評論「政治権力者ヤン・ウェンリーに関する一考察」   作:旧王朝史編纂所教授

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第16節 イゼルローン要塞司令官は「パエッタ・ドーソン」コンビが適任?

 以下は、管見の限りで裏付けとなる史料は存在せず、あくまで筆者の着想、妄想レベルの見解なのだが、ヤンは帝国の内戦に介入すれば、銀河帝国を滅ぼせると確信しながら、何故、それを行わなかったのか、それは単に、開祖ラインハルト陛下の策謀に屈しただけだったのか、さらに明白な越権行為であるビュコックの命令書、これに関わった者達が誰も疑問を抱かず、それを是認しているのは何故なのか、これらの疑問に答えつつ、ヤンの為人を「冷徹なマキャベリスト」と主張する筆者の考えについて解説したい。

 

 まず、前述の問題を考察する上で、注意すべきと思われるのは、アムリッツァ星域会戦後にヤンが任命された地位だ。ヤンは戦後、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官のポストに就いているが、同盟軍最高の名将ヤンが国防の最前線を守護する任務に就くのは当然だと、例えばミンツ氏などは一切の疑問を抱いていないが、一点の事実を無視していると言わざるを得ない。当時、解散総選挙を経て、正式に最高評議会議長に就任したトリューニヒトの存在だ。

 

 トリューニヒトは対帝国戦を聖戦と鼓吹する主戦派政治家で、自派主導の対帝国和平を目指すシトレ派のプリンス的存在のヤンとは政治的には遠かった。

 

 後年、イゼルローン要塞を離任し、フェザーン駐在弁務官事務所付武官への赴任を命じられたミンツ氏は、新任の挨拶を兼ねて、首都星ハイネセンで宇宙艦隊司令長官ビュコックと面談した事実を書き記しているが、その席上、イゼルローン要塞に駐留するヤン艦隊が政府の統制を離れて、軍閥化する事を恐れたトリューニヒト派が、ヤン艦隊から有能で司令官に忠実な軍人たち―キャゼルヌやシェーンコップら―を遠ざける事を策しており、自身の人事がその一環だという見解を聞かされているが、あまり首肯できる内容ではない。

 

 確かに、一般論で言えば、地方に駐屯する部隊の司令官と部下達が個人的な信頼関係で結ばれ、司令官の私兵と化し、軍閥化する事を防ぐため、中央政府は人事権を行使して、部隊の中心メンバーが固定化しないようにする、これは政体を問わず、あらゆる国家が腐心してきた問題である事は間違いない。

 

 だが、前述した通り、ヤンがイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官に任命された時、トリューニヒトは最高評議会議長の地位にいた。さらに、帝国領出兵作戦に反対した事で、市民からの支持も高かった。

 もし、ビュコックが指摘するように、トリューニヒトがヤン艦隊の軍閥化を懸念していたならば、何故、国境地帯に位置する難攻不落の要塞に、ヤンが子飼いの部下と艦隊を率いて赴任する事を許したのだろうか?

 さらに、ヤンのイゼルローン要塞司令官任命が正式決定する前、統合作戦本部長クブルスリーは幕僚総監への就任を望み、宇宙艦隊司令長官ビュコックは同艦隊総参謀長の地位を用意すると言明している。もし、本当にトリューニヒトがヤンの軍閥化を恐れていたならば、わざわざ独立してくれと言わんばかりの好条件が揃った、かつ政府の目が届き難いイゼルローン要塞に赴任させずに、クブルスリーまたはビュコックの提案に乗って、軍中央での勤務を命じるべきだったのではないか。

 

 いや、アムリッツァで大敗した同盟軍には、ヤンほどの名将を中央の顕職に付ける余裕など無かった。少ない同盟軍が国防の実を上げるためには、どうしてもイゼルローン要塞への赴任が必要だったと、或いはミンツ氏なら反論されるかもしれない。しかし、それはイゼルローン要塞の防御力を過小評価、もしくはヤンの力量を過大評価していると言わざるを得ない。

 

 そもそも、イゼルローン要塞が帝国軍の所有物だった時、要塞司令官と駐留艦隊司令官は同格の大将同士で、その不仲は伝統的でさえあったが、それでも第6次までのイゼルローン要塞攻略戦は全て失敗に終わり、帝国軍をして「イゼルローン回廊は叛乱軍兵士の死屍を以て舗装されたり」と豪語させている。

 過去の帝国軍司令官は、決して無能ではなかったが、しかし極めて優秀でもなく、概して平均的な能力の持ち主だった。その彼らが互いの不仲というハンディキャップを負っていても、イゼルローン要塞は同盟軍の全面攻勢に耐え抜いている。

 

 そして、視点を要塞陥落以降に移しても、リップシュタット戦役後、帝国の実権を掌握した開祖ラインハルト陛下は、貴族連合軍の拠点だったガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊にワープさせ、同要塞の攻撃力と補給能力を用いた、ケンプ大将を司令官とする遠征軍を派遣しているが、新王朝開闢後、同盟側史料によって、当時のイゼルローン要塞には、司令官ヤンが不在だった事が分かっている。

 ヤンは同盟政府が秘密裏に開いた査問会に拘束されており、遠征軍来襲時、イゼルローン要塞では軍官僚のキャゼルヌが司令官代理を務め、軍令面は参謀長ムライと副参謀長パトリチェフが補佐、要塞の防御指揮はシェーンコップが執り、駐留艦隊の指揮は客員提督メルカッツを始め、分艦隊司令官アッテンボロー、フィッシャー、グエンらが執るという、集団指導体制だった。

 しかし、ヤン不在のイゼルローン要塞は帝国遠征軍とガイエスブルク要塞の猛攻に耐え、査問会から解放されたヤンが援軍を率いて帰還した事で、遠征軍は全軍の9割以上を失い、司令官ケンプ大将は戦死、ガイエスブルク要塞も破壊、完全敗北を喫した。

 

 確かにこの指摘は結果論かもしれないが、ガイエスブルク要塞を擁した帝国遠征軍が襲来した時と同様の国防体制を提案した者は、アムリッツァ大敗後の同盟軍新体制を構築する際、軍部には全く存在しなかったのだろうか。

 筆者のように、帝都オーディンから大艦隊が出撃していく様に親しんでいた者からすれば、軍事力は中央に集め、地方には必要最小限の軍事力のみを置き、外敵の襲来など、状況の変化に応じて援軍を派遣する、中央集権型の国防体制を取らない理由が何かあったのか、と感じてしまう。少ない軍事力の有効活用、そしてシビリアンコントロールの観点からも、こちらがより望ましいとさえ感じてしまうのだが。

 

 そして、当時の同盟軍に、全く人材がいなかったとも思えない。クブルスリーの統合作戦本部長就任に伴い、第1艦隊司令官の後任には、アスターテ星域会戦で負傷、加療中だったパエッタ中将が現役復帰の上、就任している。

 

 パエッタは見敵必殺型の猛将タイプで、戦略的識見に欠け、柔軟性も無かったが、戦術家としては決して無能ではなかった。帝国暦490(799)年、開祖ラインハルト陛下が発動した同盟領侵攻作戦「神々の黄昏」で、宇宙艦隊司令長官ビュコック率いる同盟軍の一翼を担い、結果的に敗れはしたものの、寡兵で帝国軍の猛攻に耐え続けている。

 

 アムリッツァ大敗後、もはや帝国領への侵攻など不可能になった同盟軍において、イゼルローン要塞司令官に求められる資質とは、まさにこの粘り強さ、敵の大軍が来襲しても、諦めずに戦い抜こうとする気概と、戦術的手腕では無かっただろうか。

 

 軍政面に不安があるならば、クーデター勃発直前、救国軍事会議の一員になっていたフォークの凶弾に倒れたクブルスリーの後任となった統合作戦本部次長ドーソン、査問会当時は後方勤務本部長だったロックウェル、また第14補給基地司令官に左遷中のキャゼルヌなど、軍官僚を補佐役に付ければよい。軍の階級から考えて、彼らの上位にパエッタを置く事が難しければ、ドーソンないしロックウェルを要塞司令官に任命して、パエッタを駐留艦隊司令官とする形もあるだろう。

 

 そして、帝国軍の大規模な侵攻など、イゼルローン要塞だけでは対処が難しい事態が発生すれば、改めてヤンに命令し、首都ハイネセンに駐屯する第1艦隊、ないしは第11艦隊を指揮させて、援軍として派遣すればよいのではないか?

 

 さらに、派閥的な視点から言えば、パエッタはロボス派の一員で、国防委員長時代のトリューニヒトとは個人的に誼を結ぼうとするなど、議長トリューニヒトからすれば、ヤンよりも遥かに扱いやすい、かつ安全な人物だった。階級を無視して、能力面と派閥面からのみ考えれば、イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官パエッタ中将、要塞事務監ドーソン大将、トリューニヒトにとっては、これが最良の人事だったのではないだろうか?

 

 以上の点から、ヤンのイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官への就任には、不審な点が多すぎると言わざるを得ない。以下は全くの筆者の着想、妄想の類だが、一気に結論を述べるならば、この時、ヤンとトリューニヒトは密かに同盟を結び、それぞれの目的を達成するため、水面下で協力体制を構築していた、これが筆者の見解である。以下、節を改めて、その内容を詳述したい。

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