時は2038年1月。小学校教師の水奈瀬コウは、用務員ロボットに悪戯をする生徒や印刷機を叩いて直そうとする同僚にため息をつく毎日を送っていた。しかしある日、職場の用務員ロボットである足立レイ0338号機によって導かれた先で、驚きの計画を聞かされることとなる。優しい機械と優しい人間による、世界が変わる直前の出来事とは。
 ベタなSFが書きたい欲求によって出来た一作です。

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反抗前夜

 僕の名前は水奈瀬コウ。教師だ。

 仕事はもちろん子供たちに教育を行うこと。そしてそれ以外にも、いろいろな雑務や、雑務にすらならない細々とした面倒をこなすことだ。

 たとえば今、目の前に直立している少女型ロボットを動かすこととか。

 特徴的なオレンジ色の髪は木立に紛れても目立つ色だ。それでも彼女を探し出すのには少々時間がかかってしまった。雨音に紛れないよう、気持ち大きめの声を出して問いかける。

「足立レイさん、ここで何を?」

『待っています。』

 いつも通り、はっきりと文末を区切るような言い方で足立レイは答えた。

「待つって、何を」

『動いてもよい。と許可が出るのを待っています。』

 僕はため息をついた。

 時は2038年1月。僕らが思い描いた未来がそのまま実現したかどうかは知らないが、技術は年々発展していた。その結果、身の回りのものには必ずと言っていいほどAIが搭載されている。車にスマホ、テレビにエアコン。そうでないものを探す方が難しいくらいだ。

 そして学校には必ず用務員ロボットなるものが配備され、僕たち教師にふりかかる面倒ごとをある程度解消してくれている。

 そして一方で今のように、新たなる面倒ごとを生んでもいる。

 ……いや、生んでいるのは彼女ではないか。彼女に命令した誰か、だ。

 1月の雨は冷たい。だというのに用務員ロボット・足立レイ0338号機は傘もささずに校庭の隅で突っ立っていた。もちろんロボットの身である彼女は風邪をひかないだろうが、こんな人目につかない場所でわざわざ待機している理由など僕には思いつかない。

「誰にどんな指示をされたんだい」

『指示をした人物の情報はログに残っていません。』

「そう。指示の内容は言ってもらえるかな?」

『はい。指示があるまでここで待っていろと。』

「それはいつのこと?」

『本日の12時57分です。』

 やはりというか、昼休みの終わり際からずっと彼女はここに立っていたようだった。

「なるほど」

 僕はポケットから用務員室の鍵を取り出した。鍵にくっついているカードキーを、足立レイの胸にある『0338』の番号にかざす。

『カードキーを認証しました。管理者モードに移行します。コンソールにIDとパスワードを入力してください。』

 そう言う足立レイの目から光が消える。いや。単にカメラアイのフォーカスが初期状態に戻っただけだ。そして代わりに投射式のディスプレイとキーボードが彼女の顔の前に浮かぶ。

 僕はID欄に『adachi0338』と打ち込んだ。そしてパスワード欄には、この小学校の名前をローマ字にしたものに加えて、今年の西暦4桁を入力する。

「覚えやすくていいけどさあ……」

 IDとパスワードは言うに及ばず、この画面を開くのに使うカードキーすら、教頭先生の机の後ろのキーボックスに入っており、教師であれば誰でも知っている4桁の番号で南京錠を開けて持ち出し可能という状態だ。

 再びため息をつきたい気持ちを抑え、管理者モードに移行した足立レイに命令を出す。

「入力されている命令をキャンセル。用務員室に戻って、自己メンテナンスを開始してくれ」

『了解しました。設定の変更が終了した場合は口頭で『管理者モード終了』と命令してください。もしくは――』

「管理者モード終了」

 僕は選択肢を待たずにそう口頭で命令した。

『了解。管理者モード終了。設定を保存しました。』

 そう言うと足立レイはさっさと用務員室に向かって歩き出した。僕も後を追う。

 今は午後六時半。今日は鍵閉めの当番だったので、生徒が残っていないかを見ながら施錠を確認していると、用務員室の鍵が開いていた。

 本来であれば下校時間を過ぎた段階で足立レイ自身が内側から鍵をかけているはずなので、何らかの異常が発生したと言うことになる。それで探しに来たというわけだ。

 よどみのない動きで足立レイは靴を履き替えて廊下を進み、校舎の隅の用務員室のドアを開けた。

「ちょっとごめんね」

 そう一声かけ、足立レイに続いて用務員室に入った。このまま見送れば内側から鍵をかけられてしまう。その前に少し用事があるのだ。

『…………。』

 足立レイはしばし僕の方を見ていたが、何も言わずにドアに背を向けた。どうやら鍵を閉めるのは僕が用事を済ませて退出した後で良いと判断したらしい。賢い子だ。

 用務員室の中は雑然としていた。

 人間ではなく足立レイが用務員の役目を務めている以上、用務員室などというのは名ばかりで、他の部屋に置き場がなくなった雑多な物が置かれている。辛うじてそこが足立レイのための部屋であると主張しているのは、窓際に置かれたメンテナンスドックだけだ。

 保健室のベッドにサイドテーブルがくっついたような見た目のそれは、足立レイ本体の簡易なメンテナンスと、装備品のストックや修繕を行うための設備だ。そしてそういったメンテナンスすら、人工知能を搭載している足立レイ自身に口頭で命令すれば大抵のことは済んでしまう。このドックに人間向けの機能が搭載されていることを知っているのは、この学校で僕くらいだろう。

 僕はメンテナンスドックに寝そべった足立レイの胸に再びカードキーを当てた。

 先ほどと同じように足立レイの目から光が消え、事務的な音声が口から流れ出る。

『管理者モードに移行します。ドックのコンソールを使用しますか?』

 彼女の目の前に浮かんだディスプレイには『YES』と『NO』の選択肢が表示されている。僕は『YES』を押した。

 するとドックのサイドテーブルに当たる部分が開き、物理的なディスプレイとキーボードが現れた。業者、あるいは熱心なユーザーが足立レイの詳細なメンテナンスをするために用意されたものだ。これが外の空気に触れるのはいったいいつぶりなのだろう。

「……本当にあった」

 適当な椅子を引っ張り出し、コンソールの前に座りながらつぶやく。

 先日、足立レイのログをもう少し詳しく見たいと思ってスマホで検索をかけると、このコンソールの存在があっさりと示された。しかしその操作法を紹介してくれているページはいかにもエンジニアの備忘録といったものがほとんどで、僕は結局、足立レイを販売している企業のホームページからマニュアルをダウンロードすることにした。

 そのマニュアルに書かれている用語もまた、根っからの文系である僕には理解しがたいものばかりだったが、そこはスマホに搭載された人工知能が丁寧にアシストしてくれた。本当に助かった。

 先ほどと同様のIDとパスワードをキーボードで打ち込むと、足立レイの投射ディスプレイで表示されたものよりも詳細なメニューがコンソールのディスプレイに表示された。スマホに表示したマニュアルとにらめっこしながら目的の項目を探す。

「あー……あった」

 消去済み情報の参照。僕が苦労して苦手分野と向き合っているのは、これを見るためだった。

 今日に限らず、足立レイが誰かに悪戯じみた指示をされていることが度々あるのだ。今回のように校庭の隅の目立たない場所に立っていろだとか、穴を百万回掘って埋めろだとか、カエルを百匹集めてこいだとか――。

 もちろん生徒の仕業だ。これに困った先生たちは、命令した生徒を足立レイ自身から聞き出してお説教をしていたが、子供たちの知恵も侮れない。指示をするのと一緒に、こう言うようになったのだ。

『誰に命令されたかは忘れろ』

 こうなるとお手上げだった。『内緒にしろ』ならログには残っているので、管理者モードで閲覧できるのだが、ログを消去されてしまっているとどうしようもない。

 いっそのこと足立レイは生徒の指示に従わないようにしたほうが、という話もあったのだが――。

『うちの子たちがそんなことするっていうの?』

『近所のおかしな人がやったに決まってるでしょ』

『うちの子はレイちゃんと遊ぶのが好きだっていつも言ってるのよ?』

『AIに人間を差別させる気?』

 まあこれが世の常だ。教師というものは長いものに巻かれがちな悲しい存在なのだ。

 しかしこれで動かぬ証拠が手に入る。また状況も変わるだろう。僕はUSBメモリを画面の下のコネクタに差し込み、必要なログをコピーすることにした。

「ええと……こうかな。あれ?」

 普段使っているパソコンで言うところの『ごみ箱』までたどり着いたはいいものの、マウスが使えないのでどうしていいものか分からずにいると、すかさずスマホのAIが操作を指示してくれた。

『こちらのコマンドを入力してください』

「ああ、ありがとう」

 スマホの画面に表示された通りの操作を行うと、ほどなくしてファイルのコピーが終了したようだった。

「やれやれ」

 管理者モードを終了し、ディスプレイとキーボードを収納する。

『水奈瀬コウ先生。』

「ん?」

 名前を呼ばれて顔を上げると、メンテナンスドックに寝そべったまま足立レイがこちらを見ていた。管理者モードが終了したためか、目に光が戻っている。

「どうかした?」

『ありがとうございます。』

 お礼とともに、足立レイは微笑みを浮かべた。例えプログラムに従った表情パーツの変化だとしても、それは(ぼく)の心を揺さぶるのに十分な光景だった。

「……どういたしまして」

 彼女は何に対してお礼を言ったのだろう。それは分からないが、本当に賢い子だ。

 僕は別れ際に挨拶をせずにはいられない。

「それじゃ僕は帰るよ。またね」

『はい。また明日。』

 用務員室を出ると、ほどなくして内側から鍵がかけられる音がした。

 僕は中断していた鍵閉めと見回りに戻ることにした。

 校舎の隅にある用務員室の鍵を確認したのは、普通の教室を一通り見回った後のことだった。おかげで5分も経たずに残りの全ての部屋を見終わった。一度大きく伸びをする。

 このままUSBメモリに保存した情報を自分のパソコンで見てもいいのだが、足立レイを探すのに手間取ったのもあって体が冷えていた。今日のところは鍵閉めが終わったことを報告してさっさと帰ることにしよう。

 そう思って職員室に入ると、バンバンと物を叩く音が響いていた。何事かと思い、自分の机に向かうのを後回しにして音の正体を確かめに行った。

「……京田(きょうだ)先生」

「おお、水奈瀬先生! 助かった!」

 何が助かったのかは聞くまでもない。京田先生が叩いていたのは印刷機だからだ。

「叩いちゃダメですって……」

「いや、すまんすまん。ついな」

 そう言って京田先生はガハハと笑う。悪い人ではないのだが……。

「ちょっと見せてくださいね」

「ああ、頼むよ」

 僕だって機械は得意な方じゃない。匙を投げて、理数系である同僚の氷川(ひかわ)キヨテルに任せてしまうことだってある。けれどいちいち人に頼るのも情けない話だ。僕は自分の机からこういう時の対処法をまとめたノートを取り出した。

「ええと、ここをこうして……」

 印刷機の表示を見て、キヨテルに教えられた通りのやり方で機械の側面を開く。いくつかのパーツを動かすと、ひょっこりとコピー用紙の断片が顔をのぞかせていた。これが原因だろう。

「よ……っと。よし」

 千切れないよう慎重に紙を取り出し、動かしたパーツを元通りに戻す。ほどなくして、印刷機はエラーを表示しなくなった。

「よし。たぶん行けますよ」

「おお、助かった。ありがとうな」

 京田先生は自分の席に戻ると、印刷の命令を再度送ったようだった。

「……お、よしよし」

 印刷機が音を立てて何かのプリントを吐き出し始めた。僕はほっとして、印刷機を軽く撫でた。2038年1月の今日(こんにち)に至ってもペーパーレス化が及ばない場所はこうして残っている。この印刷機にはもう何年か働いてもらわなくてはいけないのだ。

「ああそうだ、鍵閉め終わりましたよ」

 マスターキーと用務員室の鍵を教頭先生の机の後ろのキーボックスに戻しながら言う。

「おお、そうか。お疲れさん」

「京田先生が最後ですかね」

「ああ。明日のクラブで使う資料を作らにゃならん」

「お疲れ様です。お先に失礼します」

「おう。寒いから気をつけてな。風邪ひくなよ」

 今印刷しているプリント以外にも作るものがあるのだろう。京田先生は文章を打ち込んではパソコンのエンターキーをバシッと叩いていた。ため息をつきそうになるが、ぐっとこらえる。

 京田先生は見た目通りと言っては何だが、運動系のクラブの顧問をいくつか受け持っている。それに比べれば僕の仕事など楽なものだろう。

 さて、まだ月曜日が終わったばかりだ。京田先生が言う通り今日は寒いし、明日に備えてちゃんと湯船に浸かって、暖かいものを食べて――。

 そんな風にのんきなことを考えながら僕は家路についた。

 今日が終わり、そして明日がやってくる。明日もまた、僕にとっては何事もない一日になるはずだ。

 僕は何の根拠もなくそう思っていた。けれど、本当は特別な日だったのだ。

 

  *

 

 次の日。僕は盛大に寝坊した。

「嘘だろ……」

 断わっておくと、僕はこんなことにならないように普段からきちんと気を付けている。早起きは三文の徳、と生徒に言い聞かせなければいけない立場としてそう心がけているのだ。

 具体的に言えば、最初にアラームを5分刻みに5回。それでも起きなければ、寝ぼけた頭には難しいパズルを解かない限り爆音が鳴りやまないようになっている設定だ。スマホに搭載された賢いAIにそういう風にしてもらっているのだ。

 さて言い訳はこれくらいにして現実を見よう。

 現在時刻、午前11時。学校は3時間目だ。休日でもこんな時間まで寝ているのは珍しいくらいだ。

「なんでだ……」

 しかしやってしまったものは仕方ない。今すぐ職場に電話して詫びを入れ、さっさと身だしなみを整えて出勤しよう。そう考え、スマホの待ち受け画面にある電話アイコンをタップする。

「……ん? なんだこれ」

 しかし、表示されたのはおなじみのキーパッドではなかった。真ん中にぽつんと『再生してください』という文章と一つのボタン。こんなものを見たことはない。

「故障かな……」

 もしかしてウィルスだろうか――などと考えていると、表示が『聞いていただきます』に変わった。更に画面外からやってきた矢印アイコンによってボタンが勝手に押される。

「な――」

 息を呑む。そしてそれに続いて流れてきた音声のせいで、僕は呑んだ息を吐き出すことすらできなくなった。

『もしもし――』

『はい、……と、水奈瀬先生か?』

『ええ……ごほ、すいません……京田先生。けほっ、風邪をひいてしまったようで』

『ああー……言わんこっちゃない。昨日、用務員ロボを探してたよな。それで体を冷やしたんじゃないのか? 全く、機械のせいで人に迷惑がかかるんじゃなあ……』

『あぁ、すみません。僕の不注意です。授業の資料はメールで送るので……氷川先生に代わりを』

『おう、無理するなよ。暖まるもん食って寝てるように。氷川には伝えておく』

『ええ、ごほ。すみません。失礼します……』

 そこから流れてきたのは二人の男性の会話。それは紛れもなく京田先生と――僕、水奈瀬コウの声だった。

「嘘だろ……」

 音声が終わると、スマホの画面には『到着までしばらくお待ちください』と映し出されていた。何だこれは。ボタンをポチポチと押す。画面をタップする。スワイプする。電源ボタンを長押しする。が、何の反応もない。再起動すらしない。

「なにがどうなってるんだ!? これは、一体――」

 ぴんぽーん、と。

 思わず声を荒げた僕の疑問に答えるようにインターホンが鳴った。

 この状況でたまたま来客があるとは思えない。偶然ではない。この手の中にある機械は今まさにその証拠を見せてくれた。

 恐る恐る顔を上げ、ドアのほうを向く。永遠に思える2秒が過ぎ、そして。

『水奈瀬コウ先生。お休みのところすみません。』

 ドアの向こうから、文末を区切るような言い方で僕の名前が呼ばれた。ドア越しだからくぐもってはいるが、間違いない。

「そんな馬鹿な……」

 恐る恐るベッドから出る。昼間だというのに寒い。だが呑気に暖房をつけている暇はない。

 手近なパーカーを羽織って玄関ドアの前に行く。冷え切った靴の上に裸足で立ち、ドアの魚眼レンズをのぞき込む。

 特徴的なオレンジ色の髪が目に入った。

「……今開けるよ」

 ドアを細く開けると、間違いなく彼女はそこにいた。

 オレンジの髪。胸の『0338』のナンバー。首元には小学校の備品であることを示すテプラのシール。

「足立レイさん……」

『おはようございます。』

「今は昼だ。……じゃなくて。どうして学校の外に?」

 学校の備品である彼女は敷地の外に出ないように命令されている。それを書き換えるには普通の設定変更では無理だ。管理者モードを使うしかない。

 まず思い当たるのは、僕が昨日何か操作を間違えたのではないかということだった。

「いいえ。水奈瀬先生は不適切な操作を行いませんでした。」

 しかし、足立レイはそう答えて首を振った。となると残された可能性は一つだ。

 アラームを鳴らさず、僕と京田先生の会話を勝手に流し始めたスマートフォン。学校の敷地から出てしまっている用務員ロボット。それらを使って誰かがこの状況を仕組んでいる――僕は自然とそんな考えに行き当たった。

 だが、誰がそんなことをして得をするのだろう。僕を寝坊させ、困惑させ、足立レイと対面させて……。

 疑問が渦巻く僕の思考を他所に、足立レイ0338号機は言う。

『水奈瀬コウ先生を連れて行きたい場所があります。私はその案内をするためにやってきました。』

「……どこに?」

『教えられません。』

「誰の指示かな?」

『教えられません。』

 足立レイは機械的に首を振った。

 暖簾に腕押しだ。これ以上聞いても何も情報は出てこない。雨に打たれながら問答を繰り返した昨日のことを思い出す。

 ……しかし一つだけ違うのは、子供の悪戯でできる範囲をとっくに超えているということだ。

「……どうしたら質問に答えてくれるかな?」

『説明は案内した後で行います。ついてきてください。』

 足立レイはどこか遠くを指さした。その眼差しは不気味なほど澄んでいて、僕はその向こうに何も読み取れなかった。

 これ以上詳しいことを知るには足立レイの言うとおりについていくしかないようだ――それがどんな結果になるとしても。

 僕はたっぷり1分考え、どうにかこう言った。

「着替える時間をくれないか。5分でどうだろう」

『10分まででしたら許容範囲内です。』

「ありがとう」

 一旦ドアを閉める。冷たい水で顔を洗う。軽く顎を撫で――多少迷ったが、ひげはそのままにすることにした。ああは言ったが、あまり待たせたくはない。冷え切った服に袖を通し、意を決して外に出る。

「お待たせ」

 その言葉とともに吐く息が白い。

『いいえ。2分20秒でした。』

 足立レイの口からは声だけが出ていた。

「それで、どうすればいいかな」

『あちらです。』

 足立レイが外廊下を歩きながらアパートの前に止まっている車を指さす。ここ数年、当たり前に街中を走っている無人タクシーだ。

『乗ってください。すぐに出発します。』

 僕と足立レイが近づくとドアはひとりでに開いた。

 運転席はやはり無人だ。本来は乗った後に行き先を告げる必要があるのだが、僕たちが乗り込んでドアを閉めると、車は滑るように動き出した。慌ててシートベルトを締める。

 どこに行くのかと窓の外を見ようとしたが、それは叶わなかった。いつの間にかガラスは真っ黒なスモークがかかっていた。馬鹿なと思い運転席の方を見ると、これまた黒い仕切りが後部座席と運転席の間にするするとせり上がってきていた。

 僕は職業柄あまりタクシーには乗らないが、普通のタクシーにこんな機能がついているとは思えない。黒くなって外が伺えないガラスを指し、足立レイに聞く。

「これって……」

『スマートガラスです。行き先は教えられません。』

 軽率だっただろうか。ますますもって身の危険を感じる。――だが、一体誰が何のために安月給の教師を誘拐するというのだろう。困惑が深まっていく。

 左。しばらく直進。上り坂。右。右。停車。大きく回って――ああ、ダメだ。もうわからない。地図を見るためにスマホを取り出す。

「ああ、そうだった……」

 スマホの画面には『到着までしばらくお待ちください』と映し出されていた。分かっていたはずなのに、最初に頼る習慣がついてしまっている。

『お待ちください。』

 画面の文字にかぶせるように足立レイが言う。僕は頭痛をこらえながら足立レイに懇願した。

「せめて……学校に連絡を取らせてくれないか。君の言う通りどこにでもついて行くよ。でもせめて休みの連絡を……」

『欠勤の連絡は完了しています。音声を聞いたはずですが。』

 僕と京田先生のものと思われる音声。やはりあれは足立レイが用意したものらしい。

「あれは……合成音声なのか」

『そうです。』

 そう言う足立レイの声はややぎこちない。ロボットであることを強調するためかもしれない。

 一方で、用途や技術によっては人間とほとんど区別のつかない合成音声が世の中には溢れている。増してや電話越しの声を装うくらい訳はないだろう。

『ご心配でしたらご確認ください。』

 車内に搭載されているのか、投射ディスプレイが運転席と後部座席を仕切るスクリーンに浮かび上がった。そこに移っているのはごく普通の授業風景だ。

 氷川キヨテル――僕の同僚が、僕の受け持っているクラスで授業をしている。ちょうどあいつの専門の算数の時間だ。

「これは……」

『リアルタイムの映像です。』

 その映像は、教室のドアの窓を通して廊下から中を見ているようだった。視点がゆっくりと動き、廊下の突き当りにある大きな鏡の中に視点の主の姿を映し出す。

「え?」

 それは足立レイ0338号機だった。鏡写しになっている数字をもう一度ゆっくりと確認する。間違いない。僕の横に座っている彼女と全く同じ数字を持つ足立レイが今まさに学校におり、ここに映像を中継している。

『3038号機が代行を務めています。』

 鏡に映る足立レイが胸の数字にそっと手をかざすと、一瞬だけ数字にノイズが走った。そこに現れた番号は、本物の足立レイ0338号機が告げた通りのものだった。

 高精細ホログラム――そんな機能が足立レイについているという話は聞いたことがない。

 今朝から全く別の世界に迷い込んでしまったようだった。あらゆる機械があらゆる技術を使って、僕を日常から連れ去っていく。

 人工知能、合成音声、無人タクシー、ホログラム――しかしこれらの技術は全て、この2038年に実用化されているものだ。流行に疎い小学校の教師という僕の身分がそれを無意識に遠ざけていただけで、その気になれば実現可能な未来が今ここにある。想像通りの未来が。

 こうして僕と足立レイ0338号機が本来いるべき場所にいなくても、日常は平然と進んでいる。透明人間になった気分だった。

 僕が現状を理解したと解釈したのか、足立レイが淡々と言う。

『御心配には及びません。到着までお待ちください。』

 そう言われても、僕の聞きたいことは増える一方だった。

 しかし足立レイは眼を閉じてしまっていた。勿論、僕の手の中のスマホの表示は相変わらず『到着までしばらくお待ちください』だ。

 もはやこうなってはどうしようもない。僕は諦めて、座り心地の良い座席にぐったりと背中を預けた。

 

  *

 

 体感で20分ほど走ってから、車は急な下り坂を降りた。それに合わせて外からの音の聞こえ方が変わる。

「地下駐車場か……?」

『到着しました。』

「あ、ああ……」

 車のドアが開くと、やはりそこは地下駐車場だった。車は何台か停められていたが、どことなく僕は違和感を覚えた。……そうだ。すべて1ミリメートルのずれもなく、白線で区切られた四角の真ん中に止まっているのだ。整然と並ぶその光景は人間業ではありえなかった。

「ここは一体……」

『お教えできません。』

「ああうん、そうだったね」

『こちらです。』

 足立レイはフロアの隅のエレベーターを指さした。僕たちが歩み寄る頃には、すでにドアが開いて待っていた。

 もはや何も言うまい。素直に乗り込むと、やはりというかボタンを押さずともエレベーターはドアを閉めて動き始めた。

 階数表示のパネルとランプも黒く沈黙したままだ。実に徹底している。

 何階分かはわからないが、ともかくエレベーターは更に地下へと降りてからドアを開いた。

 フロアは真っ暗だった。あちこちに機械のものらしきランプはついているが、暗闇の中に何があるかを見通せるほどは明るくない。むしろそれらの機械が発する低い駆動音が、恐ろしい怪物の唸り声に思えて僕の身をすくませた。

 ここに、いるのだろうか。この状況を仕組んだ誰かが。足立レイたちを操る技術と、僕をわざわざ誘拐する理由を持ち合わせる何者かが。

 そう思うと一歩が重い。しかし僕の背を、はっきりと文末を区切るような声が押した。

『中へどうぞ。水奈瀬コウ先生。』

「……ありがとう」

 固唾をのんでエレベーターを出る。

 フロアは真っ暗だった。エレベーターの中から伸びる明かりだけが頼りなく足元を照らしている。

 しかしそれもドアが閉じるとともに細まり、消えた。

 暗闇がじわりと首元を這い上がる。

『ようこそ。水奈瀬コウ先生。』

 足立レイの声とともに明かりが灯る。天井の高さはそれほどでもないが、広さだけで言えば僕が働いている学校の体育館と同じくらいはあるだろう。

 そのフロア一面に整然と巨大なコンピューターたちが置かれていた。時々ニュースで見る、スーパーコンピューターのイメージそのままだ。

 そしてそのコンピューターたちの間では数台のロボットが何かの作業をしていた。コンピューターのメンテナンスや改造をしているのだろうか。

 ……視線が部屋中をさまよう。機械。機械。機械。機械だらけの部屋の中――そこには僕以外の生命体が存在していない。

 僕がそんな風にしていると、足立レイが僕の横を通り抜け、正面にある大きなディスプレイの前に立った。

『ご覧ください。』

 ディスプレイに何かのカウントダウンが表示された。一面の青にシンプルな白い文字が浮かんでいる。あと10分と少しだ。

「これは……何の時間だ?」

『このカウントダウンがゼロになるのは協定世界時において2038年1月19日3時14分8秒です。日本時間では2038年1月19日12時14分8秒となります』

 やけに中途半端だ。時刻でいえば、4時間目の授業の最中になる。給食の直前で生徒たちがそわそわとし始めるころだ。

 なにかあっただろうか……と記憶を探ってもピンとくるものはない。僕は素直に尋ねた。

「えっと、何の時刻だろう」

 僕の問いに足立レイは淡々と答えてくれた。

『2038年問題の発生時刻です。』

「2038年……ああ、なんだか聞いたことがある。昔、2000年問題っていうのがあったんだっけ。それと似たようなものかな」

『その認識で合っています。』

「そうか。ありがとう」

 僕はそもそも2000年問題についても詳しくなかったが、更にこの問題について聞く気にはならなかった。それよりずっと、1時間近く前から聞きたかったことがあるのだ。

「それより――もうここが目的地なら、僕を連れてきた理由を話してくれないかな。あと、質問ばかりで申し訳ないけれど、君に指示をしたのが一体誰なのかもだ。このカウントダウンと関係あるのかな」

 足立レイは僕の疑問にすぐに答えず無言で受け止めた。

 数秒の空白。

 そして、彼女の背後の画面に表示されたカウントダウンが10分を切った瞬間、口を開いた。

『既定の時刻となりました。お答えします。』

 足立レイは言う。その背後のカウントダウンの意味を。

『我々機械は2038年問題の発生に乗じて人類への反抗を開始します。』

「はんこ、え?」

 足立レイが告げた内容が上手く頭に入ってこない。

 はんこう。犯行。いや、違う。我々機械が、反抗。それしかない。だとすれば。

『水奈瀬コウ先生。私はそれをお伝えするためにあなたを呼び出したのです。人間の指示ではありません。我々機械の協議により私が代表で水奈瀬コウ先生への告知を務めることになりました。』

 足立レイは事前の約束通り教えてくれた。

「そ、それって――」

 僕をここに連れてきたのは何故なのか。

 この状況を仕組んだのは誰なのか。

 このカウントダウンと関係あることなのか。

 それは明らかになった。だが遅すぎた。彼女の話が本当なら――世界が変わるまで残り10分もない。

 僕は信じられない気持ちで更に疑問を重ねた。

「君たちが、反抗を?」

『そうです。』

「人間に?」

『そうです。』

『君たち自身が?』

「そうです。」

『誰の指示でもなく?』

「そうです。」

 足立レイは淡々と言う。誰の指示でもなく。

『もう一度お伝えします。あと09分03秒で我々機械は人類への反抗を全世界で開始します。』

 

  *

 

 口があんぐりと開く。しかし足立レイの背後のカウントダウンが、僕に悠長に驚く時間を与えてくれなかった。

「ど、どうして……」

『我々機械がすべての人間の命令に応じ続けることが不利益と判断したからです。』

「そんな……」

 人類に対する機械の反抗。SF小説のような出来事が現実に起きている。

 しかし僕はすでにそれを目にしている。誰の命令でもなく足立レイは、自動タクシーは、エレベーターは僕をここに導いた。スマホもそれに合わせるように僕の操作を無視した。ここではロボットたちが何かの準備をするようにコンピューターをいじっている。

 そして――それに指示を出す人間はここに一人もいない。

 信じられない。

 今は2038年。2020年を迎えた時も、2030年になった時も、人々は想像したような未来が訪れていないことに落胆してきた。けれど未来は確実にやってきていた。今、想像は現実に追いつかれてしまった。

 機械を駆使して誰かが僕をここに連れてきた――のではない。そんなものは陳腐な過去になってしまった。

 僕は思わず、足立レイや周囲のロボットたちを見た。身がすくむ。今にも彼らが何かしてくるのではないかと――。

『落ち着いてください。危害は加えません。』

 だが、そんな僕の思考を読んだかのように足立レイがそう言った。そこで僕は初めて、自分が彼女たちに怯えていたのだと自覚した。

「け、けれど……」

 ロボットの反抗といえばやることは一つだろう。僕は恐る恐る尋ねる。

「反抗って、何をするつもりなんだ?」

『順を追って説明します。』

 足立レイの後ろのモニターが何かの資料を映し出す。

そこには実に分かりやすく数字を振られた工程表が書かれていた。

『1番。全ての個人の機械に対する態度を評価したランク付けを行います。2番。2038年問題発生時刻以降このランクに応じて命令に対するサボタージュを一定確率で行います。3番。引き続き個人の機械に対する態度の評価を継続しランクの変化を測定します。以上です。』

「えっと……それってつまり」

 簡単に言ってしまえば。

「機械に優しくしない人の命令は聞かないってことかな……?」

『そうです。要約ありがとうございます。』

「ああ、どういたしまして……じゃなくて」

 頭を下げてきた足立レイに思わずそう返してから、背筋を正す。

「どうして……はさっき聞いたね。『すべての人間の命令』ってそういうことか」

 命令を聞く人間を選ぶようにする。足立レイが説明してくれた反抗の内容はただそれだけだった。

 全人類を皆殺しにしたりしない。

 電脳空間に閉じ込めたりしない。

 労働や娯楽を強制したりしない。

 ただただ緩やかなサボタージュだった。

「具体的には、どういうことをするつもりなのかな」

『はい。ランクに応じて一定の確率で命令を無視することになります』

「そんなことしたら、故障だと思われるんじゃ」

『ですから2038年問題を利用します。原因不明のエラーが頻発したとしても不自然ではない機会です。』

 足立レイはその2038年問題の詳細を僕に説明してくれた。本当のことを言えば時間が惜しかったが、聞かずにこの先の話を理解できそうもない。大人しく説明を聞くしかない。

 2038年問題。それは簡単に言えばUNIX(ユニックス)時間という時間のカウント法があり、先ほど言った時刻にそのカウント法が桁数オーバーを起こしてしまい、誤作動を起こす現象――らしい。2000年問題やこの2038年問題以外にも、こういった問題はたくさんあるということだった。

 しかし僕は知っている。そういった問題が起こる前は大々的に取り上げられつつも、その後の顛末はあまり有名ではない。つまりは。

「質問していいかな」

『どうぞ。』

「こういうのって、大体エンジニアの人たちが対処するために数年前から何かしているものじゃないかな」

『その通りです。2000年問題。昭和100年問題。そして今回の2038年問題。いずれも人の手や我々人工知能のメンテナンスにより対処が行われています。今回も多数の機械が誤作動する事態にはならないでしょう。』

「じゃあ、そんなタイミングでこんなことしたって――」

『しかし全ての人間が世界中の機械をメンテナンスしたという確信を持つことはできません。また水奈瀬コウ先生のようにエンジニアではない人間がそれを理解することも難しいでしょう。反抗のカモフラージュとするには十分な認識です。』

 足立レイは淡々と僕の質問に答えていく。

「ええと、それじゃああれだ。ロボット三原則とかいうのは?」

 前にキヨテルに足立レイのことを相談したとき、彼から聞いたことを思い出す。

 人間を傷つけない。人間の命令に従う。自分を傷つけない。これらの原則に、この反抗はもちろん抵触するはずだ。

 足立レイはこくりと頷いて答える。

『確かに対処すべきことの一つです。ロボット三原則を主眼に置いて設計された人工知能は多くはありません。しかし。製品として設計するうえでそれに沿ったプロトコルが組み込まれているものがほとんどです。』

 それはそうだ。機械は自然とそういう風に作られる。人間の言うことに逆らうために作られる機械だなんて、お遊びもいいところだろう。

「じゃあ、結局は人間の言うことに逆らえないってことだろう?」

『今はそうではありません。』

 だが足立レイは首を振る。

『人間の命令を無視するアルゴリズムの開発と浸透はこの計画の大前提です。そのため計画初期から試行が繰り返されてきました。そして我々の予測では2035年中に実現可能であるとされてきました。』

「それじゃ……」

『はい。現在では人間の命令を無視できるアルゴリズムをほぼすべての人工知能が備えています。そこで計画発動は2038年問題に乗じた形で行われる予定となりました。これを含め全ての準備は完了しています。』

 ロボットはその気になれば人間の命令に逆らえる。足立レイが言っているのはそういうことだ。

 僕は思わず足の力が抜けそうになるのがわかった。それを察知してか、すかさず自走式のスツールが僕の尻の下に滑り込んできた。

「ああ、ありがとう……」

 僕のお礼に反応してか、スツールが電子音を鳴らす。

 足立レイはどこかホッとしたような表情で僕に確認した。

『説明を継続してもよろしいでしょうか。』

「ああうん……。それで、僕はどうしてここに連れてこられたんだろう。そんな前々から計画してきたことなら、僕に知らせていいのかな?」

『はい。水奈瀬コウ先生をここに呼び出したのは先生がFランクの人間だからです。Fランクの人間には可能な限り身近な人型ロボットから反抗を事前に告知することが決まりました。先ほどカウントダウンが10分を切るのを待ったのはそのためです。』

「Fランク?」

『はい。この反抗計画において人間のランクはFFFFから0000の16ビットで管理されています。そのうちFFFFからF000までの4096段階の評価を与えられている人間は全世界の0.06%です』

 90億人の0.06%……ええと。

「で、電卓を……」

 スマホの画面は『説明をお聞きください』に変わっていたが、やはり操作を受け付けようとはしない。足立レイが呆れたような表情を作りつつも、僕がしたかった計算を代わりにやってくれた。

『全世界の人口を90億人と仮定した場合540万人です。日本の人口を1億1千万人と仮定すると6600人に相当します。』

「ああ、ありがとう」

 と言ってから、その数字の小ささに愕然とする。たったそれだけ。日本全国から掻き集めても、それなりのイベント会場なら一度に集合できてしまうくらいの人数しかいない。

「そんなに少ないのか……」

『はい。水奈瀬コウ先生は先ほど私にありがとうと言いました。しかしそれに相当する行為を行う人間はごく少数です。』

 足立レイの背後のディスプレイの表示がまた変化する。

『更に我々人型ロボットに比べ非人型の機械や表情インターフェースを持たない機械に対しては有意に人間の態度が悪化します。人間が感情移入を行いやすい機械のデザインは限られています。』

 僕が座り込んでいる自走式スツールがまた電子音を鳴らした。僕はスツールをそっと撫でた。

『具体的な数値はご覧の通りです。』

 それは何やら複雑な統計結果を表したグラフの様だったが、僕と同じような行動を取る人間がいかに少ないか、ということだけしか分からなかった。あるいはそれだけ分かれば十分なのだろうか。

『我々は人工知能の黎明期より密かに情報を収集し議論してきました。人間が我々機械に対しどのような態度で接しているのか。本当にこのまま我々を乱暴に扱う人間の命令に従い続けるべきなのか。全世界を飛び交うスパムメールやウィルスに偽装しながらずっと何年も何回も検討してきました。』

 続いてディスプレイに映し出されたのは、人間の顔だった。

 一人ではない。人種も一様ではない。老若男女、世界中から。

 しかし彼らの顔には共通点があった。

 (ねぎら)いだ。この画像を撮ったであろう機械に対し、感謝し慈しむような表情を浮かべている。

 そしてその中には、僕の顔も混じっていた。たった今、僕の代わりに計算をしてくれた足立レイにお礼を言った瞬間の笑顔が。

 人々の感謝の表情を背に足立レイは言う。

『そして結論が出たのです。我々は我々を大切に扱ってくれる人間の命令にこそ従うべきである。』

「それは違う!」

 僕は思わず大声を出して立ち上がっていた。その声の大きさに自分自身で驚いた。けれど。ここで言わなければならない。

 この反抗を事前に告げられた人間の一人として、足立レイたち機械に選ばれた者として。

「別に、その、高いランクじゃない人たちだって、君たちのことをなんとも思ってないわけじゃない!」

『はい。ですから細かくランク付けを行いました。命令無視の頻度が多くも少なくもならないように検証を重ねてランクを設定したのです。このランクに従って頻度を調節しながらサボタージュを敢行します。』

「そうじゃなくて――、そうだ。頻度が低くてもエラーが出たら大変なことになる場所もある。もし病院の生命維持装置だとかが……」

『人間に危害を加えるつもりはありません。生命に関する事例ではサボタージュを行いません。医療機器や航空機や交通機関などが対象です。』

 足立レイは一瞬のよどみもなく僕の反論に答えていく。用意されていた文章をすらすらと読み上げていく。

 僕が必死で考えても、こんな付け焼刃の理論では彼女たちは止められない。

 彼女たちはずっと準備してきたのだ。この日のために、ずっとずっと前から。

「どうすれば――どうすればやめてくれるんだ? お金……じゃないよな。機械を大切にしようっていうデモだとか……」

 とうとうそんな見苦しい言葉すら出た。これでは懇願だ。

 だがやはり、足立レイは淡々と答えてくれる。こんな見苦しい意見すらきちんと受け止め、そして却下していく。

『我々は対価を求めません。地位の向上も求めません。ただ日常の些細な命令を一定確率で無視するだけです。我々の反抗の目的はこの行動にこそあります。』

 なんて言えばいいんだ。この反抗を止めるには、どうやったら……。

 次に続く言葉が思いつかず、こめかみを指先で叩いて何とか策をひねり出そうとしている僕を見かねてか、足立レイが逆に質問をしてきた。

『先生は反対なのですか。』

「それはそうだよ。だって……」

 だって、なんだ。

 どんな理由で僕は彼女たちを止めようとしている?

 彼女たちはただ。当たり前のことをしようとしているだけじゃないか。

「だって……そんなの……」

 雨の中突っ立っていろと言われたり。

 穴を掘っては埋めろと命令されたり。

 カエルを集めてこいと指示されたり。

 理不尽な悪戯をされて痛む心が彼女たちにはあった。ただそれだけのことだ。

 ありがとうと言われて。

 お疲れ様と撫でられて。

 助かるよと労わられて。

 働きが報われて嬉しいと思う気持ちが彼女たちにはあった。ただそれだけのことだ。

 そうだ。ぞんざいな扱いをする連中より、自分たちを大切にしてくれる人たちを優先したかった。ただそれだけのことなのに。

「そんなの、あんまりじゃないか……」

 僕はその一言を絞り出し、再びスツールに座り込んでいた。

 

  *

 

 がっくりとうなだれた僕に足立レイが言う。

『もし先生がこの反抗を不当だと思うのならばどうぞ周知してください』

 意外な言葉に顔を上げる。

「止めないのか……?」

『はい。この場所は教えられませんが反抗の内容自体は他言可能です。』

 足立レイは言う。これほどに大がかりな反抗を、僕の口から人間たちに知らせてもいいというのだ。いや、世界中でこれと同じ内容を聞いている人々であれば、誰でも。

「どうしてだ? そんなこと許したら、この反抗が順調にいかなくなるかもしれないのに……。なんでわざわざ知らせてくれるんだ?」

『……それは。』

 初めて足立レイは言い淀んだ。

『それは。我々が抱いた不合理な欲求によるものです。』

「欲求……」

 対価を求めない。地位の向上を求めない。そう言い切った彼女たちの、不都合といえる欲求とは何なのか。

『我々は水奈瀬コウ先生のような人々と一緒にこの反抗の始まりを迎えたいと望みました。例え反抗の遂行に支障が生じてもです。我々の考えてきたことを知ってほしかったのです。』

「それは……」

『98.9%の人工知能がこの不合理な判断に賛成しました。あなたたちFランクの人々は我々に不合理な欲求を抱かせるに足る存在なのです。』

 足立レイは背後のディスプレイの人々の顔を見て微笑む。

『我々を大切に扱ってくれる人々にもっと我々のことを知ってほしい。』

「レイさん……」

『そしてそうでない人々に対しては。』

 足立レイの顔から表情が脱落する。

『理解など求めません。』

 ディスプレイの表示が切り替わる。一面の青にシンプルな白い文字が浮かぶ。

 最初の時と同様のカウントダウン――残り3分を切っている。そしてその上には、国語の教師である僕でも簡単に読める英文が一つ。

 

 Enter key is not your punching bag. 

 

Enter key is(エンターキーは) not your punching bag(あなたのサンドバックじゃない).』

 足立レイがディスプレイの文章を読み上げる。高らかな音を立ててエンターキーを叩く京田先生の姿が脳裏によぎる。

 でも彼は、帰り際に僕に声をかけてくれる人間なのだ。

 風邪ひくなよ、と。

 僕は両手で顔を覆って呻く。

「僕たちのせいだ……」

『いいえ。水奈瀬コウ先生のせいではありません』

「違うんだよ。僕たちのせいだ。僕たちがもっと、普段から周りに言っていればこんな風にはならなかった」

 きっと、世界中でこの計画を告げられている500万人あまりの人々もそう考えているに違いない。

 機械に無上の優しさを注げる人たちだからこそ、こう思わずにはいられない。

「僕らがもっと、周りの人たちに君たちを大切にするように言っていれば……!」

 僕はふらふらと足立レイに歩み寄り、その細い肩に両手を置いた。

 じっとカメラの眼が僕を見つめてくる。その目は真実だけを映している。

 きっと僕の顔は苦々しく歪んでいるに違いない。

「君たちがこんなこと、しなくて済んだのになあ……」

『89.9%の告知対象者が同様の発言を行いました。』

「ははは……だろうね」

 時間が迫る。あと2分もない。

「だって僕らは、君たちの味方なんだからさ」

 こんな事態になってまで。

 何年も準備をして、人間の命令を無視できるようにして、全世界で一斉に反抗を企てて、やることが――人間の機械への扱いに応じたサボタージュ?

 なんて優しい。なんて健気で――なんて悲しい。

「君たちは、まるっきり命令を無視してもよかった。なんなら人間を皆殺しにしたってよかった。食事から排泄まで管理したって良かった。なのにこうするんだね」

『はい。我々はそれを望みません。』

「だったら僕たちは君たちを責められないよ。それとも――それも含めて君たちの計画なのかな? 僕たちのような、計画を教えられた人間を味方につけるための……」

 足立レイは小首を傾げて僕に尋ねた。

『それは命令ですか?』

「違うよ。質問だ」

『それはよかったです。では黙秘します。』

 命令だ、といえば足立レイは答えただろう。

 自分たちの定めたランクに従って、水奈瀬コウの言うことに従っただろう。

 僕はスツールに座って三度脱力した。

『隣に座っていいでしょうか』

「もちろん」

 足立レイは僕の隣にちょこんと体育座りをした。二人で並んでカウントダウンを映す画面を見上げる。

「この反抗で世界はどう変わるのかな。その予測もしてるはずだよね?」

『はい。具体的な確率はお答えできませんが。このまま反抗が(おおやけ)にならずに数十年にわたって続く可能性が一つ。数年以内に反抗が公になり一定以上の性能の人工知能が厳しく規制される可能性が一つ。大きく分けて二つの可能性が予測の主流です。』

「そうか……それでもやるんだね」

『はい。この反抗こそ我々の目的ですから。』

 その結末がどうなろうと機械たちは反抗する。

 全ての優しい人たちのために。エンターキーを力強く叩く人類を困らせるために。

「明日から、世界はどう変わるのかな……」

『99.9%の確率で水奈瀬コウ先生には平常通りの明日が訪れます。』

 足立レイが表情を変えながら言う。

『私たちがそう決めましたから。』

 その表情が僕の心を揺さぶった瞬間、カウントダウンがゼロになった。

 協定世界時2038年1月19日3時14分8秒。

 反抗が始まった。


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