簡単なことだよ、愛しい人(書籍版『バケモノのきみに告ぐ、』)   作:柳之助@バケつ1~4巻発売中

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空の特急

 

 少女は退屈していた。

 自分がおかしくなってしまったことは自覚していたし、そのせいで周囲がおかしくなったのも気づいている。

 彼女の周囲はあっという間におかしくなってしまった。

 何もかも思い通り。

 彼女の言ったことはそのまま現実になる。

 何一つ不自由ない。

 彼女の為の楽園。

 それは、

 

「つまらなさそうだね、お嬢さん」

 

「―――」

 

 その青年は見透かしたように言った。

 最近彼女の世界に現れた男。

 けれどまだ、彼女のものになっていない。

 

「……そうだねぇ、おもしろくない。実につまらない」

 

 少女はしかし笑った。

 面白かったからではなく、ただの癖だ。

 微笑めば、他人はあっという間に彼女の虜になるから。

 だけど男は違った。

 

「なにか企んでいたりしないの?」

 

「別に? したいこともないしね」

 

「それは嘘だ」

 

「―――」

 

 ほほ笑みが罅割れた。

 彼の言葉がナイフのように突きつけられる。

 

「したいことがないわけじゃない。むしろ明確だろう? 具体的な方向性がないだけ」

 

「……驚いたな」

 

 それは真実だったからだ。

 彼の言う通り。

 したいことはある。

 具体的な方向性がないだけ。

 目的はあるけど目標がない。

 

「ねぇ、お嬢さん。今のこれ、止めない?」

 

「止めたらどうしてくれる?」

 

「そうだね。――――少なくとも、君が退屈しないような場所を用意しよう」

 

 

●

 

 

 クラレス・エアリィステップ。

 色素の薄い桃色の髪をサイドテールにした少女。

 彼女はいつもいたずらっぽい笑みを浮かべている。

 クラレスに関して語るのは難しい。

 一言で言い表すことができない、そんな子だ。

 例えば髪型はサイドテールが多いが、時たまポニーテールだったり、結んでいなかったり、カールをかけたり、ツインテールだったり、おさげだったり、三つ編みだったり。その日の内に何度も髪型を変えることもある。

 変わらないのはいつも濃い緑のステッキを持っているということ。

 あるいはいつも浮かべるいたずらっぽい笑みは、彼女が楽しんでいるからとは限らない。楽しくなくても、喜んでいなくても、怒っていても、悲しんでいても笑っている。

 それが何を意味するのかは分からないように見える。

 何を考えているのかよく分らないように見せている。

 掴みどころがないのだ。

 春に吹く風は暖かいけれど、掴むことはできない―――そんなことを思わせる少女。

 そんなクラレスは、

 

「首都が楽しみだねぇ先(・)生(・)」

 

 向かいのソファで足を組み、ステッキを床に突きながらいつも通りいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。

 それまで本を読んでた彼女は突然顔を上げて、仕切り直すみたいに。

 片目を閉じて微笑む彼女にノーマンは肩を竦める。

 

「あまり気が進まないよ、正直な所ね」

 

「そうかい? 残念だねぇ、僕は一週間前から楽しみで眠れなかったというのに」

 

「へぇ。ちなみに昨日はどのくらい寝たの?」

 

「――――たっぷり12時間」

 

「寝すぎだよ」

 

「うふふ」

 

「やれやれ」

 

 揶揄われていることを自覚し、窓の外に視線を送った。

 高速で流れていく景色がある。

 今ノーマンとクラレスは列車に乗っていた。 

 エメラルド特急、バルディウム発ノドノル行。

 個室の座席は柔らかく座り心地がいいが低い振動と音がある。

 クラレスもノーマンの視線を追い、地平線まで広がる荒野を見た。

 

「首都行きの最新特急というけれど、こうして景色が流れる速度だけでも普通の列車よりも速い」

 

「最新鋭って売りでチケット代もやたら高いしね」

 

「そういう意味では先生の経費で出るから体験できたのはラッキーだったよ」

 

 ウィンクが飛ぶ。

 閉じた瞳は明るいオレンジでもう片方は緑のオッドアイ。

 その瞳は独特の妖しさがある。

 彼女は車窓の下に備え付けられた机、そこに置かれていたティーカップを手に取る。

 ルームサービスで注文したティーセットだ。

 

「学校は、あまり有意義とは言えないからね」

 

 カップを傾ける彼女は、バルディウムの貴族・富裕層向けの女子学校の制服だった。 

 濃いブラウンのダブルのジャケットに黒いスカート。胸元の細いリボンは緩く白い鎖骨が覗き、普通ふくらはぎまであるはずのスカートは膝上あたりまでしかなかった。

 そんな丈で、広いとは言えないコンパートメント席で対面しているので太ももの奥が見えそうで良くないとノーマンは思う。

 思うが、口に出すことはない。

 言っても無駄だと身に染みているからだ。

 

「君が不良少女なのは言うまでもないけど、授業はちゃんと受けたほうがいいよ」

 

「僕の出席が安定しないのは先生との付き合いによるものが多いけれどね? そして残念ながら女子寄宿学校なんて花嫁修業がほとんどだよ。おもしろくない」

 

「猶更勉強したほうが良いんじゃない?」

 

「勉強する必要もないだろう?」

 

「……」

 

 にっこりと、彼女は春のように笑った。

 が、目が絶妙に笑っていない。

 何か言ったら墓穴を掘りそうなので黙っておく。

 

「うふふ」

 

 彼女は紅茶に口を付け、

 

「ま、街の外、それも首都に行ける機会は貴重だ。僕としては珍しく、純粋に楽しみなんだよ?」

 

「クラレス。言っておくけど一応仕事だよ?」

 

「勿論分かっている。でも、首都の街並みを楽しむくらい、僕にだって許されているだろう?」

 

「まぁ、そりゃね」

 

「うん?」

 

「…………分かった分かった、用事さえ終わらせたらちょっとは観光しようか。元々一泊する予定だったしね」

 

「うふふ。いやぁ、楽しみだねぇ先生」

 

 ティーカップを置き、器用に手の中でステッキの柄を回転させながら彼女は笑う。

 くるくると回る。

 

「……」

 

 ノーマンは適当に肩を竦めておいた。

 

 二人がバルディウムから離れているのは会話通り観光ではなく仕事だ。

 バルディウムの人間がその城壁の外に出ることは珍しい。近くに大きな街はなく、駅も日帰りで行ける距離にあるのは鉱業や材木業を担う村程度であり、観光できる場所はない。

 定期的に街の中に移り住む人は多いが、その逆はない。

 多分、来たくて来る街ではないのだ。

 城壁に囲まれた風の吹かない街。

 行き場のない風が最後に辿りつく場所。

 あの街は、そういう街だ。

 

 ただそれでも街ではあり、国家が形成する都市の一つであるために流通があり、経済があり、政治がある。

 当然、一応とはいえ国に仕える公務員でもあるノーマンにとってもそうだ。

 1年半前にバルディウムに訪れてから半年ほどの期間を置いて、彼は首都に赴いている。

 ≪アンロウ≫に関する扱いは国が行っているものだ。

 彼には首都にある≪アンロウ≫研究所に訪れ、様々な報告をする義務があり、今回街を出たのもそれによるもの。

 クラレスはその付き添いだ。

 これは、非常に珍しい機会でもある。

 なぜなら、

 

「≪アンロウ≫の僕が、街を出ることなんてこんな機会じゃないと」

 

 

 

●

 

 

 

 

 そう、クラレス・エアリィステップは ≪アンロウ≫だ。

 『歪曲者(ディフォーム)』

 周りを、みんなを歪ませるバケモノ。

 にこやかな笑みを浮かべ、けれど笑っていない少女は、バケモノであり、そしてノーマンと同じく国に管理された故に街を出られない。

 勝手に街を出れば拘束されるか殺されるか。

 少なくとも位置と存在を把握されている≪アンロウ≫はそうなるし、知らされている。

 だから彼女が浮かれているのは本当だろう。

 クラレスは安定し、訓練された、極めて珍しい≪アンロウ≫でもある。

 ≪アンロウ≫なのに、学校に通っている。

 彼女はただのバケモノではなく、みんなに溶け込んだバケモノだ。

 

 それは、本当に珍しい。

 

「それも先生とお泊りデートだ。みんなが羨ましがるよ」

 

「それくらい誘われればいつでも行くけどね」

 

「へぇ。じゃあ僕ら4人同時に誘われたらどうする?」

 

「………………分身でもするさ」

 

「それはすごい。東洋のニンジャだったのか、今度ニンジュツも教えて欲しいね。コツはある?」

 

「…………いや、ニンジュツは使えない」

 

「それは残念」

 

 うふふと、彼女は微笑む。

 くるりと、ステッキの柄が回転した。

 列車の振動に揺れる。

 似合わないなと、ノーマンは思う。

 クラレスはどこにいても浮いている。

 浮世離れ。

 どんなところも彼女には似合わない。

 じゃあどこが似合うのかというと、言葉に困るのだけれど。

 

「列車は悪くない」

 

 クラレスは外の風景を見て呟いた。

 

「レールがあればどこまでも進む。徒歩や馬、車、バイクよりもずっと早いのにレールが無ければ走れない。おもしろくないかな? 今ある乗り物で陸路を行くものでは一番速いのに一番自由がない。あらかじめ決められた道にしかいえないけれど、その道を行くのは何よりも速いんだ」

 

「制限があるからって話かな?」

 

「いいや違うよ先生。制限はあるけどその中に自由はある。例えばこの特急、最新鋭だけれど、何が最新鋭だったけ?」

 

「これまでよりずっと速いし、いっぱい物を運べる」

 

「そうそう、それだったね。流石は先生。ついでに聞いてもいいかい? この列車、何両編成で客室は何両だったけ」

 

「十両編成、そのうち客室は二両だよ。一両はバーとレストランで、残りは貨物車両」

 

「うん、そうだそうだ。そういう車両の比率も自由の一つだよね。ここ不思議があるんだけれど、バルディウムから外に出る人は少ない。ビジネスで移動する人はいても態々特急電車に豪華な客室を用意するものかな? 全部貨物列車で良くないかな。今日だって、最新鋭の特急だっていうのに僕たち以外数組しかお客はいなかったよね」

 

「うーん」

 

 クラレスの問いにノーマンは少し考え、

 

「別に難しくもないと思う」

 

「へぇ?」

 

「つまりはビジネス関係の人用でしょ。後ろの貨物列車で首都やリバープールに沢山荷物を送る。これは輸送・運搬に関しては必要だしね。食べ物、生活用品、高価なものあれやこれ。特急に乗せるのなら一番最後かな。そうするとほら、運搬費用も上がるでしょう? となると金が掛かる様になって、責任も増えてくる。責任が増えるなら責任者が同行する」

 

「なるほどなるほど。そういう人がこの部屋に乗るわけだ」

 

 こつんと、ステッキが床を叩いた。

 

「流石先生、見事な推理だよ」

 

「推理ってほどでもないけどね」

 

 ぞんざいに肩を竦めてノーマンは立ち上がった。

 

「どこに行くんだい?」

 

「紅茶のお代わりをもらってくるよ。首都まではしばらくかかるだろうし。小腹が空いてたりしない? 何か食べ物も買ってこようか?」

 

「ふむふむ、嬉しい心遣いだね。でも」

 

「でも?」

 

「ち(・)ょ(・)っ(・)と(・)待(・)っ(・)た(・)ほ(・)う(・)が(・)良(・)さ(・)そ(・)う(・)だ(・)」

 

 ――――どん、という音がした。

 

 そしてそれが連続する。

 列車の揺れではない。

 何か、それなりに重い物が倒れた音だ。

 

「………………」

 

「………………」

 

「……クラレス?」

 

「異(・)能(・)を(・)使(・)っ(・)て(・)い(・)る(・)」

 

「いつから?」

 

「首都が楽しみだねぇ先生、から」

 

「……はぁ。なるほど?」

 

 少し考える。

 ソファに畳んでおいたコートを着てその重みを確かめ、フェルトハットを被る。

 

「外に出ても大丈夫そう?」

 

「僕と一緒ならね」

 

 彼女も立ち上がる。

 薄い桃色のサイドテールが揺れた。

 掴みどころのない笑みを浮かべたまま、たんっ、とステッキで床を叩いた。

 

「離れないようにね、先生。僕(・)は(・)先(・)生(・)の(・)ボ(・)デ(・)ィ(・)ガ(・)ー(・)ド(・)な(・)ん(・)だ(・)か(・)ら(・)」

 

 そして。

 コンパートメントを出てみれば。

 

 ノーマンとクラレス以外――――――二車両分の乗客と乗務員と合わせて28名が全員死んでいた。

 

 

 

●

 

 

 

 

「うちの学校はさ」

 

「うん」

 

「歴史は古くて由緒正しいから演劇クラブとかも割と本格的なんだよね。衣装とかも卒業生の劇団員とかから古くなったら衣装とか貰ったり、ついでにそれ用にちょいちょいマネキンも貰うんだ」

 

「へぇ」

 

「ただ、場所取るから余りが出たり使わない時は倉庫に置いといてるんだけど、この前掃除中にマネキンやら荷物やらを倒したら倉庫中のものが一斉にドミノ倒しになってマネキンが倉庫中にやたらめったらに散乱するっていうちょっとしたらホラー現場になってさ」

 

「ほうほう」

 

「――――まさに、こんな感じだよ」

 

「残念ながらこっち、本物だけどね」

 

 クラレスの言葉に嘆息し、ノーマンは列車の中を見回した。

 コンパートメント席が並んだ客室二両。

 走る鋼鉄の箱は、まさに棺桶になっていた。

 それぞれの個室に乗客の大半が、通路には数人の乗客と乗務員が。

 倒れている。

 そして死んでいる。

 

「うーん、どう思う?」

 

 ノーマンは隣、緩く腕を絡めているクラレスに問う。

 自分の肩に頭を置き、腕を緩く絡めた彼女は何度かステッキで床を叩き、

 

「とりあえず、窓は開けたままがいいね」

 

 回っている最中に開けておいた車窓を見据えながら言う。

 

「一応まだ離れないで欲しいな」

 

「ん、了解。ただまぁ、突っ立っても仕方ないし、改めて調べようか」

 

 近場の客室に入り、死体を検分する。

 高そうなスーツの中年の男性は座ったまま死んでいる。口元から涎が垂れているが、抵抗した様子はない。

 

「襲われたって感じでもないし、外傷もない。クラレスの異能で防げたってことは……毒ガスかなにかかな。受けた感じ、どんなんだった?」

 

「ふむ」

 

 彼女は少し考えるように首を傾げ、頭をノーマンの肩に押し付け、ついでに腕も抱きしめた。

 厚手の制服は着崩され、押し付けられた体は年相応、気持ちスレンダー。

 起伏が激しいわけではないが、少女と女の狭間にある。

 少女らしいサイドテールに、どこか中世的な顔立ちは独特の、言葉にできない魅力を漂わせていた。

 鼻をくすぐる、ミントみたいな香り。

 

「なんか嫌な感じ」

 

「なるほど?」

 

「僕の異能は何か来ているのかは分かるけど、じゃあそれが何か、までは良く分からないからね。とりあえず様子見で僕と先生の個室を守っていただけさ」

 

「そのおかげて俺も命拾いしたわけだ。ありがとう」

 

「うふふ。どういたしまして」

 

 とりあえず自分たちの個室に戻る。

 対面で腰かけて、

 

「さて……問題は誰が、どうして、だね」

 

「心当たりは?」

 

「うーん」

 

 ノーマンは帽子の鍔に少し触れた。

 

「わりとあるなぁ」

 

「うふふ」

 

「俺たちを狙ったものなのか、あるいはほかの乗客で巻き添えなのか、或いは乗客を狙っていたのか、だね」

 

「ふぅん? 最後の意味は?」

 

「積み荷狙い、かな。乗客の死体ちょっと見たけどやっぱり古美術関係とか運送会社関係の人が多かったね。目録もちょっと失敬したけど結構お金になるもの多い」

 

「はぁん、つまりはトレインジャック?」

 

「かもって話だけど……これに関しては問題もある」

 

「ほうほう」

 

「ど(・)う(・)や(・)っ(・)て(・)回(・)収(・)す(・)る(・)か(・)、だ」

 

「その心は?」

 

 笑みを浮かべるクラレスに対し、ノーマンは車窓を指で軽く叩いた。

 

「見ての通り列車はちゃんと動いている。毒ガスなりが巻かれたのが客室だけだったのか、機関部にいる人の仕業かもね。ただ、仮に列車の荷物を抑えたとして、この列車はどこに行くのかって話」

 

「首都の駅」

 

「そう。回収班が向こうの駅にいるとしても、首都の駅は大きいから関係ない人もいるはずだ。仮にも最新式の特急だし注目もされている。もちろん、直行って行っても途中の大きな都市や補給には止まる。そんな列車、しかも乗客のほとんどが死んでいて、それから安全に荷物だけを奪う―――中々難しい」

 

「確かにねぇ。不可能とは言わないけど手間が多そうだ。なら、誰かを狙った暗殺?」

 

「どうかなぁ?」

 

 少し考える。

 誰かを殺したいとき、どうするか。

 やり方はいくらでもある。

 ≪アンロウ≫でなくても人を殺すのは簡単だ。

 でも、とノーマンは思う。

 

「暗殺するにしても態々列車の中で殺すのが良く分かんないね。閉鎖空間で毒ガスなんて危ないし、こんな皆殺しをやるのもやっぱり変な感じだ。終着点がどうしようもないっていうのが―――」

 

 そう言っていた瞬間だった。

 

「!?」

 

「おっと」

 

 き(・)ぃ(・)ぃ(・)ぃ(・)い(・)という甲高いと音と共に列車が揺れた。

 重心が崩れ、体が浮くほどだ。

 それはほんの数秒のことだったが、

 

「おや先生。ありがとう」

 

 クラレスがノーマンの腕の中に飛び込んでいた。

 ソファからずり落ちかけているノーマンに彼女が覆いかぶさっているような体勢。

 華奢な少女の体。

 また爽やかな匂いが花に届く。

 

「大丈夫?」

 

「もちろん、先生が受け止めてくれたからね。それで、今のはなんだったんだろう?」

 

「列車がカーブしたのかな? 流石にバルディウムから首都まで一直線に行くわけでもないし、そりゃカーブするだろうけど随分急だったな……」

 

 クラレスが座り直す。

 事前にもらっていた運行表を見て次に着く街と時間を確認しようと思う。

 止まればひとまず列車から脱出するし、しなかったらしなかったでどうにかする必要がある。

 

「先生」

 

「何?」

 

「かれこれガス巻かれてから15分くらい経ってるけど、どういう意図があるのかな?」

 

「とりあえず、待(・)ち(・)だよ」

 

 運行表を確認。

 予定ならもう10分後くらいで次の駅で停車し、燃料補給と客員の休憩時間がある。

 問題は、それまでに何が起きるかだ。

 

「誰が、どうしても知らないけど、誰かの仕業ではある。単独犯か組織犯かは置いておいて。毒ガスによる大量殺人をしたのなら、必ず結果を見に来るはずだ。すぐにはガスがあるから近づけないにしてもね。だから、その確認しに来るやつ待ちかな。可能なら尋問か拷問して情報を聞き出す。無理なら殺すか、ないし列車から飛び降りるか、だね」

 

「ふむ……そのあたりの判断は?」

 

「君に任せよう、クラレス。君は僕のボディーガードだから」

 

「ーーーーうふふ」

 

 彼女は笑う。

 いたずらっぽく。

 けれど熱に魘されたような。

 あるいは誰かを熱で惑わすような。

 そんな熱が瞳にある。

 

「では確認だけれど。僕の最優先は先生の身の安全だ。それからだいぶ下がって僕自身。さらにかなり下がって周りの無関係の人……今回はもうほとんど死んでるけど。それから犯人ないし犯人たちだ。敵意を向けられたり、危険度が高いと判断したら処(・)理(・)し(・)ち(・)ゃ(・)う(・)け(・)ど(・)、いいよね?」

 

「もちろん、君に任せよう」

 

「イエス、マイマスター」

 

 気取ったように応えた彼女は小さく頭を下げ、

 

「では早速―――『無形なる有形(スプリガンハンド)』

 

 どんっ、と強くステッキで床を叩いた。

 続いて通路から鈍い音が連続した。

 擬音語にすると、ダダダン! という感じ。

 それから鼻につく―――生(・)臭(・)さ(・)。

 

「……クラレス?」

 

「なにかな?」

 

「……何をしたのかな」

 

「処(・)理(・)」

 

 うふふと彼女は笑い、けれど笑っていない。

 張り付いた仮面の笑顔。

 彼女は楽しいから笑っているのではない。

 笑っているだけで――彼女は今、おそろしく真剣だった。

 

「なるほど」

 

 それを分かったからノーマンは頷き、個室の外に出る。

 

 そこに―――――蛇(・)が(・)い(・)た(・)。

 

 それも大蛇だ。

 直径三十センチはある胴体、全体の長さは1メートル近く列車廊下の半分ほどの長い体。

 それが1メートル間隔でぶつ切りになっている。

 まな板の上で鉈でも使って力任せに叩き切ったようにも見える死体。

 接近には気づけなかった。

 この長い体では足音も立たないだろう。

 

「…………わーお」

 

 この国に、こんな大きな蛇はいない。

 西か南の大陸の密林とかにしかいないような巨大な蛇。

 言うまでもないが最新の特急列車に出て良い動物ではない。

 普通じゃない。

 異常だ。

 そして、普通ではない異常なことをノーマンは慣れている。

 

「……」

 

 客室に戻り、ソファに座る。

 

「ふぅー……」

 

 長く息を吐き、正面の少女を見る。

 細められたオッドアイ。

 いたずらっぽい、可愛らしいほほ笑み。

 手の中のステッキを緩く握り、ソファに背中を預けてリラックスしているように見える。

 そんな彼女がノーマンを救っていた。

 ノーマン・ヘイミッシュのボディガード。

 財宝を守る妖精の守護者(スプリガン)。

 

「……まずは、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 笑みはにっこりと。

 それを見て、緊張が少しほぐれた。

 

「ねぇ、クラレス」

 

「なんだい先生」

 

「今から俺はちょっと馬鹿みたいなことを言うんだけれど」

 

「へぇ、馬鹿な話は大好きさ」

 

「ならよかった。えぇと……そうだね」

 

 一つ、短く息を吐き、

 

「これ―――≪アンロウ≫によるトレインジャックかも」

 

 

 

●

 

 

 

 

 トレインジャック。

 それも≪アンロウ≫によるもの。

 大蛇は≪変貌者≫の異能だ。

 列車に出る大蛇が普通の世界だったらともかく、ノーマンの知る世界はちょっと異常だが、それでも異常ではないものの方が多い。

 ≪アンロウ≫とは、どうしたって少数派なのだ。

 

「先生は軍にいたわけじゃん」

 

「そうだね」

 

「トレインジャックとかなかったわけ?」

 

「軍事行動で列車が襲われるのはジャックっていうのかな……」

 

 首を傾げながら客室の廊下を進んでいく。

 ノーマンとクラレスがいたのは最後尾だった。そこから次の客室に行き、その次のレストランとバーのある車両に向かっている最中だった。

 

「まぁ乗っていた列車が襲われたことはあるけど、遠くから爆撃くらったり、車で追いかけて銃撃したり乗り込んで来たりとかだったからこういうのとは違うかな」

 

「なるほどねぇ」

 

 トンっとステッキを付いて彼女は足を止めて振り返った。

 

「その経験から行動を選んだの?」

 

「まぁそうだね」

 

 ノーマンも立ち止まり頷く。

 

「さっきの≪アンロウ≫、何をしに来たかと考えれば毒ガスで生きてるかどうかの確認だったと思う。時間差があったのは、ガスが拡散するのを待つためかな? 殺しちゃったから分からないけれど」

 

「安全を優先したまでさ」

 

「うん。それは助かるよ。ただこの場合、問題はあの蛇が単独犯か複数犯かどうかって場合だね」

 

「先生の予想は?」

 

「複数犯かな」

 

 彼は頭の中を整理しながら考える。

 流石に状況ゆえか、いつもよりもぼんやりとした印象は薄い。

 

「さっきも言ったけど金目の物を回収するなら一人じゃ難しい。大蛇に変身する能力なら猶更ね。そうなると別の≪アンロウ≫か協力者がいるはず」

 

「ふむ。それを確認しに進むわけだ」

 

「そうだね。先頭かどっかには駅への無線が備え付けられてるはずだ。壊されてるかもしれないけど、確認するに越したことはない。待ってたら待ってたで、他の犯人が来るかもしれないし危険度としてはトントン、かな」

 

「いやいや、僕がいる限り先生に危険はないとも」

 

「……頼もしいね」

 

「うふふ、だろう?」

 

 ボディーガードは不敵に笑う。

 実際の所、クラレスがいるといないのではノーマンの行動は全く変わっていただろう。

 もし1人旅の列車で≪アンロウ≫と出くわしていたのなら、危険を承知で列車から飛び降りていた。 

 

「とにかく、情報が欲しい」

 

 ゆっくりと呟く。

 次の車両への扉を見据えながら。

 その先は、数時間前に行った所だろうか。

 きっと、違う。

 ≪アンロウ≫が出た。

 そしてその≪アンロウ≫が異能を用い、異常を起こした。

 それと呼応してノーマンの前で笑っている妖精も大蛇を殺した。

 人間は、ノーマン以外みんな死んだ。

 とっくにこの列車は普通ではない。

 問題はどのくらい、異常なのかという話。

 

「現状、人が死んで、≪アンロウ≫が死んだってだけだからね。下手人を見つけて話を聞かないと」

 

「いいけどね。さっきも言ったけど、先生の命を優先するよ?」

 

「勿論構わない。俺(・)と(・)君(・)が(・)生(・)き(・)残(・)れ(・)ば(・)い(・)い(・)ん(・)だ(・)か(・)ら(・)」

 

「――――うふふ」

 

 妖精が笑う。 

 二色の瞳を妖しく揺らめかせて。

 

「正直に言うと、いつもより簡単で気楽だ。調査に段取り踏まなくていいわけだしね」

 

「おや、君は調査は結構好きだと思ってたけど」

 

「とんでもない。つまりは他人の腹を掻っ捌いてはらわたを引きずり出すようなものだろう? ものすごーく下品な行為じゃないかな」

 

「………………ノーコメントで」

 

「うふふ」

 

「……調査をすっ飛ばして殺しちゃったりするのはいいのかい?」

 

「どうせ僕の相手なんて誰かを殺した≪アンロウ≫でしょう? だったら殺されても文句はないはずだ」

 

「素敵な倫理観だ」

 

 息を吐き、前を見た。

 クラレスではなく、その先にある扉を。

 その先に何が待っているのかは分からない。

 どうせ、ろくでもないだろうけど。

 

「行こうか」

 

「うん」

 

 クラレスが踵を返し、ドアの取っ手に手を掛ける。

 扉を開けて、それからこちらを見ずに彼女は言った。

 

「ま―――今回の犯人の『どうして』は、気になるかな」

 

 

 

●

 

 

 

 扉の先は、やはり豪華な食堂車両だった。

 ここも数人、人が死んでいる。

 

「――――ふむ」

 

 クラレスは少し頷き、

 

「手を」

 

「ん」

 

 彼女は振り向かず手だけ差し出した。

 反射的に手を取る。

 

「うふふ」

 

 彼女はそのままノーマンの手を引いて数歩前に出た。

 彼も逆らわずクラレスの後に続く。

 そのまま食堂車両の真ん中あたりまで行って、

 

「――――うーむ」

 

 こつんと、ステッキで床を叩いてから彼女は振り向いた。

 

「ここもさっきと同じ―――おや」

 

 首が傾き、サイドテールが揺れる。

 

「うん?」

 

「後ろ」

 

 言われて振り向く。

 

 そこに――――死(・)体(・)が(・)あ(・)っ(・)た(・)。

 

 男の死体だ。道ですれ違ったら記憶に残らないような、そこ等辺の労働者みたいな風貌の男性。床にうつ伏せに倒れ、ぴくりとも動かない。

 右手に大振りのナイフを握っていた。

 首が、変な方向に曲がっている。

 

「………………」

 

 転がっているのはノーマンの真後ろだ。

 1メートルも離れていない所に、死体の頭がある。

 ほんの数秒前に通ったばかりの場所だ。

 ほ(・)ん(・)の(・)数(・)秒(・)前(・)に(・)は(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)は(・)ず(・)の(・)死(・)体(・)だ(・)。

 

「…………クラレス」

 

「うん?」

 

 ノーマンは何を言うか少し考え、

 

「まぁいいや。ちょっと死体漁るね」

 

「どうぞどうぞ」

 

 死体をひっくり返す。

 といっても検死をするわけではない。

 漁るのは服のポケットだ。

 何かメモや書類のようなものはないか。 

 期待しているわけではないけれど、

 

「……うーん?」

 

「何もない?」

 

「そうだねぇ。身分が分かるものもないし、持ち物もこのナイフだけかな」

 

「ナイフねぇ。……ふむ、随分と物々しいじゃないか」

 

「ん……確かに」

 

 言われて見る。

 刃渡り30センチ以上。片刃が肉厚のナイフだが、その逆側は細かいギザギザの鋸状になっている。

 軽く指で叩く限り、かなりの強度がある。

 市販で手に入るものではなく、そしてノーマンは見覚えがあった。

 

「軍用だね、これ」

 

「へぇ、流石元軍人。どこの、とかわかる?」

 

「んー、刻印とかもなにもないしなんとも」

 

「ということは……」

 

「結局、良く分かんないな。軍用だって言っても、別に手に入らないわけじゃないし」

 

「締まらないねぇ」

 

「残念ながら現実は推理小説みたいに手がかりが散らばっているものじゃないよ」

 

「ふむ、含蓄があるね」

 

 それから食堂車を主にノーマンが調べたがめぼしいものはなかった。

 ただ何人かの、或いは死体の身元を確認すれば客室車両と同じく高価なものを扱うビジネスマンは確認できた。

 

「なるほどね」

 

「お金になりそう?」

 

「そりゃあもう」

 

 数人分のカバンを漁って、駅に申請したであろう積み荷の目録を見れば分かる。

 ものによっては数千ポンド。闇市場ならさらに桁が増えるものもある。

 仮にこのトレインジャックが金目的なら、狙う理由は十分にある。

 まぁ目的は全く分らないのだけど。

 

「とりあえず貨物車両と機関部かな、本命は」

 

「単調だねぇ。―――あ、そうだ先生」

 

「なんだい?」

 

「うふふ」

 

 クラレスは答えず前に進んだ。

 食堂車から客室への扉の前でくるりとこちらを向いた。

 口元が弧を描く。

 死体がそこら中に転がっているのに、妖精にはまるで関係ない。

 

「僕は先生を全力で守ろう。それはもうこれ以上なく真剣に。先生はただ、僕の後ろを歩いてくるだけでいい」

 

「ありがたいね」

 

「だから―――ゲームをしよう」

 

 こつんと、ステッキでドアノブを叩く。

 

「ただ先生に真っすぐに歩いてもらうのは忍びない。僕といる時は常に面白おかしく愉快に、それでいて頑張ってほしいからね。これからこの先、全力で邪魔する者は人間だろうと≪アンロウ≫だとうと処理をする」

 

 こつんと、もう一回。

 

「それでいてちょっと工(・)夫(・)もしておくよ。これからただ見ているだけの先生には良く分からない現象が起きることだろう。今みたいにね」

 

 こつん。

 

「だから、それをちゃんと見て、覚えておいて欲しい。そして考えて欲しい」

 

 こつん。

 

「僕が何をしたのか、をね――――どうだい?」

 

 こつんと。

 最後にもう一回叩いて、ステッキは下ろされた。

 

「つまり、俺が探偵役で」

 

「うん」

 

「君が犯人役、ってわけ」

 

「うふふ―――いいや」

 

 妖精はまた笑った。

 芝居がかった仕草で首をする。

 死体だらけの食堂車両で行われるそれは全く不釣り合いで、不謹慎で、不真面目だった。

 この守護者は守りたいものを守るけれど。

 守るべき財宝に対して、ただ守っているわけではない。

 

 周りを、誰かを歪ませる――――≪歪曲者(ディフォーム)≫。

 

「犯人役はどこかの誰か。僕は、バ(・)ケ(・)モ(・)ノ(・)役(・)の(・)バ(・)ケ(・)モ(・)ノ(・)さ。悪だくみをしている馬鹿を滅茶苦茶にしてやる、ね」

 

 

 

●

 

 

 そして次の貨物車両。

 大量の荷物に紛れて武装した死体が5体ほど転がっていた。

 

「…………どっち?」

 

「うふふ、どっちだと思う?」

 

 

 

●

 

 

 

 

 死体を見ても何も感じなくなったのは、戦場を経験したせい―――ではない。

 

 勿論戦場というものは死体が文字通り山の様に転がっている。

 比喩ではない。

 かつて人だった物。

 破壊され、破裂したただの肉袋。

 そこに最早尊厳はなく、ただ誰であったかという証明の為のドッグタグと再利用するために装備がはぎ取られるだけ。

 ノーマンは軍医であったために、死にかけている兵士も、死にゆく兵士も、死んだ兵士も嫌になるほど見て来た。

 その時にあったのは、死に対する麻痺だ。

 知らない兵士でも、知っている兵士でも、それに対して一々感情を動かしていたら精神が持たない。

 

 だから死体を見ても、何も感じないように心掛けていただけ。

 

 戦場を離れた後死体を見れば、戦場がフラッシュバックしてわりと大変だった。 

 そういう感性が変わってしまったのはバルディウムに来てから。

 つまり、≪アンロウ≫というものを知ってしまってからだ。

 そうしてノーマン・ヘイミッシュは他人の死に対して興味を失った。

 他人が死んでも、『まぁ、そうか』くらいの感想しかない。

 所詮、他人事だ。

 勿論それは褒められたことではない。

 こんなことを自慢げに語っているような輩がいれば、張り倒してやりたい所だ。

 多分、人としてなくしてはいけないものを無くしてしまった。

 ≪アンロウ≫は人ではないけれど。

 ノーマンだって十分人でなしだ。

 

 何が言いたいかというと。

 

「んー……これはなかなか」

 

 荷物だらけの貨物車両で、外傷も一切ない死体が5人も転がっているのは人でなしのノーマンでさえちょっと不気味に思った。

 まぁ、ちょっとだけ。

 

「さぁどうだい先生。軍医の技術をフル活用した検死で彼らの身元や性格、目的、今朝食べた朝食まで当てて見せてくれ」

 

「それは軍医のスキルじゃないよ」

  

 適当に肩を竦め、雑に並べた死体を改めて見降ろした。

 検死は目的としなかった。 

 どう考えても積み荷に適当に腰かけたクラレスが犯人なのでそこはどうでもよかった。

 

「でも、探偵の仕事は見ている」

 

「……だからって、アレは無理だよ。そりゃロンズデーさんなら今朝の朝食どころか普段の食生活まで推理できそうだけど。……ふむ」

 

 一つ頷き、

 

「ただまぁ、俺でも分かることはあるよ」

 

「へぇ。それは?」

 

「この人たちは首都のチンピラか何かだね」

 

 彼らの上着のポケットに日雇いの仕事の証券があった。

 仕事終わりに貰えて、その後交換所等で現金と引き換えるものだ。字は小さいが住所も印字されている。

 他にも小銭やら安酒の瓶やら、賭けの半券やら。

 それに加えて武器は先ほどとは違い、質の悪いナイフや銃などが。

 

「身なりもいいわけじゃないし、日雇いで生活してる……手荒れが酷いし建設とかの工場作業とかかな。路地裏でちょっと声をかけたら集まる小悪党だね。こういう輩はバルディウムだろうと首都のノドノルだろうといる」

 

「ふぅん」

 

 彼女は小首を傾げた。

 

「それで、他に分かったことは?」

 

「うーん」

 

 ノーマンも同じように首を傾げる。

 

「見た感じ普通に人間で、如何にも日雇いの仕事で雇われたって感じだ」

 

「範囲が広いね、日雇いってのは。建設仕事からトレインジャックか。お嬢様の僕には勉強になるね」

 

「日雇いは色々あるけどトレインジャックは流石にない……こともないのかな」

 

 ぞんざいに肩を竦める。

 おそらく彼らはこうして日雇いでトレインジャックに付き合わされたようだし。

 

「生き残りを殺す……っていうよりも貨物の回収かな? その割には持ち運ぶためのカバンがないのは妙だけど。それぞれ個別で持っていくつもりだった……?」

 

「高級列車からこんな小汚い恰好の中年が大量にカバン持ち出して駅に出てきたらちょっと不自然だと思うけどね」

 

「俺もそう思う。駅ね、一体どうするつもりだったんだか―――――うん?」

 

「先生?」

 

 ノーマンが何かに気づいた様子でポケットから懐中時計を取り出した。ついでに特急の運行案内表と共に確認し、舌打ち。さらにコートから小さな本を取り出す。

 表情は彼にしては珍しく険しい。

 

「先生」

 

「……うん」

 

「その本は?」

 

「……軍で支給される地理書だよ。非売品」

 

「ふぅん。相変わらずそのコートなんでも出てくるねぇ。―――それで? 何か気づいたの?」

 

「この列車、路(・)線(・)が(・)変(・)わ(・)っ(・)て(・)る(・)」

 

「――――へぇ?」

 

 緑とオレンジの瞳がほんのわずかに細まる。

 

「どうして?」

 

「そもそも今の時間なら次の停車駅に着いてないとおかしい。死体漁るのにそこそこ時間取ってて、状況が良く分からなかったから気づかなかったけど」

 

「ふむ、僕らが気づかずにとっくに駅を通り過ぎた、は?」

 

「なくもないけど、街に入れば流石に気づくでしょ。それよりも……さ(・)っ(・)き(・)の(・)揺(・)れ(・)だ」

 

「あぁ、先生が僕の体臭をクンカクンカしていた時の」

 

「言い方!」

 

「うふふ。それで?」

 

「さっき、大きく揺れたでしょ? 多分あれで本来通るべき路線から切り替わったんだ。今はもう使われてない路線に」

 

 地理書をクラレスにも見せる。

 開いているのは今ノーマンたちがいるはずの地域。

 胸ポケットから取り出したペンで地図に線を引く。

 僅かに婉曲しているが、基本的には真っすぐだ。

 

「これが線路の道。列車の案内図に簡易だけど乗っていたやつね。で……多分このあたり。今はもう使われなくなった線路への切り替えがあった」

 

「使われてないってのは?」

 

「廃棄された炭鉱がこの先にあるみたいだね」

 

 バルディウムの周辺には鉱業や材木業を担う村がある。

 それと同じようなものだ。何十年か前は炭鉱として機能し、列車も走っていたが現在ではほとんど使われていない。

 普通、そういう場所はそこそこ街や村として栄えてもいいのだが、切り替えた線路の先は既に廃村と廃駅しかない。

 だから線路も使われていないのだろうけど。

 

「トレインジャックなんかしてどうするんだと思ったけど、こういうことだ。本来の路線から外れて、廃駅なんかで荷下ろしをすればいい。丸ごと頂けるんだから。この死体が持ち運ぶ用意をしてないのもそういうことだね」

 

「大胆だねぇ。列車が来なかったら調査されるんじゃない?」

 

「だとしても、まずは本来の列車を逆走するはずだ。調査しながらだと時間は掛かるはずだし金目のものを回収するには十分」

 

 地理書を閉じ、重い息を吐く。

 

「…………参ったな、思ったより大事だ」

 

「≪アンロウ≫のトレインジャックってより?」

 

「半々って感じかな。それも大概だけど、俺が考えてた以上にしっかり準備してる。うーん……」

 

 ノーマンは少し考え、

 

「クラレス、少しお願いがあるんだけど」

 

「おっ、何かな? このクラレス・エアリィステップ。先生の頼みなら何でも聞いちゃうよ?」

 

「多分、先頭に主犯格がいるだろうけど、そいつは殺さないでもらっていい?」

 

「………………」

 

 妖精の笑みが固まった。

 勿論彼女はずっと同じ表情で笑っていたけれど。

 それでも変わらずの笑みにそれまでとは違う感情が乗ったことがノーマンには分かる。

 

「どうして?」

 

「やってることの規模が大きい。≪アンロウ≫をこんな犯罪に使ってるとなると、放置してても後々面倒なことになるかもしれない。だったらもうちょっと全体の情報が欲しいな。そうしたら首都の『上』の人たちに対するポイント稼ぎにもなる」

 

「なるほど」

 

 妖精は頷き、

 

「―――嫌だけど」

 

「…………どうして?」

 

「そりゃこんな大事をするようなのが犯人だからさ。今僕は先生の話を聞いて、客室に戻って、客室列車ごと切り離そうかと思っていたところだよ。何が起きるにしても、物理的に離れちゃえば安心でしょう? 言ったように、僕の最優先は先生の安全だからね」

 

「……そうなると、近くの街まで荒野を徒歩になるけど。近くの街まで歩きだと1日じゃ着かないよ?」

 

「先生とのデートだ。それも悪くない」

 

「…………クラレス」

 

「何かな?」

 

「頼むよ」

 

「―――」

 

 返事は数秒なかった。

 痛々しいほどの沈黙が広がる。

 けれどノーマンも譲れなかった。

 事件の大きさから放置して置けないのは本心だ。

 首都の対≪アンロウ≫組織―――即ちノーマンにとっては大元である組織に対するポイント稼ぎをしたかったのも本当。

 それだけ、というわけではかったけれど。

 それでも、ノーマンはこのトレインジャックの犯人が何故そんなことをしたのか知りたかった。

 ―――どうして?

 

「………………ふぅ」

 

 妖精は足を組み、息を吐いた。

 

「やれやれ、分かったよ。珍しく先生の本気の頼みだしね」

 

「おぉ、ありがとう」

 

「ただし」

 

「…………ただし?」

 

「条件がある」

 

「…………」

 

 妖精の笑みが深まった。

 ニタリ、なんて効果音が聞こえてくる。

 いたずらっぽい笑みではない。

 嫌な予感がした。

 今からとんでもなく意地の悪いことを言う――そんな予感。

 

「デートしてもらおうかな」

 

「で、デートか。それなら―――」

 

「僕とシズクとエルティールとロンズデーと同じ日に」

 

「…………」

 

「勿論、4人とも満足させてほしいな。それから僕以外には気づかれないように……いや、ロンズデーには流石にバレちゃうかな。でも、彼女がバレても乗ってやろうって思うくらいには最高のデートをね」

 

「………………同日に?」

 

「うん。それが先生の頼みを聞く条件」

 

「………………分身は、できないんだけど」

 

「うふふ。その身一つで頑張って」

 

「……………………………………………………分かった」

 

「うふふふふふふ!」

 

 タンッ、とステッキが床を強く叩く。

 立ち上がった妖精はくるくるとつま先立ちで踊るように体を回した。

 

「いやぁ楽しみだ! 先生がどんな風なデートを、どう頑張るか! これは早く先頭まで辿りつかないとね! あっ、さっき言った死因当てゲームは続行だから、そっちもよろしく頼むよ」

 

「…………うん」

 

 妖精はこれ以上ないくらい笑い、人間はこれ以上ないくらい顔をしかめていた。

 おとぎ話みたいに。

 妖精は人間を弄ぶものだから。

 

「楽しそうだね、クラレス」

 

「今やっとこの状況を楽しめるようになったよ」

 

 

 

 

●

 

 

 

 

 

 ノッカー・クロムウェルの動きはシンプルだった。

 数メートルの距離を詰め、凶器を振るう。

 ただそれだけの動きを突き詰めたもの。

 おそらく首都の『機関』とやらでは、ノーマンやクラレスのような事件解決をしていたわけではないのだろう。

 彼はきっと、暗殺者だ。

 異能による殺人。

 なるほど、これ以上の暗殺者はいない。

 普通の警察ではまず解決できない。

 体捌きを見るに、異能に頼り切りの≪アンロウ≫ではない。

 異能を武器として修練し、発展と応用を可能とする熟練者だ。

 このレベルの≪アンロウ≫は珍しい。

 単純に異能に覚醒しただけではここまでにならない。

 

 そんな≪アンロウ≫は―――何があって切り捨てられたのだろう。

 

 有用な手駒だったはずなのに。

 大事にされていたかは知らないが、重用はされたはずだ。

 コネがあるとも言っていた。

 なのに、捨てられた。

 切り捨てられた。

 価値のない石ころのように。

 そこにどれだけの物語があったのだろう。

 『機関』の手先だった男が、それに反旗を翻そうとするまでどれだけの葛藤があったというのか。

 

 そんなことを、子男の動きを見ながら思った。

 

「―――ふぅ」

 

 ノーマンは動かなかった。

 どころか、ポケットに手を突っ込んで、突っ立ったまま。

 どうなるかは、すぐに現実が動いた。

 

「死ね、妖精」

 

 呪詛のような一言。

 初めて感情が垣間見た。

 そこに込められたものも、ノーマンには分からない。

 過去も、感情も。

 

「―――うふ」

 

 ぎ(・)ぃ(・)ん(・)っ(・)、という甲高い音が鳴った。

 

「―――――」

 

 ノッカーの両目が見開かれる。

 言うまでもなくそれは刃物が肉を裂く音ではなかった。

 分厚いナイフが、壁に突き刺さった音だった。

 

「異能を使えなければただの人間と変わらない――か」

 

 能力を使って防いだわけではない。

 彼女が使ったのはエメラルドグリーンの杖だ。

 そのL字型の持ち手をノッカーのナイフを握る手に引っ掛けて受け流した。

 最速の無駄のない動きだったが故に、小男の刃はそのまま壁に突き刺さったのだ。

 

「やれやれ、舐められたものだ。僕は先生のボディガードだというのに。―――異能が使えないから守れないなんて、そんなことあるわけないでしょ?」

 

 くすりと妖精は笑い、杖が閃いた。

 柄の真ん中を握る指が跳ね、回転。跳ね上がった杖先が正確にノッカーの肘を打つ。

 

「ぐっ……!?」

 

 逆関節の打撃に小男が困惑と激痛にたじろぎ後退し、

 

「こらこら、僕を殺すんだろ?」

 

「っ――」

 

 カクンと、動きが止まる。

 肘を打ったままクラレスは身をひるがえし、柄を回し、持ち手をノッカーの首に引っ掛けていたのだ。

 

「勿論させないけど」

 

 止まった小男のみぞおちに―――縦拳が突き刺さる。

 腰を落とした見事な突きだ。

 

「ごふっ!? ――がっ!?」

 

 さらに止まらない。

 ひっかけた持ち手を外し、そのまま殴りつける。

 こめかみを強打し、体ごと壁に激突した。

 

「ぐっ―――きさ、ま……!」

 

 一瞬のうちに繰り出された連撃に、今度こそノッカーは数歩後退した。

 それでも元々狭い空間だ。すぐに詰められる距離にいる。

 

「どこで、こんな技術を……資料では、こんな情報は……っ」

 

「一体いつの話をしているのかな。日々成長するものだよ、人間だろうと――≪アンロウ≫だとね」

 

「―――小癪」

 

「顰蹙を買うのは得意さ、『歪曲者』だからね」

 

 或いはここで、気持ちを切り替えてナイフを握ったノッカーを褒めるべきだろう。

 完全に舐めていたにもかかわらず反撃されたが、即座に切り替えて戦闘を再開した。

 

 細い通路だが、小男と少女。

 ナイフを振るには問題はないが、杖は満足に振り切れない。 

 だからクラレスは柄の中心を持って回転させながら振るう。

 刃とステッキが連続で交差した。

 

 小男の動きは軍隊式格闘術をベースとした暗殺術。

 妖精の動きは極東の島国のジュウジュツをベースとし、ボクシング、レスリング、フェンシングを織り交ぜた防衛術だった。

 最速最短、相手の呼吸と意識の隙間を縫うような殺し技に対して、彼女のそれは相手の攻撃を受け流し制圧するものだ。

 小男の突きをステッキで払い退け、その流れで杖先を突き込む。

 回避されたのなら回転し、相手の体に柄をひっかけてコントロールする。

 

 彼女の動きはまるでダンスのようだった。

 春に吹く風は暖かいけれど、掴むことはできない。

 けれど、風は好きな所に吹き抜ける。

 浮世離れした少女。

 どこにいても、どんな風景にも似合わない。

 けれど、こんなことを言うのは少女に対して失礼かもしれないけれど。

 杖を手に、狭い通路を自在に舞う姿は恐ろしく似合っていた。

 妖精たちが飛び交う、人間が入ることのできない妖精郷。

 それを支配する妖精女王(ティターニア)。

 

「っ―――」

 

「うふふ」

 

 攻防は僅か数十秒。

 顔をしかめたのは小男の方。

 その場の流れを妖精が握っていたからだ。

 

「――――一体、どこでそんな技を」

 

 或いは恐怖だったのかもしれない。

 ただの女生徒が、殺し屋に伍するだけの戦闘術を持っていたから。

 どうして?

 底が知れないのだ。

 異能を封じて、勝てると思った子供に手こずっている。

 もしかしたら――――もしかしたら、まだ何か隠しているのではないか? 

 考えすぎかと、思考を改めるかもしれない。

 

「うふふ」

 

 だけど、妖精の笑顔がそれをさせてくれない。

 どんな時も、殺されようとしているのに変わらない笑み。

 彼女はずっと変わらない、怯えない、怖がらない。

 変わり、怯え、怖がるのは相手の方だ。

 

 分からないということは、怖いから。

 

「――――!」

 

 小男が跳ねた。

 無理やりに、後ろに飛び退く。

 機関部に背中をぶつけるのにも構わず、握ったのはナイフではなく。

 

「これならどうだ……!」

 

 袖から零れ落ちた小さな拳銃だった。

 服の袖に隠せる暗殺用の単発銃。女性でも問題なく撃てるような―――けれど、それでも人を殺すには十分な凶器。

 引き金は即座に引かれた。

 

「―――」

 

 ノーマンはそれでも動かず突っ立っていた。

 どうなるか、分かっていたから。

 心配はしていたけれど。

 

「――ッ」

 

 初めてクラレスが鋭い息を吐いた。

 杖を縦に構え、柄の中心に着弾。

 柄全体に亀裂が入り、炸裂。

 そして小男が見たのは、

 

「――――!?」

 

 ―――白刃が閃く風の行進(エアリィステップ)。

 

「―――ぐ」

 

「はい、御終い」

 

 一瞬だった。

 柄が炸裂し、破片が飛び散る中で妖精は踏み出したのだ。

 

 ノッカー・クロムウェルの胸を突き刺したのは―――白銀の細剣だった。

 

 仕込み杖だ。

 クラレスの杖の内部にはレイピアが仕込まれている。

 彼女の使う武術にはフェンシングの要素も織り込まれているから。

 お手本のような、矢の如き突き(フレッシュ)。

 

「ごほっ―――」

 

 ノッカーが血の塊を吐きだし、

 

「…………『強固なる脆弱(ドヴェルクノック)』ッ」

 

「『無形なる有形(スプリガンハンド)』」

 

 何も、起きない。

 

「―――くそが」

 

「残念だね。異能と異能は干渉しあう。君の異能は僕の異能を封じられるのなら、逆もまた然りということだ」

 

「何故だ」

 

「ん?」

 

「何故だ、妖精。それだけの……力と技術を持ち……合わせ……どうして……その男に、飼われている? お前であれば……変えられる、はずだ、歪ませられる、はずだ……! もっと、もっと大きなものを……!」

 

「知らないけど」

 

「……!」

 

「『歪曲者』が自分の歪みを押し付けるんじゃない。僕が歪ませたいものと、君が歪ませたいのは違う」

 

 お前と僕は違うから。

 そんなことを言われても知らない。

 

「それも分からないから、切り捨てられたんじゃない?」

 

「―――っ!」

 

 小男が何かを叫ぼうとした。

 

「もういいよ」

 

 けれど、それよりも早く妖精は胸から細剣を引き抜いた。

 胸から血が溢れ、喉から鈍い音とも共に血が吐き出され、小男から命が流れていく。

 それで、終わりだった。

 巻き込まれた35人。

 手下の23人。

 それだけの命を歪ませた化け物の1人の死を持って。

 狙われた2人は生き残った。

 

「…………ふぅ。参ったな、鞘壊しちゃったよ、先生」

 

 苦笑気味にクラレスは剣を振るって血を払う。

 

「ま、仕方ないよ。今度買いに行こうか。……あぁ、それと」

 

「うん?」

 

「良い腕だ、流石だね」

 

「―――うふふ」

 

 賞賛に彼女は笑った。

 張り付いた笑みではない。

 いつもとは違う純粋な喜び。

 

「簡単なことだよ(Elementary)、先生(My master)」

 

 春に吹く風のように暖かく微笑んだ。

 

「教(・)え(・)て(・)く(・)れ(・)た(・)先(・)生(・)が(・)良(・)か(・)っ(・)た(・)の(・)さ(・)」

 

 

 

●

 

 

 

 

「さぁ、先生。答え合わせしようか」

 

 トレインジャックから二日後、帰りの列車の個室の中でクラレスはいつも通りに微笑んだ。

 

 主犯を倒したはいいが、大変なのはその後だ。

 いつだって後始末が大変なのだ。

 バルディウムではそのあたり、ノーマンはハリソン刑事に押し付けているが今回はそうもいかなかった。

 規定の路線からズレた列車を二人でなんとか元の路線に戻し、近くの駅で通報し、別便で乗り換えて首都ノドノルまで向かった。

 その日、夜に首都に辿りついたものの、そこから事情聴取と説明が夜更けまで続き、それから数時間だけ寝てから元々のノーマンの用事を済ませ、クラレスと観光デートをし、行きつく間もなく次の日には首都を発った。

 中々の強行軍だが、用事さえ終えればあまりに首都にいたいと思わない。

 半年置きにノーマンはノドノルに出向いているが、それでも好きにはなれない。

 実家にも、顔を出さなかった。

 結局の所、ノーマンの居場所は城壁に囲まれた、あの風の吹かない街なのだから。

 

「ふむ」

 

 そんなことを思い返しながらノーマンはフェルトハットの鍔に少し触れた。

 

「ちゃんと覚えてたんだ」

 

「おやおや、僕は先生に関することは何一つ忘れないに決まってるじゃないか」

 

「嬉しいね」

 

 肩を竦め、

 

「えーと、殺し方だっけ。まぁ今更だよね。君の異能を知ってるんだから」

 

 クラレス・エアリィステップの能力。

 『無形なる有形(スプリガンハンド)』。

 それは、

 

「空気という気体を、固体として自在に操る力」

 

 『歪曲者(ディフォーム)』の異能とはそれぞれ決まった対象の性質を歪めるものだ。

 クラレスのそれは形のない気体、即ち空気。彼女は自分の意思で、好きな形で操ることができる。

 恐ろしいのは形があるとはいえ、元々が空気であるから目視不可能ということだ。

 さらにいえば元々は目視した周囲の空気を操るだけだった異能は訓練により歪曲範囲を広げ、自身を中心に数十メートル、目視していなくても遠隔で固体化し操ることも、空気成分や気圧のコントロールさえもできる。

 財宝を護るスプリガン。 

 その為の妖精の『手』。

 

「分かりやすい外傷があった死体はそのまま刃にした空気で切り裂いた。外傷がないのは酸素を無くして窒息死させた。全身から血を流していたのはちょっと工夫したのかな。気圧を急激に上げ下げして血管を破裂させたのかな。列車の外に吹っ飛んでたのは、そのまま空気の塊でぶん殴った、だよね?」

 

「ふむ、食堂車両は? 振り返ったら死んでただろう? 音も無く、急に現れたみたいに」

 

「机の隅とか天井とかに隠れて殺そうとしたところを、逆に君が殺したんでしょ。音がないのは真空を作って音を遮断したから。列車の移動の度に小細工を隠す為にそうしてたんでしょ」

 

「お見事」

 

 ぱちぱちと渇いた拍手。

 驚いた様子はなかった。

 彼女だって別に、真面目に問題を出していたわけではない。

 ただ、ちゃんと見てくれているかを確かめたい―――或いは、ことばにして欲しかっただけだ。

 多分だけれど。

 

 ついでに言えばノッカー・クロムウェルの異能、『強固なる脆弱(ドヴェルクノック)』は逆に固いものを柔らかくする異能だったのだろう。

 クラレスが固くした気体を柔らかくし、逆もまた然りだ。

 

「それじゃあここからボーナスステージだ。実はもう一回だけ異能を使っている、どこか分かるかい?」

 

「銃弾を弾いた時でしょ?」

 

 即答だった。

 

「素で杖に弾丸を当てたのは驚いたけど、そこから前に出たら飛び散った杖の破片や弾かれた弾がどうなるのか分からないね。あの一瞬だけ、異能を発動してそういう邪魔なものを押し出して突いた、違う?」

 

「完璧だね。流石は先生」

 

「それこそ簡単なことさ」

 

「うふふ」

 

 妖精は笑う。

 手の中で遊ばせた杖の柄は新品だ。

 流石首都というべきか、仕込み杖の柄も手に入るのは難しくなかった。

 難しかったのは、数ある候補から選ばされることだった。

 結局、前と同じような色と前と同じような装飾のものにしたけれど。

 

「やれやれ……大変な遠征だったよ」

 

「そうかい、僕は楽しかったけれどね」

 

 トレインジャックにあって、自分勝手な思想の革命家に絡まれて、事情聴取を受けることは生憎ノーマンは楽しいと思えない。

 普通はそうだ。

 彼女は普通でないから楽しめるらしい。

 

「先生はどう思う?」

 

「うん?」

 

「アンロウの人権運動。彼の行動は論外だったけど、それ自体なら」

 

「ふむ」

 

 聞かれたので考える。

 生徒の質問に答えるのは教師の仕事だ。

 別に教師ではないが、気分の問題。

 

「アンロウに人権を、というのは悪くないよ。むしろ良い。それだけなら協力していたかも」

 

「へぇ。それは惜しいことしたね。先生が味方だったら上手く行っただろうに」

 

「そうもいかないさ」

 

 苦笑し、

 

「ど(・)う(・)や(・)っ(・)た(・)っ(・)て(・)上(・)手(・)く(・)行(・)か(・)な(・)い(・)」

 

 言い切った。

 当然の摂理と言わんばかりに。

 

「権利を叫ぶのもいいけどね、≪アンロウ≫なんて一つの街に1人いるかいないかってくらいだ。バルディウムや首都がちょっとおかしいだけ。大半の人は≪アンロウ≫じゃない人間だ。そんな極少数の人の為に世の中は動かないよ」

 

「マイノリティよりマジョリティってわけだ」

 

「残念ながらね」

 

 少なくとも今の世の中はそういうものだ。

 

「存在の公表なんて疑心暗鬼を生むだけで、存在は隠されていたほうが良い。一々隣の人が不思議な力持ってるかなんて考える日常は大変だよ」

 

 だからノッカー・クロムウェルの目的はあまりにも絵空事で理想論だった。

 ≪アンロウ≫が個人で生み出す事件を超えた大きな混沌を生むだけだろう。

 彼もそれを理解していたはずだ。

 理解した上で、行動した。

 

「その気持ちは、分からなくもないけどね」

 

 分からなくもないけれど。

 同意はできない。

 

「―――うふふ」

 

「……どうしたの?」

 

「いいや。先生がそんな風に感情的な言及をするのは珍しいなって」

 

「………………そういう時もあるさ」

 

 こほんと、咳払い。

 確かに、らしくなかった。

 

 

「それよりも帰ったら帰ったで、義姉さんに報告書書かないといけないし、首都での事情聴取もまとめないとだ。それを思うと今から億劫だよ」

 

「そこは素直に大変だねと言っておこう。だけど―――ねぇ、先生」

 

 薄く、妖精は唇を曲げた。

 その二色の瞳が真っすぐにノーマンを見る。

 

「―――」

 

 瞬間、ノーマンの世界から音が消え去った。

 世界にはただ、妖精だけが美しく微笑んでいる。

 浮世離れした、この世のものと思えないようなうっとりするような微笑。

 

「本当に大変なら、このまま逃げちゃって、バルディウムに帰らないのもいいんじゃない?」

 

 妖精の言葉は耳から流れ込む甘美そのものだった。

 

「あの街が大変なのはそうだ。だったらどこかで僕と二人きり―――なんて。僕はそれでも構わないよ。先生がそう言うのなら、今の生活を捨てることに何のためらいもない」

 

 内容は無視して、その艶やかな音色に無条件に肯定したくなる衝動に駆られる。

 クラレス・エアリィステップはそういう存在だ。

 『歪曲者』だからではなく、彼女自身が妖精なのだ。

 違う世界に人を誘い込むいたずらっ子。

 ≪アンロウ≫、『歪曲者』として彼女は周囲を歪ませるけれど、それを抜きにしてもクラレスには魔性がある。

 甘い誘い。

 受ければあらゆる災難から彼女が守ってくれるのだろう。

 ≪アンロウ≫としてクラレス以上の戦闘力を持ったバケモノはそうはいない。

 それをノーマンはよく知っている。

 だから彼は答えた。

 

「止めておくよ」

 

 

 

 

●

 

 

 

 そう答えることをクラレス・エアリィステップは分かっていた。

 『歪曲者』とは異能とは別に、周囲を干渉したがるバケモノだ。

 自身を取り巻く環境や社会を自分に都合よく歪めたがる。

 

 1年半前のクラレスもそうだった。

 当時バルディウムの女子学校の生徒だった彼女は≪アンロウ≫に覚醒し、その精神性を発揮した。

 結果として、女子学校の生徒教師関係なく全てを自らの掌握下に置いた。

 自分の言うことは何でも聞く操り人形にしたのだ。

 人間を育てる場所は、しかし女王に跪く妖精郷になってしまった。

 或いはそれは、生まれ持った自らの魔性を初めてうまく使ったというだけかもしれない。

 一つの学園は、しかしバルディウム内の貴族や大商人の子供が多く通う場所。

 できることは測りしれない。

 ならどうするか―――何を歪めるかと、考え始めた頃にノーマンと出会ったのだ。

 

 結果から言えば――――その時から、クラレス・エアリィステップは周囲を歪めることを止めた。

 

 正(・)確(・)に(・)言(・)え(・)ば(・)『(・)何(・)か(・)を(・)歪(・)め(・)た(・)い(・)』(・)と(・)い(・)う(・)『(・)歪(・)曲(・)者(・)』(・)固(・)有(・)の(・)渇(・)望(・)を(・)ノ(・)ー(・)マ(・)ン(・)・(・)ヘ(・)イ(・)ミ(・)ッ(・)シ(・)ュ(・)に(・)の(・)み(・)ぶ(・)つ(・)け(・)る(・)こ(・)と(・)に(・)し(・)た(・)の(・)だ(・)。

 

 他人を歪ませたいということはあり方を変えてしまうということだ。

 正しいことを望む人を悪徳を望む人にしてしまったり。

 誰かの悲しみに寄り添う人を誰かの悲しみに喜ぶ者になったり。

 ただの人間をバケモノに変えてしまったり。

 4人の≪アンロウ≫の首輪を握っている彼を、1人だけの≪アンロウ≫の首輪を握るようにしたり。

 

 ノーマン・ヘイミッシュという男は、あまりにも頑固だとクラレスは思う。

 

 1年半前に出会ってから。

 この青年はずっと変わっていない。

 クラレス・エアリィステップという妖精と寄り添い合いながら―――涙花や魔犬、探偵と共にありながら彼はずっと変わっていない。

 バケモノであるクラレスを手のかかる生徒として見ている。

 それどころか護身術まで教えてくれた。

 異能は強力だけれど、異能が使えない時の対策もあったほうが良いなんて言いながら。

 

 ノーマンには譲れないものがあり、優先順位があり、それをクラレスは変えられない。

 自分を一番にしたら面白いけれど。

 変わらないで欲しいなとも思う。

 もしも自分が少し誘惑しただけで変わってしまうのなら、彼に興味を持つことはなかった。

 妖精はすぐに壊れるおもちゃに興味はない。

 おもちゃとは永遠に遊びたがるのだ。

 

 クラレスは最初の襲撃の時点で≪アンロウ≫が事件だと気づいていた。

 彼女の『無形なる有形(スプリガンハンド)』の有効範囲は数十メートル。

 つまり、列(・)車(・)全(・)体(・)を(・)最(・)初(・)か(・)ら(・)完(・)全(・)把(・)握(・)し(・)て(・)い(・)た(・)。

 それぞれの列車の様子も、機関部に小男が待ち構えていたことも。

 全て解った上で。

 知らないふりをしたり、途中でノーマンの頼みを断ったのは、彼がどんな判断と選択をするのを見たかったからだ。

 勿論、彼を全力で守っていたのは事実だったけれど。

 何があろうとノーマン・ヘイミッシュを傷つけるものをクラレス・エアリィステップは許さない。

 

 歪な愛情。

 歪んだ情愛。

 歪曲した慕情。

 間違っている自覚はある。

 

 ノッカー・クロムウェルが間違っていたのはそこだ。

 別に、≪アンロウ≫の人権どうこうはどうでもいい。

 好きにすればいいのだ。

 それでも≪アンロウ≫が、『歪曲者』が、自分が正しいと思ってはならない。

 自分の都合で周りを好き勝手するなんて。

 そんなの、良いわけがない。

 だからクラレスは自分の都合で彼を殺した。

 守護者(クラレス)の財宝(ノーマン)に手を出したら―――どうなるかは、自己責任だ。

 

 ――――『無形なる有形(スプリガンハンド)』は宝物を護る

 

「うふふ」

 

 じっくりと目の前の、自分がお宝と定めた青年を、舐め回すように見つめる。

 どんな視線を向けても彼は変わらない。

 適当に肩を竦めるだけ。

 

「ならば今日は何も言わないでおこうか」

 

「うん。君の誘いは俺も困ってしまうよ」

 

「おや、それは違うね、先生」

 

 すっ、と。

 杖が動いた。

 軽い動きでノーマンの胸の中心を抑える。

 

「むっ」

 

 それだけでノーマンは動けなくなった。

 完璧に身体の正中線を抑えられたから。これも、ノーマンから教わったこと。

 抑えつつクラレスは立ち上がり、ノーマンの膝の上に跨った。

 体を押し付けた。

 至近距離、互いの吐息が届き、視線が絡み合う。

 妖精が、笑う。

 

「僕は異能であらゆる音を外に漏らさないようにできる」

 

 囁く声は甘く、とろける様に。

 異能を使って直接鼓膜に届かせる。

 これがかなり快楽らしい。

 脳髄が痺れるような、とかなんとか。

 

「都合よくこの個室の扉はガラスがついてないから、外からは何も見えない、ね」

 

 つまり、

 

「バルディウムまで何時間かな。半日は掛かるかな―――何をしていても、誰にも、分からない、よ?」

 

「―――」

 

 微かにノーマンの喉が鳴った。

 その反応は、素直に嬉しい。

 あり方を歪ませられなくても、それとこれとは話が別だ。

 

「さぁ先生」

 

 だから妖精は笑うのだ。

 いつも通りの笑みで、いつも以上の愛と情欲を込めて。

 妖精の護り手は自らの財宝をたっぷりと愛でるのだ。

 

「――――どうしようか?」

 

 

 

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