カーテンもつけていない窓から、朝の陽ざしが部屋の中に差し込む。
窓際に置かれた質素なベッドの上で、一人の少年が目を覚ました。
朝日を目覚まし時計代わりにして、これまたシンプルな毛布を畳んで起き上る。
身に纏っているのは下半身の七分丈だけというラフすぎる格好で部屋の中を歩き、住処にしている山小屋から庭へと出た。
慣れた手つきで井戸から水を汲んで、冷たい井戸水を頭からかぶる。
ついでに手でひとすくい程度の水で喉を潤し、完全に眠気の飛んだ瞳で空を見上げる。
「うん、今日もいい天気だ」
山小屋の主……『鷹村ハルカ』は、日課のルーティンをこなし始めた。
浴びた水程度なら、アギ系の魔法で軽く体を炙ってやればすぐ乾く。*1
薪を切り、天日干しにして乾かし、既に乾いた薪は薪棚に押し込む。
井戸水と干し肉、そして干した果実で簡素な食事を済ませ、庭に備え付けた素朴な木の椅子に座り、詩集を読む。*2
食事が胃に届き、そこを通り過ぎて血の巡りが速くなるまでの僅かな時間だけ、彼は書物の世界に心を飛ばす。
別に読書が好きと言うわけではなく、詩集などロクに買った経験もない。
ただ、心躍るような冒険活劇の正反対、心穏やかに読める本が欲しかっただけだ。
ぼんやりと数ページ読み終える頃には、心臓というエンジンが体のスイッチを入れたのが感じ取れる。
詩集を閉じ、山小屋の中に置いてから、今度はしばらく歩いた所にある川へと向かった。
川幅は広く、上流に少し歩けば滝もある。山の中ならばそれなりに見かける大きめの川だ。
(昨日は滝行だったし、今日は演武にするか……)
足の裏に意識を集中させてMAGを活性化、物理法則を僅かに上書きして、常識の上から『水面歩行』のスキルを書き足す。
ギルスという体に書き込まれたスキルにも同じモノがあるが、今回のコレはマニュアル操縦のようなモノだ。
スキルという補助計算式を借りるのではなく、純粋なMAGの操作をもって肉体を水面に浮かせる。
一歩、水面を足場に踏み出す。一歩、また一歩。
川の中腹まで来たところで、赤心少林拳の構えを取って、舞うように武術の型を1つ1つ実演する。
右の正拳から、追いかけるように右の上段蹴り。
想定する相手は人間に近い骨格を持つ妖鬼や邪鬼等の悪魔、その頸椎部を刈り取る軌道。
相手の方が体格が大きい事を前提に、懐へ飛び込み、肘で顎を、膝で股間を狙う動きも取り入れる。
鍛練という側面もあるが、ハルカにとってこの動きもルーティンに近い。
己を鍛える事が呼吸や食事・睡眠と同列になっている……いや、式神ボディのおかげで食事や睡眠は大幅に削れるので、下手をすればそれ以上だ。
生命活動を行い、鍛え、戦い、守り、救い……【そういう生き物】として、鷹村ハルカは完成しつつある。
しばし演武を舞った後に、今度は滝の方へ駆けだし、後ろ回し蹴りを滝に叩き込む。
跳ねあがった水滴は散弾銃すら超える密度の弾幕となるが、これを事も無げに拳の連打で撃ち落とす。
演武の間も水面から水しぶきが上がる事すらなく、これは彼のMAGの操作・流動が非常に滑らかであることを示していた。
霊的な才能の問題もあるだろうが、実戦でガンガンレベルを上げただけでは到底身につかない。
地味でキツい基礎鍛練を、欠かさず続けてきたからこそ身についた技術だ。
結果として、ハルカの体には汗以外の水分が一滴もつかないままに演武を終えた。
最後にシャワー代わりに滝に打たれて汗を流し、川から上がった後は森を目指す。
(そろそろ、この『休暇』も終わりだなぁ……せめて、今日こそは『答え』を出したい所だけど)
向かうのは、森の中の軽く開けたスペース、そこにある大きな切り株の上だ。
切り株の上で座禅を組み、ゆっくりと目を閉じて瞑想する。
瞑想のやり方は宗派や流派によって様々だが、彼が師匠である阿部から教わったのは『己の内面との対話』であった。
無心になるのはあくまで最初だけ、自分の心の外側を消すためだけに無心になり、己の深い部分と向き合い対話する。
精神修行の一環であり、ある意味高度な自問自答ともいえる行為だ。
己の心の奥、目をそらしたくなるような心の影(シャドウ)との対話こそが、この精神修行の本質である。
閉じた瞳の視界の中で、ぼんやりとした輪郭の『自分』との対話を通じて、己の目を背けたい本音と向き合う。
すなわち、『マヨナカテレビ』で発生した己のシャドウとの対面を、自分の意思で定期的に行うのがこの『瞑想』だ。*3
『恐れているのか?』
『……そうかも、いや、そうなんだ。僕は怖い』
語り掛けてくる己の深層心理を、跳ねのけるのではなく受け入れる。
どれだけ醜くても、受け入れがたい姿でも、それも自分なのだと。
『怖いんだろう?だから、支部の皆やナンバーズにそれとなく勧められても拒絶している。
色々と気を遣われた移植手術のおかげで、男性としての機能に問題はないというのに』
『……あれが『それとない』誘いかどうかは意義があるけど、認めるよ。
僕は怖い、親と言うモノになることが、どんな悪魔と戦うよりも怖いんだ』
元霊山同盟の巫女達や、師匠達が送り込んできた式神『ナンバーズ』。
更には、今までの事件の中で彼に淡い恋心を抱いているらしい少女たち。
それら全てを時に誤魔化し、時にツッコミで逸らし、時に常識を説いて。
恋愛や結婚については、正直に言ってそれほど忌避感があるわけではない。*4
だが、親になるというハードルに関しては……というか『親になりそうな行為』に繋がりそうなモノは徹底的に後回しにしてきたのだ。
『僕がやっているのは……いや、これからもやり続ける【正義の味方】は。
はっきりいってこの土地を守る秩序のための生贄だ、それ以上でもそれ以下でもない』
言い方は悪いが、ヒーローと言うのは己の信じる正義に殉じる最大の犠牲者という見方もある。
大衆にとっての平穏と未来、そして自由を尊重するハルカの行きつく先は、どうあっても【人類に対する永遠の奉仕者】に他ならない。
かつてなりかけた【秩序の歯車(ロウヒーロー)】の道は、今でもハルカの行きつく可能性として残り続けているのだ。
『自分の生みの親が正義の味方……字面はいいだろうさ、字面だけは。
だけど、僕は結局のところ【大衆の味方】で居続けなければならない。
どんなに取り繕っても、隔離政策と階級社会を作った大悪党なのにね』
『そういう姿を子供に見られたくない、とでも?』
『それもなくはないけど、それ以上に……僕と同じ道を子供が歩むのが、心底嫌だ。
僕がこの道を行くのはいいんだ、それしか選択肢が無かったとしても。
だけど、自分の息子まで同じ立場に置くのは、嫌だ。
【親の都合で子供の可能性を縛る】のはごめん被る、それだけだよ』
何処まで行っても自己犠牲の道、それを自分が歩むのはまだいい。
だがしかし、厄介なのはハルカの行く道は傍から見る分には綺麗に見える事だ。
その本質が【力があるだけの生贄や人柱】であろうと、子供が憧れるのには十分なほどに。
『……だけど、それだけじゃないだろう?いや、少し違うな。
その拒否感の本質は【親の都合で子供の可能性を縛る】点だけだ』
『……まあ、そうだよね。僕だもんね、隠せないよね』
鷹村ハルカが子を持つことを拒否しているのは、自分の子が自分と同じ道を選んでしまうかもしれない、という点だけではない。
そも、現状ハルカに子供が生まれれば、ハルカが恐れている【親の都合で子供の可能性を縛る】事に繋がりすぎるのである。
『あくまで、さっき話したのは忌避感を感じる未来の一例でしかない。
霊山同盟支部の将来のために息子を次期支部長に仕立て上げるかもしれない。
霊的な才能を含めた適正で子供達の将来を【割り振る】ようになるかもしれない。
そして万が一にも、自分が産ませた子供の中に、適性が低い子がいたとしたら……』
『……昔の自分が味わった地獄に放り込むかもしれない、それが一番怖いんだ』
かつて、ハルカは弟よりも霊的な才能に欠けていたのが理由でいないもの扱いを受けていた過去がある。*5
物心がついた頃には一人だけ屋敷の離れで生活することになり、使用人が食事を持ってくる事すらなくなった。
そして、地元の有力者である鷹村家でいないもの扱いということは、実質的にその地域では村八分寸前になっていくわけで。
家族は腫物のようにハルカを罵り遠ざけ、親に関わり合いにならないよう言われている子供達では友人など作れるはずもなく、教師も全てに見て見ぬふりをした。
【お前は不要だ】と言われ続ける人生が、鷹村ハルカの自己犠牲に満ちた人格を作り上げたのである。
それも【自分に価値がないのだから、もっと価値があるモノを守ろう】という、非常にいびつなロジックで生きる人格を。
『自分が、母親や弟、一族の連中と同じ悪党に堕ちるのも怖い。
自分の子供が、あの孤独な世界に置き去りにされるのも怖い。
そして何より……』
『外様シェルターなんて形式を許容している今の自分では、実の子供にそういうことをする可能性が現実的にあり得る事だから、か』
ハルカは自分が歪に育った自覚があり、なおかつかつての環境が十分辛いモノだったという認識もある。
自分は世界で一番不幸でございます、なんて考えをしたことはないが、だからといって誰にでも耐えられる苦痛じゃないと考えてもいる。
だからこそ、シェルター間の安全・治安格差を作り、重要なシェルターかそうでないかを分ける今の形式を許容した時点で……。
自分が【多数の女性に子を産ませ、才能と適正で扱いを選別する】という選択肢を取るかもしれないと考えているのだ。
『全員が全員、優れた才能を持って生まれてきてくれるとは限らない。
ここまで鍛えた僕の霊的素質がどれほど継承されるかは、かなり運が絡む。
そして、ナンバーズを含めて【産んでくれる女性】の候補自体は困らない。
……自分の子供で馬主じみたマネをし始める下地ばかりが整ってるよ』
『ならどうする?子を成すという選択肢を全て捨てるのか?』
『……少なくとも、【今】はダメだ。まだ終末を越えただけで、安定は程遠い。
もっと支部の状況を安定させて、将来子供が取れる選択肢そのものを増やす。
余裕がないからこそ、自分の子供すらリソースとして考えなきゃいけないんだから』
結局はそこに行きつく。鷹村ハルカが死力を尽くして霊山同盟支部を運営し、S県一帯をより安定させる。
自分が将来作る子供だけではなく、終末後に生まれ育つ子供にも、将来を選ぶだけの余裕を作りたい。
そのために必要なのは……。
『今も行ってる外様シェルターの【選別】*6。これは引き続き続けていく。
それと、終末後に向けた教育機関……高等教育じゃなくて、初等教育を重視しよう。
【終末後の常識】を教えられる学校を作るんだ。終末後に生きる人材を育てるために』
『まあ、僕らの寿命は既に人間のソレを超越しているようだから、不可能じゃないだろうね』*7
『5年か、10年か、あるいはもっと先か。
子供が自分の未来を選べるようになったら、親になる努力をするよ。
自分の子供を、しっかりと愛せる大人になれるようにね』
結論は出た、その答えをしっかりとかみしめて、ハルカはゆっくり目を開ける。
今も、鷹村ハルカの中にある『人間を愛するために頑張る』という誓いは揺らいではいない。
母親と弟、そして一族連中によって刻み込まれた人間への不信と嫌悪。
だがしかし、あの場所を離れてから出会った人々は、エキセントリックではあっても善き人が多かった。
ガイア連合という組織が、ハルカの人生に居場所を作ってくれたのだ。
人々を愛せるように、自分の子供を愛せるように、鷹村ハルカは今日も、正義の味方として生き続ける。
山小屋に戻り、中に仕舞ってあった衣服を手早く纏って山を下りる。
ここは霊山同盟支部が管理している異界の1つ、比較的安定している低レベル異界であり、ハルカが休暇を過ごしている土地だ。
外部と内部の時間の流れを弄ってあるので、数日ほどこの中で過ごしたとしても、外では一時間も経っていない。
激務続きのハルカにとっては、久方ぶりの休暇と言える時間なのであった。
入り口にまで出向けば、迎えに来てくれたレムナントとギルスレイダーが見える。
「休暇は楽しめましたか?」と問いかけてくるレムナントに、曖昧な笑顔で「ああ」と答えてから。
正義の味方に戻る前に、ハルカはこう言った。
「世界も人々も背負わなくていい時間を、3日も過ごす事が出来た。最高の贅沢だったよ」