簡単なことだよ、愛しい人(書籍版『バケモノのきみに告ぐ、』)   作:柳之助@バケつ1~4巻発売中

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バルディウムヒーロー

 

「―――とまぁ、そんな感じかな」

 

 長い話を終え、ノーマンは一息ついた。

 帽子の位置を直しながら、喉の渇きを感じるが義姉の執務室にそんな気の利いたものはなかった。

 

「なるほど」

 

 対してスフィアは優雅に頷いた。

 眼前の執務机で手を組む灰髪の女。

 彼女に対してノーマンはこの一か月間、ノーマンが体験した4つの事件を語っていた。

 ウォールウッド家密室殺人事件、

 ヘルカート通りの通り魔事件。

 怪盗ティスル盗難未遂事件。

 エメラルド特急脱線事故。

 最後のトレインジャックは姉を始め、首都の『上』だか『機関』だかが処理したらしく一時的な脱線による事故という風に処理されたという。

 そこはノーマンには関係ない話。

 

「つまり……」

 

 姉は肘をテーブルに置き口元の前で手を組んだ。

 

「貴方はシズクの後ろで突っ立って、エルティールの後ろで突っ立って、ロンズデーの後ろで突っ立って、クラレスの後ろで突っ立って、事件が解決するのを眺めていたと」

 

「……………………報告書とか書いたよ」

 

「それくらいしかできることがなかったわけですね」

 

「……」

 

「くすっ」

 

 ノーマンは適当に肩を竦め、スフィアは笑みを漏らした。

 

「それで?」

 

「――――ふぅ」

 

 促され、ノーマンはすぐには答えなかった。

 長く息を吐き、体を前に屈めさせた。

 両肘を膝に置き―――――五指の腹を重ね合わせ、口元に置く。

 

「――――」

 

 目を伏せ、頭(・)の(・)中(・)の(・)ス(・)イ(・)ッ(・)チ(・)を(・)全(・)て(・)点(・)け(・)た(・)。

 

 シズク・ティアードロップと一緒にいる時は思考を働かせる必要はなく、それよりも彼女自身に気遣うことが必要だ。

 彼女の異能であれば犯人捜しは難しくなく、問題はふとした瞬間で暴走しかねない彼女の精神面の支えであることだ。ほどほどにぞんざいな扱いをして、けれど根本的には常にシズクに意識を向けることを求められているから。

 

 エルティール・シリウスフレイムと一緒にいる時は思考を可能な限り働かせ、そして彼女のことをある程度放っておく必要がある。

 頭脳労働は苦手な彼女の代わりに事件に対して考え、同時に奉仕することに喜ぶ彼女のやりがいを発揮できるように普段以上に隙を作っておかなければならない。もっと言うと彼女は適当な扱いをされても喜ぶ。尽くす甲斐がある存在として求められているから。

 

 ロンズデー・エンハンスダイヤと一緒にいる時は考える必要はなく、直観に身を委ねなければならない。

 頭脳労働、推理という意味では彼女がいるのだからどうしたって不要なのだ。それよりも彼女の推理と事件解決のために助けになる様な些細なことに気を配る頭は悪いけれどきっかけを与える名探偵の相棒でなければならない。全身全霊で彼女に傅くことを求められているから。

 

 クラレス・エアリィステップと一緒にいる時は与えられたヒントに対して思考を働かせ続ける必要がある。

 大体の事件において、頭脳明晰な上に異能を用いる彼女は大枠を把握している。けれどそれを口にしない。細かい会話から知らないふりで疑問を口にしつつ、ノーマンに行動と選択を促すのだ。彼女が干渉し、けれど歪まない意思を求められているから。

 

 4人の少女たちはそれぞれが潜み、変り、外れ、歪んでいるから。

 それに合わせてノーマンは自らの思考と能力と行動を切り替えていた。

 そして今、それぞれのスイッチを全て起動し、

 

「―――――トレインジャック、あれはよくできていた」

 

 目を開けた後、静かに口を開いた。

 

「例の廃駅の切り替えですか。確かに――」

 

「違(・)う(・)。その前だよ」

 

 それは、

 

「ノッカー・クロムウェルの手下、23人。正確に言えば雇(・)っ(・)た(・)2(・)0(・)人(・)と(・)≪(・)ア(・)ン(・)ロ(・)ウ(・)≫(・)の(・)3(・)人(・)。(・)あ(・)い(・)つ(・)ら(・)は(・)ど(・)う(・)や(・)っ(・)て(・)貨(・)物(・)列(・)車(・)に(・)潜(・)り(・)込(・)ま(・)せ(・)た(・)?」

 

「ふむ」

 

 指摘にスフィアは小さく顎を上げた。

 

「疑問の前に≪アンロウ≫が3人というのは? 蛇になる『変貌者』はいましたか」

 

「食堂車両と貨物列車の途中に、1人でいたのが≪アンロウ≫だよ。≪アンロウ≫は普通の人間と同じ作戦なんてそうそうできない」

 

「……なるほど、分かりやすいですね。それで、潜り込ませたというのは。事前にどうやって侵入させたかという点ですか」

 

「そう。一人二人じゃない。23人だ。乗客と添乗員合わせた数の3分の2とはいえ、それだけ潜り込ませるのはどう考えてもおかしい。乗客と一緒に来てたなら事前に俺も気づいたはずだ。でも普通に乗車して、そんな違和感はなかった」

 

「ならば……ふむ。乗客が乗車した後に乗り込んだか、乗客よりも前から潜んでいた」

 

「そう。そうなると、実(・)行(・)犯(・)以(・)外(・)の(・)段(・)取(・)り(・)がある」

 

「それは?」

 

「―――――メアリー・ウォールウッドは運送会社の社長だった」

 

 メアリー・ウォールウッド。

 最初の事件で殺された女社長。

 彼女は夫を亡くし、しかしその手腕で運送会社を背負った敏腕社長。

 だけど、彼女は死んだ。

 彼女の秘書であり情夫だったアルフレッド・カーティスが殺し、逮捕された。

 そして城壁都市であるバルディウムにおいて運送会社というのは重要な仕事だ。

 

「そんな彼女が死んでしまえば会社が動かなくなる。或いは、ほころびが生まれる」

 

 ノーマンはこれまで見て来たものを頭の中で張り巡らせる。

 それはまるで地図だ。

 自室の地図。

 広い目のリビング。

 それが頭の中。

 家具はそのままに置かれている小物が情報。

 頭の中に地図を描き、そこに情報を置いて作り出された記憶の宮殿。

 まず手にしたのは列車の模型。床に落ちていた女物の寝巻を見て、次に意識を向けたのは、

 

「―――ジャクリーン・ハーレイが殺したブレント・バイロンは貴族間のアンティークのバイヤーだった」

 

 血にまみれた包帯だ。

 

「彼女の起こした事件によってバイロン氏は殺され、違法な売春宿が明らかにになり貴族は警察から取り調べを受け、圧力も受けた。結果的に彼らは動きを制限されたと思う」

 

 包帯を手繰り寄せて辿りつくのは薄汚れた箱の中の薄汚れた金貨だ。

 切り裂き魔が正そうとした欲望。

 切り裂き魔を生み出した地獄。

 

「話が飛びましたね」

 

「この時点ではそうだ」

 

 だけど、記憶の部屋を歩き目にしたものを見れば話は変わる。

 大きなダイヤの指輪。

 それは女物の寝巻の上に転がっていた。

 フィルジー・ミュールが盗もうとしたアンティーク。

 

「怪盗事件。あの一件で美術館は半壊して機能は停止した。まだ修復工事中だね。そうなったら問題は大量にある美術品や高価なアンティークはどうなるか。壊れた美術館にそのまま置いておくわけにはいかない」

 

「―――金持ちが買うか、別の都市の美術館に移送するか」

 

「そう。だけど貴族たちは売春宿の一件のせいで動きを制限されていた。特にアンティークを欲しがるような連中は殺されたブレント・バイロンのせいで大きな買い物なんてしたくなかっただろう。当然、高い金を払うものはいないし、オークションにかける人なんていない」

 

 部屋から金貨の入った箱が消える。

 

「なら美術館に移動しようとなる。そうなると誰が? 物(・)を(・)運(・)ぶ(・)な(・)ら(・)運(・)送(・)会(・)社(・)だ(・)」

 

「それがウォールウッドの会社だったと。確認はしましたか?」

 

「したよ。特(・)急(・)の(・)死(・)体(・)に(・)美(・)術(・)館(・)の(・)館(・)長(・)が(・)い(・)た(・)。運ぶものの目録にはあのダイヤもあったし、ウォールウッド商会が発行した書類もあった。館長さんの名前は……なんだったけな、重要じゃないから忘れたな」

 

 見つけたのは食堂車両だ。

 死体には高価なものを扱うビジネスマンがいた。

 その中には美術品の輸送を見届ける為にバルディウム美術館の館長がいたし、数千ポンドの価値があり、闇市場ならさらに桁の増えるブラッドダイヤもあった。

 当然書類を見ればどこの会社が発行したのかもわかる。

 

「ふむ。けれど、何故態々社長が死んだような危うい会社に運送を?」

 

「社長が死んだような危うい会社だったからだ。―――ここで、話が最初に戻る」

 

「―――あぁ、なるほど」

 

 スフィアが納得したように頷いた。

 ノーマンは動かず、ただ息を吐いた。

 

「危うい会社なら、いくらでも付け込めたんだろうさ。部外者を20人近く潜り込ませたり、ね」

 

 そうしてトレインジャックが起きた。

 記憶の中で新聞の切り抜きが浮かび上がる。

 四つの事件。

 別々の事件だった。

 だけど、違う。

 それはまとまり、一枚に。

 

「―――4(・)つ(・)の(・)事(・)件(・)は(・)全(・)て(・)繋(・)が(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)」

 

 

 

●

 

 

 

「…………なるほど」

 

 しばらくの沈黙の後、スフィアは息を吐いた。

 驚きや衝撃はなかった。

 ただ現状を理解し、思考が動き続けている。

 

「ならば件の黒幕はノッカー・クロムウェルで狙いは貴方だったと?」

 

「違うよ、姉さん」

 

 ノーマンは体を起こした。

 背もたれに体重を預け、フェルトハット越しに天井を見上げる。

 記憶の宮殿から拾い上げたのものを並べていく。

 

「ノッカー・クロムウェルはこう言った。『お前たちがこの列車に乗ると情報を掴んでいた』って。なるほど、だからトレインジャックを起こしたんだろう。でも冷静になるとおかしい。彼は首都の『機関』から切り捨てられている。いつかは知らないけど、それでも俺が首都に行くのは定期だけど、クラレスが一緒に決まったのは最近だ」

 

 ノッカー・クロムウェルは、ノーマン・ヘイミッシュの同行者がクラレス・エアリィステップだから実行したのに。

 『機関』から切り捨てられたはずの革命家がどうやってそんなことを知った?

 

「或いは、メアリー・ウォールウッドはどうしてアルフレッド・カーティスの変化に気づいた? 関係値が深かったから? そうかもしれない。でも、目覚めたばかりの≪アンロウ≫は自分の変化を全力で隠すはずだ。なのに気づいた。

 ―――誰かが、メアリー氏に告げ口したんじゃないか?

 或いは、ジャクリーン・ハーレイはどうしてブレント・バイロンを殺した? 彼を殺せばどうなるか予想できた? そうかもしれない。でも彼女の境遇ではまともな教育も受けていなかったはずだ。あれだけ上手く予想図を本当に書けたのか? 

 ―――誰かが、ジャクリーンにバイロン氏を殺したらどうなるかを語ったんじゃないか?

 或いは、怪盗ティスルに予告状を受けた美術館の館長はどうしてそれを真に受けた? 美術館としての威信や名誉? それもあるだろう。だけど、態々列車に乗ってものを届ける人だ。美術品への思い入れは強かったはずだったら、態々罠を仕掛けたりするんじゃなく、別の場所に運べばよかった。

 ―――誰かが、館長さんをけしかけたんじゃないか?」

 

「―――誰か」

 

「そう、誰か」

 

 こじ付けに近い疑問の羅列だ。

 或いはメアリーとアルフレッドの絆が深かっただけかもしれない。

 或いはジャクリーンがただ頭が良く、客の貴族から学んでいただけかもしれない。

 或いは館長はただ負けん気が強かっただけかもしれない。

 それらはか細い糸だ。

 目に見えないような、見ても気づかないような細い細い―――蜘蛛の糸。

 

「少なくとも」

 

 ノーマンは五指を離し、腕を広げた。

 

「ノッカー・クロムウェルに俺とクラレスの最新情報を与えた誰か――――そいつが、全ての黒幕だ」

 

 

●

 

 

 

 

 か細い糸がある。

 目に見えない。

 見えていても気づかない。

 疑心暗鬼に疑心暗鬼を重ねてやっと見えるような細い糸。

 それをあると仮定したのなら。

 触れた者を絡め取り、糸通しが絡み合い、この街に張り巡らされている。

 誰かの意図で紡がれる悪意の糸。

 獲物を狩る蜘蛛の様に。

 とっくに蜘蛛の糸はノーマンを絡め取っていて、その牙は喉元まで近づいているのかもしれない。

 或いはトレインジャックで一度逃げたかもしれないけど。

 

「……条件を上げていくなら」

 

 スフィアはぺろりと舌を舐めた。

 

「その黒幕はある程度都市の上流階級に関わりがあり、尚且つ我々の情報を手に入れられる者だと。心当たりはありますか?」

 

「最初は姉さんかなと思ったんだけど」

 

「まぁ」

 

 彼女はにっこりと笑い、ノーマンは適当に肩を竦めた。

 

「失礼ですね、愚弟。私がそんなことをするとでも?」

 

「するかしないかといえば、するよね」

 

「したいかしたくないかで言えば、したいですけども」

 

 くすりと、姉は笑う。

 ノーマンを通して4人の≪アンロウ≫を支配し、この街に蔓延る≪アンロウ≫を処理する女はさらりと言った。

 彼女は言葉に感情を乗せない。

 表すまでもないからだ。

 

「愚弟のような異常性癖者ではありませんから。≪アンロウ≫なんて嫌いですし、関わりたくないですとも」

 

「うるさいな……それで、黒幕は姉さんじゃないのか?」

 

「残念ですが、私ではありません。私の仕事は≪アンロウ≫を管理し、この街を護ることです。最初の三つはともかく、ノッカー・クロムウェルを支援することはない。手間ですからね」

 

「そうなんだよね。怪盗の件までなら姉さんが黒幕でもいいかなと思ったけど、最後のはちょっとおかしい。姉さんがやるなら、トレインジャックじゃなくて、トレインジャックをしようとした≪アンロウ≫たち共々列車を爆破くらいするでしょ」

 

「ふむ、悪くないですね。最終手段として覚えておきましょう」

 

 良いことを聞いたという風に頷いた姉に、ノーマンは息を吐いた。

 余計なことを言ったらしい。

 やる可能性は低いとはいえ、言葉通り最終手段として今後可能性に入れておかなければならなくなる。

 スフィアは仕事として≪アンロウ≫を管理しているけれど。

 仕事という大義名分と義務がなければ、≪アンロウ≫を皆殺しにしてもおかしくないのだ。

 

「姉さんこそ、心当たりはないの?」

 

「ありますよ」

 

「……………………なんて?」

 

「あります」

 

 しばらくノーマンは口を噤んだ。

 

「つまり……あれかな? 姉さんは、全部分かった上で俺に解説させてたってこと? 俺がどんな見当違いのことを言うかって?」

 

「いいえ、それは違います」

 

 彼女が息を吐く。

 珍しくその単純な行為に感情が乗っていた。

 今更気づいたけれど、という風に。

 

「貴方の話を聞いて思い当たったというべきか……或いは、今私の問題と丁度かみ合ったというべきですかね」

 

 いいですかと、スフィアは前置きし、

 

「この国の≪アンロウ≫を管理する組織、いつも『上』と呼び、今の話で『機関』と出てきましたが組織であるが故に派閥が存在します」

 

「……嫌な予感がしてきたな」

 

 背筋がぞ(・)わ(・)ぞ(・)わ(・)する。

 これから、ろくでもない話が始まりそうな、そんな予感。

 

「話を分かりやすくするために二分しますが、≪アンロウ≫に対する『保守派』と『過激派』ですね。つまり≪アンロウ≫をうまく使う派閥か、≪アンロウ≫を可能な限り排除する派閥」

 

 ≪アンロウ≫を―――バケモノをどう扱うか。

 或いは飼いならし、管理し、家畜とするか。

 或いは駆除し、処理し、排除するか。

 どちらが感情的で、どちらが実利的か、という話ではないだろう。

 どちらも感情と実利を鑑みて、二つの派閥が生まれているはずだ。

 

「『保守派』はこの国いる≪アンロウ≫のカウンターとして、ある安定し、訓練した≪アンロウ≫を支配下におきます。ノーマン、貴方の仕事がそのままですね。≪アンロウ≫が起こした事件は≪アンロウ≫で解決させるのが手っ取り早い。捕まえた≪アンロウ≫は様々な手段で無力化し、可能であれば生かしておきます。管理下の≪アンロウ≫にもある程度自由がある……というのは知っての通りですね」

 

「……」

 

「『過激派』も≪アンロウ≫の手足を持っていますが、基本的に処理ですね。とにかく≪アンロウ≫の絶対数を減らしたがる。問題をカーペットの下に隠しても解決はしない。見つけ次第、積極的に殺せっていうのが基本方針であり、配下の≪アンロウ≫も直接的に殺傷能力が高く、生活も完全に管理しています」

 

「……それで?」

 

「それぞれの派閥はそれなりに均衡を保っていました」

 

「ですが、って続きそうだ」

 

「―――で(・)す(・)が(・)」

 

 逆説は強調された。

 ぞわり。

 悪寒を感じるノーマンとは対照的に、スフィアの笑みが濃くなっていく。

 

「先日のトレインジャックで『過激派』が勢いづきましてね。ノッカー・クロムウェルは『保守派』側の≪アンロウ≫であり、その≪アンロウ≫が管理下から外れ、処理もされず、挙句には人権運動なんて革命を起こそうとしました。そのあたりの責任問題を『保守派』は追及されています」

 

「…………」

 

「そうなると、様々なことに波及します。私たちの権力や私たちが管理している≪アンロウ≫の扱いも。実際、そのクーデターは『上(・)』や『機(・)関(・)』の(・)さ(・)ら(・)に(・)上(・)を怯えさせるには十分でした。我々は何かしらのアクションを取る必要がある。あぁ、つまり、ノーマン。貴方に分かりやすく言うと」

 

「…………」

 

 ノーマンは何も言わなかった。

 スフィアは笑っていた。

 自分の属する派閥が厄介事を抱え込んだというのに。

 民衆を自然と引き寄せるようなうっとりするような笑顔で、これ以上なく嬉しそうに言葉を結んだ。

 

「あ(・)の(・)四(・)人(・)の(・)処(・)遇(・)も(・)、変(・)わ(・)る(・)か(・)も(・)し(・)れ(・)ま(・)せ(・)ん(・)」

 

 

 

●

 

 

 一瞬の動きだった。

 

「――――ぐふっ!?」

 

「おや」

 

 椅子から跳ねあがったノーマンはコートの内側から二つのものを取り出す。

 三つに折りたたまれた棒と拳銃だった。

 三節棒を振れば一瞬でステッキになり、それで背後を突く。

 それは姿を隠していたスフィアの護衛の胸に突き刺さり、吹き飛ばした。

 同時に拳銃を真っすぐに、義理の姉へと突き付ける。

 かちゃりと、リボルバーの撃鉄を起こした。

 

「ごほっ……なぜ、だ……ヘイミッシュ……!」

 

 まず上がった声は突き飛ばされ、床に倒れ込んだ護衛の声だった。

 スーツ姿の女だ。

 短めの黒髪と鋭利な顔立ち。

 アイリス・ノートン。

 スフィア・ヘイミッシュの護衛。

 『逸脱者』。

 『自消後遺(アイデンティティブランク)』―――自身の姿を衣類まで含めて透明にする異能者だ。

 

「香水が変わらないねアイリス。それに隠れていてもそんなに熱い視線を向けられれば嫌でも分かるよ」

 

「っ……糞野郎が」

 

「それはどうも―――それで、姉さん」

 

 適当に返してからアイリスを意識から外す。

 護衛は正確に鎖骨を砕いたので『逸脱者』の回復力でも少しの間呼吸も危うく、動けないのでもういい。

 問題は、銃を突きつけられても笑みを崩さないスフィアの方だ。

 

「約(・)束(・)が(・)違(・)う(・)な(・)」

 

 ぞっとするような冷たい声。

 普段のノーマンを知る人ならば、耳を疑うだろう。

 きっかけさえあれば引き金を引くことを躊躇わない冷酷な瞳で姉を見据えていた。

 

「あの4人の人権と生活とその他諸々の保証、それが1年半前にした姉さんとの約束だ。それがあるから俺は姉さんの部下をやっているんだけど」

 

「えぇ、分かっています」

 

「それが危ういって?」

 

「その可能性も」

 

「参ったな。早く何か言ってくれないと義(・)姉(・)さ(・)ん(・)を(・)殺(・)さ(・)な(・)い(・)と(・)い(・)け(・)な(・)い(・)」

 

 喉が渇いたから水を飲もう、みたいな。

 そんな当たり前の、まるで気負わない様子でノーマンは言う。

 対し、

 

「――――うふふ、それはそれで楽しそうですね」

 

 スフィアは笑っていた。

 これ以上なく。

 頬を紅潮させ、熱い吐息を吐きながら。

 義理の弟に無色透明の殺意を向けられながら、恐れるどころか彼女は興奮さえもしていた。

 前提として、スフィア・ヘイミッシュは人間だ。

 ≪アンロウ≫ではない。

 特殊な異能があるわけでもないし、至近距離で撃たれれば死ぬ。

 なのにスフィアは見る者を魅了する笑みを浮かべていた。

 

「何か言ってくれないならこのまま引き金を引いて、皆で街を出るよ」

 

「できるとでも? ≪アンロウ≫と『上』の支援も無しに生活が」

 

「できるさ。あ(・)の(・)春(・)とは違う。逆に聞こうか、俺が18か月も何の準備もしていないとでも?」

 

「――――ふむ」

 

 そこで初めてスフィアの表情が曇った。

 恐怖や緊張ではなく、白けた、という感じだった。

 最高の映画だと思って見ていたら、クライマックスが急に陳腐になったのを見る観客のよう。

 

「愚弟に撃たれるのは魅力的ですが、その結果バケモノたちとの蜜月になるのは面白くないですね」

 

 仕方ないと息を吐き、彼女は机から一枚のメモを取り出した。

 

「この場所に行くように。『過激派』の幹部がこの街に来ています。彼の目的は――」

 

「それはいいよ。どうすればいいんだ?」

 

「殺しなさい。護衛もいるでしょうが、全員を皆殺しにすればこちらで処理します」

 

「そう」

 

 それで話は終わりだった。

 スフィアには目もくれず、アイリスにも一瞥すらせずノーマン・ヘイミッシュは部屋を出て行った。

 残された2人の雰囲気は筆舌にしがたい。

 スフィアは何事もなかったように何かを考えていたし、アイリスは捨てられた子犬のように震えながらなんとか立ち上がる。

 どちらもノーマンに関しては何も言わなかった。

 

「―――アイリス」

 

「………………はい、スフィア様」

 

 ただ一言、灰の髪の女は告げた。

 感情は滲んでいない。

 少なくとも唯一見ているアイリスには何も分からなかった。

 

「≪コ(・)ー(・)ド(・)E(・)≫を発令しなさい」

 

 

●

 

 

 

 

 どうしてこんなことになったんだろうと、アンソニー・マーカスは思った。

 彼は退役軍人であり、今は良く分からない組織の良く分からない私兵となっていた。

 西部戦線で歴史的大敗と虐殺が起きる一月前、負傷してしまって戦線を離れて退役。首都でしばらく管を巻いていたら良く分からない黒服にスカウトされて、城壁都市バルディウムにまで来ている。

 良く分からないことだらけだ。

 残念ながら命令されて人を殺すことしかできない人間にはこんなもんとも思うが。

 

 アンソニーの所属する部隊はバルディウムの高級住宅街の洋館に陣取っていた。

 部下である隊員15名は入り口や二階建ての洋館を巡回し、二階の書斎を守っている。

 この屋敷の、元々の所有者の書斎だとか。

 少し前の屋敷の主は娼館通いの結果、通り魔に殺されたらしく、主を失った屋敷を雇い主が間借りしているらしい。

 そのあたりも良く分からなかった。

 

 ただ、難しい任務ではなかったはずなのだ。

 雇い主がバルディウムにいる間の護衛。

 ただ、それだけ。

 ここ2年で何度も繰り返してきた任務だ。

 雇い主は得体のしれないバケモノを飼っていたり、それに命を狙われたりもするけれど、それでもこれまで生き延びて来た。

 40年ほどそうやって生きて来た。

 良く分からないけれど。

 良く分からないなりに生きることはできる。

 そう、思っていた。

 なのに。

 

「何が起きている……!」

 

 軍装に身を包み、拳銃を構えながらアンソニーは廊下をゆっくりと進んでいた。

 背後には部下2人、同じように武装し互いの背中と死角をカバーしている。

 薄暗い廊下にあるのは今にもはち切れそうな緊張感だ。

 発端は突然だった。

 一階から銃声が聞こえた。

 つまりそれは戦闘が起きたということであり、そうなれば一階にいる隊員が報告に来るはずだし、足音や戦闘音からある程度状況が判断できる。

 

 だが、アンソニーに聞こえたのは聞きなれた銃声と部下の悲鳴だけだった。

 

 自分の部隊は精鋭だ。

 全員が元軍人であり、癖は強いがその実力は折り紙付きである。

 現役の特殊部隊にだって劣らないという自負があった。

 連携を取って≪アンロウ≫とかいうバケモノを殺したこともある。

 なのに、一階からは悲鳴しか上がらない。

 偵察に1人部下を派遣したが戻ってこない。

 相手が単独なら在りえるだろうが、しかし隊員を惨殺できる単独がいるだろうか?

 いるとしたら。

 それは――――バケモノ以上の何かだ。

 

「!」

 

 ふらりと、廊下の曲がり角から人影が現れた。

 反射的に銃口を向けるが、それは先ほど派遣させたはずの部下だ。

 窓を背にして逆光になっており、シルエットの影しか見えないが判断はできる。

 部下は、何も言わずただ角に立っていた。

 

「……おい、何があった! 状況を報告しろ!」

 

 現れたことに一瞬だけ安堵しつつ、問いただす。

 まずは状況を把握しなければならない。

 相手がバケモノならむしろホッとできる。それはそういう存在だからだ。バケモノに蹂躙されているのならばむしろ納得だ。

 

「―――おい?」

 

 だけど、人影は何も言わなかった。

 佇んだまま。

 まるで、死体みたいに。

 ぞくりと、背筋に悪寒が走る。

 

「ばっ!?」

 

 思った瞬間、人影が発砲した。

 違う。

 人(・)影(・)の(・)背(・)後(・)に(・)い(・)た(・)誰(・)か(・)が、背後から発砲したのだ。

 上がった悲鳴は右隣にいた部下の断末魔だ。

 一瞬視線を向ければ正確に眉間を貫かれ即死していた。

 次に視線を戻せば人影が動いていた。

 否、それは部下の死体だった。

 無理やり立たされていた死体は背後から突き飛ばされアンソニーにぶつかる。

 死体はアンソニーを巻き込み流れ倒れ、彼が後ろに回転し、なんとか体を起こした時には最後に残った部下は死んでいた。

 

 廊下の先、銃を撃ったのは青年だった。

 

 やはりシルエットしか見えないがコートと帽子を身に着けているのは分かる。

 片手に拳銃、片手に杖。

 拳銃は既に照準をアンソニーに向け、即座に引き金が引かれた。

 

「―――ん」

 

 弾丸は、出ない。

 弾切れだ。

 

「くっ……!」

 

 それはアンソニーにとって千載一遇のチャンスだった。

 即座に青年に対して連射する。

 狙いは甘かったが、それでもアンソニーも歴戦の戦士だ。

 体のどこかに当たれば、そうでなくても牽制になるはずだった。

 

「―――」

 

 なのに、青年には当たらなかった。

 なぜなら最初に射殺された部下を盾にしていたからだ。

 ついさっきまで生きていた部下がただの肉盾となって、青年を守っていた。

 感傷を覚えている暇はなかった。

 

「よっと」

 

 肉盾を捨てながら青年はぞんざいな声で、しかし恐ろしいほど正確に素早く銃を握っているアンソニーの手を杖で叩いた。

 鈍い音と共に拳銃が零れ落ちるが兵士は痛みを無視して懐からナイフを引き抜く。

 

「――――へぇ」

 

「っ……!」

 

 ナイフで切りつけようとし―――しかしやはり正確かつ高速の杖がそれを弾いた。

 持ち手が真っすぐな杖というよりただの棒に近い。

 一瞬の応酬。

 拳とナイフと棒。

 均衡が崩れたのも一瞬だった。

 青年は右手で拳銃を銃身を掴み、銃床でアンソニーの顎を殴り上げたからだ。

 

「ごっ―――ぐっ!?」

 

 強制的に体が伸び、そこに脇腹に左肘撃ち。顔の右側を再び銃床で殴られ視界が、脳が揺れる。なんとか左手で反撃しようとしたが棒によって弾かれて体勢が崩れた。

 一瞬の間。

 

「がっふっ―――!」

 

 そして勢いづいた前蹴りがアンソニーの胸に打ち込まれ、吹き飛ばした。

 

「……ふぅ。中々やるね」

 

 数メートル飛んでから床に激突したアンソニーに青年は適当にぼやきつつ、回転式弾倉に慣れた手つきで装填し、それから銃口を向けた。

 

「ぐっ……ぁ…………あぁ?」

 

 その時、やっとアンソニーは青年の顔を見た。

 着古されたコート。黒いフェルトハット。灰色の髪。

 氷のような冷たい薄い青の瞳。

 その顔を―――アンソニー・マーカスは知っていた。

 

「…………そうか、そういうことか」

 

「ん…………はて、どこかで会ったことが?」

 

 彼は首を傾けて眉をひそめた。

 アンソニーは青年を知っていた。

 名前は知らないけれど、彼がどこに所属していたのかは知っている。

 

「西部戦線に、俺もいた。お前に、傷を見てもらったこともある。というより……お前が診察して俺は後方に送られた」

 

「えーっと……ちょっと待って欲しいな。そういう人は沢山いたから、思い出せない」

 

「はっ……だろうな。戦(・)場(・)の(・)悪(・)魔(・)が」

 

「久々に聞いたよその嫌なあだ名」

 

 それは、少しの皮肉と精一杯の畏怖を込めた呼び方だった。

 西部戦線。

 歴史的大敗をした戦場は、大敗する前の地獄の戦場だった。最前線ともなれば毎日命は冗談みたいに失い、失わされ、膨大な量の怪我人が出た。

 『戦場の悪魔』。

 馬鹿みたいなその呼び方は西部戦線の最前線のある医療部隊に対する呼び名だった。 

 最前線にいるが故に多くの味方を救い、負傷した兵士を回収するために多くの敵兵を殺した続けた。本来ただの医療部隊だったにも関わらず、結果的に最も戦果を挙げた冗談みたいな部隊である。

 だから、悪魔だ。

 敵を殺す為に味方を癒し、自分たちもまた敵を殺す。

 もっとも、アンソニーもまた悪魔に癒され、西部戦線の虐殺の前に後方に送られたのだが。

 

「生き残りが……いたとはな。そして、こんなところで出会うとはな」

 

「おひさしぶりですこんにちは」

 

「そして?」

 

「さようなら」

 

 そんな陳腐な冷たい別離。

 それから聞き飽きた銃声。

 一度救われた男に殺されたアンソニー・マーカスが聞いた最後の音だった。

 

 

 

●

 

 

 

「…………やれやれ。16人殺して結果がこれか」

 

 全く覚えていなかった戦友ぽかった護衛を殺して、奥の書斎はもぬけの殻だった。

 スフィアから教えてもらった住所には案の定護衛がいたが、屋敷に潜入しつつ、最初の数人は暗殺し、それからは正面から撃ち合いと殺し合いになったのでそ(・)こ(・)そ(・)こ(・)の労力だった。

 

 広い部屋はやたら高そうなアンティークなんかが置いてある如何にも金持ちの部屋だったがそれらには目もくれない。

 目線は、執務机にある電話と番号が掛かれたメモだった。

 

「……ふむ」

 

 少し考え、番号に掛ける。

 応答はすぐにあった。

 

『―――やぁヘイミッシュ君、思ったより早かったね。私が黒幕だよ』

 

 思ったよりも若い男の声だった。

 良い声だけれど、同時に不快感を覚える。

 耳に纏わりつくような、じとりとした声質。

 無駄に朗らかなそれは、こちらを小馬鹿にしているように聞こえた。

 

「……」

 

『おや、聞こえているかな?』

 

「聞こえているよ。なんでここにいないかな、二度手間なんだけど。それともやっぱり姉さんと供託してたりするのかな」

 

『いやいや、私はスフィア・ヘイミッシュの敵だとも。彼女の情報は間違っていたわけではない。私は数時間前まではそこにいたし、そこに滞在していたとも。まぁ途中で抜け出したが』

 

「君の部下は何もない部屋を守って死んだわけだ」

 

『それが彼らの仕事だからね。だった、というべきか。君が殺した』

 

「彼らも仕事を果たして本望だったろうさ」

 

『くくく……違いない』

 

 適当な軽口の応酬。

 中身はない。

 けれど、意味はあった。

 

「それじゃあ今から君の所に行って、殺させてもらう」

 

『おや、私の居場所が分かったのかい?』

 

「じゃなきゃいけないだろう」

 

『――――流石だ、名探偵。それでは黒幕らしく君を待ち構えていよう』

 

 

 

 

●

 

 

 

 

「……はぁ、仕事がまた増えるな」

 

「おっ、出て来たぞ」

 

「ほら、賭けは俺の勝ちだな」

 

「ちっ……ほらよ」

 

 洋館を出てノーマンを待ち構えていたのは4人の中年の男たちだった。

 1人はご存じ不機嫌そうな顔をした刑事、ハリソン・レナード。

 浮浪者染みた、というよりも実際浮浪者であるスーツ姿の『廃棄王』ニューク・リーヴァリス。

 勝ち誇った褐色肌の大男はノーマン行きつけのダイナ―の店主ロックウェル・ヴェイン。

 苦虫を噛み潰し数枚の紙幣をロックウェルに突き出した禿頭に帽子の紳士はノーマンの下宿先の大家であり、一階でビリヤードバーを営むエイジャックス・マハーツ。

 彼らはベンチに横並びに座り、ロックウェルが持参したであろうケバブやポテトフライを食べている。

 

「店長、マスター。何を賭けてたんですか? もしかして、俺が出てくるか出てこないか?」

 

「いいや、俺は俺が作った絶品ケバブを食べ終わる前にお前が出てくるのに賭けた。このハゲは食べ終わった後出てくるのに賭けたわけだな」

 

「黙れデクの坊が。ノーマン、出てくるの速すぎだろ。空振りだったのか?」

 

「まぁそうですね。案の定でした」

 

「いいけどな。じゃなかったら俺が来た意味もない。ほらよ」

 

 マスターが投げ渡してくれたのは鍵だ。

 家の鍵ではない。

 ベンチの脇に留まったバイクの鍵だ。

 

「俺からも頼まれていたものだ」

 

 続いて店長が渡してくれたのは黒塗りのL字型ステッキだ。

 

「どうも、マスターも店長も。助かりますよ。移動の足がいるし、携帯用の杖は今のでガタが来ちゃいましたから」

 

「そりゃそんなおもちゃを使うからだ」

 

「携帯用としては便利なんですけどね。……ニュークも、ありがとう。みんなを集めてくれてね」

 

「お前の頼みだ、気にするな」

 

 ニヤリと笑う『廃棄王』。

 スフィアの下を去ってからノーマンは彼に連絡を取った。そして屋敷への襲撃するだけでは終わらないような気がしたからその後の準備のためにハリソン、ロックウェル、エイジャックスを呼んでいた。

 杖とバイク。

 武器と足を手に入れた。

 

「刑事さんも、すみませんね。後始末はお願いします」

 

「仕事だ。……これは、管轄外だし命令違反だがな。言っておくがヘイミッシュ。警察は今夜は使えんぞ。上からの圧力で待機命令が出ている。オリヴァーさんなんかカンカンだ」

 

「でしょうね。刑事さんの仕事はこの後も増えると思いますけど」

 

「ふん……お前が何もしなかったら、バケモノどもがどうなるか分からん。そうなると俺(・)の(・)娘(・)もな。なら、お前に手を貸すさ」

 

「どうも」

 

 不機嫌そうな顔で、けれど確固たる意志を以て刑事は頷いた。

 ≪アンロウ≫の娘を持ち、その異能をノーマンが訓練し、彼を介してスフィアと取引をしてなんとか日常生活を送らせながら自分は≪アンロウ≫の事件を任される刑事。

 だから彼はノーマンに手を貸す。

 

 或いは国の支配を潜り抜け、ノーマンの手配によってこのバルディウムに網を張り巡らしているホームレスの王であるニューク・リーヴァリスも。

 

 同じように≪アンロウ≫であり、元々自力で制御を可能にして飲食店を経営しながらノーマンが報告していないロックウェル・ヴェインも。

 

 家族を≪アンロウ≫に殺されて、その復讐にノーマンの手を借りたエイジャックス・マハーツも。

 

 ノーマンに恩があり、だからこうして手を貸している。

 もっとも同時にノーマンにとって彼らは恩人でもあるのだが。

 ハリソンには日々仕事で世話になっているし、何かあればニュークから情報を貰い、日々美味しいケバブをロックウェルに食べさせてもらって、住まいをエイジャックスの世話になっている。

 持ちつ持たれつ。

 人間もバケモノも。

 支え合って、入り混じって、生きている。

 

「それで? 俺のバイクでどこに向かうんだよノーマン。まさか当てもなく、ってわけじゃないだろう」

 

「えぇ。さっき黒幕と電話したんですけど、その奥から結構な風の音がしました」

 

 バルディウムは城壁に囲まれた街。

 だからなのか、風はほとんど吹かない。

 そんな街で強く風が場所なんて限られている。

 ノーマンは街の中心部を見た。

 街の中央に伸びる高い塔。

 そこに『黒幕』はいる。

 

「バルディウムタワー――――馬鹿と煙だけじゃなく、悪人も高い所が好きみたいですね」

 

 

 

●

 

 

 

 夜の街を自動二輪車が駆け抜けていく。

 バルディウムの主街区は驚くほど人気が無かった。

 普段であれば夜を頼む人々で溢れているのに、多くの店は閉まっているし、道路に出ている人はほとんどいない。

 街全体が息をひそめているように。

 どれだけの圧力が掛かっているのかは想像に難くない。

 

 前方にそびえる建設途中のバルディウムタワー。

 それは電波塔でありランドマークだ。

 完成すれば城壁を上回る高さになるらしい。

 二年ほど前から施工を開始し、ノーマンがこの街にに来た時はまだ基礎部がやっと完成したという程度だったがいつのまにか随分な高さになっている。

 

 記憶との齟齬がノーマンがバルディウムに来てから経過した時間の証左だ。

 

 2年前に西部戦線で死にかけ、1年半前にこの街に辿りついた。

 その二つの出来事がノーマン・ヘイミッシュという存在を根底から造り替えてしまった。

 人生が。

 価値観が。

 世界が。

 人間関係が。

 何もかもが。

 或いは、自ら自分を変えることを決めてしまったのだろう。

 みんなに―――普通に背を向けて。

 心に沈み、変貌を受け入れ、外れても繋ぎ止め、歪みを引き受ける。

 どうしてと、たまに思う。

 今日来るまでに16人も殺した。

 彼らに罪があるのかないのかは関係ない。

 それは間違いなく糾弾されるべきことだ。

 正当化されてはいけない。

 何かの目的の為に、誰かを殺していいなんて。

 そんなことを自信満々に言うやつがいたら、ノーマンはそいつこそ死ぬべきだと思う。

 それでも、ノーマンは殺したし、これからも殺すだろう。

 許さないと分かっているとしても。

 どうして?

 フーダニット。

 どうしてノーマン・ヘイミッシュがこんなことをしているのか。

 たまに自分に疑問を覚えて。

 けれど、いつだって答えはすぐに出る。

 

 ―――――ただ、許せないものがあっただけだ。

 

 

 

 

●

 

 

 

 

 ご(・)う(・)と強く風が吹いた。

 

 バルディウムタワーの現段階における最上階。

 シンボルとして大きな鐘が備えられた大鐘楼がある。

 石造りの鐘楼はそれなりに広く、四方を石柱で支えられている。壁は元々作られていないので城壁に囲まれた街が一望でき、風が強く吹き付けているのだ。

 

「やぁやぁ、待っていたよヘイミッシュ君」

 

 そんな大鐘楼の中央、鐘の真下に『黒幕』はいた。

 仕立ての良い高そうな燕尾服に身を包み、金髪の上にシルクハットを乗せた細身の男だった。

 

「……」

 

 ふと既視感。

 どこかで見た覚えがある。

 記憶を巡り、知っている貴族を思い浮かべ、

 

「………………広場の時の」

 

「おお、覚えていてくれていたか。嬉しいね」

 

 ウォールウッド邸に向かう前、シズクと街を歩いている時にすれ違った青年貴族だ。

 

「……ちっ」

 

 思わず舌打ちする。

 態々持ち込んだのだろうか、やはり高価そうな椅子に足を組んで腰かけている。

 椅子の傍には軍でしか見ないような携帯式――それでも大の大人が背負う必要がある大きさだが―――の無線機。先ほどの電話はあれでしていたのだろう。

 ざらついたような、まとわりつくような声。

 細い瞳から注がれる視線はまるで蛇のようだ。

 『黒幕』は本を手にしていた。

 シャーロック・ホームズの冒険。

 名探偵と助手の物語。

 

「全く、傑作という他無い小説だろう?」

 

 辿りついたノーマンが何を言うまでも無く、『黒幕』は話し始めた。

 

「名探偵とその助手が難事件を解決する! 実にシンプルながら奥が深い。今後ミステリというものはこれが一つのジャンルになるのは間違いない。だが……ふむ。私は一つだけ、この物語に文句を付けたい」

 

 ぺらぺらと。

 男は品評を述べて行く。

 ノーマンがゆっくりと歩み寄っていくのにも構わず、語り掛けてくる。

 

「いくつかの事件といくつかの犯人が出て来たが……しかしどうだろう? 足りないと思わないかい? 何だと思う? ……あぁ、いや! 言ってしまおう! ズバリ悪役さ! 偉大な名探偵に対応する邪悪な黒幕がいない。それは聊か物足りないと思ってしまうんだ」

 

「それが君で、俺が探偵役だって?」

 

「如何にも、名探偵。私は最初から、君がそうであると知っていた」

 

 ニタリ。

 『黒幕』は笑う。

 

「私、ジム・アダムワースこそがこの物語の『黒幕』さ。ホームズの作者殿には私をモデルの『黒幕』を書いてくれと頼むつもりだよ、ヘイミッシュ君」

 

「あっそ」

 

 ノーマンは一言短く返した。

 後は行動で示すだけだ。

 発砲という名の行動。

 ノーマンはよどみない、他人が見れば銃をコートから抜いたことすら気づかないような滑らかさで銃を片手で突き出して引き金を引いた。

 回転式弾倉6発分を全て。

 腹の中央に2発、心臓に2発、額に2発。

 万が一にも助からないように。

 機械のような無機質さで、けれど顔色は普段と全く変わらなかった。

 

 断末魔は上がらなかった。

 身体に新しく穴が6つも空いた黒幕の青年はそのまま椅子に座ったままがくんと頭が落ちる。

 それで、終わりだ。

 

「……ふぅ、やれやれ。変なのに絡まれるところだった」

 

 銃を懐に仕舞う。

 右手で握ったステッキで左手で軽く叩いてから振り返って何の未練も無く立ち去った。

 立ち去ろうと―――した。

 

「ヘイミッシュ君。君にはもう少し風情というものが欲しいねぇ」

 

「―――」

 

 背後からそんなざらついた声がしたからだ。

 振り返る。

 そうすればジム・アダムワースの死体があるはずだった。

 なのに、黒幕の青年は先ほど変わらず優雅に脚を組みほくそ笑んでいる。

 

「……驚いたな」

 

 確かに銃で撃った。

 念入りに殺したし、高そうな燕尾服や額には血が滲んでいる。

 なのに、死んでいない。

 額の傷は、逆再生の様に塞がっていった。

 顔に流れる血を、ジムはぺろりと舐める。

 

「それはよかった。名探偵を驚かせるのも私の仕事だからね」

 

「≪アンロウ≫か? 君が?」

 

 在りえないと、ノーマンは思った。

 異常な再生能力。

 確かにそれは普通ではない。

 そういう異能を持った≪アンロウ≫がいても全く不思議ではない。

 問題は『上』の人間が≪アンロウ≫だということだ。

 『上』にしても『機関』にして『保守派』にしても『過激派』にしても。

 人間の組織のはずだ。

 それとも、この『黒幕』はスフィアの言っていた 『過激派』の人間ではない?

 

「おいおいヘイミッシュ君! そんなわけないだろう、この私をバケモノと一緒にしないでくれ! ―――君なら、分かるはずだ」

  

 血まみれの男はさっき死んでいたはずなのに、そうでなくても確かに銃弾を6発も受けたのにそんな様子は無く笑っている。

 むしろノーマンを問いただす。

 

「何が?」

 

「マーサ・ハイディ博士」

 

「―――」

 

「君は知っている。なぜなら君(・)の(・)主(・)治(・)医(・)だったからだ」

 

 その名を確かにノーマンは知っていた。

 知らないわけがない。

 なぜなら2年前、西部戦線で死にかけた彼を治療した医者だ。

 半年置きにバルディウムを離れ首都に赴いているのも、彼女の診察を受ける為だ。

 ハイディ博士は『上』において重宝されており、それなりの立場にもいる。

 そして彼女は医者であり―――――≪アンロウ≫の研究者でもある。

 

「≪アンロウ≫とは良く分からないナニカの総称だ」

 

 この世界には魔法も奇跡もない。

 あるのは現実と条理とただの人間と≪アンロウ≫と呼ばれる『何か』だけ

 『潜伏者』。

 『変貌者』。

 『逸脱者』。

 『歪曲者』。

 潜み、変わり、外れ、歪んだモノ。

 人にできないことをする、人によく似たバケモノ。

 

「君が良く知っている通り、彼らの異能を我々はまだまるで解明できていない。物理法則に反した、法則に反するモノの法則を完全解明できていない。そう、完(・)全(・)に(・)は(・)」

 

「……」

 

「だが、どうだろう。完全に分からないということは、部分的に分かっているということだろう? そして稀代の天才であり、≪アンロウ≫を研究し、調査し、解剖して来たハイディ博士なら。成果を生み出せる、そうだろう?」

 

「それが私であり―――『超越者(オーヴァード)』だ」

 

 超越者。

 人を―――超えてしまった者。

 

「4種の≪アンロウ≫のようなふざけた異能は持っていない。ただ、常人よりも少しだけ膂力が強かったり、精神が強靭だったり、死(・)に(・)に(・)く(・)い(・)。死を克服し、人を超えたが故の『超越者(オーヴァード)』というわけだ」

 

「…………なるほどね。大した不死性だ」

 

「おいおいヘイミッシュ君! 何を他人事のように言っているんだ? ―――――君(・)も(・)私(・)と(・)同(・)じ(・)だ(・)ろ(・)?」

 

「――――――」

 

「いや、そんな驚かないで欲しい。簡単な話さ、そうでなければ説明がつかない」

 

 ジムは立ち上がる。

 血に濡れた本を投げ捨ながら、芝居がかった仕草で腕を広げて天を仰いだ。

 

「私(・)の(・)子(・)飼(・)い(・)の(・)精(・)鋭(・)1(・)6(・)人(・)の(・)特(・)殊(・)部(・)隊(・)を(・)一(・)人(・)で(・)全(・)滅(・)さ(・)せ(・)! ≪(・)ア(・)ン(・)ロ(・)ウ(・)≫(・)に(・)よ(・)る(・)異(・)能(・)に(・)も(・)耐(・)性(・)を(・)持(・)ち(・)! さ(・)ら(・)に(・)は(・)複(・)数(・)の(・)≪(・)ア(・)ン(・)ロ(・)ウ(・)≫(・)の(・)異(・)常(・)な(・)精(・)神(・)を(・)受(・)け(・)入(・)れ(・)る(・)こ(・)と(・)が(・)で(・)き(・)る(・)! そ(・)ん(・)な(・)存(・)在(・)が(・)普(・)通(・)だ(・)と(・)、常(・)人(・)と(・)言(・)え(・)る(・)の(・)か(・)!? ―――否(・)! 否(・)だ(・)よ(・)ヘ(・)イ(・)ミ(・)ッ(・)シ(・)ュ(・)君(・)!」

 

「………………」

 

「私の推測はこうだ。残念ながら『超越者』については記録が残っておらず、ハイディ博士も口を割らなくてね。処置を頼んだ手前、無理に割らせることもできなかったから……君は二年前、西部戦線で死にかけた。或いは死んだ。あの憎き敵国が≪(・)ア(・)ン(・)ロ(・)ウ(・)≫(・)を(・)兵(・)士(・)と(・)し(・)て(・)運(・)用(・)し(・)た(・)西(・)部(・)戦(・)線(・)で」

 

 ばちり。

 ノーマンの脳裏に稲妻が走った。

 それは記憶だ。

 トラウマとさえ言っていい。

 戦場の悪魔と呼ばれたノーマンの部隊。

 或いは戦線そのもの。

 歴史的大敗なんて呼ばれるようなことがどうして起きたか

 話は簡単。

 相手がバケモノだったというだけ。

 

「しかし君はハイディ博士に治療されて、『超越者(オーヴァード)』となって蘇った。そしてこの街に来た。どうだろうか、ヘイミッシュ君。私の推理は」

 

「…………まぁ、大体は合っている」

 

「おぉ! それはよかった!」

 

 ジムは笑い、ノーマンは適当に肩を竦めた。

 

「どうやら随分と俺のことを調べたみたいだね」

 

「無論だ。私は君のファンでね。君の書いた報告書は全て読んでいるし、『超越者』の存在を知り、すぐに君だと思い当たった。そしてハイディ博士に処置をお願いしたというわけだ」

 

「そうかい。……やれやれ困ったな、君は殺すのはほとんど難しそうだし……はぁ」

 

 ノーマンは息を吐く。

 銃弾は残っているが、意味はもうない。

 ステッキでも殺せないだろう。

 困ったなぁなんて適当に思いつつ、帽子を押さえた。

 

「仕方ないので聞かせてもらおうか、黒幕さん。――――君は、どうしてこんなことを」

 

「簡単だ、名探偵。むしろ君ならば分かってくれると思う」

 

 ジム・アダムワースは楽しそうだった。

 まるで親に褒めて欲しくてそわそわしている子供みたいに。

 いっそ純粋とさえ言っていい笑顔で彼のどうして(ホワイダニット)を口にした。

 

「私の動機――――即ち、≪ア(・)ン(・)ロ(・)ウ(・)≫の(・)軍(・)事(・)利(・)用(・)さ(・)」

 

 

 

 

●

 

 

 

 

 風が、吹いている。

 城壁に囲まれた街ではまず受けることがないもの。

 気を抜けば体勢が崩れそうな強い風。

 けれどノーマン・ヘイミッシュとジム・アダムワースの会話と感情は飛ばされることなく、へばりつくように渦巻いていた。

 

「……軍事利用?」

 

「そうだ。何故か、なんて言うまでもないだろう?」

 

 ノーマンに表情はなかった。

 何も感じていないというよりは何かの感情を押し込んでいる故に無表情。

 ジムは笑っていた。

 ニタニタと口端を吊り上げて、この状況がこれ以上なく楽しいと言わんばかりに。

 

「二年前の戦線で我が国は大敗し、戦争は莫大な補償金を払い休戦している。だがそれも所詮は一時的なものだ。今後、いつ戦争が再開するかは分からない。ならば考えるのは次はどう勝つか。既に≪アンロウ≫を兵器として投入するような国がいる状況で」

 

 バケモノを。

 様々な異能を持つ≪アンロウ≫。

 彼らはそれぞれの精神に応じた事件を起こす。

 でもそれを、戦争に用いたのなら?

 どうなるかはノーマンが良く知っている。

 西部戦線では実際にそれが起きて、虐殺が発生したのだから。

 

「我々も様々な派閥があり、スフィア・ヘイミッシュとは反対なのだが……ふむ、ヘイミッシュ君、君はなんと分けてたりするかな?」

 

「姉さんは『保守派』で君は『過激派』」

 

「なるほど、分かりやすい。用語の統一は重要だね。では続けよう。私は『過激派』の幹部ではあるが、しかしてその中でも一枚岩ではない。我々『過激派』の基本理念は≪(・)ア(・)ン(・)ロ(・)ウ(・)≫(・)を(・)如(・)何(・)に(・)う(・)ま(・)く(・)利(・)用(・)し(・)つ(・)つ(・)駆(・)除(・)を(・)す(・)る(・)か(・)。だが、駆除の方法にもいくつかある」

 

「兵器として使い潰す」

 

「あぁ! 私が今回押し進めようとしているのはそれだ」

 

 パンと音を鳴らして手を叩く。

 

「私は≪アンロウ≫なんていうバケモノは全く反吐が出るほど嫌いではあるが、利用価値はある。育成にコストは掛かるが兵器としての見返りは素晴らしい。それはヘイミッシュ君、君も分かるだろう?」

 

「―――いいや、全く」

 

 ぎちり。

 ノーマンはどこかで鳴る、そんな音を聞いた。

 

「そもそも兵隊が欲しいなら『超越者』とやらを増やせばいいだろ」

 

「残念ながら『超越者』化の処置は成功率が非常に低くてね。現状何百人と試されたようだが、成功例は君と私だけさ。浮浪者や罪人も無限ではない。既存の≪アンロウ≫を使ったほうが良いということになった」

 

「処置で君も死ねばよかったのに」

 

「ははは、ところが成功してしまったんだな。さて結局のところ、今回の事件は最終的にノッカー・クロムウェルを消しかけて『保守派』の勢いを削ることが目的だった。それにより軍事運用の手はずを通す為に。納得いっていただけたかな?」

 

「メアリー・ウォールウッドやブレント・バイロン、それに美術館の館長にちょっかいをかけたり?」

 

「おぉ! そこまで気づいてくれたか! 彼らにはいくつかの助言をしただけだ。結果的に思い通りに動いてくれたがね。どうだろう、芸術的だっただろう?」

 

「――――はぁ」

 

 ノーマンは息を吐く。

 それは当たってほしくない推理が当たっていたが故に。

 張り巡らされた悪意の糸。

 なければいいと思っていた邪悪な意図。

 それの主がジム・アダムワース。

 『超越者』。

 ≪アンロウ≫ではない、純粋に人を超えてた何か。

 

「……それで? 俺をこんな所で待ち構えていた理由は」

 

「ス(・)カ(・)ウ(・)ト(・)さ」

 

「…………はぁ?」

 

「スカウトだよ、ヘイミッシュ君。言っただろう、私は君のファンなんだ。『超越者』としての先輩であり、≪アンロウ≫の手綱を握る手腕に長けた君を私は誰よりも評価している。私が結成する≪アンロウ≫の特殊部隊を君に任せたいと思うくらいに」

 

「…………」

 

「戦場にて敵を殺すか。或いは敵国に潜入するスパイとしてかはバケモノの異能によるだろう。スパイというものが強く求められていく時代だ、そちらの方が多いかもしれない。勿論、待遇や給料は保証するとも。説明できない公務員よりもよっぽどいいんじゃないかい?」

 

「…………」

 

「一度は君も国に命を捧げたものだ。国の為に銃を握ることと同じさ。どうだろう、ヘイミッシュ君。答えを聞かせて欲しいな」

 

「断る」

 

「―――――」

 

 ノーマンは肩を竦めなかった。

 身じろぎもせず、表情も変えず。

 ただ一言だけを、絞り出すように。

 そして。

 ばっさりと誘いを切り捨てられたジム・アダムワースは。

 

「―――――あぁ、よかった」

 

 うっとりと笑った。

 恋に浮かれる乙女のように。

 極度の興奮から頬を赤くし、体を震わせながら両腕を広げる。

 

「それでいい!」

 

 黒幕が叫ぶ。

 歓喜の声を。

 

「それでいいよヘイミッシュ君! いや、それを私は望んでいたんだ! おっと、別に誘いがふざけていたというわけではないよ? それはそれで楽しめたと思う。だが! 君が断ってくれた方が一番面白い!」

 

 ジムはノーマンを見ていた。

 ノーマンだけを真っすぐに見ていた。

 裏から糸を引いた四つの事件も。

 その底にある渇望の為の余興でしかない。

 彼が本当に求めていたのはこれなのだ。

 

「私(・)は(・)君(・)の(・)敵(・)で(・)あ(・)り(・)た(・)い(・)!」

 

 これ以上なく身勝手に。

 『潜伏者』よりも人の内心を弄び。

 『変貌者』よりも外装を偽り。

 『逸脱者』よりも独善的に。

 『歪曲者』よりも直接的に干渉する。

 大鐘楼にジムの哄笑が上がる。固定された鐘のせいか、妙に反響して耳にこびりつく。

 ぎちりと、音がする。

 それはどこかで聞いた音。

 アルフレッド・カーティスが理解者がいなくて苦しんだ時。

 或いはジャクリーン・ハーレイが地獄で正義を為そうとしていた時も。

 或いはフィルジー・ミュールが怪盗を始めるより前の時も、或いはノッカー・クロムウェルが『組織』から切り捨てられた時もその音がしたのかもしれない。

 ぎちり。

 ぎちり。

 ぎちり――――――心が、軋んでいく。  

 目の前の現実。

 隣にいる誰か。

 見えなくとも触れていなくても擦れ合い、生まれて行く軋轢。

 

「――――あぁ」

 

 たまらずノーマンは息を吐いた。

 軋轢の音は自分の中から。

 1年半前にこの街に来てから消えてくれない音が、これ以上なく響いてくる。

 

「ヘイミッシュ君、ありがとう。今日のこの出会いが、プロローグだ。これから君と私の物語が始まっていく。どんなものにするか、まだまだ考え中だがきっと楽しくなる。保証しよう」

 

 ジムは左手を横に伸ばし、シルクハットをくるり回しながら胸に手を当てて頭を下げた。

 洗練されたボウ・アンド・スクレープ。

 

「君と私は事実上ほとんど不死だ。ならば人生に目的がなければいけない。今後の物語に期待しておくれ。――――まぁ、今日はここまでかな?」

 

「いや」

 

「ん?」

 

「いやそんなわけないでしょ。ここまで来て終わりとか。流石に俺も聞きたい……というか、最初の話はどこに行ったわけ」

 

「あぁ……ふむ。それもそうだ」

 

 帽子をかぶり直したジムは顎に手を当てて少し考え、

 

「そうだな……≪軍事利用≫と言っても、それなりに手順は踏まなければならない。私が今この街にいるのは君と話す為だったし。すぐにどうこうという話ではない」

 

「そうじゃない」

 

「おや?」

 

「君が≪アンロウ≫を戦争に駆り出すことはどうでもいい。だけど―――――あの4人は?」

 

「……ふむ」

 

「シズクとエルとロンズデーとクラレス――――俺(・)の(・)4(・)人(・)はどうなる? 君が俺の敵になって、そうしたら彼女たちは?」

 

「決まってるだろう?」

 

 くすりとジムは笑みをこぼす。

 言うまでもないことを態々口にするのかと呆れも込めて。

 

「ア(・)レ(・)ら(・)は(・)君(・)の(・)付(・)属(・)品(・)だ(・)」

 

「―――――あぁ、うん。良く分かったよ」

 

 ぎちり、ぎちり―――ぷつん。

 軋轢と緩衝と緊張が音を立てて切れた。

 そこが、分水嶺だ。

 

「なるほど、君は俺の敵だ」

 

「おぉ、嬉しいね――――どうして?」

 

「君の話はなんというか……自分で言うのも気持ち悪いけど俺と君しかいない。≪アンロウ≫を兵器に使うって、その≪アンロウ≫本人の意思を無視している。ただのもの、兵器扱い―――それは俺の主義に反する」

 

「おいおいこれはおかしなことを言うじゃないか、ヘイミッシュ君。≪アンロウ≫はバケモノだ。人間ではない。人権もない。君だって、良い様に使っていただろう? 4匹のバケモノを。まぁ、諸(・)々(・)の(・)処(・)理(・)には便利だろうしね。見た目は人間と変わらないんだから」

 

「あぁ……だから、そういうことだよ」

 

 思わず舌打ちが出た。

 これだ。

 これなのだ。

 こ(・)れ(・)が(・)許(・)せ(・)な(・)い(・)か(・)ら(・)ノ(・)ー(・)マ(・)ン(・)は(・)こ(・)の(・)街(・)に(・)い(・)る(・)の(・)だ(・)。

 

「君も、姉さんも……『上』の人たちもみんなそうだ。彼女たちを≪バケモノ≫と呼ぶ」

 

「だってバケモノなんだから仕方ないだろう」

 

「いいや、違う。全く違うね。気持ち悪いなぁ……鏡(・)を(・)見(・)ろ(・)よ(・)」

 

 ≪アンロウ≫をバケモノと呼んで。

 兵器として、道具として。

 自分たちの都合や欲望や勝手のままに利用して。

 ジム・アダムワースも。

 スフィア・ヘイミッシュも。

 人としての権利を認めず、異能だけを見ている。

 

「バ(・)ケ(・)モ(・)ノ(・)は(・)ど(・)っ(・)ち(・)だ(・)?」

 

 それが、ノーマン・ヘイミッシュは許せない。

 ≪アンロウ≫が≪アンロウ≫だからという理由で、排斥されることが許せないのだ。

 自らの意思で犯罪を犯したのなら、好き勝手異能を使ったのなら仕方ない。

 それは罰せられるべきだ。

 だけど、そうじゃなかったら?

 異能による事故だったり、暴走したとしても一線を超えていなかったら?

 

 ティアナ・クラムは『残響共鳴(エコーハウリング)』が暴走してしまっただけ。

 

 シーラ・ヴァスカーヴィルは『黒妖ノ魔犬(ブラックハウンド)』によってどこにもいられなくなっただけ。

 

 ロザリンド・スレイニーは『砕けぬ純潔(アンビルセルメイデン)』による暴力性と倫理感の喪失を必死に抑えていただけ。

 

 フェリシティ・マクファーソンは『無形なる有形(スプリガンハンド)』のせいで他者の掌握し、しかし何もせず、させずにいただけ。

 

 シズク・ティアードロップ。

 エルティール・シリウスフレイム。

 ロンズデー・エンハンスダイヤ。

 クラレス・エアリィステップ。

 

 ふざけた名前だ。

 そ(・)ん(・)な(・)冗(・)談(・)み(・)た(・)い(・)な(・)名(・)前(・)に(・)変(・)え(・)ら(・)れ(・)た(・)。

 みんなの内側に潜み、みんなと変わってしまって、みんなから外れてしまって、みんなを歪めてしまって。

 それでも―――みんなの、社会の、普通の中で生きる為に。

 名前を変えて、異能も暴走しないように長い時間をかけて訓練をして。

 人間もバケモノも持ちつ持たれつ支え合って、入り混じって、生きている。

 そしてその人間とバケモノはそんなに変わらないのだ。

 色々な考えと色々な能力を持つ者がいる。

 その違いが少しだけ大きいかどうか。

 きっと、それは大した違いではない。

 罪を犯さずに、正しいことを、みんなと違いながらみんなの為に何かをしたり、みんなに迷惑をかけないように生きることができるのだ。

 

「≪アンロウ≫がバケモノで悪いんじゃない。バケモノで悪いことをする誰かがいるだけだ―――君のような」

 

 そして、ノーマン・ヘイミッシュみたいな。

 だからノーマンはシズクを、エルティールを、ロンズデーを、クラレスの隣に居るのだ。

 だから彼女たちがそれぞれ求める自分を作り上げた。

 彼女たちが排斥されるのが許せないから。

 シズクも。

 エルティールも。

 ロンズデーも。

 クラレスも。

 居場所があっていい。

 愛されていい。

 愛してくれるなら愛したい。

 

「……はっ」

 

 思ってから、思わず内心で自らを嘲笑う。

 それは恋なのか。

 愛なのか。

 ただの欲望なのか。

 自分では、良く分からない。

 ただ、どうしても許せないだけだ。

 彼女たちの心が蔑ろにされることが許されるなんて許されない。

 許せないなら――――全てを掛けてやり遂げるだけだ。

 

「ふむ……なるほど? ここは私も少々読み違えていたな。つまり君はバケモノが相手でも構わない異常性癖だったわけだ」

 

「あぁ、それでいいよ。間違ってない。みんな可愛いし」

 

 ミステリでも。

 ホラーでも。

 サスペンスでもない。

 ノーマン・ヘイミッシュのどうして(ホワイダニット)はその程度。

 

「生憎君の遊びに付き合うつもりはない。俺はみんなとイチャイチャしながら事件を解決するラブコメが好きだね。これ以上関わるなら―――」

 

「関わるなら?」

 

「言った通り、君は俺の敵だ。敵がいて、話が通じないなら容赦はしない。ここで君を殺して、明日は4人でお茶でもするさ」

 

「――――いいね! それもまた良い! ではそうしよう! 実は興味があったんだ! 『超越者』同士の殺し合いをしたらどうなるか! 死ぬのかな!? 殺せるのかな!? 推理してみてくれ、実証して見せてくれよ名探偵!」

 

「いいや、俺は名探偵なんかじゃない。君も大悪党なんてほどの役者じゃない」

 

 ノーマン・ヘイミッシュとジム・アダムワース。

 仮に二人を示すとしたら。

 

「同じ穴の貉さ。ムジナ同士―――食らい合うだけだ。バケモノみたいにね」

 

 

 

 

●

 

 

 

 

 向かい合う同じ穴の貉。

 探偵と悪役。

 名探偵には表情はなかった。ただ冷たい瞳は鋭く悪役を見据え、ステッキの柄の中頃を握った自然体。

 大悪党は満面の笑みで笑っていた。瞳を爛々と輝かせ、両の拳を眼前で構えている。

 彼我の距離は数メートル。

 光は四方の壁にある電灯と月明かり。

 石畳には悪役の傍に無線機があるだけで他には天井に固定された大鐘だけ。

 

 それがバケモノたちの舞台だった。

 

「さぁ、楽しもうヘイミッシュ君!」

 

 悪役が軽い動きで前に出た。

 けれどそれは人外の身体能力だ。

 被っていたシルクハットが頭から外れ、床に落ちるよりも先に彼は探偵の下に届いている。

 互いの距離の数メートルが瞬きの間に詰められ、鋭い右のストレートパンチが飛ぶ。

 堂に入った、教本通りの完璧な動きだった。

 そして。

 

「―――おぉ!?」

 

 ベキリと、音がする。

 木材がへし折れたようなそれは悪役の右肘が折れた音だった。

 自分に迫る右の拳をいかなる技術か、ステッキを握った左腕で捌いた。そして悪役の腕が伸びきるよりも早く、杖を絡めながら関節を固定し、元々の加速を利用する形で片腕をへし折ったのだ。

 

「二回目だ」

 

 そしてそれで探偵は止まらない。

 悪役の右腕に絡めた左腕、その手首をずらしてステッキの杖先を動かす。

 狙いは悪党の喉元。

 ガツンと探偵は杖の柄を殴りつけた。

 必然的に杖先が飛び出し、悪役の喉に激突する。

 

「ご――――っ」

 

 鈍い音が悪役の口から漏れる。

 言葉にならない声。

 正面からぶち込まれた杖は喉を潰し、その奥の頸椎を粉砕する。

 花が落ちるツバキのように、かくんと首が不自然な方向に折れた。

 一瞬のカウンターによる即死だった。

 それだけで、本来は終わっている。

 だけど。

 即死したはずの、折れた首から繋がる顔に歪んだ笑みが濃くなった。

 

「はぁ…………さす」

 

 流石、と悪役が言おうとしたが、続かなかった。

 既に探偵は動いている。

 左足の蹴りで悪役の右膝を押しつぶすように蹴り込む。

 身体能力や肉体強度とは別の人体の構造上、悪役の膝が崩れた。 

 するりと絡めていた自身の左腕で勢いで揺れていた悪役の頭部を鷲掴み。

 

「―――ふっ!」

 

 鋭い呼気と共に、そのまま顔面を石畳へと押し込みながら叩きつける。

 ぐしゃりと頭蓋骨が砕ける音。

 

「…………」

 

 全身を連動させ、全力で叩きつけた勢いを殺さず床を一回転してから立ち上がり、振り返る。

 赤い命が頭部から零れ、石畳を穢していた。

 意図的に前頭部から叩きつけたので顔面、特に額が砕けた上で脳も損傷しているはずだ。

 診断するのなら、即死としていい。

 

 人間は中々死なない時は死なないが。

 死ぬときは簡単に死ぬ。

 様々要因がそこにはあるが、この場合大事なのは急所へのダメージだ。

 どこを怪我したらよくて、どこを怪我したらダメなのか。

 かつて軍医だった探偵は良く知っている。

 人を助ける為の技術と知識を、人殺しに使っているのだから酷い話だけれど。

 

「これで3回」

 

 首が折れ、顔面が潰れた死体を見遣る。

 最初の銃撃で1回を加えてこれで3回殺した。

 1人の人間を殺した回数が1以上になるのは憂鬱になるが、しかしこの場合において相手は人間ではなかった。

 

「ヘヘヘヘェイミィッシュくぅぅんッッ!!」

 

 探偵の名を叫びながら悪役が跳ね起きた。

 首は既に修復され、顔面の傷も修復が始まっている。

 脳へのダメージのせいで若干言葉が怪しかったし、足取りも数歩揺れていたがそれもすぐに正常なものに。

 

「……気持ち悪いなぁ」

 

 直視して見れば逆再生のように傷が塞がっていく。

 流れた血はそのままだが傷を肉が埋めていくのは凄惨な光景だった。

 

「そうは言うなよヘイミッシュ君! 君だって同じことができるだろう!」

 

 哄笑を上げながら悪役は抱きしめる様に探偵に迫る。

 今度は左フック。

 当然ストレートより素早く、夜の空気を裂くように探偵の顔へ。

 探偵はただ、膝を落とし頭を下げて避ける。

 ボクシングにおける体でU字を描いて回避するウィービングの動きだ。

 僅かにフックが顔を掠め、耳が少し裂けて血が舞う。

 悪役の懐に潜り込むように右半身を押し出し、その勢いのままに右肘を叩き込んだ。

 カウンターの肘撃ち。

 

「ぐっ……それは、ボクシングにはないはず……!」

 

「俺は別にボクサーじゃない」

 

 肘は正確に心臓の位置に打ち込んだ。

 悪役の方の勢いを利用しているために深く突き刺さり、肋骨を砕いた。

 右腕による反撃が発生するよりも先に、杖の持ち手を悪役の右踵に引っ掛ける。持ち手ごと救い上げる様に踵を蹴れば、悪役の体が引っこ抜かれるように後ろに倒れる。

 踵の真後ろへの足払いはボクシングではなく極東の武術のもの。

 

「―――4回目」

 

 倒れて行くスーツ姿の胸元を掴んで引き止め、ステッキの柄を左目に突き刺した。

 果物にナイフを突き刺すような動きだ。

 ず(・)ぶ(・)り(・)とど(・)ぼ(・)ん(・)が入り混じった濁った水音。

 眼球を潰し、引っこ抜けばゆっくりと倒れて行った。

 

「今のはちょっと汚いな」

 

 適当に柄を石畳に擦りつけて置く。

 ただし、視線は悪役から外さずに。

 

「酷いことを言うね、ヘイミッシュ君」

 

「……嫌になる」

 

 嘆息しつつ、起き上がる青年を注視する。

 正確には傷口をだ。

 潰れた左目はやはり逆再生を引き起こしながら修繕されていく。

 不死身の『超越者』。

 なるほど、その通りだ。

 急所を撃ち抜き、首を砕き、脳を傷つけ、眼球も潰した。

 なのに全ての傷は治っていく。

 治っていく傷に注視し、それの様を不快に思いながら目に焼き付け、

 

「――――!」

 

 ば(・)ぁ(・)ん(・)。

 

「っ……!」

 

 脇腹に灼熱。

 激痛に思わず崩れ落ちた。

 右の脇腹から血が溢れており、反射的に圧迫。

 そして見る。

 

「はっはっは、私も一応仕込んではいたんだよ」

 

 悪役の手には小さな銃。

 袖の中に仕込める小型の単発式だ。

 探偵が悪役の傷口に注視して、反応が遅れてしまった。

 

「だが……しかし、心臓を狙ったつもりなのだがね」

 

「っ…………銃口と、視線と……腕の角度を見れば射線は計算できる。ちょっと……気を取られ過ぎて、避けきれなかった、けど」

 

「ふふふ……さらりと凄いことを言ってくれるじゃないか」

 

 感心しつつ、悪役がふらりと立ち上がる。

 傷は修復し終えつつ、若干足取りが怪しいのは血を流し過ぎたからだろうか。

 それでも悪役は笑っていた。

 

「いやはや、見事な体術だ。私も結構齧ってるんだが、ここまで一方的にやられるとは。不死身になった所で死なないだけと実感したよ。この一件が終わった後、技術も鍛え直すとしよう。今はもっと、この逢瀬を楽しみたいが。さぁ、ヘイミッシュ君立ち給え。もう治っているだろう、それくらい」

 

「…………」

 

「…………ん?」

 

「…………っ、勝手なことを、言うなよ」

 

「…………………………………………待て」

 

 その瞬間。

 脇腹を抑え膝をついたノーマンを見て。

 初めてジム・アダムワースの顔色が変わった。

 目を見開き、眉をひそめる。

 それまでの芝居がかった仕草も消えていた。

 だって、彼には信じられないものだったから。

 

「ヘイミッシュ君」

 

「……なんだよ、うるさいな」

 

「――――何(・)故(・)傷(・)が(・)治(・)ら(・)な(・)い(・)?」

 

 ジムが示したのはノーマンの銃創だった。

 小口径の弾丸による小さい傷。

 人間にとってはそれでも十分致命傷だ。 

 しかし『超越者』にとって致命傷は意味を為さない。 

 死ぬだけでの傷を負っても数秒で回復するから。

 事実、ジムはそうだった。

 けれど、ノーマンは違う。

 

「うるさいな……そんな簡単に、傷が治るもんかよ……痛いよ、ほんと……っ」

 

「馬鹿な! 君は『超越者』のはずだ! そんなものはすぐに治る!」

 

「なら、俺(・)は(・)そ(・)の(・)『(・)超(・)越(・)者(・)』(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)っ(・)て(・)話(・)で(・)し(・)ょ(・)。そもそも俺は不死身じゃないし、君みたいな理不尽な身体能力もない」

 

 傷は治らない。

 そもそもさっきの攻防によるダメージも負っている。

 ストレートを絡め取った左腕は前腕あたりが折れている。

 フックで掠めた耳は裂けたまま。

 技巧により完璧なカウンターをして圧倒していたが、逆に言えばジムの二度の攻撃は明確な損傷を与えていた。

 当然、銃弾による傷も。

 ギリギリで致命傷は避けても失血は良くない。

 

「ふぅ……あぁ、全く。流石にこれをやせ我慢はね、きついよ」

 

「なら、さっき私の指摘に同意したのは―――」

 

「大体は、って答えただろ。実際大体合ってる。死にかけて、ハイディ博士に診てもらった。実際半年ごとに博士の所に行っている。そこまでは正解だ。ただ俺は『超越者』なんかじゃない」

 

「馬鹿な……」

 

 ふらりとジムが揺れる。

 青天の霹靂だった。

 同類だと思っていた相手はしかし違う。

 ただの人間だ。

 

「……ならば、その戦闘力も≪アンロウ≫を受け入れていることにも何の仕掛けもないと? いや……だが『残響共鳴』の影響を受けなかったことはどう説明する!?」

 

「さぁね、俺が知るかよ。効かなかったって結果があるだけだ」

 

 心を震わせる『残響共鳴』。

 確かにかつてノーマンには意味を為さなかった。

 多分、と彼は思う。

 あれは相手の心に左右する異能だ。

 そして、あの時ノーマンの心は壊れていた。

 響くものがなかった。

 だから効かなかった。

 きっとその程度の話なのだ。

 

「……ならば」

 

 口元に手を抑えてジムは震えていた。

 既に戦意は消え去っている。

 あるのは驚嘆だ。

 

「それでは―――――本(・)当(・)に(・)バ(・)ケ(・)モ(・)ノ(・)な(・)の(・)は(・)君(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)か(・)」

 

 ≪アンロウ≫とはなにがなんだか良く分からないものだ。

 条理を無視したもの。

 ただしそこには≪アンロウ≫なりの、それぞれの法則がある。

 だから異能として見た場合理解するのは難しくない。

 『潜伏者』も。

 『変貌者』も。

 『逸脱者』も。

 『歪曲者』も。

 人為的な≪アンロウ≫である『超越者』であっても。

 そこには異常であり異端であるだけの理由がある。

 

 けれど――――ノーマン・ヘイミッシュにはそれがない。

 

 人間なのに。

 普通なのに。

 みんなの中にいるはずなのに。

 異常の中で普通であり続け。

 普通でありながら異常を為す。

 それは、ある意味何よりもバケモノでは?

 法則無視(Un Law)の名探偵。 

 

「はっ……なんとまぁ複雑怪奇な街だ!」

 

 誰が本当に人間で、誰が本当にバケモノなのか。

 普通と異常がごちゃまぜになって城壁に押し込まれている。

 風は吹かず、淀んでいくだけ。

 それがバルディウムという街に他ならない。

 

「あぁ、全くだ」

 

 ノーマンはただ、苦笑しつつ立ち上がる。

 足取りはおぼつかなかったが、それでも。

 

「ヘイミッシュ君! あまり無理をするな、血を流し過ぎては死んでしまう!」

 

 お前が言うな、という話ではあるものの。

 それでもジムとしてもノーマンに死なれるのは困るのだ。

 ここで無理をして死んでほしくない。

 ジムの「どうして」はノーマンと遊びたいというものだから。

 気遣うように――実際彼は本当に、心の底からノーマンを心配して――歩み寄った。

 

「―――――知るかよ」

 

 だけどそれはノーマンにとっては関係なかった。

 ジムが近づき、手を伸ばせば触れられる距離になり一転。

 彼は瞬発した。

 獲物を狩る肉食動物のような動き。 

 自身の損傷を無視しして彼の背後に回り込み、

 

「!?」

 

 細剣を自分ごとジムの胸に突き刺した。

 柄が音を立てて転がっていた。

 クラレス・エアリィステップにプレゼントしたものと同じ。ロックウェル・ヴェインから託されたのは仕込み杖だった。

 ロックウェルが刃を創る≪アンロウ≫だからとか、そういう話ではない。

 肉を扱う彼は刃物を研ぐのが上手だから預けていただけ。

 人間がどうとか、≪アンロウ≫がどうとかどうでもいいのだ。

 大事なのはそこではないから。

 

「何を……しているのだヘイミッシュ君! 君にハグされるというのは悪くないが、剣を突き立てるとは! 私はともかく君は……!」

 

「急所はズラした。……まぁ君が変に動くとズレて大きな血管にあたりそうだけどね」

 

「っ……!」

 

 それを聞いてジムは動きを止める。

 動けば自分たちを貫く刃が臓腑や血管を傷つけるから。

 ジムは死ななくても、ノーマンをそれで死んでしまうから。

 彼はどこを傷つければ危なくて危なくないかを熟知している。

 だからジムは動けなかった。

 

「それに……別に無駄ってわけじゃない」

 

 一歩、ノーマンが前に出る。

 膝裏を押されてジムも同じ動きをした。

 

「君は確かにほぼ不死身みたいけど、ほ(・)ぼ(・)だ。傷が治っても血が戻るわけじゃない。関節は固いけど肉体構造は人間のまま」

 

 一歩、前へ。

 

「それに修復にも限界があるんじゃない? 最(・)初(・)の(・)傷(・)と(・)最(・)後(・)の(・)傷(・)だ(・)と(・)明(・)ら(・)か(・)に(・)最(・)後(・)の(・)方(・)が(・)治(・)る(・)の(・)に(・)時(・)間(・)が(・)掛(・)か(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)」

 

 ノーマンが銃弾を受けたのはそれが理由だ。

 眼球の傷を注視して時間を計っていた。

 だから避けきれなかった。

 一歩、前へ。

 

「本当に完全な不死身ならそこのズレはおかしい。つまり君の再生にも限度がある。その為のリソースは知らないけど、それが分かるなら十分だ」

 

「君は、そこまで考えて―――」

 

 一歩、前へ。

 ジムの口から血と共に感嘆の息が漏れた。

 名探偵の定義は様々あるだろうけど。

 些細な事実を見逃さず、真実を導きだすことが名探偵というのならば。

 間違いなくノーマン・ヘイミッシュは名探偵に相応しい。

 また一歩、前へ。

 

「―――ヘイミッシュ君」

 

 一歩。

 

「ヘイミッシュ君」

 

 一歩。

 

「ヘイミッシュ君!」

 

「うるさいな」

 

「君は、まさか!」

 

「そのまさかさ」

 

 さらにもう一歩前へ。

 そうすればもう、大鐘楼の端だった。 

 夜の街が一望できる。

 もう一歩進めばタワーから地面にまっしぐらだ。

 建設途中とはいえ、大地までの距離は120メートル近い。

 落ちれば、当然死ぬ。

 足元に広がるのは遠くの街並みとは対照的に漆黒の暗闇しかない。

 

「再生に限界がある。出血に意味もある。だったら、流石にこの高さ落ちれば君も死ぬんじゃないか?」

 

「だがそれは! 君も死ぬ! 私と心中する気か!?」

 

「……まぁ、そうなるね」

 

「―――――それはそれで面白いがね、ヘイミッシュ君」

 

 面白いのかよと、流石にここまでくればノーマンも苦笑した。

 ここまで来たのにノーマンが死ぬからと動いていないこの男はどうにも筋金入りだ。

 普通に気持ち悪い。

 

「どうしてそこまでする?」

 

「これくらいしないと止まらないだろう、君は」

 

「―――――どうして? いいのか? 君はそれで。君の愛しい人たちは」

 

 その「どうして」は手段(ハウダニット)に対してではない。

 動機(ホワイダニット)。

 

「―――」

 

 問われ、幻視する。

 シズク・ティアードロップを。

 エルティール・シリウスフレイムを。

 ロンズデー・エンハンスダイヤを。

 クラレス・エアリィステップを。

 失血による幻覚だろうか。

 彼女たちは止めろと叫んだ。

 そしてさらに問う。

 或いは頭の片隅で自分自身も問いかけてくる。

 ――――どうして?

 どうしてこんなことをするの?

 

「……はっ」

 

 小さくノーマンは笑った。

 そして呟く。

 ジム・アダムワースに対してではない。

 幻想でしかない彼女たちに。

 或いは、自分に。

 

 

「―――――簡単なことだよ(Elementary)、愛しい人(My Dears)」

 

 

 そんな言葉を零して。

 ご(・)う(・)と、風が吹いた。

 一歩踏み出すまでもない。

 あらゆるものが入り混じった混沌の街が。

 街を護ろうとする英雄の背中を押した。

 ノーマン・ヘイミッシュとジム・アダムワースは空に投げ出される。

 眼下の暗黒はまるで滝壺だ。

 夜にそびえる塔はさながら大きな滝のように。

 探偵と悪役は諸共に滝壺へと落ちて。

 物語の幕は下りたのだ。

 めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

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