評論「政治権力者ヤン・ウェンリーに関する一考察」 作:旧王朝史編纂所教授
そして、さらに大胆な仮説を提示したい。このヤンによるイゼルローン要塞攻略戦が、ブラウンシュヴァイク公爵家の黙認と密かな支援を受けて行われた可能性だ。
前述した通り、自派主導による帝国との和平締結、その交渉材料となる軍事的勝利、そのためにイゼルローン要塞を攻略する、これがシトレ派の構想だった。同派プリンスのヤンが攻略戦に先立ち、帝国との和平に言及しているのはその証左だろう。
だが、シトレやヤンは、イゼルローン要塞陥落後、具体的に誰と和平交渉を行うつもりだったのだろうか?
銀河帝国はその国是から、外国の存在を認めておらず、外交交渉を司る部署が存在しない。アムリッツァ星域会戦後、両軍の交渉の結果との形式で、捕虜交換が行われた事を考慮するならば、宇宙艦隊司令部を窓口として想定していたのかもしれないが、同盟との和平―帝国流に言い直せば、叛乱軍の赦免と自治の許可となるか―は、帝国の国是に事実上の変更を迫る重大事、帝国政府や貴族社会から強い反論、異論が出る事は想像に難くない。
故に、それらの異論を封殺して、政府と軍、そして貴族社会の総意を和平で一本化する、少なくとも和平止む無しの情勢に持って行く必要がある。最高権力者である皇帝フリードリヒ4世が和平を承諾してくれれば最良だが、残念ながらフリードリヒは無気力で国政に意欲を見せず、寵姫に溺れる暗君として、貴族社会からも軽視されていた。よって、フリードリヒに代わって、帝国の「世論」を一本化できる権力者が求められる。
この条件に合致するのは、国務尚書として国政全般を司っていたリヒテンラーデ侯クラウス、そしてフリードリヒの女婿であるブラウンシュヴァイク公オットーと、リッテンハイム侯ウィルヘルム、この3人だろう。
帝国軍三長官のエーレンベルク、シュタインホフ、ミュッケンベルガーは、帝国軍は掌握していたかもしれないが、政府や貴族社会へ強い影響力を有していた形跡が無く、かつこの三者は共同歩調を取れるほど、親密な関係ではなかった。
さらに、開祖ラインハルト陛下は、この時点ではローエングラム伯爵家の門地を継承したばかり、平民や下級貴族の支持を集め始めていたとはいえ、貴族社会中では、誠に不敬な表現ながら、皇帝陛下の姉に対する寵愛を笠に着る、生意気な金髪の孺子、でしかなかった。
そして、上述の三人の中でも、まずリヒテンラーデ侯は相応しくない。その理由は、彼には他の二人とは異なり、自前の武力が無く、経済力も帝国最大の領主貴族であるブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯には到底、及ばないからだ。
もしリヒテンラーデ侯が独自に、ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯と競えるだけの勢力を有していたならば、フリードリヒ4世崩御後、同帝の孫、エルウィン・ヨーゼフを冊立するために、元帥府を開設して、自分の意のままになる軍事力を保有していたラインハルト陛下と手を結ぶ必要は無かっただろう。
よって、リヒテンラーデ侯を交渉相手としても、残る2人から強硬に反対されれば、リヒテンラーデ侯がそれを跳ね除けられる可能性は少ない。まして、同侯は皇帝の意向を背景に、万事、先例重視で国政を処理していく、調整型の政治家だった。そんな彼が皇祖ルドルフ大帝以来の国是に変更を迫るが如き、国政方針の大転換を敢えて行うとは全く想像できない。
対して、ブラウンシュヴァイク公・リッテンハイム侯の強みは、何よりも、今上帝の血を引く実の娘を擁しているという点。それは、今上帝フリードリヒ4世崩御後、自分の娘を帝位に就ける事が出来れば、自分は皇帝の父親、皇父として、帝国の実権全てを掌握する事を意味する。例えるならば、ルドルフ大帝の後継者、強堅帝ジギスムント1世の実父、ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムが帝国宰相として、国政全般を指揮したように。
シトレ派が帝国政界の実態をどこまで認識していたのか、現時点では詳らかにしない。だが、上述の内容をある程度まで知悉していたとするならば、彼らシトレ派は和平交渉の相手として、ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯、彼らのどちらかを想定したであろう事は想像に難くない。そして、前述したラーケン少佐の存在を考慮するならば、シトレ派とブラウンシュヴァイク公との関係は、イゼルローン要塞攻略戦の前から生じていたのではないか。
筆者がこう考える理由こそ、本論冒頭で述べた問題意識「同盟軍人ヤン・ウェンリーがブラウンシュヴァイク公ら旧王朝の門閥貴族に対し、軍事指導を行える立場にいた事、そして、あの高慢なる貴族達がその指導を受け入れると確信していた事」の解答に繋がるのだ。以下、ブラウンシュヴァイク公爵の事情について解説したい。
こと政治交渉において肝となるのは、双方の利害得失の調整、妥協点を如何に見出すかだ。双方とも、自分の利益を最大化し、損失を最小化しようと動くのは当然。だからこそ、何が自分にとって最大の利益をもたらすかを把握し、それ以外の部分は交渉材料として、相手側に譲歩する事も必要になる。
シドニー・シトレとブラウンシュヴァイク公オットーが交渉のテーブルに着いたと仮定した時、まず双方にとって最大の利益とは何だろうか?
シトレにとっては、自派主導による帝国和平の実現、その功績を以て、同盟内での軍部の地位向上を図り、少なくとも政治と軍事を対等にする事だろう。そして、ブラウンシュヴァイク公が狙う最大の利益は、自分の娘エリザベートを帝位に就け、自分が新帝の父、皇父となって、帝国の実権全てを掌握する事に他ならない。
以下、ブラウンシュヴァイク公オットーの思考の軌跡を同公の独白としてまとめてみた。
…儂の娘エリザベートを帝位に就ける上で、最大の障害となるのは、儂と同様、皇帝の血を引く娘を持ち、儂に匹敵する権勢を有するリッテンハイムだ。手段さえ確保できれば、リッテンハイムと娘サビーネ、この父娘を殺し、リッテンハイム家を族滅する事を躊躇いはしないのだが。
だが、肝心の手段が無い。我がブラウンシュヴァイク公爵家の私設艦隊を率いて、リッテンハイム侯爵家を攻撃する事は、物理的には不可能では無い。
だが、リッテンハイムが何もせず、ただ攻撃を受ける訳は無い。あの若造カストロプ公マクシミリアンでさえも、帝国政府から財産を没収されようとしただけで、私兵を率いて反乱を起こす事を躊躇わなかったのだ。リッテンハイムは必ず、私設艦隊を率いて迎撃するだろう。そして、濫りに私戦を起こした反逆者だと言い立て、儂を帝国政府に訴えるに違いない。
勿論、枢密院議長である儂の権力を以てすれば、リッテンハイムの一門に属する貴族家を恫喝するか、或いは因果を含めて、リッテンハイムが反逆を企んでいたと告発させて、皇祖ルドルフ大帝陛下がお定めになった大帝遺訓・第十条「もし仮に、皇帝と帝国に異心を抱く貴族が現れたならば、皇帝の勅命を得て、他の者が必ず之を誅せよ」を名分として、奴を征伐する権利を得る事は出来る。先年、皇帝の弑逆を企てた、あのクロプシュトック侯ウィルヘルムを征伐したようにな。
しかし、それはリッテンハイムも同じなのだ。奴は枢密院副議長、その一門に属する貴族家も数多ある。我が一門に不心得者が皆無かと問われれば、いないと断言するほど儂は愚かではない。
畢竟、儂とリッテンハイムが直接的な武力行使をしないのは、例え勝っても、自家の損害が無視できないほど大きくなると予想されるからに過ぎない。
地球時代、当時の大国同士が核兵器を大量に保有して対立していたが、とうとう滅亡するまで、両国とも核の発射ボタンを押す事は無かったと聞く。儂とリッテンハイムの関係もそれに近いのだ。どちらかが口火を切れば、相手の息の根を完全に止めるまで戦わざるを得ない。何故なら、皇帝の玉座は1つしかないからだ。
そして、そうなると、あの忌々しい古狸、国務尚書リヒテンラーデが介入してくる事は間違いない。奴の行動原理は、皇帝の意向を盾に取って、儂ら領主に対して、帝国政府、即ち文官貴族の優位を確立する事にあるのだからな。
武力と経済力を持たぬ奴自身は取るに足りんが、皇帝を擁し、国璽を保有している事実は大きい。儂らが十分に傷つけあった頃合を見計らって、儂らを逆賊と名指しする勅命を発し、宇宙艦隊司令長官のミュッケンベルガーか、もしくはあの小憎らしい金髪の孺子あたりに命じて、帝国正規軍を動かすやもしれぬ。流石に我が艦隊と雖も、リッテンハイム軍と戦いつつ、正規軍を撃退するような離れ業は不可能だ。
まず儂が求めるものは、我が公爵家軍に代わり、リッテンハイム軍を討滅できるだけの戦力を持つ軍隊だ。リヒテンラーデが政府を牛耳っている以上、正規軍を動かそうとするのは現実的ではない。奴を追放、ないし暗殺して、その後釜に儂の息がかかった貴族を据えるという手もあるが、流石に現職の尚書に手を出せば、帝都の文武官が黙ってはおるまい。あの高慢ちきなベーネミュンデ侯爵夫人、あの女が孕んだ赤子を殺させた時とは訳が違うのだ。
やはり、あれしかない。叛乱軍の手を借りるのは業腹ではあるが、背に腹は代えられぬ。叛乱軍を帝国領内に導き入れ、奴らにリッテンハイム侯爵領を攻撃させて、ウィルヘルムとサビーネ、いやリッテンハイムの一族を皆殺しにさせ、領地を徹底的に破壊させるのだ。二度と復活などせぬように。そして、リッテンハイム一門の貴族家への見せしめとしてな。
完全に筆者の想像だが、ブラウンシュヴァイク公の脳裡に浮かんだ考えがこうだったとすれば、彼が臣下となったラーケン少佐を通じて、同盟軍シトレ派から持ち掛けられた和平交渉に、内々に応じる気になっても不思議ではない。和平に応じる代わりに、同盟軍の武力で政敵リッテンハイムを滅ぼし、娘エリザベートを帝位に就ける事が出来れば、十分に引き合うと計算するだろう。
そもそも、ブラウンシュヴァイク公、そして当時の領主貴族達は、帝国貴族との立場上、同盟人を叛徒と罵り、フェザーン人を拝金主義者と軽蔑していたが、本心では彼らを滅ぼしたいなどとは思っていなかったはずだ。
何故なら、分国令以降に台頭した彼ら新興領主達の力の源泉は、フェザーンを介した同盟との三角貿易だったからだ。彼らの富の大部分はフェザーン、そして同盟から得られたものだった。貪欲なブラウンシュヴァイク公にとって、フェザーンと同盟、この「金の卵を産む二羽の鵞鳥」を絞め殺す事などしたくも無かっただろう。
さらに前述した通り、フェザーンや同盟との関係強化を図りたい、側近のアンスバッハやシュトライトも、主君の考えを後押ししたに違いない。
同盟軍にリッテンハイム侯爵領を攻撃してもらうためには、当たり前だが、帝国領への侵攻路がなければならない。フェザーン回廊は駄目だ。フェザーン自治領政府が同盟政府の国債を大量に引き受けている以上、フェザーンの経済力が失われれば、同盟は財政破綻しかねない。
また、フェザーン政府から多額の賄賂を貰っているだろう同盟の政府高官がフェザーンへの侵攻を了承するはずもない。さらに、帝国との和平交渉の材料になり得る、圧倒的な軍事的勝利を挙げるというシトレ派の目標も達成できない。
そして、ブラウンシュヴァイク公もフェザーン企業と取引、多額の投資をしている関係上、フェザーンの経済を破壊する事を望みはしないだろう。
では答えは1つしかない。イゼルローン回廊しかないのだ。つまり、ヤン艦隊によるイゼルローン要塞攻略とは、ブラウンシュヴァイク公に和平を認めさせる見返りに、同盟軍がリッテンハイム侯爵領を攻撃するためのルート確保だった、これが筆者の着想である。
こう考えてくると、イゼルローン要塞攻略時、帝国軍務省データベースに登録されていない、恐らく貴族艦隊所属の軽巡洋艦が用いられた理由が理解できる。
この巡洋艦はブラウンシュヴァイク公の私設艦隊に属する艦艇で、攻略作戦に先立ち、フェザーン回廊経由で同盟に送られた、または要塞主砲の射程外で、密かに公爵家の艦隊からヤン艦隊に引き渡されたのだろう。
そして、シェーンコップが所持していたラーケン少佐のIDカードも、同盟で偽造されたものではなく、帝国軍務省が発行し、ブラウンシュヴァイク公爵家が裏書きした、正真正銘の本物だった可能性が高い。また、同公爵家の家臣になったラーケン少佐の協力が得られるならば、指紋や網膜、虹彩パターンに遺伝子配列など、彼本人の生体情報も入手できただろうし、それらを駆使した欺瞞方法(例えば、虹彩パターンを印刷したコンタクトレンズなど)を用意する事も不可能ではない。
ヤン艦隊によるイゼルローン要塞の無血攻略は、帝国最大の貴族・ブラウンシュヴァイク公オットーの協力があって初めて実現できたのだ。これが筆者の見解である。