簡単なことだよ、愛しい人(書籍版『バケモノのきみに告ぐ、』)   作:柳之助@バケつ1~4巻発売中

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ヘルカート通りの魔犬

 

 

 女は自分の姿を誰に見せたくはなかった。

 変わってしまった。

 変わりきってしまった。

 どこかも知らない路地裏で座り込んで喘ぐだけ。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 言葉すら碌に発することはできない。

 どうか、誰も来ないでくださいと女は願った。

 もしも誰かが近づいて来たのなら傷つけてしまう。

 今の自分はただ四肢を振るうだけで命を奪ってしまうからだ。

 何よりも。

 あの人に会いたくなかった。

 家にいられなくなり逃げだした先に、自分を拾ってくれた人。

 優しく抱きしめてくれた人。

 だからこそ、会えない。

 なのに。

 

「……あぁ、やっと見つけた」

 

「―――ぅう」

 

 どうしてと思わず埋めき声を上げる。

 石畳みの路地裏、自分の視線の先に彼はいた。

 少し息を切らしているのは走ったからだろうか。

 こんな自分を探して。

 

「なんか大変そうだけど……まぁなんとかしよう。ほら、帰ろうよ」

 

「―――」

 

 何故そんなことを言ってくれるのだろう。

 今の自分に帰る場所なんてないのに。

 帰ったとしても、どこにもいられないのに。

 

「……うん、気持ちは分かる。ちょっとだけね」

 

 苦笑しながら彼は一歩近づいてきた。

 

「―――!」

 

 だから反射的に吠えてしまった。

 こんな声が自分から出るなて信じられないくらいの咆哮。

 命を、本能を、生命を脅かす叫び。

 戦場で砲撃でもしたらこんな音が出るのではないだろうか。

 

「凄い声が出るね」

 

 なのに彼は構わなかった。

 当たり前のように近づいて、女の頭を撫でた。

 

「――――」

 

 少し女が手を振るえば彼は死んでしまうというのに。

 彼は笑っていた。

 

「元の生活に戻す、なんて言えないけれど。―――せめて君が姿を隠さなくていい居場所くらいは作ってあげよう」

 

 

●

 

 

 エルティール・シリウスフレイム。

 豊かな長い金髪。雨でもないのにいつも全身を覆うレインコートを着た女性。

 特筆するべきはそのグラマラスな我がままボディだ。

 というか、シンプルに身長が凄い。

 女性にもかかわらず190に近く、当然胸もお尻も極めて魅惑的。

 どこに触れても柔らかそうで、絶対柔らかいけれど、太っているわけでもぽっちゃりしているわけでもないがほんの少しの乗った肉はむしろ男の理想と言ってもいい。

 何度ノーマン・ヘイミッシュの視線を吸い込んだことだろう。

 或いは少し肉厚の唇も忘れてはならない。

 それだけ魅力的だけれど貞淑なのも彼女の魅力の一つ。

 大きい体をいつも縮こませて、皆の邪魔にならないように。

 誰にでも優しいけれど、自分にはあまり優しくない。

 そんな彼女は、

 

「おはようございます、ノーマン様」

 

「………………おはよう、エル」

 

 ノーマン・ヘイミッシュの自宅、寝室、寝台の隣で床に膝をついていた。

 目を覚まして横を向いたら、少し離れた距離に彼女の顔があった。

 端正な顔立ちは、しかし目は白い布で覆われている。

 だから視線は解らないけれど、その奥の瞳が真っすぐ自分を見つめていることをノーマンは解っている。

 

「えぇと」

 

 寝起きのぼんやりとした頭を掻く。

 

「……いつからそこに?」

 

「いつからでしょう?」

 

 こてんとエルティールは首を傾げた。

 ほんわかとした雰囲気は大人しい飼い犬のようだ。

 

「そっかぁ。鍵は……マスターが?」

 

「はい。入れてくださいました!」

 

「そっかぁ」

 

 ノーマンはビリヤードバーの二階に下宿している。

 常に帽子が似合うダンディなマスターにはバルディウムに訪れた時に世話になり、それをきっかけとして住居を提供してもらっていた。

 二階には当然一階のバーを経由しないと上がれないし、朝はバーは空いてない。

 ということは、そういうことである。

 プライバシーも何もない。

 別に、慣れているので問題はないのだけれど。

 

「まぁいいや。あらためておはよう」

 

「はい、おはようございます!」

 

 彼女の頭とお尻に犬の耳と揺れる尻尾が見えた気がした。

 

 

 

●

 

 

 

「朝食の準備をしておきました。あとリビングとキッチンのお掃除も。洗濯物もランドリーに出して、シャワーの方は石鹸がもう小さかったので新しいものに変えておきましたよ」

 

 寝室を出て、顔を洗い、歯を磨いてから出迎えたのは怒涛のおもてなしだった。

 ノーマンの下宿部屋はキッチンとリビング、それに寝室とそれなりに広い。

 一階から階段を上がりドアを潜ればリビングがあり、キッチンに繋がっている。リビングから短い廊下にシャワールームとトイレが別々にあり、物置部屋を挟んで奥には寝室が二つ。

 広い上に部屋自体も古くなく、立地もいいし、家賃もべらぼうに高いわけではない。

 本来二人によるルームシェア用なのだがマスターの好意から値段を抑えられている。

 

 ただそれゆえに男の一人暮らしだ。

 特別ずぼらでも部屋を散らかすわけでもないが、だからといって特別生活力が高いわけでもない。

 軍生活により生存力は高いのだが、街の中ではあまり発揮されない上に、かつての厳粛な規則正しい生活も過去の話である。

 今のノーマンを見て、元軍人と解るとしたらそれは同じ軍人か或いはもう本当に名探偵くらいだろう。

 リビングには服や小物、小説や書類なんかがそこそこに散らばっていた。

 

「ふふっ」

 

 エルティールがはにかむ。

 そんなある意味雑な部屋がきれいさっぱり片付けられていた。

 勿論、ノーマンが寝ている間にエルティールが全てを熟してくれたのだろう。作業量を考えると一体いつから来ていたのか疑問なのだが。

 

「いつもありがとうね、エル」

 

「いえ! エルがしたくしてしていることですので!」

 

 彼女がノーマンの部屋に来る時は毎回こんな感じになっているので慣れてしまった。

 キッチンの食卓につき、少し待てばハムエッグとサラダ、スコーンが並べられる。

 スコーンなんかは彼女が焼いたもの。

 キッチンには一応オーブンがあるがノーマンには使い方すらよく分っていないのだが彼女が使えばこの通り。

 スコーンを一口齧ればサクッとした歯ごたえと仄かな甘み。

 

「うん、美味しいよ」

 

「よかった。紅茶も淹れますね」

 

 にこにことほほ笑みながら優雅さえ感じさせる手つきで紅茶を淹れていく。

 目隠しをしているとは思えない動き。

 ティーカップに注がれる紅茶は香り高い。

 少し口を付け、鼻から抜ける茶葉の風味を楽しむ。

 ノーマンもたまに紅茶を淹れるが、同じキッチンの器具と同じ茶葉でこうなるのが不思議でならない。

 

「……ふぅ」

 

 余韻に浸りながら息を吐く。

 目の前には美味しい朝食と紅茶。

 隣には清楚な美女。高くはない、むしろ安い質素なワンピースながら楚々と彼の隣に控える姿はまるで瀟洒なメイドの様。ついでに見えない犬耳と尻尾が付いている。

 思うことは一つだ。

 

「良い朝だ……」

 

「ふふっ。そう言ってもらえて私もとても嬉しいですよ、ノーマン様」

 

 見えない犬耳と尻尾が揺れている。

 できるのならば毎日こんな朝を迎えたい所だがそういうわけにもいかない。

 彼女が朝からノーマンの家に来る時は、決まって仕事なのだから。

 

「エル」

 

「はい、こちらに」

 

「ありがとう、エルも座って」

 

「失礼します」

 

 名前を呼べば彼女はすぐに動いた。

 机の上に置かれたのは一つファイル。

 彼女が座ってから開いてみれば、

 

「おー、こりゃ凄い」

 

 死体の写真。

 五枚分の惨殺死体だ。

 四枚目までは大きな裂傷程度で済んでいるが、五枚目はあからさまに食(・)い(・)散(・)ら(・)か(・)さ(・)れ(・)た(・)よ(・)う(・)に(・)バラバラになった死体。性別や容姿も分らないほど。

 凡そ優雅な食事に合うものではないが、それを気にするほどノーマンの神経は細くもないしまともでもない。

 

「ヘルカート通りで三週間かけて起きた事件だそうです」

 

「へぇ。ヘルカート通り……というと街の南の方か。ちょっと距離あるね。表向きは?」

 

「通り魔事件として4件目までは公表されているそうです。ただ刺されただけと、新聞に見落としそうになるほど小さく載ったとか」

 

「ま、そんなもんか。姉さんならそうする」

 

 情報規制はスフィアの仕事だ。

 そしてこんな死体が街に出るなんてことを世に広めるわけもない。

 写真の下の事件を概要を軽い様子で捲り目を通す。

 

「ふむ。4件目までは警察が調べていたけど、5件目で流石にって感じね」

 

 凄惨な写真と事件概要があってもスコーンは美味しいと思いながら二個目を一口齧った。

 

「あ、これチョコなんだ」

 

「はい! いかがでしょう」

 

「とても美味しい。良いお嫁さんになれるね」

 

「そんな……!」

 

 赤らめた頬に手を当てて頭を振るエルティールである。

 大きい体を縮こませながら控えめ体を揺らすという聊か器用な様子はやはり犬を思わせる。

 人懐っこい大きな小型犬、という感じ。

 ついでに胸も凄い揺れていたので内心拝んでおく。

 勿論内心なので顔には出さない。

 

「惨殺死体の通り魔事件ね。この感じだと『潜伏者(インサイター)』以外かな。荒事になりそうだ」

 

「はい。ですので私(・)が(・)お供させていただきます」

 

 エルティール・シリウスフレイム。

 ノーマン・ヘイミッシュの相棒は当然ながらまともでも、普通でもない。

 彼女は『変貌者(メタシフト)』。

 普通から、みんなから。

 ―――人から変わってしまったバケモノ。

 エルティールが目を分厚い布で隠しているのは目が見えないからではない。

 質素なワンピースも、雨の日でもないのに玄関に掛けているレインコートと白杖も。

 彼女が人間社会に紛れる為の努力だ。

 溶け込むためではない。

 溶け込みたくたって、溶け込めない。

 『変貌者(メタシフト)』はその異能を使うことによって外見だけで一目解るくらいに変貌してしまうが、エルティールのような強(・)度(・)の(・)高(・)い(・)『変貌者(メタシフト)』は異能を使っていなくても普通ではなくなる。

 その結果、今の彼女がある。

 特徴的な彼女の外見は周りとの軋轢の証だ。

 そこいるだけでぎちりと軋む。

 ≪アンロウ≫は大なり小なりそういうものがあるが、彼女のそれは分かりやすい。

 それをノーマンも知っている。

 

「うん、よろしくね」

 

「はい!」

 

 ただ、その頷きは軽くて薄っぺらいものだったし、エルティールはにっこりと笑っていた。

 やっぱり、犬のように。

 或いは悪い男に騙される無垢な少女みたいに。

 

 

 

●

 

 

 

 

 風の吹かないバルディウムは真円状の城壁に囲まれた街だ。 

 ざっくり言えば城壁内部は二重の円心になっており、外円部は概ね農場や牧場、或いは工場などがぐるりと置かれている。街の外、北には大きな湖がありそこから流れる川が街を南北に縦断している形だ。

 中心部には行政機関や郵便局、銀行、警察署のような街の機能を担う建物や大手の商店、或いは劇場や博物館や図書館がある。

 北は貴族を始めとした金持ち向けの高級住宅街。

 東西は中間層の住宅街、南は貧困層と言う風にざっくり別けることができる。

 あくまで大雑把に別けた話であり、多くの店や多くの人、金持ちも貧乏人も、買う人間も売る人間も混在している。

 ノーマンの下宿だって街の中心部に近い西側だ。

 基本的に最低限のことは城壁の中で完結されている街なのだ。

 勿論、それだけで全ての物資を賄えるわけでもなく、鉄道が街の外に伸びている。

 街の中も線路が張り巡らされていて、大半の人間は移動に鉄道を使っていた。

 ノーマンも概ね徒歩か鉄道なのだが、

 

「うぅむ、やはりいいねこれ」

 

「はい! とても素晴らしい時間でした!」

 

 今日は件のヘルカート通りまでバイクで来ていた。

 背にエルティールを乗せて、つまりは彼女がノーマンの背中にしがみ付いているというは極めて魅力的な時間だったが、それを置いといても便利だなと思う。

 フェルトハットが飛びそうになるのは少し困るけど。

 一般層ではまだ普及していない交通手段だが、今日は偶々マスターが貸してくれたのだ。

 普通、下宿しているほとんど無職の相手に貸す代物ではないがここはマスターの懐の広さというものだろう。

 排気ガスの匂いとエンジンは喧しいがそれを差し引いても便利だなと思う。

 

「匂い大丈夫だった?」

 

「えぇ、ノーマン様の首筋に顔をうずめていましたから」

 

「そっかぁ」

 

 それはそれで大丈夫なのかと思ったが、大丈夫と言っていたので良いだろう。

 

「はい」

 

「ありがとうございます」

 

 自然な動きでノーマンはエルティールの手を掴む。

 エルティールは空いた手で白杖を。

 本来問題はないが、一応彼女は盲目ということにしているので外に出る時はいつもノーマンがエスコートしていた。

 まだ朝のヘルカート通りには誰もいないので必要ないとも言えるが、それでもエルティールは手を繋いでノーマンに導かれることを喜んでいるようだった。

 

「むふー」

 

 ご満悦のように息を吐く彼女の手を引くのはペットの散歩のようだった。

 尤も。

 

「ここだね、事件現場」

 

 散歩の道は通り魔が好き勝手している場所なのだけれど。

 十字路だ。

 二階建ての建物と等間隔に並んだ街灯以外に特筆するべき物はない。

 どこにでもあるような、通り過ぎても記憶に残らないだろう道。

 人の気配がないのはここ数日は警察が封鎖しているから。

 ノーマンは空いている手でコートの内側からファイルを取り出し、エルティールも自然に手を放す。

 ファイルから抜き出したのは一枚の写真。

 五件目のバラバラ死体だ。

 

「十字路のちょっと北か。流石に血痕とかは警察が洗浄しちゃってるね」

 

「バラバラ死体ということでしたけど、凶器は推定できたのでしょうか?」

 

「い(・)い(・)や(・)」

 

 もう見えなくなった死体があったであろう石畳を軽く触れながら、事件の詳細を思い出す。

 

「1人目から4人目小型から大型の刃物だろうってことだけど、5人目に関しては意味が分からないらしいね。バラバラっていうと何を想像する?」

 

「はぁ……えぇと、鋸、とかでしょうか?」

 

「うん。僕もそう思う。ただ、この場合は違うみたいだね」

 

 写真を見る。

 食い散らかされたような―――バラバラの死体。

 

「凄い力で無理やり体をもいだっていうか引きちぎったっていうか。とにかく刃物ではできないし、勿論人間の腕力でもできない」

 

「≪アンロウ≫」

 

「そうだね」

 

 できないことができる。

 だから≪アンロウ≫。

 だからノーマンたちに仕事が回ってきた。

 

「やはり『変貌者(メタシフト)』か『逸脱者(ディヴィエイター)』でしょうか」

 

「かもね。このバラバラの成り方だと『歪曲者(ディフォーム)』は違うかもしれないし、他人の脳のリミッターを外す『潜伏者(インサイター)』みたいなのと実行犯が別にいたりしてもおかしくない。解んないけど。連続通り魔ってのは『逸脱者(ディヴィエイター)』か『歪曲者(ディフォーム)』ぽいけど……はっきりしてることは1つ」

 

「おぉ。それは?」

 

「犯人は成り立てで通り魔を始めて4件目の後から異能が安定したんだろうね」

 

 1人目から4人目は人間にもできることだったが、5人目でいきなり箍が外れた。

 1人目は偶然だったのかもしれないが、それ以降は段階を踏み、できることの規模が大きくなっていくあたり4人目の後以降に異能が安定したのか、安定させたのだろう。

 ≪アンロウ≫の異能はよく分らない、説明がつかないものだ。

 訓練すれば応用が効くし、使い方の幅も生まれるようになる。

 ただし、そのためには異能自体の基本骨子を確定させ、安定させる必要がある。

 

 例えば―――名前。

 

 どういう理屈でそうなっているかは分からないけれど、とにかくそうなるもの。

 だから一先ず名前を付けて、そう扱えば異能は安定する―――らしい。

 ≪アンロウ≫の研究者はそう言っていたし、ノーマン自身の経験則でもそう。

 よく分らないから。

 せめて名前を付ける。

 よく分らないものは怖いけど。

 分かるものなら怖くはない。

 それはノーマンも同じだし、犯人だって同じのはず。

 

「事件は3週間かけて5回。1回目から3回目までは1週間づつ空いてるけど、それ以降は4日おきで合わせて3週間。解りやすく間隔が短くなってるからそういうことだろうね」

 

「異能に慣れて来た、と」

 

「或いは楽しみ方を覚えた、とか。我慢ができなかった、でもいい」

 

「……なるほど」

 

 エルティールが少し困ったように首を傾ける。

 覚えがあるのかないのか。

 そこに関してノーマンは触れるつもりもなかった。

 

 

 

●

 

 

 

「5回目が起きたのが一昨日。≪アンロウ≫事件に関しては僕らに来るのは早かったけど、もしかしたら今夜にでも起きるかもね」

 

「げんこーはんたいほ、ってやつでしょうか」

 

「それが手っ取り早い。頼りにしてるよ、エル」

 

「はい! そういうことなら私にお任せください!」

 

「うん、全面的に任せるよ」

 

 彼女は見えない耳と尻尾を揺らす。

 ノーマンも元軍人として荒事は苦手ではないし、自衛の準備もしているが≪アンロウ≫相手では分が悪いことの方が多い。

 だがボディガードというのならエルティール・シリウスフレイムは最も信頼できるのだ。

 

「……それにしても、ノーマン様?」

 

「うん?」

 

「今回は回ってくるのが速かったという話ですけれど、似たような推理を警察の方々もされたということでしょうか」

 

「あぁ……いや、違うんじゃない? そのあたりは姉さんから聞かなかった?」

 

「はい」

 

「説明省いたな姉さん……まぁいいけど」

 

 ファイルを捲る。

 5人分の被害者の資料だ。

 

「一人目から三人目はホームレス。4人目は工場勤務の男性」

 

 ここまでは良い、というのもおかしな話だけれど。

 問題があったのは次だ。

 

「5人目、お貴族様だったみたいだね。それもわりと立派な。えーと、半分古物商というかアンティークのコレクターだったり、他の貴族とかに売買したり、顧客も多かったようだね」

 

「……なるほど、そういうことですか」

 

「そう。多分上(・)の(・)方(・)から圧力があったんだろうね。僕らは一応公務員なわけだし。都市の偉い人とかお貴族の意向には逆らえないわけだ。ハリソン刑事が一緒に来なかったのも急なことだったから、そっちの調整にてんてこ舞いかも」

 

「貴族の方が死んだから貴族の方が調べさせる―――なんというか。ホームレスの方々はどうでもいいと言ってるみたいですね」

 

「実際そんなもんだよ。バルディウムにもホームレスは多い。偉い人が何人死んでも気にならないくらいにはね」

 

「……ですか」

 

 彼女は納得していないようだが、そういうものだ。

 そういうことに納得できない彼女の感性は美点だと思うけれど。

 

「しかしここら辺がどうして夜に貴族の方が来られたんでしょう? この先には特に訪れる場所はなかったと思いますが」

 

「そこは資料には書かれていないね。解(・)ら(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)の(・)か(・)、隠(・)さ(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)の(・)か(・)」

 

 ノーマンはいい加減な動きで肩を竦めた。

 そして十字路を見回す。

 何の変哲もない石畳の道。

 だけどこの十字路で5人も死んだ。

 人間がバケモノに殺された。

 

「とりあえず、今夜もう一回ここに来てこの通りも含めて周囲の見回りかな。警察がちゃんと動き出したのも犯人は知っているはずだ。さっきは今夜起きるかもって言ったけど場所を変えるかもしれないし、しばらくは何もしないかもしれない」

 

「通り魔を終わりにする……ということは?」

 

「ないね。通り魔で異能を安定させた≪アンロウ≫なら猶更だ。絶(・)対(・)に(・)も(・)う(・)一(・)度(・)や(・)る(・)」

 

 問題はそのもう一度がいつ、どこでやるか、という話なのだが。

 

「ふむ……よし、そろそろここから出ようか」

 

「次はどちらに?」

 

「元々はホームレスが殺された事件だったんだ」

 

 だったらやることは簡単だ。

 

「――――『廃棄王』に会いに行こう」

 

「……」

 

「あぁごめん、エルはあの人苦手だよね」

 

「はい……いえ。ノーマン様が行くというなら私はついていきますけど」

 

「ごめんごめん」

 

 申し訳ないとは思うけれど。

 でも、だって。

 

「現場に来たけど、新しく分かったことはなにもなかったしね。ほんとにただの散歩になっちゃった」

 

「私はそれでも嬉しいですけどね」

 

 

 

●

 

 

 

 

 ノーマンがエルティールを乗せたバイクは二時間ほど走らせて止まった。

 バルディウムの南の外側だ。

 そろそろ太陽が真上に来る昼食にちょうどいい時間だったが、二人とも食事は取らなかった。

 辿り着いた場所で、お腹を満腹にするのは適していない。

 ゴミ処理工場だった。

 工場からは武骨な機械の重低音と物が燃える音が響き、鼻をツンと刺すような様々な匂いが漂ってくる。

 

「ちょっと我慢してね、エル」

 

「はい、大丈夫ですノーマン様」

 

 バイクから降りたノーマンは当然の様にエルティールの手を取り、彼女もそれを握り返した。

 青年と手を引かれる巨女。それもレインコートで全身を覆い、目を隠し白杖を付く女。もっと言えばレインコート越しでもエルティールの起伏ははっきりと見て取れた。

 治安が良い、といえる場所ではなかった。

 バイクを降りる前からあちこちから視線が突き刺さる。

 工場の塀や門、そこに至る通りにホームレスが座り込んでいて無言で二人を見据えていたからだ。

 まるで監視をするかのように。

 

「行こうか」

 

「はい」

 

 ノーマンはそれらに気を払わなかった。

 ノーマンが気にしないということはエルティールも気にしない。

 工場の内部に入っても至る所から視線を感じたが、二人ともなんでもない様に、それこそ変わらず散歩かのように歩いていた。

 僅かにエルティールが居心地が悪そうなのは視線よりも、周囲の腐敗臭のせいだろう。

 工場の入り口の、本来事務受付のような小屋まで行きノーマンは扉を叩いた。

 

「『廃棄王』に会いに来た」

 

 言葉は短く、要件だけ。

 反応はないがノーマンは黙って待っていた。

 一分ほど待った後、扉が開く。

 

「……」

 

 顔を出したのは工場の労働者―――ではない。

 みすぼらしい服装をした中年のホームレス風の男だ。

 どう見てもホームレスだが、この工場を住居としているのでホームレスとは言えないだろう。

 男は口を開かなかった。

 ただ無言で工場の奥を顎で示す。

 

「どうも」

 

「……」

 

 感謝の一言にも反応はない。

 そそくさと扉を閉めて、終わり。

 

「ま、いいけどね」

 

 適当に肩を竦めてから、エルティールの手を引いて歩きだす。

 工場の中、いくつかの扉を潜り、階段を下りて地下に。

 地下には工場には不釣り合いな豪華な扉があった。

 

「さて、準備はいいかい?」

 

「はい。流石に慣れましたから」

 

「よかった。じゃ、行こう」

 

 扉は開ける。

 ノックはしなかった。

 重い扉と床が擦れてぎ(・)ぃ(・)ぃ(・)ぃ(・)い(・)と低い音がした。

 広くて乱雑な、地下であるが故に閉塞感に満ちた部屋だった。

 ゴミだらけの部屋。生ごみもあれば雑誌もあり壊れた機械部品、衣類。そう言ったものが至る所に山の様に積まれている。

 そのゴミ山の中央、ボロボロになったソファに一人の男が腰かけていた。

 痩身、長髪。濃い髭のせいで50代にも見えるし、よくよく目元等見れば存外若い様にも見える。

 くたびれた、というよりもゴミ捨て場から引っ張り出してきたようなボロボロのスーツ。

 その男こそがノーマンが会いに来た男だった。

 『廃棄王』。

 くすんだオリーブ色の瞳が、ギラギラと輝いている。

 

「……ノーマン・ヘイミッシュ」

 

 地獄の底から響く様な低い声で名前を呼んだ。

 立ち上がり、ゴミ山の中を乱暴に歩み寄ってくる。

 

「『廃棄王』」

 

 ノーマンは軽く名前を呼ぶ。

 『廃棄王』はノーマンの目の前まで来て、目と鼻の先くらいの距離まで顔を近づけた。

 どちらも身長180近い。

 標準体型のノーマンと対照的に『廃棄王』はやせ細っているがその眼光は、例えば劣勢のような気配はなかった。

 喧嘩してもどうなるか分らないという雰囲気。

 僅かにエルティールが身構える。

 数秒、ノーマンと『廃棄王』は視線をぶつけ合った。

 そして、

 

 

「――――はっはっは! ノーマン! 『廃棄王』などと呼ぶんじゃない! お前は、もっと気軽に名前を呼べばいいのだ!」

 

 

 にっこりと髭の奥で笑い、『廃棄王』はノーマンを抱きしめた。

 

「あー、うん。ごめんよ、ニューク。今日はお願い事があって来たからね、ちょっとかしこまっていたのさ」

 

「ふん、俺とお前の仲だ。気にするな。今日はエルティール嬢をお連れか。御機嫌よう、このようなゴミ山に貴方の様な淑女を連れてくるとは我が友はデートのセンスがないようだな」

 

「こんにちは、『廃棄王』様。二つ言わせてもらいましょう。ノーマン様のセンスは問題ありません。これはお仕事ですので」

 

「ふむ。君はそうは思っていないと思うが」

 

「……」

 

「二つ目は?」

 

「今(・)日(・)以(・)外(・)の話もあとでお聞かせ願えますか?」

 

「ククク……勿論だ。いくらでも。構わないだろう、ノーマン?」

 

「…………いいけどね。それよりも」

 

「あぁ、ヘ(・)ル(・)カ(・)ー(・)ト(・)通(・)り(・)の(・)話(・)だ(・)ろ(・)う(・)?」

 

「流石」

 

「当然だ」

 

 髭面の男が笑う。

 どう見てもホームレスだが、瞳だけは爛々と輝く男。

 『廃棄王』ニューク・リーヴァリス。

 或いは。

 

「俺はこの街のホームレスの王なのだからな」

 

 或いは―――『歪曲者(ディフォーム)』。

 みんなを、周りを歪ませるバケモノ。

 『必要なる不要物(マトリクストラッシュ)』のニューク・リーヴァリス。

 

 

 

●

 

 

 

 ニュークとノーマンは友人同士だ。

 別の言い方をすればノーマンはニュークにとって恩人であり、それゆえニュークはノーマンに力を貸すことが多い。

 ある事件においてノーマンはニュークを助けている。

 ≪アンロウ≫でありながら、国の支配下に置かれていない『廃棄王』であることの一因はそれがきっかけでもあった。

 このゴミ処理場も一見、普通に稼働しているようであり、実際はニュークの城、周囲の、それどころかバルディウム中のホームレスは彼の配下であり、仲間であり、友人である。

 ノーマンは時にバルディウム・ホームレスの網を駆使して情報を手に入れるのだ。

 勿論それはノーマンの立場的にはよ(・)ろ(・)し(・)く(・)な(・)い(・)こ(・)と(・)ではあるが―――必要なものだと彼は割り切っている。

 例えば、今回のように上から圧力が駆けられるような事件とか。

 

「ヘルカート通りの通り魔。聞きたいことはなんだ?」

 

 ニュークはソファに座り直し、どこからか取り出したのか酒の瓶と干し肉をかじりながらにっこりとほほ笑んだ。

 ノーマンも適当にゴミ山から椅子を拾い、エルティールはその後ろに控えている。

 

「目撃者、事件前後の通りに変わったことはなかったか。それから5人目亡くなったお貴族様……ブレント・バイロン氏がどうしてヘルカート通りにいたのか、だね。貴族が通る様な場所じゃないし、行くような場所もないはずだ」

 

「いいや、それは違うな」

 

「うん?」

 

「お前には必要ないものだから知らないのも無理はないだろうが、実は理由はあるのだよ。あの手の金持ちがあの通りを通ることが」

 

「ふむ……僕には必要ないか。エル、分かる?」

 

「さぁ……ノーマン様はこれ以上ないくらい素晴らしい人という意味でしたら同意しますが」

 

「売(・)春(・)宿(・)だ、それも違法のな」

 

「……」

 

「……」

 

 にやりと笑うニュークにノーマンは呆れたような顔をし、エルティールは納得したように首を縦に振った。

 

「確かにノーマン様には必要ありませんね」

 

「いや、まぁ行かないけどね。……なるほど、そりゃそうだ。分かりやすい」

 

「うむ。その貴族様はアンティークを集める趣味もあったが、そっち方面の趣味も手広かったらしい。売春宿ならちゃんとしたものはバルディウムにもあるが、ヘルカート通りをさらに南を行ったところに違法かつ会員制の売春宿がある。何(・)で(・)も(・)し(・)て(・)い(・)い(・)と(・)か(・)子(・)供(・)と(・)か(・)性(・)別(・)を(・)問(・)わ(・)な(・)い(・)や(・)つ(・)だ(・)。連中は秘密のクラブとしているそうだが」

 

「なるほどねぇ。≪アンロウ≫案件になったら大体の情報は隠蔽されてカバーストーリーが作られる。その秘密クラブのことを隠したかったってことか」

 

「うむ、貴族お得意のやつだな」

 

 くくく、と人々の最下層の王は笑う。

 その貴族が、おそらく必死になって隠蔽しているであろう情報を当然のように口にしながら。

 だからノーマンは彼を頼りに来たのだ。

 

「んー、3人目までのホームレスの被害者は?」

 

「おそらく、偶然だろうな」

 

 初めてニュークの顔が曇った。

 酒瓶を傾けた後、天井を仰ぐ彼の顔には確かな悲しみがあった。

 

「ヒューム、モーティー、モア。良い奴らだった」

 

 顔を戻し、

 

「恨みは買っていただろうが」

 

「恨みを買わずに生きる方が難しいよ」

 

 適当にそれっぽいことを言いながらノーマンは肩を竦める。

 

「うむ、その通り。我らのようなホームレスはいるだけで嫌な顔をされるものだからな。されるだけ、というのがミソだが。一先ずその3人は特別仲がよかったわけでもない、知り合いではあっただろうし、共通の友人もいるだろうが……」

 

「お貴族様とは当然関係ない、か」

 

「うむ。4人目の工場勤務の者もごく普通の労働者だな。5人全体で見た時共通点というものはない」

 

「まさしく通り魔か」

 

 息を吐く。

 

「触り程度に調べただけだから、それぞれ個人を掘り下げれば何か出るかもしれんが、どうだ?」

 

「うーん、まぁとりあえずは十分かな。」

 

「まぁ、ノーマン様。今ので何か分かったのですか?」

 

「いや、全く」

 

「……では、何が十分なのでしょうか」

 

「ぶっちゃけ、通り魔なら夜の街を歩いて襲われたところをエルが返り討ちにすれば終わる事件でしょ? 異(・)能(・)が(・)安(・)定(・)し(・)立(・)て(・)程(・)度(・)な(・)ら(・)ど(・)ん(・)な(・)の(・)で(・)も(・)」

 

「そうですね」

 

「だが、それではノーマンは困ってしまうことがある」

 

「それは……?」

 

 ニュークは笑みを浮かべ、エルティールは目隠しの奥で眉を潜める。

 そしてノーマンは大真面目に頷いた。

 

「姉さんに出す報告書の中身がない」

 

 お役所仕事も大変なのだ。

 

 

 

●

 

 

 

 

 報告書が困るというのは別に冗談でもない。

 ノーマンはれっきとした―――非公式なのでそう言って良いかは微妙なところだが―――公務員である。

 そして≪アンロウ≫の管理は国によるものであり、姉であるスフィアはその窓口で、ノーマンは現場仕事役だ。

 ≪アンロウ≫の案件は大なり小なり隠ぺいがされるために、事件の度にノーマンはスフィアに報告書を提出しなければならない。

 

 これがわりと問題だったりする。

 

 ≪アンロウ≫が起こす事件はその異能により、まともな捜査や推理が難しい。

 事件を解決するだけなら犯人である≪アンロウ≫を捕まえればいいだけで、それだけなら実の所そこまで難しい話でもない。

 ただ、報告書を書くというのと少しだけ難しい話になる。

 当然ながらそれには≪アンロウ≫の能力、どういうタイプなのか、≪アンロウ≫に覚醒してどれくらいの時間が経っているのか、というのも書く必要がある。

 さらにポイントになるのは≪アンロウ≫の異能は本人の精神性に直結するということだ。

 

 ≪アンロウ≫が覚醒する理由は分からない。

 

 きっかけがあるのかないのか、外的要因なのか内的要因なのか。

 それに関してはまるで分らない。

 確かなのは発言する異能がその人の精神に、経験に、願いに、祈りに―――心と繋がっている。

 だから報告書を書く時は≪アンロウ≫犯人が置かれている状況やどのような精神性なのかを記載必要がある。

 そのあたりを省いたら省いたで、事件の後にまた調査が必要になって二度手間になりかねない、というか何度かそういうことがあったりしてスフィアに小言を言われたりもした。

 世知辛い話だが、お仕事である。

 仕事である以上評価される。

 評価されるなら高いほうがいい。

 

 なので、調べられる限りは調べるというのがノーマンのスタイルだ。

 最もそういう調査をしっかりしてから事件を解決してみて、後から調べたら全然予想と違ったりしたなんてこともあるのだが。

 

 いずれにしても調査というのをノーマンは重要視していたのだ。

 

 

 

●

 

 

 

「そうそう、あいつはちょっと性格悪くてよ。ギャンブル癖も酷いわ浪費癖も酷いわ、そのくせ妙に小金持ちでよ。なんか妹に体売らせてるとか言ってたなぁ。割と顔は良いつー話だから俺もヤらせてくれよつってもお前にゃはらえねぇとか言うし。ほんと嫌な奴だった。まぁ死んじまったのは残念だけどよ」

 

「なるほど、貴重なお話ありがとうございます」

 

 ノーマンは話をしていた男に手を差し出し、男もそれに応じて握手をする。

 手の中にあった数枚の紙幣がこっそり手渡される。

 

「へへっ……」

 

 工場働きという中年は下品に笑い、金をポケットに突っ込む。

 それからノーマンの背後のエルティールに下卑た視線を向けて、やはり下品に笑う。

 

「気を付けなよお兄さん。こんなとこにそんな上玉連れてたら危ないぜ? 女衒まがいのチンピラや廃品漁りのホームレスも多いからなぁ」

 

「ご忠告どうも」

 

 適当に肩を竦めて早々に立ち去る。

 エルティールの柔らかい手を引き、製鉄工場の外に。

 天気は良く、初冬にしては暖かい。

 

「ふう。ごめんね、エル」

 

「いえ。ちょっと強めに引っ張ってもらうのに興奮しました」

 

「あ、そう……」

 

 ならいいか。

 喜んでいたらしいので気にせずにさらに足を進める。

 工場が並ぶ区域の外、少し大きめの通りには憮然としたハリソンが待ち構えていた。

 一刑事が持つにはわりと珍しい自動車――馬車にエンジンを取りつけたもの――に背中を預けている。

 

「あぁ、どうも刑事さん」

 

「気にくわない事件だ」

 

 開口一番、彼はそう言った。

 

「署を出たらスパイ気取りのホームレスにお前の待ち合わせ場所を教えられたのはまだいいが、金持ちの変態向けの売春宿に通っていただと? 気にくわん。何が気にくわないかって俺も知らなかったことをホームレスが知っていたということだ」

 

「お疲れ様です」

 

「ふん」

 

 ノーマンの薄っぺらい言葉に、しかしハリソンは鼻を鳴らすだけだった。

 お前に言われても気にくわないのは変わらないと言わんばかり。

 それからノーマンに手を引かれているエルティールを一瞥する。

 

「今回はシリウスフレイムか」

 

「はい。私でございます、レナード刑事。問題がおありでしょうか?」

 

「問題しかない。ヘイミッシュ」

 

「はいはい」

 

「ホームレスからお前がリーヴァリスから話を聞いたのは聞いた。工場から出て来たということは4人目の被害者の話を聞いたんだな?」

 

「えぇ。ギャンブル癖、浪費癖、素行は良くないが仕事を首になるほどではない。妹がいる」

 

「資料にあったことだな」

 

「その妹を売春宿で働かせている。そ(・)れ(・)も(・)違(・)法(・)の(・)秘(・)密(・)ク(・)ラ(・)ブ(・)で(・)」

 

「なに?」

 

「え?」

 

 ハリソンの顔色が変わり、エルティールが驚き声を上げる。

 ノーマンは、いい加減に肩を竦める。

 

「さっきの人が言ってましたよ。ギャンブル狂いで浪費家なのに小金持ちなのは妹に春を売らせてるからって。まぁ、それ自体は不愉快な話だけれどなくもないでしょう。問題は」

 

「……警察はその情報を知らん。少なくとも調査記録にはない」

 

「もみ消したんでしょうね、或いはそもそも調べなかったのか」

 

 彼の顔が歪み、大きな舌打ち。

 嫌悪感と不快感がにじみ出ている。

 

「となると、話が繋がりますね。四人目の被害者……リアサム・ハーレイの妹は売春宿で働かされていた。でもその情報は刑事さんにも俺たちの調査資料にも乗っていなかった。つまり、上がもみ消したい話だったってわけだ」

 

「……あ!」

 

 エルティールのぷっくりとした唇が丸く開かれる。

 そう、難しい話でもない。

 もみ消したい売春宿の話は数時間前に聞いたばかりだ。

 

「ヘルカート通りの南にある違法な会員制の秘密クラブ。4人目と5人目の被害者に線が見えましたね」

 

「…………」

 

 不愛想な刑事の眉に深い皺が刻まれた。

 感じたのだろう、きな臭さが。

 こうなるとちょっとした可能性が上がる。

 

「刑事さん」

 

「……」

 

「これ、連続通り魔事件じゃなくて、連(・)続(・)殺(・)人(・)事(・)件(・)かもですね」

 

「……」

 

 ノーマンはさらっと言ったが、ハリソンの強面がさらに強張った。

 当然だろう、≪アンロウ≫の通り魔と≪アンロウ≫の殺人事件では話が変わってくる。

 少なくとも繋がりがある4人目と5人目が、仮に意図的に殺されたとしたのなら。

 

「もしかして、今夜のお散歩は無しになるでしょうか」

 

「かもね」

 

 ヘルカート通りを通った人をではなく狙いがあって殺したのなら、夜に二人で囮になっても意味がない。

 

「3人目までの被害者はどうだ?」

 

「流石になんとも。ただ、異能の安定を考えるとホームレス殺しはほんとに通り魔かもしれないですね。殺し方に差があるのは間違いないわけで。これに関しては≪アンロウ≫の典型ですから」

 

「…………次はどうする?」

 

 ハリソンの顔は歪んだままだったが目に意志があった。

 それは冷たい炎のような正義感だ。

 隠ぺいをしているであろう『上』や違法な売春宿、それから犯人に対しても。

 ノーマンと彼の付き合いは長いが、時折見せる彼のそういう熱は結構気に入っていた。

 

「例の売春宿を調べたいですけどどうですかね」

 

「分かった。二時間後にもう一度ヘルカート通りに来い」

 

 それだけ言い残して彼は通りに止めていた自動車に乗り込み去っていた。

 後には手を繋ぎ続けているノーマンとエルティールが残される。

 

「警察署に戻ったのでしょうか」

 

「だろうね。売春宿の調査の許可取りに行ったんでしょ」

 

「大丈夫なんでしょうか?」

 

「多分。わりと偉いんだよあの人は」

 

 そうでなければ≪アンロウ≫の事件を任されることはない。

 その分仕事は多いだろうが。

 時計を見ればまだ15時過ぎ、二時間後というともう日が暮れ始める頃だろう

 

「時間出来ちゃったね、バイクでもうちょっと中心地に行って散歩でもしようか。昼ご飯も食べ損ねてたし」

 

 鼻の奥には『廃棄王』の城でこびりついた色々な匂いがまだ少し残っているが、それでもマシになった。

 消えた食欲もそこそこ戻ってきている。

 

「何か食べたいもの、ある?」

 

「お肉が良いです!」

 

 にっこりとエルティールは笑う。

 何時間ぶりに犬耳と尻尾が見えた気がした。

 

「いいね。店選びは頼んでいいかな?」

 

「はい! ノーマン様の趣味嗜好に完璧に一致したお店を探して見せます!」

 

「いや、そこまでしなくてもいいけどね」

 

 

 

 

●

 

 

 

 

 寒々とした夜の街をノーマン・ヘイミッシュは歩いている。

 着古したコートと黒いフェルトハット。

 ヘルカートの十字路を周囲を見回すように何度か往復しているが、足取りそのものは軽い。

 通りに等間隔に配置された街灯がその足元を仄かに照らすだけで、通り全体はかなり暗い。場所によっては月明かりがあるからかろうじて、という感じ。

 軽薄、とさえ言っていいかもしれない。

 何かを探すような、何かを待っているような。

 

 ―――――だったら殺してやろうと、そ(・)れ(・)は思った。

 

 違法売春宿に現れた胡散臭い男。

 刑事と共に目隠しした巨女を召使のように引きつれ、ぼんやりとしながらも店の内情を無遠慮に漁るだけ漁って帰っていった。

 詳しいことは知らない。

 だ(・)が(・)5(・)人(・)で(・)は(・)足(・)ら(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)。

 それを分かっているのか分かっていないのかは分からないが、しかし丁度良い。

 

 ノーマンの背後にそれは付いた。

 距離は10メートル程度。

 足音を消し、忍び寄る。

 流石に正面から行けば警戒されるだろう。

 十指をだらりと下げ、膝を沈めた。

 10メートルという距離。

 それは普通なら詰めるのに全力で走っても数秒は掛かる。

 だが、『それ』は普通ではなかった。

 この力が安定してから身体能力も飛躍的に上昇した。

 故に10メートルという距離は『それ』にとって、一瞬あればいい。

 凶器を突き立てるのにもう一瞬。

 それで終わり。

 ノーマンが何度目かの、十字路の中心に足を踏み入れた瞬間に行った。

 彼我の距離を一歩で詰め、凶器を振りかざし、無防備な背中に叩き込み―――

 

「おっと危ない」

 

「!?」

 

 軽い動き。

 ノーマンはくるりと体を回し、襲撃を回避した。

 

 

 

●

 

 

 

 ノーマンは石畳をが(・)り(・)が(・)り(・)と滑りながらも動きを止めた少女を見た。

 安っぽい簡素なワンピースに同じく安っぽいボロボロのコート。全身至る所に見えるのは巻かれた包帯と古傷の後。薄い金髪は乱雑に切られた女。

 しかしノーマンはそういった外見にはほとんど気を使わなかった。

 見ているのは爪(・)だ。

 3センチほどの血に濡れた爪。

 と言っても、それだけならば爪が長めのという風にしか見えないが。

 それを見て、ノーマンは確信した。

 ――――『逸脱者(ディヴィエイター)』だ。

 

「…………どうして」

 

 ぼそりと、低く体を屈めた少女―――ジャクリーン・ハーレイは問う。

 どうして?

 どうして避けられたのか。

 

「別に、殺気が出過ぎだよ。そんなに物騒な気配、西部戦線じゃ日常茶飯事だったからね。来るだろうと思っていれば、そりゃあ避けられるさ」

 

「―――殺気? 西部戦線?」

 

 適当に肩を竦めながら放たれた言葉にジャクリーンは微かに動揺した。

 そんなものを出ているなんて気づかなかった。

 それに、西部戦線?

 二年ほど前、文(・)字(・)通(・)り(・)兵(・)が(・)全(・)滅(・)し(・)た(・)と(・)歴(・)史(・)的(・)大(・)敗(・)と(・)さ(・)れ(・)た(・)―――あの?

 

「その話はあんまり思い出したくないな。ジャクリーン・ハーレイ。君の話をしようか」

 

「っ……!」

 

 傷だらけの女の顔が歪み、指に――爪に力が入る。

 

「あの売春宿なら、君(・)の(・)望(・)み(・)通(・)り(・)潰れると思うよ」

 

「――――」

 

 しかし、ノーマンの一言に僅かに緩んだ。

 それを見て、彼は自分の推測がさほど間違っていなかったことを知る。

 

「俺と一緒にいた刑事さんはあれで結構偉くて正義感が強くてね。あんな店を知ったら放っておかない。というより、放っておく自分を許さないって言うべきかな。おめでとう、だから起こしたんでしょ? 連続殺人事件」

 

「…………驚いた。何者かと思っていたけれど、探偵だったの?」

 

「よく言われるけど、探偵じゃあない。そう名乗れたらかっこいいとは思うけど」

 

「……私をどうするつもり?」

 

「君次第かな」

 

 帽子を片手で抑えつつ、苦笑する。

 できれば穏便に終わってほしい。

 そうなると後でエルティールへのフォローが必要だけれど。

 

「俺は君みたいなバケモノ、≪アンロウ≫を捕まえるのが仕事でね、できれば素直に捕まってほしいな」

 

「そう―――やっぱりいるのね、私(・)み(・)た(・)い(・)な(・)の(・)は(・)」

 

 月明かりだけの薄暗い通りで、ほとんど四つん這いのような姿のジャクリーンが目を細める。

 顔には右目に縦の傷跡があった。

 宿で出会った時は化粧で上手に隠していたけれど、今は落としたらしい。

 当然だろう、彼女は仕(・)事(・)終(・)わ(・)り(・)だ。

 しかしそれは置いておいて、ノーマンは彼女の目に知性を感じた。

 彼女は賢い。

 どうしようかなと、ジャクリーンの動きに注意を払いつつ考えるが―――多分、それは向こうも同じだ。

 

「君みたいなタイプを『逸脱者(ディヴィエイター)』と言う」

 

「……? 私みたいなタイプ? もう何種類かいるの?」

 

「合わせて4つ。それぞれ異能の発現方法で区別している。『逸脱者(ディヴィエイター)』の場合、肉体機能の延長上にある異能と人並外れた身体能力。覚えがあるだろう?」

 

「えぇ。私の能力が何か分かるかしら」

 

「爪。自分の意思である程度伸ばせて、刃物みたいな切れ味と堅さがある、とかかな」

 

「――――ご名答、完璧よ探偵さん」

 

 ぎちりと、空気が歪む。

 異能を言い当てたから警戒度がさらに上がったのだろう。

 別に、そこまで難しい話ではないのだが。

 

 『逸脱者(ディヴィエイター)』は共通で高い身体能力を誇る。

 馬鹿力だったり、拳銃の弾丸程度はものともしない耐久力だったり、何時間走ってもものともしない体力だったり、一晩寝れば大体の怪我が回復する回復力だったり。

 一流の運動選手を上回る能力が前提基礎能力。

 加えて人体機能の延長先上にある異能を持つ。

 体温を操ったり、異様に体が柔らかかったり、電気を発したり。前提となる運動能力に加えてさらに特化した身体能力を発揮したり―――異様に固い爪を生やしたり。

 できることは人間の延長線上にある。

 或いは人が何年何十年その為だけに訓練をすれば到達できるかもしれない。東の国の大道芸のような力。

 それを『逸脱者(ディヴィエイター)』は当然のように持っている。

 

「でも、『逸脱者(ディヴィエイター)』が怖いのは能力じゃない」

 

「えぇ?」

 

「言い方を変えれば物凄く動ける人間なせいか、どうにも精神面での箍が外れやすいんだ。万能感、全能感、他の人間並外れた性能のせいで」

 

 みんなから。

 人間から。

 外れて、抜きん出た――――だから、『逸脱者(ディヴィエイター)』。

 肉体も精神も。

 

「簡単に言うとちょっと頭がおかしいんだよね。自分のやりたいことやらずにはいられない。自制心とか倫理みたいなを置き去りにしてしまう」

 

「はっ。だから逸脱した者って? 大した皮肉ね。名付けたやつには喝采を上げたいわ」

 

「あまり笑えない」

 

「―――わかるでしょう、探偵さん? そこまで私みたいなのに詳しいなら。私が止まるわけがない。殺した5人とも、どうしようもないクズよ」

 

「だから殺して良いって?」

 

「殺さないと――よ」

 

 ジャクリーンが笑う。

 傷だらけの女の口が弧を描く。

 そうしたい。

 そうするべきだ。

 そうしないといけない。

 そう思い込んで――――止まれない。

 

「お前も、同じ類かしら探偵さん」

 

「うーん、どう思う?」

 

「どこからどう見ても女(・)の(・)敵(・)よ」

 

 もう分かっているんでしょう? と彼女は笑う。

 爪を見せびらかせて。十本の夢が僅かな月明かりに反射する。

 やる気満々―――という感じ。

 

「えーと、解決編をやったほうがいいかな? 一応君の動機とか色々考えたんだけど」

 

「私が何人狙って殺したと思う?」

 

「―――5人とも。或いは誰も狙っていなかった。或いは1人だけ」

 

「完璧よ。正解だわ探偵さん。これ以上不要ね」

 

 ゆらりとジャクリーンは体を起こす。

 幽鬼のようであり、獣ように。

 どうやら本当に解決編はお望みでないらしい。

 こういう所も『逸脱者(ディヴィエイター)』の典型だ。

 彼女の中でノーマンは事情を理解していると完結しているらしい。

 『逸脱者(ディヴィエイター)』は話が通じにくいことが多いというのはノーマンが良く知っていた。

 

「はぁ」

 

 ノーマンは息を吐いた。

 

「うふっ」

 

 ジャクリーンは笑った。

 そして、ぎちりと。 

 殺意が弾けた。

 

「―――『正しき五爪(カノニカルファイブ)』!」

 

 閃く五つの爪。

 人間を容易くバラバラにし、彼女の正義を為す凶器。

 『逸脱者(ディヴィエイター)』の身体能力によってそれが振るわれる。

 ノーマンに至るまで一瞬。

 話すことはないと男を殺す――――切り裂きジャクリーン(ジャクリーン・ザ・リッパー)。

 

 ノーマンに許されたのは一瞬だけだった。

 その一瞬。

 死に至るまでの刹那。

 彼はただ、口笛を吹いた。

 

 ――――ぴ(・)ゅ(・)ぅ(・)ぃ(・)っ(・)。

 

 それは主が犬を呼ぶように。

 或いは王が自らの騎士を呼ぶように。

 

 ノーマン・ヘイミッシュに呼ばれてエルティール・シリウスフレイムは馳せ参じた。

 

 

 

●

 

 

 

 

 

 ジャクリーンがノーマンに至るよりも早く、それは二人の間に降り立った。

 それは巨大な犬だった。

 黒いレインコートをマントのように纏い、体高2メートル。全長も三メートル近い。闇に紛れるような漆黒の毛並み。肉切り包丁のような鋭い爪、顎から覗のはずらりと並んだ鋸のような牙。

 何もかもが黒い漆黒の妖犬。

 

「なっ―――――!?」

 

 言うまでもなくジャクリーンは驚愕する。

 爪は既に振りかぶられている。

 ノーマンを守る騎士のように割り込んだ黒犬は石畳に着地し、

 

「がっ!?」

 

 体当たりで彼女をぶっ飛ばした。

 尋常ではない衝撃だった。

 『逸脱者(ディヴィエイター)』故の耐久性がなかったら、それだけで全身の骨が砕けて死んでいたであろう。

 『逸脱者(ディヴィエイター)』だから死ななかったが、何度か石畳を砕き、跳ねてようやく止まった。

 

「ごほっ……ごほっ……何、が……!?」

 

 揺れる視界、口から血を零しながら彼女は見る。

 ノーマンの前に立つ巨大な犬。

 

「君がヘルカートの切り裂き魔なら」

 

 男は何でもないように、けれど笑みを浮かべながら黒犬の背を撫でる。

 

「くぅ」

 

 黒犬は気持ちよさそうに喉を鳴らした。

 

「エルはヘルカートの魔犬(ハウンド)、って言ったところかな」

 

 『黒妖ノ魔犬(ブラックハウンド)』のエルティール・シリウスフレイム。

 

 『変貌者(メタシフト)』である彼女の異能は単純だ。

 その身を巨大な黒い犬に変えること。

 異能を使ってしまえばどう見ても人間ではない。

 普通から、みんなから。

 変わってしまったバケモノ。

 異能の使用が、そのまま外見上人でなくなってしまう。

 

 人ではない姿に変貌するバケモノ―――故に『変貌者(メタシフト)』。

 

「っ……あの時の、女……! だから、連れまわして……!」

 

「そう、俺のボディガードだ。……あー、立たないほうがいいよ。『逸脱者(ディヴィエイター)』は頑丈だけど、『変貌者(メタシフト)』ほどじゃない。≪アンロウ≫には相性があるんだ」

 

 『逸脱者(ディヴィエイター)』は高い身体能力を誇る。

 けれどそれはあくまで人の延長線上。

 『変貌者(メタシフト)』のように人から変貌してしまったものに比べるとどうしても劣ってしまう。

 勿論それはただの相性に過ぎず、異能によっては十分に覆せるが。

 エルティールは完成された『変貌者(メタシフト)』だ。

 異能が安定しているとはいえ成り立てのジャクリーンが敵うレベルではない。

 

「っ……貴女、それでいいの!?」

 

「?」

 

 叫ぶ彼女の顔が歪む。

 傷だらけの顔。

 傷ついた体を震わせて。

 男の―――欲望に蹂躙された証。

 兄に売られて、客に切り刻まれた少女は吠える。

 

「そんな、そんな男の犬になって! 好きなように使われて! 私はこういう男を知っている! 沢山客で見た! 女を道具としか思っていない屑! 何かあればきっとアンタを捨てるような女の敵が――――!」

 

「女女と、うるさいですね」

 

 黒妖犬が人の言葉を話す。

 声帯がそもそも人のものとは違うはずだが、そんな道理は≪アンロウ≫には通じない。

 喋れるから喋るだけ。

 動物に変化するタイプの『変貌者(メタシフト)』は、概ね喋れることはないがエルティールは訓練によって会話を可能としていた。

 

「主語が大きい。自分が女性の代表になっているかのよう。自分が世界の中心だとでも? だから『逸脱者(ディヴィエイター)』は嫌いです。―――私とあなたは違う」

 

「――――どうして」

 

「簡単な話ですよ(エレメンタリー)、切り裂き魔(ザ・リッパー)」

 

 あなたが男を嫌っていても。

 私はこの男を愛している。

 あなたが男に捨てられても。

 私はこの男に拾われた。

 あなたが男を地獄に突き落とすのなら。

 私はこの男が地獄に落ちても伴をするだけ。

 

 ただ、それだけの話。 

 

「尻(・)尾(・)を(・)振(・)る(・)相(・)手(・)を間違えましたね。ペットならペットらしく愛してくれる主にすればよかったのに」

 

「ふざけるな……!」

 

 最早罵倒に近いエルティールの言葉に案の定ジャクリーンは激昂する。

 それは彼女の逆鱗に等しい。

 ジャクリーン・ハーレイに選択肢なんてなかったから。

 獣の様に彼女は身を屈め、爪がさらに伸びる。

 無理やり伸ばしているからなのか血が指先から流れるが構わない。

 感情は≪アンロウ≫にとって、『逸脱者(ディヴィエイター)』にとって分かりやすい燃料だ。

 けれど、それが振るわれることはもうなかった。

 

「エル」

 

「わふっ」

 

「行け」

 

「――――わんっ!」

 

 黒犬が吠える。 

 従順なペットのように。

 短い命令に、しかし歓喜するように。

 一度吠えて彼女は跳ねた。

 石畳を砕き、切り裂き魔へ疾走。

 ジャクリーンは見た。

 暗い夜。

 漆黒の闇。

 疾駆する黒い犬。

 夜と黒と闇。

 その中で爛々と輝く最も明るい白瞳(シリウスフレイム)。

 

 ―――――地獄に輝く『黒妖ノ魔犬(ブラックハウンド)』。

 

 ご(・)う(・)っ(・)という音と共に魔犬が切り裂き魔を轢いて、鈍い音と共にバケモノが地面に叩きつけられた。

 短い散歩の終わりを告げる音だった。

 

「―――わふっ」

 

 大きな首を振りつつ、魔犬はゆっくりと飼い主の下まで戻ってきた。

 数歩歩けば、

 

「お疲れ様、エル」

 

「はい、ノーマン様!」

 

 魔犬は美女に戻っていた。

 それまで来ていたワンピースは破れて全裸ではあるものの、大きなレインコートが全身を隠している。どこでもそれを羽織っているのは異能による変身を前提としている為。

 少し垂れ気味の優しそうなまなじり。

 あまり見れない彼女の素顔。

 びっくりするくらいの美人だなぁとノーマンは思った。 

 全裸レインコートに興奮するのはちょっと変態ぽいだろうか。頭より大きい二つの膨らみやお尻がレインコート越しに肉感的な曲線を生んでいる。

 特徴的なのはやはり目だ。

 目隠しが無いからに明るい白の瞳が露わになっていた。

 よく見れば本来の白目が黒くなり、瞳孔自体が仄かに発光している。

 強度の高い『変貌者(メタシフト)』であるが故に、異能を使っていなくてもその余波が常に現れているのだ。

 大きな体も、反転と発光した目もそれによるもの。

 みんなから、普通から―――変わってしまったバケモノ。

 

「それはそれとして」

 

「はい?」

 

「……流行ってるの? そのキメ台詞?」

 

「ふふっ」

 

 にっこりと笑って、彼女は答えた。

 

「わんっ」

 

 

 

●

 

 

 

 

 

 

「義憤だったんだよね、彼女のモチベーションは」

 

 ブラシをかけながらノーマンはそんなことを言う。

 

「くぁ?」

 

 欠伸しながら答えたエルの姿は人ではなく、黒犬のものだった。

 ノーマンの下宿、リビングに巨体を伸ばし寛いでいた。

 普段外で纏う黒のレインコートは外され、彼は彼女の漆黒の毛並みにブラシを通していた。

 毛づくろいだ。

 仕事の後はノーマンが自ら彼女にブラッシングするのが二人の習慣になっていた。

 彼女の毛は独特な光沢があり、滑らかな手触り。

 ブラシを丁寧にゆっくりと動かしながらノーマンは言葉を紡ぐ。

 

「ジャクリーン・ハーレイは兄に売られて違法の売春宿で働かされていた。今18で働き始めたのは12だった……6年間。どんな青春を過ごしたかは想像したくないね」

 

「わふ」

 

「全くだ。どうせ碌でもない。大事なのは6年間彼女はあの宿で過ごし、生き延びたっていうこと。6年間、兄に売られ続けて、誰とも知らない金持ちの餌になり続けた」

 

 欲望の為に働かされて、欲望に晒される。 

 彼女は6年間ただの道具だった。

 誰かの醜い欲を満たす為だけの馬車車。

 

「わん?」

 

「いいや、それだけじゃない。あの売春宿、子供がいただろう? 勿論子供だけじゃないけど、その中でも彼女は年長者でベテランなわけだ。きっと見て来たんだろうね――――6年の間、使い捨てられた子供たちを」

 

 違法の売春宿。

 年齢も問わないというが、この場合は幼い子供が商品になるという話。おまけに欠損している子もいたし、ジャクリーン自身傷だらけだ。働きながら死んでしまったり、精神的に壊れてしまう子供もいただろう。

 

「あそこらへんは治安が良くない。ホームレスは勿論、孤児だっている。あの手の店で働かされるのはそういう類かジャクリーンみたいに売られた子だ。共感することもあっただろうし、その子たちや自分を苦しめる男というものを恨んでいたんだろうね」

 

「くぅん?」

 

「ホームレスも同じさ」

 

 ブラシを動かし、耳の裏を撫でる。

 ピコピコと耳が揺れた。

 

「売春宿で壊れた商品をどうするか? 簡単だ、捨(・)て(・)る(・)ん(・)だ(・)よ(・)。どこに? 適当に路地裏に転がせばいい。勝手にホームレスが拾ってくれる。最初の3人もそうやって自分たちの欲を満たしていた」

 

 それ自体は左程珍しい話ではない。

 治安の悪い地域やスラムでは女の子が歩くのは自殺行為にも等しい。ノーマンだってエルティールが『変貌者(メタシフト)』じゃなかったら連れ歩けない。

 ホームレスの生活環境は『廃棄王』から貰ったメモから解った。

 あの3人が性生活には満たされていたことが。

 違法の売春宿で用済みになった商品を再回収していたのだろう。

 ホームレスとは別に物を持たないわけではない。

 家がないだけだ。

 

「当然彼女はそれを知っていた、怯えていただろう。次は自分の番かもって。だけど」

 

 だけど。

 彼女は≪アンロウ≫になった。

 人から、皆から外れたバケモノに。

 

「≪アンロウ≫になった彼女はすぐに自分の異常さに気づいた。そしてわりと頭が良かった。或いは客の貴族から学んでいたのかもね。ただ兄を殺すだけでは何も変わらない。彼女は自分がいた売春宿と自分たちを弄んだ男たちを恨んでいた。それ以上に―――許せなかった。だから、殺して、殺し続けた」

 

 どうして?

 許せないから。

 義憤。

 正しいことをするべきだという憤り。

 許せないから殺す。

 それが彼女の殺した理由(ホワイダニット)。

 

「後は単純な話。ホームレスを3人殺して、自分を売った兄を殺して、自分を買い続けた貴族を殺した」

 

「わふ」

 

「個人的な恨みより義憤が強いと思ったのはお貴族様をバラバラにしたあたりからかな。恨みだけだったら兄もバラバラにしてただろうし。兄は社会的に見たら子悪党だけど、あの売春宿を運営していたのは概ね貴族の後押しによるものだしね」

 

 バラバラ殺人は異能を使ってたからと思ったけれど。

 単純な話。

 人をバラバラする理由。

 ―――――許せないから。

 殺すだけでは飽き足らないから。

 

「もっと詳しく言えば見(・)せ(・)し(・)め(・)だね」

 

「わん?」

 

「ホームレスや労働者を殺しただけじゃ大した問題にならない。でも貴族が死ねば大事になる。実際なったし、売春宿も明るみに出た。刑事さんが調査したから『上』ももみ消しきれないだろう。結果的に彼女は目的を達成した。義憤―――あの売春宿を潰したいってね」

 

「くーん?」

 

「そうだね。狙ったのが五人か一人か誰も狙っていないってのは言葉遊びでもなくただの事実さ。目的のために5人を殺した。個人的な恨みで一人を殺した。或いは別に5人じゃなくてもよかったんだ」

 

 警察によって存在が明るみに出たのなら、商品は被害者になって保護されると彼女は踏んだ。

 多分、もし明るみにでなかったのなら連続殺人事件のカウントが5から増えただろう。

 あそこにはあの宿に通っていた貴族の名前もある。

 偽名を使っていた者もいただろうが、調べれば解ったはずだ。

 それが彼女の正体。

 心を、体を切り刻まれた少女

 男の醜い欲望が生んだ地獄。

 そこそこの恨みとありったけの義憤に駆られて。

 正義が下るまで―――何度でも。

 振り下ろされる正しさの爪。

 正しいからって何をしたって良いとは思わないけれど。

 『逸脱者(ディヴィエイター)』である彼女は止まれなかったのだ。

 みんなから外れて――――そのまま、外れたきり。

 地獄が生み、地獄を生む切り裂き魔。

 

 最も、そんなバケモノに牙を剥いたのは地獄のハウンドだというのだから皮肉な話だ。

 

「とまぁ、解決編はこんな感じで終わりかな。細かいところのミスや勘違いはあるだろうけど俺は探偵でもないし」

 

「わふ」

 

「ははは、そうでしょ? 暇つぶしにはなった。さて、ブラッシングはこのくらいかな」

 

「くぅん」

 

 寝そべっていたエルティールが体を起こす。

 ふるふると体を震わした後、床に座ったノーマンの周りをくるりと一周し、

 

「わっ……ははは、くすぐったいよ、エル」

 

「わふっ」

 

 ぺろり。

 ぺろぺろ。

 ざらりとした大きな赤い舌がノーマンの顔を舐め回す。

 くすぐったさに彼は思わず笑ってしまう。

 黒妖犬の姿の彼女の口はノーマンの頭がすっぽり収まるほどに大きく、少しでも牙が掠めたら首を裂いてしまうだろう。

 けれどノーマンは気にしなかった。

 笑いながら彼女を受け入れている。

 

「くぅーん」

 

「おっと」

 

 大きな前足で、エルティールはノーマンを押し倒した。

 

 

 

●

 

 

 

 無防備に倒れた青年を白い瞳が見つめている。

 ノーマン・ヘイミッシュはぼんやりとした印象を与えるが、華奢かと言われると全くそんなことはない。

 いつもコートを着ているから分かりにくいが元軍人で鍛錬を怠っていないから筋肉質だし、運動神経も良い。喧嘩を好んでいるわけではないが、弱いわけがない。危ないスラムを歩いても危なくはない男だ。

 頭だって良い方ということはエルティールが良く知っている。

 ≪アンロウ≫の事件を解決する時、エルティールが隣にいれば探偵役は彼だ。

 魅力的な雄であると、彼女は知っている。

 そんな男は今、自分の下敷きになっている。

 そして彼女は思うのだ。

 

 ――――――ほんの少し力を入れたら、自分は彼を殺せるだろうな。

 

 なんて。

 彼は人間で、自分はバケモノで。

 腕を押さえつけている前足に力を入れれば彼の腕は潰れるだろう。

 大きな口を少し開いて閉じれば首は裂けるだろう。頭だってもげるかもしれない。

 息を吸う様に。

 バケモノである自分は彼を殺せる。

 これはただの事実。

 その事実を踏まえて、彼に傅いてるのが自分だ。

 

 それはなんというか―――――興(・)奮(・)す(・)る(・)。

 

「くぅ」

 

「ん、はは」

 

 ぺろりと顔を舐める。

 無防備に、無邪気に彼は笑っている。

 はたから見れば巨大な犬に食われる寸前だというのに。

 全く危機感がない。

 そんな様子を見るたびに体の中心が熱を持つ。

 

 彼は初めて出会った時からそうだった。

 1年半前のことだ。

 ≪アンロウ≫に目覚めたばかりで、喋れもせず、黒犬になって何も分らなかったエルティールは震えていた。

 世界がひっくり返った、では足りない。

 何もかも変貌してしまった。

 世界がではなく自分が。

 震えて、怯えて。

 地獄に落ちたと思った。

 自分だけが地獄にいると思った。

 そんな自分を彼は拾ってくれたのだ。

 その時のノーマンは、自分が≪アンロウ≫ということも気づいていなかった。

 ただの何気ない気まぐれ。

 その気まぐれに彼女は救われた。

 異能の使い方を学び、ノーマンの相棒として≪アンロウ≫事件解決をするようになった。

 別に、自分以外の≪アンロウ≫はどうでもいい。

 どうでもよくない≪アンロウ≫は3人ほどいるが、それは置いておいて。

 

「ノーマン様」

 

「うん?」

 

 ぺろりと最後に一舐めして顔を上げた時、彼女は姿を人間のそれに戻していた。

 黒ではなく金の髪が体を伝って零れ落ちる。

 顔は目と鼻の先。

 白く輝く瞳が薄いブルーの瞳を捕らえる。

 豊かな双丘がふにゅりと彼の胸板で柔らかく潰れ、呼吸と共に僅かに、けれど確かにその感触を伝えていた。変わらず両肩に置かれた両腕は白く肉感的に伸びている。長い髪が天然のドレスとなり透き通るような背中を覆い、マシュマロのような大きいお尻に散っていた。

 その手だって、力を入れれば彼の肩を砕くことが可能だ。 

 『変貌者(メタシフト)』として高い完成度を誇る彼女は人としての体でも黒犬の影響を受けている。

 巨体や僅かに光る眼、大量の肉を好む趣向はそうだし、目隠しをしていても嗅覚が視覚の代理にできるし、『逸脱者(ディヴィエイター)』ほどではないが身体能力も高い。

 このまま、彼を殺すことなんて簡単なのに。

 

「ふふっ」

 

「? 楽しそうだね」

 

「えぇ……はい、とても」

 

 体が揺れる。

 潰れた胸が弾む。

 

「ノーマン様、恐ろしくはありませんか?」

 

「ある意味では恐ろしい。君の体は凶器だね」

 

「あら」

 

「そっちの体も犬の体も、柔らかいし、すべすべだ。全く男にとってそれの方がよっぽど凶器だよ。主に理性とかに対してね」

 

「――――うふふ」

 

 この人は、エルティールを恐れない。

 人間の皮をかぶった自分も。

 バケモノのまま、ありのままの自分。

 エルティール・シリウスフレイムをありのままに受け入れてくれる。

 傍において、お世話をすることを許してくれる。

 自分が少し気まぐれを起こせば死んでしまうのに。

 殺してくださいと言わんばかりに無防備だ。

 

「―――ん」

 

 ぺろりと、首筋を舐める。

 ぴくりと、彼の体が震えた。

 舌に感じる汗と肌の味。

 その下の血はどんな味がするのだろう。

 気になるけれど、知りたくない。

 彼は自分を人間として扱ってくれるのだから。

 味わうのは血でなくていい。

 

「それでは、ノーマン様」

 

「うん?」

 

 首筋から耳元へ唇を動かす。

 ぷるんとした唇から熱い息が漏れた。

 地獄であろうと焼き尽くすような熱を込めて。

 ありったけの忠誠と獣性を秘めながら囁くのだ。

 

「ブラッシングの次はシャワーをお願いします。シャワールームは狭いので、こちらの姿で――ね?」

 

 

 

 

 

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