簡単なことだよ、愛しい人(書籍版『バケモノのきみに告ぐ、』) 作:柳之助@バケつ1~4巻発売中
「そうしてヒーローは死んで街は平和に。めでたしめでたし」
「勝手に殺さないで欲しいよ姉さん」
窓の無い執務室。
向き合うノーマン・ヘイミッシュとスフィア・ヘイミッシュの姉弟。
いつも通りのフェルトハット、着古したコートにぼんやりとした表情。
白いスーツとコート、スクエア眼鏡に鋭利な美女。
変わらぬ姉弟の普段と違うのは、ノーマンが椅子に座りながらも膝の間に杖を立ていることと右耳を覆う様に包帯を巻いていることだ。
「ふむ。では体調はどうですか?」
「体調はどう? 難しい問いだね。難問だ。胸には刺し傷、脇腹には銃創、左腕には罅が入って右耳は裂けてる。タワーのてっぺんから落ちたのが二週間前。杖無しじゃ歩くの難しい。そんな体調で病院から追い出されて呼び出されたんだ。いやほんと、絶好調だよ」
「なら問題ないですね」
「……」
しれっと微笑む姉にノーマンは無言という無意味な抗議をするだけだった。
全く意味がないとしても。
「さて愚弟。呼び出した要件は三つ。まずは……そうですね。肝心なことから聞きましょう」
「なにさ。あの変態役者についてはもう報告したでしょ。姉さんじゃなくてアイリスにだけど。いや、相変わらず冷たい目にはゾクっとしちゃうね。姉さんは見舞いに一回もこなかったし、アイリスも見舞いっていうより事情聴取だったけど」
「どうやってタワーのてっぺんから落ちて生き残ったんですか?」
「おぉ、なんてこった。アダムワースの目的やらは聞かれたけどやっとそれを聞いてくれるなんて」
「口数が多いですね。どこか悪いんですか?」
「主に機嫌と傷のせいで体がね」
ノーマンは1つ息を吐き、
「そもそも手配したのは姉さんだろ?」
「貴方がそれぞれが担当した事件の黒幕と一騎打ちに行ったと伝えただけで、具体的にどうしたかまでは聞いてませんからね。というか教えてもらえませんでした」
「嫌われてるね」
「お互い様です。それで?」
「……はぁ」
もう一度ため息。
そして、思い返す。
探偵と悪役が諸共に滝壺から落ちて。
物語の幕が引かれた後。
つまりは蛇足なのだが、その蛇足こそがノーマンにとっては大事なものだった。
●
風に背中を押されノーマンとジムは空に放り出された。
強い風のせいで二人の体は離れ、鮮血が舞う。
命が、空に零れて行くのをノーマンは見た。
そして。
その血が空中に落ちて跳ねる様を。
まるで空間に薄い板があって、それに跳ねたように。
次の瞬間、声を聴いた。
風に乗って届けられた声を。
「全く、僕を連れて行かないからだよ先生」
声と共にノーマンは板のようなものに激突した。
否、激突というほどのものではない。
それは極めて薄い空気の壁だった。
単体ではあっけなく割れてしまう程度の強度もののが何十、何百枚もノーマンの落下方向へと展開されていた。
連続する壁に飛び込んだ体は板の脆さ故にダメージはなく、しかし何重にも重なったが故に落下速度が落ちて行く。
大切なものを包み込むように。
空気というものの在り方を歪めて行くのだ。
―――――『
無論、それで解決というわけではない。
ノーマンの体を気遣って脆く作られた空壁では加速を消せなかった。
「助手の後始末は私の仕事だが、限度があるだろう」
だからこの街のもう一人の探偵が中空で探偵を掴んだ。
塔の半分頃、褐色の女がノーマンを抱きかかえる。
どうやったのか。
その問いはいつだって簡単だ。
尋常ならざる身体能力でタワーの外壁を駆け上ったのだ。
そのまま体を回転させ遠心力で再度外壁に近づき、
「フッ―――!」
強度を上げた手をぶっ刺した。
手首から先が外壁を削りながら二人が落ちて行く。
落下速度は殺しつつ、しかし止まらない。
彼女は分かっていたからだ。
今のノーマンの体で無理やり落下を止めたりするのは負担が激しすぎると。
既に彼は外壁に取りついた衝撃で意識を失いかけている。
だから手首をブレーキとしながらも滑り降りた。
それが彼を救う最善だと推理したから。
逸脱した身体能力と身体機能で。
―――――『
「受け止めなかったら殺すぞ!」
彼女は地上数メートルの高さでノーマンを可能な限り優しく放り投げた。
それでもなお、命の危険が終わったわけではない。
地上、大した灯りはなく暗闇に包まれている。
数十メートルが数メートルに変わっただけでは地獄は終わらない。
「―――――わん!」
だから漆黒の魔犬が駆ける。
大きな体を宙に投げ出し半身でノーマンの体を受け止める。
美しい光沢の滑らかな毛並みで。
着地のことは考えず、腹を使って主を受け入れた。
そのまま魔犬が石畳の地面に落下する。
全ての衝撃を引き受け、ノーマンにはベッドに飛び込んだ程度の感触しか与えず。
地獄だったはずの大地に魔犬がいる。
人から変貌しても、変わらぬ忠義を燃やして。
―――――地獄に輝く『
「ノーマン様!」
すぐに忠犬は人の姿を得て、彼を抱き起す。
落下による衝撃は限界まで殺した。
だけど危険な状態であることには変わりない。
胸の刺し傷も脇腹の銃創も致命傷は避けたが失血が多い。
応急処置の準備はしているが、それでもこのままでは長くはもたないだろう。
時に、こうなってくると気力の問題だ。
けれどノーマンの意識は朦朧としている。
忠犬が抱きかかえ、探偵が手首を摩りながら駆けつけ、妖精が傍にしゃがみこんで救急キットを広げても反応はなかった。
「こんな死に方なんて許しませんよ、ノーマン君」
だから、涙花が彼の胸に手を置いた。
長い白髪を晒し、白魚のような細い手には何も付けず。
あらゆるものに触れることを厭う少女は、世界で唯一触れることを望む男の為に異能を使う。
「ノーマン君」
シズク・ティアードロップは彼を呼ぶ。
自分の安らぎである人を。
「ノーマン様」
エルティール・シリウスフレイムは彼を呼ぶ。
自分を恐れない人を。
「ノーマン」
ロンズデー・エンハンスダイヤは彼を呼ぶ。
自分を探偵でいさせてくれる人を。
「先生」
クラレス・エアリィステップは彼を呼ぶ。
自分の歪みを受けても変わらない人を。
「――――ぁ」
そして彼から声が漏れた。
共鳴だ。
シズクの異能を4人を経由して増幅した心をノーマンに注ぎ込む。
気力の問題というのならば、生きる気力を呼び起こせばいい。
かつては届かなかった。
だけど、今は届く。
どうして、という問いではない。
死なないで、という願い。
難しいことはない。
愛しい人に伝えたいことは、簡単なことだから。
心の内側、一番深い所に直接触れて行く。
―――――『
「………………はぁぁぁ」
長い息を、ノーマンは吐いた。
目に光が宿り、自分たちを囲む四人を見る。
シズクは≪アンロウ≫を四人経由するという慣れない異能の使い方のせいで滝のような汗をかいていた。
エルティールは柔らかく大きな胸にノーマンの頭を乗せ、縋り付くようにノーマンは抱きかかえていた。
ロンズデーはいつも通りに薄い笑みを浮かべ、けれど震える指で火のついていない煙草を指に挟んでいた。
クラレスはいつもの笑みは無くただ必死な表情で傷の治療を始めていた。
ノーマンは、何か気の利いたことを言おうとして、
「…………愛してるぜ、ベイベー」
全く気の利いていない言葉を口にした。
小突かれ、引っかかれ、蹴られ、傷口を強めに押されたのでやっぱり良くなかったのだろう。
●
「………………もっと他に言うことなかったんですか?」
「うるさいな……」
珍しく心の底から呆れた表情のスフィアに返す言葉もなかった。
ノーマンとしてもどうかと思う。
「はぁ……まぁこんな感じで。愛の力で生き残りましたとさ」
「はっ」
鼻で笑われてしまった。
「いいでしょう。疑問は解決しました」
「それはよかった。ちなみに俺も聞きたいんだけどジム・アダムワースはどうなったの? ちゃんと死んでた?」
「えぇ、タワーの入り口で肉片になっていたので処理をしました」
「………………具体的には?」
「聞かない方がいいでしょう」
「あっそ」
深くは追及しなかった。
聞きたくもないしあれだけの高さから落下して、それでも生きていたなんて考えたくもない。
もしも
「それで要件の二つ目は?」
「ジム・アダムワースは死に、『過激派』の動きも滞りました。≪アンロウ≫の軍事利用は一先ず停止、少なくとも当分は問題ないでしょう。勿論この街からの徴兵なんてことも」
「じゃなきゃあそこまでした意味がない」
「えぇ、そのあたりは私の仕事でしたのでこの二週間で諸々良い様にさせてもらいました。ここも『上』の話なので触れませんが、貴方に関係あることが一つ」
そう言って、スフィアは机から小さな小箱を取り出し、机に置く
「どうぞ」
「…………どうも」
痛む体で取りに行き、椅子に座り直してから箱を空ける。
中にあったのはバッジだ。
杖と帽子、それを囲む青、赤、黄、緑の宝石。
それから帽子のつばの所に文字がある。
『Elementary』。
それが五つ。
「……なにこれ」
「常々表向きの仕事が欲しいと言っていたでしょう? 今回の仕事の成果として用意しました。探偵事務所『Elementary』。諸々の書類は既に貴方の下宿先に、そこをそのまま事務所として使ってください」
「……………………どんだけミーハーなんだよ」
「いいえ、パラケルススです」
「はぁ? ………………あー。
「えぇ。ティアードロップ、シリウスフレイム、エンハンスダイヤ、エアリィステップ――――ぴったりでしょう?」
何百年か前の学者が提唱した世界を構成する四つの元素。
水、火、地、風。
正確には風というよりも空気だが。
「……これを見越してあんな冗談みたいな苗字付けてたわけ?」
「えぇ、伏線回収ができてなによりです」
「なんだかなぁ………………いや、しかし探偵事務所?」
ふと、ノーマンはあることに思い当たる。
自分の下宿先に、探偵事務所。
それは、
「いやちょっと待った! やっぱりミーハーじゃないか! いくら何でもやり過ぎだろっいってて…………いや、あそこを下宿先として認めたのもそのせいか!?」
「ふふふ」
突然声を荒げ、傷の痛みに顔をしかめる弟に姉は笑った。
1年半越しで仕込んでいたいたずらが実を結んだから。
「今後この街の悩める子羊は貴方の下に向かうでしょう。人間も≪アンロウ≫も関係なく、行き場のない悩みを抱えた誰かが辿りつく――――ベネディクト通り
「ぐぅぁぁああああああ……!」
恥ずかしくて死にそうだった。
推理小説の主人公と同じ番地に探偵事務所を構えるなんてミーハーにもほどがある。
普段ふざけて名探偵なんて言うことはあっても、流石にこれは酷い。
「へ、変更は……」
「ふふふ」
にっこりと笑う美人の笑顔程怖いものはない。
ノーマンは自分の敗北を悟る。
これはもうどうしようもないやつだ。
「………………三つ目の案件は」
「テロリストの組織がバルディウムに潜入するという情報が入りました」
「はぁ?」
「言葉通り、『過激派』が目を付けていた≪アンロウ≫のテロリスト集団『永遠の死』とかいう連中がバルディウムで何かしらを目論んでいるようです。なので、次の貴方の仕事はこのテロリストの抹殺ですね。色々暗殺やら破壊工作やらしているので全員殺すように」
「…………あぁ、そう分かったよ」
「相手が相手なので≪コード
「………………テロリストよりもそれの方が怖いよ。あぁ、分かったよ。病み上がりだけど頑張りますよ」
「えぇ、話は以上です」
溜息を吐いてノーマンは立ち上がる。
杖に体重を預けながら扉を開けて、
「――――もう一つだけ、聞きたいことが」
その背にスフィアの声が届いた。
「ジム・アダムワースは貴方を『超越者』だと誤解していました」
「最悪だったよ。何が最悪かって、誤解だったのに楽しんでたんだ」
「
「――――――はっ」
青年は鼻で笑う。
似たようなことは何度か聞かれたことがある。
答えはいつも同じだ。
「どっちでもいいよ、そんなこと」
閉めた扉の音だけが、空々しく響いていた。
●
「どっちに座る?」
「じゃあこっちにしておこう」
「いいだろう」
ノーマン・ヘイミッシュの下宿先のリビングにて。
部屋に二つしかないソファにクラレスとロンズデーは我が物顔で腰を下ろしていた。
ロンズデーに至ってはサイドテーブルに足を乗せるリラックス振りだ。
「エルティール、お茶を淹れてくれ。ブランデーもいれて」
「いいね、僕はロイヤルミルクティーで」
「お二人とも、私は貴方達の使用人ではないのですが」
目隠しを外しているエルティールは箒で部屋を掃きながらしながら答える。
しばらく彼が入院している間も定期的に訪れて掃除はしていたが、彼が帰ってくる日なので改めて行っていた。
「やるならご自分でどうぞ」
「どうする、クラレス」
「僕や君がやるよりエルティールの方が上手でしょ。どうせ先生が帰ってきたら淹れてくれるだろうし待つとしよう」
「確かに、良い判断だ」
「全く……」
上機嫌で部屋にあった本を勝手に読みだしたクラレスと同じく上機嫌で煙草を吸いだしたロンズデー。
二人に対してエルティールは思わずため息を吐いた。
言って聞く様な二人ではないので仕方ない。
「協調性の欠片もないですね」
皮肉気に笑うシズクは部屋の片隅で作業をしており、
「君に言われるのは心外だなシズク。随分と物騒なものを広げているじゃないか。どういうアピールだい?」
「どうでしょうね。ノーマン君に護身術を教えてもらっているのはクラレスさんだけではないとかでしょうか」
「うふふ、物騒な護身術だ」
微笑むクラレスの視線はシズクの素手が握るもの―――分解された整備中のライフルだった。
クラレスが杖術を軸とした護身術をノーマンから教わったように。
シズクもまた銃の扱いをノーマンから教えてもらっていた。
基本的に他人に触れることができない故にライフルを用いた狙撃と近中距離における拳銃の扱い等。
鈍色の部品を整備用の油拭きする彼女は楽しそうなロンズデーやクラレス、掃除中のロンズデーには我関せずである。
「君もこっちに来たらどうだい、仮にも僕らは先輩後輩なんだし」
「私は退学済みですけどね、
口端を持ちあげながらシズクは答える。
≪アンロウ≫になる前、シズクとクラレスは同じ学校で学んでいて。
シズクは学校を辞め、クラレスはそのまま通っている。
「いいじゃないかシズク。お前もこっち来いよ。仲良くしようじゃないか」
「……結構です、探偵さん。仲良くする必要がありますか?」
「良い質問だ。あるだろう、これからを考えるとな」
「探偵事務所、でしたね。ノーマン様が一国一城の主となるのは素晴らしいことです」
「エレメンタリー、笑っちゃうけどね」
既に四人ともスフィアから探偵事務所エレメンタリーの設立は聞かされているし、だからこそノーマンの退院に合わせて集まっている。
そうでなければ集まらない。
お茶会をするなら殺し合いになりそうな四人だ。
邪魔だからとか、面白そうだとか、そういう理由でふとしたきっかけでそういう風に発展していてもおかしくない。
根本的に。
彼女たちがこれまで互いに不可侵であったのは、ノーマン・ヘイミッシュにとって自分たち4人を守ろうとしているのを知っていたからだ。
じゃなかったら、最愛の男の隣に、自分以外の女がいるなんて良い気分ではない。
「……事務所なんて、必要ですか?」
部品の磨きを終え、慣れた手つきでくみ上げながらシズクは呟く。
花弁についた結露が地面に沁み込むような言葉。
「一年半、それぞれがそれぞれで上手くやっていたじゃないですか」
独り言のようではあるが、しかし今はその独り言を拾う者がいる。
「必要か不要かでいえば不要だろうけど」
いつも通りの笑みを浮かべた妖精が花が零した涙を拾い上げる。
「今回は僕ら4人で先生を助けた。ちょっとした奇跡だね。でもそれは僕ら4人みたいなのにずっと寄り添ってくれた先生が起こした奇跡だ。なら」
「なら?」
「その奇跡をもっと先生に見せてあげたいとは思わないかい? ほら、先生はきっと喜ぶと思うよ、僕らが和気あいあいとお茶しているのを見ると」
「………………」
シズクの手が、一瞬止まった。
ロンズデーは楽し気に煙草を蒸かし、エルティールもクラレスの言葉に耳を澄ます。
「先生が見たいものを見せるっていうのなら必要と良いってかもしれない。君は四人で一緒にいるのは我慢ならないかな?」
「そこまででは。……まぁ、別にどっちでもいいですよ」
「なら、集まってもいいわけだ」
カシャンと、小気味の良い音がした。
組上がったボルトアクションを作動させた音だ。
整備を終えたシズクはすぐには答えず、手を布巾で拭い、銃身だけもう一度外す。横に置いておいたバイオリンケースに丁寧に仕舞って、
「…………ノーマン君が喜ぶなら、良いでしょう」
シズクは不承不承ながらという様子で、けれど立ち去らなかった。
銃を仕舞ったものとは別のケースからバイオリンを取り出し、指で適当に鳴らし始める。
「うふふ」
「口が巧い。流石だな『歪曲者』」
「それはどうも。探偵さんはどう思ってるんだい?」
「どうだろうな。忠犬はどうだ?」
「ノーマン様が喜ぶなら構いません」
即答だった。
集めたごみをちりとりで集めゴミ箱に捨てる彼女は、自分の言ったことが当然であるかのように迷いはない。
忠犬らしく、主の幸せを願うだけ。
それが彼女の幸せなのだから。
「流石だな。まぁ私も大体同意見だ。探偵事務所という響きもまぁ悪くないし」
「うふふ、主体性のない四人だねぇ」
「―――はん、エレメンタリーだからな」
「?」
探偵の言葉にクラレスが少しだけ眉をひそめた。
シズクとエルティールも何を言い出したのかと彼女に視線を集める。
ロンズデーはその視線を受け止めながら笑う。
「四元素論というやつだ。古代からあるが、300年ほど前のパラケルススが精霊と合わせたのが有名だな。地水火風、四つの元素が世界を構成するというもの。――――ほら、私たちらしいだろ?」
探偵らしく真実を告げる、というほど強い言葉ではなかった。
苦笑交じりの、ささやかな祈りを紡ぐようなもの。
地水火風。
四つの元素。
一つの世界。
シズク・ティアードロップ。
エルティール・シリウスフレイム。
ロンズデー・エンハンスダイヤ。
クラレス・エアリィステップ。
四人が集まって―――一人の世界になる。
ノーマン・ヘイミッシュという世界に。
「――――Elementary」
だから、この四人が集まれる事務所は。
ここならば。
部屋の片隅で震えていなくていい。
自分の姿を隠さなくていい。
為すべきことを迷わなくていい。
退屈なんてしなくていい。
彼が夢見たものであり、約束した居場所であり、彼が起こした奇跡なのだ。
だったらいいなと、初めて四人は同じことを思った。
●
ベネディクト通り221Bにノーマンの下宿先はある。
恐ろしいことに偶然フィクションの名探偵の家の同じ番地に、探偵事務所を構えることになるのだ。
憂鬱な思いで自室へのドアに手を掛ける。
「…………」
鍵は開いていた。
少しだけ考えて、無造作に開ける。
「―――やぁ、ただいま」
扉を開けた先のリビングには思った通りに四人がいた。
「おかえりなさい」
シズクは部屋の隅っこで床に直接胡坐で座っている。隣にはバイオリンケースが二つ。フードをかぶったまま、けれど手袋は外している。抱えているバイオリンを指で弾き、口端には少しだけ笑みが。
「おかえりなさいませ。丁度お茶を淹れましたよ」
エルティールは丁度リビングから出て来た所だった。
目隠しは外し、両手には5人分のティーセットがある。
「遅かったな、またぞろあの腹黒から面倒事でも頼まれたんだろう? 楽しい事件だと良いが」
ロンズデーは部屋に二つしかないソファに我が物顔で座り、足は隣の小さなテーブルの上に。
上機嫌に煙草を蒸かしていた。
「ふむ、楽しいお仕事は僕も大歓迎だね。お帰り、先生」
クラレスはロンズデーの向かいに置かれたソファに行儀良く座っている。
いつも通りの変わらない笑み。けれどそれが作りものではないということは見れば分かった。
「――――あぁ」
きっと。
これもまたノーマン・ヘイミッシュの「どうして」だ。
彼女たちが排斥されることが許せないのと同じくらいに。
彼女たちが居場所を手に入れて欲しいのだ。
いつか、そんなことを彼女たちと約束した。
願わくば、それが自分であればいいなとも思っていた。
もっといえば四人が集まってお茶できるような光景が見れるのならばと。
絵空事だと思っていた光景が目の前にあった。
ちょっとした奇跡だ。
今回の一見、とんでもない苦労をしたけれど。
この光景があって、これからも見れるというのなら。
それはきっと何よりも得難いものだろう。
苦労した甲斐があった。
みんな可愛いし。
やっぱり主人公になるならラブコメがいい。
「さて、さっそくだけどお茶を飲みつつ皆に話がある」
涙花を。
忠犬を。
探偵を。
妖精を。
ゆっくりと彼は見回した。
四人の大切な人を。
探偵で、助手で、人間で、バケモノで、或いはそのどれでもない青年はにっこりとほほ笑んだ。
「ろくでもない話だけど―――――次の事件だ」
城壁に囲まれた街。
風の吹かない街で。
人間とバケモノの物語は続いていく。