っ二つに。

 冗談みたいな光景。

 人間にできるはずがない。

 できるとしたら。

 それはバケモノだ。

 

 

 

●

 

 

「っ―――」

 

 ひきつけを起こすように、シズクが息を呑む音と共に世界が切り替わる。

 

「ふぅっ……ふぅっ……」

 

 少しの間、頭を抑え落ち着くのを待った。

 ふらつく彼女の肩を抱き、支える。

 

 この世界には魔法も奇跡もない。

 あるのは現実と条理とただの人間と≪アンロウ≫と呼ばれる『何か』だけ。

 『潜伏者(インサイター)』。

 『変貌者(メタシフト)』。

 『逸脱者(ディヴィエイター)』。

 『歪曲者(ディフォーム)』。

 潜み、変わり、外れ、歪んだモノ。

 人にできないことをする、人によく似たバケモノ。

 

 シズク・ティアードロップは『潜伏者(インサイター)』だ。

 『潜伏者(インサイター)』とは人の感覚器官に干渉する異能を持つ≪アンロウ≫を示す言葉。

 シズクの場合は『反響共鳴(エコーハウル)』と呼ばれる能力を持っている。

 触れたものの何か―――思念のようなものを読み取り、それをヴィジョンとして見ることができる。

 最初は残留思念を見ているのかと思ったけれど話を聞く限りどうも違う。

 彼女の『反響共鳴(エコーハウル)』は時に未来のヴィジョンを見ることがあるからだ。

 故に彼女が見ているのはただの残留思念ではない。

 だったらなんだという話だが、それは誰にも分からない。

 ものに触れて任意でヴィジョンを読み取ることもあれば、偶然触れたものにヴィジョンを見る。

 彼女が露出を抑えているのはその為。

 特にふと触れたものにヴィジョンを見ないために手袋は必須だし、他人と距離を置いたり会話をしないのも余計なモノを見ないようにする、言うなれば彼女なりの処世術だ。

 

 触れれば見えるヴィジョン。

 過去か未来の反響(エコー)。

 何が起きているかは分かりやすいが、どうしてそうなっているかは分からない。

 だからそれは≪アンロウ≫であり、彼女は『潜伏者(インサイター)』なのだ。

 

 『反響共鳴(エコーハウル)』のシズク・ティアードロップ。

 

 そして彼女のような≪アンロウ≫と共に、人間には不可能な事件や事故を調査するのがノーマンの仕事である。

 ついでに言えば彼女のヴィジョンは触れさえすれば他人と共有もできる。

 ノーマンは自分以外に彼女がヴィジョンを一緒に読み取っているところを見たことはないけれど。

 

「落ち着いた? シズク」

 

「えぇ、まぁ。それにしても……」

 

 白髪を揺らしながら彼女は息を吐く。

 彼女はこのヴィジョンを見えるという異能により、こういった不可解な殺人事件に駆り出されることが多い。

 ヴィジョンを見てしまえば、犯人が一発で分かるからだ。

 不可解な殺人事件だと思われてヴィジョンを見て、案外犯人が凄く頑張ってほぼ不可能犯罪だったなんてこともわりとある。

 だが、今回は。

 

「犯人、見えませんでしたね」

 

「だね」

 

 そう、ヴィジョンでは犯人は見えなかった。

 そして『反響共鳴(エコーハウル)』では≪アンロウ≫は見えない。

 シズクが見えないということは、犯人は≪アンロウ≫だ。

 彼女の能力ならば≪アンロウ≫かそうでないかが一発で解る。

 これ以上ないくらいに明確に。

 問題は、

 

「誰が犯人で、どんな≪アンロウ≫かってことだね」

 

「それを考えるのは貴方の仕事ですよ、ホームズ君」

 

「…………」

 

 どっちの立場を気取るのかはっきりしてくれ。

 

 

 

●

 

 

 

 

 シズク・ティアードロップがホームズなのかワトソンなのかは一度置いておいて。

 実際の所聞き込みに関しては彼の仕事なのだからやらなければならない。

 相手が≪アンロウ≫なのは解ったが、それだけだ。

 何が殺したか、それだけ。

 ワッツダニット、とでもいうのだろうか。

 推理小説で言う、誰が、どうやって、どうして―――フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットのうち、どれも分っていない。

 ≪アンロウ≫の事件を任されている以上、犯人を捕まえなければならない。

 

「容疑者……と言うより殺害予想時刻に宿にいたのは5人だ」

 

 殺害現場から移動して、屋敷の中の応接室。

 先ほどの執務室と同じくらいの広さに、向かい合うソファと間に背の低いテーブルが。

 ノーマンとハリソンが向かう様に腰かけ、シズクはノーマンの隣に、やはり少しだけ距離を置いて膝を抱えていた。

 

「5人」

 

「そうだ、使用人とたまたま宿泊していたのが1人」

 

「この屋敷、結構大きいですけど多いのか少ないのか。というか外部の容疑者はいるんですか?」

 

「いるし、現在調査中だ。ただ、この家はわりと防犯がしっかりしていたな。日没には原則的に門は勿論、館の全ての鍵は施錠されていた」

 

「へぇ。意識高いですね」

 

「亡くなった旦那が強盗に遭遇して殺され、メアリー氏がこの館の主になってからはそうしているようだ。使用人もなるべく少ない人数にしているとのことだ」

 

「なるほど」

 

「……」

 

 隣のシズクがフードの奥で唇を曲げた気配がした。

 防犯はしっかりしていても、結局殺されちゃいましたね―――とか、そんなことを考えているのだろう。

 ノーマンもちょっと思ったが、そんなこと言ったらハリソンに怒られるだろう。

 

「事件当時屋敷にいたのは5人」

 

 疲労気味の刑事が繰り返す。

 執事のサイラス・アンブローズ、男性、65歳。

 執事見習いのアルフレッド・カーティス、男性、18歳。

 下男のガス・ウィンストン、男性、26歳。

 侍女のバーバラ・サントス、女性、36歳。

 医師のエルマー・ジーン、男性、44歳。

 死亡時刻である23時前後のアリバイは全員無し。

 

「…………無いんですか」

 

「侍女、医師はそれぞれの部屋で就寝ないしその準備。執事は自分の私室で明日の準備、見習いは地下のボイラー室で掃除、下男は図書室で本の整理をしていた。だが、それぞれの部屋の距離はある程度離れており、それぞれを見ていないらしい」

 

「はぁ。どうやって発見したんですか?」

 

「そりゃ音だ」

 

「はい? ……あぁ、いや、確かにそうですね。そりゃそうだ」

 

「真っ先に駆け付けたのは執事、少し遅れて下男。そこから他の連中を起こしたり、呼び出したりしたらしい。流石に地下までは音が届かなかった……というかボイラー室だからな。0時までは付けているのがいつものことだったらしく、その音で聞こえんだろ」

 

「凄いですね、お金持ち。船とかに使ってるのは知ってますけど、家に置いとく意味あるんですか?」

 

 十年だか二十年だか前に発明され急速に普及しつつある蒸気機関。

 バルディウムでは工場とか金持ちの一部が使う自動車でしか見ない。

 暖房として屋敷を温めるための設備なのだろうが、それにしたって必要あるのか、と思ってしまう。

 

「金持ちの考えることなんて俺が知るわけがないだろう。考えを考えて、俺が金持ちになれるか?」

 

「……まぁ、そうですけど」

 

 何とも悲しい。

 いずれにしても人間の胸が潰れて、机が真っ二つになるくらいなのだ。

 当然物凄い音がしただろう。

 

「それで部屋に行ったら鍵は掛かっていて、声をかけても反応はない。だからこじ開けたらメアリー氏が死んでいた、わけですね」

 

「そうだ」

 

「ふぅむ」

 

 想像してみる。

 夜遅く。

 屋敷に響き渡る轟音。駆けつけた執事さん。扉をこじ開ければ不自然に死んでいる主。駆けつける使用人たち。

 わぁ大変。

 

「うーん……」

 

 想像してみたが、よく分らないことがよく分かった。

 そもそも≪アンロウ≫絡みの事件はよく分らない何かの話なのだから仕方ないと割り切っておく。

 隣のシズクに軽く小突かれる。

 

「……」

 

 もっとちゃんと考えてください、なんて声が聞こえたような気がした。

 視線を向けたら、ぷいっと逸らされた。

 美少女でなければ許されない仕草だ。

 

「……あぁ? なんだよ」

 

 例えばこの過労気味の刑事が同じことをしても、申し訳ないがおぞましいだけだろう。

 いや、良い人なのだろうけど。

 

「えーと、それじゃあ刑事さん。容疑者……でもないか、容疑者候補と話せますか?」

 

「あぁ、話は通してある」

 

「いつもお世話になります」

 

「仕事だ」

 

 嘆息気味にそう呟いて彼は応接室を出ていった。

 気だるそうでもない不満そうでもない、仕事だからやっているという事実を言ったという感じ。

 正直ノーマンは仕事だからって自分たちみたいな訳の分からない人材を殺人事件の関係者と話せるように交渉するなんて御免だけれど。

 ノーマンはハリソンのそういう所を気に入っていたし、信用していた。

 こんなよく分らないものに情熱を上げる人間なんて、それこそどうかしている。

 

「はぁ、やっとですか」

 

 そして、ハリソンがいなくなった途端に口を開くのが落涙ちゃんである。

 

「ノーマン君」

 

「何かな」

 

「お腹が好きました。ダウニー通りのシャワルマが食べたいです」

 

「話を聞いたら食べに行こうか」

 

 ノーマンの返答に、シズクは気だるげに肩を竦めた。

 

「事情聴取、そんなに大事ですか?」

 

「勿論、重要さ」

 

 犯人が誰か――――よりも。

 きっと。

 

 そうして5人の使用人に聞いた話は興味深かった。

 

 執事のサイラスは元々は亡くなった夫の執事だった。

 ウォールウッド家に嫁入りしたメアリーが、ウォールウッド家の家業を継いだことに最初は難色を示したという。

 ウォールウッド家の血筋の誰かに任せれば言いと思っていたが、メアリー氏は苛烈だった。

 半ば無理やりに仕事をし始め、結果を出して周囲を、サイラスを納得させたらしい。

 彼は彼女のことを主として尊敬し、同時に娘のように慮っていたという。

 

 執事見習いのアルフレッド・カーティスは孤児だった。

 3年前にウォールウッド商会の社員から財布をくすねて、その金でスラムで商売をしていたところをメアリー氏に見いだされ、引き取られた。執事見習いというのは一応の立場であり、後々商会の幹部として育てる予定だったとか。

 中々の美男子であり、メアリー氏の情夫でもあったという。と言っても、周囲には半ば公認で関係は良いものだった。

 羨ましい話だなと、ノーマンはこっそり思った。

 口には出さなかったのにシズクに蹴られたけど。

 

 下男のガス・ウィンストンは新入りだった。

 半年前に前の仕事を失い、知人の伝手を辿ってサイラスからメアリー氏に紹介を受け、ウォールウッド家の下男となった。

 そのことを彼は感謝していた。

 彼は二十のころに両親を失っており、親戚もいない。だからサイラスの紹介があったとしても、メアリー氏が認めなかった彼は路頭に迷っていただろう。

 やっと仕事に慣れて来たのに、と言っていたのが印象的だった。

 主が死んだ彼の今後の活躍をお祈りしたい。

 

 侍女のバーバラ・サントスはメアリー氏の幼馴染だった。

 その時点で知ったがメアリー氏の実家はそれなりの貴族であり、バーバラは幼い頃からメアリー氏の専属侍女として姉妹の様に育った。

 お互いに何でも言い合える仲だったとか。

 5人の中では特に取り乱しており、話を聞くのがやっとという感じ。

 余談だが華やかだったメアリー氏とは違い、言っては何だが地味で幸が薄そうな女性である。

 

 医師のエルマー・ジーンが宿泊していたのは偶然だった。

 ここ最近、メアリー氏は体調を崩し気味だったそうで週に一回検診を受けていており、その感謝を込めてメアリー氏はエルマーをディナーに招待した。

 メアリー氏は酒を飲まなかったが、エルマーは少々飲み過ぎたせいでそのまま一泊したという。

 もっとも、酔いは死亡した彼女を発見して吹っ飛んだらしいが。

 死亡を確認したのも彼であり、発見した時には当然ながら死んでいた。

 何かできていればと激しく悔やんでいたが、あれではどうしようもないだろう。

 

 それが今回事件に居合わせた5人から聞けたことだった。

 

 

 

●

 

 

 

 

 

「いや、この5人殺す理由なくないですか?」

 

 一通り話を聞いた―――正確には話を聞いたノーマンの横でそれを聞いていただけ――シズクの第一声がそれだった。

 

 所変わって、ウォールウッド邸から徒歩で一時間ほどのダウニー通りの食堂。

 ひらぺったいパンに肉や野菜を挟んだサンドイッチ、シャワルマを食べている。

 ノーマンの下宿先に近く、行きつけの店だ。

 

 5人の話を思い出す。

 バーバラは取り乱していたにしても、それ以外の4人とも、特にエルマーは随分と警戒していたのが印象的だった。

 つまり、エルマー・ジーンはまともな大人なのだろう。

 

「そうだねぇ」

 

 ノーマンはのんびりと頷いた。

 

「5人とも、メアリー氏との関係は悪くない。むしろ良いものだったわけだ。普通に考えれば、殺す理由はない」

 

「普通ってなんですか?」

 

「さぁね」

 

 少なくとも、犯人は普通ではない。

 それから程遠いものだ。

 普通ではないもの。

 常識ではないもの。

 それが≪アンロウ≫というものだから。

 

「問題は」

 

 何度食べても飽きないシャワルマの甘辛いソースを楽しみつつ、楽しめない話をする。

 

「どのタイプの≪アンロウ≫かって話」

 

 『潜伏者(インサイター)』。

 『変貌者(メタシフト)』。

 『逸脱者(ディヴィエイター)』。

 『歪曲者(ディフォーム)』。

 4種類の≪アンロウ≫。

 

「『潜伏者(インサイター)』じゃあない。『潜伏者(インサイター)』にはあぁいう物理的に異常なことはできないね」

 

 例えばシズク・ティアードロップの『反響共鳴(エコーハウル)』は過去か未来のヴィジョンを見る。

 他人にヴィジョンを共有するなどの応用はあるが、しかし物理的な干渉手段はない。

 身体能力でいえば彼女は普通の少女と変わらない。

 外見でさえも、なにも問題はない。

 問題はなのは、内側。

 

 人間の、普通の、みんなの――――内側に潜むバケモノ。

 

 だから、『潜伏者(インサイター)』。

 

「となると3通り。『逸脱者(ディヴィエイター)』だとシズクと相性が悪いけれど、あの5人の中にはいなさそうだね。いるとしたら『変貌者(メタシフト)』か『歪曲者(ディフォーム)』だ」

 

「殺し方を考えれば『変貌者(メタシフト)』でしょうか」

 

「多分。『歪曲者(ディフォーム)』だったら、もうちょっと現場が荒れるだろうしね」

 

 ≪アンロウ≫はそれぞれ方向性がある。

 能力そのものだったり、キャラクター性だったり。

 『潜伏者(インサイター)』なら五感や精神に関する能力であり、対人・コミュニケーション能力に難があることが多い。

 他の三つのタイプもそう。

 

「殺した相手と関係性が良かった『変貌者(メタシフト)』の殺し、ですか」

 

 ぺろりと、シズクは唇についたソースを舐めた。

 

「なら、問題ないですね」

 

 言葉は少し、強調するように。

 

「そうだね。このまま行こう」

 

 同意はわりと軽めに。

 

「段取りは……刑事さんに頼めばいいかな」

 

「熱がないですねぇ、ワトソン君」

 

 よく知らないネタを引っ張るなぁとノーマンはちょっと呆れた。

 

「ワトソン君だから……いや、ワトソンじゃないけどね、僕は。ホームズを気取るなら推理でも披露してくれよ」

 

「犯人は≪アンロウ≫です」

 

「ふむ……続けて?」

 

「そのうちの『変貌者(メタシフト)』でしょう」

 

「そうだね」

 

「犯人はあの5人の中にいることでしょう」

 

「じゃなかったら面倒だね」

 

「えぇ。そして」

 

 ぴんっと細い人刺し指を立て、頬が微かに吊り上がる。

 仄暗く輝く赤い瞳。

 

「以上、解決でしょう」

 

「がっかりだよ!」

 

 シズク・ティアードロップ。

 がっかり要素が多い美少女である。

 

「なら今度はノーマン君がお願いします」

 

「……推理なんて興味ないくせに」

 

「ノーマン君の話は聞きたいですよ」

 

「嬉しくて泣きそうだ」

 

 落涙だけに。

 

「……さっき、現場が荒れてないから『歪曲者(ディフォーム)』じゃないって言ったけど」

 

「はい」

 

「たくさんある本やファイルは整頓されたままだった。仮に被害者が抵抗したり逃げようとしたりしたらやっぱり荒れたはずだ」

 

「なるほど?」

 

「遺体は部屋着、ある程度気を許してないとそんな姿では人と会わない。遺体は酷かったけど、服の袖は綺麗だったからやっぱり抵抗はしてないんだと思う。だから、犯人は部屋着姿を見せられるような間柄だった、なんてどうかな?」

 

「おお、それっぽいですね」

 

 シズクがシャワルマの付け合わせにあったポテトフライを5本並べる。

 その内の2本目と4本目を前にズラした。

 

「そうなると幼馴染さんか若い燕さんが怪しいですね」

 

「医者のエルマーさんも当てはまるかも。例えば緊急の夜に診察とかだったら寝巻きで対応するはずだ」

 

「あぁ、確かに。それじゃあそのうちの2人なら、どちらだと思います?」

 

「うーん……」

 

 ノーマンは首を捻りながらズラされた2本のポテトを摘み、少しだけ考える。

 ほんの数秒。

 

「いや、分かんないよ」

 

 肩をすくめながらポテトを口に放り込んだ。

 

「締まらないですねぇ。それで推理は終わりですか?」

 

「こんなの推理でもなんでもないよ。口にしてから気づいたけど、寝巻きで対応したからなんだってんだろ。5人中4人が使用人なんだから、部屋着見せることくらいあるでしょ。もう1人は医者だし、やっぱりそこもそんな不自然じゃない気がする」

 

「女心をもうちょっと考えてくださいよ」

 

 苦笑しながら、シズクは残ったポテトを口に運ぶ。

 

「悪くないと思いますけどね、特別な相手にしか見せない姿から……ってのは」

 

「そうかな?」

 

「えぇ。少なくとも私はそうです」

 

「ふぅん」

 

 興味深い話だ。

 何に対してのそう、なのだろう。

 推理の着眼点としてか。

 あるいは、特別な相手だけ見せる姿がある、という方か。

 いつもフードを被り、こうして食事の間でも手袋をして、露出を許さないシズクならば特に。

 

「密室に関しては……まぁどうでもいいですね」

 

「うん。密室自体は僕たちの仕事じゃない」

 

 では誰かと言うと、概ねハリソン刑事の仕事である。

 不可解な≪アンロウ≫の事件が起きて騒ぎになるたびに、それを隠蔽するのが彼の仕事だ。

 推理小説というのなら、よっぽど彼の方が向いているかもしれない。

 

「そういえば」

 

「うん」

 

「新しい曲、今(・)回(・)の(・)で(・)完成するかなーって感じです」

 

「へぇ」

 

 ポテトフライをいじりながら何気なく切り出された言葉。

 でもそれはシズクにとって意味のあるものだと知っている。

 引きこもりで、活字を読めば頭を痛くなる落涙ちゃんではあるが、けれど音楽に関しては大したものなのだ。

 独学ながらバイオリンを弾き、作曲まで熟している。

 彼女の作る曲の良し悪しはよく分らないが、それはノーマンとシズクにとって特別なものだ。

 

「それじゃあ、この事件を終わらせようか」

 

 重々しい言葉にも聞こえたけれど、ポテトフライ一本分くらいの重さしかなかった。

 

 

 

●

 

 

 

 その夜、犯人が屋敷に残っていたのは警察にそう言われたからだ。

 今回の現場に居合わせた5人のうち4人はそもそも住み込みであるし、1人は部外者ながら警察に言われてしまえば拒否はできなかった。

 メアリー・ウォールウッドが亡くなって、或いは殺されてから数日間、実際5人とも屋敷から出られていなかったのだし。

 人が死んだ屋敷で――なんて。そんなことも言えない。

 言うなれば喪に服していたのだ。

 5人ともメアリー・ウォールウッドを慕っていたことは揺らがない事実なのだから。

 

 犯人が夜半、玄関広間に足を踏み入れたのは誰に言われたわけでもなかった。

 嫌(・)な(・)感(・)じ(・)がしたのだ。

 耳の奥で。

 或いは胸の中で。

 ぞ(・)わ(・)ぞ(・)わ(・)と、かきむしる様な。

 言葉にできない不安と不快。

 まるで誰かに名前を呼ばれているような。

 殺した女に呼ばれているような――――そんな声。

 気づいたらいてもたってもいられなくて、呼ばれた声に従って、玄関広間に来ていた。

 

 正面に大きな玄関扉があり、客を迎える広い空間、そこから真っすぐ伸びる大階段。

 階段の脇の通路には使用人用の部屋や地下に繋がっている部屋がある。

 犯人はその通路から広間に入った。

 固く閉じられた両開きの扉。

 まるで外との繋がりを拒絶するかのように。

 

「―――!」

 

 犯人は振り返った。

 そして、階段の中頃に二人はいた。

 灰色の髪と厚手のコート、黒いフェルトハットが妙に似合う青年。

 顔立ちは整っているが垂れ目とぼんやりとした表情とぼんやりとした雰囲気で美男子という印象はない。

 同年代よりも年上の婦人に愛されそうな、大した爪や牙もない小動物のような男だった。

 

 もう1人はフードを被った少女だった。

 厚手のパーカー、少年用のズボン。両手には手袋も嵌めた露出を徹底的に認めない姿。

 東洋系の顔立ち以上にフードから零れる色素の抜けた白髪は目を引く。

 半分閉じた暗い赤の瞳。

 世の中の全てに興味ない、そんな目。

 

 ノーマン・ヘイミッシュとシズク・ティアードロップ。

 

 今日の昼過ぎに突然現れて、殺害現場を調べ、犯人を含めた5人に事情聴取をした謎の2人組だ。

 事情聴取、というのも変な話だった。

 普通それが行われる場合、相手が犯行時間当時何をしていたとか被害者との関係とかを聞くものだろう。

 だが彼ら―――というか、彼だけがメアリーとの関係やそれまでどういう人生を歩んできたかばかりを聞いていた。

 犯行時のアリバイとかはどうでもいい、という態度が印象的であり、いい加減でさえあった。

 

 そんな二人が階段から犯人を見下ろしていた。

 すっ、と。

 片手で帽子を押さえながら、逆の手の人刺し指でノーマンが犯人を指し示し言う。

 まるで推理小説の名探偵のように。

 神様が下す啓示のように。

 

「―――――君が犯人だ」

 

 

 

●

 

 

 

 ビクンと、執事見習いアルフレッド・カーティスの表情が歪む。

 目が見開き、薄い金髪が揺れ、顔が真っ青に。

 

「どう、して……!?」

 

 漏れた声は喘ぐように。

 

「……」

 

 そんなアルフレッドを見て、ノーマンは何故かきょとんとした顔をした。

 シズクは肩を竦め、息を吐いて口を開いた。

 

「一人目で当たりでしたね、ノーマン君」

 

 初めて声を聴いた。

 事情聴取の時彼女はずっと口を開かず、ノーマンの隣にいただけだった。表情冴え動かなかった。

 高く澄んだ声。

 けれど気だるげな、どうでも良さそうな感じ。

 いやそれよりも。

 

「うん。いや、手間が省けてよかったね」

 

「なんとかって幼馴染さんと迷いましたけどね。……何さんでしたっけ、この人」

 

「アルフレッド・カーティス」

 

「そうそう」

 

「何を……何を言っているんだ、君たちは!?」

 

 上がった叫びは悲鳴の様だった。

 けれど内容に問題がありすぎる。

 二人の緊張感のない会話。

 これじゃあ、まるで。

 

「か……鎌をかけたのか!? 僕が、犯人だと解っていないのに!」

 

「犯(・)人(・)か(・)誰(・)か(・)な(・)ん(・)て(・)ど(・)う(・)で(・)も(・)い(・)い(・)ん(・)だ(・)よ(・)、アルフレッド君」

 

 ピシャリと彼は言う。

 

「な……何を……探偵なんだろう!? 君たちは」

 

「探(・)偵(・)じ(・)ゃ(・)あ(・)な(・)い(・)。そう見えるかもしれないけれど。いや、どうでもいいは言い過ぎかな。ただ、優先度が低いんだ」

 

「なら、何が―――」

 

「貴方がどんなバケモノなのか、ですよ」

 

「そうしてどうして殺したか、だね」

 

「―――」

 

 亀裂が、入った。

 アルフレッドという青年の表情に。あるいは外殻に。

 犯人であると言われ、過剰な反応をしてしまったのとは違う。

 真っ青を通り越して真っ白に。

 それまで彼にあったのは焦燥と疑問。

 今の彼には―――はっきりとした恐怖が。

 

「君のような何かを≪アンロウ≫と呼んでいる。心当たりがあるだろう? 普通では、みんなにはできない何かができてしまう化け物」

 

 アンノウン?

 違う、アンロウだ。

 普通とも、みんなと違う存在。

 それならば確かにアルフレッド・カーティスは«アンロウ≫に他ならない。

 

「このバルディウムには«アンロウ≫がやたら多くてね。僕らはその≪アンロウ≫専門の探偵……というわけでもないね。僕は≪アンロウ≫じゃないし」

 

「―――同じ穴の狢ですよ」

 

 シズク・ティアードロップは笑う。

 暗闇でずっと蕾のまま、光を浴びることを拒否する咲かない花のような少女だと思った。

 けれど今、彼女は言葉を紡ぎ、笑っている。

 暗い穴の中で、同じ貉にだけ笑いかける。

 

「……あん、たも」

 

 瞬間、アルフレッドは奇妙な表情をした。

 動揺は消えていない、驚いたまま、顔色だって悪い。

 ただ確かに彼の顔には―――喜びが浮かんでいた。

 同じ穴の貉。

 同じもの。

 同じ―――バケモノ。

 

「聞かせてほしいな、アルフレッド君。どうして君はメアリーさんを殺したのかな」

 

「それは……それは……っ」

 

 喜びが消え、顔が歪む。

 記憶がよみがえる。

 メアリー・ウォールウッドに言われた言葉を。

 

「あの、人は……あ(・)の(・)人(・)が(・)言(・)っ(・)て(・)く(・)れ(・)た(・)ん(・)だ(・)!」

 

 叫びとなって溢れ出す。

 

「メアリー様の方から言ってくれたんだ! 隠していることがあるんだろうって! 私はそれを受け入れるからって! だから……だから俺は!」

 

「自分の異能を、彼女に見せた」

 

「そうだ! そうしたら……そうしたら……!」

 

「否定されて―――殺した」

 

「うぅぅぅぅ……!」

 

 頭を両手で抑えて上がる唸り声。

 支離滅裂の一歩手前。

 そんなはずじゃなかった。

 

「それで? 君は何をできるんだい?」

 

「……ぇ?」

 

「君は君の異能があるんだろう。俺たちはそれを知りたいんだ」

 

「―――」

 

「教えてよ、アルフレッド君。俺はメアリーさんとは違う。≪アンロウ≫を知っているし、知り合いにもいるし、隣のシズクもそうだ。君が普通じゃないからって君を否定したりしないからさ」

 

「――――――」

 

 また、アルフレッドの表情が動いた。

 笑っているような、泣いているような。

 断崖絶壁にしがみついて、もうダメだと思った時に手を差し伸べられた時みたいな。

 

「……はぁ」

 

 ぼんやりとした笑みを浮かべるノーマンの隣でシズクがつまらなさそうに息を吐いたことにアルフレッドは気づかなかった。

 

「お……俺は……体(・)の(・)大(・)き(・)さ(・)を(・)変(・)え(・)ら(・)れ(・)る(・)ん(・)だ(・)」

 

「へぇ」

 

 ノーマンが頷く。

 

「それは……どのくらいで?」

 

「鼠みたいなサイズにしたり……腕だけなら三倍くらいにできる」

 

「あぁ、なるほど。密室ができたのはそういうことか。通気口出たんだね。メアリー氏を殺したのは大きくした腕で」

 

「そう、だ」

 

「ふむ。腕だけとはいえ大きくしたら服びりびりにならない?」

 

「…………しゃ、シャツだけ脱いでたんだ。あの時は話が終わったら、そのまま……その……」

 

「はぁん、なるほどね。致す前に大事な話をしてたってわけだ。ベッドもないのに御盛んなことだ」

 

 簡単な種明かしだ。

 扉や窓には鍵が掛かっていた。通気口はあったけれど通れるサイズではなかった。

 だが普通は通れない通気口も、体を小さくできるのなられっきとした出入り口になる。

 普通だったら。

 けれどアルフレッド・カーティスは普通ではない。

 バケモノだ。

 あの部屋は普通の人間にとっては密室だったけれど、バケモノであるアルフレッドにとっては全く密室ではなかった。

 これはただ、そういう話。

 彼の能力さえ解れば、謎なんかじゃないし、推理するまでもない。

 

「大きくなったり、小さくなったり―――か」

 

「そうだ……そうだよ! 俺はもうスラムの小さなガキじゃない。勉強したんだ、努力したんだ。大きくなった! メアリー様だってそれを解ってくれていたはずなのに、なのに……受け入れてくれなくて―――」

 

「もういいでしょう、ノーマン君」

 

 やれやれと、シズクは失笑気味に遮った。

 彼女は笑っていた。

 同じ穴の貉に対して。

 片方の口端を歪めてもう片方の唇は曲がっている、年頃の少女には似合わない笑い方。

 

「典型的な『変貌者(メタシフト)』のな(・)り(・)た(・)て(・)じゃないですか。あれこれ聞き出すまでもないでしょう」

 

「んー、もうちょっと色々聞きたいんだけど」

 

「つまりはスラム育ちで搾取される側だった記憶がコンプレックスで、されないように勉強したけれど、幼い頃のコンプレックスはトラウマになって根底では自分をスラムの子供のままだと思っているから小さくなる異能に目覚めて、外見取り繕って大きく見せたいから腕だけ中途半端に大きくなる―――そんなところでは?」

 

「―――」

 

「おや、驚いた。いつから人の気持ちを推理できるようになったんだい?」

 

「知りませんよ、人の気持ちなんて」

 

 少女の――少女の形をしたバケモノ。

 その口の歪みが濃くなる。

 

「でも、バケモノの気持ちは解りますよ。『変貌者(メタシフト)』は分かりやすいですから」

 

「……………………め、メタ……?」

 

「『変貌者(メタシフト)』。君みたいに外見の変貌を伴う異能を持つ≪アンロウ≫はそう呼ばれているんだ。動物になるとか、武器になるとか、大きさが変わるとかね」

 

 普通から、みんなから。

 変わってしまったバケモノ。

 異能の使用が、そのまま外見上人でなくなってしまう。

 

 人ではない姿に変貌するバケモノ―――故に『変貌者(メタシフト)』。

 

「おかしな話だけれど『変貌者(メタシフト)』の変化は外見上なだけでね。精神面は普通のままなんだよ。そうなるとどうなるかって話なんだけど……」

 

「不安定になる。人のままの心と人ではなくなった体のせいで釣り合いが取れなくなって正常な判断ができなかったりするわけですね」

 

 正常な判断、と言われてもアルフレッドは解らなかった。

 やり方はあったはずなのだ。

 事件が起きて数日経っているのだから逃げればよかった。体のサイズを変える異能があれば警察の手を振り切るのは簡単なはずだ。外部に逃げられて潜伏されればノーマンとシズクにはどうしようもなかった。

 或いは捜査を混乱させるために現場を荒らしたり、屋敷の外で何か似たような事件を起こして混乱させることもできたはずだ。

 普通ならばできないことをやれるのだから。

 考えれば、できることがあった。

 

 或いは―――本当に悔やんでいるのなら自首すればよかった。

 

 異能に関してまともに取り扱ってくれるかは置いておいて、その選択肢もあったはずだ。

 けれど、アルフレッドは何もしなかった。

 思考を止めて、それだけ。 

 殺してしまったという罪悪感と自分の正体がバレるという恐怖におびえていただけだった。

 そして今、彼が思ったことは1つだ。

 

「―――た、助けてくれ」

 

「うん?」

 

「助けてください! お、俺はどうすればいい! メアリー様を殺してしまった! ここにはいられない! あ、アンタはその≪アンロウ≫を受け入れてくれるんだろう!? そっちの彼女みたいに、俺も、何かできることが―――」

 

「あるわけないだろう」

 

「―――――え?」

 

 ノーマンの目は冷たかった。

 彼は青年を見下ろしている。

 ぼんやりした小動物染みた雰囲気は消えていた。

 あるのは此岸から彼岸を眺めるような遠い視線。

 

「な、なんで!? アンタは≪アンロウ≫でも受け入れて―――」

 

「受け入れるわけないでしょ。自分を受け入れてくれないから人を殺すやつなんて。今君を受け入れてその後は? 些細な否定から殺されたらたまったもんじゃない。借りに俺が受け入れたとしても、別の誰かを同じような理由で殺しかねない≪アンロウ≫なんて危険すぎる。自(・)業(・)自(・)得(・)だ」

 

「な、なんだよ……きゅ、急に普通のことを―――」

 

「君がみんなと変わってしても」

 

 一瞬彼の視線が隣のシズクに向けられる。

 拳一個分―――ほんの少し体を揺らせば届く様な距離。

 シズクが体を揺らした。

 

「―――くすっ」

 

 いや、もたれかかったのだ。

 寄り添うように。支え合う様に。依存するように。

 笑みの意味を、彼は理解できなかった。

 

「人の内側に潜んでも、人から変貌しても―――俺たちが生きるのはみんなの社会だ。≪アンロウ≫だけの街はない。この城壁が囲んでいるのは≪アンロウ≫だけじゃないんだ」

 

 ≪アンロウ≫はみんなとは違うけれど。

 城壁都市バルディウムには多くのバケモノは隠れているけれど。

 それでもみんなと共に生きている。

 潜んだり、変わったり、外れたり、歪んだりしながら。

 法則に背いていても―――法律や倫理には従わないといけない。

 当たり前のこと。

 正論をぶつけているようで、ノーマンの物言いには説教臭さというものはなかった。

 そういうものだ、と言うのではなく、そうあるべきだと自分に言い聞かせるかのような言い方。

 そうでなくてはならない―――という感じ。

 

「なのに君はメアリー氏を殺した。≪アンロウ≫は罪じゃなくても―――人殺しは罪だよ。勉強したんだろう?」

 

「その勉強を教えてくれた人を殺したわけですけどね」

 

「そんな……そんなことを……今更……!」

 

 そう、全ては今更だ。

 アルフレッド・カーティスはメアリー・ウォールウッドを殺した。

 自分を受け入れてくれなかったから。

 自分の期待通りにならなかったから。

 

「ぅぅぅ……ぅぅううううう……!」

 

 頭を掻きむしり震え唸る。

 けれどノーマンとシズクはその様子から別の音を聴いた。

 ぎちり、ぎちり。

 糸を思いっきり、限界まで引き絞る音。

 

「シズク」

 

「―――えぇ」

 

 名前を呼ばれた時、彼女は笑っていた。

 アルフレッドは顔が限界まで歪んでいたけれど、シズクは満面の笑みすら浮かんでいる。

 ノーマンがシズクの手を取り、タンッ、と軽い動きで彼女は一歩階段を下りた。

 動きでフードが外れ、白い髪が零れ落ちる。

 細くしなやかな、月明かりに照らされ輝く白銀。

 フードに押し込められていた髪は腰まで届くほどの長さだった。

 瞬間。

 

「うわあああああああ!!」

 

 糸が切れた。

 理性の糸。本能の糸。我慢の糸。或いはそれら全部まとめたものがぷつりと。

 アルフレッド・カーティスの右腕が巨大化する。

 拳だけでも人の胸を十分に潰せるほど。

 服を引き裂いて三倍ほどになった不釣り合いな巨腕。

 

「―――あはっ」

 

 それを見て、やはりシズクは笑っていた。

 ずっと、彼女は笑っている。

 その意味を、アルフレッドは理解できなかった。

 巨腕を振り被ったバケモノにシズクは右手を翳した。

 左手はノーマンと繋いだまま、バイオリンの絃を弾く様な優雅な動きで指を鳴らす。

 ぱちん。

 

「――――『残響共鳴(エコーハウリング)』」

 

 そして――――アルフレッド・カーティスはヴィジョンを見た。

 

 

 

●

 

 

 

 

 

 『反響共鳴(エコーハウル)』という異能は『残響共鳴(エコーハウリング)』という異能を基にした異能である。

 ≪アンロウ≫はそれぞれが単一の異能を持つが応用ができないわけでもない。

 むしろ心構えと訓練によってより強く、使いやすくするものなのだ。

 

 例えば『残響共鳴(エコーハウリング)』のシズク・ティアードロップは――――1年半前、≪アンロウ≫として目覚めた際に自宅周囲1ブロックの住人に対してその異能でパニック障害を引き起こしている。

 

 人数にして数十人を発作で殺しかけたのだ。

 当時、バルディウムに来たばかりのノーマン・ヘイミッシュと出会わなければ、きっとシズク自身が壊れていただろう。

 だからシズクにとってノーマンは特別なのだが、その話は置いておくとして。

 

 『反響共鳴(エコーハウル)』は触れたものの過去か未来のヴィジョンを見る異能である。

 この場合ある程度任意でヴィジョンを見ることができるが、それでもふとした瞬間に意図しないヴィジョンを見てしまうので露出を減らさずにはいられない。

 調整して、弱体化して、そしてやっとこれなのだ。

 

 『残響共鳴(エコーハウリング)』はもっと性質が悪かった。

 接触によって発動するのではなく―――聴覚によって発動するのだから。

 否、それも正確ではない。

 異能を発動する時、シズクから物理的な音は発生しない。

 だから音による異能ではない。

 ただ音という空気の振動に似た――――何かが震えることで異能は発動する。

 過去か未来のヴィジョン。

 或いはそれは人の心の残響。

 触れていなくても、彼女は相手にヴィジョンを見せることができる。

 ならば、触れることなく相手にヴィジョンを見せたらどうなるか。

 その答えをアルフレッド・カーティスは見ていた。

 

 

 

●

 

 

 

 ――――ヴィジョンを見ている。

 スラムでメアリー・ウォールウッドに拾われた時。

 暖かいご飯を食べさせてくれた時。

 汚れていない清潔な服を初めて着せてもらった時。

 計算や文字を教えてもらった時。

 ちゃんとした屋根がある部屋の、ふかふかのベッドで寝かしつけてくれた時。

 勉強を頑張ったら褒めてくれた時。

 商会の仕事を任された時。

 初めて肌と肌で触れ合い閨を共にした時。

 アルフレッド・カーティスがメアリー・ウォールウッドに見たヴィジョン。

 暖かな、まだ人間だった頃の光景。

 

 ぐるりと、世界が反転する。

 

 机の正面に寄り掛かった寝間着姿のメアリー・ウォールウッド。

 自分を見て怯えている。

 自分のせいで体が震え、表情はこわばっている。 

 自分を見てその目に映るのは恐怖、疑問、驚愕――――拒絶。

 自分に対して彼女が何かを叫んだ。

 

『―――バケモノ!』

 

 お前は違うと。

 自分は次の瞬間、メアリーをぶっ潰した。

 しっかりした執務机ごと彼女の胸が潰れ、机は真っ二つに。

 表情は恐怖と絶望に染まったまま、彼女は死んだ。

 あっけなく、かつてスラムで何度も見たような当たり前のような死。

 それに抗って生きていたのに、自分がそれを引き起こした。

 

 ぐるりと、世界が反転する。

 

『―――バケモノ!』

 

 彼女が叫ぶ。

 拒絶を。

 確執を。

 お前は違う。

 だから一緒にはいられない。

 

 ぐるり。

 

『バケモノ!』

 

 彼女は叫ぶ。

 来ないでと。

 近づかないでと。

 関わらないでと。

 ぐるり。

 

『バケモノ!』

『バケモノ!』

『バケモノ!』

『バケモノ!』

『バケモノ!』

『バケモノ!』

『バケモノ!』 

 

 彼女の残響(エコー)たちが共鳴(ハウリング)する。

 最も愛した女に拒絶され、自らの手で殺した瞬間が何度も何度も繰り返され続けるのだ。

 

「――――ぁ―――ぁぁ――――ぁぁぁぁ――――」

 

 アルフレッド・カーティスの何かに亀裂が入った。

 ぐるりと世界がひっくり返る度に、その亀裂は大きくなり、軋み、震え、壊れていく。

 それは――――心だ。

 

 ―――――『残響共鳴(エコーハウリング)』は心を震わせる。

 

 思い出したくない過去、想像したくない未来。

 そういう人それぞれの心の奥底に押し込めていないむき出しの神経のような場所に触れ、痛みの記憶を繰り返し増幅させるのだ。

 

 そ(・)し(・)て(・)触(・)れ(・)ず(・)に(・)発(・)動(・)す(・)れ(・)ば(・)異(・)能(・)は(・)彼(・)女(・)の(・)制(・)御(・)か(・)ら(・)外(・)れ(・)て(・)無(・)作(・)為(・)に(・)ハ(・)ウ(・)リ(・)ン(・)グ(・)し(・)つ(・)づ(・)け(・)る(・)。

 

 常人ならばトラウマを強制想起させられ、パニック障害による呼吸困難や心臓麻痺を引き起こす。

 両親は、そのせいで死ぬ手前だった。

 隣人も死にかけた。

 よく知らない近所の人も心の傷を開いてしまった。

 ≪アンロウ≫となっても、シズク自身は何も変わらないのに。

 みんなの中にいるだけで、周りを傷つける。

 

 人の内側に潜む――――『潜伏者(インサイター)』。

 

 それは精神構造が常人からかけ離れた『逸脱者(ディヴィエイター)』や『歪曲者(ディフォーム)』に対しては効きが薄い。

 特に『潜伏者(インサイター)』は『逸脱者(ディヴィエイター)』には相性が悪すぎる。

 けれど。

 外見がバケモノになってしまっても、心だけが人間のままである『変貌者(メタシフト)』相手なら。

 シズク・ティアードロップというバケモノの異能は滅法効果を発揮するのだ。

 

 

 

●

 

 

 

「ぁ……ぁぁー……めあ、りぃ……さ、ま……」

 

「おや……案外しぶとい。或いは恥知らずとでもいうべきですかね」

 

 トラウマのリフレイン。

 接触せずに使ったことにより無限に等しいハウリングを繰り返す―――今の彼女はそのハウリングに指向性を持たせ相手を選べるようになった―――わけだが、無限に等しいということは決して無限ではない。

 記憶はいつか摩耗する。

 残響の共鳴にも終わりが来る。

 果てにアルフレッドは廃人一歩手前となっていたが、まだ何とかという感じながらも自分の足で立っていた。

 

「スラム根性ってやつかな。あともう一押しで壊れそうだけど」

 

「ふむ」

 

 ふらふらとゾンビみたいにその場に立ち尽くすアルフレッドを見てシズクは微かに眉を上げた。

 一瞬考え、

 

「――ノーマン君?」

 

「うん? どうし―――」

 

「ちゅっ」

 

 繋いでいた手を引き寄せ―――半ば無理やり唇を重ねていた。

 

「んんっ……!? ちょ―――」

 

「ぇれろ」

 

 流石に彼も驚いたが、構わずに舌を差し込みその口内を蹂躙する。

 

「―――ぁ?」

 

 突然始まったキスシーンに壊れかけアルフレッドは意味が分からない。

 何もかも解らず、けれど驚いたことは二つだ。

 

 ノーマンが彼女のキスを受け入れたのが一つ。

 喜んで受け入れたというよりも仕方ないな、という感じだった。

 子供の我がままを苦笑と共に受け入れる大人のように。

 それでも確かに、シズクの奇行を否定することなく受け止めていた。

 ズレて落ちかけた帽子を直す余裕すらあり、そっと彼女の腰を支える。

 

 もう一つ。

 それはキスを交わしながら、シズクが横目でアルフレッドを見つつ笑ったのだ。

 頬を紅潮させ、頬の歪みを吊り上げて。

 白い髪を揺らしながら、暗い赤い瞳がアルフレッドを貫いた。

 ぴしりと、アルフレッドに亀裂が入った。

 そのことにシズクは気づき、さらに笑みが歪む。

 

「――――」

 

 つまりは当(・)て(・)つ(・)け(・)だ。

 お前と私は似ているバケモノだけど。

 お前は受け入れられなかった。

 お前は拒絶された。

 私を受け入れてくれる人がいる。

 私を拒絶しない人がいる。

 

 でも―――私(・)と(・)お(・)前(・)は(・)違(・)う(・)。

 

 似ているけれど、違う。

 お前は愛されないけれど、私は違う。

 ただ、それだけを見せつけるためだけのキス。

 ずっと浮かべていた笑みも同じものだ。

 自分は相手よりマシだという優越感。

 別にキスしたかっただけかと言われれば否定する気もないけれど。

 

「――――――」

 

 アルフレッドの心にそれは響く。

 ぽとりと落ちる落涙の雫(ティアードロップ)。

 ぴしりと亀裂が入り。

 ぱりんと心が割れる。

 

「……どう、して」

 

 割れた心が砕けて散る瞬間、零れたのは疑問だった。

 シズクとアルフレッドは違う。 

 けれど、何が違ったのだろう?

 

「――――あはっ」

 

 唇を離し、額を突き合わせたままにシズクは笑う。

 ノーマンと自分の間に細い透明の橋が架かっている事実に軽く興奮しつつ言い放った。

 

「簡単なことですよ、同類(Elementary,Freaks)」

 

 横目で、ぞんざいに、いい加減に、ついでのように。

 けれどもったいぶって。

 『残響共鳴(エコーハウリング)』のシズク・ティアードロップは告げた。

 

「私が知るわけないでしょ」

 

「――――――」

 

 そしてアルフレッド・カーティスの心は壊れ、意識は途絶えた。 

 後に残るのは寒々しい、白けた空気だけ。

 

「……いや、読んでるじゃんシャーロック・ホームズ。ていうかそのセリフから繋がる言葉じゃないでしょ最後の」

 

「私は意外性に満ちた女なので」

 

 肩を竦めながら口端をそっと歪めたシズクにノーマンはため息を吐いた。

 

「がっかりだよ」

 

 別に、本当にがっかりしたわけじゃないけれど。

 

 

 

 

●

 

 

 

 

 

「メアリー・ウォールウッドさん、妊娠してたんだって」

 

 ウォールウッド家密室殺人事件を解決した次の日。

 ノーマンはシズクの家にいた。

 アパートの一室だ。

 あまり広くはない。寝室兼リビング兼簡易キッチンの一部屋とトイレ兼用のシャワールームがあるだけ。

 キッチンはほとんど使われているようには見えないし、寝室には箪笥とクローゼット、ベッドと机、それにシズクには少し大きいソファが一つ。

 けれどノーマンにはちょうどいいサイズのソファ。

 それに腰かけ、そして膝の上にはシズクを乗せている。

 普段とは違う服装だった。

 ゆったりとしたノースリーブのブラウスと太ももの真ん中あたりまでの動きやすそうな短パン。当然手袋もしていない。

 長い色素を失ったような白い髪も解き放たれている。

 ノーマンの膝の上に乗り、彼女は楽譜に書き込みをしていた。

 背中を彼に預け、誰がどう見てもリラックスした彼女は顎を上げて、頭の上のノーマンの顔を見る。

 

「妊娠?」

 

「そう。最近体調不良で、お医者さんが屋敷にいたでしょ? そういうことみたいだったね」

 

「はぁ。それならお相手は」

 

「当然、アルフレッド君だった」

 

「それはそれは」

 

 腕の中の少女の口端が歪んだ。

 

「享年35歳さんがアルフレッドさんに秘密を……とか言ったのはそういうことですか」

 

「メアリーさんね。ま、そういうことじゃない?」

 

 密室の真相は簡単な話だったけれど、そこに至るまでも簡単な話だった。

 メアリー・ウォールウッドは妊娠していた。

 アルフレッド・カーティスとはそういう関係で、しかも良好な関係だった。だから彼女も彼にそれを伝えた。

 結婚するから秘密は無しで、とかそんな感じだろう。

 アルフレッドが最近≪アンロウ≫に覚醒したことに彼女が気づいていたのかどうかは分からないが、深い関係なら感じることがあったのかもしれない。

 そして彼は自らの正体を晒して。

 彼女は彼を否定し、彼は彼女を殺した。

 

「酷い話ですねぇ」

 

「全くだ。ウォールウッド家のゴシップってわけだね」

 

「新聞社にタレコミしたら小遣い稼ぎできますかね」

 

「ダメだよ。多分いい感じに姉さんが処理するだろうし」

 

「残念」

 

 言うほど残念でもなさそうにシズクは譜面に視線を落とす。

 ≪アンロウ≫絡みの事件は公にはされていない。

 バルディウムの城塞の中には≪アンロウ≫が少なからず紛れているが、それでもその存在を知っている者は一握り。

 都合が悪いのだろう。

 みんなの中に―――バケモノがいるなんて事実は。

 誰にとって都合が悪いかを、ノーマンはよく知らない。

 この都市の上層部か、或いは国か。

 少なくともノーマンの所属し、義理の姉であるスフィアが統べる対≪アンロウ≫組織は国の組織なので、そういうことだろう。

 余談ではあるが、表沙汰にできない組織のせいでノーマンは表向き無職である。

 給料はちゃんと貰っているので生活には困っていないが、それでもそこはどうにかしてくれないかなとか思っていた。

 

「……よし。これで完成」

 

 とんっ、と軽い動きでシズクが立ち上がった。

 ベッドの上に置かれてあったバイオリンを手に取る。

 

「さぁ、ノーマン君。聞いてくださいますか?」

 

「勿論」

 

「では」

 

 彼女が笑う。

 いつもの歪んだ笑みではなく、少女らしい柔らかなほほ笑みと共に。 

 暗闇にしかいない花だとしても。

 花は花だから。

 咲くところを見て欲しい人にだけ咲く我がままな花。

 

 

 

 

●

 

 

 

 優しい音楽が奏でられる。

 それは普段のシズクを見る者が見れば驚くだろう。

 世の中の全てに興味がないような目で、皮肉気に口端だけをそっと持ち上げながら笑う少女。

 そんな彼女が生み出すとは思えない音。

 聞くものの心を癒すような、聴いているだけで心が落ち着くような。

 青空の下の草原で、暖かな陽だまりを浴びているかのような旋律。

 誰であろうと、どんな者であろうと包んでくれる、そんな音楽。

 光が差すはずのない暗闇に、しかし差し込む温もり。

 それが、シズク・ティアードロップがノーマン・ヘイミッシュの心に聞いた音楽だ。

 

 ―――――『残響共鳴(エコーハウリング)』は心を震わせる。

 

 それはシズク自身の心も。 

 本来触れられない人の内側に触れて、相手と心を振るわせ合えるのだ。

 ノーマンはシズクというバケモノを受け入れてくれるけれど。

 シズクの方だってノーマンの心に触れ続けたいと思う。

 彼女の異能に怖がらず、壊れもせず、隣にあり続けてくれるから。

 彼は初めて会った時から『残響共鳴(エコーハウリング)』をものともせず、シズクに微笑みかけ、手を伸ばしてくれた。

 それがどれほどの救いであったことか。

 まぁ、彼女だけのものではないがちょっと不満だけれど、それは言っても仕方ない。

 

「――――」

 

 僅かに目を伏せ、バイオリンを弾く手を止めず部屋を見回す。

 小さい部屋。

 小さなシズクの世界。

 一応ある窓は完全に閉じられ、外界を拒絶している。

 そんな世界の至る所に手書きの楽譜が張り巡らされていた。

 壁に貼り付けられ、テーブルや机の上、床にさえも最低限の足の置き場だけを残し、ベッドにも。

 何百枚の音階の記録。

 全てシズクが独学で書き起こした楽曲であり、それをノーマンに聞かせるのが彼女のライフワークだ。

 けれど、彼は知らないだろう。

 

 今聞かせている音楽も、部屋中至る所に散らばっている楽譜も―――――全て、ノ(・)ー(・)マ(・)ン(・)か(・)ら(・)掛(・)け(・)ら(・)れ(・)た(・)言(・)葉(・)を(・)彼(・)女(・)な(・)り(・)に(・)音(・)楽(・)に(・)し(・)た(・)も(・)の(・)で(・)あ(・)る(・)こ(・)と(・)を(・)。

 

 別に彼女が絶対音感を持っていたり、言語を正確に音階化できるわけではない。

 バイオリンの演奏も作曲も全て彼女は独学だ。

 心が震えたままに楽譜を記しているから、ノーマンは知りようがない。

 部屋中に散らばっている理由も簡単だ。

 意図せず『反響共鳴(エコーハウル)』が突然発動したとしても。

 そこら中に散らばっているのはノーマンとの思い出だから、見るのは彼に関するヴィジョンだけ。

 それだったらいくらでも見たい。

 というか、彼女はノーマンとの仕事がなければひたすらに彼のヴィジョンを見るか、そのヴィジョンから曲を作っているかのどちらか。

 

 音楽のちゃんとした勉強をしないのも単純だ。

 学問とは多くの人々の積み重ね。

 でもシズクは誰かの研鑽なんて要らない。

 欲しいのは、彼から貰った想いだけ。

 

 彼女の異能は普通の生活を送ることを許さない。

 気軽に外を歩くことも、仕事に就くことも、食事をすることも。

 ≪アンロウ≫の仕事でノーマンが付き添ってくれなければ外に出歩くことさえほとんどない。

 日用品や食料を自分で買い出しにできるようになるのさえ、それなりに時間がかかったのだ。

 暗い穴倉に閉じこもるのは、それ以外に選択肢がないから。

 蕾を閉じたままなのは、見て欲しい人が1人だけだから。

 だから、この部屋で、ノーマンの心に包まれながら、ノーマンに、彼らから貰った心を奏でるのだ。

 シズク・ティアードロップはバケモノだけれど。

 ノーマン・ヘイミッシュはまるで人間のように扱ってくれる。

 まるでただの少女みたいに。

 みんなの内側に潜んでいても。

 みんなと違っていても別に良い―――そういう風に受け入れてくれるのだ。

 だから好き。

 だから愛している。

 

「―――ふぅ、以上。どうでしたか?」

 

「うん。俺は音楽の良し悪しはよく分らないけれど、凄く良かったよ」

 

 シズクの思いを知ってか知らずか。

 どっちだろう。

 どっちでもいい気がした。

 彼の心はシズクに触れてくれているから。

 それで、十分。

 

「癒されるというか、聴いているだけで暖かい気持ちになれるな」

 

 その言葉に彼女は笑う。

 いつも世界の全てを見放し、皮肉気に笑っているばかりの彼女は。

 ただ1人にだけ、陽だまりに咲き誇る花のような笑みに精一杯の愛しさを込めて笑うのだ。

 

「――――えぇ、そうでしょう? 私もそう思います」

 

 

 

 

 

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