PRISM   作:はくたかゆき

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■蛙を食べるとか言い出すので、苦手な方はご注意ください。

■性虐待の話が出てきますので苦手な方はご注意ください。

■一部「ヒトのにくばかりやくな」から秀逸なネタを拝借しています。ごめんなさい。

■女の子たちが歌うのはジミーサムPの「Starduster」をイメージしています。
 2でカルメンが歌うのもその歌です。



3.宝石の子どもたち

 トロントの屋敷では、四人の子どもたちがジンとレイカの到着を待ちわびていた。四人は階段の踊り場の窓で、執事のジョージが運転席から降りるのを眺めている。ジョージが後部のドアを開けると、まずレイカが降りてきた。

「わっ、きれいなひと!」

 一番ちいさな金髪の男の子が声を上げた。

「ねぇ、フィー、写真よりきれいな人ね!」

 金髪を後ろで三つ編みにしたそばかすの女の子が言うと

「ええ、写真でも美人だったけどね!」

 黒髪を両側で結わえた褐色の肌の女の子が返した。

 一番年長の黒い短髪の男の子が言う。

「ロキシー、フィー、おまえら、ぜっったいにジンに余計なこと言うなよ!」

「そんなの分かってるわよ、ダン」

 ロキシーと呼ばれた金髪の女の子が言い返した。

「そうよ、ミス・サエコに言われたもの」

 フィーと呼ばれた黒髪の女の子もロキシーに同意した。

「おまえら、すっごいおしゃべりだからな…」

 そう言ってダンがじっとりと横目で見ると、女の子たちは「なによ!」と口をそろえて怒った。

「あ、ジンだよ!」

 一番ちいさな男の子が飛びあがって喜んだ。

 家政婦のメリッサが子どもたちを呼ぶ。

「ジェネラル・ジンがお帰りですよ!」

 子どもたちは転げるように階段を下りた。

 玄関ホールで、ジョージがレイカに子どもたちを紹介した。

「こちらはダン・シェイク、9歳になります。

 こちらはロキシー・トンプソン、8歳。

 こちらはフィー・カーマイケル、8歳。

 そして最後はユーリ・ミハイロフ、7歳です」

 ダンは年長らしく一歩進み出て、きちんとレイカに挨拶した。

「お会いできて光栄です、ミス・レイカ」

 レイカは握手のために手を差し出した。

「私もよ。私のこと、レイカと呼んでね」

 子どもたちはレイカとの握手を済ませると、ジンを見て、それから子ども同士で顔を見合わせ、まごまごした。

 そして、ユーリが思い切ったように言った。

「ね、ジン。お膝をついて、かがんでよ。ジンは、ここに帰ってきたとき、いつもそうしてたから」

「こうかい?」

 ジンが片膝を床につく。

 子どもたちはわっと歓声を上げてジンに殺到し、しがみついた。

 

 

 レイカに与えられた寝室は屋敷の2階にある。天蓋つきの豪華なベッドに、同じシリーズの低いテーブルと椅子が2脚、ソファ、デスクとからっぽの本棚も置かれている。レイカはまずデスクにタブレットを置き、日本時刻のままになっていた時計を合わせた。日本時刻では未明なので、スカイプをつなぐにはまだ早い。そこでレイカは荷物をほどいて、備え付けのクロゼットにスーツ類を吊り下げ、たんすに小物を片付けた。

 小物を片付けていると、ポップな柄のナイロン袋が出てきた。ヒロミの字で「お楽しみ袋☆」と書いてある。中には、入浴剤の小袋がいくつも入っていた。レイカの好きな飴や干し梅などの駄菓子もある。

「わ、うれしい! …まだ何かあるわ」

 袋を探ってみると、真新しい白い絹の、小さなかたまりが出てきた。広げてみると、両側をひもで結ぶ形のショーツで、ひらひらのフリルがたっぷりついている。同じタイプのブラジャーもある。

「なによこれは…」

 小さなメッセージカードがブラから落ちた。カードには、エスメラルダの小学生より汚い漢字で「勝負用」と書いてあった。

 レイカは青ざめて絹の下着をバシッと投げつけ、見なかったことにしてトランクの内ポケットにぎゅっぎゅっと詰め込んだ。

 夕食までにはまだ時間があるので、レイカは2階の奥にある図書室へ行ってみた。以前この屋敷を訪れたときに、ジンに案内されたことがある。

 以前は多くの蔵書が詰めこまれていた図書室の本棚は、すでにからっぽになっていて、机も椅子も隅に積み上げられていた。がらんと寂しくなった図書室で、天井の窓際に、屋外の池からの反射光がゆらめいている。

 ジンは屋敷に個人の書斎を持っているが、この場所が好きでときどき来るのだと言っていた。天井に映る水面の光がとてもきれいだから、と。

(あのときのジンは、もういない…。そしてこの場所も、もうすぐ……)

 そう思うと、胸に押し込めていたものが急にあふれだして、止まらなくなった。あの日カルメンと戦って危ういところにジンが駆けつけてくれたこと。皆の前で恥ずかしげもなく堂々と「愛している」と言ってくれたこと。レイカが作った味噌汁を褒めてくれたこと。

 涙がぼろぼろこぼれた。

(早く泣き止まないと、お化粧とれちゃう……このマスカラ、泣いても大丈夫だったかしら?)

 指でそっと目元を触ってみると、黒い塊が指先についた。

「わ、溶けてる!」

 そのとき、レイカの右肩に手が置かれた。振り向くと、ジンが心配そうにレイカを見ている。

 レイカがとっさにどう取り繕おうか迷っていると、ジンは腕の中にレイカを抱き寄せた。

 レイカの頭の中は真っ白になった。懐かしいジンの匂いと体温が伝わってきて、耳の奥で激しく鼓動が鳴り響いている。レイカが身じろぎすると、ジンはさらに腕に力を込めた。

 どれだけの間そうしていたのか、夕食の支度が整ったことを知らせる館内放送が入った。ジンの腕がゆるんだ。レイカは夢中でジンの腕をすり抜けて走り出した。

 

 

 トロントの屋敷では運転手どころかコックも配置換えでいなくなっているので、食事は家政婦のメリッサが作っている。メニューは家庭的で量もちょうど良いくらいだ。

 食堂の丸テーブルで、ジンと子どもたちは楽しそうに話しながら食事をとっている。

 レイカはまるで食べる気がせず、ずっとスプーンを持ったまま、ぼんやりとスープを眺めていた。ジンのほうを向くこともできない。

(私、なんで逃げちゃったんだろ……サエコさんに、逃げないでって言われてたのに)

 隣に座っているロキシーが、心配そうにレイカの顔を覗き込んだ。

「レイカ、おなか痛いの? 全然食べてないけど」

「あっ……ごめんね、大丈夫よ。ちょっと疲れたみたい……もう部屋で休むわ。お食事残してごめんなさい」

 レイカは慌てて立ち上がり、食堂を後にした。しかし部屋に戻る気にもなれない。レイカの部屋とジンの部屋は近いので、平静でいられる自信がない。レイカの耳は敏感にジンの足音を聞き分けてしまう。

 レイカはジョージやメリッサに気づかれないように、そっと屋敷の外に出た。食堂の明かりとは反対側に歩いてみた。外灯がきちんと刈りこまれた庭を照らしている。

「さむ……コート持ってくればよかった」

 しばらく歩きながら冷たい空気を吸っていると、冷静さが少しずつ戻ってきた。

(明日から、ジンの前でどんな顔してたらいいんだろう…)

 レイカの胸に、父親の顔が浮かぶ。

(こんなとき、パパはどう言ってたっけ……)

 困ったときほど、堂々としていなさい。そよとも気にしていないふりでね。深呼吸して、自分のペースを崩さず、取り繕おうとせず、静かにまわりを観察しなさい。

「……うん!」

 父親の声と言葉を思い出して少し元気が出てきた。

(さて、どうしよう。長い時間、飛行機と車に乗ってたし、もうちょっと外で気晴らししたいな。楓とか、登れそうな木でもないかしら)

 塀の近くの木に登ったら、丘の下の街明かりでも見えるだろうか。レイカは西の塀に向かって歩き出した。

「レイカ君!」

 ジンの声にレイカはぎくっとした。レイカは足を止めて、冷静になるように努めた。

 ジンは急いで駆け寄ってくると、レイカに逃げられないように手首をつかまえた。レイカはつかまれた手首を見た。ジンはレイカを見ている。しばらくそうしていて、レイカはやっと思い切ってジンの顔を見上げた。

 逆光でジンの表情はよく分からない。

「……僕のこと、セクハラで訴える?」

 思いがけない言葉に、レイカは肩の力が抜けて、つい笑ってしまった。

「まさか!」

「それはよかった。……外は寒い、戻ろう。子どもたちはもう部屋に下がったよ」

 ジンはレイカの手首をつかんだまま、屋敷に連れ戻した。そしてレイカの部屋の前で手を放すと、短く「おやすみ」と言って自室へ入って行った。

 レイカの部屋の前には、ワゴンが置かれていた。ワゴンには具材が詰め込まれたパンがふたつと、お茶の用意がしてある。子どもたちの字で手紙が添えられていた。

「僕たちがテーブルの残り物で作りました。ジンも一緒に作ったよ」

 

 

 翌朝、レイカが食堂に現れると、フィーがそっとそばに寄ってきた。フィーは小声でレイカに尋ねる。

「ジンと仲直りできた?」

 レイカがうなずくと、フィーは心配そうに様子をうかがっている他の子どもたちに、OKサインを作って見せた。子どもたちは、ぱぁっと明るい笑顔になった。

 子どもたちは朝食を終えると、スクール・バスに乗るために出かけて行った。この施設の門の前まで小学校のスクール・バスが迎えに来るのだ。もう少しでその時間なのに、ユーリだけがぐずぐずしている。

 ユーリはレイカの席に近寄ってきた。

「ね、レイカ。昨日の晩、レイカに聞けなかったことがあるんだけど…」

「なあに?」

「あのね、昨日学校でね、セクハラについての授業があったの。どんなに好きでも、勝手に異性に抱きついたりキスしちゃ、ダメなんだって。昨日レイカが行っちゃった後、その話をしてたら、ロキシーとフィーがね、セクハラは何をされたかじゃなくて、誰にされたかが問題なのよって、言ってたの。レイカもそうなの?」

 レイカは返答に困った。ジンがじっとこっちを見ている。

「…それでね、レイカ。もし僕がレイカに抱きついたりキスしても、レイカはセクハラだって思わない?」

 ユーリがおそるおそる聞くとレイカは笑顔になった。

「もちろんよ」

「やったぁ!」

 ユーリはレイカの首に抱きつくと頬にキスをし、「行ってきます!」と元気に駆けだして行った。

 

 

 その日の午前中は会社で雑務に追われ、午後は不動産業者が数社訪れ、めまぐるしく一日は過ぎていった。引っ越し先の物件候補は数か所に絞られた。

 屋敷に帰ると、一足先に学校から戻った子どもたちが、庭先で騒いでいた。ユーリが灰色とも茶色ともつかないウサギほどの大きさの動物を抱え、ロキシーとフィーが金切り声で叫び、ダンは腹を抱えて笑っている。

 ロキシーとフィーはジンを見つけると必死に駆け寄ってきて、ジンの影に隠れた。ユーリが、びよんびよんと伸び縮みする動物を抱えたまま、こちらに走ってくる。

「すげえー! これでロキシーとフィーを撃退できるぞ!」

 ダンは飛び跳ねて喜んでいる。

 ユーリはどこで捕まえてきたのか、数キログラムはありそうな、とても大きな土色の蛙を抱えていた。

「蛙さんが可哀そうよ。逃がしてあげましょう」

 レイカがさとすように言うと、ユーリは腕の中に隠すように蛙を抱え込んだ。蛙は苦しそうにグモッと鳴き、後ろ足で何度かユーリの腕を掻いた。

「僕、これ飼うんだよお! ちゃんとお世話するから!」

「でもね、ユーリ。狭いところで囲いこんで生かすより、自然の中で生きるほうが彼にとって幸せなのよ。ユーリだって、もしご飯に困らないとしても、自由のない水槽の中で生きるのは嫌でしょう?」

 レイカが蛙を撫でると、子どもたちは驚いた。

「レイカ、怖くないの? 気持ち悪くないの?」

 ロキシーが尋ねた。

「全然、大丈夫よ! さすがに毒があるのには触りたくないけど。それに、食べたことだってあるわ」

「すげえ……最強だ!」

 ダンが感嘆の声をあげた。

「私は別に最強じゃないわよ。蛙を食べるのが当たり前の国だってあるのよ」

 レイカは苦笑した。

 ジンは少し考える仕草をしながら言った。

「ふむ……ユーリ、その蛙、飼ってもいいよ」

「ジン、いいの? ほんと?」

「ああ。だけど、もし僕が、夜中にものすごくおなかが空いたら…蛙って結構うまいんだよ、鶏肉に似ていて。ねえ、レイカ君」

 ジンはレイカに目くばせした。

 それに応えてレイカは大きくうなずいた。

「そう、おいしいのよ。思い出したらよだれが……」

 ユーリはさーっと青ざめた。そしてなるべく遠くまで走っていって、蛙を逃がしてきた。

 その様子を見て、ジンとレイカは目を見合わせ、笑いをこらえた。

 ユーリがしおしおと戻ってくると、ロキシーがジンの後ろで叫んだ。

「ユーリ! 手を洗って服を着替えるまで、こっちに来ないで!」

 ユーリは自分の手をじっと見つめた。そして、手のひらを前に向けると、ロキシーとフィーを追いかけ始めた。女の子たちが悲鳴を上げる。三人はジンのまわりをグルグル走り回った。それを指さしてダンは大笑いした。

 ジンはため息をつくと、ユーリを抱え上げた。

「仲間をいじめちゃいけないな」

 ユーリはジンに抱えられたまま抗議した。

「だって、ジン! ロキシーとフィーの方が強いんだよ!」

「そうだよ。いつも僕たち負けてるんだ」

 ダンもくやしそうに言った。

「僕もサエコ姉さんには、いつも負けてるよ」

 とジンが言うと

「えっ? ミス・サエコって、ジンより強いの?」

 子どもたちは驚いて顔を見合わせた。

「ああ、口ゲンカじゃ勝ったことがない。だから僕はサエコ姉さんと口ゲンカになったら、さっさと逃げることにしてるんだ」

 それを聞いて、レイカはサエコの話を思い出した。クイーン・アルマ号の事件のあとで、ジンとサエコが言い争いをし、ジンがチェス盤を抱えて退散したことを。

「……待てよ。本気で戦っても勝てないかも。なにしろ、サエコ姉さんは息子とたった2人で、あのウィルスンの本拠地を潰してきたんだから」

 子どもたちは「ミス・サエコが最強だ……」と、どよめいた。

 夕食後は子どもたちと談話室で過ごした。レイカがあやとりを教えると女の子たちはすぐに夢中になった。男の子たちはヒーローごっこで戦っている。ユーリがヒーローで、ダンが悪役だ。

 ジンは男の子たちが投げるクッションが飛び交う中で、一人ソファに腰掛けて読書していたが、落ち着かないのか早々に引き揚げていった。談話室を出るとき、ジンはレイカを振り返った。

「レイカ君、8時頃、僕の書斎に紅茶を頼むよ」

「分かったわ」

 レイカは平静を装ってうなずいた。指定された時間まで1時間近くもあるのに、つい緊張してしまう。

 男の子たちはしばらくすると、座り込んでブロックをいじり始めた。

「それはーそれでーそれーからー」

 ユーリが繰り返し歌うと、ダンが

「なにそれ意味分かんねぇ」

 と突っ込んだが、すぐにユーリに合わせて歌い始めた。

「それはーそれでーそれーからー…」

「男の子って意味不明ね、フィー」

 あやとりしながらロキシーが言う。

「そうね、ロキシー。まぁ、あの年頃の子どもってあんなものよ」

(こらこら、あなたたちも同じ年頃でしょうが…)

 レイカは苦笑しながら女の子たちの会話を聞いていた。

「ジンもあの頃って、あんなだったのかしら?」

 ロキシーがそう言うと、フィーは肩をすくめて首を横に振った。

「まるっきり想像つかないわ!」

 紅茶の用意をしてジンの書斎を訪れると、ジンはパソコンのキーボードを叩いていた。

「こちらのマグカップは下げていくわね」

「ああ、ありがとう」

 ジンのデスクの横に、小ぶりのダンボール箱が置いてある。

「それ、割れものが入ってるから気をつけて。引っ越し業者に触られたくないから、先に梱包したんだ」

「大切なものなのね」

「うん。写真立てばっかりだけど」

 ジンはそう言って意味ありげにレイカを見たが、レイカはすでに背を向けていた。ジンはがっかりと肩を落としたした。

(全部君の写真だけどね。興味ないのかな……)

 レイカはマグカップと盆を持ってそそくさと書斎から出ると、大きく息をついた。

(いやだ、私…! 今日一日ジンが私に触れようとしなかったこと…すっごくガッカリしてる!)

 図書室での抱擁や手首をつかまれたことを思って期待していた自分が恥ずかしくて、顔から火が出た。

 

 

「レイカ君、急で申し訳ないが、ひとつ頼みがあるんだ」

 一日の仕事が終わる頃になって、ジンは要件を切り出した。

「今晩、市内のグリトグラホテルで業界関係者を集めたパーティーがある。体裁上パートナーが必要だ。君に頼みたい」

「……ごめんなさい、あいにくドレスの持ち合わせがなくて」

「それはいいね! 君にプレゼントするチャンスができた。今から買いに行こう」

 レイカは急いで帰り支度をした。

「ずいぶん急なお話ですね」

「うん、僕はこういう集まりはあまり好きじゃないし、必要がなければなるべく避けたいんだ。だけど、僕がどうしても会いたい人物が参加するという情報が入ってね」

 レイカはドレスショップで、色とりどりの中から、ジンのネクタイに合わせて明るめのワインレッドを選んだ。丈が足首まであり、腰から上が身体に沿うシンプルなラインで、肩と腕が露出するタイプだ。腕環をつけたまま、指輪は胸の谷間に隠してドレスを試着し、ジンに見せてみた。

 ジンは息を呑んだ。

(あ…ジンのこういう顔って初めて見るかも)

「これにします」とレイカが言うと、ジンは店員に見繕わせて靴とショールとバッグも揃えてくれた。

 会場に向かう車の中で、レイカはジンに礼を言った。

「ジン、こんな綺麗なドレスをありがとう」

「ああ、うん」

 ジンは短い返事をして、それきり前を向いて黙っている。

(あれ? いつもならもっと「とても綺麗だよ」とか褒めてくれそうなのに。……おなかが痛いのかしら?)

 レイカは横目でジンの様子をうかがった。

 一時は行方不明で死の噂さえ立ったジェネラル・ジンが会場に踏み込むと、先客が一斉に注目した。次いで、彼にエスコートされたレイカに注目が集まる。人々はため息をつき、時を忘れたかのようにレイカに見入った。

 ジンは歩きながらゆっくり会場を見渡している。目的の人物を探しているのだろう。そうしていると、得意先の重鎮らしき人物がジンに声をかけた。

「やあ、旅先で事件に巻き込まれたそうだね。現地で入院していたとか。無事で良かったよ」

「ええ、テロで情報が錯綜しまして…」

 彼らが会話しているあいだ、レイカは一歩退いて待った。

「こんばんは、日本の方ね?」

 シャンパングラスを両手に持ったアジア系の美女が、そっとレイカに声をかけてきた。黒髪を結い上げた柳腰の女性で、レイカと年頃が変わらないくらい若い。ラベンダー色のドレスをまとったその女性は、片方のグラスをレイカに差し出した。

 レイカは女性に近づき、礼を言ってグラスを受け取った。

 女性は品定めするように、上目遣いでレイカを眺めた。

「……ずっとお会いしたかったのよ」

「私のことを知っていらっしゃるんですか?」

 女性はレイカの問いかけには答えず、自分の鼻先でグラスを軽く回して、黄金色の液体を揺らした。

「ねぇ、あなた、モルガナの伝説を知ってる?」

「…モルガナ?」

 レイカが聞き返すと女性は意地悪な笑みを浮かべた。

「そう、戦の女神よ。彼女はとても強くて、この上なく美しくて、男たちを魅惑する。けれど、彼女の魅力に取り憑かれた男は、戦場から生きて帰ってこないの。……まるで、あなたのことじゃなくて? だってそこに居る彼は……」

 レイカの頭から血の気が引いた。

(このひと……誰? 何を知ってるの!?)

「それにしても……」

 女性はレイカを頭の先から足の爪先まで眺めまわす。

「あの名だたる流崎グループのお嬢様が、今は打って変わって質素な暮らしを強いられているのは聞いていたけど。だからなのね、そのマルチカラーの腕環。マルチカラーなら何にでも合わせやすいって発想がまた、泣かせるわ」

(このひと、私を挑発してる……なぜ?)

 けなされたことで、かえってレイカは自分を取り戻せた。そして落ち着いた気持ちで女性を見つめた。

 まわりの客が二人の間のこわばった空気に気づいて、見ぬふりをしながら聞き耳を立てている。

 女性はまわりに聞かせるようにレイカを品評しはじめた。

「あなたってばずいぶん肩と腕とお尻が頑丈そうね。そんな型のドレスで良かったの?…ああ、なるほど! やっと分かったわ! 欠点を隠さないことで魅力に昇華するということかしら。ふふふ、さぞかし自信がおありなのねぇ」

 レイカの腰にジンの手が回った。

「やあ、ありがとうチェリン。僕の趣味を褒めてくれて嬉しいよ! 僕はこのドレスを着た彼女を一目見て、体に電流が走ったんだ」

 ジンの愛想のよい笑顔に押されて、チェリンと呼ばれた女性の唇がぐっと止まった。

「見てくれたまえ、強くしなやかで凛とした、このたたずまい。草を濡らす朝露のように清らかで、咲き誇る薔薇のように艶やかで、春先にほころぶ蕾のように可憐で、月の光のように冴えわたる僕の女神…」

(良かった、おなかが痛いわけじゃないのね。……それにしても)

 レイカは気恥ずかしい褒め言葉を高らかにずらずらと並べたてているジンをちらりと見上げた。

(ここまですごいと、もうギャグにしか聞こえないわ!)

「この夜空の星たちをすべて宝石に変えて地上に降ろしても、彼女のダイヤモンドのような輝きの前には色あせてしまうだろう。戦の女神よりも、夜の帳を開く暁の女神がその座を彼女に譲り渡すに違いない…」

 ジンの芝居がかった誉め言葉の数々を聞きながら微妙な顔をしているレイカの代わりに、周囲の人々の方が「んまー」と赤面している。

 チェリンは歯ぎしりしてジンを睨みつけると、踵を返してその場を去った。

「おっと、しまった。僕、彼女に会いに来たのに、つい追い払ってしまった」

 ジンは「彼女を追うよ」と言うと、レイカの腰に手を添えたままチェリンを探し始めた。ほどなくチェリンの後ろ姿を見つけると、ジンはチェリンに声をかけた。

「やあ、チェリン」

 チェリンはゆっくりと振り向くと、小首を傾げた。

「あら、お久しぶりね、ジェネラル・ジン。ごきげんいかが?」

 まるで今日初めて会ったような口調だ。

「単刀直入に言うけど、君が押さえた日本の流崎邸を、個人的に僕に売ってくれないか」

 チェリンは鼻で笑った。

「あなた、あの屋敷をどうするおつもり?」

(ちょ……むしろそれ私のセリフなんだけど!)

 レイカはムッとした。

「どうって、住むよ。近い将来、妻や子どもたちとね」

 ジンがさらりと言うと、チェリンは鈴が鳴るようにころころと笑った。

「そうねえ……それなら」

 チェリンはぴたりと笑うのを止め、ジンを正面から見た。

「ジェネラル・ジン、あなたが私と一夜をともにしてくれたら……考えてもいいわ」

 ジンに顔を向けたまま、チェリンは瞳の焦点をレイカに合わせた。

(なっ……このひと!)

 レイカは目を疑った。チェリンはレイカの反応だけを見ている。

「それはつまり、絶対にあり得ないということだね」

 ジンはあくまで冷静だ。

 チェリンは急に人のよさそうな笑みを浮かべた。

「そういうコト。それではごきげんよう、ジェネラル・ジンとクリシュナさん」

 チェリンは優雅に背を向け、ゆっくりと去って行った。

「やれやれ。取りつく島もないとは、このことだ」

「ジン、あの女性は一体…?」

「彼女はイ・チェリン。ヒーラ社の重役の娘で、彼女自身もヒーラ社の幹部だ。情報部の責任者でもある。そしてヒーラ社が宝石使いに仕事を依頼するとき、彼女がその統轄をしている。つまりヒーラ社として君に仕事を依頼していたのは彼女だ」

 レイカは声も出ないほど驚いた。「彼女、人情家だから」「なかなか大した人物よ」というサエコの言葉を思い出し、「私の上司は卑怯な手を好みません」という桑島の言葉を思い出した。

(あ……あれが? あれが…ヒーラ社のチェリン!?)

 レイカはチェリンの後ろ姿が消えるまで見送り、ようやく気持ちが落ち着いたところでハッとした。

「彼女が私の家を買収したの?」

「もちろん、ヒーラ社としてね。チェリンにあの屋敷を押さえられたのは、君にとって不幸中の幸いだ。もしもチェリンと対立する派閥のキッペンベルクが流崎邸を押さえていたなら、奴はそれを盾に君をスパイになれと脅し、君が屈しなければ、あっという間に屋敷を解体して敷地も分譲してしまっていただろう。チェリンはそんな卑怯な真似はしない。シャニとは正義が違うだけで悪人ではないよ」

 レイカはもう一つのことに気づき、おそるおそる尋ねてみた。

「あの……ジンは私のこと、クリシュナだって知っていたの?」

 今度はジンが驚愕した。

「何だって? まさか、君は…………僕が気づいていないと思っていたのか? 会社のサーバにも僕のパソコンにも、クリシュナについての報告書や記録が山ほど入っていたよ」

「そ…それはそうよね……」

「たぶん僕は、君が思っている以上に君のことを知っているよ」

 ジンは、婚約のことも知っているのだろうか? レイカにはそれを尋ねる勇気がなかった。

 

 

 夕食後の談話室では、ジンはソファに座って本を開き、レイカは子どもたちの遊び相手になるのがこの頃の過ごし方になっていた。

「レイカは口笛できる?」

「ええ、ロキシー。あんまり上手じゃないけど…」

 レイカが口笛できらきら星を吹くと、ロキシーとフィーは手を叩いて喜んだ。

「うまい、うまい!」

 三人で並んで口笛を吹き合うと、だんだん笑いが込み上げてきた。理由もなくおかしくて、三人でくすくす笑い、肩を揺すりながらきらきら星を合奏した。

 ジンが本から顔を上げてレイカの唇をじっと見ているのに気づき、レイカは口を手で押さえた。

「ごめんなさい、ジン。うるさかった?」

「フィー、男の子たちの方がよっぽどうるさくない?」

 ロキシーがフィーに言うと、フィーはもっともらしくうなずいた。

「そうね、さっきからなにかモメてるわ」

 ヒーローごっこをしていたはずのダンとユーリは、深刻に言い争っている。ダンはずっとヒーローばかりしているユーリをずるいと怒り、ユーリは頑としてヒーロー役を渡さない。

「じゃあ、こうしない? 私が悪者になるから、2人ともヒーローになって」

 見かねたレイカが悪役を買って出ると、男の子たちは即座にダメだと言った。

「だって僕たち、レイカを守るために戦ってるんだもん!」

 ユーリがそう言うと、ロキシーとフィーは顔を見合わせた。

「聞いた、フィー? あれは恋かしら」

「ええ、聞いたわ。最近の男の子ってませてるのね!」

 女の子たちの会話を聞いて、ジンは目を丸くしている。

「うーん、それじゃあ、私が悪い魔法にかかって悪者の手先になったって設定はどう? 私、パンチが得意だし、柔道も剣道も段を持ってるのよ」

 レイカがそう提案すると、ダンはレイカの背を押して女の子たちの方へ押し返した。

「それでも、僕たちレイカを叩いたり蹴ったりなんて、できないよ。いいからあっちでロキシーたちと遊んでて。レイカにさせるくらいだったら、僕が悪者を続けるから!」

「聞いた、フィー? ダンってば男を上げたわね!」

「そうね、ロキシー。久しぶりに愛の力を見たわ!」

 男の子たちは協議の結果、二人ともヒーローになることにしたようだった。2人して空中に飛び蹴りしたりつかみかかったり、ときにはうめき声をあげて倒れたりしている。

「どうやら見えない敵と戦うことにしたようね」

 ロキシーが言うと、フィーがレイカを振り向いた。

「レイカ、知ってた? 男は半分が無駄で出来ているのよ!」

 ジンが笑いをこらえきれずに噴き出した。

「それじゃ、僕も半分無駄で出来ているのかい?」

「そうよ、ジン。やっと気がついてくれた?」

 ロキシーが目を輝かせて言うと、続けてフィーも言った。

「そうよ、私たちと一緒の時間に本を読んでるなんて、人生を無駄にしてるわよ!」

「はいはい、分かりました。さて、お相手いたしましょうか、僕のお姫様たち」

 ジンが笑って立ち上がると、女の子たちは飛び上がって喜んだ。女の子たちはテレビ画面をインターネットにつなぐと動画サイトから、少女がポップスに合わせて踊る動画を開いた。

「これを見ながら一緒に踊ってほしいの!」

 ロキシーが言うと、ジンは頭を掻いた。

「結構ステップが難しそうだな…」

「なんとなくでいいのよ! レイカも来て!」

 フィーがレイカを手招きする。

 男の子たちも「混ぜて」と寄ってきた。ステップが難しい場面になると皆で「どうやるの、これ」と笑い、ターンをしてはまた笑った。飽きると皆でクッション投げをし、また飽きるとかくれんぼをした。カーテンの影やクッションの山に隠れる子どもたちを大人が探し回った。

 子どもたちは夜8時には部屋に戻り就寝することになっている。片付けを済ませて子どもたちが部屋に下がると、ジンは言った。

「実は僕、サエコ姉さんから、トロントではなるべく子どもたちと過ごしてやってほしいって言われてたんだ。外でキャッチボールの相手くらいなら出来るけど、室内でどう過ごしていいか分からなくて。僕は君と違って手遊びも知らないしね」

「なんとなく、子どもたちの隣にいれば大丈夫よ。そしたら自然と遊べるわ」

「うん……なにか今日は、過ごしそびれた子ども時代を、少しだけ取り戻せたような気がしたよ」

 ジンの笑顔は寂しげに見えた。

「僕、君に昔の…ロシアでの出来事を話したのかな?」

「……ええ、聞いたことがあるわ」

「そうか……きっと僕も祖母と生活していた頃は、子どもらしく遊んでいたんだろうな。里親をたらい回しにされてた頃は、家事をさせられてばかりで遊んだ記憶がない。ロシアの研究施設では、今日みたいに皆とまくら投げをしたり、かくれんぼしたこともあったなぁ。でもシャニに引き取られてからは、離れてしまった仲間のことを思うと、そんな気になれなくて」

 レイカは言うべき言葉が見つからず、短く「そうだったの…」としか言えなかった。

「君は、あのくらいの頃は何をして遊んでいたんだい?」

「そうねぇ…近所の子と側溝を探検して泥んこになったり、木登りして落ちたり、草やぶに頭から突っ込んで種だらけになったりしてたわ。いつも上等のワンピースを着せられてたけど、その下にこっそり半ズボン履いて」

「ははは、ずいぶん活発だったんだね」

「父は私が子どもの頃は淑女になってほしかったみたいだけど、私はそんなの嫌で、探検家か、歌って踊れる料理研究家になりたかった」

 ジンは合点したようにぽんと手を叩いた。

「ああ、あれだね! レイカとパパのクッキングレシピ!」

 レイカは悲鳴をあげた。

「み、見たのね……! ジン、あのCD-R、返して!」

「いいよ。もうデータはコピーしたから、僕はいつでも見られるしね」

「消してー!!」

「答えはNOだ!」

 ジンはいたずらっぽく笑うと、走って談話室から逃げ去った。一瞬その後ろ姿が、ユーリたちと変わらない年頃の子どものように見えた。

 

 

 子どもたちと一日を過ごすために、ジンとレイカは珍しく日曜に休日を取った。

 レイカは子どもたちを誘ってクッキーを焼いた。調理室のあちこちを粉だらけにして、子どもたちはクッキー作りに夢中になった。ジンと子どもたちが生地の型を抜いている隣で、レイカはココア入りの生地を使ってモザイク模様や渦巻きのクッキーを作った。子どもたちはレイカの手元を見て、珍しがって喜んだ。後片付けの洗い物も子どもたちにとっては珍しいらしく、洗剤を出し過ぎてシンクを泡だらけにして大笑いした。

 焼き立てのクッキーでお茶にしたあと庭に出ると、ユーリがジンに甘えて

「僕の両手持って、風車みたいに振り回して!」

 と言った。ジンが相手をしてやると、子どもたちは列を作って順番を待った。子どもたちときたら、自分の番が終わるとすぐ最後尾に並ぶので、いつまでたっても切りがない。ジンはそのうち「目が回る」と言って座り込んでしまった。

 レイカはジンの隣に腰を下ろした。

 よく晴れた空の下で、子どもたちは芝生を転げまわって子犬のようにじゃれ、バッタを見つけて追い回している。

「子どもたちはすごいパワーね」

 とレイカが言うと、ジンは笑った。

「会社で仕事してる方が楽だな」

 ジンは目を細めて子どもたちが遊ぶのを眺めている。しばらくそうしていて、小さな声でぽつりと言った。

「僕は一体、今まで、何に囚われていたんだろうね……」

 レイカは黙ってジンの横顔を見つめた。今は何も聞かず、ただ側にいる方が良いような気がした。

 

 

 翌朝、朝食後に子どもたちが学校に行く気配がないので、レイカはダンに尋ねてみた。

「今日、学校はお休み?」

「あるよ。でも今日は僕たちカウンセリングなんだ。終わったら学校に行くよ」

「カウンセリング?」

 聞き返すと、子どもたちはハッとして目を見交わした。

「ジンはレイカに、私たちのこと話してないの?」

 フィーがジンに尋ねると、ジンは目を伏せた。

「……あとで、話しておく」

 子どもたちは、ほっとしたようだった。

「ジョージは子どもたちを病院に連れて行かなくてはいけないから、今日は僕が車を出そう」

 ジンはそう言って背広を羽織った。

 子どもたちに見送られて出勤する車の中で、ジンは「ちょっとショッキングな話をするよ」と前置きして話し始めた。

「あの子たちはね、シャニに引き取る以前は、イギリスにあったウィルスンの宝石使い研究施設にいたんだ。僕がそこを壊滅して、あの子たちを連れ出した。もっとも、僕にその記憶はないけど。これは子どもたちを引き取ってから、分かったことなんだが……あの子たちはウィルスン傘下の別組織でもっと小さな頃から働かされていて、そこで宝石に特性を示したので、研究施設に送られたんだ」

「ウィルスン傘下の別組織…?」

「……あの子たちは親に売られてウィルスンの売春組織にいたんだよ。小児性愛専門のね。だから、性虐待を受けた子どもたちのためのカウンセリングに、月2回通わせている」

 レイカの背筋は凍りついた。

「おぞましい話だろう? ウィルスングループの母体は消えたけど、傘下の違法組織はいまだ闇の世界を跋扈している。あの子たちのいた売春組織もね。僕は子どもたちの証言をもとに、できるだけの証拠を集めて現地警察に告発したらしい。けれども、現在も摘発には至っていないようだ」

 ジンはレイカが顔面蒼白になっているのに気づいて、いったん言葉を切った。

「大丈夫かい?」

 レイカはやっとのことでうなずいた。

「サエコ姉さんによると、その証拠を集めるとき、ヒーラ社のチェリンが個人的に協力してくれたらしいよ。表立ってシャニの代表である僕に協力するわけにはいかなかったようだが、持っているだけの関連情報を秘密裏に渡してくれたり、人脈を使って現地警察を動かしてくれたそうだ」

 それを聞いて、レイカはチェリンを見直した。チェリンはレイカを嫌っているようだが、サエコの言う通り、あれでなかなかの人物なのかもしれない。

「ジン……私が言うのもおかしいけど、あの子たちを救ってくれてありがとう」

 レイカがそう言うと、ジンは悲しそうな表情になった。

「僕は、ウィルスンの暗い檻からあの子たちを出して、僕が作った豪華な鳥籠にあの子たちを移し替えただけだ」

「そんなことないわ! ……ウィルスンのダイヤの中でも同じことを思ったけど、私、あなたのことを誇りに思う」

「最高の褒め言葉だよ。……僕に記憶がないのが残念だ」

 ジンは寂しそうに笑った。

 

 

 その日の午後、初日とは別の不動産業者が物件を提示してきた。そのデータを見たジンは、その物件をすぐ見に行きたいと言い出した。初日に絞られたいくつかの物件候補は、仕事の合間に現地を見に行ってはいたが、どれも今ひとつジンの気に入らず、話が頓挫していた。

「この場所なら、子どもたちは転校しなくてもいい。近所の子どもとも遊べるだろうし、公園も近い。建物自体は気に入らなければ大幅にリフォームを入れよう」

 実際に見に行ってみると、築40年とは言うものの建物はかなり状態が良く、水回りのリフォームや外壁の補修が必要なだけで、1カ月以内には引っ越せそうだった。屋敷の前の歩道は広く、立派な街路樹がずっと続いていた。

 移り住む予定の屋敷の周囲を散策しながらジンは言った。

「僕はあの子たちを鳥籠から出してやりたいんだ。普通の子として育てて、普通の幸せを得られるように……サエコ姉さんが息子にそう望んでいるようにね。だから、サエコ姉さんが無理やり僕から施設を取り上げてくれて、今はむしろホッとしているんだ。……勝手なものだろう?」

 レイカは首を横に振った。

「いいえ。……あなたはヒーラやウィルスンに打ち勝つために、宝石使いを集めていた。その気持ちも分からなくはないわ。ただ、一人で背負いこみ過ぎていただけよ」

「そうだね。ヒーラやウィルスンと戦う駒にするために、僕は宝石使いたちを囲い込み、能力を磨くこと以外の生きがいを奪い、自分の足で歩いて生きることを禁じ、エスメラルダのように自立を求めて逃れる者には追手を指し向け……その代償に他所では味わえない贅沢を与えた。サエコ姉さんの言う通りだ。僕は狂ってた。今になって、その愚かしさに我が身が震えるよ」

「ジン…」

「サエコ姉さんとは施設の在り方をめぐって、しょっちゅう衝突してたんだ。だけど僕は聞く耳を持たなかった。……言い訳になるけど、僕はたぶん、子どもの頃のニコライたちにしてやりたかったことを、身代りに僕の宝石使いたちにしてやることが生きがいになっていたんだ。だけどあの子たちは、もう僕の呪縛から解き放ってやりたい」

 空を見上げるジンの表情は、晴れ晴れとしていた。

 

 

 皆で一緒に遊んだ日から、子どもたちは夕食後の談話室でジンに相手をして欲しがってまつわりつくようになっていた。しかしその晩はいつもと違って静かだった。

 ダンはサファイアのペンダントを首にかけると、大人の握り拳ほどの大きさの石をジンとレイカに見せた。

「見てて……」

 そう言うとダンは、パンでも千切るように石を割って見せた。それから、手のひらに割った石の片割れを乗せると、レイカの目の前に差し出した。石は、音もなく、粉々に崩れた。

「僕の守護石はサファイア。僕は、物が簡単な力で壊れる筋が分かる。その筋に、サファイアを通して振動を伝えると、今みたいに粉々になるんだよ」

 続いてロキシーが話し始めた。

「私とフィーは、まだ守護石の見極めがついていないの。でも、人の念が籠もっている石なら、何でも反応するの。石が光ったり、共鳴したり、何かしゃべったりするわ」

「そう、私とロキシーが声を合わせて一緒に歌うとね。でもパワーアップとか、そういう便利なことはないのよね」

「それが残念よね、フィー」

「そうね、ウィルスンの研究施設でも役立たずって言われてたし。ジンだけは面白がってくれたけど」

 フィーとロキシーは顔を見合わせて笑った。

「そして僕は……」

 ユーリはポケットから小さな水晶の結晶を取り出した。

「ジンは、なにか、今どうしても知りたいことってある?」

 ユーリはそう問いかけたが、ジンが返事をする前にうなずいた。

「ジンは昔のお友達のことを知りたいんだね」

「どうして分かった?」

「僕ね、水晶を持つと、色々と視え過ぎたり聴こえ過ぎたりするんだよ。だからパパやママにも気持ち悪いって言われてた」

 ユーリの水晶が強く輝き始めた。

「その人たちは今、湖のほとりの木のおうちに住んでいるよ」

「……彼らは、元気にしているかな?」

「この人たち、長い間、呪いの石に接してたせいで、体を壊してる。トパーズ使いの女の人が、頑張って治そうとしているよ」

「トパーズ使い? カルメンか! ……彼らの病気はちゃんと治るのかい?」

 ユーリの水晶の光が消えた。

「ジン、ごめんね。僕、未来は見ないことにしているんだ。もし見えても、教えられない」

 ユーリの顔から急にあどけなさが消え、大人びた表情になった。

「すべてを知る者は、決してすべてを語ってはいけない。口にして良いのは、わずかな可能性の切れはしだけ。未来を知り過ぎれば、人は、不安にかられて真実を見失ってしまうから」

「君は…マリー・ランジェさんと同じことを言うんだね」

 ジンがそう言うとユーリは大人びた微笑みを浮かべた。

「それじゃ、その人も僕みたいに色々視え過ぎて、苦しんでいたんだね」

 ユーリの表情にあどけなさが戻った。

「でも僕ね、ジンがいなくなっちゃったときは、我慢できなくて未来を見ちゃったんだ。だから僕たちだけ、ジンが帰ってきてくれることを知っていたの。それで、ミス・サエコにお願いしたんだよ。ジンは必ず帰ってくるから、もうしばらくここに僕たちを置いて欲しいって」

 ユーリの水晶が再び輝き始めた。

「未来のことは見ないけど、今のことなら教えてあげられるよ。黒いダイヤモンド使いの人が、たった今、このお屋敷の門の前にいる」

 ジンとレイカははっとして顔を見合わせた。ジンは矢も盾もたまらず飛び出して行った。レイカもすぐに後を追った。

 しかし門の前にはすでに人影はなく、外灯の下にかつてニコライが持ち去ったスポーツカーが置かれているだけだった。

「…僕のブガッティだ」

 車には鍵がついたままになっており、運転席に桐の小箱が置かれていた。

 談話室に戻って桐の小箱を開けてみると、絹にくるまれたダイヤモンドのティアラが入っていた。

「これは…ドラバイトの太陽だわ!」

 レイカは自分のダイヤモンドを操る能力を使い、ドラバイトの太陽に呼びかけた。ティアラの持ち主ローズの念のこもったその宝石は、ジンや子どもたちにローズの最期の情景を見せた。

 レイカは桐の小箱にメッセージカードが入っていることに気づいた。カードには「ローズの魂のかけらを流崎レイカに託す」と書かれていた。

「きっと、カルメンだわ…」

 カルメンはきっと、この宝石をローズとその夫であるゴルゴン元大統領の墓場に戻してやってくれ、とレイカに言いたいのだろう。

 ドラバイトの太陽をじっと見つめて、ロキシーは言った。

「これは、とても悲しい宝石なのね」

 ロキシーはドラバイトの太陽のために、ゆっくりと歌い始めた。少し遅れてフィーも、声を合わせて歌い始める。

 すると、ドラバイトの太陽から波紋のような形の光があふれた。やがてレイカの胸元のダイヤも、ジンの指輪のアレキサンドライトも、ロキシーとフィーの歌に共鳴を始めた。

 歌が終わっても、ドラバイトの太陽の光は止まらない。見守っていると、かすかに声が聞こえ始めた。ささやきを繰り返す声は少しずつ大きくなり、一度だけはっきりと、あたりに響き渡った。

「カエリタイ」

 そこで、声も光も止まった。

 フィーはジンとレイカを振り返って言った。

「これが私たちに、ただひとつだけ出来ることよ。こうして宝石に残された思いを聞き取るの」

 レイカはドラバイトの太陽に向かってうなずいた。

「分かったわ、ローズ。もう少しだけ待っていてね」

 そして、レイカは決意をこめた瞳でジンをまっすぐに見た。

「ジェネラル・ジン、私に数日間の休暇をください。ドラバイトのローズの墓場に、このティアラを還してきます」

 

 

 ジンはレイカのドラバイト行きを心配して「一緒に行こう」と言ってくれたが、レイカは断った。

「私事でジェネラル・ジンの仕事に穴を空けるわけにはいきません。ドラバイトには、ともにティアラを捜索し、窮地を切り抜けた頼もしい友人たちもいます。ただもとの場所に還してくるだけですし、ちゃんとポイントも覚えています。そもそも、私はたった一人でヒーラ社の危険な仕事を受けていたんです。だから何の心配もいりません」

 ジンは、シャニの専用機すら断るレイカのために、隠密で一般の飛行機を利用するときに使う旅行代理店とその担当者を紹介してくれた。レイカはエコノミーで飛行機の手配を頼み、空港近くのホテルに宿を取ってもらった。今回もドラバイトで友人になったホセにボートを出してもらうが、彼のボート屋に宿泊する必要はない。期間は最短日数の3日間だ。機中泊を含めた強行軍だが、少しでも早くジンのもとに戻りたかった。

 スカイプでその話をすると、エスメラルダはあきれた。

「ついて来てもらえばいいじゃない! レイカはもう、ジェネラル・ジンの側近中の側近なのよ。単独行動なんかしたら、ヒーラ社が何を仕掛けてくるか分かんないわよ!」

「ニコライたちとの修羅場に比べたら、どうってことないわよ。もし何か仕掛けられても、撃退してやるから」

 レイカはファイティングポーズを取った。

「私はヒーラの圧力なんかに屈しないわ!」

「レイカさん、自信の持ちすぎは危ないですよ。くれぐれも無茶はしないでくださいね」

 ヒロミがさとすように言うと、エスメラルダは戸惑ったように眉をしかめた。

「ヒロミってばレイカがいなくなってから、言うことがどんどんママみたいになってきてるのよー。なんだか、へんなカンジ!」

「おともに、あの腕環も連れて行ってくださいね。離れていても私たちの力が役に立つように、石に力を封じ込めておいたから」

 ヒロミの言葉に、レイカはうなずいた。

「ありがとう。これで百人力よ」

 

 

 レイカがドラバイトへと発つ前日、仕事を終えて屋敷に着くと、門の内側は奇妙に静かだった。

 先に帰っているはずの子どもたちの姿がない。いつもなら前庭で遊びながらジンとレイカの帰りを待っているのに。

「様子がおかしいな………」

 ジンは屋敷に入らず、庭を西へ回った。レイカも後に続いた。そして、もう使われていない西の研究施設の一角で、何やら頑張っている子どもたちの姿を見つけた。

 子どもたちは、大きな木の幹に脚立を広げて立てかけていた。ダンが素早く登り、他の子は3人がかりで脚立を支える。

 ダンは脚立を登りきると、幹の出っ張りを手掛かりにして枝に移った。ロキシーとフィーとユーリは、脚立のまわりでダンを応援して声を張り上げた。ダンは片方の手のひらに何かを捧げ持ち、枝から枝へ器用に渡り歩いている。

「あの子たちは何を……!」

 ダンはジンとレイカが駆け寄ってくるのに気づいて慌て、バランスを崩して枝からすべり落ちた。

 ジンがダンの名を叫んだ。

 左手首にはめていた腕輪の宝石が二つ、レイカの思いに呼応した。

 エメラルドの目でダンとの距離と落下速度を正確に割り出したレイカは、ルビーの怪力を脚のばねに乗せた。レイカは弾丸のように空を切って飛び出した。重力に呑みこまれて落ちて行くダンの体を空中でつかまえ、その体をまるめてしっかり抱え込んだ。

 レイカの体は地面に叩きつけられたあと、そのまま芝生を激しく転げて、生垣に突っ込んで止まった。

 レイカはすぐさま起き上がってダンの体を調べた。

「よかった、けがはなさそうね。どこか痛いところは?」

 ダンは首を横に振った。ダンは胸元に両手を卵のような形でぴったりと合わせている。

 ジンと子どもたちが駆け寄ってきた。

「なんて無茶をするんだ。けがをしてるじゃないか」

 ジンに言われてよく見てみると、スーツはあちこち裂けて破れ、肘や膝が血に汚れていた。ストッキングはささくれた紐のように脚に絡みついて、靴底はルビーの力に耐えきれず砕けてしまっている。ダンの身を守ることに集中していて、自分は打撲と擦り傷だらけになっていた。

「あら、ずいぶん勇ましい出で立ちになっちゃった。ふふふ、大丈夫よ。なんてことないわ!」

「笑いごとじゃない!」

 ジンが珍しく声を荒らげ、レイカは驚いてかたまった。怒鳴られたのは初めてだ。

「まったく君は…」

 ジンはレイカの頬に手を触れた。が、至近距離で子どもたちがぽかんと見守っているのに気づいて、すぐに手を引っ込めた。

「あなたたちは、一体何をしていたの?」

 レイカが尋ねると、子どもたちはしゅんとしぼんでしまった。

 ダンは卵の形に固く閉じていた両手を開いた。

 ダンの手の中には、みすぼらしい小鳥のヒナがいた。力なくうごめくヒナは、目もろくに開けられないようすで、かなり弱っていた。

「お前たち、このヒナを巣に戻そうとしていたのか……そういうときは、まず大人に相談するものだ」

 ジンはダンの頭を撫でた。

「僕たち、ちゃんと最初はジョージとメリッサに相談したよ! だけど2人とも、この子は弱くて生きられないから親に捨てられたか、競争に負けて兄弟に巣から蹴り出されたんだって……可哀そうだけど、それが自然のことわりだから仕方ないって……」

「このヒナには可哀そうだけど、ジョージとメリッサの言う通りだ。それが、自然の生き物たちのルールなんだよ」

 ジンはゆっくりとした口調で、子どもたちをさとした。

 するとダンは震えながら言った。

「それじゃ、僕たちがパパとママに捨てられたのも、自然のことわりなの?」

「ダン! それは違う!」

 ジンはダンの腕をつかむとなかば叫ぶように言った。

 ダンは涙でつかえながら、やっと言った。

「この子は、きっと、パパや、ママに、いらない子だって、言われても、死ぬならその最後まで、おうちで、パパやママの側にいたいって願っているよ!」

 ジンは慎重に言葉を選ぶと、静かな口調で言った。

「動物は人間とは違って、不思議な力があるんだ。神様に召されるときが分かるんだよ。この子のパパやママは、それが分かっただけなんだ。そして、人間は動物とは違って、間違いを犯すんだ。……生きていれば、誰でも」

 子どもたちはジンの言葉を聞いて、ぽろぽろと涙を流した。

「この子が神様に召されるしかないのなら、せめて僕たち、そのときまで側にいてあげてもいい? 一人ぼっちで死なせたくないよ」

 ユーリの言葉に、ジンはうなずいた。

 子どもたちはジョージに頼んで小さな木箱をもらい、タオルを敷いてヒナを入れた。ジンはペットボトルの空き容器に湯を入れ、タオルでくるんで湯たんぽを作ってやった。木箱に入れると、ヒナは暖を求めてそれに寄り添った。

 子どもたちは小さなバッタを捕まえてきてヒナに与えようとしたが、弱っているヒナは口を開けなかった。やがてヒナは、湯たんぽに寄り添ったまま、静かになってしまった。

 子どもたちはあたりが薄暗く染まる中で、懐中電灯と外灯の明かりを頼りに、ヒナの埋葬を済ませた。

 その後、しんみりと夕食を取った。学校での出来事をジンやレイカに聞いて欲しがって、口々にまくしたてる子どもたちでいつもにぎやかだったテーブルが、今はまさに通夜の席のようだ。

 談話室に移ると、子どもたちはソファでレイカにべったり貼りついた。ユーリはレイカの膝に身を投げ出し、他の三人は押し合いへし合い、レイカに背中をくっつけて離れない。

「なんだ……今日の僕は人気がないな」

 ジンがぼやくと、ユーリは弱々しく言った。

「だって、明日からレイカはドラバイトに行っちゃうんだもん」

「すぐに帰ってくるわよ! ドラバイトはナッツやドライフルーツがおいしいの。お土産に買ってくるから、そうしたらそれで一緒にケーキを焼きましょう」

 レイカが励ますように言うと、子どもたちは少しだけ笑顔になって、うなずいた。

 

 

 ジンは出勤前にレイカを空港まで送ってくれた。

「出国を見送ってあげられないのが残念だ」

「ありがとう、忙しいのに」

 礼を言うレイカの頬にジンは片手を伸ばして、指先で触れた。

「レイカ……」

 レイカの心臓がドキッと響いた。切なげなジンの瞳に釘付けになる。

「…………僕は、カイロで目覚めてから……」

 ジンは言い淀んだ。そして、レイカの頬から手を引いた。

「いや、よそう。君が為すべきことを為して、戻ってきたら……そのときに」

 そしてジンは真剣にレイカの瞳を覗き込んだ。

「くれぐれも、無茶はしないでくれ。ドラバイトは遠すぎる。何かが起きても、僕はすぐには駆けつけられない」

 ジンはレイカをロビーに残して、去って行った。そして角を曲がるときにレイカを振り向き、手を上げて合図した。

 レイカは小さく手を振った。

 ジンの姿が見えなくなると、急に心細くなってきた。

(このまま離れて、よかったのかしら。ついて来てほしいって、甘えれば良かった…忙しいジンに負担をかけたくない……だけど……)

 不安な気持ちに襲われて胸を押さえると、懐に入れた指輪の感触があった。

(……大丈夫よね。ここに宿っているはずのジンの魂のかけらと、いつも一緒だもの。もう、なにも応えてはくれないけど…きっと、消えてはいないはずだもの)

 レイカは搭乗手続きを取りながらそう自分に言い聞かせた。

 離陸してしばらくすると、窓のはるか下に高層ビルが林立するオフィス街が見えた。あの中のシャニのビルで、たった今、ジンは忙しく働いている。それを思うと寂しくなった。

(あのとき何を言おうとしたの? ジン……)

 トロントは次第に遠くなっていく。こんなに不安になるのなら離れるべきではなかったのかも知れない。しかし、もう遅かった。

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