評論「政治権力者ヤン・ウェンリーに関する一考察」 作:旧王朝史編纂所教授
シトレ・ロボス両派による、派閥抗争の観点から帝国領侵攻作戦、アムリッツァ星域会戦の裏面について、想像を交えつつ論じてきたが、ここからは視点を転じて、政治家側の事情をまとめてみたい。
前述した通り、ロボス派が提出した帝国領侵攻作戦は、これ以上、シトレ派の独走を許せば、軍部―シトレ派―主導の対帝国和平が実現、それは軍部が「国家内国家」と化す事に他ならず、最終的には、軍部独裁政権への道を拓くのではないか、との懸念―有体に言えば恐怖―を抱いた多くの政治家、官僚、財界人らの賛同を得て、最高評議会で可決されている。
では、この時、帝国領侵攻に反対した人物、具体的には財政委員長ジョアン・レべロ、人的資源委員長ホワン・ルイ、そして国防委員長ヨブ・トリューニヒト、彼ら3人は如何なる立場、思考に基づいて、出兵反対の論陣を張ったのだろうか?
まず、レベロとホワンの2人だが、当時の彼らは、反戦と帝国との和平、民力休養を政策綱領に掲げる野党所属の代議員であり、与党党首の最高評議会議長サンフォードの政敵だった。恐らく党議拘束も掛けられていただろう彼ら2人が、帝国領侵攻に反対票を投じるのは、何の不思議もない。
なお、野党議員だった彼らが入閣していたのは、少数与党だったサンフォードが政権基盤の安定を図るため、レべロ、ホワンが所属する野党と、一定の政策協定を結んでいたからだと見られる。
また、彼ら2人は元々、清廉な政治家で、その気質上、主戦派政治家と組んで利権漁りや猟官運動に精を出すロボス派軍人を決して快く思っていなかった。そのため、清廉で理想主義的、さらに帝国との和平を主張するシトレ派の軍人と比較的、近しい関係を維持していた。
ただ、教条主義的な性格でもあったレベロは、国家内国家を志向するが如き同派の主張を危ぶんでもおり、それが同派プリンスのヤンに対して、第二のルドルフになるのではと、警戒する視線を向けていた理由と思われる。バーラトの和約後、最高評議会議長に就任したレベロが、帝国高等弁務官レンネンカンプの勧告を退けず、ヤン逮捕に動いたのは、或いはその心中にずっと燻っていた、ヤンへの疑念の故だったかもしれない。
では、国防委員長トリューニヒトが反対した理由は何だろうか?ミンツ氏の著作によれば、トリューニヒトは当時の同盟の国力、軍事力では、帝国領侵攻など到底、成功するはずは無いと見切っていた、と云う。故に、遠征軍が敗北して無残に撤退すれば、侵攻賛成の論陣を張った現政権は市民の支持を失い、退陣せざるを得ない。しかし、出兵反対を明言した自分は、勇気と識見に富む政治家として、却って声価を高めるだろう。軍需産業の支持が無いレベロやホワンは所詮、自分の敵ではない。結局、最終的には自分が最高評議会議長の座に就く事になる…これがトリューニヒトの思惑だと記述しているが、一点の事実を無視していると指摘せざるを得ない。それは、トリューニヒトがロボス派と極めて近い立場の主戦派政治家だった、という事実だ。
前述した通り、帝国領侵攻作戦は、シトレ派の独走を食い止め、ロボス派の失地回復を目指すものだった。その時、ロボス派と近い主戦派政治家トリューニヒトが出兵に反対すれば、それはロボス派への裏切り行為に他ならず、これまで築いてきた同盟軍への影響力を一朝にして失う事にも繋がりかねない。
実際、ロボス派軍人や主戦派からは、トリューニヒトの出兵反対が公になると、激烈な非難の声が上がった。当時の雑誌報道等によると、彼自身の反帝国演説の一節を引用されて「銀河帝国の専制的全体主義を打倒すべきこの聖戦に反対する者は、すべて国を損なう者である!誇り高き同盟の国民たる資格を持たぬ者である!その者の名はヨブ・トリューニヒトである!」と、大書したビラがハイネセン市内に出回ったと云う。
後世の視点からすれば、アムリッツァ星域会戦は同盟滅亡を決定づけた歴史的敗戦であり、ミンツ氏の指摘する通り、トリューニヒトの先見の明を証明するものなのだが、反対表明時の彼の態度には、不審な点が多すぎると感じるのだ。
まず、彼が出兵に反対票を投じた事に対し、同僚の評議員は驚愕したと伝えられており、彼の反対表明が唐突なものだった事が分かる。
この時、驚愕した評議員の中に、反戦派のレベロやホワンが含まれていたのか、それは不明なのだが、もしレベロ達も驚愕していたと仮定するなら、それは即ち、彼が主戦派という、今までの政治的立場を放擲し、新たな政治基盤となる反戦派に根回しをしていない事を伺わせる。そうである以上、反戦派と近いシトレ派に誼を通じていたとも考えにくい。
さらに、政治の渦中にいる政治家たちが驚愕したという事は、有権者にとっても「寝耳に水」だったはずだ。そして、彼は反対理由として「私は愛国者だ。だがこれはつねに主戦論に立つことを意味するものではない」としか語っていないが、これで納得する有権者がいると本気で思っていたのだろうか?
レベロやホワンの如く、具体的なデータを挙げて、論理的に出兵の不可を主張するならば、それに賛同するか否かは別として、自らの政治的意思を表明して、常に有権者の疑問に答えねばならない民主政治家として正しい姿勢だと言える。
一方、トリューニヒトの発言は、どれほど拡大解釈しても、私は愛国者だから、常に国の事を考えている。今回は出兵反対が国の為になると判断した、という意味にしか取れないが、有権者が聞きたいのは、出兵反対が何故、国の為になるのか、その一点なのだ。
レベロとホワンがその点に答えているのに対し、トリューニヒトは一切答えていない。これで納得できるのは、トリューニヒト先生のやる事に間違いがあるはずは無いと、彼を個人的に盲信している支持者だけだろう。同盟の有権者が悉く、そのような状態であれば、トリューニヒトの態度も頷けるのだが、前述した通り、彼を知る者の半数は雄弁家と称え、残る半数は詭弁家と忌み嫌っていた。
即ち、有権者の半数は反トリューニヒトだった可能性が高いのだ。こんな状態で「つべこべ言うな。黙って俺についてこい」的な態度を取っては、反対派からの激烈な批難に晒される事は火を見るよりも明らかで、例えトリューニヒトを支持している人物でも「彼(トリューニヒト)は民主政治家としての責務を果たしていないではないか!」との反対派からの指摘に対して、有効な弁護を行う事は難しいだろう。その結果、支持者からも批判の声が上がる危険性に思い至らなかったのだろうか。
或いは、有権者など所詮、衆愚に過ぎない、同盟軍が敗北して、自分が出兵反対を主張していた事だけで、自分を褒め称えて、政治権力を託すに違いないと、ある意味、高を括っていたのかもしれない。確かに、結果論的にはそうなったのだが、筆者には、トリューニヒトは先見の明を有しながら、同時に視野狭窄に陥っているように思えてならない。
つまり、明確な理由なく出兵反対を主張したトリューニヒトが評価されるためには、同盟軍は誰が見ても明らかなほど、取り繕いようのない惨敗を喫する必要がある。
しかし、約150年に及ぶ旧帝国と同盟との戦争の歴史を紐解く時、アムリッツァ星域会戦ほど、圧倒的に勝者と敗者が分かたれた例は、かなり稀な事例だという事に気づく。これに比肩するのは、管見の限りで、帝国暦436(745)に勃発した第2次ティアマト星域会戦。ブルース・アッシュビー元帥率いる同盟軍に帝国軍が惨敗、当時「軍務省にとって涙すべき四十分間」と言われたほど、帝国軍の有能な貴族将官が大量戦死した一戦くらいである。
それ以外は、惰性で戦争をしていると言いたくなる程に、勝敗が明らかでない戦闘が延々と続いている。旧王朝の軍人時代、開祖ラインハルト陛下は、この状況を「戦争ごっこ」と断じたとも伝えられる。トリューニヒトの「先見の明」は、帝国暦487(796)年の帝国領侵攻が、ラインハルト陛下が指摘する「戦争ごっこ」に終わる事は無いと、何故、確信できたのだろうか?
いや、この時の同盟軍の規模は史上最大、到底「戦争ごっこ」などと言えるレベルではなかった、と主張する向きもあるかもしれない。だが、それこそナンセンスだ。大軍で出兵したからと言って、その結末は必ず大勝利、または大敗北と決まっている訳ではないだろう。
確かに大軍は必ずしも勝利の要件にはならず、運用方法を誤れば、時として敗北の原因にもなる、これは軍事学の常識だが、例えそうでも、大軍を動員する理由は、偏に勝利を確実なものとするためであり、敗北の原因とするために大軍を編成する軍隊など存在するはずが無い。まして、この時の同盟軍は、初戦の士気は高く、解放軍、護民軍としての意気に燃えていた。彼らが敗北を求める理由など、宇宙の果てまで探しても見つかる事は無かったのだ。