評論「政治権力者ヤン・ウェンリーに関する一考察」   作:旧王朝史編纂所教授

1 / 18
はじめに

 ヤン・ウェンリーとは何者であったのか?

 

 近年、旧王朝末期の政治史、また同盟・フェザーン史の歴史学会に参加するたび、しばしば耳にするようになった疑問の声だ。理由は明らかだろう。バーラト自治領で、同盟末期の政治、軍事を中心に、刺激的な論考を発表している在野の歴史学者、ユリアン・ミンツ氏の諸著作の帝国語版が多数、発刊されたからに違いない。

 

 筆者のように、帝国暦元年から100年頃の政治史、ルドルフ大帝や強堅帝ジギスムント1世の御代を扱っている者からすれば、その史料の豊富さに羨望の念を禁じ得ないと同時に、史料情報と伝聞情報が交錯し、厳密なテキストクリティーク(史料批判)も為されないまま、歴史像を描き出そうとするその試みは、歴史学者の仕事と言うよりも、むしろジャーナリスティックな営為に過ぎると思えるのだが。

 

 それはさておき、我々帝国人には馴染みが薄い、同盟やフェザーン末期の現状をリアリスティックに描き出してくれた、これら一連の著作は、筆者も興味深く拝読した。自身も当事者でありながら、出来得る限りの客観性を保とうとする執筆姿勢は好感が持てるが、同時に、旧同盟軍人ヤン・ウェンリーなる人物に対した時のみ、その客観性は失われているように感じる。ヤンが開祖ラインハルト陛下さえ凌ぐ卓絶した名将であり、また民主共和制を護持する事に身命を捧げ尽くした無私の英雄だったと、それのみが繰り返し語られているかのようだ。

 ミンツ氏の経歴を考えれば、それも止む無しかとは拝察するが、筆者がミンツ氏の仕事を「ジャーナリスティック」と評したのは、実はこの点にもあるのだ。

 

 さて、ミンツ氏の諸著作に対する評価や批判は、当該時代を専攻する研究者から多数、発表される事が十分予想される以上―実は、筆者の同僚の中にも、ミンツ氏の著作を題材にした論文執筆を予定している者は少なくない―、専門外の筆者が軽々に言及する事は、学界のマナー上からも控えるべきであろう。

 ただ、筆者がミンツ氏の著作を拝読する中で、強烈な違和感を覚えた箇所がある。それは以下の点だ。氏の著作の一節より引用したい。

 

「宇宙暦796年(帝国暦487年)、ローエングラム朝銀河帝国の建国者、獅子帝ラインハルト陛下がブラウンシュヴァイク公オットーを盟主とする門閥貴族軍を撃滅した、いわゆるリップシュタット戦役前夜、遠く同盟の地で、ヤン・ウェンリーはゴールデンバウム朝銀河帝国を滅亡に導く、必勝の策を練っていた。それも2つ。

 

 1つは門閥貴族軍と同盟して、共にラインハルト陛下の軍を打ち破る、返す一撃で門閥貴族軍を屠る。もう1つは門閥貴族軍に策を授けて、ラインハルト陛下と互角に戦わせ、両軍が疲弊の極に達した所を撃つ。

 

 自分になら多分できる…ヤンの用兵家としての卓絶した頭脳がそう自負するのだ。彼がそれ以前に、そして、それ以降に挙げ続けた、偉大な軍事的業績を念頭に置く時、客観的に見ても、それは完全に正しい評価だった。

 

 しかし、ヤンはその死に至るまで、民主共和国家の一軍人である、との姿勢を決して崩さなかった。それは政治権力に近づく事を良しとせず、権力者に美よりも醜を感じる、彼自身の精神的高潔さを表すと同時に、自身がその卓絶した政戦両略の才能を十全に発揮してしまえば、それは自ずと、民主国家の一軍人に許された矩を超えてしまう。ヤンの明晰な知性は、その事もまた理解していたのだ。

 

 高潔な民主主義者ヤンは、自分は決して、民主国家の醜悪な裏切者、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが如き、自己神格化さえも妄想した権力亡者にはならないと、固く決意していた。そして、その誓いは、決して違背される事は無かったのである」

 

 ヤン及びルドルフ大帝へのミンツ氏の評価は別として、まず筆者が指摘したいのは、リップシュタット戦役勃発前、旧同盟軍人ヤン・ウェンリーがブラウンシュヴァイク公ら旧王朝の門閥貴族に対し、軍事指導を行える立場にいた事、そして、あの高慢なる貴族達がその指導を受け入れると確信していた事、この2点である。

 

 旧王朝末期、ブラウンシュヴァイク公ら門閥貴族とフェザーン自治領が経済的に深い関係にあった事は分かっているが、彼ら貴族と同盟政府及び同盟軍との関係が如何なるものであったのか、リップシュタット戦役で当事者の貴族達が悉く滅亡し、また政治的理由で、彼らの史的研究が進んでいない今、明らかになっていない面が多々あるのだが、このミンツ氏の記述は、当時の同盟軍が旧王朝の中枢部と密かな関係を結んでいた事を想像させる。

 

 そして、筆者が感じた違和感とは、ヤン・ウェンリーという人物の政治力の有無である。引用した一節もそうだが、ミンツ氏は自著の中で、ヤンが政治権力者との交際を拒み、その死に至るまで、自身が権力者になる事を一貫して拒否し続けたと強調している。

 

 しかし、敵国の支配層とコンタクトを取れる、さらに自分の意図した通りに行動させられると確信するためには、自分自身が大国の元首クラスの政治権力を保有しているか、或いは自身が元首クラスの権力者に強い影響力を及ぼせる立場でなければ不可能だろう。ミンツ氏の表現を借りるならば、「明晰な知性」の持ち主・ヤン・ウェンリーが、何の確信も目算も無く、敵国の有力者を自家薬籠中の物として、意のままに行動させられると断言するはずは無いだろう。そうでなければ、ヤンは単なる誇大妄想狂でしかなく、そのような極めつけの愚者を偉大なる開祖ラインハルト陛下が好敵手と見なすはずもないからだ。 

 また、常識的に考えても、一国の軍隊で元帥の地位に至った人物が、政治権力と全くの没交渉でいられるものだろうか、強い疑問を感じざるを得ない。

 

 旧王朝末期は、筆者には専門外の時代であるため、史料上の根拠を示した上での詳細な論証は困難だが、現在の職場・旧王朝史編纂所はその性格上、当該時代の一次史料は比較的潤沢にあり、同時代を専門とする同僚達も多い。さらに、旧同盟軍第7艦隊司令官だったカレル・ホーウッド元中将の知遇を得たため、同盟末期の同軍内部の事情、特に派閥抗争に関しては、数多くの貴重な証言を頂く事が出来た。

 

 それらに基づき、旧同盟軍人ヤン・ウェンリーと政治権力の関係について、ヤンの人生行路に沿って、小論をまとめてみた。今後の同盟史研究の一助になれば幸いである。また、小論内の同盟及びフェザーン関係の記述は、その多くをミンツ氏の諸著作に負っている。氏の御労苦に対して、同じ歴史学徒として敬意を表するものである事を明記させて頂く。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。