「私、ターニップが語らせていただきますのは、ただひたすらに空を目指した男の話にございます」
動物を模した物ではなく、野菜をくりぬいたような奇妙な仮面をつけた語り部は静かに、だがはっきりと通る声で話の始まりを告げると、その手に握ったイガ粉を目前の火へと投じる。一瞬、辺りが明るくなり火の粉が舞った。
エンザが空に魅せられたのは戦争の夜でした。エンジャ島が炎に包まれたあの夜、彼はまさにその場所に居合わせておりました。
行商人である父の供として輪界を渡り歩いていた彼でしたが、幸か不幸か、その日は王都イズーでの商売を終えた後、エンジャ島経由で第2輪界へと渡ろうとしていた途上であの惨劇に遭遇したのです。
早朝に発生した王子派の軍隊の王都突入により、王都へ援軍を送るために島中が慌ただしく動いておりました。最後の蒸気に乗せ、いよいよ援軍を乗せた船が出航しようという段になって、あの悪夢の船が突入してきたのです。
火焔の魔術師の船から放たれ、音もなく落下してくる炎の雨はまさに奇跡とも言うべき光景でした。無数の火の玉は夕闇を真昼のごとく照らし、王子派が未だ敗北していないことを示す狼煙となりました。数多くの悲劇を燃料とした忌まわしい狼煙でした。
しかし、辺りを明るく照らしながら落ちてくる火球の群れよりも、燃える地上に照らされ、輝きながらイズーへと優雅に飛んでいく船の姿が、まだ若い彼の心に大きな感動を残したのです。美しく宵闇を行く船は、突如として地上に出現し全てを灰燼へと変換する地獄など、まったく問題にならないほどの強烈な印象と憧れを持って若きエンザの記憶へと刻み込まれました。
「あのように自由に空を飛びたい」と。
幸運にも火の海を生き延びたエンザではありましたが、もはや彼の心は商人としてのそれではなくなっていました。炎に飲まれ亡くなった父の遺産を食い潰しながら、蒸気に頼らない船の研究に没頭していったのです。
火焔の魔術師の船の建造に関わった錬金術師を尋ねケイジョウ島へと向かい、帆布にするためのレイシコウ織を入手するためにレイシコウへと渡る……。若かった彼も十八諸島を巡り、研究に没頭する間に壮年へと差し掛かっていました。
しかし、多くの月日が流れ、数多の失敗を繰り返しながらも、心の内に燃えさかる情熱の火はいささかも衰えることがありませんでした。あの日、無辜の島民とその幸せを燃料とした、忌まわしき災禍のように。
研究を続けるエンザにもいつしか転機がやってきます。それは奇しくも研究を始めるきっかけと同じ、戦争でした。
飢饉によって生じた食料を巡る争いは、エンザの住んでいたケイジョウ島へも波及していました。戦争において優位に立つため島主はエンザの研究成果を欲したのです。
エンザはその命令を断わります。「空は自由であるべきだ」と言って。
使者を追い返された島主は兵隊を差し向けますが、前日までガラクタでいっぱいだったエンザの家はもぬけの殻となっていました。そして、唯一飛行に成功していた試作船もありません。エンザは自らの研究成果に乗って逃げ出しました。
兵隊の指揮官がつぶやきます。
「バカな。昨日の風は輪界の外に向かって吹いていたんだぞ……。ヤツは一体どこへ向けて飛んでいったんだ……?」
「その後はどうなったんだ?エンザは無事なのかい?」
語り部が口を閉ざし、物語の終わりを態度で示すと、集まった人々からはそのような問いが漏れた。
その声を聞いたミミズクはイガ粉を掴みながら、問いに答えた。
「これは最も新しい物語の一編なれば。この物語の続きは未だ無いのです。エンザは海に落ちてしまったのかもしれませんし、何処かの島へ辿り着いたかもしれません。もしかしたならば未だ空を漂っている可能性すらあります」
物語の続きを求める聴衆にとってはいささか物足りない物を返しつつ、語り部は手を振り、イガ粉を火へと投げ込んだ。
「私はこの物語の続きを求めて諸島を巡っているのです」