トロントからはドラバイトへの直行便が出ていないので、ロサンゼルスで飛行機を乗り継いだ。ドラバイト行きの小型ジェット機は、平日なのと混む季節でもないことで、閑散としている。
レイカは席に着くと、携帯を取り出した。
(ジンには『まめに連絡を』って言われてるけど……今乗り継ぎましたってメッセージを送るのは鬱陶しいと思われるかしら)
画面を見ながら迷っていると、ちょうどジンからメッセージが入った。開いてみると「I miss you.」と書かれていた。通常は恋人や家族のように親しい人に送るメッセージだ。
レイカの不安は一気に押し流され、あたたかさが体中に満ちた。
(う…うれしい……けど、これ、どう返信したらいいの?)
恋愛関係なら「me too」と送るところだが……
「……いいわ! 送っちゃえ!」
レイカは思い切って「me too ! 」と送った。頬が熱くなる。
間もなく隣に座っている乗客の胸ポケットから、携帯の振動音が聞こえた。今頃、ジンの携帯にもメッセージが届いているのだろう。それを見たジンはどんな顔をするだろうか?
(あっ……だめ…想像すると顔がにやけちゃう)
隣の乗客は携帯を確認したあと、レイカに握手のための手を差し出した。
「やあ、美しいお嬢さん。ドラバイトまでの長道中、よろしくお願いします」
「…ジ……!!」
ジンは人差し指を立ててレイカの唇に当て、静かにと合図した。
「僕はロイ・ディアソルテと言います。ちゃんと、この名前でパスポートもあるよ!」
レイカは酸欠の魚のように口をぱくぱくさせた。
「どっ、どうして…」
「どうしてって……『I miss you.』って送ったら『me too ! 』って返事が来たから、嬉しくて空を飛んできちゃった☆」
ジンは朗らかに笑った。
「ど、どうやってここまで…」
「簡単だよ。君と別れたあと荷物を持って戻ってきて、着替えて、同じ便の離れたエコノミー席に座ってた。本当はトロントから君の隣に座りたかったけど、あいにく席が空いてなくて」
「ど……どうして言ってくれなかったの?」
「君が僕の言うことを素直に聞かないからだ。僕は一緒に行くって言ったのに、意地を張って断ったりして」
ジンはニコニコしてレイカを見つめている。
レイカは恥ずかしくなって、うつむいた。携帯でのやりとりの一部始終を、ジンは隣で楽しんでいたわけだ。
ジンの長い脚はエコノミーでは窮屈そうだ。
「あなたほどの人が、エコノミー席なんて…」
と言うと、ジンは軽く笑った。
「ただのロイがファーストに座ってたらおかしいじゃないか。それに、ここの方が君との距離が近くていい」
レイカはしばらく顔を上げられなかったが、ふとあることに気づいた。
「……きっと、子どもたちが寂しがるわ」
「うん。帰ったらいっぱい相手をしてやらなくちゃね。……さて、僕は少し眠るよ。いたずらが成功して安心したら、眠くなってしまった。実を言うと昨晩から、ワクワクして満足に眠れなかったんだ」
レイカはジンがシートを傾けてアイマスクを着けるのを横目で見守った。
「……一緒に来てくれてありがとう、ジン」
ジンは返事をする代わりに、肘掛に置かれていたレイカの手に自分の手を重ねた。レイカは息をのんだ。
(……この人はきっと、私たちがどういう関係だったか、もう知っているんだ)
レイカは「あの子の好意を、まっすぐ受け止めてあげて」というサエコの言葉を思い出した。
(隠さなくていいのね……もう……)
レイカは自分のシートの角度を隣に合わせ、ジンの肩先に額を寄せた。
ドラバイトに到着し、入国手続きを済ませるとジンは言った。
「先に言っておくが、ホテルの部屋は一緒だから」
「えっ! ちょ、まっ……」
慌てるレイカに向かってジンは笑顔を向けた。
「だって僕たち婚約までした仲なのに、別の部屋はおかしいだろう?」
「!!!!!」
「何をうろたえているんだい? 大丈夫、ベッドは別だ。寝込みを襲ったりしないよ」
「ね、ねこみ…!!」
「僕とて、君のカイザーナックルでぶん殴られたくはないからね。せっかく来たのにトロントまで吹っ飛ばされちゃかなわないよ」
ジンはウインクした。
「この夜が明けたら、難しいホールダイブだ。ちゃんと眠って体力を温存しないと。君と大立ち回りを演ずるとしたら、トロントに戻ってからだ」
その言葉の通り、ジンはベッドに入るとまもなく寝息を立て始めた。
レイカはどうしても寝付けなかった。起き出すと、ジンのベッドの側に膝をついた。寝息の聞こえる枕元に頭を置く。
カイロで意識のないジンに対面し、絶望に打ちひしがれて彼の胸が呼吸で上下するのを見ていたあのときから、まだ半月ほどしか経っていない。今こうして耳元で安らかな寝息を聞いているのが夢のようにも思えてくる。
レイカはそのまま眠りに落ちてしまった。
すると、レイカの首から下がっているダイヤが、かすかに光り始めた。発光はわずか数秒続くと、何事もなかったように消えた。それと同時にジンが目を覚まし、枕元に眠っているレイカに気づいた。
夜が明け、携帯のアラームが鳴った。移動の時間だ。
レイカは自分のベッドに起きあがった。
(ん、あれ? ……ここで寝てたっけ。眠過ぎて気持ち悪い……)
レイカは頬を叩いて気合いを入れた。
「さっさとケリをつけて、帰ろう。子どもたちが待ってるわ」
力強くうなずいて、ベッドから出た。ジンはすでに起き出していて、シャワーを使う音がしていた。
やりとりしたメールの様子では、両手を広げて歓待してくれそうな雰囲気だったのに、ホセはボート屋の中であたふたしていた。
「あ、レイカさん! ようこそ!」
ホセは慌てたようすで挨拶した。
「どうしたの?」
「ちょっと気難しいお客が…」
ホセは言いかけた。
「まずい! もういい! 何度淹れ直そうと同じじゃ!」
小さな丸テーブルで、ダイビング専門店に似つかわしくない老人が怒鳴っている。ホセが運んできた紅茶が気に入らないらしい。
げんなりした様子で盆を持って戻ってきたホセに、レイカは言った。
「試しに、私に淹れさせて。気に入ってくれるか分からないけど」
レイカは厨房を借りて紅茶を淹れた。
紅茶を盆に載せて丸テーブルに運ぶと、席には額と顎が秀でた偏屈そうな老人が座っていた。
「こちらをどうぞ」
老人は眼鏡の奥からレイカをじろりと見た。そして差し出された皿からカップを取り、香りを確かめると一口含んだ。
「……ふむ!」
感心したようにうなずくと、老人はレイカとジンをかわるがわる眺めた。
「どうじゃ、君らも座らんか」
勧められるままに席に着くと、老人は肩を揺すって笑いだした。
「クックックッ……ヒーラ社からはクリシュナの単独行動と聞いておったんじゃがな。ジェネラル・ジンと婚前旅行かね。最近の若者は乱れきっとるわい!」
「あなたは……あなたも宝石使いですね。その気配がします」
驚いて声も出ないレイカに対して、ジンは冷静だ。
「いかにも。わしゃ、ガーネット使いのサミュエルという者じゃ。確認させてほしいんじゃが……この地にはダイヤモンドはおろか、貴金属や宝石の鉱脈の気配は、一切ない。君らは、鉱脈を探し当てに来たわけではないのじゃな?」
「僕たちは、墓参に来たんです。盗賊がこのドラバイトから持ち去った副葬品を返しに」
サミュエルは何度もうなずいた。
「チェリンには残念な知らせじゃな。君らに先んじて鉱床を押さえようと意気込んどったが。そうとなればこのボート屋にもう用はないわい」
サミュエルは紅茶を飲み干した。
「こんなうまい紅茶は初めてじゃった。帰る前に礼をさせていただこう」
サミュエルは開襟シャツの胸ポケットから懐中時計を取り出した。大きなガーネットが嵌め込まれている。
「これは昔、カナダの友人ノエル・オリバーにあつらえてもらった物でな。普段医療に携わっとるわしの長年の相棒じゃ。これを通して患者の身体の声を聴く」
サミュエルはレイカを見た。
「君は慢性的な寝不足じゃな! いくら若いからといって、無理をしてはいかん。君の体は休養を必要としておる。しかも打撲だらけか。そんな状態で今日ダイビングするのか? 若い者は無茶じゃのう! そんな無理を続けとると、年を取ってから一気にガタが来るぞい。それと、悪いことは言わんから帰ったら余計なことは考えんとたっぷり眠りなさい。色々と抱え込みすぎだと、君の体はそう言うとる」
サミュエルはレイカに向かって勝手にまくしたてると、返事をする暇も与えず、次はジンを見た。
「………なんじゃ……これは」
たちまちサミュエルは硬直し、ジンを探るように見つめた。
「……こんな症例は見たことがない。健康上の問題はないようじゃが……」
ジンは少し笑った。
「問題は大ありですよ。僕は大事な記憶をなくしてしまって、困っているんです」
「記憶がない、とな」
「どうにかして、取り戻す手立てはないものかと」
「ふーむ……………記憶というものは本来、思い出せなくなっても消えてはおらん。脳内で、その記憶を格納した部分との回路が切れておるだけでな。だがしかし、君にとって最初から無い記憶を得ることは、さすがに無理じゃろう」
レイカはテーブルに目を落とした。生きてくれているだけでいいとは思っていても、やはり心が痛んだ。
「しかし……体の時間を巻き戻すことで一度神に召された魂を無理矢理この世に引き戻すとは。一体誰じゃ、そんな聞いたこともない恐ろしい技を使う者は」
サミュエルはため息交じりに言った。
「あなたも十分恐ろしいですよ。僕たちは一言も言っていないのに」
ジンが感嘆して言うと、サミュエルは面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。
「わしはガーネットを通して君の体の声が聴いただけじゃよ。あまり役に立てんかったのが残念じゃ。かのジェネラル・ジンのお役に立てば、わしのネームバリューも上がるというものだったんじゃがな」
サミュエルは立ち上がった。
「それでは失礼するよ」
レイカは意外な思いでサミュエルの後ろ姿を見送った。
「私、ヒーラ社が何らかの圧力をかけてくると思ってたけど……ここまで何もないと、拍子抜けしてしまうわ」
ジンはあきれた。
「つまり……君は一人でヒーラ社の手の者と一戦交えるつもりだったのか? ついて来て正解だったな」
ジンはレイカの荷物を拾い上げた。
「ホテルの部屋を取り直そう。今日のダイビングは中止だ」
「そんな、ここまで来て…」
「サミュエルさんに言われただろう? 無理は禁物だよ」
ジンはさっさと2人分の荷物を運び出し始めた。
「待って、ホセに延期を頼まなくちゃ……」
ジンのあとを追ったレイカは出入り口で立ち止まった。背中がざわつく。
ジンも何かに気づいたらしく、階段の前に緊張した様子で立ち止まってあたりをうかがっている。
ボート屋のまわりは奇妙に静かだ。切っ先の鋭い刃物があちこちの木陰に多数ひそんでいるような、異様な雰囲気が漂った。
レイカは腰から素早くカイザーナックルを取り出した。
(何かしら……殺気とは微妙に違うような?)
「ジン、このまま外に出ましょう。ホセを巻き込みたくない」
レイカは奥に向かって声をかけた。
「ホセ、私たちが戻ってくるまで、絶対外に出ないで!」
ホセが顔を出して何事かと尋ねたが、そこにレイカたちの姿はもうなかった。
ジンとレイカは川沿いの道を走った。切っ先のような鋭い気配は、草むらに隠れながら執拗についてくる。
草やぶが音を立てて動いた。そこから二人の男が飛び出した。
ひとりの男がレイカにつかみかかり、もうひとりはレイカの足元をすくった。レイカの姿は煙のように消え、二人の男は体勢を崩した。彼らが襲ったのはジンの能力で作った幻のレイカだ。
そこを実体のレイカのカイザーナックルが襲い、二人の男はほとんど同時に空中に高く投げ飛ばされた。
その瞬間、草やぶから複数の男たちが飛び出した。彼らは空中で失神し落下する仲間を受け止め、身をひるがえして草やぶに消えた。男たちは迷彩柄のジャンプスーツで、顔にも迷彩のペイントを施していた。
あたりに静寂が戻った。しかし、草むらからレイカたちを突き刺す鋭い視線だけは数多く残っている。
レイカたちは身構えたが、数分経っても何の動きもない。
「僕たちを消耗させるつもりか……」
ジンは視線を端から端まで動かした。
「あの人数に統率された動き……奴らには“頭”がいる。ポーンを進めて戦闘の道を開け、こちらの出方をうかがっている」
「私は彼らのゲームに乗る気はないわ!」
「僕もだ。チェス盤ごとひっくり返そう。耳を貸して」
ジンは小声で作戦を耳打ちした。
一瞬、レイカは戸惑った。自分に出来るだろうか。
「君は、出来る。君は日本の仲間から強力な武器を授かったはずだ」
ジンの言葉に、レイカは力強くうなずいた。
二人は道をそれて草むらを走り始めた。見えない敵をなるべく奥へと誘い込む。しかし垂直に立ち上がる崖に行く手をふさがれた。
ジンは大地の壁に手を触れて、感触を確かめた。
「この地層はもろい。登るのは危険だ」
敵の気配がじりじりと迫ってくる。
レイカはエメラルドの目で崖の角度と必要な飛距離を割り出した。ルビーの力を身体に満たし、手を組んで腰を低く落とし、構えた。
「ジン、私の手に足を乗せて! ルビーの力で投げ飛ばして、この崖の上までジャンプさせるわ!」
「君の手を踏みつけるなんて、できないよ!」
「何言ってるのよ、こんなときに!」
「僕が他の方法を考え……」
レイカは力づくでジンの肩をつかんで引き寄せ、抱え上げ、そのまま跳躍した。
迷彩服の男たちが驚愕して声を上げた。
「なんだあれは!」
「ありえん!」
レイカの身体は上がりきって失速し、角度の狭い放物線を描いて崖の上に落ちた。レイカは脚のばねを使うことで着地の衝撃を和らげた。
「今度はうまくいったわ。ダンのときにもこれが出来ればよかったんだけど」
レイカはジンを腕から下ろしてルビーの力を解いた。
「ジン、どこか痛くした?」
ジンは片手で目を覆って、長いため息をついている。
「正直、心が再起不能だ。君にお姫様抱っこされるとは……」
「あなたが私の言うことを素直に聞かないからよ!」
「……これは一本取られたな」
ジンは苦笑した。
「さぁ、奴らが登って来ないうちに樹上に隠れよう。木登りはできるかい?」
「ええ、大得意よ!」
高い位置から地上を見下ろしたレイカは、腕環のサファイアを通して大地に流れる筋のようなものを感じ取った。筋はところどころ太くなり細くなり、毛細血管のように縦横無尽に広がっている。崩しやすいポイントまでが手に取るように分かった。
(これが、サエコさんやダンが感じ取っているもの……!)
レイカたちは迷彩服の戦闘員たちが崖の上に集中するのを待った。今度はこちらが隠れて追いつめる番だ。
集まった男たちは緊張したようすでまわりを見渡している。
「あなたたち、そんなに私の拳が欲しいの?」
樹上からレイカの声が響くが、男たちにはまったく位置が分からない。ジンのアレキサンドライトの能力でレイカの姿は隠されている。男たちは注意深く頭上をうかがい、低い姿勢で少しずつ移動した。
「拳が欲しいのなら……」
もう一度、レイカの声が響いた。
「くれてやる!」
同時に三人のレイカが男たちの頭上に降って湧いた。そのうち二人のレイカは草むらに吸い込まれて消え、彼らが驚き困惑しているうちに、もう一人のレイカがカイザーナックルで大地を打った。腕環のサファイアの力がカイザーナックルのダイヤで増幅され、狙い通り地中深くの筋に波動を打ち込んだ。
地獄の蓋が開くような地響きが起き、うっそうとした樹木ごと大地がひび割れ、男たちは叫び声とともに為すすべもなく巻き込まれていく。
見晴らしのよい崖の上から独り戦闘の様子を見守っていた老人サミュエルは、肩を揺すって笑った。
「クックックッ……なんとも凄まじい。恐ろしい限りじゃて。鬼神もかくあらん……」
レイカはもう一度波動を送り込み、大地の動きを鎮めた。
「……私たちは命まで奪るつもりはないわ。負けを認めなければもう一回お見舞いするけど!」
「この女ぁ!!」
潜んでいた草やぶを破って男が立ち上がり、ライフルの銃口をレイカの額に向けた。
しかし男がトリガーを引く前に、銃身に稲妻のような細い筋がまつわりつき、静電気がはじけるような音がした。
男は悲鳴を上げて銃を放り出した。肉が焼ける匂いがする。男の指は加熱しすぎたウインナーソーセージのように皮が破れていた。男はうずくまって苦痛にガタガタと震えた。
「レイカ、大丈夫か!」
ジンが現れてレイカの両腕をつかんだ。
「火傷は?」
レイカは首を横に振った。
「ジン、今のは一体?」
「強い電磁波をライフルに集中させたんだ。理論上できるとは思っていたけど、実際にやるのは初めてだ。狙いが数センチ外れるだけで命を奪いかねないからね」
口には出さなかったが、レイカの頭にはある家電製品が浮かんでいた。
(……電子レンジ?)
地上に放り出されたライフルの銃身には、まだ細い稲妻がまつわりついている。
ジンは、そのライフルを見つめて脂汗を流している男がいることに気づいた。
「お前が“頭”か」
ジンの言葉で我にかえった“頭”らしき男は、部下に退却を叫んだ。
しかしジンは逃さなかった。たちまち“頭”の前にジンの幻が現れて、立ち塞がった。
“頭”は向きを変えて逃れようとしたが、待ち受けていた実体のジンに頭を捕まえられた。
「……“詰み”だ。いさぎよく投了したまえ」
“頭”の頭蓋骨はジンの手の中で、音を立ててきしんだ。“頭”は苦痛のうめきを漏らした。
「そこまでで許してやってくれんか」
木陰から聞き覚えのある声がした。
「サミュエルさん……? どうしてここに」
サミュエルはジンとレイカの前に進み出た。
「勝負はこやつらの負けじゃ。すでに皆、戦意を失っとる。わしは新たにチェリンの依頼を受けて戻ってきた。クリシュナにジェネラル・ジンが同行しとると報告したら、キッペンベルクの犬どもを止めて命を助けてやれ、とな。事が起こる前に間に合わんですまんのう、キース君」
ジンはキースと呼ばれた男の頭から手を離した。戦闘員は一様にうなだれ、キースはへたり込んだ。
「笑うがいい、サミュエル……我々の任務は失敗だ」
キースはうめくように言った。
「なぜかね? ものは言いようじゃ。キッペンベルクにはこう言ってやれ。君らはクリシュナとジェネラル・ジンを相手取って、見事、その行動を撹乱し阻害した。彼らは鉱脈を見つけることは叶わず、帰って行ったとな。どうせここには、もとよりダイヤの鉱脈はないんじゃ。それに、リサーチ不足は奴らの責任じゃ。治療費も含めてしっかり、ふんだくれ!」
そしてサミュエルはレイカをビシッと指さした。
「君は、今日のダイビングは中止! ドクターストップじゃ! せめて明日にしなさい!」
車に乗り込むと、レイカは急に気が抜け、どっと疲れを感じた。
「あっという間にケリがついて良かったわ。……またキッペンベルクの名を聞いたけど、シャニと因縁でもあるの?」
レイカが尋ねるとジンは言った。
「記録によれば、我が社がノエル社を買収した折、チェリンはヒーラ側の調査員として君を派遣した。その一方で、情報部のナンバー2であるキッペンベルクも別の調査員を指し向けた。そして、僕が子どもたちを救い出すために会社を留守にしている間に、奴が中心となってノエル社を強引に奪っていったんだ」
二人は昼食後ホテルの部屋を取り直した。
一日延期になったが、明日は当初の予定通り午前にダイビングを済ませ、午後はトロントに向かう。
レイカはシャワーを使い終わると、ベッドに入った。
「ねえ、ジン……」
バスルームに行きかけたジンに声をかけた。
「あのとき、トロントの空港で何を言おうとしたの?」
ジンはレイカの側に来てベッドの端に腰を下ろし、レイカの頭を撫でた。
「僕は、カイロで目が覚めて、初めて君を一目見たとき……急に、ささやかな幸せが欲しくなってしまったんだ。僕は自分の代だけでヒーラやウィルスンを抑え込みたかった。なのに、あんなに僕を駆り立てていたものが突然色あせてしまった」
レイカは幸せで胸がいっぱいになった。
「もちろん今も、何年かかってでも業界の自由化を目指すという目標はあるよ。ウィルスンの残党も掃除したい。だけど……カイロであの日、君が目を覚ました僕の胸に泣きすがってきて……不思議に胸があたたかくなったよ。そうしたら、焦りや怖れや……そういった悪い魔法が少しずつ解けはじめたんだと思う。記憶をなくす前の僕も、きっとそうだったんだろうね」
ジンはレイカの手を取り、口づけた。
「さあ、もうお休み」
「……いやよ」
「わがままを言わないでくれ。君が眠るまで、ここでこうしているから」
ジンは微笑んで、レイカの指に自分の指をからめた。
夜半、レイカは喉が渇いて目を覚ました。かなり長時間眠っていた。夕食を取っていないが空腹はあまり感じない。
レイカはペットボトルから水を飲んだあと、もうひとつのベッドに眠っているジンの横にもぐりこんだ。そしてジンの腕を抱え込んで、再び眠りに落ちた。