評論「政治権力者ヤン・ウェンリーに関する一考察」   作:旧王朝史編纂所教授

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第10節 議長サンフォードと国防委員長トリューニヒトの密約

 先のミンツ氏の記述に戻って考えるならば、当時のトリューニヒトは、同盟の国力、軍事力では到底、帝国領への侵攻など成功する訳は無い、と見切っていたらしいが、では、成功しない=大惨敗、この等式が何故、トリューニヒトの脳裡で成立したのだろうか?筆者には、その点がどうしても理解できない。

 

 戦史に照らすならば、旧帝国と同盟の戦争は勝敗が明確でないものが大多数で、いわゆる痛み分けで終わる事が常態化していた。

 

 さらに、たとえ敗北を喫しても、軍の政治宣伝で、勝利と喧伝する事も日常的に行われていた。直近の実例として、アスターテ星域会戦で三個艦隊が惨敗しても、我が勇敢なる同盟軍は悪逆な侵略者・銀河帝国がアスターテ星域を犯そうとする、その邪悪な意図を挫き、祖国と市民を守護するという責務を全うした、その立役者こそ、エル・ファシルの英雄にして、アスターテの英雄となったヤン・ウェンリー准将である!などと主張して、敗戦を恰も勝利であるかの如く言い立てている。

 そして、軍がこの情報操作を行った時、軍政の長たる国防委員長は一体誰だったか。そう、ヨブ・トリューニヒトその人である。

 

 いや、仮に帝国領侵攻作戦で勝利を収めたとしても、国防委員長の職権を用いて、敗北したと逆宣伝する…それこそあり得ない。そんな事をしようとすれば、ロボス派に裏切者呼ばわりされた時の比ではない。全ての同盟軍人がトリューニヒトを敵視する事は疑いなく、万が一、そんな事を企図した事が公になれば、過激な右翼団体・憂国騎士団などから、売国奴として、間違いなく命を狙われるだろう。トリューニヒトが自殺志願者でもない限り、そんな愚行に手を染める理由は無い。

 

 そこで、別の視点から考えてみたいと思う。トリューニヒトは、同盟軍が惨敗すると確信したから出兵に反対したのではなく、同盟軍が勝利しようが、または敗北しようが、どちらでも良かった、別の理由があって、出兵反対に票を投じたのではないか、という可能性だ。

 

 以下の記述も史料上の根拠が無い、筆者の着想、妄想の類なのだが、トリューニヒトに出兵反対の票を投じさせたのは、万が一、同盟軍が取り繕いようのない大惨敗を喫した時に備えた、最高評議会議長サンフォードの「保険」だったのではないか。

 

 この帝国領侵攻作戦を成功させて、市民が熱狂する武勲を挙げれば、それを主導したロボス派、ひいては出兵にゴーサインを出したサンフォード政権の声価が高まる事は疑い得ない。その余勢を駆って、次回選挙で勝利を収める事が、サンフォードほか各委員長達の狙いだった。

 

 しかし、もし負ければ?たった半年前、アスターテ星域で、三個艦隊が壊滅した事をもう忘れたのだろうか?半年の間に、同盟軍艦隊は飛躍的に強化されたのだろうか?敗北すれば、戦犯として世論の激烈な非難に晒される事は、火を見るよりも明らかだ。その時、彼ら委員長達の政治生命は終了するのだ。

 

 議長サンフォード以下、各委員長達、代議員達、彼らのスタッフや支持者達、そして政治談議に花を咲かせる有識者やメディア…恐らく万単位に上るだろう政治関係者の誰一人として、遠征軍が敗北した時に何が起こるか、言及しなかったのだろうか。

 いや、当時の同盟社会では、反戦派が相応の勢力を維持していた、帝国との戦争を非とする彼らが「最悪の想像」をしなかったとは思えない。惨敗すれば同盟社会がどれほど悲惨な状態に陥るか、それを喧伝する事は、自分達の政治的主張の妥当性を補強する、格好の材料になるだろうから。

 

 サンフォード政権の委員長達、そして当時の同盟市民は、揃いも揃って、救いようのない愚者だったと言ってしまえばそれまでなのだが、どうにも違和感を禁じ得ない。筆者は、この違和感に、トリューニヒトの出兵反対の謎を解く鍵が潜んでいると思ったのだ。

 

 結論から述べると、議長サンフォード本人、或いは彼の周囲にいるスタッフの中に、この事に気が付いた者がいたのではないか。サンフォードが失脚すれば、自分達の地位や職も棒に振ると、自己保存の欲求も手伝い、万が一、同盟軍が惨敗しても、少なくとも自分達の地位は保全できる、何らかの対策を講じるべき、と主張したのではないか。

 

 そして、その対策が主戦派の与党政治家、トリューニヒトと水面下で交渉、敢えて出兵反対の票を投じさせる事だった、これが筆者の着想である。以下、彼らの構想を簡単に説明したい。

 

 まず注意すべきは、出兵反対を主張したとの点では同じだが、レベロとホワンは反戦派の野党政治家、対してトリューニヒトは主戦派の与党政治家、それも主戦派の支持を広く集める、少壮の政治家だった事だ。与党内部で、彼が次代の幹部、党首候補と目されていた事は想像に難くない。そして、トリューニヒト本人も、政治家の最高位、最高評議会議長の椅子を狙う野心を隠そうともしていなかった。

 

 だが、当時の彼は41歳、政治家としては未だ少壮、中堅の立場だった。筆者は同盟政界の人事には詳しくないのだが、常識的に考えて、順調に出世の階段を登ったとしても、後10~15年は必要なのではないか。

 もし、野心溢れるトリューニヒトがそれを迂遠と感じていたなら…彼の内心をサンフォードが察知していたとすれば…両者の利害が一致する機縁が茲にある。

 

 同盟軍が勝利すれば、サンフォードは続投、トリューニヒトは自身の不明を恥じ、自ら国防委員長を辞任すると表明。サンフォードは彼の誠実さ、潔さを称揚しつつも、世論やロボス派からの批判を躱す意味で、辞職を了承。ただし、政府の外郭団体や、有力な軍需企業など、天下り先を密かに斡旋し、政財界との繋がりを保持できるよう処置する。

 そして、世論のほとぼりが冷めた頃を見計らって、再び閣僚入りさせ、与党内でも議長サンフォードの後継者的地位を与える。

 

 逆に、同盟軍が敗北すれば、実際の歴史がそうであったように、サンフォードが辞職、トリューニヒトは、出兵反対した自身の先見の明を言い立て、暫定議長に就任、サンフォードの後継者に収まる。

 

 この時、サンフォードが党首を務める与党は、党として出兵賛成しているので、与党内に反トリューニヒト勢力が存在しても、既にトリューニヒトの暫定議長就任を阻むだけの力は無く、さらに、トリューニヒトを推さなければ、野党のレベロやホワンが暫定議長に就任するかもしれないと言えば、彼らを抑える事は十分に可能だろう。

 

 野党や反戦派に対しては、出兵反対したとの事実を前面に出し、今後の政策協定、或いは連立の可能性を示して、その代わりにレベロやホワンの擁立を断念させる。

 

 そして、サンフォードには適当な天下り先をあてがい、その地位と財産を保障するだけではなく、暫定議長トリューニヒトがメディアに圧力をかけ、ウィンザー夫人ら主戦派の委員長達がどれほど無責任だったか、補給線が崩壊しているのに、選挙対策のため、世論を納得させられる勝利を得るまで同盟軍の撤退を許さず、結果として数千万人の兵士を死に追いやった大量殺人犯だと、激烈なバッシングを浴びせる一方、前議長サンフォードは撤退すべきではないのかと言い、彼らを窘めようとしたのだが、その強硬姿勢を抑える事が出来なかったのだと、メディアに嘘のリークをして、彼への批判のボルテージを下げるようにする…

 

 これがサンフォードとトリューニヒトとが秘密裏に締結した盟約だったとすれば、トリューニヒトの唐突な出兵反対が理解できると思うのだ。

 

 そもそも、国家の命運を左右しかねない一大作戦の可否を決するのに、事前交渉や調整を一切していないなど、まず考えられない。ミンツ氏の著作では、評議会の席上、サンフォードが唐突に選挙云々の事を言いだしたと受け取れる記述になっているが、「100日以内に帝国に対して画期的な軍事上の勝利を収めれば、支持率は最低でも15パーセント上昇する」という、コンピュータの計測結果なるものを事前に準備していた時点で、サンフォードが評議会の結論を一定の方向に誘導する意思を持っていた事の証左ではないか。

 

 そうであれば、この採決結果はサンフォードの想定通り、事前の票読み通りだった可能性が高い。票読みが出来ていたからこそ、トリューニヒトが反対票を投じても、多数決で帝国領侵攻が可決されると確信していた。そして、評議員がトリューニヒトの出兵反対に驚愕した事実は、むしろサンフォードの機密保持能力の高さを伺わせる。

 

 さらに、同盟軍の退勢が明らかになり、レベロやウィンザー夫人が激烈な議論を戦わせるのを横目に、トリューニヒト、そしてサンフォードは一切、発言をしていない。「保険」を掛けている彼らにしてみれば、トリューニヒトは、自分が暫定議長に就任する日が刻一刻と近づいている事に内心、快哉を叫んでいただろうし、サンフォードは不用意な発言をして、敗戦後に浴びせられるバッシングの材料を増やすまいと考えていたのだろう。

 

 ミンツ氏の著作では、議長サンフォードは、国防委員長トリューニヒトの影に隠れた、無能な老政客として描かれているが、トリューニヒトという派手な偶像の陰で、密かに会心の笑みを浮かべていたのは、或いはサンフォードだったのかもしれない。

 

 もちろん、以上の内容は全て、史料上の根拠など無い、筆者の想像に過ぎない。トリューニヒトとサンフォードの間に秘密協定など無く、トリューニヒトは帝国領遠征失敗=同盟軍惨敗と、何の根拠も無いままに確信して、開祖ラインハルト陛下とオーベルシュタイン元帥による焦土作戦が奏功した結果、偶々、現実が確信した通りになっただけかもしれない。サンフォードは帝国領侵攻が成功すると、やはり何の根拠も無く盲信していただけの愚者だったのかもしれない。同盟末期の政治史を専攻する研究者諸氏による御批判を期待するや切である。

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