評論「政治権力者ヤン・ウェンリーに関する一考察」   作:旧王朝史編纂所教授

12 / 18
第11節 イゼルローン要塞攻略戦①~ブレーメン型軽巡洋艦の謎

 同盟軍末期の二大派閥、シトレ派とロボス派の派閥抗争の実態と、トリューニヒトやレベロなど、彼ら軍人達を取り巻く政治家達の動向について、筆者の想像を多分に交えつつ描いてきたが、それらを前提として、当初の問題意識「同盟軍人ヤン・ウェンリーは何故、敵国・銀河帝国の支配者層である門閥貴族に対して、有効な軍事指導を施し、なかつ、彼らがその指導に従うと確信できたのか?」について、筆者なりの分析を加えてみたい。

 

 まず、エル・ファシル以降のヤンについて、以下の内容を再確認しておきたい。

 

 ① エル・ファシルの英雄となったヤンは、その知名度と人気の高さを見込まれ、同盟軍の各派閥による獲得競争に晒された。

 

 ② そのヤンを獲得したのは、ヤンと個人的な面識があった、かつての士官学校校長、シドニー・シトレが領袖を務めるシトレ派だった。

 

 ③ シトレの庇護下に置かれたヤンは、その軍事的才能を十全に発揮し、次第にシトレの御曹司的立場、シトレ派のプリンス的存在となり、派閥の後押しを得て、武勲を過大とも言える程に高く評価されて、当時の同盟軍では異例と言える、20代中の将官昇進を果たす。

 

 ④ 自派主導で帝国との和平実現を目指すシトレは、その構想実現のため、帝国との交渉材料となり得る圧倒的な軍事的勝利、即ちイゼルローン要塞陥落を策し、実戦部隊の指揮官にヤンを抜擢、要塞陥落を実現させる。

 

 ⑤ シトレ派が同盟軍を席巻する事態を見て、彼らシトレ派が同盟軍を政府の統制を受け付けない、国家内国家としてしまう事、同盟が軍部独裁国家へと変質しかねない事を憂慮した政治家達と、シトレ派に対抗できる功績を上げて、自派の失地回復を目論むロボス派の利害が一致、そこに帝国との和平路線を否定するグリーンヒル一派が合流し、彼らの数の力で、帝国領侵攻作戦が決定。この時、ヤンはシトレの意向で前線指揮官の1人となる。さらに同盟軍の早期撤退を策したシトレ構想において、キャゼルヌと水面下で連携、前線の意向を撤退へと集約する役割を担っていたと思われる。

 

 以上の流れを踏まえると、ヤンはエル・ファシル以降、一貫してシトレの庇護下にあり、彼の構想実現のために行動していた事が分かる。20代中の将官昇進は、異数とも言えるヤンの軍事的才能の故もあっただろうが、エル・ファシルの英雄として、市民や兵士への高い人気と知名度で、シトレ派の勢力拡大に貢献した事への見返りだったのだろう。

 

 そして、ヤンの人気と知名度、そして評価を揺るぎないものにしたのが、言わずと知れたイゼルローン要塞の無血攻略だ。この攻略戦は「軍事上の芸術」とさえ評され、敵将の心理を読み切った、ヤン以外の誰にも成し得ない素晴らしい戦術だと絶賛されている。筆者は軍事には明るくないのだが、当時の帝国、そして同盟の政治状況を念頭に置くと、これが単なる軍事作戦ではなかった可能性に思い至った。以下、解説していきたい。

 

 まず、本攻略戦の要は、ヤンの特命を受けた白兵戦部隊「薔薇の騎士(ローゼンリッター)」連隊長、ワルター・フォン・シェーンコップが、帝国軍人「フォン・ラーケン少佐」に偽装、要塞司令官トーマ・フォン・シュトックハウゼン大将を人質として、降伏を承諾させた事であるのは、衆目の一致する所だろう。

 

 そして、シェーンコップ以下、ローゼンリッター連隊員を要塞まで運んだのは、かつての戦闘で同盟軍が鹵獲した、帝国軍のブレーメン型軽巡洋艦だと伝えられるが、筆者はこの点に若干の疑問を覚えた。

 

 帝国軍所属の艦艇ならば、軍のデータベースに登録があるはずではないか。そして、かつての戦闘で同盟軍に鹵獲されたのなら、データベースから情報が抹消、或いは情報が修正されているのではないか。

 だとすれば、イゼルローン要塞に接近して、その哨戒網に捉えられた時点で、データベース上に登録情報が存在しない、或いは「撃沈ないし叛乱軍に拿捕された可能性あり」との情報が明らかになれば、いかに緊急時とは言え、シュトックハウゼン以下、要塞駐留部隊の疑惑を招いて、入港が許可される事は無いのではないか。

 

 筆者は軍事に明るくないので、軍事史を専攻する同僚の研究者数名に問い合わせてみたが、回答は「旧王朝時代から、軍の所属艦艇は全て、軍務省所管のデータベースに登録されている。同盟軍の艦艇情報でさえも一部登録されていた。このデータベース上の情報は、全艦艇と軍事施設の管制コンピュータから照会可能で、さらに各艦艇の管制コンピュータと、軍務省のホストコンピュータとは常時リンクしている。艦艇情報は部隊編成上の基礎資料なので、変更が生じればリアルタイムで修正する必要があるからだ。

 また、戦闘時は手動で艦艇情報の検索、照会をする遑など無いので、少なくとも正規軍所属の艦艇、そして軍事基地であれば、艦艇情報の検索、照会は自動で行われていた。これは同士討ちを避けるための措置で、自動検索を停止する事はシステム上、不可能だった。さらに、システムの私的な改変は重大な軍規違反でもある」だった。

 

 この指摘が正しいのならば、シェーンコップらが乗り込んだ軽巡洋艦が疑問を抱かれずに、イゼルローン要塞へ入港できた理由が分からなくなる。

 

 また、作戦構想時、ヤンやキャゼルヌはその事に気が付かなかったのだろうか?筆者は、このイゼルローン攻略戦の概要を同僚数名に説明し、その見解を求めた所、1人が興味深い指摘をしてくれた。それは「領主貴族の私設艦隊に属する艦艇であれば、軍務省のデータベースに登録されていない可能性が高い」。

 

 彼曰く「大貴族が所有する私設艦隊に所属する艦艇は、当該貴族が財務省に発注して建造させた新造艦と、帝国正規軍から払い下げられた中古艦、この2種類が混在していた。後者は正規軍から私設艦隊に所属が変更された時点で、その情報がデータベースに登録されるが、変更後、撃沈または廃艦されても、貴族側から特に申告しない限り、データベース上の情報が変更される事は無い。前者であれば、そもそも登録されない可能性がある。法規上、全ての戦闘用艦艇は帝国政府、軍務省が一元管理する事になっているのだが、帝国暦438年公布の分国令で、領主貴族の独立性が大幅に認められた結果、この規定は有名無実化している」。

 

 この指摘に基づくならば、イゼルローン攻略戦に用いられた軽巡洋艦は、貴族の私設艦隊に属する艦艇だったのだろうか。だが、貴族の私設艦隊とは、宇宙海賊や反帝国勢力から自領を防衛するため、或いは帝国政府や他家に対して、自家の軍事力を誇示する為に設置される性格のもの。貴族艦隊が同盟軍と干戈を交えた例は多くは無く、少なくとも帝国暦487(796)年の第7次イゼルローン要塞攻略戦に先立つこと数年間、同盟軍と貴族艦隊が戦った史実は無い。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。