【蜃気楼】
史記の天官書にいはく、海旁蜃気は楼台に象ると云々
蜃とは大蛤なり
海上に気をふきて、楼閣城市のかたちをなす
これを蜃気楼と名づく
又海市とも云
『今昔百鬼拾遺』鳥山石燕
蜃気楼の理 起
結局のところは支配する者か、支配される者か。
恐怖など人の弱さが見せる幻に過ぎない。
---------------------------------------------------------------
須藤の暴力事件を無事に解決したオレたちは、思い思いにこの豪華客船を楽しんでいる。中間テスト前に茶柱が宣言したバカンスは、今のところ順調に履行されていると言って良いだろう。タダより高価いものはないと言うが、そのツケを払うのがオレ以外であればタダの旅行を愉しむべきなのだ。だが、三つの意味で楽しめていない現状がある。
一つは夏休み前、オレを退学させようと親父が接触してきたことだ。茶柱曰く、オレの生殺与奪を握っているのは茶柱だというが、奴にそれほどの力があるとは思えない。故に最悪の場合を想定した行動を取らざるを得ないことが面倒だ。
二つ目は一通り船内を見廻ったものの、共に過ごす友人と言える者がいないこと。三バカと行動を共にすると悪目立ちすることは明らかだし、堀北は部屋に引きこもっているのか会うことはない。また先日の騒動の際に親交を深めた佐倉もこちらを気にする素振りは見えるが、あまり公衆の面前で異性を伴って歩けるタイプではない。
―――そう言えば中禅寺の姿も見ていないな。まあ書痴の彼がバカンスと言ったって本を読む場所が変わるくらいのものだろうが。
懸案の最後の一つは、このままこの学校がバカンスを楽しませる気など端から無いことを何となく想像出来るところだ。でなければ茶柱がオレをわざわざこの時期に呼び出して釘を差すことなど無いだろう。おそらくは学校が所有しているその島で何かやらされる。
そして翌日、離島に到着するとほぼ予想通りの宣言が学校から為される。
―――これより、今年度最初の特別試験を始める!
その教師から一通りの説明を受けたあと、各クラスで詳細の説明を聞く。
---------------------------------------------------------------
【基本ルール】
・各クラスは1週間、無人島での集団生活を行う。
・テントや衛生用品は最低限配られるものの、飲料水や食料、トイレなどはクラス毎に配布される試験専用の300ポイントで購入する必要がある。
・専用ポイントは試験終了後、クラスポイントに変更される。
【追加ルール】
・島の随所に「スポット」と呼ばれる地点があり、占有したクラスのみ使用可能になる。
・スポットは専有する度に1ポイントのボーナスがある。
・スポットの占有は8時間のみ。切れた場合、更新作業が必要となる。
・スポットの占有には、リーダーとなった人物が持つ「キーカード」が必要となる。
・正当な理由なく、リーダーを変更することは不可能
・最終日、他クラスのリーダーを当てる権利が与えられる。当てれば1人につき+50ポイント、外せば-50ポイント。
・リーダーを当てられてしまった場合、-50ポイント、ボーナスポイント無効
【禁止事項・ペナルティ】
・体調不良や大怪我によって続行できない者は-30ポイント+リタイア
・環境を汚染する行為は-20ポイント
・毎日午前・午後8時に行う点呼に不在の場合、1人につき-5ポイント
・他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損などを行った場合、そのクラスを即失格+対象者のプライベートポイントを没収
---------------------------------------------------------------
オレは諸々の説明を聞き終えた頃、ふと中禅寺の動向が気になった。
―――何処にも居ない。
船を降りたのは確かにオレも見ている。まるで日本中の生物が息絶えてしまったかのような仏頂面で力無く下船する様子は、オレの不安を大きく掻き立てるものであった。そんな奴が居なくなっていることに恐らく誰も気付いていない。
しかもまだ不安はある。堀北だ。どうやら体調が優れないようだ。少し顔も赤い。熱があるのだろう。この試験では不参加、リタイアはマイナス30ポイントされる。それを嫌ってか口には出さないものの、無理はさせられない。
そんな中、やれトイレが要るだの要らないだので軽井沢らが揉め始め、結局、纏まりを欠いたまま、かつ中禅寺がいないまま、キャンプ地を探しに島へ進入する。
成り行きでオレは佐倉と高円寺(途中で疾走して失踪した)とベースキャンプ探索に出たが、思わぬ副産物としてAクラスのリーダー情報を得ることができた。
その後、どうにかこうにか川の畔のそれなりの人数が活動できそうな広場に辿り着くと、スポットのある樹木に背を預け座っている、地獄のような目つきをした男がそこに居た。
「中禅寺くん! 君が見つけてくれたのかい?」
「そうだ」
平田が呼び掛けるが、会話をする気は無いらしい。底冷えのする目つきでオレたち一行を見回すと、その後の話し合いには興味がないらしく、堀北と一言二言話してクラスの和の端に鎮座してしまった。
「どこへ行ってたんだ? 船を降りて直ぐ居なくなっていただろう」
「炎天下でだらだらと話し続けるのは目に見えていたから、他のクラスが行っていない方向で、本営を設置できそうな場所を見つけて待ち構えていただけだ」
「中禅寺はサバイバル経験はあるのか?」
「非常に遺憾ながら
その間、リーダー決めが議論されている。櫛田から堀北にしてはどうかと提案があり、堀北もこれを了承した。オレは、言いたいことが無いではなかったが、そう決まったのであればその状況を利用するだけだ。
中禅寺はすることが無くなったのか、どかりと腰を下ろし、器用なことに仏頂面を維持したまま気怠げにぼんやりしている。この島で唯一の本と呼べるマニュアルは平田や堀北、櫛田に占領されているため、することがないのであろう。
寧ろオレは本がない中禅寺がどういう行動をするのか気になる。そんな折、平田からクラスメイトに向かって声がかけられた。
「じゃあみんな、探索組、キャンプ設営組に分かれて行動しよう!」
さてオレはどうするか、集団行動より探索のほうが向いているが……佐倉がこちらを見ている。行くか。
山内も……? ああ、佐倉の気を引きたいということか。残念ながら中禅寺に憑き物落としをされても無理だろうな。山内は全ての能力が、人格が、劣っているにも関わらず『自分はやればできる、モテるはず』と謎の幻想に取り憑かれている。
しばらく歩いていると、一人の女生徒が木の根本に蹲っているのが見えた。どうやらCクラスの生徒で、クラス内のトラブルにより戻れないと言っている。まあ、十中八九スパイだな。
だが山内は『カッコつけたがり』を発揮して、無策にもスパイと思しき女生徒を引き入れるようだ。『無能な働き者は殺すしかない』というが、間違いなくコイツはそうだろうな。ちなみに敵にいれば煽ててクラスの中核に居るように仕向ける。Cクラスでは無理だがBクラスならそういう使い方も出来るだろう。
―――この女子の指、汚れているな。足元の地面、色が変わっている。まるで何かを埋めてその上に土を被せたみたいだ。
それから、ある程度の薪を拾って戻ると、中禅寺が火の番をしているのを櫛田が煽てている。無駄だぞ、そいつはお前の腹の色を知っているからな。
「すごーい、中禅寺くん♪ すごく手際がいいね!」
「実家で護摩焚きをすることもあったからね」
中禅寺は器用に火種を準備すると、2つほどの焚き火を作り出した。火の番が似合う男だ。周りの女子も少しアイツを見る目が穏やかになっている。
そんな折、高円寺がリタイアしたことが明らかになった。これでマイナス30ポイントか。もうどうしようもないな。
さて、オレも寝る準備をするとしよう。
▼
翌日、オレは堀北を連れて各クラスの偵察に行くことにした。キャンプ地の運営や食糧確保は平田や中禅寺がいれば、どうとでもなるだろう。
堀北は体調が良くないことには気づかれたくないのか、気丈な顔をして付いてくる。コイツはクラスを率いるリーダー格として育成しなければならない。中禅寺も言っていたが、コイツは基本的には素直で幼い。また理想が3年前の兄である生徒会長で止まったままだ。色々な人材を知り、様々なリーダーとしての在り方を学ぶべき段階だ。
Aクラス、後に聞いたが坂柳派と葛城派の対立がひどいらしい。坂柳が欠席である以上、葛城が指揮を取ると見られるが、側近と言えるのは昨日見かけた粗野な男しかいないのであろう。基本的に慎重派の葛城は洞窟に貝のように引きこもる算段のようだ。
図々しくも堀北が内部まで偵察しようとするが、ふむ、これは何とも。
以前共闘したBクラスの連中は、団結してサバイバルを乗り切る方針のようだ。堀北は協力体制を継続するようで、お互いにリーダー指名をしないこと、物資に余裕が出たときは共有すること、スポット共有をすることを話し合っている。
オレなら場合によって裏切りも選択肢に入れるが、この場合はこれが正解だ。能力の水準が高いBクラスは使いようがある時もあるだろう。
また、Bクラスもオレ達と同じくCクラスの人間を保護している。
最後のCクラス、完全にバカンスモードだ。夜にはリタイアするということだが、なるほど、クラスポイントに目を瞑ればこういう戦略もありだろう。龍園というCクラスのリーダーは堀北に執心のようだ。手元には冷たい炭酸水とフルーツ、トランシーバーか。一体誰と繋がってるんだろうな。
さて、我々Dクラスはと言うと、意外なことに池が活躍している。キャンプ経験を元に積極的にクラスへ貢献する姿は、彼の伸びしろを見ている気分だ。勉強とモラルが向上すれば立派な戦力になる余地がある。
察するに、良くも悪くも周りに影響されやすい人物なんだろう。山内や須藤といった底辺と絡んでいるからそのようになっているのであって、こうして責任感をもって活躍できる場を与えるとこうなる、ということか。
中禅寺は―――焚き火の前でマニュアル本を読んでいる。ぺらり、ぺらりとページを捲る姿は、背景が大自然であることを除けば普段あの神社で見られる風景だ。
―――よく見たらアイツだけクッションを持っているな。配布無制限のビニール袋を使っているのだろう。抜け目無いし、そういうところだぞ。
チラリと堀北を見て小声で一言二言、声を掛けている。ここからは聞こえないが、多分体調を気遣っているのだろう。随分と仲良くなったものだ。本人達に言えば共に「ただの知り合いだ」と言い張るところが目に浮かぶ。
また、意外なことに
確かに世界中の生命が息絶えてしまったかのような仏頂面をしている以外、顔貌は整っているし、粗野な姿勢もない。学力も高くサバイバル能力もある。コミュニケーション能力が普段低いため篠原や軽井沢らからは毛嫌いされていそうだが、物静かなグループからは信頼されるのであろう。
そうして2日目も深けて行く。
それでは皆様、良いお年を。
初詣はちゃんと乱数の女神に祈るんやで。