評論「政治権力者ヤン・ウェンリーに関する一考察」 作:旧王朝史編纂所教授
ヤン・ウェンリーの父タイロンは、独立した交易商人だったと伝えられる。その事業は同盟領内に止まらず、フェザーン自治領の企業、商人とも取引していた形跡があり、或いはフェザーン経由で、旧帝国とも何らかの接触を持っていた可能性もあるが、詳細は不明。
しかし、自身が所有する宇宙船の核融合炉事故でタイロンが死亡した後、彼の交易会社は事業継続が不可能となり、また個人的に収集していた古美術品等も全て贋作であった事が判明、遺児ウェンリーは、無償で歴史学を専攻できる学校として、国防軍士官学校戦史研究科に入学している。
同じ歴史学を志した者として、ヤンの向学心には敬意を払うものだが、小論の主題において重要な点は、ヤンの生家は、同盟政府や同盟軍に強い影響力を有する有力家ではなかった事、そして、士官学校入学時のヤンは、他者に影響を及ぼせる経済的能力も皆無であった事、この2点である。当時のヤン・ウェンリーは、ただの貧乏な一青年に過ぎなかった。
ただ、士官学校時代の一挿話で、当時の学校長、後の統合作戦本部長、シドニー・シトレ元帥と個人的な知遇を得た事実だけは強調しておきたい。ヤンが所属する戦史研究科が予算不足の影響で閉鎖される事が決まった際のエピソードなのだが、この時、ヤンがシトレと面識を得た事は、政治権力者ヤン・ウェンリーを語る上で、極めて重要な意味を持っている。
転機となったのは、帝国暦479年(宇宙暦788年、以下カッコ内の年数は宇宙暦)、帝国軍の攻勢によって奪還されたエル・ファシル星系から、約300万人の非戦闘員を無事に脱出させるとの功績を上げ、いわゆる「エル・ファシルの英雄」となった事だろう。
ミンツ氏の著作によれば、当時のヤンは、同盟世論の圧倒的な賞賛の渦中に置かれ、軍上層部は本来、生者には許されない二階級特進(中尉から少佐)を敢えて行い、氏の表現を借りるなら「流星雨のごとき賛辞を浴びせた」のである。
ミンツ氏の著作によると、ヤンの士官学校時代の先輩で、後にヤンの有力な幕僚の1人となるアレックス・キャゼルヌは、当時のヤンの立場を「お前さんは功績を立てすぎたんだ。で、お前さんのあたらしい処遇が、にわかには決まらない。各部署の調整にも時間がかかる」と説明しているが、この時、同盟軍の中堅士官として、統合作戦本部に勤務していたホーウッド元中将は、当時の同盟軍内部、特に各派閥の動きを「有望な新人をどこが獲得するか、水面下で激烈な闘争が繰り広げられていた」と語っている。
これもホーウッド元中将に教示された事だが、民主国家の軍隊である同盟軍は、有権者にして納税者である市民の意向、そして彼らに選挙で選ばれた政治家の意向を軽視する事は出来なかった。同盟軍に求められていたのは、悪辣な侵略者と非難していた旧帝国軍の侵攻から祖国を防衛し、市民の生命と財産を守護する事だった。
故に、守護すべき市民を軍高官が見捨てて、自分一人だけ逃亡したエル・ファシルの件は、同盟軍にとって最大級の醜聞であり、この状態を放置しておけば、市民の激烈な批判に晒され、次年度以降の予算獲得に苦労するどころか、兵員への志願者数にも悪影響を与えかねない。だからこそ、民間人を無事、救出したヤンを殊更に称揚する必要があったのだが、舞台を同盟軍内に限れば、英雄として祭り上げたヤンをどの部署が獲得するのか、まだ派閥色がついていない有望な新人をどこの派閥が囲い込むのか、高級軍人たちにとって重要なのは、将にこの点だった。
市民が称賛する英雄ヤンを獲得できれば、選挙時の集票要員―有体に言えば、美男美女の芸能人やミュージシャンらと同じ―として、自派閥に近い政治家に「貸し出す」事が出来る上、その政治家が属する政党に大量得票を見込める有望な新人が居なければ、ヤンに因果を含めて、選挙に立候補させる事もできる。そうすれば、政治家や政党に貸しを作れて、今後の予算獲得に便宜を図ってもらえる、それは自派閥が同盟軍内の派閥闘争を勝ち抜いていく上で、有効な武器となる…こういう思考を巡らせなかった高級軍人は当時、恐らく存在しなかっただろう、というのがホーウッド元中将の見解である。確かに、ミンツ氏の著作にも、キャゼルヌの想像として、ヤンが政界進出を求められるのではないか、との記述がある。
だが、その後のヤンの人生を見るに、この予想は完全に外れている。ヤンは短期間の捕虜収容所勤務を除けば、ほぼ一貫して宇宙艦隊所属の参謀として勤務、前線に出れば2回に1回は奇功を立てたと言われ、若干29歳で准将に昇進している。これは帝国軍士官学校卒で貴族身分を持つ軍人と比較しても、異常に早い昇進速度だった。
さらに、ホーウッド元中将は、以下の通り証言している。
「当時の同盟は戦時下であったため、前線勤務の士官は確かに昇進が早かった。しかし、退職金や年金受給の関係上、退役間近の佐官をごく短期間だけ、准将に昇進させて退役させる人事慣行があったので、准将の階級は50~60代の軍人が多数を占めていた。ただ軍功だけで20代のうちに准将になれる事は、まずあり得ない。
当時、ヤン元帥を始め、例えばアンドリュー・フォークやウィレム・ホーランドといった、20代中に准将に昇進した若手士官は、例外なく自派閥の強力な後押しがあったから昇進できたのだと、同盟軍中では専らの噂だった。私自身も、当時はシトレ派に属していたのだが、ヤン元帥は派閥の領袖・シトレ元帥の秘蔵っ子で、同派のプリンス的存在だった。
私は元帥の養子になったという、このミンツなる人物と面識はないのだが、養父の何を見ていたのだろうか、ヤン元帥は政治権力と一切関わりを持とうとしなかったと書いているが、私が知る限りで、ヤン元帥ほど、政治権力によって庇護され、その力を得て出世の階段を駆け上がった同盟軍人は稀なのだが」と、ミンツ氏の主張とは正反対の評価を下している。
筆者には、このホーウッド元中将の指摘にこそ、ヤン・ウェンリーが旧王朝の門閥貴族に作戦指導を行える、その指示の下、彼らを行動させられると確信できた理由が存在するように考えている。
次節では、ヤンと政治権力との関わりを考察するに当たり、その前提となる、当時の同盟軍中の派閥の実態について、まとめてみたい。