評論「政治権力者ヤン・ウェンリーに関する一考察」   作:旧王朝史編纂所教授

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第8節 帝国領侵攻作戦の「裏面」~シドニー・シトレの陰謀

 かくして、占領直後のイゼルローン要塞に総司令部を置き、帝国領侵攻作戦、後世アムリッツァ星域会戦と呼称される一連の戦役は開始が決定した。

 

 ここまではロボス派の想定通りだと言っても良いだろうが、シトレ派もただ受け身であり続けた訳ではない。帝国領侵攻が既定路線となった以上、その中で、自派の勢力維持に努める責務が領袖シトレにはあった。そのシトレの思惑が端的に示されたのが、遠征軍の陣容だと筆者は考えている。

 

 総司令官ロボス、総参謀長グリーンヒルの下、実際の戦闘を指揮する各艦隊司令官の人事を見ると、その大半がシトレ派の高級軍人で占められている。

 

 これもホーウッド元中将の証言だが、第5艦隊司令官ビュコック中将、第10艦隊司令官ウランフ中将、第12艦隊司令官ボロディン中将、そして第13艦隊司令官ヤン中将の4人は、シトレ直系の同派幹部であり、第7艦隊司令官ホーウッド中将、第8艦隊司令官アップルトン中将、第9艦隊アル・サレム中将はグリーンヒル一派に属し、第3艦隊司令官ルフェーブル中将のみ、ロボス派に近い中間派だった、と云う。

 

 つまり、帝国領侵攻作戦が成功すれば、遠征軍総司令官ロボス元帥の武勲に報いるには、統合作戦本部長のポストしかなく、ロボスが制服軍人のトップに立てば、自ずとロボス派が同盟軍内の主流派に返り咲く。

 

 だが、この時、実際の戦闘で武勲を挙げるだろう艦隊司令官にシトレ派の幹部を配しておけば、彼らの武勲と市民の人気を前面に出して、軍内に一定の影響力を保持できると想定したのではないか。

 

 尤も、彼らシトレ派提督の登用には、帝国軍との戦闘に勝利したとの過去の実績と、彼らを国防の要に据えるべきという世論の存在、そして、ホーランド、パエッタ、ムーア、パストーレといった、ロボス派の有力な前線司令官が戦死、または負傷しているという、同派の人材払底という事情もあったようだが。

 

 そして、筆者が特に注目したいのは、後方主任参謀に配されたキャゼルヌ少将の存在。彼はシトレの腹心的存在であり、遠征軍の後方主任参謀に就任するまでは、統合作戦本部長シトレ元帥の次席副官だった。このキャゼルヌの就任は、ミンツ氏の表現を借りるならば「久々の前線勤務」で、当時の同盟軍内の感覚では、異例の人事に近いものがあったのではないか。

 

 実際、ホーウッド元中将も「これ程の大作戦である以上、補給管理のエキスパートとして名高いキャゼルヌ少将が参画するのは当然とは思ったが、彼は軍官僚だ。ハイネセンの後方勤務本部で要職に就くなら分かるが、まさか参謀として、前線に置かれた総司令部に名を連ねるとは思っていなかった」と語っている。筆者は、キャゼルヌの参謀就任に、シトレの強い意向を感じざるを得ない。

 

 以下は筆者の着想、いや妄想に近いと自覚しているが、前線で補給体制を管理するキャゼルヌに、故意に、補給を滞らせて、前線の戦闘力を喪失させ、その事実を艦隊司令官のビュコック、ウランフ、ボロディン、そしてヤンから、敢えて、誇大に報告させる事で、撤退止む無しの状況を作ろうとした、これがシトレの密かな構想で、彼はそのために、自身の腹心たるキャゼルヌに因果を含め、強引に後方主任参謀に据えたのではないだろうか?

 或いは、キャゼルヌの参謀就任は、帝国領侵攻作戦を受け入れる代わりに、シトレがロボス、そしてグリーンヒルに求めた条件だったのかもしれない。

 

 無論、この事を証明する史料など無い。また、一時的に補給を滞らせても、キャゼルヌが更迭されて、別の軍人が後方主任参謀に就任すれば、結局、何の意味も無いではないか、と指摘する向きもあろう。

 

 だが、奇妙な主張になるが、シトレ、そしてヤン達は、侵攻する自分たち同盟軍を迎撃する帝国軍司令官、即ち開祖ラインハルト陛下の軍事的才能を「信頼」していたのではないだろうか。ラインハルト陛下ほどの軍人であれば、補給が滞り、攻勢に出られない同盟軍の隙を見逃すはずは無い、必ずや効果的な攻撃を仕掛けてくる。そのタイミングで、前線司令官から補給欠乏による戦線維持の不可を言い立て、少なくとも、イゼルローン回廊の帝国側出口までの撤退を具申する。司令部員、即ち部下であるキャゼルヌの失態である以上、上司的立場のロボス、グリーンヒルもその意見を無碍には出来ない。

 

 キャゼルヌに戦犯の汚名を着せ、シトレ派の有力メンバーを1人失うが、これなら「補給さえ万全なら必ず帝国軍に勝てた」と、仮定の話を持ち出す事で、世論の追及を躱し、主戦派政治家の面子も立つ上、反戦派には「無益な戦闘を回避した」との事実を持ち出して、彼らの批判を逸らし、実際には戦っていない以上、武勲は無いが失態も無い訳で、シトレ・ロボス派ともに、自分達軍人に付く傷も少ない…

 

 これがシトレの描いた絵図で、実際の運用を任されたのがキャゼルヌとヤンの2人だったのではないか。ミンツ氏の著作によれば、遠征前に行われた作戦会議の席上、ヤンはラインハルト陛下の軍事的才能を強調し、決して侮るべきではないと、強く警鐘を鳴らしたそうだが、その認識があったからこそ、シトレはこの構想に一縷の望みを託す気になったのかもしれない。尤も、そのラインハルト陛下、そして当時の参謀長オーベルシュタイン元帥が企図した焦土作戦によって、シトレの構想は完全に崩壊してしまうのだが。

 

 また、この仮説には弱点がある。仮にシトレの構想通りに事が進んでも、その時点で同盟軍の損失は微々たるもの-軍の早期撤退と壊滅防止がシトレの目標だったのだから当然なのだが-で、撤退後、再び帝国領侵攻作戦が提議されれば、それを止める理由がない事だ。

 

 仮定の上に仮定を重ねる話になるが、シトレは構想実現後、どう動くつもりだったのか、無理矢理に想像すれば、キャゼルヌの失態は軍の監督不行届、よって、制服軍人のトップ統合作戦本部長たる自分は引責辞任する、と早々に表明し、監督不行届との名目で、キャゼルヌの上司的立場だった遠征軍総司令官ロボス、総参謀長グリーンヒルにも、引退止む無しの状況を作り出し、後は両派の色がついていない人物を本部長に据えて、強引に事態の打開を図ろうとしたのではないか。

 

 アムリッツァ星域会戦後、統合作戦本部長に第1艦隊司令官クブルスリー中将が就任しているが、彼は両派から遠い、中間派と言うべき立場だった。仮に筆者の妄想が正鵠を射ていたとすれば、彼の就任は、或いはシトレ構想の僅かな名残なのかもしれない。

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